司会 齊藤正身 |
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続いてお話ししていただくのは、医療法人社団三喜会鶴巻温泉病院の院長をされている、土田昌一さんです。 土田さんは、このシンポジウムではほぼレギュラーのように毎回シンポジストになっていただいております。ご本人いわく、早口なので皆さんに分かりにくいのではないかということです。分からないと困るということで、レジュメをかなり大きくしっかりと準備してくださいました。 きっと、ゆっくり話してくださると思いますが、「痴呆高齢者とどう関わるか?リハビリテーションを実施していく上で」という、リハビリテーションの専門医としての立場、あるいは病院の院長としての立場も含めて、ご経験の中からお話をいただきたいというように思います。 それでは、よろしくお願いします。 |
基調講演II リハビリテーションを実施していく上でスライド資料(PDF形式) |
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土田昌一 |
齊藤さん、ありがとうございます。今、齊藤さんがおっしゃったように、私は大変早口でして、そしてパタパタ話しているうちに終わって、「スライドが奥のほうで見えない」、「何を話しているか分からない」、「何だったのだ、あいつは」というようなご批判をいただいたことがありました。今回、この冊子の半分を占めるような形で資料を掲載させていただいております。 通年、2月といいますと花粉症がひどくてしゃべれない状況だったのですが、今年は幸いなるかな、まだ来ていませんので、鼻をすすることなくお話しさせていただきたいと思います。 「リハビリテーション」という言葉について、いつも、もう1回振り返っておこうという気持ちでおります。1981年という時代にWHOが定義されています。 (スライド)「諸条件の悪影響を減少させ……」かつ、「……社会統合を容易にすることも目的とする」。すなわち、訓練はあるのですが、その方の社会適合、例えば家庭であったり、地域であったり、あるいはその方が活躍されていた場であったり、というところの統合。 つまり、またその中で生活できるようにすることがリハビリテーションである、ということなのです。 「ADL」という言葉も、リハビリテーションでよく使われる言葉です。「activity」というのは、「行為」というように考えるのですが、「高次の計画」というのは、何かしようといろいろなことを考えるわけです。その中で、その行為の計画と、それから脳のほうにいろいろな情報が入ってきます。その自分のやりたいことと入ってきた情報が一連の中でうまくかみ合っていないと、とんでもない行動が起こるわけです。例えば、飛び跳ねてみようと思ってその周りを見たら、なんと、自分は綱渡りをしていたとか。認識脳がきちんと情報が入っていない状態で、そのような高度な計画はできない。 人生の質、QOLと言っているのですが――自分の人生の質がどれだけあるのかといつも考えて生きていますが――、日常の生活にどれだけ支障があるのかということを考えておかなければいけない。日常とは何ぞやと申しますと、日が常にある。昨日も今日も明日も必ずできているという状況が、日常なのです。最大瞬間風速で100メートルを15秒で走れたからといって、それは日常ではない。つまり、普段できていて、明日できるかどうかなど考えないでよい仕事というのが、日常性ということなのです。そのような日常性というものが自分の生活の基盤の中にあって、QOLを追求できるのです。 ですから、このADLという日常の生活は、このようなことをいうのですが、今は、コミュニケーションもあります。このような日常性だけを目標にしてしまうと、人生の質にはならないということを考えておかなければいけない。この人の人生の質にとって、どれが改善できるのか、どこが問題なのかを考えて、一緒にチームで行っていくことを「リハビリテーション・アプローチ」というように考えています。 ご本人がどのような状態にいるか、ということを理解しておかなければいけないのですね。これは障害受容。「自分は何ができないのかということを、どれだけ分かっているか」という度合い。 そして克服意欲。つまり、やる気ですね。この線上、自分のこれだけ悪いのだなという部分が分かっていて、それに相応する意欲・やる気があれば、いい方向に向いていけるわけです。逆に、自分の具合が、どのようなところが悪いかは分かっているのだけれども、やる気がない場合は、自分の状態が悪いのだと思ってしまうと鬱になりますから、なかなか乗り越えていくことができないのです。しかし、分かっていなくてやる気どんどん、というのも困るのです。全然違う方向に走っていってしまいます。これは気を付けてもらわなければいけない。 また、どちらもない、別に困らない、何もできなくても困らないよ、という状態があるのです。痴呆症状を持たれた方というのは、わりとこのような所にいらっしゃることが多い。この方が、どのような所が問題であるかということが、やはりわれわれはきちんと分かっていなければいけないと思っています。 やる気、つまり意欲ですね。歩行訓練とか日常生活の訓練というものは、「やる気がないから駄目ですね」とか「意欲がないからこの人は訓練できません」という話を時々される方がいるのですが、これは先ほど言ったように、ご本人がどの四角の部分の中にいらっしゃるかということを、対応させていただいているわれわれがみんな分かっていなければいけないのです。 「見当識」というものと「不全感」。「見当識」というのは、自分の置かれている状況を認識していることというように、私は考えています。それと「不全感」。自分が不自由だなと思っている。この二つが無いと、先ほどの座標が作れないのです。 急に難しい単語がたくさん出てきますが、記憶というものが何なのか、ほんの一つの部分だけの説明です。いろいろな情報が入ってきます。目玉に飛び込んできます。その情報が、これはどうでもいいのですが、脳の後ろ側。 (スライド)一応、こちらが後ろでこちらが前だと思っています。後ろ側の所に電気的に映像化されるのです。それが何かということを、大脳のこの辺の所で認識されるのです。それを続けているうちに、この「何だ?」ということを、この側頭連合野という、ここにファイルされるのです。 このファイルされるときに、このような扁桃体というものがあるのですが、「快」、「不快」、「良かった」、「嫌だな」という気持ちが入ってくると、容易に入りやすいのです。これを考えていただくと、昔話だとか、自分のことになると嫌なことを覚えている方がいます。いいことを覚えている方もいます。ちっぽけなことかなと思って、あとで考えても覚えていることがある。本人の中でこれが作動しているのですね。 そのようなことで、覚えたことがここにあるのです。逆に言うと、見たもので、ここから引き出してきて、ものを見ている。似顔絵などは似て非なるものなのですが、「なんとなく分かった。あ、これ、小泉首相だな」などと分かるわけです。よくよく見ると全然違うのだけれども、その特徴をとらえていると、この側頭連合野に合うファイルが出てきて、誰であるというのが分かる。 これをなぜ言いたいかといいますと、その人その人の持っているファイルが一緒ではないのです。だから、その困っている方が、どのように何を思っているのかということを、われわれはよく考えておかなければいけない、よく見ておかなければいけないということです。 それで、テストをします。これをよく見てください。 (女性の横顔スライド)いいですか? 次にいきます。おばあさんか若い女性かです。おばあさんに見えた人、手を挙げてください。若い女性に見えた方。これ、どちらがどうだということではありません。言いたいのは、この側頭連合野の中に入ったファイルを、あなた方は自分の中でこうだと思って見たわけです。先ほど言った、ものを覚えているときの快・不快ですね、それが作動しているのです。 それで、もう一回見てください。すると、先ほどおばあさんに見えた方は、若い女性に見えますでしょうか。これが、あごです。これがまつげで、これが耳になる。おばあさんなら、これが目で、これがわし鼻で、これが口。というように、ものをどのように見ているかというのは違うのです。同じ絵を見てもみんな感じ方が違うのだというのは、よく自分たちが理解しておかなければいけないことなのですね。その上で、この方が何をどう理解されているかということをふまえ、アプローチをしていかなければいけない。 そうすると、この障害受容という、自分がどのような状態なのかということに対してよく考えてあげなければいけないのが、訓練で「よく歩かせてください」とおっしゃることです。歩行というものは、動作を開始するためには、なぜ歩くのかということが分かっていなければいけないのです。ただ「歩いてください」と言われて、「はいはい」と言って、どこに行っていいか分からない人というのは、それはいわゆる徘徊なのです。歩くことだけ訓練していって、その人が何かの道具として歩くという動作を使ってもらって初めて歩行ということになるのですが、目的のない歩行が始まってしまうわけです。その方がどのような認知、どういうように理解をされているかということをよく分かっておかないと困る。 少し長くなって早口が始まりますが、うちの病院が596床あって、このような感じで病棟を分けています。これを見てください。 (スライド)その中の一つの病棟の、いわゆる昔からある病棟なのですが、そのシステムの中で、痴呆を持っている方、問題行動があると言われた方々が、特に専門的な医療を必要とするほどではないと思っているのだけれど、骨折だとか何か問題が起きた方に、われわれはこのような病棟を作りました。徘徊していて骨折した方とか、脳卒中になって混乱していて、どうも普通の訓練では無理だという方々が入院しています。ただ、住宅街にあり大声を出されると周りに迷惑なので、「大声禁」ということになり、大声を出す方は、ここでは断っていますが。 この病棟では、6か月間で32人の方が退院されました。そのうち、悪くなった方はともかくとして、自宅に帰られた方、それから、変わらなくて、そのままある程度コントロールできるよというので、ほかの施設に移られた方に分けてあります。 このような方々をどのように見ていたか。問題行動というものは、ご本人がどのような行動をするかといいますと、周りに迷惑を掛ける行動をすることを問題行動だと思っています。それが、薬かな、周りの対応かな、もしかしたらホルモンのバランスが悪かったから、ビタミンが少なかったからと、いろいろな原因が考えられます。 それから、ちょっとあおりすぎたかな、というのがあるのです。入院されていたうちのお一人で、全く目が見えなくて耳が聞こえない方が、自宅で生活していたときに、ヘルパーさんが来られていて、少し引きずるような感じだというので病院に連れていかれた。CTを撮って、頭のCTです。つい最近、新聞にも載りましたけれども、日本はすぐにCTを撮りますから。結果、小さな梗塞があって、「これは脳梗塞だ!」というので、2週間絶対安静で点滴を行ったのです。全然説明を受けていないので、本人は何がおきているか分からないのです。それで「何だ!」ということで暴れたのです。 この方に関して、当院で何をしたかといいますと、やはりこの人は、痴呆ではないのだというように考えて、看護師さんと介護の方々に、「無理強いしないで、ご本人の環境を設定しましょう」という話をしました。そうすると、今はこの方は個室なのですが、自立されているのです。何の問題もなく。あとは薬を減らすとか、レジュメに書いてあるようなことをやります。 メイヨー・クリニックという所では、内科の先生の1年目、2年目の研修医の時に、絶対やらなければいけないことがあります。そのクリニックにあったマニュアルがここにあります。これを見てください。たくさん字があって遠くからは見えないと思いますが。 目的のない行動は何か。それはこのような原因がありますよ。抵抗されていることが何かありますよ、このように全部原因があります。次もそうです。同じように、問題が何かありますよ、ということになります。 薬が、これに書いてあります。少し違いますが、このようなことがあるので、薬というものは怖いものだということを、看護、介護、そしてご家族にもすべて分かっていただきながら、全部それを吟味していかないといけないというようにしています。これは、ある教科書なのですが、外来のお医者さんが気を付けなければいけないという、そのような内容です。その中で、このように書いてあります。だから、今、うちの病院では、「薬を見たら毒と思え」というように言っております。 まとめますと、原因だとか誘因を分析する。つまり、この方がどのようにものをとらえているのかというようなことを見て、そしてその人の行動パターンから混乱を避けるようにし、歩くことに対してこの人は危険性がないと判断したら――どちらにしろ歩く方は歩いてしまいますから――、歩けたときに何が危ないかということを、われわれが認知して対応するような空間を保障するようにしていくということです。 それで、先ほどから申している日常生活というのは何か、ということをよく考えていただきたい。とにかく大事なのは、一緒に住む方によく分かっていただきたいということなのです。 これで終わりますが、思い出してください。先程の横向きの女性の絵がどのように見えていたか。以上です。ありがとうございました。 |
司会 齊藤正身 |
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どうもありがとうございました。 今のお話に関することが、あとできっと出てくると思うのですが、痴呆の方、歩けない状態の方で痴呆の方にリハビリテーションをすると、歩けるようになってしまいます。それは歩いてもらうのがいいわけなのですが、なかなかそうはいかないような事情もあったりして、わたしたち病院をやっている者の中でも、いつも悩むところであります。動けば動くほど介護量が増えてくる場合もあります。 ですから、そのような意味で、しっかりとした診断をつけて、こうなのだという統一した見解を持つということがきっと大事なのだろうなと痛感いたしました。 |