老人の専門医療を考える会 - 全国シンポジウム - 内容
第29回 『ご存知ですか? 後期高齢者医療制度』  平成19年3月24日 大手町サンケイプラザ
シンポジウム冊子(PDF版:12,564KB)

13:30 開会挨拶 平井基陽 老人の専門医療を考える会会長
13:40 基調講演T「後期高齢者医療制度とは?」
  神ノ田昌博 厚生労働省保険局医療課課長補佐
 講演資料(PDF:421KB)
14:25 基調講演U「後期高齢者医療制度設計への日医の基本姿勢」
  天本宏 日本医師会常任理事
 講演資料(PDF:158KB)
15:10 休憩
15:20 現場からの発言T「病院併設老人保健施設の立場から」
  山上敦子 介護老人保健施設いこいの家鳴山荘施設長 
 講演資料(PDF:170KB)
15:40 現場からの発言U 「後期高齢者医療に対してリハビリテーションの観点からの要望」
  柴田勝博 柴田病院理事長 
 講演資料(PDF:62KB)
15:30 シンポジウム〜制度で変わること、変わらないこと〜
シンポジスト:神ノ田昌博、天本宏、山上敦子、柴田勝博 
座長:小山秀夫(静岡県立大学教授)
16:55 閉会挨拶 山上久 老人の専門医療を考える会副会長
17:00 終 了
 
開会挨拶 平井基陽 老人の専門医療を考える会会長
平井

皆様、こんにちは。今日は3月の土曜日にもかかわらず、たくさんのかたにご出席いただきまして、本当にありがとうございます。私は現在、老人の専門医療を考える会の会長をおおせつかっている、平井でございます。

わたしどもの老人の専門医療を考える会は昭和58年に結成いたしまして、今年25年目を迎えます。結成2年後から、全国シンポジウムを毎年開催しています。今回は第29回の全国シンポジウムになるわけですが、これまでのメインテーマは終始一貫、「どうする老人医療 これからの老人病院」というテーマで行ってまいりました。

今回はサブテーマといたしまして、「ご存知ですか? 後期高齢者医療制度」というタイトルでシンポジウムを開催致します。当初この後期高齢者医療制度をテーマと決めた折には、もう少し早く、制度の骨格が決まるのではないかと思っておりましたけれども、まだこの制度そのものをご存知でないかたもたくさんいらっしゃいます。そこで本日は、厚生労働省から神ノ田昌博先生にもお越しいただいております。

老人の専門医療を考える会の基本的な考えといたしましては、75歳以上の方を対象にする後期高齢者医療制度を考える中で、われわれの主張が二つあります。当会の役員会でも確認いたしましたが、一つは年齢によって医療を受けることに制限があってはならない。それからもう一つは、高齢者の尊厳を守るという名の下に、ややもすれば医療抜きの終末期ケアという方向に流れがちになるのではないかという危惧もありまして、尊厳を守るという名の下に、終末期のケアがかえって高齢者の選択肢を制限するものであってはならないという2点です。当会としてこの点を主張していき、会員52名が、老人医療の実践を通して地域にも発信していきたいと思っております。

早速でございますが、プログラムに沿ってこのシンポジウムを進めさせていただこうと思います。まず最初は、基調講演の一番目といたしまして、「後期高齢者医療制度とは?」というタイトルで、先ほどもご紹介いたしました、厚生労働省保険局医療課課長補佐、神ノ田昌博先生にお願いしたいと思います。なお講師の略歴につきましては、プログラムの2ページ目に書いておりますので、よろしくお願いいたします。

基調講演T「後期高齢者医療制度とは?」 神ノ田昌博(厚生労働省保険局医療課課長補佐)

皆様、こんにちは。ただいまご紹介いただきました厚生労働省保険局医療課の課長補佐をしております神ノ田でございます。今日はこのような場にお招きいただきまして本当にありがとうございました。また老人の専門医療を考える会の皆様には、先ほど平井会長からお話がありましたが、四半世紀にわたって「いかによい老人医療を提供するか」ということについて研究を重ねてこられたということをお聞きしでありまして、改めまして敬意を表したいと思います。また日ごろから適正な保険診療の推進にご理解をいただき、この場をお借りしてお礼を申し上げます。

今日は後期高齢者医療の在り方について、皆様と意見交換できればと思い参りました。まず、厚生労働省の立場から、どのような制度設計になっているか概略を説明させていただき、後半のシンポジウムで中身のある意見交換をしたいと思っております。それでは早速ではありますが、スライドで説明をさせていただきます。

今日は4点ほど資料を用意してまいりました。一つは医療制度改革の背景ということで、やはりどのような背景の下で今回の医療制度改革が行われたか、そこをご理解いただく必要があると思いまして、関係の資料を用意してまいりました。2点めは新たな高齢者医療制度の創設ということで、制度の概略をご紹介したいと思います。わたしは医療課におりますが、後期高齢者医療につきましては、独立の診療報酬体系で医療を行うことになっており、そのために特別部会を設け、昨年の10月から検討を進めているところであります。これまでの議論についてご紹介したいと思いますが、まず後期高齢者医療の特性を整理したものを用意しております。また、特別部会の中でどのような議論がされてきたかを、簡単に最後のほうで触れさせていただきたいと思います。

まず1点目の医療制度改革の背景でございますが、この辺は皆様にご案内のとおりかと思います。高齢化が大変な勢いで進んでおり、現状は20%ぐらいの高齢化率、すなわち5人に1人が高齢者でございますが、それが2050年には35.7%になり、3人に1人は超える状況になることが見込まれているあるということでございます。これに伴いまして社会保障給付費が年々増え続けており、年金、医療等の社会保障にかかる費用が大変な勢いで伸びております。今では約90兆円という額になっております。

これは一般歳出と社会保障関係費の推移で、ポイントとなるところを赤く囲っていますが、この折れ線グラフは社会保障関係費でを一般歳出で割ったものをグラフにしております。見ていただきますと、90年代は大体30%ぐらいで、横ばいで推移してきたものが、99年以降大変な勢いで伸びています。現状44.4%にまで達しています。今後どのような推移をたどるのか、同じようなペースで伸びるとすれば50%を超えることもあり得ますので、この辺が大変大きな議論になっております。

一般会計歳出の経費別推移の社会保障に関しては96年度と2006年度を比較しますと1.44倍に膨れ上がっています。これはほかの一般歳出全体で見ますと、1.08倍であり、社会保障費だけがこのように突出した形で大きくなっているのです。景気の関係もあるかと思いますが、GDPの推移と社会保障関係費の推移をみるとは、年々両者この乖離が広がってきています。社会保障関係費はがどんどん伸びる中で、GDPについては横ばいが続いている状況が特に経済財政諮問会議等では大きな問題としてとらえられています。次の財政支出の増減では、13年度から18年度の変化で見ておりますが、社会関係保障費は4.5兆円伸びていて、割合にして25.7%増でございます。よく言われるのは公共事業を適正化し、無駄を省けば、このような社会保障関係費は十分カバーできるのだという議論もありますが、これまでもかなり削減してきているわけですね。教育関係や防衛関係費、公共事業関係費等々、それぞれ適正化し、そのような取り組みをする中で、何とかこの社会保障関係費の伸びをまかなっているという状況が分かるかと思いますのです。一般歳出伸び率全体では1.5%という中で、この25.7%の伸びを示している社会保障関係費を支えているということです。

この一般会計をご覧いただきますと、歳出全体で約80兆ですが、一番上の国債費が18.8兆円で、これはいわば「借金の返済」に当てられるお金でます。次の地方交付税交付金は使途を特定せずに地方自治体に交付するもので、これについては国の政策、施策には使えません。残りの46.4兆円が一般歳出で、この中でさまざまな教育、防衛などの国の施策を行ってきています。繰り返しになりますけれども、この一般歳出の中に占める社会保障関係費が44.4%まで膨れ上がってきています。このように、社会保障関係費なことでが非常に国の財政上、非常に大きなインパクトがある位置付けにあるということでございます。

公債残高の累積でございますが、18年度末の数字で542兆円となっていますいうことでございます。これは一般会計の税収をそのままこの借金の返済だけに当てたとしても12年間かかってしまう、そのような非常に大きな額だということです。これを一般の家計に当てはめてみると、一人当たり424万円ですので、4人家族でいくと各家庭1,700万円ぐらいの借金を抱えている数字になります。国としてはきちんと借りたお金は返さなければいけないので、そのやりくりをどうするかということが経済財政諮問会議等では議論になっているのです。現状でもまだまだこの借金を減らすことができずばかり、年々増え続けているわけですね。何とか返すほうに、少しずつでも減らすほうに転換させなければいけないという危機感があるわけですかなり議論されてきております。

経済財政諮問会議でどのような議論がされていたかですが、特に厚生労働省にとってインパクトがあったのが、GDP等のマクロ指標を基準に給付費の伸びを管理すべきではないかとの議論がなされました。医療費だけとってみても、何もしなければ自然増として3%ぐらい伸びているなかで、仮にGDPがずっと横ばいだとすると、2年に1回の診療報酬改定では2年分、つまり6%下げられるのかという議論になってきますくる。それをマクロ指標で管理しろといわれても、そのような簡単な話ではないわけです。これについてはいろいろ厚生労働省側の話もぶつけ、最終的にはこのようなマクロ指標で管理するという話は今のところ治まっておりますが、。ただ、スライドの下に書いてあるように、閣議決定が昨年の7月7日になされ、2007年より5年間で社会保障予算の1兆1千億円削減することが決定されております。5年間で1兆1千億円ということですので、1年当たり2,200億円ずつ、国庫ベースで削減することをと厚生労働省としては約束させられているという状況です。これは毎年予算を組むときに、どのようにこの2,200億円を捻出するか、また20年度予算の議論が始まりますけれども、どのようにそれをまかなうかが非常に大きな課題になっています。厚生労働省だけではなく政府全体としての大きな課題でございます。そのような背景の下で医療制度改革が行われました。

この表は国民医療費を財源別に表したものですが、公費が34.8%、保険料が50%ぐらい、患者負担が15.4%でございます。医療費全体を膨らますとすれば、このいずれかでカバーはしなければいけない。ただ患者負担を増やせば、弱者に負担をさせるのかという議論になりますし、公費負担を増やそうとすると、先ほどの国家財政にもかかわってきます。また保険料を上げるにしてのも事業主の理解を得なければならないがいろいろ反対するという、非常に難しい状況にあるわけですね。もう一つの方法は医療費全体をうまくコントロールすることです。選択肢は非常に限られていて、そのような中で行っていくということです。税金がぽんと上がって公費負担がもっとできるのであれば、次回の診療報酬改定も楽にできるのかもしれないのですが、使ったお金については必ず財源を求めなければならず、そのやりくりをどうするかということも議論になっております。

健康保険法等の一部改正のスライドについて、高齢者関係のところを赤く塗っています。18年10月施行分としては現役並み所得を有する高齢者の患者負担の見直しです。所得のある高齢者ですので、2割から3割負担になり、現役と同じだけ負担していただいています。また療養病床に入院する高齢者の食費・居住費の見直しをしています。20年4月施行分としては、70から74歳の高齢者の患者負担の見直しを行い、1割から2割負担に上げることにとなっております。そして今日のテーマであります後期高齢者を対象とした後期高齢者医療制度の創設が予定されています。これが20年4月からです。さらに前期高齢者の医療費にかかる財政調整制度の創設。24年4月には介護療養型医療施設の廃止などが上げられると思います。

今日はこの後期高齢者医療制度についてがテーマでございます。現行従来は老人保健法に基づく制度であったわけです。これまではり、各保険者からの拠出金、プラス公費でもって市町村が運営する制度設計になっているたわけです。しかし、市町村にとってみれば、ほかの保険者あるいは公費からお金をいただいて、それをマネジメントするだけというような制度でございますので、集めるほうも使うほうも一つの制度の中で完結させるべきという議論があり、新たな制度を作ろうということです。後期高齢者については都道府県単位で広域連合を作っていただいて、独立した保険制度を作ってもらうという体系になっています。これにより、お金を集めるほうも使うほうも同一の主体が責任を持って運営する制度となります。前期高齢者については、制度間の医療費負担の不均衡を調整するような制度をも設けています。さらに経過措置として退職者医療を一定期間残すことで見直しがされております。ポイントを書いてありますが、@75歳以上の後期高齢者については平成20年度に独立した医療制度を創設。Aとして65歳から74歳の前期高齢者には保険者間で医療費の負担に不均衡が生じていることから、調整する制度を創設する。3点めには退職者医療制度は廃止するけれども、26年度までの間、経過措置を講ずる。以上の3点がポイントになるかと思います。

このスライドがどのような財源構成にするかということですが、都道府県単位で全市町村が加入する広域連合を作っていただくことになっています。今月末までに、全都道府県でこのようなものができることになっております。高齢者が被保険者ですので、当然保険料を納めていただきます。その割合が1割です。あとは若年者の保険料から支援金として約4割を埋め合わせる。残りは公費として、国、都道府県、市町村が4対1対1の割合でカバーすることになります。これに患者負担を加えたものが、後期高齢者が扱うことのできる全体の医療費になります。裏を返して言いますと、患者負担を除くと、後期高齢者ご自身に負担していただく保険料の10倍分が使えるお金となりますので、ある意味そこにキャップがはめられてしまっているという言い方もできるかと思います。後期高齢者も被保険者ですので一定の保険料を納めていただき、その額に応じて、10倍使えるということになりますが、これにより使える医療費のパイが決まってくる訳わけでございます。ここに囲みでも書いていますが、公費約5割、現役世代からの支援約4割、高齢者は広く薄く約1割を徴収するということです。

実際どのぐらいの額になるか。これは都道府県によって変わってくると思いますが、平均的に見ると6,200円ぐらいと聞いています。当然所得に応じて払える額は変わってきます。介護保険料も月々4,000円ぐらいで払うことになっていなりますが、合わせると1万円ぐらいご負担いただく中で制度を支えていくことになります。今後保険料をどこまで増やせるかという話もあるかと思います。保険料を納めていただけなければ制度を運営できないことになりますので、その制度の持続可能性ということも考え合わせた上で、全体の中での医療の在り方も考えていかなければいけません。

主なスケジュールは後期高齢者医療の広域連合、この設立期限が今月末になっています。診療報酬体系の基本的考え方の取りまとめは来週特別部会を予定しておりまして、その場でまとめる予定です。ただあまり詳細なものは予定しておらず、ポイントになるところを整理するぐらいのものになるかと思いますが、このような基本的考え方を取りまとめて、その後パブリックコメントにかけて、国民の皆さんのご意見もお聞きした上で、今年の夏から秋にかけて骨格を取りまとめていきます。20年4月に後期高齢者医療制度の施行というスケジュールになっております。

このスライドが後期高齢者医療の在り方に関する特別部会でございます。メンバーは昨年10月から議論を進めてきております。開催の経緯ですが、10月5日に第1回を行いまして、以降4回に渡ってヒアリングを行っています。第6回の2月5日は、フリーディスカッションを行いました。来週、基本的考え方を取りまとめる検討会を行う予定です。繰り返しになりますが、パブリックコメントを実施して国民の声も広く聞いた上でまとめていきます。

以降、特別部会の中で使った資料を中心にご紹介いたします。が、これは、後期高齢者は今1,200万人ぐらいで全体の9%を占めている状況にあるというものです。高齢者比率を主要国と比べてみると、日本が最も高齢化が進んでいることが分かるかと思います。医療費の動向は75歳以上、人口では9%ぐらいですが、医療費に占める割合でみると28.1%、額にして9兆214億円を占めています。

医療費から見た後期高齢者のグラフでは年齢階級別に一人当たり医療費を示しています。年齢が上がるほど一人当たりの医療費は高くなっています。当然といえば当然かもしれませんが、そのような状況です。特に入院医療において後期高齢者の占める割合が高い。こちらのグラフは入院と入院外に分けていますが、入院で見てみますと、75歳以上が40%を占めております。また入院外は23%です。ですから後期高齢者医療は75歳以上ということで、ほんの一部の人の制度かという受け止められ方をされるかもしれないのですが、医療費全体で見ますと入院医療の40%、外来の医療費の4分の1ぐらいという、を占める非常に大きなウェートインパクトのあるを占める制度なのだということが分かると思います。

あとは心身の特性と外来医療ですが、後期高齢者では循環器系疾患と筋骨格系疾患による外来受療率が増加します。この赤いグラフが循環器系です。黄色いグラフが筋骨格系で、整形外科などはそこに含まれると思います。65歳以上、75歳以上では、この循環器系と筋骨格系が他と比べて突出して伸びていることが分かるかと思います。外来診療においては、循環器系の中でも特に高血圧性疾患が多いということです。

一方入院医療でも循環器系疾患による入院受療率は増加しております。全体と比べますと明らかにこの循環器系が突出しています。特に脳血管疾患が多くなっております。

歯科医療費ですが、後期高齢者の場合、前期高齢者と比べますと若干一人当たりの歯科医療費は減っております。どのような内容のものが多いかというと、入れ歯関係が多く歯冠修復や欠損補綴の部分が一般医療と比べ、老人医療の場合は若干占める割合が大きくなるデータになっています。

薬剤費の関係ですが、やはり年齢が上がるにつれて薬剤費も上がってまいります。特に多剤投与を見ていきますと、9種類以上処方されている中で75歳以上の後期高齢者が占める割合が大きくなっています。後期高齢者については多剤投与の傾向が認められる、それにどのように対応するかも一つの論点になっております。

それから入院医療ですが、75歳以上では一般病床に入院している数が一番多いわけですが、次いで療養病床となっております。療養病床において75歳未満と比較しますと、後期高齢者の入院している割合が非常に大きいことが見て取れます。

終末期における医療について死亡場所の内訳の国際比較をしております。日本の場合、病院が81%、自宅が13.9%という状況です。これはよく使うグラフなのですが、かつては自宅で看取るという割合が非常に多かったわけですが、年々下がっていまして、病院で死亡するという割合が高くなってきております。

最期を迎えたい場所の希望をみると、これは内閣府の意識調査の結果でお示ししていますが、最後を迎えたい場所は半分ぐらいのかたが自宅を望んでいます。医療施設は3割ぐらいです。実際の死亡場所はグラフに示しているとおりで、国民の意識と実際の死亡場所に乖離が見られる状況にあります。

新しい制度を実際どのような内容にしていくか、まだ、制度的な在り方にまでは議論が及んでいません。後期高齢者医療はどうあるべきかについて、これまで特別部会の中では議論されてきており、このようなところが論点になるのではないかというところを箇条書きにしています。後期高齢者の心身の特性としては、老化に伴う生理的機能の低下により治療の長期化、複数疾患への罹患が見られます。多くの高齢者に、症状の軽重は別として認知症の問題が見られます。これにどのように対応するかという課題があります。あとはいずれ避けることができない死を迎えること。その時、終末期医療をどのように考えるかも論点になってくるかと思います。基本的な視点として高齢者、後期高齢者の生活の中での医療を考えていこう。後期高齢者の尊厳に配慮した医療、また安心できる医療、そのような視点で考えていく必要があるのではないかということです。

あとは課題ですが、複数の疾患を併有しています。また心のケアも必要になっています。慢性的な疾患のために、その人の生活に合わせた療養を考える必要がある。病気だけを診るのではなくて、生活もということですね。あとは複数医療機関を頻回受診する傾向があるので、検査や投薬が多数、また場合によってはほかで実施されているのを知らずに重複して投薬されたり、処方されたり、あるいは検査も二重で行うこともあります。そして、地域・在宅における療養を行えるように、弱体化している家族、地域の介護力をサポートしていく必要があります。患者自身が、正しく理解をして自分の治療法を選択することの重要性が高いという課題もあります。

後期高齢者にふさわしい医療の体系がどうあるべきか、治療後の生活を見越した高齢者の評価とマネジメントが必要です。その際に心身の状況だけではなく、生活の状況についても併せてしっかり評価する必要があります。あとは在宅を重視した医療、かかりつけ医等による訪問診療、あるいは訪問看護など、医療機関の機能特性に応じた医療連携、複数疾患を抱える後期高齢者を総合的に診る医師が必要ではないかという議論もされています。それから安らかな終末期を迎えるための医療として、十分に理解した上での患者の自己決定の重視ということ。疼痛緩和ケアが受けられる体制がまだまだ十分ではないということで、その整備をする必要があるという議論もされています。介護保険のサービスと連携の取れた一体的なサービス提供もいわれています。

最後に少し私見といいますか、特別部会などでいろいろなご意見聞かせていただく中で、思ったことをつらつらとまとめてみましたす。よく言われているのですが、「疾患を治療する医療」ということではなくて、「生活を支える医療」に視点を移していく必要があるということですね。そしてEBMとVBM。最近EBMということばかり言われています。もちろんエビデンスのない医療が行われているとすれば、医療は「おまじない」ではないので、きちんとエビデンスに基づいて行うく医療ということは当然必要なのですが、EBMというのはと理科系の発想なのですね。データを見て、この人はこのようなデータだからこのようにしようと、そのような理科系の発想だけで医療内容を決めるというのでは、それだけではいけ良い医療は提供できないのではないかと思います。Value Based Medicineと書いていますが、患者さんの価値観に基づく医療、VBMにも十分配慮する必要があるのではないかということです。患者の価値観、人生観を医療に反映し患者の尊厳に配慮した医療、患者家族が安心・納得できる医療を。つまり理科系の発想だけではなくて、社会学系というのでしょうか。医療は、人を相手にしているものなので、患者さんがどのようなことを重く受け、考えているか、その価値観をしっかりと医療にも反映させる必要があるということです。あとは、多くなる傾向にある検査と投薬等を是正する仕組みが必要ではないか。

この表はよくいわれる「医療モデル」と「生活モデル」を、整理したものです。「医療モデル」というのは治癒・救命を目的としている。「生活モデル」というのは生活の質の向上を目指しています。このような分け方をしてしまうと、「生活モデル」というのは医療と関係ないというように思われるかもしれないのですが、やはり先ほどの繰り返しになりますが、「生活を支える医療モデル」、あとは従来のような「病気を治す医療モデル」、このような生活を支える医療モデルというのをしっかりと今後、中身を膨らませていく必要があるのではないか。まさにこの後期高齢者医療を考える上では、このような生活を支えるという視点が必要ではないかと考えているわけです。

診療科別、専門が細分化されて、疾患しか診ていないというような、医学教育もそうだったのかもしれません。また卒業後医局に所属することで、縦割りになってきたのではないかということもあります。ミクロの視点からの医療ではなくて、もう少し患者さんを全人的にとらえ、家庭がどうなのか、地域がどうなのかと、そのように地域全体で支えていくような、マクロの視点からの医療も求められるのかなと思います。また医者だから心身の機能だけ診ていればいいということではなくて、その人の活動がどうなのか、参加の状況がどうなのかというところもしっかりとフォローしていただきたいということです。おそらく今日お集まりいただいている方々の中では、そのような医師が非常に多いのではないかと思っていますので、ぜひ老人の専門医療を考える会を核に、このような生活を支えるというような医療をどんどん普及させていっていただければと思っています。

生活を支える医療ということでポイントだけ書きましたが、心身の状態だけではなく、生活、家庭環境、人生観についてもまずはしっかりと把握することが必要ではないかと、現状ではそれができていないのではないかということです。そのためには日ごろから気軽に相談できるなじみの関係の医師が必要になってきます。生活支援医という言い方がいいのか、家庭医という言い方がいいのか、あるいはかかりつけ医がいいのか、その名前は全然こだわらないのですが、なじみの関係の医者、それが必要になってくるだろう。ちょっと目の状態が悪いから眼科に行こうとか、少し湿疹ができたから皮膚科に行こうということではなくて、健康のことであればどのようなことでも全体を、いつでも気軽に相談できる医者がいて、今日はちょっとこのような悩みがあるので、簡単なものだったらなじみのお医者さんに診てもらえればよいし、少し難しいものであればその医者から専門医を紹介してもらうなど、そのようなことが必要ではないかということです。

あとは複数の診療科にわたる対応が必要になってまいりますので、医者だけではなくて歯科医師、薬剤師、看護、介護、そのような複数の多職種協働で包括的に支えるような仕組み、勝手に名前を付けていますが、生活支援ネットワークのような仕組みが必要ではないかなと思います。医者だけではなくて、多職種で支えていくということです。私見ですので、こうなるということではありません。ぜひ今日議論したいと思って、追加でスライドを作って持ってきたのですが、日常の相談を気軽にできるような体制があるといいかなということですね。

定期的な生活機能評価、これは心身機能だけではなくて、活動や参加の状況も含めて生活全体、それを評価してもらえるようなこともぜひやっていただきたい。介護保険、実は以前老人保健課におりまして、前回の介護保険法改正のときに介護予防関係を担当していたのですが、この生活機能評価というのがなかなかお医者さんには受け入れらなくて、不評なのですね。なぜこのような活動や参加などをチェックしなくてはいけないのだという反応です。基本チェックリストを作ったのですが、全く現状では受け入れられていません。心身だけを診るというのではなくて、もう少しこのような活動参加、そのようなところも目を向けていただきたいと、そのようなことを定期的にやっていただくということが必要ではないかと考えています。

患者が希望する医療と実際に行われている医療の間にギャップがあるような気もするので、専門医療機関を紹介したり、インフォームド・コンセントの支援、これまで付き合いのなかったお医者さんにかかったときに、その仲立ちをしてもらうといった調整です。どうしても情報の非対称性というのが出てきますので、お医者さんの説明をかみ砕いて説明してあげる、あるいは患者さんの希望をその専門医に伝えてあげたり、場合によってはリビング・ウィルを医療に反映させたり、そのような役割も期待されるのではないかと思っています。

介護保険との連携。主治医意見書を書いてくれていても内容があまりないとか、サービス担当者会議にもなかなか参加してくれるお医者さんが少ないと聞いております。ケアマネジャーから見ると、医者というのは垣根が高くてなかなか連絡調整しにくいという話も聞いていますので、どんどん介護保険にもかかわっていただきたい。

医療内容の把握・管理。過剰・重複と思われるような診療をチェックするために全体を把握し、管理できるような仕組みが必要ではないかということです。

以上はあくまでも私見です。このように進むとは思っておりませんが、今日はシンポジウムということですので、会場の皆さんとも意見交換したいと思い、用意してまいりました。わたしからは以上でございます。ご清聴ありがとうございました。
基調講演U「後期高齢者医療制度設計への日医の基本姿勢」 天本宏(日本医師会常任理事)

ただいまご紹介にあずかりました天本でございます。この老人の専門医療を考える会は設立からはや25年たちましたが、25年前には、高齢者医療、その当時は老人医療といわれていたサービス提供形態う形についてはわれわれも戸惑い、あるいは社会からもいろいろなご批判も浴びました。それといいますのも、高齢者にどのような医療のかかわり方がいいのかといった際、医学教育の中で、やはり病気を見つけて病気を診る専門分化したような間口の狭い、非常に深い医学を学び、そのような形で国家試験も受けました。そういった時代を経て、高齢者にも対応してきましたので、いろいろな戸惑いがありました。乱診乱療、要するにネガティブ・データばかりを見つけて、それに対して治療をしましたので、非常に薬が増えるといった、そのような歴史を経てきました。そのような中で、医療サービスを提供する側だけで考えることに非常に限界を感じました。

それでこのような形で市民フォーラムとまではいきませんが、利用者さんを主体者として広く国民のかたがたと接する場の中で、われわれの考えていること、実践していることをお話ししながら、いろいろとご意見をお伺い、修正をしていくという歴史の中で、高齢者医療にずっとかかわってまいりました。特に私自身は、高齢者の地域医療に昭和55年から取り組んでおります。また仲間の中にも施設医療が非常に重要である、しかも今までの医療との違いを出し、その中でのQOLを考えていくなど、いろいろな形で高齢者への対応方法を考えていこうではないか、実践していこうではないかと、かかわってきた医師もおられます。

現在、後期高齢者医療制度が創設されようとしております。先ほどお話になった厚生労働省の神ノ田さんはお医者さんですね。したがいまして後半の部分はその神ノ田さん自身、医師としてのご自身のお考え、思いを語られたのだろうと思います。それはある意味で、私も同じような共通点が非常に多いのです。しかしながら制度ということを考えますと、高齢者の医療制度の制度設計については非常に疑問を持っておりますので、その点についても話をさせていただきます。

ただし、まだ日本医師会の基本姿勢は、オープンになっておりませんので、今日は老人の専門医療を考える会のメンバーとして、また高齢者医療を実践している者として、特に地域医療にずっとかかわってきた人間として、お話をさせていただければと思います。しかし、やはりみんなで考えたい問題がたくさんありますので、今日もその点について、後半のいろいろなディスカッションでは、われわれ実践者のほうから課題を提起させていただこうと思います。

現在、後期高齢者医療制度への国の取り組み方は先ほどお話があったように、要するに財源がいろいろな意味で大変だといったことから入ってきて、今日の新聞でも掲載されていたように、どのようなサービスを提供してくれるかも分かりもしないのに、診療報酬はこうなるぞ、人頭請負制だろうといったような検討の形になっています。実際の肝心のサービス提供体制はどうなのかということが、不十分なまま進んでおります。やはり手順とすれば、まず高齢者にふさわしいサービスの提供というのが74歳以下と75歳以上で本当に違いがあるのだろうかということから始めるべきです。7割はほとんど同じだろうと思いますけれども、やはり若い人の医療とは違うものが、現場で実践している者としては、あると思います。そこについては皆さんがたといろいろな意味で意見を交換し合いながら、ニーズにあった医療提供にわれわれは変容していかなければいけないわけです。どのような方向性に向かっていったらいいのかということを、制度ではなくて、ニーズから考えていきたい。要するにサービス提供の在り方、それに当然診療報酬の問題が絡まって必要な財源はどうなのだと。

今は経済財政諮問会議のように、お金が足りない、足りないということで、どんどん総医療費の枠が、あるいは介護保険もそうですけれども、予算がこうだから、参酌標準がこうだからといったことで、いろいろな制限が行われ、社会的入院と称される入院がたまり、医療療養病床が増えていったというような実態があります。要するに財源だけで物事を進めていくと、やはり現場での大きなミスマッチが生じることは確実であります。国民のかたがたは、またマスコミのかたがたも、そのような将来をきちんと見込んだ上での議論をすべきではないでしょうか。今、私は信頼と安心の創造への危機を非常に感じております。これから東京都の選挙がありますが、一番上位になっているのはやはり医療福祉の不安ですね。そこがどうなるのだということが、これから重要な問題になると思います。

次にこれはヨーロッパの福祉三原則で、すでに40年ぐらい前から言われているものです。まず、地域で継続してみる、これがコミュニティケアですね。要するに救急医療は東京で受けて、リハビリは熱海の方で受けるなどということではなく、地域の中でサービスが完結するというコミュニティケアが重要です。今やっと日本でこれが少しずつ進もうとしています。

そして本人の意思決定の尊重。ところが日本ではまだまだ家族が中心で意思決定する。これから平均寿命90歳になったとき、その本人の意思の確認をどのようにしたらいいかということにおいて、早くからかかりつけの医師、なじみの医師とのかかわりというものが非常に重要になってまいります。あるいは尊厳死協会など、いろいろな意味での本人の意思をどのように伝えていくか、要するに一貫性の担保という問題が、これからの高齢者医療においては、特にそのスキルにおいて重要になってくると思います。

3番目の残存能力の活性、これは要するにできることは自分でしなさいよということです。今の病院では全部食事を用意して、ただ食べるだけ、食べたあとも片付けるというのが、グループホームでは一緒に作りましょう、一緒に食べましょう、一緒に片付けましょうといったような形に変わってきています。要するに自立を促し、車いすですぐ運ぶのでなしに、歩けるときには歩くというような形にです。

介護保険ではこのようなことが、社会保障として初めて明文化されたのですね。では医療はどうなのか。地域医療は、まず原点から考えるという医療法がきちんとなってない。本人の意思決定を尊重する、自立といったようなことが、医療においてもやはりきちんと明文化されていくべきであろう。そのような基本姿勢というものがあってこそ始まるべきである。要するに長期ビジョン、それのために、今何をするかと、このような考え方が非常に重要だろうと思う。

次に日本では、保健、医療、福祉のサービスを総合したものを社会サービスというわけですが、自助、共助、公助という中で今の小泉総理はこの自助を強調しすぎているのではないか。あまりにも負担が増えている。保険料負担が増えてもどんどんサービスがよくなればいいです。これからの高齢者医療の制度において、保険料をさらに6,000円ぐらい月に払って、どのようないいサービスが利用者さんのためになるのかを、きちんとわれわれは見ていかなければいけない。またいいサービスができるように主張していかなければいけない。共助として、まちづくりも重要でございます。在宅介護イコール家族介護ではないということで、介護保険ができました。しかしながら、これからは在宅介護イコール自宅介護でもなくなってくる。要するに家族構成やいろいろなことを考えると、これからは住宅政策も非常に重要になってまいります。

次に日本の医療の基本原則をわれわれは、これは日医の考えですが、守っていきたい。要するにフリーアクセスです。いつでも、どこでも、だれでも。平等性・公平性、制限枠のない医療です。75歳以上でも、心臓の手術や腎透析、そのようなものは当然今までと同じように受け、急に75歳から受けられないということはできない。イギリスなどでは年齢で制限するような発想がありますけれども。フリーアクセスをきちんと守っていかなければいけない。医療の主体者は利用者であり、尊厳・安心の創造、これらを基本的に守っていく。例え後期高齢者医療制度ができたとしてもです。

そのためにはどうするか。一番重要にすべきことは、介護保険ではいわれておりましたが、尊厳です。医療の中でも尊厳を基本に考えることが、当たり前ではないかと思います。しかしながら今からいろいろな医療について、これから話していきますが、あるべき姿だろうと思ったことが、本末転倒した問題になっている。

次にQOL、クオリティー・オブ・ライフのライフというものをどのように考えるか。25年前は生命という形でとらえておりました。最近ではこの多面的な生命、要するに肉体だけではないです。命を助けるということは肉体だけではなく、精神的に、社会的に、家族の関係なども含め、あるいは文化的にサポートすることです。お年寄りになると価値観がその人によって優先順位が変わってきます。要するに家族と家とのかかわりで、病院よりも家に帰りたい。植木に水をやりたい。そちらのほうがおれにとっては大切なのだという、その価値観を大切にしなければいけない。少し進みまして、生活といった形でクオリティー・オブ・ライフをとらえます。もう一つ今進みまして生涯の人生、時間軸を入れた一貫性の担保という形でクオリティー・オブ・ライフというものをとらえています。つまり、集団から、個別性へサービス形態が変化している。医療も利用者が主体であり、要するに医療は医者が決めるなどというような発想でなくなってきた。カナダでもLet Me Decideという形で、自分で医療を、自分の方針を決めさせてほしいという方向で動いている。そのためのいろいろな話し合いが必要になります。今、病院の中ではディスカッションする時間がない。インフォームド・コンセントも非常に重要で、その時間というものが必要です。もっとも、そのときに決めるのではなく、その前からいろいろ考えておくということが重要になってまいります。

次に尊厳ということについて、わたしはこのようにとらえています。要するに本人の価値観・意思決定を尊重する。そして選択できる。潜在能力や、自分の気付かない、残っているものをいかに活用していくか。それにはポジティブ評価をしなければなりません。われわれは認知症でも、何でもそうですけれども、できないことばかりチェックしているのですね。異常値ばかり見つけている。本来はこのような正常値があるではないか、このような能力があるではないかというものを、いかに活用するかというプログラム。ネガティブをいかに直そうかというプログラムではないのですね。そのようなものの考え方、そして安心できる環境というのは、アクセスだけの問題ではなくて信頼関係もあるでしょう。地域の中にいろいろなサービスがあることも必要でしょう。いろいろな意味での安心。もちろん心の苦痛、身体の苦痛、いろいろな苦痛というものを除去する。このようなことで尊厳と安心というのは創造できるのではないか。そのための医療とは、もちろん薬物もあるでしょうし、いろいろな信頼関係があってこそ、いろいろなものが創造できる。それからTPOでいかに動いていくか。これはお医者さんだけでは解決がつかない。多職種協働というような形での対応というものも、この中で必要になってきます。

老年期というものをネガティブにとらえないで、年を取ったから本質が見えてくる。

老年期になると本質が見えてきて、いろいろな意味で自然に目が向き、新たな発見をする。だから人生において老年期が必要だ。健康が人生の目標ではないわけですね。健康であって、初めてこのようなことができるということで、やはり自助という中で高齢者自身にも参画してもらわないといけない。高齢者自身が何をしたいのか。わたし自身も、その老年期に自分が本当に何をしたいのか、このようなところで話すことが本当にしたいのかどうか。いろいろなことを考えなければいけないわけです。院長、理事長にしがみつきたいのか。そうではないと思うのですね。本当に自分のしたいのは何か。これがあって初めて人生というものは成り立つのです。だから老年期というのはネガティブにとらえる必要はない。そのためには健康が大事で、当然後期高齢者、75歳以上でもそうです。東山魁夷先生は年を取れば取るほど、あのブルーの色が出てきたといいます。創造性というのは伸びてくるわけですね。

次に高齢者の特性というのは、要するに心身と生活がどうしても相関してくるのですね。心と体というのは非常に相関がある。うつになると体もだるくなる。だるくなると心も沈む。それが直、生活に影響を与えます。ですから病気になると、われわれ高齢者医療のアウトプットというのは、疾病治療だけではないのですね。DPCとか超急性期のところは、病気を治すところだけです。でも肝心なのは、そのあとに生活機能障害、生活を元に返すという考え方です。心というものは知・情・意ですね。認知機能、感情、意欲、そのようなものは心です。体というものも運動器・感覚器・臓器、これらも微妙に影響を与えている。多臓器症候群などいろいろな形で影響を与えます。すべて行動・自立というものに影響を与えるわけですね。ですから、わたしたちはこの最後の自立までどのようにかかわっていくかというところに高齢者医療というものがある。それは医師だけではできない。リハビリあるいはソーシャルワーカー、心理士、いろいろな人たちがかかわることが、そこがまたおもしろいわけです。だから総合診療やトータルケアーを求められる、高齢者医療というのは入院も外来もそうなのです。それを進めるためのシステムをどう作るかというところです。

もう一つは、年を取ったら衰えるという発想が、今サクセスフル・エイジングなどいろいろな意味で少しずつ言われているのが、ぴんぴんころりのPPK作戦。そこにはきちんとした自己投資か、いろいろな意味の予防をすれば、不可能ではないということが少しずつ分かってきた。ここに取り組むにはどのようにしたらよいか。

これにはやはり一次予防、二次予防、三次予防という予防の考え方も、細分化してみるといろいろな技術的な開発が行われようとしています。脳卒中がこれから非常に増えてきます。もちろん脳卒中の治療も進める必要があるのですが、これからの脳卒中を予防するために、メタボリック・シンドロームなどいろいろなものを予防していく。それを予防するために生活習慣を変えるというのは意志が強くなくてはいけない。意志を強くする薬はないのです。意志を強くする薬があったらわたしが飲みますけれども、なかなか難しいのです。このやる気をどのように起こさせるかというものが一番重要なわけです。リハビリもそうです。そこへのかかわり方というものも医療なのです。いろいろな意味で、人が生み出すものにだんだんとサービスの内容が変わってきている。そこにどのように生産性を持たせていくかも重要だろうと思います。二次予防の早期発見、早期治療。われわれがよく言っているのは3割負担ではやはり医療へのアクセスを控えるでしょう。そして遅れてしまう。少しでも早く診て、早く治療をするほうが、費用的にも安く済むはずです。そしてもう一つは、三次予防という形で肺炎は治ったけれども歩けなくなったのでは困ります。肺炎と歩くこと、きちんと治して、そしてうちへ戻ってもらう。今、盲腸の手術をしても、もうその日に動いてもらいますね。昔のようにおばあちゃん、安静にしてらっしゃい、ということはありません。ベッド・イズ・バッドなどいろいろな考え方があります。それで離床するわけですね。ですから今回の医療区分1の中でも、経管栄養の人は手間ひまかからないなどという人がいるのですけれども、冗談ではない。絶対安静させないで、やはり車いすに乗ってもらう、重力に逆らうということが非常に重要なわけですね。いろいろな意味で、この予防に関しても、医療における健康管理重視といった視点が、後期高齢者医療制度においても必要になってまいります。

その予防で一番重要なのは何かというと、医療はたかだか10%なのです。酒を飲んで、たばこを吸って、100歳以上生きている人はいますね。やはり遺伝子が強い人は強いのです。重要なのは環境です。周りの環境、住宅整備があるか、社会資源がどのぐらいあるか、温度差がどうかなどというものもそうですが、人間関係もあります。一番は生活習慣50%。日々どのような生活をしているか、どのようなものを食べているかということよりも、毎日ごろごろしないで体を動かしているかというような生活習慣のことです。したがいまして、われわれ医師自身も、診察室で対面するだけではなしに、一週間どのように過ごしていらっしゃるのか。疲れた、疲れた、病気ではないかと患者さんが仰るので、よく聞くとごろごろ寝て、横になっているのが普通で、起きていることがあまりないということになると、当然疲れるわけですね。要するに持久力が落ちるわけです。そのような生活習慣に目を向けていくという形で、問題点をどのようにとらえるか。異常値だけではなく、この生活習慣を改善するだけで、薬を使わないで治すという方法もあるわけです。

もう一つ、これからの高齢者医療で今起こっているわたしたちの悩みというのは、食べられなくなったときどうするか。食べられなくなったとき、子供さんだったら食べられなくなってもどうにかして栄養を入れる。4、50歳の人でもどうにか栄養を入れる。でも90歳、100歳になって、食べられなくなってどうするか。医療を開始するか、しないのか。これをどのように考えるかというのを、ぜひ皆さんと一緒に考えたい。今、行われている方法は、胃ろうや経管栄養です。経管栄養というのは鼻から管を入れるわけですね。そうしますと動くと取れるし、それに痛いですね。胃ろうは、胃の中に穴を開けて食事を直接胃に入れることです。胃ろうというのは薬も入れられやすいというようなこともあります。このような状態でも、うちに帰れればいいのですが、どんどん施設に増えてきている。どのような医療を行うかについて、ヨーロッパでは比較的少なく、アメリカで比較的多いという訴訟の問題もあります。今、日本でこのような対象者が増えている。尊厳死協会には、わたしたちはきちんとそのようなものを書いていますから、頼むからこのようなことはしないでくれとおっしゃる人もいらっしゃる。この問題というのは、われわれも皆さんにお聞きしたいと思います。

われわれも医学と称してこれまで管理してきた面もありましたが、これは少し行きすぎではなかったかという問題がたくさんございます。例えば誤飲・窒息しやすいからすぐに禁食したり、点滴で行ったことがありました。今は食事をいろいろな形のプリン状にしたり、嚥下訓練を行うなど、そのようなことによって対応する方法に変わっています。過去、われわれはすぐに禁食をしておりました。今も医療の中にそういったことがたくさん残っております。また、絶対安静、ベッドの中でじっとしていてもらうことも行われています。そうではなく、血圧が安定して不整脈がなければ、心筋梗塞でもなるべく動いていただきます。せめて座っていただきます。それから転倒・転落予防のために骨折するというので縛りつける。あるいは鼻から管を取るので縛りつける。まだまだこのようなことも医療の現場にあります。介護では法律違反ということになっています。医療と称してそれが堂々と行われる。これでいいのだろうか。

それから集団的な過剰なサービスというのは、すぐに車いすに乗せる。リハビリの原則に少量、頻回というのがあるのですね。少しでもいいからちょっと動いてみる。それを車いすでやるというのは、手っ取り早いからです。そのような過剰なサービス。それから薬を使って、興奮した状態を抑制する。これは化学的抑制です。いろいろな意味で長期入院、隔離、収容という、うば捨て山のような本末転倒したことになっていたわけです。本人の意思、尊厳、高齢者医療をどうするのか、これをみんなで考えていただきたい。介護、看護等の人も必要です。いろいろな意味での権限移譲というものも必要でしょう。

高齢者が食べられなくなった場合に、代替医療が必ず必須なのか。職員に言っているのですけれども、「食べれなくなっても経管栄養を入れないでくれよ。頼むからわたしは早く家に帰してくれよ」。うちの女房が受けてくれるかどうかは別といたしまして、わたしはそのような気持ちです。ですから選択というのは、やはりそれぞれの考え方があるので、こうあるべきだといっているのではないです。在宅を希望する人もいらっしゃるのです。この前熊本に行きましたけれども、25キロ離れた家へ往診をしていらっしゃる先生もいらっしゃいます。お年よりも家で医療を受けたいと望んでいる。それをかなえるのが社会保障だろうと思うのですね。要するに、あるべきように生きるや自然の摂理、このような医療のかかわり方というものも、やはり用意しておくことが重要ではないか。選択肢を用意しておくべきではないか、それが社会保障ではないかというのが一つの考え方です。

次に死ということよりも、どのように生きるのかを考えた場合、40歳、50歳と90歳、その人の望む場所の問題、その医療ケアの在り方をみんなで考えていただきたい。自然の摂理、生病老死、寿命、健康寿命。その中での尊厳、選択、皆さん自身の考えをかなえられるように、高齢者医療制度というのを作りましょう、そうでなければ保険料を払う意味がありません。

発病してから死まで、例えば認知症になって、そして亡くなるまで、非常に期間が長いですね。ですからこれから何をするかというと、この発病を少しでも遅くしようという考え方、もう一つは発病して診断して施設に入ってずっと生き続けるという生き方も考えられます。そうすると施設をいくら作っても足りない。在宅医療を推進しようというのは、ずっと在宅でみるといっているのではないです。施設から在宅へ帰れる期間を、少しでも積み重ねていきましょう。死亡のときまで絶対在宅であるべきというのではないのです。できるだけ本人の希望するときは在宅で過ごせるようにしましょう。これが在宅医療です。在宅医療ずっとやろうというのではないのです。皆さんはどのように考えるでしょうか。ただし施設ケアは必須なわけです。両方あってこそ、希望に応えられるのです。

これからは、まず在宅から考えましょう。今までは病院から考えていましたね。在宅イコール自宅ではない。老老夫婦というのは80歳、あるいは90歳になると、90歳同士ということで、どちらかが自分のことで精一杯なわけですね。その際には、在宅で見るのは非常に難しい。介護保険を受けていなくても、3食用意して、洗濯掃除して、買い物に行くというのは大変です。そのような場合にちょっとした共同生活を送ることによって、今までの地域での生活を続けられるという方法がある。だから多様な住宅政策といろいろなサービスが必要である。

そこに老人保健施設のような在宅サービスを支援する場所も必要です。しかしながら、やはり病院というものも不可欠なわけです。ただし病院を中心に考えるのではない。昔の一次医療をもう一回考え直してみようではないか、というようなことです。

要するにサービス間を行ったり来たりするわけですね。そのためには、昔小山先生と飲みながら考えたことですけれど、いつでもハイハイなんでも相談、まず相談できること。地域を病棟に考えた場合。ナースコールなどよくしますね。ちょっとそこは氷を当てておいたらどうだろうとか、ちょっと話している間に不安が治まるなど、いろいろなことがあります。要するに焦点を絞り込むことですね。実際に看護師さんが行くこともあるでしょう。看護師さんが、当直医と相談することもあるでしょう。お医者さんに行かなければいけないということもあるでしょう。一番重要なのは、空床確保ですね。何かあったときは必ず入院できるという、体制です。安心料としてベッドを用意しておくということ。それで、よし、うちでやってみよう、何かあったときにはすぐに受けてくれるのだ、相談してくれるのだ、来てくれるのだ。要するに、「来い」ではなく、「わたしが行くよ」という考え方ですね。このような医療が重要だろう。

つまり、いろいろな問題を自然に絞り込んでいくわけです。そのような技術、連携が必要なのです。言葉は易しいのですけれども、これは結構難しいですね。それからいざとなったときの救急車も用意しなければなりません。高齢社会では移送の問題がありますので、ビジネス展開をいろいろしていかないといけないと思います。しかし、何でも救急車という時代は終わろうとしております。要するに費用の問題ですね。

先ほど神ノ田さんがゲートキーパーとおっしゃったのですけれども、ゲートオープナー、門番として、あなたはだめ、これはだめではなく、まずは受け入れるという考え方が、世界的にみても広まろうとしております。これはわたしたちに関係ないこととするのではなしに、関係なければきちん橋渡しをする。まず受け入れていく。間口を広くし、問題を絞り込んでいくシステムです。このような考え方が重要だろうと思います。そして、ベースキャンプ、センターとして「来い」ではなしに出かけていくという考え方が、高齢者医療の場合に、地域を病棟として考えれば重要だろう。

そうしますと、地域を病棟と考えて、その中を見ると、看護師さんがいつも動いている。介護職の人が動いている。まず在宅医療には在宅看護、看護師さんがいなければできません。今、看護師さんが病院で、足りないといわれておりますが、重要なのはもっともっと地域に看護師さんが出ていただかなくてはいけない。看護師さんがいなければ、在宅医療は進みません。そして看護師さんだけでは進みません。理学療法士、作業療法士、言語聴覚士、薬剤師、栄養士、ケアマネジャー、いろいろなかたがたとチームを組む。お医者さんも主治医だけでなく副主治医、あるいは、例えば皮膚科の先生とか、歯医者さんとか、そのような専門医も含めグループ診療しなければいけない。重要なのは、地区医師会にいろいろな形で協力してもらわなければいけません。食べられなくなったらどうするかというとき、当然、医者一人では決めてはいけないわけです。看護師さんと相談する。これでもおかしいですね。家族と相談する。これも何となく不安だといった際に、病院だと倫理委員会というのがあって、そこですぐ相談できます。みんなと相談した中で、こうしようではないかという方針が決められる。地区で在宅医療なさる先生がたへ支援する方法として、医師会にそのような倫理委員会というものを作って、そこに相談して、そして指導を仰ぐというようなことから前に進んでいくような、いろいろな支援が必要です。これで在宅を支援するという、いろいろな意味でのチーム体制が、多職種協働というのが必要です。

もう一つ重要なのが、日本では住宅の整備が非常に遅れているということですね。今まで例えば特養も、老人保健施設も、そして極端なことをいえば病院までも、住宅がないために肩代わりしているような部分がある。これは諸外国においては、住宅を整備して、そして外からいろいろなサービスを活用するといった考え方がありますが、日本は非常に立ち遅れている。高齢者医療、高齢者ケアには、住宅の問題が不可欠です。この問題を高齢者ケアと称して施設を作ったが、実際は住宅政策だったということは、もうぼつぼつ見直さなければいけない。

次に生涯地域で生活し続けていくには、リビング、住、ライフサポートというものが一体でなければいけない。これからいろいろな意味での多様な高齢者住宅が整備され、そこにサービスが入るようになります。そのライフサポートシステムの中に医療が位置づけられて、生命・生活・人生を支援していく使命として、尊厳と安心の創造、個別性の尊重という形の新たな医療を実践していかなければいけない。当然これは施設医療においても必要です。

高齢者医療におけるインフォームド・コンセントが非常に重要だといった中に、高齢者医療も高齢者看護も救急医療もこれから予測する能力が必要になってくる。気管切開をしても、今命が助かるだけではなく、それが1か月後、2か月後には肺炎が治ることにつながる、だからやろうなど、そのような予測をするということが非常に重要になります。そのときに、この症状においてこれを治すのだというものをはっきりさせて、治療については当然限界もあります。予測した中で話し合うことで、その目標を決めて、単なる延命ではなく、治療の差し控えもメニューの中で考えながら、いろいろな形で話し合う過程が重要なのですね。その中に、先ほど言いましたようないろいろな価値観が入ってくるわけです。ただ世界医師会の、医の倫理要綱の中には、医療というのはサイエンスだけではない、科学だけではない、人文学というものが必要と書かれています。それはアートというそうです。それぞれの環境、本人の価値観、いろいろなものを考慮に入れて、意向を確認して、そしてサイエンスと一緒に、これからの医療というものの方向性を決めていく。それにはチームが必要でしょうし、時間が必要だ。そのとっさのときに本当に動けるように、少しでも早くかかりつけの医師と人間関係を作っておくことが重要ではないかということが議論されているわけです。

大体わたしの話したいことは以上のようなことですが、このようなことをしっかり議論したのか、国民のニーズをきちんと把握しているのかということが非常に大切です。ある日突然お金がないということで、その財源のためにこれだけの診療報酬を削減しなければいけないという発想ではなく、何が必要なのかと。

医療というのは健康管理です。介護保険というのは自立を支援する給付です。ですから、後期高齢者医療制度には、まさに医療保険と介護保険がともに必要だろうとわたしは思うのです。これを一体的にどのように仕掛けていくかということも重要です。民間のサービスの場合、サービスシステムが変わった場合に、何をしますでしょうか。業務改革をするには組織改革をします。今厚労省の担当課は、医療課で若い人たちを対象とするところと全く同じところでやっております。わたしは、やはり医療課と老人保健課にまず連絡調整室のようなものを作って、専門官が入って、真剣に、やはり高齢者医療というものはこのようなものを作ろうという夢を持っていただきたいです。お金をいくら、予算がどうということだけではなしに、このような公開シンポジウムの場でも、いろいろな形の議論をする。現場での実情や問題を、やや強調したような話になりましたが、現場の、看護師さんなどもケアをしながらいろいろと悩んでいる、それを少しでもご理解していただきながら、当然今までの医療のように徹底的に医療をするというのは、絶対に残さなくてはいけないと思っています。

もう一つは先ほど言ったような選択という幅の中に、本人の意向を尊重するという医療もできるようにしなければいけない。その幅が広くなるのであれば保険料を払ってもいいでしょうという展開が、ぜひ必要ではないかと思われます。

高齢者医療に長年携わってきた人間としましてお話をさせていただきました。わたしの話はこれで終わります。あとの時間は、シンポジウムでしっかり皆さんとお話しできればと思います。短くて申し訳ございませんが、わたしの問題定義はこれで終わらせていただきます。以上でございます。

現場からの発言T「病院併設老人保健施設の立場から」 山上敦子(介護老人保健施設いこいの家鳴山荘施設長)

皆様、こんにちは。山上と申します。このような場でお話しさせていただくというのはほとんど初めての経験であり、また施設としても特に先進的な取り組みをしているわけでもございません。何を話そうと考えたところ、私はずっと老健で仕事をしておりますので、老健の立場からご報告をさせていただきたいと思います。

先ほど来お話がございましたように、後期高齢者医療制度と介護保険制度とは分けては考えられません。神ノ田先生の最後の私見の前の、スライドにあったかと思うのですが、後期高齢者にふさわしい医療体系の一つに、介護保険のサービスと連携のとれた一体的なサービス提供がふさわしいというように言われております。また療養病床の転換先として、去年10月の療養病床アンケート調査によると、老健に転換しようという意向はたった8.5%という結果でした。厚生労働省としては老健への転換ということを期待しているわけです。しかしながら、今後老健の医療体制がどのようになるのかというのは、いまだ示されていないところです。そこで現在の老健はどのような状態にあるのか、主に併設病院である鳴門山上病院の介護療養病床と比較しながらご報告いたします。

わたしたちの施設は、先ほど申し上げましたように、鳴門山上病院に併設されておりまして、徳島県鳴門市にあります。鳴門市の人口は6万4,000人ほどの小さな地方の町でございます。瀬戸内海国立公園内にございまして、ここに見えるのが大鳴門橋で、ここが播磨灘というか、太平洋側で、こちら側が瀬戸内海側、だからここで渦が巻きます。風光明媚なところなのですが、ここは瀬戸内海国立公園内ということで、いろいろな規制があります。療養病床が120床あるのですが、それを転換していこうと考える場合に、この道路から何メートル以内にはものを建ててはいけない、今の建物の色はグリーンの屋根にしておりますが、実はここのところに養護老人ホームを建てる時、ここをちょっと南フランス風にしようかと考えたのですが、そのような色は使ってはいけない、青や白、緑などある程度の大きさの建物だとそのような色しか使ってはいけないなど、いろいろな規制がございました。それから排水が海にすぐに入ってしまうので、排水問題や建築については規制が非常に多くあります。今後療養病床に転換していく、あるいは、増改築をしていくときには、事前協議に随分時間がかかるだろうというように考えております。介護療養の廃止まであと5年弱といいますと、本当に厳しい状況になってきております。そしてまた、海にこのように近いということは、町の真ん中からは、車で10分ほどの距離になります。車に乗らない高齢者のかたにとっては少し距離があるというような感じになってまいります。

次にまず施設があります徳島県の現状なのでございますが、徳島県は介護保険施設の整備状況が平成17年度で全国第2位というような、非常に競争が激しい県でございます。高齢者人口に対する割合でみると、介護療養病床は全国第4位、介護老人保健施設に至りましては全国で第1位に多い県です。特別養護老人ホームも14位です。現在高齢化率が23.75%、実は2030年推定が、昨年の10月末に地元の新聞に出て驚きましたが、高齢化率が55%と推計されていました。人口がどんどん減って今でも80万人しかいないのですが、それが65万人になるというような推計が出てまして、徳島県がなくなってしまうのではないかなという、そのような状況にあります。

このような環境の中で私どもの久仁会はわたしも受けたいケア、わたしも利用したい施設、わたしたちはそれを目指します。このような理念で運営されております。

次に久仁会のケアネットワークです。280床の鳴門山上病院を中心としまして介護老人保健施設を併設、あと通所リハ、そのほか訪問系は、訪問リハビリテーション、訪問看護ステーション、それからケアマネ系の居宅介護支援事業所、それと鳴門市から委託を受けた地域包括支援センターを運営しております。関連の社会福祉法人で、養護老人ホームを運営しております。

では、私どもの老健の概要です。入所定員は69名と小規模になります。職員構成はスライドのとおりの構成になっておりまして、リハスタッフはPT2名、OT1名が常勤専従でおります。またスタッフ数も基準通りなのですが、看護職員は少し多めに配置しております。ちょっと負け惜しみ的にはなるのですが、ショートステイのベッドは絶対に空けておかなければいけないという、その考えの下に行いますと、空けるとどんどん空くということもありまして、実は平均の入所率が88%程度というところです。逆説的にいいますと、少しゆとりがある人員配置の状況で動いています。

次に通所リハです。施設系だけがメインで動いているのではなくて、一応在宅系も通所定員は100名、実際のところは平均大体60名ぐらいのかたが来られています。リハスタッフも常勤専従4名で当たっております。それでこの60名で、4〜6時間で運営なのですが、大規模減算をそのまままともに受けて、収入もそのままきちんと10%減算どおりにいっているという、非常に厳しい状態にあります。

次に鳴門山上病院の概況でございます。全部で280床で6病棟の構成になっております。いろいろな病棟があります。一般病棟は40床、回復期リハ病棟が41床で1病棟あります。医療療養病棟が79床で、これは39床と40床の2病棟に分けられています。医療区分2、3の占める割合が39床の病棟は100%で、40床の病棟は90%という状態ですので、看護配置20対1という状況です。残りは60床の介護療養病棟が2病棟あります。

次に今、人員をどれぐらい配置しているか、病棟種別ごとの人員配置状況、実際では何人昼間にいて、夜勤にいて、平日や休日の体制はどうなっているのかというのを、現状の看護の予定表からそのまま拾ってきました。そうしますと、わたしども完全週休二日制で、有給もありますが、平日の昼間で比べると、介護療養の、一つの病棟は13.7人、もう一つは15人、老健は12.4人で、それほど大差はなく動いていると思います。しかし、夜勤は全く違ってきます。夜勤は、特にここなのですが、介護療養病床のA病棟は1.3人、B病棟は1.1人、老健は69床にはいっている看護の人数が、夜勤帯は平日で0.6人ということで、看護が入っていない夜勤の日ができております。休日を見ますと、介護療養は7人ですが、老健は4人ということです。介護療養は、要介護度などを見ても、重たいかたが非常に多くなっておりますので、平日も休日も特に何も変わりません。やはりこれぐらいの人数はいないと、これでも少し厳しいという、状況になっております。

では、次に2施設を比較しながらご利用者様の状況を見ていきたいと思います。まず性別はどこも同じように女性のほうが多いというのは同じです。利用者様の年齢分布です。老健は平均年齢87.1歳、病院は81.5歳ということで、どこが違うかと見てみますと、やはり老健は割合からすると95から100歳のところが割に多いのではないかなと思います。今、老健で最長寿のかたは、106歳のかたがおられます。病院のほうは回復期リハもありますので、65歳未満のかたなど前期高齢者のかたの割合もまあまあおられることになっております。全体としましてはやはり85から95歳のところが非常に多くなっております。

次に要介護度の比較になります。老健では要介護1、2の割合が50%を越しているということで、比較的軽いかたが多くなっています。平均要介護度2.53です。病院では、介護療養病床の平均要介護度4.13でございまして、要介護度1のかたはおられません。2のかたがほんのわずか3%程度で、あと3、4、5のかたで占めております。

次に寝たきり度を見ますと、ここでもやはり老健はAランクのかたが多いです。老健は割とにぎやかに本当に動いています。病院はあまり動いていませんね。病院はB、Cランクの人が90%というような状況になっております。

次は認知症の程度です。老健では認知症のかたが大体80%ぐらいです。介護療養でも9割のかたに認知症があり、意識もないという、Mというかたが14%ほどおられます。

次に老健の入退所の状況です。約3割が家庭から入所されまして、約5割のかたが医療機関から入所されています。退所では、3分の1のかたが家庭に退所され、医療機関には6割ぐらいのかたが退所されております。全国統計で同じようなものが出ておりましたので、それに合わせて作ったわけですが、全国統計では約5割が家庭から入所され、約4割が医療機関から来られて、家庭に4割、医療機関に4割退所しているというのが出ておりました。この構成の違いは、わたしどもはやはり病院に併設しているので、医療機関の割合が多くなっているのかなというように考えております。

また、では家庭から来た人はその後どうなったかというのを少し拾ってみたのですが、家庭から来た人で家庭に退所したというのは62%、医療機関に行ったかたというのは37.5%でした。医療機関から来た人で、そのあと家庭に退所したという、これが老健の本当の役割かなと思うのですが、それができたかたというのは26.9%という、結果になっております。医療機関から来られたけれども、また医療機関へ退所したというかたが65.4%になっております。これは、ショートステイは含まないで、入所のかただけで出しているデータです。

次にこれは病院の入退院の状況を見てみました。病院は介護療養だけ拾うのは、病棟間の移動が多いため難しかったので、病院全体として見ております。病院全体としましては約4分の1が家庭から入院されまして、約2分の1が地域の基幹病院など一般急性期病院から入院されております。そして退院後の行き先は、家庭に約3割弱のかたが、また医療機関に2割のかたが、そして大体毎年3割ぐらいのかたが死亡退院されているというような現状です。

次にそれなら鳴山荘から併設の病院に行った人はどうなっているかというのだけを追ってみたのですが、退院先といいますと、35%がまた老健のほうに戻って来ております。また一般急性期病院などに行かれましたかたが28.6%、もうちょっと病院で見てねというかたでは32.1%がお亡くなりになられております。

次に大体退院の3割のかたが死亡退院のわけですが、ではこのような病棟構成だったら、どこで最期を見ているのかということを調べてみたところ、一般病棟で4分の3のかたがお亡くなりになられている。ここは回復期、ここは医療療養、ここは介護療養ですから、介護療養では今のところは10%弱のかたがお亡くなりになるという状況になっております。一般病棟に転棟されるというのは、病状など主に主治医の判断になってきます。

次に主治医の判断の材料の一つにリビングウィルもあるのですが、まずは入院時にMSWが患者様、ご家族様のリビングウィルのご意向をお伺いしております。大体入院されているかたの半数ぐらいのかたからはご回答をいただいているということです。入院されますと、そのあとのインフォームド・コンセントの責任は全部主治医になってまいりますので、現場では主治医が病状に応じてそのたびにご意向をお伺いしております。医局内規に延命処置実施基準というのがありまして、それに沿って、患者様、ご家族様の意思を尊重して、尊厳ある生を全うできるように努力するというようにしております。延命処置を行う場合、行わない場合それぞれについて、細かい医療行為について、たとえば尿量が減ってきたらどうするのかなど、一つ一つ細かい医療行為、処置について説明して同意を得るという様式がありまして、その同意に基づいて進めています。

では、高齢者のかたをみておりますといろいろな医療行為があるわけですが、老健ではどうだろうかということで、何をしているか、何はしないかということで、一生懸命考えてみました。まず、この酸素吸入に関しましては、医療保険を使いまして在宅酸素療法ができますので、その範囲でしたらこの酸素吸入は特に問題ございません。点滴も、持続点滴になってくるとちょっと問題も出てくるのですが、1、2本の点滴ならできるかなと思います。前に示したように夜勤帯の看護職員数0.6ですので、看護職員が夜間にいない日は看護職員が行わなければいけないという行為はやはりできなくなってきます。

先ほど天本先生のお話の中でも経鼻経管栄養のお話が出ていたのですが、経鼻経管栄養に関しましては、私ども法人のマニュアルで非常に厳しいマニュアルがあります。とにかくまず看護職員がしなくてはいけないのですが、看護職員がチューブの汚染破損がないこと、固定の状況の確認、約20ミリリットルの空気注入音の胃部での聴診、または胃液の吸引を確認してから注入するというマニュアルがあります。特に最近県内の独立行政法人立の病院で、誤挿入の後お亡くなりになられたという事故がございまして、近所の病院でございますので、うちの看護師もぴりぴりしています。先ほどの表でも、介護療養の看護職員数も夜間一人だったと思うのです。ですので何か触らなければいけない、どうしてもしなければいけないというときは、少し時間がずらせるものなら待って、看護職員が二人になってからでないと、実際現場はとてもできないと言っております。今とにかくやはり安全が第一になってまいりますので、なかなか少ないスタッフの中ではできないかと思います。常時見なくてはいけないようなものは、無理になってきています。今、医療区分1で、1日8回以上などの喀痰吸引ありますが、では7回だと老健でできるのかというと、吸引は看護職員でないといけませんので、それはもう到底夜はできないということになってまいります。

突発的な医療への対応というのは、即一般病棟へ移動するなど、病院当直医に診療を依頼して、病院併設のメリットを生かしてやっていくことはできるのですが、日常的な医療行為ということになってまいりますと、安全面など看護職員でなければできない業務というのがございます。それをあえて老健でするということはないと思っております。効率的に機能分担して、現在ではそのようなかたは病院で診ていただくことにしております。

次は、まとめになります。私からは多種類の病棟を持つ病院に併設された老健施設の現状を報告いたしました。現在の老健施設の施設基準、介護報酬では行わない医療行為も多くあります。あとは病院、老健施設、在宅の連携が重要ですので、今しておりますことは連携のために、入院・入所判定会議のほかに、個々の利用者様の適切な療養場所はどこであるのかということを、理事長、院長、施設長、看護部長、各部所の看護師長、MSWが集まりまして、週1回検討会を開いております。そのほか電子カルテはまだ導入していないのですが、院内LANでカンファレンス記録や処方薬の内容などは共有することができますので、それらを通じても連携をしております。

今後の課題でございます。療養病床の再編に伴う老健施設の変化への対応ということで、言葉も何か訳が分からないような言葉になっているのですが、本当に老健自身どのようになるのか分かりませんし、病院のほうは120の介護療養を抱え、79の医療療養を抱え、そこはどうすればいいいのだという状況なのです。

今まで老健は認知症に対応してきました。リハビリも強化しないといけないということで一生懸命行ってきて、それで在宅支援も行ってきたつもりです。老健の機能を果たしていかなくてはいけないというようにしてきました。この上に、医療が加わって、24時間365日対応の、それも重度の、非常に安全面にもリスクがある医療をしていかなくてはいけないのかと考えたら、今のわたしどもの、このままの老健の体制では絶対にできません。ドクターも今の基準、100人に1人というような基準ではもちろんできないし、看護師も夜に1人いればいいというようなものでもないと、やはり思います。

あとは目指すべき医師の姿ですが、厚労省の、先ほどのスライドの中には複数疾患を抱える後期高齢者を総合的に診る医師、これを目指せということですが、もちろん研修も受けておりますが、なかなかすべてをかなえるのは難しいと思います。先ほどの天本先生のお話にもございましたが、病院施設の中で連携していく、また地域の中で連携していく、機能分担していくという形を作っていただけたらいいなと思います。

もちろん医療行為に関する法的な位置付け、看護師でなければできない仕事の位置付け、また人員配置につきましても見直しをしていただきませんと、到底今の介護療養のかたなどをお受けすることはできません。今現在介護療養病棟でも、本当にきゅうきゅう言いながら、人が足りないといいながら、介護をしている状況です。今より利用者様が軽くなってくるということもないと思いますので、これ以上スタッフを減らした状況で安全な医療、看護、介護を提供していくということは、難しいと思っております。

以上、漫然とした報告になってうまくまとまっていないのですが、報告とさせていただきます。ありがとうございました。

現場からの発言U「後期高齢者医療に対してのリハビリテーションの観点からの要望」 柴田勝博(柴田病院理事長)

ただいま紹介いただきました、柴田病院の柴田です。老人の専門医療を考える会が、老人医療にどのようなことが必要かということでいろいろ研鑽をしてきた中で、私は、一般内科それから高齢者の老年期の精神科、それとリハビリテーション、これが必須であると考えながら行ってきました。今日のシンポジウムでは、わたしはその中のリハビリテーションを得意分野としておりますので、後期高齢者医療制度に対してリハビリテーションの観点で提言していきたいと思っています。

現在のリハビリテーションの流れというのを皆さんご存知だと思いますが、急性期のリハビリテーション、回復期のリハビリテーション、それから維持期のリハビリテーションという状況になっています。その他に終末期のリハビリテーションという考え方を持っておられるかたもいますが、大体このような流れですね。実際にわたしは回復期のリハビリテーションと維持期のリハビリテーションの間に、私自身の個人的な見解ですが、慢性期のリハビリテーションがあっていいのではないかと思っています。回復期だけではなかなか在宅に帰れず、後ほどの説明の中で、回復期リハのあと何が大事かなということをスライドに出していこうと思っています。全部が全部在宅に帰れるわけではなく、一部の患者様は療養病床に行ったり、それから施設に行ったりという状況がありますので、そのあともう少しだけ慢性期のリハビリテーションがあると考えております。

リハビリテーションについての高齢者保険制度の基本的な考え方を見ていただきたいと思います。医療保険は治療を中心に考え、介護保険は在宅での機能維持を中心にということを考えていると思います。分かりやすくいうとこのような状況で、現在、医療保険と介護保険のつながりはよいとは言えない状態、シームレスという状況ではないのですね。やはりちょっとつながりが悪くて、例えば回復期リハで基本的には介護保険はあまり使いませんね。ほとんど使えないといっていい状況です。

実際に家に帰っていただこうと思ったら、在宅に帰る前にやはり家でのチェック、もしくは施設へ行こうと思ったら施設の中で動作チェックをしていかないと、本当に使える能力があるかどうかというのは分かりませんね。リハビリテーションにおいてはそこがポイントになってくると思います。介護保険に退院前訪問という、制度があるのですが、実際はそれも1回だけしか使えません。本来1回だけチェックしてできるわけではないのですね。1回やって「あかんかったわ」、すみません、関西弁で言います。わたしは関西に13年おりましたので、関西弁で言いますが、「1回行っただけであかんかったわ、どないしよう。もう一回見たいんやけどな、どうしたらええやろか」。でも介護保険は、1回だけしか使えない制度です。しかも医療保険ではその制度はありません。制度に不備があるのですね。そこで、わたしどもの病院では平均3回ぐらい退院前訪問を行っております。そうするとようやく在宅へスムースに帰れます。1回だけの退院前訪問で在宅がうまくいかなくても、もう一回入院しているときにリハビリをし直して、できなかった部分をもっとできるようにして帰っていただこうとしても、なかなかできないのですね。このようなことで、つながりはあまりいい状況とはいえないとわたしは感じています。

現在、リハビリテーションの保険制度では、急性期、回復期、維持期は医療保険を使います。それから維持期だけは介護保険も使うというような状況になっています。今後の国の考え方をざっくりみると急性期・回復期は医療保険、維持期に関しては介護保険で行う形になっています。少し法改正後に困ったことが出ているので、それを含めてあとでお話をしたいと思います。後期高齢者医療制度は基本的には医療保険の改正ですので、そこをもうちょっとうまくやっていただかないと、今、先ほど言いましたように医療保険から介護保険のつながりも、うまくできるわけはないというようにわたしは感じております。

医療保険のリハビリテーションは、昨年改正されましたが、疾患別のリハビリテーションに分けられて算定日数制限がつけられました。レジュメにわたしも書きましたけれども、毎年毎年猫(ねこ)の目のようにころころ制度が変わっていくので、その対応に追われております。実際に脳血管で180日間しかできない。では脳梗塞を起こしたあとに、もう少しやれば家に帰れるのになぜできないのだという話。それから言語障害に関しては、失語症はきちんと日数制限除外になっていますが、いろいろなことで少し弊害が出ている。一人一人それぞれ障害のレベルも違いますし、重さ、重症度も違いますから、日数で制限するような十把一からげに考えていいのか。例えば脳血管疾患だったら、あるいは、先ほど話がありましたEBMだったら大体3か月ぐらいで回復して、ほとんどあとはプラトー、あまり改善しないと科学的には言われておりますが、実際はそればかりではございません。ですから日数でぱちんと切られたことに関して、国民の皆さんが、これは困ったと大きな声を上げられて、署名運動など行ったというのが現状ですね。今後日数によるリハビリテーション料の逓減制が導入されるのは、4月1日ぐらいからなるのではないかという情報があますので、一応加えさせていただきました。

現在の回復期リハ後の状況ですが、回復期リハビリテーションができたことによって、実際に在宅に復帰できる人が増えました。早く家に帰れるようになったのは事実でございます。これはとてもよかったことだと思います。回復期リハから直接自宅に退院できる患者さんの割合は、大体平均70%なのですね。ということは残り3割は、在宅復帰は回復期リハビリテーションだけでは困難かなという状況なのです。しかしわたしどもの病院は、回復期は持っておらず、そのあとの先ほど言った慢性期のリハビリを対象と考えているのですが、じっくりリハビリテーションを行えば在宅復帰が可能な場合が十分あるのですね。多い月ですと、療養病床で退院患者さんの7割が自宅に帰れる。療養病床でそれぐらいのリハビリをやることが可能になっています。それは精度を高めればできる、いいことをすればきちんとできることを示していると思います。しかし、その30%の患者さんに対して十分なリハビリテーションが行われていない。施設が少ない。いわゆる一生懸命リハビリをして、では家に帰そう、回復期リハが終わったあとにまだまだ回復することは可能であると考えて、一生懸命やっているところがまだまだ少ないのではないかなと実感しております。

高齢者リハビリテーションの現在の問題点として、リハビリテーションの提供量が少ない、施設、療養病床ともにです。今、一生懸命頑張っているところもあるのですが、まだまだ少ない。EBMに基づいたというか、一生懸命、こうだからこうというような、いろいろなことを緻密に考えて行うところはまだまだ少ないのではないかなと感じています。それから高齢者の特性を考慮に入れていないリハビリテーション算定日数。先ほど言いましたように体力等で若干、若年者よりは回復が遅れがちですね。ということは日にちがかかるということです。それと認知症の問題があります。認知症があるとどうしても指示がなかなか入りません。となると動作の獲得、習得、もう一回再習得していただくためには時間がかかります。そうなると、どうしても今言った算定日数の中ではなかなか改善できないことが多い。それから実際に十分な提供ができなければ、廃用症候群で寝たきりになる可能性が高いことが、今のところ問題点だと思っています。

昨年の制度改定の原因ですね。かなり厳しい改定がなされました。何が原因かをよく考えないといけないのですが、効果の見られない長期にわたるリハビリテーションにはゴール設定がないのですね。とりあえず漫然と関節可動域訓練、それから歩行訓練、それだけをやっていればいいやというような状況でやっていたのではないかなと思います。かなりのところがこのような形で、とりあえず院内で流れ作業のごとくやっておけばいいのではないかということが多かったのではないかということです。ですからお金ばかり掛かって、患者はよくならない。ではどうすればいいかと国が考えたら、日数制限でぱちっと切ることが一番簡単なことなのですね。つまり、粗悪なリハビリテーションに対しての対応策です。一生懸命行っているところはそのようなことを考えなくてもいいですが、粗悪なことを行っているところが問題だったのだと思います。このようなことを言ってはいけないのかもしれませんが、現実に起きてしまった理由をよくよく考えていくと、自分たちに何か不利なことがあれば、まず自己責任論ですね。自分たちに何か悪いところが、原因があるのではないかと考えると、そこがやはり、浮かび上がってきます。

それからリハ対象者の生活を視野に入れていない。これは実際に在宅に帰そうという感覚があまりなかったのではないか。とりえず入院させておいて、だらだらリハをすればいいのではないかと思っていたのではないでしょうか。最後に積極的に維持期リハを行っている病院が少ない。回復期もまだまだ少ないですけれども、慢性期になってからの改善できる部分を見ていない。ずっと長期に入院しているところは療養病床が多いわけですから、療養病床でやはりできない部分が多かったのではないか。実際に行っているところもあるのですが、やはり一部であると感じています。

今回改正があった後、いろいろなことで変化がありました。急性期・回復期での在院日数がちょっと短縮されています。急性期にはDPCが入っていますから、短期間で退院させるほうが当然いいですからね。どんどん在院日数を減らしていきます。在院日数が短くなると、手を掛けられる時間というのも短くなりますから、当然急性期から回復期にきますが、回復期にくる状態も重症化してきます。重症化したものが回復期で本来ならば手厚くできるはずが、さばききれずに結局、維持期に重症患者が入ってきています。実際のところそうです。

急性期から回復期を通さず維持期に直接入院する例が増えてきています。これは、急性期から回復期には大体、発症から2か月以内に入らないといけないと言われていますね。急性期で全身状態が悪いからずっといて、発症から2か月が過ぎてしまうのですね。そうすると回復期に入れないので、いきなり維持期に入ってくるのですね。わたしどもの療養病床にぽんと入ってくるのです。そうなると大変です。いきなりこのような状態で送ってきてどうするんだと。この中に急性期の先生がおられたらすみません。このような状況なのですね。当然わたしどもとすれば、どんどん回復するのが見えるからよいのですが、でも実際にはこのようなところが増えてきています。

そして維持期は病院ではやりにくくなった。例えば算定の上限設定がありますから、脳血管に180日の算定制限があると、回復期までに180日が使われてしまうと、そこからあとは医療保険ではほとんどできないのですね。今回のことで脳血管などでも医師の裁量権というのが認められたので、ある程度の日数が行える可能性があるとは思いますが、やりにくくなっています。これもわたしはあまり、安心はしていません。なぜかというと、同じようにだらだらとしたリハビリテーションを行うことによって、また同じことをされるのではないかと思いますから、これは各ドクターの判断が一番ポイントになってくると思います。また同じことをしていると、もうやめよう、やはり金がかかりすぎるからだめだといって、また切られるのがおちだと思いますので、私は気をつけたほうがいいという警鐘を常々鳴らしています。医療保険でやりにくくなったら介護療養病床でのリハは一応可能になっているので、医療療養病床から介護療養病床に移してリハビリを継続して何とか家に帰していこうということも行われています。

後期高齢者医療制度について、今日、神ノ田先生が、内容的に、経済的なこと、お金の観点から考えていきますというようなことをおっしゃられましたが、まだ詳しい情報は流れていませんね。報道もあまりされていません。ですから各医療機関も方向性が立てられない、定まらない状況である、と思います。今後決定される内容がリハビリテーションを十分行うことができない制度になるようであれば、後期高齢者の健康は守れない可能性は高い。十分なリハビリができなければ、在宅で、もしくは生活施設で十分な動きができない。そのようなことになると、当然廃用症候群による寝たきりという状態が起きてきて、健康寿命がどうこう、ぴんぴんころりという考え方がそのままいくかというと、そうではないのだろうなと予測されます。

治療としてのリハビリテーションで、急性期、回復期、維持期の流れがスムースに行われる。これは保険制度上、医療保険と介護保険の流れが遮断されていますから、まだまだうまくいっていない部分があります。例えばわたしが治療をしているリハビリ専門職から出たことですが、当院は医療療養病床と介護療養病床を持っています。ほぼ半々、202床あるのですが、106床医療、96床介護でやっていますが、同じ患者さんに介護保険と同じように医療保険でのリハを行っても、介護保険のほうが点数低いのです。同じ入院で国家資格として持っている、専門職が同じリハビリをしても、医療保険より介護保険のコストは下がっているのです。これは整合性がとれていないとずっといわれています。このような状況ですと当然医療保険から介護保険にスムースに流そうという気はあまり起きませんね。スムースに流れるためには、やはり整合性をとっていただいて、しっかり流す環境を作ってもらわないと、流れるわけはないのです。ここはやはりポイントであると思います。

地域連携が十分に機能している。これはメディカル・ソーシャル・ワーカーなどいろいろな多職種連携や病院間連携が大事です。急性期、回復期、維持期、それから在宅に向けたきちんとした連携が、継ぎ目のないシームレスな状況で、ちゃんとできていかないと難しいと思います。わたしの病院がある倉敷市は、脳卒中に対してそのような連携のパスを作って行おうとしています。大分できていますが、各病院、在宅というものを全部巻き込んで行うことをしていかないと、なかなかリハビリテーションの流れとしてはスムースにならないと感じています。

それからわたしの個人的な見解として、リハビリテーションにはソフトランディングの考えが必要です。このソフトランディングというのを次にお話をしていきます。なぜ重要かということなのですが、病院から生活施設、自宅、施設等に、退院したその日から十分に能力が発揮できるようにならないとだめなのですね。例えばわたしどもの病院で退院したときに、これはちょっと専門職に説教したことがあったのですが、在宅に帰っての一人暮らしで、歩いて20分のところにスーパーマーケットがあります。そこに毎日買い物に行かないと食事が作れません。そのような患者さんを歩けないけれども帰していいか。そのようなことで帰して生活できるはずがない。ヘルパーを使えばいいではないですかという場合もあります。しかし、ヘルパーを使わなくても改善できるだけの能力を持っているのです。ゴール設定としてはきちんと自分でできることです。実際その患者さんはできるようになりました。でも中途半端な状況で帰すということはどのようなことかということなのです。

これはやはり各医療施設の中でしっかりしたリハビリテーションの目標、目的、それからゴール設定をしっかりして精度を高めていかないとだめなのです。使える能力があるにもかかわらず、そこまで改善せずにぽんと放り出すこと、これは無責任だとわたしは思います。ですからわたしどもの病院ではそのようなことはせず、しっかりソフトランディングができるよう、最大限の能力をもって退院していただく。それを使うかどうかは確かに患者様ご自身の勝手といえば変ですけれども、お任せするしかありません。その手助けをするのはいろいろな社会保障制度、介護保険の制度、手助けする制度がございますから、それを使っていけばいいのではないかと考えます。ただやはりこのソフトランディングをきちんとできなければ、家もしくは生活施設、特養、老健で十分な能力を発揮して、生活はできないと思います。

ここに書いてあるようにソフトランディングができなければ生活は困難で、本来ならば治療の継続が必要である。ということはお金が掛かることになりますね。経済的にもやはり困るでしょう。それとソフトランディングは再入院を予防する効果があるのですね。わたしども、退院されたあとのかたのフォローをずっと行っていますが、ソフトランディングをすると、あまり再入院されません。元気で過ごされています。半年間必ずフォローをしていますが、大抵元気にされていますね。一番印象に残っているかたは、倉敷市にわたしどもの病院がありまして、姫路のかたでした。そのかたは、退院前訪問に3回行きました。わたしもその3回のうち1回姫路まで行きました。そのようなことを行って、なおかつ退院後のチェックも毎月行って、半年後にもう一回うちの職員が直接行ってチェックもしました。その方はご自宅で生活できていました。成人脳性麻痺のかたで、首が悪くて、三肢麻痺、右の足しか使えなくなってしまったかたですね。だからものすごく自宅で生活するのが難しいかたでしたが、在宅へ帰れました。そのあとの生活フォローもきちんとやりました。入院しなくても元気にされています。そのようなこともやろうと思えばできます。

国の方向性によると、治療は医療保険で行うべきという考え方なので、ソフトランディングをきちんとすれば、補完できるかなと、全部が全部ではありませんが、貢献できるのではないかというように考えています。

実際にゴール設定のために入院直後2週間以内に1回在宅をチェックして、今後このかたが家に帰るにはどのような能力を持つべきかということをチェックする、そういった制度があります。早くゴール設定するために、どのような能力があれば家で生活できるかきちんと見極めるために自宅をチェックします。それからソフトランディングのための頻回の自宅訪問、制度上は1回しか訪問できませんが、わたしどもはサービスでもう2回、3回と訪問しています。環境整備にはこれは当然住宅改修なども含みますね。それから有効な社会資源の利用。先ほど姫路のかたがおられましたが、最大限社会資源を使いました。ヘルパー導入など全部使って、そこまでして家に帰る必要性があるのかと言われますが、ご本人が希望されたのです。やはりそれには沿うべきだと思ったので、最大限頑張って行いました。そうすれば、きちんと帰れるのですね。それから退院後のフォローアップ。今言いましたように、行ったままではだめなのです。自分が行ったことの評価をきちんとしなければいけない。自分できちんともう一回、本当にやったことができているのかを確認しなければいけません。やったらやりっぱなしというのは、一番厄介ですから、必ず自分のやったことの責任はきちんとフォローアップをする必要性があると思っています。

最後になります。後期高齢者医療制度への要望ですが、経済的な方面重視の制度づくりは高齢者切り捨てになる可能性が高い。先ほど言いましたように時間やお金だけで先が切られてしまうと、どうしても十分なリハビリができません。ということは在宅へ復帰されて、そのあとのフォローがなかなかできなくなる。これは、少しまずいですね。ですから、きちんとよく討議をしていただいて決めていただきたいというのが要望です。2番め、リハビリテーションを十分に行える制度になることを望みます。これは逓減制よりも、一番困るのは、高齢者DPCのような包括医療制度でぱちんと切られてしまうと、当然できませんので、早く帰すほうがいい、今でも急性期DPCはそうですね。早く帰すほうが病院としてはお金になるというような考え方を持っているところがたくさんあると思います。回転率を上げることばかりを考えると、あまりいいことではありません。しっかり根を据えたリハビリテーションをするためには、そのようなことをされては困るというのがわたしの個人的な意見です。それから介護保険とのつながりがよくなることを望む。医療保険と介護保険の整合性というのをしっかり取っていただいて、過去の失敗といったら語弊がありますが、過去にうまくいかなかった部分をきちんと整合性を取るようにしていただければ、もっともっとよい後期高齢者医療制度になるとわたしは考えています。ご清聴ありがとうございました。

シンポジウム〜制度で変わること、変わらないこと〜
小山

今日は、「ご存知ですか? 後期高齢者医療制度」という話です。新聞には後期高齢者医療制度というのがいろいろ出てくるのですが、75歳以上の高齢者についてターミナルの問題をどうするか、死に場所の問題はどうするかなど、まだまだ議論を重ねていかなければなりません。今、年間80万人ぐらいお亡くなりになっているのに、あともう少したつと140万人ぐらいに増加します。結局、最終的に急性期病院というのも高齢者が死にゆく場所に変わっていっているわけですね。患者が来たら点滴をして、酸素を入れて、ボスミン1やボスミン2などといって、結局医療従事者にとっては面白くないのですが、高齢者医療がとても変わった、変わっていっている。このままでは財政ももたないというので、医療の財源問題から入るのはあまりよくないのですが、背に腹は変えられないという状況なのだと思うのです。

今日はずっとお聞きしていて、神ノ田先生も介護保険にかかわってから医療保険に行かれたのでおわかりだと思いますが、最後に柴田先生が話していたようなことは、医療課と老人保健課の連携が悪かったのだと思うのですけれども、直せばいいところは直さなければ仕方がない。いろいろなこともありますが、やはり天本先生がおっしゃったように、みんなで考えてみないとどうにもならないところにきたわけです。

ナーシングホームといいますか、老人保健施設、特別養護老人ホームは、介護療養型医療施設はともかくとして、介護保険施設の持っている医療機能といいますか、看護の機能や医療の機能は、例えば外部から医療を受けてもいいですけれども、特別養護老人ホームで受けられる医療内容はあまり大きくないと言ってよいと思います。あるいは特別養護老人ホームいわゆる日本のナーシングホームは主治医を持たないのですね。これは世界的にも珍しくて、ヨーロッパでは主治医が必ず来るという形で、急性期病院でもナーシングホームでも、主治医と牧師様か神父様は自分で選べるわけですね。アメリカは宗教大国ですから、入院すると必ずエバンジェリカンだとエバンジェリカンの人が来るし、カソリックならカソリックの人が来るし、要するにその人がどんなに遠くても来るのですね。主治医も主治医できちんと来るのですが、生活機能、生活支援ネットワークと神ノ田先生がおっしゃっていたし、天本先生はトータルな地域のサポート体制とおっしゃっているのですが、どうも主治医制度というのが整っていなくて、何か生活支援員と神ノ田先生おっしゃっていたけれども、一人一人に何とか医療ディレクターがつかないと非常に難しいのかなとわたしは感じたのですね。

それと、おととし亡くなりましたが、ピーター・ドラッカーが『ネクスト・ソサエティ』という本を書いているのですが、そこに書かれていることは、女性中心、高齢者中心の社会になって、全く違った社会が出てくるということですね。20歳ぐらいから働いて65歳まで働いても、45年しか働かないわけですよね。45年しか働かないのに、90年生きているとすると、働いている期間の倍は生きることになる。特別養護老人ホームに最後に入って平均5年間入所すると、月30万円で、最後の5年間に1,800万円使って死んでいくと。逆に小学校から高校を卒業するまでに、これもちょうど1,800万円ぐらい使うとすると、人生3,200万円ぐらいはナーシングホームと教育に使っている格好なのです。これをどのように動かすのか、言葉ではたくさん出てくるのですが、後期高齢者医療制度がこのままいくと、柴田さんが最後に話していましたが、何でも制限するとかカットしてしまう話になりそうで、何か少しむなしいなと、またぐちゃぐちゃになるなというところだと思うのです。

今日はご質問も含めて、30分ちょっとございますので、まずご質問をとっていこうと思っております。なお老人の専門医療を考える会は今年25周年で、天本先生は25年前と話し方も全く変わらず、本当にすごくサクセス・エイジングのような話なのです。老後はずっとゴルフをして、女房と山小屋で暮らしたいそうですが、どうもそれは許してもらえないので、大体自分の老後は当てにならないのですね。余計なお話はともかくとして、シンポジウムをすすめたいと思います。

何かご質問やご意見はありますか。神ノ田先生も、何でも答えてくれると思います。今日はいろいろな昔からの顔なじみがおりますし、いかがでしょうか。リハビリの神様石川先生もいますし、認知症の神様平井先生もいますから。老人の専門医療を考える会のメンバーは、多分、老人医療などを含めて日本の中心的なメンバーだと思います。わたしは運良く27年前に厚生省の機関で採用されて、老人医療の話ばかりをしていてこの会に随分お世話になりました。急性期医療をしっかりさせるというのは、慢性期の医療をきちんとというか、ロングタームや高齢者の医療を、軸足をきちんと決めておかないと、急性期の医療など議論しても何の意味もないのですね。今もずっとそう思っているのですが、やはりこの辺のことを含めると、後期高齢者医療制度は避けて通れない問題だと認識しています。いかがですか。質問がございませんと、勝手にわたしがしゃべって終わりということになりますので、質問して回ることになるのでしょうか。

それでは、ここから話を始めたいと思いますが、この前ある有名な医学部の教授が脳卒中で倒れられて、そのご出身の有名な大学病院に担ぎ込まれたのです。奥様が一生懸命医療スタッフに、この人はずっと医学部でいたから、何もしないで死にたいと考えており、だからもし病院に入ったらそう強く言えと言われていたというので、一生懸命何もしないでくれといったそうです。そうしたら教授にそのようなことはできないといって、弟子たちがみんな出てきて寄ってたかって、スパゲティ症候群にされたそうです。それでも奥様は気丈に闘って、「あんたらふざけんじゃない」と、そこまで言って、それで全部機械をはずしてもらったというのですね。そのほかの話もたくさんあるのです。私も昨年3月に厚生労働省を退職して、静岡に移り、この1年間かなりいろいろな話を聞き取り、また昔に戻って、あちらこちらの病院を回っているのですが、すごいですね。急性期医療の方で、やるなというのにやられてしまうという話ですね。やはりかなり問題があるようです。

国民は頭がいいものですから、後期高齢者医療制度が新聞に出て、老人医療費の使いすぎがでて、厚労省のプロパガンダがうまくされるものですから、9割近くが病院に死にに行っているということになると、スパゲティ症候群ももういいというのです。しかし、リハビリテーションだけは訓練オタクになってやりたがるのですね。これは両方とも医療ですね。この話を別々に考えないとだめなのではないでしょうかね。急性期の医療は助かる見込みもないのに、無理に昇圧剤かけて酸素もして、何とかという話と、ターミナルや、パリアティブ・ケア、先ほど天本先生の話の中で尊厳というのは痛みの除去も尊厳だと、わたしもそのとおりだと思うのです。むしろ有名なお医者さんとかいろいろな医療器具をつけられるよりは、尊厳を持った死を国民は望んでいるのではないですか。その尊厳ある死を望んでいるのに得られていないという現状をまず問題にしないといけないし、リハビリテーションはやってもプラトーという話もありますが、もう少しやればうまくいくという可能性もあると柴田先生の話にもありましたが、これは、どこまでがプラトーでどこまでやれば元に戻るのかよく分からないのですね。

わたしは子供が二人おりますが、子供が熱を出して一人が病院に入院することになったのですが、発熱して子供を連れていくと、そのような熱などは家で「冷やしておけば治るでしょう」と看護師がどなるのです。これは有名な国立病院です。それで次のときに、下痢もして吐いてしまって、どうにかしようと思って、熱を冷ましていたら子供がぐったりしてしまって、病院へ連れていったら、今度は看護師が怒るのです。「小山さん、何でこんなになるまで連れてこなかった」どうすればいいのですか。この話と全く同じですね。リハビリテーションのプラトーかプラトーではないかという判断は、むしろ天本先生が言うように、幅広い相談というか、どこのときが危なくてどこのときがいいのか。

薬石効なしなどというよりも、十分な尊厳を確保してうちの父親は亡くなりましたという死亡広告を、わたしは新聞社に出してくれといったら、「そのようなことは普通は出さないから、お金を払ってもらわないとだめだ」といわれたのです。うちの父は、ご飯を食べ終わってから、「じゃあな」といって、みんなと話している間に椅子に座ってそのまま死んだのですね。ですから父は皆さんのおかげで尊厳ある死を迎えました。そのようなことは書いてはいけないのです。普通は薬石効なしというか、尊厳をきちんと確保できたかどうかに焦点を当てて、後期高齢者医療制度を考えてもらわないと、嫌ですね。

それから、どこまでいくとターミナルというのか。パリアティブ・ケアは分かりやすいですね。痛みの除去や尊厳を重視します。その辺をどうするか。もちろん診療報酬制度で外来を包括化してしまうとかリハビリの日数をどうするのかという技術論はあるのですが、その辺で少しお話はございませんか。みんなで考えようと天本先生が言っていましたが、老人の専門医療を考える会は25年前に約束があって、先生と呼ばないことになっているので、神ノ田さん、今日は3人のお話を聞いて、まずはいかがでしょうか。少しご感想でも、お話をしていただいてよろしいでしょうか。

神ノ田

わたしも昨年の8月に厚労省内の異動で医療課に参りまして、着任してみたらリハの話もそうですし、療養病床の話もそうだったのですが、結構大きな騒ぎになっていまして、かなり大幅なマイナス改定ということで、その影響が現場にも出ているのかなというように思ったのです。そうは言っても、少し財政論優先で現場に影響を及ぼしていいのかなと個人的にも非常に疑問を感じているわけですね。ですから、今日の、わたしの話の中で財政的なところを先にお話ししたのですが、そのような状況下であっても、やはり必要な医療は確保する。それは当然厚生労働省の役割だと思っていますし、その辺についてはぜひ現場の皆さんのいろいろなご意見をいただく中で、制度設計をしていかなければならないと考えています。

天本先生から順番が逆だというお話がありましたが、わたしも、わたしに限らず厚生労働省の担当者はみんなそうだと思っていますが、制度設計する順番としてはまず現場の皆さんのご意見をお聞きして、それを可能な限り確保できるような形で制度設計をしていく必要があるだろうと思っています。ただ行政なので、最終的には帳尻を合わせなければいけない。それは限られた資源、それはお金だけではなくて、マンパワーなども含めてですけれども、そこはしっかりと帳尻を合わせて、今年だけよければいいということではなくて、今後10年、20年、30年、持続可能な制度にしていかなくてはいけない。そのようなことで考えているところです。

ですから、わたしのプレゼンテーションの仕方がちょっと誤解を与えてしまったかなと思っていますが、お金ありきで絞るということでは決してなくて、あるべき姿、それを議論する中で、現状でもお金の使い方が間違っている部分というのは多分たくさんあるのだと思うのですね。先程お話に出たようなスパゲティ症候群になってしまうなど、奥さんが強く抗議してもそれをなかなかやめてもらえなかった、そのような事例が多分現場ではたくさんあるのではないかなと思います。もしそうだとすれば、患者さんの思い、あるいは家族の思いをしっかりとダイレクトに医療の内容に反映させることのできるような、そのような仕組みを作らなければいけないと思っています。

今日いろいろなお話を聞く中で、一つの鍵としてはなじみの関係の中で、その患者さんの大切にしているもの、それをしっかりと医療者が酌み取って、医療に反映させるということだと思うのですが、どうしても急性期医療というときに、救急車で運ばれて、運ばれた先はなじみの関係とは関係なしに救命第一に、あるいは治療第一で医療が行われてしまっている。そこに患者さんの大切にしているものと、実際に行われているもののギャップが生じる原因があるのではないかと思っています。そこを埋めるようなことができたら、今のトータルのお金、またマンパワーの中でもやりくりして、結構いい医療を提供できるのではないかと思っているところです。

今日はぜひ現場の意見をお聞きしたいと思っていましたので、こうあるべきだ、あるいは今このようなところはおかしいというところを、ぜひお聞かせいただきたいと思っています。どうぞよろしくお願いします。
小山 現場のかた、どうですか。幾つか質問が出るといいのですが、いっぱいご質問いただいて結構です。
質問

今の趣旨とちょっと違うかもしれないのですが、今朝、わたしは『日本経済新聞』を見まして、後期高齢者医療の具体的なことが結構書いてあったように思うのです。外来診療は包括化になる、あとは、かかりつけ医ですか、そのかたしか診療ができないようになるなど書いてあったものですから、それに今日触れていただけるのかなと思ったのですが。『日経新聞』だったものですから、結構信憑性があるのかなとも思っているのですが、いかがなのでしょうか。

神ノ田

『日経』に限らず、つい最近『毎日』の朝刊か何かにも出たかと思うのですが、診療報酬については保険局の医療課が所管しています。ですから医療課で責任を持って決めるということで、今その検討の場は特別部会になっているのですね。その特別部会での結論が出る前に、医療課としてこのような診療報酬体系にするということを決めることはありえないですね。プレゼンの中でも触れましたが、まず今月中に基本的な考え方をまとめ、また国民からパブリックコメントを取って、いろいろ議論する中で骨格を秋ぐらいまでに固めて、診療報酬体系を作っていきましょうと、そのようなタイムスケジュールで流れています。ですから、外来を包括化にする、かかりつけ医だけに診療を限定し、ある意味フリーアクセスを制限するなど、そのようなことを厚生労働省として決めたということではありません。それは明確に今申し上げておきたいと思います。

  ただ可能性としてあるのは、担当課以外の幹部等を取材する中でそのような話が出て、厚生労働省の発表ということで報道されたのかもしれないです。そこはちょっとわたしも分からない部分なのですが。

小山

アドバルーン記事ですから、いつも制度改正等のいろいろなことがあがってきますから、どれがなるか分かりませんが、それでも後期高齢者医療制度の議論は、わたしが知る限り何も新味がない。外来総合診療料もこれまで行っていましたし、かかりつけ医についても昭和62年のときにかかりつけ医の制度もできましたし、医療制度改革で15年の基本方針にもいっぱい書いてありますから、何を取るかというだけで、かかりつけ医の登録医制にするのも外来総合診療料を強制するのも、75歳以上でありだと思うのですが。

別の話で、山上さんにちょっと確認しておきたいことがあります。問題は、外来診療で一人当たり1か月31日診療所に行っている人もいれば、糖尿病の管理だけでも高血糖という形でレセプトを見てみると、一人当たり29,000円ぐらい診察料と薬代がかかっているとか、あるいは筋骨格系といいますが、足が痛い、肩が痛い、ひざが痛いといって、1週間に1回、ハップ剤をもらって、メチコバールを出してもらって、「すいません、うちの息子のハップ剤もくれ」などといってもらっていく人がいるわけです。外来の話は非常に混乱しておりまして、何かしないといけないのです。山上さんにお尋ねするのは、老人保健施設の入所者の薬剤費というのは2万円程度だったと思うのですが、このような話はどうですか。老人保健施設に地域から入院してくる人で今まで飲んでいた薬というのは、そのまま全部処方を変更せずに飲んでもらっていると理解していいのですか。
山上 病状がはっきり分かるまでは、そのまま継続しています。結構多剤投与というケースがありますので、見させていただいておりますうちに、安定剤系統はもうやめられるなど、整理はしていけますので、減ってはきます。でも、それは結果かと思います。循環器の疾患のかたの場合はやはりどうしても減らせなくて、非常に多い量のままいっている。だからお薬代はもっともっと高くなるということも、それはございます。
小山

東京に循環器病の専門の病院が二つ、三つあるのですけれども、そこの先生たちに聞くと、循環器病疾患に対して平均8種類以上の投与がされているけれども、三つぐらいでもいいのではないかという先生もいらっしゃるのです。要するに、飲ませておいても飲ませなくてもいい薬、老人の専門医療を考える会の第2代会長の大塚先生は、薬というのは絶対必要な薬、次はどちらかといえば飲ませておくといい薬、どちらかというと経営のために飲んでもらう薬と、三つあるとおっしゃっていたのです。これは大塚先生の名言で、わたしはずっと思っていますが、大体使いすぎです。10兆円も薬を使って、効きもしないような薬をいっぱい出して、それをまた信じていたりするのです。もうなくなりましたけれども、サルノコシカケを粉にしたようなものを日本では薬として認めていたのですから、厚生労働省は。びっくりですね。さるもびっくり。だからやはり、今度のタミフルの問題もすごく難しいところにまた入ってきている。テレビニュースで厚労省の信頼性が落ちていますが。それとこれとは全然また別の問題だと思うのですけれども。わたしが言いたいのは、外来について変にかかりつけ医や定額制にするよりは、本当に必要な薬は確保しないと、それは柴田さんの仰ったリハもそうですね。必要なリハは必要なリハでやらなければならないというのだから、必要がなければ維持期でいいのですねという結論は、それでいいのですか。

柴田 必要がなければというか、治療的なものと維持の部分は全く違うと思うのですね。維持の中にも、例えば進行性の疾患であるとか加齢によってどんどん落ちていくなど、今現状をキープするのが本当に必要な状況であれば、当然処方が必要だと思うのですね。ただ体の状況が、脳卒中で改善しました。これ以上はよくならないだろう。つまり、やってもやらなくても一緒。これだったら切るべきだと思って、わたしのところは切っています。それはきちんと説明した上で切っています。
小山

それは、どのような場合なら切るか、どのような場合では切らないかというクライテリアというのは何か作ってもらえないのですか。

柴田 それができたらいいなと思って今ちょっと研究中なのです。実際には本当にいろいろな手立てをしても、やはり改善しないときがあるのですね。これが一番いいやり方ではないか、患者さんにとってお仕着せかもしれませんが、いろいろなことを試していても、全然改善しなくなるときが出てくるのです。それは今まで経験上もうどうしようもないかなということで、切るようには、しています。ただきちんとフォロー期間をつけますね。3か月だったら3か月、フォローをして全然だめだったらやめましょうねという話もしていきますし、そのような意味ではちゃんとしたエビデンスかといわれたら、脳神経はものすごく難しいですから、絶対にこうであるというのはないのです。今それを出していこうとはしていますが、まずやはり期間的なものを決めて、これ以上やっても改善しないのなら、これは難しいなという判断で、今のところは行っています。
小山

在宅医療を中心にしたいという方針は分かるのだけれども、入院医療から在宅に持って行くまでの診療報酬の手立てがなっていないという話でしたでしょう。それは昭和63年に老人保健施設療養費を作って、入所前の訪問も入所後の訪問も点数は少なかったけれども、それが点数の初めなのですね。そのあと老人保健や介護保険で行ってきたことを、医療課は一切顧みなかったのです。それで在宅医療、在宅医療と最近になって騒いでも、うまくいかない。つまりシームレスとおっしゃっていたけれども、シームレスは、厚労省は切れ目のないケアと思っていますがまったく違います。シームレスというのはシームレス・ストッキングですから、つなぎ目のないという意味なのですけれども、つなぎ目のないような感じですうっと施設から在宅に移れる。切れ目があるわけではありません。シームレス・ストッキングといったら切れ目のないストッキングではないですね。厚生労働省が使う日本語がなっていないのですね。何度言っても直らない。シームレスは切れ目だというのですから。厚労省は診療報酬上の問題を、切れ目をなくし、それから制度の持続的安定など、言葉だけで言っているのです。心が入っていないし、技術がないのですね。わたしは厚労省を辞めて本当にすっきりして、1年たつとこれだけしゃべれるのかと思うと、うれしくて仕方がないのです。この辺はやはりすごく問題で、かゆいところに手が届くような診療報酬体系にして、そして必要な医療は必要な医療できちんと確保しろというのが、柴田さんの言っていることなのですね。よろしいですか、それで。

山上さんの言っているのは、また別の話で、神ノ田さんは療養病床の担当ではないから療養病床の話はしたくないのですが、今の、老人保健施設の基準の人数であると、療養病床を全部老健に移すというのは、とてもではないけれどもできない話だと言っていますね。それはむしろ、医者の人数よりも看護なのだということでいいですか。
山上 両方あると思うのですが、特に今問題になるのは看護面ではないかと思います。
小山

薬の上限額というのは結構いろいろ難しいのですが、やはり痛みがくる疼痛のものや抗がん剤などすごく高い薬も一部分あって、老人保健施設では除外しているのもありますね。外来の、薬の制限のようなものは後期高齢者ではありそうだとわたしは思うのですが、天本先生、日経新聞に出ていた内容には、日本医師会は反対するだろうといわれており、後期高齢者の外来制限などという話が出たら反対するだろうというのですが、何が何でも全部が反対という議論には、今の日医はならないですか。

天本

われわれは国民の医療を守る立場ですので、新たなよい医療提供体制に沿う報酬体系であれば議論にのるという形だろうと思います。いろいろな意味で、特にここ数年の厚労省の行った決定の手続きにおいては、非常に疑問を感じるものが多い。介護療養病床の廃止においても、十分な議論がなされたのか。18年の1月ぐらいに決定したと思うのですが、17年の10月ぐらいに介護施設の調査をしているのですね。そうしますと、介護療養型というのは要介護4、5が8割ぐらいですね。医療処置も多いので、介護施設の中ではある意味で重症のかたを見る施設として、機能的にはかなり明確になってきた。5年間でだんだんと重介護の方々が増えていますので。そのアンケートの中の受け入れ態勢を見ますと、夜昼ご家族の受け入れ態勢がないというのと、日中独居も入れると、9割ぐらいなのですね。だから在宅にも帰れない。そして介護療養型は、介護施設の中で当直医がいます。24時間体制で医師が必ずリスク管理をしている。看護師さんが24時間365日いることで、医療処置をしています。介護療養型自体がどうのこうのというよりも、介護療養型に入っていらっしゃる群、重看護介護、平均年齢85から90歳というような人たちの群をこれからどうするのかという議論をしなければいけないのに、そこの議論がなく、ただなくしたということです。これからそこの群は増えるわけですが、もちろん増やさないような予防はしていきましょう。またその中でいろいろな医療処置、経管栄養などという問題についても、これからしっかり議論しましょうということなのですが、現実にそのような人たちがいらっしゃるのを、国の施策としてどうするのか、介護保険でも省こうとし、医療保険でも省こうとしている。医療保険のほうが重いところは診るとはありますけれども。

もう一つは医療保険か介護保険かという縦割りの問題です。サービスの中身となりますと、先ほど言いましたように、医療の療養病床でも医療の給付の部分と、それから介護の自立を支援する、生活を支援する、そこの部分の、本当の給付を考えれば、これは介護保険の給付でありますから、縦割りにしているといったようなことの議論はきちんとしていただかないといけません。われわれは箱をどうするとかなんとかということよりも、そこに入っていらっしゃる人たちをこれから社会保障として、もちろん在宅を希望する人は在宅でというような、いろいろな選択肢を用意しておかなければいけないと思うのです。そのために法的にも整備していただかなければいけません。法的にというのは、要するに医療処置は看護師さんでしかできない。ということは、現時点の老人保健施設には24時間365日看護師を配置できる人員配置基準ではないわけです。そこでは当然医療処置はできない。それから特養は医療の提供の場ではないですので、診察室は医療の提供の場ですが、それも法的な整備をこれからきちんと整備して、質の担保のために教育をするというような手続きを取れば、やはり時間がかかるわけです。そして将来、平成25年それから30年というところにどのように対応するかという、きちんと本腰を入れた形で手順を踏む必要があるのではないか。

その際に医療分化として、薬の問題も出ましたが、はっきり言っておきますと、老人医療費そのものの見方はありますけれども、日本は費用対効果は世界一です。ただ日本の財源としては非常に厳しくなるといった財政諮問の意見。それは財政的な意見でしょうけれども、医療を受ける国民からすれば、きちんと必要なものは必要だ。だからこのような医療をする。また無駄なものは省かなくてはいけない。専門分化した医療のサービス体系というもの、循環器、消化器等のさまざまな専門分化した科があります。国民も何かそこでなければ診られないような気がしています。糖尿病は糖尿病の専門で、小児科は全部小児科でなければ診られないような、そのような分化があるのですけれども、もう一度そこの部分は国民も一緒にきちんと1回議論するべきだろうと私は思います。
小山

天本さんは日本医師会の後期高齢者医療制度の担当なのですか。

天本

後期高齢者医療制度担当は、日医の中の保険課です。わたしは介護保険担当ですが、介護保険というものは高齢者の担当として療養病床も担当しておりますので、日医の中で共に議論をさせていただいております。
小山 新聞報道上、日医は絶対反対するわけではないということと、後期高齢者医療制度の歴史を見れば、日本医師会から最初にこの制度を提案しているのですね。ですから日医が、すべてに反対するとは思えないのですが、皆さんいかがですか、何かご質問ほかにございますか。今だったら何でもしゃべってもらえそうですので、何かあしたの新聞が楽しみのような気がするのですが、よろしいですか。
神ノ田

少し療養病床の話が出ましたので、担当は外れるので個人的な意見ということで受け止めていただきたいと思います。療養病床の話は、施設を再編していこうという、考え方なのです。ですから今ある介護療養病床、その箱物を全部つぶしてしまえという、そのような乱暴な話ではなくて、それを介護施設として、新たなものを今後考えていこうということで、天本さんも委員になっていらっしゃいますが、介護施設等の在り方に関する委員会で、どのような施設の在り方がいいかと検討が進められているところです。

当然必要な医療は確保されなければいけないのですが、これは個人的な意見として申し上げますと、ちょっと病院と違うかなと思うのは、やはり介護施設は生活の場であって欲しいなというのが、個人的に強く思うところです。そこで長期間療養を送っていく上で、病院のように管理されたところではなくて、もう少し自由度の高い生活の場として、お酒を飲みたいときは飲む、たばこが吸いたければ吸えるなど、そのようなプライベートなスペースがあって、また必要なサービスも受けられるような、そのような姿にしていくというのが入所している高齢者にとってもいいのではないかなと思っています。必要な医療を切り捨てるということになると、天本さんがおっしゃるとおり非常に大きな問題になってきます。それを確保した上で、介護施設としての生活の場というものを打ち出していく必要があるのではないかと思っています。多分そのような意図で、天本さんも意見を言われるのではないかと思っていますし、どのような形でまとまるかというのは、わたしは担当外ではありますが非常に興味深く思っております。
天本 今、神ノ田さんは介護施設での医療の在り方が検討されているというお話がありましたが、されておりません。本来ならば、介護療養型医療施設を廃止する、医療療養病床で患者分類での区分1が入院の必要性がないと政策的に判断するのであれば、そこの議論をきちんと先にしておくべきです。その議論を一切しない。いまだかつてしていない。ですから当然先ほどの山上さんの話したように、老健施設というものに転換しろといわれても、転換するイメージとすれば、今の制度しかイメージがないわけです。当然要介護4、5が8割、9割のところが、要介護4、5が4割から5割ぐらいのところに移れるはずがないですね。政策的に受け皿整備なしで先に一番金のかかるところを廃止した。介護施設がここ5年間でほとんど伸びていないのですね。参酌標準で制限している。それが医療の療養病床が増えていった理由ともいえます。やはり医療と介護との整合性、社会保障としての全体最適という形で政策が進まない限り、医療保険、介護保険、それぞれの部分最適だけを追求しているような、一貫性という対応に欠ける状況になっているということは、はっきり皆さんも理解しておいていただかないといけないと思います。
小山

初台リハビリテーション病院の石川さん。神ノ田さんがいるので、ちょっと言えないこともあるでしょうが、リハはどうなるのですか。今年4月1日から改定することで知っていることをちょっと話してもらえますか。

石川 要するに算定日数で区切られたものを少し緩和して、除外規定の緩和策が出たというのが一つだと思います。例えば医師がまだ改善するという判断が正確にできれば、それは続けてよろしいと。ただしそこにお金がかかるので、今までの算定日数の、最後の、5分の4の2割近く減りまして、例えば250点が210点になって40点減って、そうした算定日数内の最後の1、2か月の点数分をその算定日数後にも、後に盛り付けたということで、リハの総額は変わらないと、そのようになったと思います 。
小山

先ほどの話で出てきた柴田さんの在宅訪問回数など、そのようなことはあまりリハ病院・施設協会とか回復期リハ協議会ではあまり言ってなかったのですか。

石川

去年の診療報酬改定のときに医療課にかなり強く要望したのは、退院直後の例えば訪問リハとか通所リハとか、そのようなものをもっと手厚くして欲しいと、またできれば介護保険のサービスを使っていても、医療保険でその辺のリハができるようにならないのかと要望をしました。そのときに医療課は、それはグッドアイデアだと支援をしてくれたのですが、老人保健課で医療保険と介護保険と両方サービスするのは根幹にかかわるということで、没にされたと聞いております。

天本

先日、中医協でその問題の対応策として、新たな報酬体系を少し見直そうというときに、附帯決議というものがありまして、委員長が介護の問題、医療保険の診療報酬の改定においても、受け皿の整備、介護保険との連続性というものをきちんと制度としてやっていかない限りは、医療保険は医療保険だけという対応には非常に問題がある、中医協の委員長としては珍しい発言がありました。それは、中医協は医療保険だけのことしか話せないはずなのですが、やはりそこの連続性という問題ですね。これはまさに療養病床の問題も同じです。医療保険と介護保険の受け皿整備という場合、リハビリもそうですね、受け皿整備の問題。ここの連続性の問題が、今、特に横断的な対応が求められており、住宅の問題にしても国交省との関係があります。厚労省内でも局間の責任をきちんと果たしていくということの重要性というのが今後ますます必要になってくるのではないでしょうか。

神ノ田 一点だけ訂正があります。中医協の会長のご意見といいましたが、天本さんの強いご意見があってそのような附帯意見が盛られました。多分会長は附帯意見なしでまとめたかったのではないかなと思いますが、天本さんの強いご意見があって、そのような形で維持期についてもきちんと介護保険と連携を図って、きちんと検討するようにというような宿題をいただいているということです。
小山

先ほどの治るものを途中で切られると困るという柴田さんの話に対して、神ノ田さんは最初に老人の専門医療を考える会のリーダーシップをお願いしたいということですので、やはり、どこが切られたらだめなのだという話を、今後、老人の専門医療を考える会でもご検討いただきたいなと思っています。

わたしとしてはまた余計なことなのですが、後期高齢者医療制度平成20年の4月から施行するとすれば、あと本当にカウントダウンですね。9か月か10か月しかない中でまた時間切れで、ぐじゃぐじゃに出発して、何というのですか、満身創痍になる厚生労働省は見たくないので、頑張ってくださいねというのと、天本先生も当事者らしいので、何となくバリュー・ベースト・メディシンで今日はよかったなと思うのですが、やはり患者さんというか、人の、人間の尊厳を守れる範囲での高齢者医療制度であって欲しいというように思います。司会が下手でしたが、本日はこれにて終了します。どうもありがとうございます。
閉会挨拶 山上久 老人の専門医療を考える会副会長
山上

当会の副会長をしております山上です。本日は小山さん、神ノ田さん、天本さん、山上さん、柴田さん、どうもありがとうございます。後期高齢者の問題、今日の新聞にも出ていたということなのですが、本当にまだこれからいろいろな情報がどんどん出てくると思います。それについて少しでも皆様がたのお役に立てればと思いまして、本日はこの会を開催しました。

ちょっと問題なのですが、まず先生がおっしゃられたように、そのかたにとってよき医療、尊厳をもって行えば、尊厳といえば尊厳死ばかりに使われますが、やはり尊厳を持って生きる、尊厳生を考えていただければ、間違いは起こっていかないのではないかと思います。その方向性で制度も考えていただくようお願いします。それとお金の話がまず第一位にありきという方向性なのですが、実は市町村の職員とちょっと後期高齢者の話をしましたら、何を言い出したかといいますと、「これだけまた利用者様の出費が増えるね。だから世帯分離を考えてあげなければいけないかな。それでだめだったら、生保など等々考えていってあげなければいけないかな」とそのような意見が出てくる。市町村までお金からスタートする、そのようなことになっているところに、非常に疑問を感じております。その辺のところもご指導等々されるときも含めまして、方向性もお考えいただければと思います。

本日は本当にありがとうございました。これで終わりにさせていただきます。
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老人の専門医療を考える会 JAPAN ASSOCIATION FOR IMPROVING GERIATRIC MEDICINE