老人の専門医療を考える会 - 全国シンポジウム - 内容
第25回 自分が入りたい老人病院(PartU)

平成15年2月15日 大手町サンケイプラザ

13:30 開会挨拶 平井基陽 老人の専門医療を考える会事務局長
13:40 特別講演「機能評価からみた日本の老人病院像」
   大塚宣夫 老人の専門医療を考える会会長
 講演資料(PDF:105KB)
14:10 基調講演T 奥川幸子 対人援助職トレーナー  
基調講演U 高野喜久雄 総泉病院院長  
基調講演V 藤井功 福山記念病院理事長  
基調講演W 涌波淳子 北中城若松病院院長  講演資料(PDF:159KB)
15:30 シンポジウム
シンポジスト:大塚宣夫、奥川幸子、高野喜久雄、藤井功、涌波淳子 
座長:平井基陽 秋津鴻池病院理事長
 
16:55 閉会挨拶 松川フレディ 老人の専門医療を考える会副会長
17:00 終 了
 
開会挨拶 平井基陽 老人の専門医療を考える会会長

皆様、こんにちは。今日は土曜日の午後ですのに、私どものシンポジウムにたくさんおいでくださいまして、ありがとうございます。私は、「老人の専門医療を考える会」の事務局長を仰せつかっております奈良県の秋津鴻池病院の平井と申します。よろしくお願いいたします。本日は進行のほうを務めさせていただきます。

私ども「老人の専門医療を考える会」といいますのは、昭和58年に老人医療あるいはお年寄りの医療に対して、少しでもいい医療を確立しようという考えのもとに、当時数名の医師が集まって結成させていただいた会でございます。ちょうど今年で、20年を迎えます。

結成以来いろいろな活動をさせていただいているわけですけれども、現在会員の数は56施設、非常に小さな集団でございます。それぞれ手弁当を持ち寄って、高齢者医療に対して、志を高く持っていると自負しております医師の集団であります。その私どもの活動の一環として、全国シンポジウムを開催しており、年によっては2度、3度の開催もございますが、結成20年目にあたり本日25回目のシンポジウムを開催させていただくことになりました。

このシンポジウムのタイトルでございますが、最初から「どうする老人医療これからの老人病院」というテーマで、毎年致しております。その中でも今回「自分が入りたい老人病院PartU」というふうに出ておりますけれども、実は昨年の2月に、今からすればPartTなのですが、同じタイトルで「自分が入りたい老人病院」というのをテーマに、全国シンポジウムを開催させていただきました。今年はメインテーマを何にするかということを会員同志で相談いたしましたが、やはり「自分が入りたい老人病院」という同じテーマでやらせてもらおうじゃないかということで、本日PartUという形で開かせていただきます。

それで今日は、パンフレット「老人病院のこともっと知ってください」と、「日本の老人病院」という小冊子を、皆様方のお手元の資料に入れてございます。実はこれはできたホヤホヤでございます。

それと、会の進行上ご協力いただくためのものとして、アンケート用紙がございます。このアンケート用紙は、第3部のシンポジウムのときの資料にさせていただきます。もちろんこの質問用紙になくても、ふと思いつかれた方は、その場でご質問あるいはご意見をいただいてけっこうですが、昨年のシンポジウムの皆様方からいただいたご感想やアンケート用紙の中に、「質問用紙があればもっといいのだけれども」というご意見がございましたので、今日はそういった意味で質問用紙を用意させていただきました。一応本日の予定では3時15分に第2部が終わりまして、休憩が少しございます。そのときに各講演者に対して質問等がありましたら、そこに書き込んで受付のところに置いていただきます。また、引き続いて私がシンポジウムの進行役を務めさせていただくことになっておりますので、それを参考にさせていただきたいと思っております。

それから毎回のことですが、アンケート用紙がもう1枚ございます。こちらのアンケート用紙のご意見は、また次回からの参考にさせていただけたらという、私どもからのお願いでございます。

それで、「自分が入りたい老人病院」というタイトルで、なぜ2回続けてやらせていただいているかということなのですが、一つは、先輩の人たちが言うには、先ほど申しました私どもの会が結成された58年というのは、まさに行き場を失った、どこにも行けない老人をお預かりするような施設、あるいは収容するような施設が老人病院という言葉で表現され、そこで老人医療が展開されたわけです。

また、このすぐ後に私どもの会長である大塚先生のほうから総合的な話があるとは思うのですが、20年経った今でも、老人病院とは何かということは意外と知られていないことが、最近になって分かってまいりました。これはマスコミの関係者の方と懇談しても、意外と言っては失礼なのですけれども、老人医療の現状あるいは私どもが提供しているサービスの内容というものがいいにつけ悪いにつけ正確には伝わっていないということもございます。

さらには20年前と比べまして、老人医療というのも非常に変わってきております。私ども実際に従事している者にとっても、老人病院というのは、一般的に申し上げれば、高齢者の方、慢性疾患をお持ちの高齢者の方の治療を主とする病院ということが言えると思うのですが、今や高齢社会を迎えて、多くの高齢者の医療に携わっているというのは全国どこの病院でもあるわけです。大学病院といえども、かなりの比率で高齢者、老人の方の医療にあたっております。

では、老人病院というふうに私どもは言ってまいりましたけれども、老人病院という実体は何かということで、「老人の専門医療を考える会」の事業の一つとして大塚会長が9年前から老人病院の機能評価というのを実施しております。今回は、その結果をふまえて皆さん方にご報告する、あるいはかっこいい言葉でいえば、情報開示というふうなこともいえるかと思います。ですから、これもまたお話があるかもしれないのですけれども、私どもにとって都合の悪い、あるいはあまりかっこよくないというようなことでも、あえてその結果を公表してあります。

この老人病院の機能評価に答える、あるいはその調査に応じるということ自体が、すでに前向きに医療に取り組んでいるということをぜひおくみいただきまして、そういった目でまたご批判等を仰ぎたいというふうに思っております。

今日はこの後、特別講演ということで「機能評価からみた日本の老人病院像」というテーマで、当会の会長の大塚先生から講演をいただきます。それに引き続きまして、例年のように基調講演、各先生方に講演をいただきます。その後、先ほど申し上げました休憩をいただいて、3時半から約1時間半にわたりまして、シンポジスト間の討議、あるいはといいますか、むしろそちらのほうが中心になると思うのですが、今日こうして会場にお越しくださいました、いろいろな医療関係者の方、マスコミの方、老人病院を実際に利用したい、あるいは現に介護していらっしゃる方もいらっしゃるかもしれませんが、そういう方々からいろいろなご意見を頂戴して、また明日からの私どもの活動の一助にしたいというふうに思っております。

3時間半と少し長くなるのですけれども、どうかお付き合いいただきまして、私どもにとっても皆さん方にとっても、実りのある半日になればと思っております。どうぞよろしくお願いいたします。これをもってご挨拶に代えさせていただきます。

引き続き大塚会長のほうから、会長としてのご挨拶も含めまして、講演のほうに移らせていただきます。よろしくお願いいたします。

特別講演「機能評価からみた日本の老人病院像」 大塚宣夫(老人の専門医療を考える会・会長)

皆さん、こんにちは。本日はようこそおいでくださいました。私は今日の主催者の代表という立場で会長を務めております。この会につきましては今、平井先生のほうからいろいろお話がありました。この会が結成されまして、まもなく20年になります。今までいろいろなことをやってきましたが、私たちがずっと考えてきましたのは、悪徳病院の代名詞のような存在であった老人病院のイメージを少しはよくしたいということでありました。

でも、発足から20年、去年の春だったと思いますけれども、日本の名だたるマスコミの医療担当者何人かにお集まりいただき、そこで老人病院につき意見交換をしました。その結果、あまりにも老人病院のことについてご存じないということがわかりました。そこで皆さんにもっと老人病院の実態や今どんなふうに運営されているのかということを、少しでもお知らせする方法につき、会で検討しました。

私どもの会には、老人病院の質を少しでもよくするために、老人病院でやっていることを毎年測定する指標として考え出した「老人病院機能評価マニュアル」というのがあります。平成5年よりそれによる調査を繰り返していたものですから、そこで得られたデータをまとめて、皆様方にお知らせするだけでも老人病院のイメージを変えていただけるのではないか、ということを思ったわけであります。

今日ご来場の皆様方には、受付でいくつかの資料をお渡しいたしました。その中につい最近できたばかりでありますが、「老人病院のことをもっと知ってください」というパンフレット、それから「日本の老人病院」という冊子が入っております。

このデータを集めるもとになった「老人病院機能評価マニュアル」というものがありますが、これは皆さんの中にはお渡ししてありません。もしご興味のある方がありましたら、後ほど事務局のほうに言ってくだされば、皆様のお手元にお届けすることも可能かと思います。これには私たちの会としてどんなことを考えて、どんなサービスをしようとしているのかということが詳しく書いてありますし、自分の病院はこの評価の項目でいえば、どの辺りに位置するかというようなことも、それぞれチェックができるような形になっております。

私に与えられました時間は30分でありますので、皆様方にお渡しした資料のごくごく一部を取り出して、その解説あるいは私の独断と偏見に満ちた解釈を申し上げたいと思っております。

まず最初に、皆さんにお渡ししました「日本の老人病院」、この冊子には日本の老人病院のうち調査に参加していただいた病院のプロフィール、あるいは今までに何回かやった調査の年次変化が書いてあります。そのデータの中からいくつか抜粋して、私が今日お話を申し上げますが、皆さんには後でじっくり見ていただきたいと思います。

例えば、32ページを見ていただきますと、食事の時間が書いてあります。病院の食事というと、だいたい夕ご飯がきわめて早い時間に出るというイメージでありますが、老人病院では、今や食事の開始がだいたい5時半過ぎである。また面会時間は、約半数は今や時間の制限なし。24時間365日いつでもOKという病院が、その調査に参加してくださった病院の約半数になるというようなことも、ここではいろいろ書いてあります。じっくりお読みいただきたいと思います。

それではいくつか抽出してお話を申し上げます。

まず、私が今日申し上げる老人病院の定義であります。日本には今、約130万床弱の、病院のベッドがあります。そのうち、いわゆる老人病院といわれるところに入っている患者様は約30万人弱といわれています。今日本では65歳以上の人を老人と定義しておりますが、この65歳以上の人が60%以上入っている病院を私たちは老人病院と定義しておりますが、一応その前提で話を進めたいと思います。

このような定義に当てはまる病院というのは、全国で約2,000病院ぐらいあろうかと思います。私たちは今回、当会および老人病院の団体に所属している524病院を対象に老人病院機能評価を中心としたアンケートを取りました。それぞれ自分の思う項目に印をつけ、あるいは各病院の実態についてデータの記入をお願いし、それを集計したものであります。

実際に回答がありましたのは、この524病院のうちの186病院。回収率という点でいえば全体の35%。もうちょっといえば2,000病院の約10%足らずではあります。この186病院は、以前からかなり志が高く、いろいろな努力をしてきた病院という位置付けでとらえていただければよいと思います。

この評価は500点が満点となるよう作られています。今回の調査に参加してくださった病院の点数だけを見ていますと、いちばん高いところで500点満点中471点、いちばん点数の低いところでは200点ぐらいだったと思います。こんな大きなバラつきがあっても、全体として見れば、全体の70%、353.0点というのが平均点でした。

まず、参加してくださった病院がどんなプロフィールであるかということに限ってお話をしたいと思います。

(スライド)規模からいいますと、200床前後の病院が多いということであります。500床を超えるような病院も9病院ありました。

(スライド)ただ、一口に老人病院、先ほど申し上げました65歳以上の人が60%以上入っているというくくりで見ても、病院の運営されている形態、あるいは医療保険からの支払い、あるいは介護保険からの支払いの区分を見ただけで、全部でなんと12種類もあります。

今、医療保険からの支払いを受けるか、介護保険からの支払いを受けるかは、病院側の選択に任されております。今回の調査に参加した病院の総ベッド数は35,455ベッド、その約半数が医療保険からの支払いを受けており、残りの半数が介護保険からの支払いを受けているという状況でありました。医療保険からの老人病院に対する支払いをどんどん締めつけようという流れの中で、今後は介護保険からの支払いを受ける病院が急速に増えていくだろうと思います。

(スライド)次は、老人病院にはどのような職種がどれぐらい働いているかということであります。ここに医師、看護職員、あるいは介護職員、いろいろな職種が書いてあります。いちばん下にはそのおまけとして、夜勤はだいたいどれぐらいの体制でやっているか、ということです。この職員数というのは、患者様100人に対してどれぐらいの人員が配置されているかということを示したものであります。また、一つの病棟というのはだいたい50人前後で運営されていますので、ここに書かれている数というのは、2病棟分の職員数というふうにいってもいいかもしれません。看護職員は24.6人、介護職員は30.5人とありますが、実際1病棟という単位で見た場合には、この55人の半数が一つの病棟に看護・介護職員として配置されている計算になります。

夜勤体制は、100人で6人、1病棟50人態勢であれば夜勤は3人でやっているというのが標準的なものです。また、50人の病棟で日勤帯にいる看護・介護の職員というのは、標準的にはだいたい18〜19名です。だいたい2.7〜2.8人の患者様に1人の看護・介護職員が配置されているというのが、私たちの今回の調査の結果であります。

医師数は、100人に4.3人。平均的な老人病院の規模としてはだいたい入院患者数が190〜200人ぐらいですから、この数からいえば8.6人が医師として配置されているということです。

(スライド)これは先ほど申し上げましたけれども、一つの病棟というのはだいたい50人ぐらいで構成されているということを示しております。中にはもっと小さい病棟規模で運営されているところもありますし、60人を超えるようなところも少しはありますが、一般的には行政からの指導で、60人以下で運営をするようにということになっていると思います。

(スライド)これはさっき申し上げました1病棟50人とすれば、3名で夜勤をしている体制ということです。

(スライド)今度は、患者様の年齢です。私たちは必ずしも65歳以上の人しか受け入れられないというわけではありません。65歳未満の方も10%足らず、中には40歳代の人もおられます。全体としては、調査の結果からは平均年齢は80.5歳となっています。しかしながら、数は少ないのですが、その40歳代あるいは50歳代前半の人が実際の平均年齢を引き下げる役割をしておりますので、私たちの感覚からすれば、老人病院の平均的な患者様の年齢は82〜83歳というところではないかと思います。

ちなみに、75歳以上の人は全体の4分の3を占めていますし、85歳以上は全体の4割、それから100歳以上の人もだいたい1%はおられるという結果です。

(スライド)よく老人病院は社会的入院といわれる人たちをたくさん抱えて、入院期間が長いといわれます。またもう一方では、老人病院に入ると3か月だとか6か月で出されてしまって、また次のところを探さなければいけないという話をよく聞きます。今回調査に答えてくださった病院の平均的な入院期間は、ちょうど1年という結果が出ました。

ちなみに、ほかの老人施設、今、介護保険がスタートした後、名前が変わっておりますけれども、皆さんになじみのある名前でいえば、老人保健施設と特別養護老人ホームとの比較をしますと、平均の入所期間がいちばん長いのは特別養護老人ホームで3.8年。それに対して老人保健施設というのは、自宅に帰すのを目的とした施設として作られたという経緯がありますので、だいたい半年ぐらいという結果が出ております。老人病院の入院期間は老人保健施設よりも長く、特別養護老人ホームよりも短いという位置付けであります。

(スライド)これは入院に至る経路であります。老人病院に来るルートとしていちばん多いのは、なんといっても医療機関からであります。老人病院は、もともとはいわゆる急性期病院、あるいは一般病院の下請け的な存在としてスタートしたようです。一般病院というのは、病気だとか障害を持った人に対して集中的に医療的な対応をして、それが一段落したらすぐ自分たちのベッドを空けて、次の患者様を受け入れないと、経営的には成り立たないという仕組みの中にあります。そんなことで、ベッドを空けようと思えば、ともかく送る先が必要だ。それで登場したのが老人病院です。その歴史的な経緯から考えれば、医療機関から送られてくるのが3分の2以上を占めているのは当然のことであります。

しかし、そのほかにご家庭から来られる方が約20%。それから老人保健施設だとか特別養護老人ホームといったところから、医療的な対応が必要になったからという理由で送られてくるのも、約10%足らずあるということを示しております。

(スライド)それでは私たちのところから退院するときはどんな状況か。約4人に1人は死亡退院という形をとっておられることが分かります。また、他の福祉施設、先ほど言いました特別養護老人ホームあるいは老人保健施設への退院も、両方合わせて16%ぐらいになります。それから他の医療機関への退院、もっと重度の医療的な対応が必要、例えば手術が必要だからこういうところへ送るといったようなケースもあるでしょう。中には、あまり長期間受け入れたくないということで、よその老人病院へ転院を頼むようなケースもひょっとすると含まれているかもしれません。しかしながら退院先としていちばん多いのは、なんといってもご家庭に戻るというケースであり、全体の4割を占めます。

(スライド)今度は、入っておられる患者様の状態像。寝たきり度、反対側からみると自立度についてです。これは自立、準寝たきり、そして寝たきりのランクB、Cというのがあります。なんといっても多いのは完全な寝たきり。介助なしには生活ができない人たちが多いということです。

(スライド)もう一つは、老人病院には痴呆を持ったお年寄りというのもたくさん入っておられます。痴呆の有無あるいはその程度に焦点を合わせて、患者様の状態を見てみますと、痴呆の全くない人は全体の12〜13%です。T、U、V、Wとだんだん重くなってきて、このMというのは、痴呆としては最も手のかかるたぐいの人たちで全体の1割程度はいるということであります。

(スライド)介護保険のスタートとともに、私どものような施設に入ろうとしますと、要介護度、つまり、自立、要支援、要介護1、2、3、4、5と、全部で7段階の介護度の判定をすることになっております。今回の調査は、介護保険からの支払いを受けているベッドについてだけ調査したものであります。なんといってもいちばん多いのは要介護度5。これが4割以上を占めております。4、5を合わせますと全体の70%。介護度としては非常に高いということを意味しております。

(スライド)そこで、先ほどから比較対照しております特別養護老人ホームあるいは老人保健施設、それぞれの施設での要介護度の区分はどうなっているかであります。ここで目立つのは、老人病院には要介護度5の人が飛び抜けて多いということであります。これは当然のことで、要介護度の高い人は病気を併発している例も多いし、病気であるがゆえに要介護度が高くなっているケースも多いわけです。要介護度という点から見ても老人病院はかなり手のかかる人たちを中心に受け入れているということがお分かりいただけると思います。

(スライド)食事の自立度という点からいうと、意外に多いのは自力で食事ができる人で、この方々が半分ぐらいいます。その一方で、口からは食事をとることができないという人たちが約2割おります。こういう人たちには、鼻からチューブを入れる、あるいは最近多いのは、胃、腸に直接穴をあけたりして、そこに栄養分を流し込むことが行われるようになりました。かつては老人病院といえば、食事のできる人でも点滴をして、ひどい病院だということでありましたから、最近はずいぶんその様相が違ってきたということであります。

(スライド)排泄についても、常時オムツを使う、あるいは一時的にしろオムツを使う、この人たちを合わせてだいたい7割というのが、私たちの常識的な感覚であります。そのほかに、尿留置カテーテルといって、膀胱の中に直接管を入れて、そこからの排泄を受けているような人が、1割足らずいます。

(スライド)それでは、本当に大変な重症患者、つまり植物状態であったり、気管切開をうけ呼吸の管理をしている人たちをどれぐらい受け入れているのかであります。全体から見ますと、約6.3%ということですが、こういう患者様が3割以上という病院もあります。またその一方で3%未満、あるいはもう少し多めにとって5%未満、こういうような病院も約半数にのぼり、各病院によってかなりバラつきがあるということです。

(スライド)皆さんが老人病院というと、すぐ床ずれを作ってしまうというイメージを持っておられるかもしれませんが、私たちが新規の入院患者様を受け入れるときには、その入院患者の約6%の人に褥瘡があります。しかしながらこれも、褥瘡を持った患者様の受け入れ比率の低いところから、20%以上の人が褥瘡を持って入ってくるといったようなところまで、バラつきが多うございます。

(スライド)お預かりしている全患者のうち、褥瘡のある患者は約8%です。これは入院した後、新たに褥瘡が発生する人もいれば、治る人もいるという意味ですが、それらを全部ひっくるめてある時点で、どれぐらいの患者さんが褥瘡を持っているかという数字です。ということは、さっき褥瘡を持って入院した人が、ずっと褥瘡が治らないでいたとしても6%で推移するわけですから、病院に入ってから褥瘡ができる人がけっこういるということも意味しているのです。

個人的には、われわれは褥瘡の対応のプロという位置付けからしますと、病院の努力が足りないということです。特に最近は褥瘡を治すための新しい技術がたくさん開発されておりまして、それらを駆使すれば、この水準は少なくとも半分ぐらいには減らせるのではないかとすら思っております。

(スライド)数年前に身体拘束の禁止、つまり、病院でベッドにくくりつけるのはけしからんというキャンペーンが行われました。しかしながら、今もって、身体的な拘束を全くやらないという病院は全体の3分の1弱、ほんの限られたケースだけしかやらないというのが全体の3分の1程度ある一方で、5%以上の人に対して身体拘束をしているといった病院も60病院、全体の3分の1もあります。このようにグラフ化した場合に両極化するというのは、病院の取り組み姿勢を表している事項であるといってもいいわけです。

(スライド)病院には骨折の発生というのはつきものであります。といいますのは、お年寄りはバランスをとる能力が低下していることに加えて、骨が非常にもろくなっているため、ちょっとしたことで転倒骨折が発生します。私たちの今回の調査でも、各病院のベッド数に対する年間の骨折の発生数という指標から見ますと、3.3%という結果が出ました。だいたい100床のベッドがあると、3〜4人ぐらいの骨折が発生するということになります。

この骨折の多寡は、そのまま単に病院の質という理解にはなりません。といいますのは、骨折をゼロにしようとするならば、患者様を一切歩かせないようにする、あるいは全員寝たきりにしてしまえば、そこでは骨折は起きないわけです。患者様をできるだけ自由にし、しかも運動能力を高めて、自分で移動ができるようにすれば、当然そこには転倒が発生します。転倒が30件もあれば、そのうちの1件は必ず骨折に至るということですから、この骨折の発生率というのは少なければ少ないほどいいというものでもありません。

しかしながら、一方で骨折をさせないようないろいろな工夫をする余地も十分にあります。両者の綱引きという点からすれば、この3.3%、100人のベッドに対して年間で3〜4名の骨折の発生というのは、そんなに非難されるべき数字ではないというのが私の個人的な感想であります。

(スライド)昔からよく、寝るところと食事をするところは別々にしなさいといわれてきました。今回の結果で入院者の60%以上が3食ともベッドで摂取する病院となると、取り組みに問題があるか、よほど特殊な状態の患者を受け入れているといったほうがいいのかもしれません。

(スライド)日中に着替えをさせるというのが、最近の老人施設の一つの流れであります。ここでも両極化しているグラフの形からは、病院によって積極的に取り組んでいるところとそうでないところがあるということを意味しております。

(スライド)最後、これは、私どもとしては今回の目玉ともいうべきデータですが、職員自身に自分の病院に入りたいかどうかをたずねました。その結果、ぜひ入院させたいという人が3割、その対極にある絶対入院させたくないという人が約7%いるということが分かりました。

皆さんがこの数字をいかにお読みになるかは、私たちとしても非常に興味の       あるところであります。何年か前に、かなり有名な病院も含めて、職員の意識調査をしたところ、7割の看護職員が自分の病院には入れたくないと答えたというのです。それとくらべると決していい数字ではありませんけれども、そう悪い数字でもないような気がいたします。一般企業でも自分の会社の株を買うかといわれると、現在の値段ではとても買う気がしないという人が7割以上あるそうですから、だいたい自分のところというのは厳しく見るものだということかもしれません。

(スライド)次のデータは今回の機能評価での得点と、「ぜひ入院させたい」と思っている職員の比率の関係を見たものです。すると、得点が高い病院ほど、入院させたいと思う職員の比率が高くなっていることが分かります。

(スライド)これは、「あまり入院させたくない」あるいは「絶対入院させたくない」という比率についても、その比率が高くなればなるほど点数も低くなっているということが分かります。つまり私たちが今まで何回かにわたってやってきた病院の機能評価というのは、それなりに妥当性のあるものだということがお分かりいただけるかと思います。

あとのことにつきましては、また皆さんとの討論の中でいろいろお話をさせていただきたいと思います。長時間ご清聴ありがとうございました。
基調講演T 奥川幸子(対人援助職トレーナー)

平井

大塚先生、どうもありがとうございました。それではシンポジウムに入りたいと思います。まず4人の先生方に基調講演ということで、自分の思うところを述べていただきたいと思います。

各講師のプロフィールにつきましては資料をご覧下さい。それから奥川先生以外の高野先生、藤井先生、涌波先生は当「老人の専門医療を考える会」の会員でございますので、病院のプロフィールをつけてございます。それぞれの発表の中でまた出てくるかと思いますが、時間もあまりございませんので、細かいところは省かせていただきます。

それでは奥川先生のほうからよろしくお願いいたします。

奥川

はじめまして、奥川です。私は1972年、この「老人の専門医療を考える会」ができる約10年前の昭和47年から、高齢患者さんやご家族の方の医療機関での相談援助専門職、医療ソーシャルワーカーとして老人医療の場に身を置いて、ずっとご相談を受けてきました。

本日皆様のお手元にあります「日本の老人病院」の2ページですが、「老人病院の歴史」の「1.要介護高齢者の受け入れ先」のところでも記載がありますように、30年前になりますが、要介護状態にあって、家庭で療養できない、または暮らせない高齢者を受け入れてくれる施設の一つとして、当時はまだ老人病院という名前ではありませんでしたが、一般の病院でお年寄りを引き受けてくれる病院というのがありました。それが登場し始めたころから、私は仕事として今日のような老人病院に至るまで、深くかかわらせていただいてきたことになります。

先ほど大塚先生からもお話がありましたように、当時はまだ、老人病院というのは正規にはありませんで、1983年に施行された老人保健法以降、老人病院というものが規定されてきたことになります。1972年からの私の老人病院との関係での職業的な立場は、老人患者をもっぱら受け入れてくれる一般の病院が非常に劣悪で、なおかつ悪徳だと言われていた状況の下で、この本にも書かれているような、非常に際どい状況にあったころからのかかわりということになります。

当時は、高齢になって、急性期に近い医療を終了した後に、高度な医学的管理が必要だとか、あるいはその依存度が高くても、現在のように在宅、地域での、いわゆる訪問医療や訪問看護であるとか、ホームヘルパーであるとか、そういうものが一般の方たちのところに行き届くような状況にはありませんでした。そのような高齢者がそれからの人生を「どこで、だれと、どのようにして過ごしていくか、つまりどのように生き抜いていくか」、高齢になってからのサバイバルということですが、そういうところで、高齢者ご本人はもとより、ご家族や親しい方たちとご一緒に考えていくプロセスの中で、老人病院――いわゆる老人を引き受けてくれる病院は、「どこで」の選択と決定に際して、私の仕事上非常に重要な位置を占めていました。

ご相談にあずかる高齢者の方、特に後期の高齢者、つまり自分が老いて病んで、そして障害を持ったまま、または慢性疾患を持ったまま、これから生きていかなくてはならない方は、「どこで」といったときに、必ずしも家庭に帰れる方ばかりではございません。そういう中で選択肢の一つとして、特別養護老人ホームというのが当時ございましたが、ここにも書かれていますように、そう簡単に入れませんでしたし、“待ち”の期間も長かったのです。それは現在も同じですが、そのような中で老人病院は、とても大切で重要な位置を占めている施設でした。

この「どこで」は、具体的にはそんなに複雑ではなく、もともと住んでいた家に帰るのか、またはケアが要介護の状態になったので、自分のお子さんとか親戚、いわゆるご家族のところに、今までの家から移って、そこでお世話をしてもらうのか、または施設ということで、行き先の選択肢は非常にはっきりしていたのです。この施設の中に各種老人ホームと老人を受け入れてくれる病院が該当していたわけです。時代が移るにつれて、その選択肢には老人保健施設やケアハウス、グループホームなどが加わってきているのが、これまでの状況になります。

私が相談の場で出会った、ご自宅やご家族のいる家に戻れない状況にある高齢者の方たちが、どの老人病院に入れてもらえるのか、あるいは入りたいのか。今日のテーマとかかわってくるわけですが、それを決定するためには、それぞれの老人を受け入れてくれる、そのような病院がどのような考え方で医療とかリハビリテーションとか、看護や介護のサービスを提供してくれるのかということについての情報収集と吟味、つまり査定が必要です。僭越ながら見積もりをさせていただかないといけない。それが職業でしたので、なるべく適切な情報提供をするために、こういうのを<情報サポート>といいますが――老人病院とは仕事上切っても切れない関係にありました。

老人病院は、老いて病んで亡くなるまでの間に医療的なケアが必要な高齢者、または高齢でなくても重度の障害者にとっては絶対に必要な存在でした。ですから私は常に「ここしか入れてもらうところはない」「ここしかあなたが行くところがない」というのではなくて、昔の老人病院は非常に悪名が高かったですから、「ここしかない」「ええ!?」とかいうことではなくて、「あなたにとってこの老人病院はこのようなお世話をしてくれる」「あなたのこういうような要求(ニーズ)やお世話が必要かということに対しては、この病院だったら、こういうふうにしてくれる」というような、ご家族も含めてのご希望や要求を満たしてくれる選択肢を提示できるように、私は常からいろいろな老人病院の特徴とかサービス提供能力を吟味させていただいていたわけです。それも、全部が全部ではないのですが、私が相談援助職という高齢者のご相談を承るうえで、非常に大事な、基盤を支える、下支えになる作業だったのです。

すべての高齢者が、病弱になって、日常生活とか体の世話を自分でできなくなってから死ぬまでの期間、自分の城ともいえる家で過ごせる状況にはありませんでした。それは30年前から、これまでもずっとそうでしたし、この後また個人的なことも含めて申し上げますが、制度が変わらない限り、これからはますますそうなると思います。日本の介護保険制度とか医療保険制度とかさまざまなものが変わらない限り、ますますその傾向が強くなるのだろうと思うのです。

先ほど大塚先生も「悪徳病院とか何とかかんとか、非常に評判が悪かったようです」というふうにおっしゃっておられましたが、私が働き始めた当初から、社会では高齢者を入院させてくださる病院に対して、あるいは私の仲間、いわゆる相談職、MSW(医療ソーシャルワーカー)からも「必要悪」と言われて、私は非常にショックでした。「必要悪ということはないだろう。必要だからあるのだろう」というような思いを抱いて、「そういう言い方で日本の老い、いわゆる老後をごまかしちゃいかん」というふうに義憤も感じたりしておりまして、非常に憤りを持っていました。「必要悪」という言い方で、くさい物にふたをしているというのはいけない、それを糾弾すればいいというものではない、それを作っているのが私たちではないかということですね。

もちろんこれまでの老人病院のあり方の歴史を振り返れば、時代とともに非常に需要が大きくなることはあっても、いまだにこの30年間供給過剰にはなっておりませんから、要するに余っていないということです。いつも足りない。特別養護老人ホームもそうですが、評判のよい病院と悪い病院の評価が出てきたのはよかったと思っています。評判のいいところはどんどん評判がよくなるし、悪いところは悪い。

でも、供給過剰ではないので、よほどのことがなければ、理事長や病院長などの経営者があまりがんばらなくてもつぶれません。ですから、しっかりとした理念を持ってがんばっている老人病院の足を引っ張って、老人病院全体の社会的評価をおとしめているというような現象はいまだに見られます。

ですが、これは施設を始め、在宅医療の訪問をしてくれるなど、さまざまな高齢者に対する保健医療福祉サービス全体にいえることですが、現在も需要供給バランスから見て、努力とか工夫をしていなくてもどこも満杯です。事業者の中では、介護保険施行以後確かに縮小しているところもありますが、まだまだ消費者のほうが弱いというのが私の実感です。

ですから余計、この「老人の専門医療を考える会」とか、もう一つの介護療養型医療施設連絡協議会、組織率はかなり低いですが、こういうようなまっとうに老人医療に専心してこられた先生方には、私は勝手ながら過去20年以上同志的な感覚を抱いてきました。

現在の私は、この6年間、職業的な対人援助職者に対するスーパービジョンというトレーニング、一人前の援助職者になれるような訓練を専門に仕事をしています。相手は、高齢者やそのご家族から援助職者に主として変わりました。ソーシャルワーカーとか相談援助職、私のような仕事をしているソーシャルワーカーや、ケアマネジャーとか、訪問看護ステーションの訪問看護師さんとか、ホームヘルパーさんなど、ほかにもたくさんの職種がおいでですが、サービスを実際に提供されている方が私のトレーニング、いわゆる専門職としての地力を上げていくためのサポートの対象ですから、彼らの実践を通して今の高齢者とか障害者の現場を間接的に触れさせていただいています。また、今現在でも直接高齢者のご相談にもあずかっております。

本日の私は、個人的には3週間前に84歳の父を、どういうわけか、これだけ老人病院と親しく深くかかわってきたにもかかわらず、自宅で看取りました。それで、ちょっと疲労困ぱい気味で、魂を抜かれてしまったような時期が、死ぬ前、それからその後に相当ありましたので、今日ここでちゃんとお話しできるかどうか不安で、珍しく完成原稿を書いてきたぐらいです。いつもはライブでやれるのですが。それからビジュアルな用意はできませんでしたことをお詫びします。

これだけ老人病院と深くかかわってきた私が、父を病院にお願いしないで、なぜ家で看取ったのか。またその間、老人病院や訪問医療などのいわゆる高齢者の医療にずっと身を置いていたのですが、実際に何を求めたいと感じていたか。これは職業的にも思うことはありましたが、1人の娘として、両親を見送れば今度は私の番になります。もし職業人である私が老人病院に、ある時期または終末期に入りたいならば何を求めるのか。今回は職業人である私に加えて、奥川幸子個人として、魂のレベルで思うことなども含めてお話したいと思います。亡くなった父がときどきまだ「あっ、霊界から来るのか」という感じで、夜ベルが鳴ったりとか、電話がチンなんていうと、「これはまだいるんだ」というような状況の中におりますので、なるべく混乱しないように、両方の立場から申し述べさせていただきます。

ちなみに私は昭和22年生まれですが、30年生まれの妹まで4人兄弟がすべて自宅で生まれて、つまりお産婆さんの手で取り上げられています。そして両親を自宅で見送った最後の世代になるのだろうと思います。自分のうちで生まれて、そして自分のうちで親を看取ってと、母も家で20年前に看取っておりますので、どういうわけか在宅ケアというか、自宅で見送るのに縁が深かったのです。

先ほども申し上げましたように、現在の介護保険制度や医療保険制度、医療機関のあり方や利用の仕方が大幅に変わらない限り、私たちの世代は、これから申し上げさせていただく私の父のような在宅療養は受けられないと思っています。ですから余計に、いわゆる医療施設に対してまたは医療機関に対して切実な希望があるわけです。

父のことをあまり申し上げる時間はないのですが、私の父は84歳で亡くなるまでの間、非常に勤勉で、院号、戒名にも勤勉さをつけていただいているぐらい、まじめな人でした。小さいころから父親がいなくて、4人兄弟の末っ子で、苦労して、自力で勉強して、会社である程度の地位を得た人です。また戦地で手りゅう弾を浴びて、片目も失っていまして、それを私たち子どもにはあまり感じさせない人でした。そういうこととは関係なく仕事をきちっとやっていました。戦後すぐ、ストマイがちょうど発見される時期に結核にもなって、自宅療養していましたし、その父を見ながら私は育ったわけです。その後遺症のストマイ難聴も持っていたり、非常に自分の体の自己管理をきちっと徹底してやっていたなというのが私の幼少時の思い出ですが、そのわりにはかなりの激務をこなしていたと思います。逆にそういう人ですから、余計に介護する側、世話をする側はとても大変でした。逆にね、そういう人だから。

父は64歳まで勤勉に働き続けて、その間自分の妻、私の母を自宅で看取っています。その後の20年間は呼吸器疾患、つまり肺気腫、慢性閉塞性の肺疾患がありました。7年前に在宅酸素療法、つまり自宅に酸素を置いて、外で酸素ボンベを引っ張ってという生活に入ったのですが、勤勉さで1日1万歩歩いていましたし、その前は自転車で運動していました。筋力は死ぬ最後まで落ちませんでしたから、「ああ、すごいな」と思いました。

そうやって1万歩歩いていて、いよいよ苦しくなったら家の中で5,000歩歩いていましたから、「ああ、すごい、すごい」と。苦しくてもだるくてもどうしようもなくても、最後まで、死ぬ直前までちゃんと自分で起き上がれていました。死ぬ直前まで便器に座り、端座位、いわゆるベッドの脇に座ることもできました。オムツがとても嫌で、トイレにも自分で行きました。その代わり汚します。それは全部、家族が掃除していたのですが、そういうふうに筋力は最後まで落ちませんでした。

歯の手入れもとてもよくて、自分の歯がいっぱいあって、15分磨いていました。その洗面介助、いわゆる整容介助に15分も付き合っているのは、すごくイライラするというか、歯磨きするのに15分というのは大変で、何かほかのことをしていないと、という気持ちでした。私は専門職ですが、介護はとても下手でしたから、イライラ、イライラするわけです。そのような父でした。

圧迫骨折も2個所、背骨にしています。そういう中で4年前から慢性腎不全が入って、心不全が入って、それでいわゆる呼吸器疾患の末期状態に入ったわけです。4年間よく生きていたなと思いますが、在宅医療に入ったのはこの1 年です。

そういう中で、私たちはなぜ在宅医療を選んだかということになります。いよいよ通院できなくなり、訪問医療に切り替えるための検査目的で急性期の医療機関に入っていたのですが、12日間でもう床ずれができそうになっていました。ベッドから動かないのです。治す医療ですから「透析をやりませんか」とか「人工呼吸器をやってみませんか、炭酸ガスを排出するように」とかいろいろ試されるわけです。塩分は5グラム、ほとんど味がない。それから水は、食事以外は500ccにしてくださいということで、全ての提案を父は拒否して、「いつうちに連れて帰ってくれるんだ。いつうちに連れて行くんだ」と毎日責めるわけです。これは去年の4月ですが、家に帰って、入浴の介助をしたときに、床ずれがもうできそうになっていたというのには、ちょっと私もびっくりしました。

だから急性期の医療機関にはケアはないですね。清拭も1回もやってもらっていないですし、家族が行って全部やらないと何もできない。これは高齢者にはつらい実態だと思います。治療のほうに目が行って、体のケアは一切やってもらえない。だから私が行くといつも洗面、歯磨き、それから「何とかをしてくれ」「何とかをしてくれ」とほとんど身体介護でした。

家に帰りたいというのが希望でしたから、そこからがその人らしさをどうするかということになりますが、私も仕事でめいっぱい予定が入っていましたので、妹もおりましたが、「お父さん、お金あるんだからちゃんと24時間つけましょう」とか「ヘルパーさん、付き添いさん、看護婦さんでもつけませんか」と提案しました。あと病院に入る方法。「いろいろな方法がありますよ、お父さんが快適に過ごすためには」というと、「おれをそんなだめな男扱いしないでくれ」と一言いわれたのです。「ああ、この人は」と自分の父に対して言うのはなんですが、だめな男扱いしないでくれと言われてしまうと、娘としては、最後まで厳しいものがありました。

だから、いわゆる大正7年生まれの男として生きてきて、男として結果的には死んでいったわけですが、本人の意識は父親ではなかったのです。ですから、そういう意味で非常に父親の男性性というか、そういうようなものをきちっと尊重するということ。あと、価値観とか、非常にスケベですし、父親の生活文化というのがいろいろあるのですが、そういうようなことも含めて。

それから他者に、看護婦さんにも遠慮してしまう。いい格好しいで、きれいにしていたい。だから病院に通うにも身支度に、呼吸が苦しいから、4時間かかるぐらいで、それで在宅医療に変えたぐらいです。

そしてトイレには行きたい。ウォシュレットでやりたい。ウォシュレットでやれば自分で排便コントロールができる。でも間に合わなくて汚す。それをずっと、今年の1月24日に息を引き取っているのですが、その何日か前までやっていました。その代わり汚すのです。

それから、自分が発明した排尿のバケツ。とにかく自立心が強いですから自分でやりたい。私から見ると耐えられないのですが、バケツにおちんちんを出してやろうとするわけです。「おいおい、しびんもあるじゃないか」と思うのですが、しびんではもう持つ手が震えてしまうのです。だけど、バケツだと絶対はずさないというか。それは自分でちゃんと発明しているわけです。それは、個人が、自分が自分で生活の工夫の中で発明したものですから、最後までそれは取り上げないで、お父さんが使うようにしてきました。

そういうような24時間、またはやはりその人の生活文化がありました。ぼろを着ている。「こんなの青梅慶友病院に入ったら耐えられない」という程使っていない下着とか、使っていない靴下などがいっぱい出てくるのですが、ぼろを自分で、片目で針を通して、84になっても継ぎはぎするのです。そうすると下着もぼろを着ているというか、でもそれも私たちは取り上げないで、父がやりたいようにしたのですが、そういう本人の価値観。男であるというアイデンティティーと価値観。

それからもう一つは、それを果たして病院が、老人病院だけではなくて、医療機関が終末期に、汚してもトイレに本人が行くのを見ていてくれるか。その後の掃除がすごく、臭いですし、大変です。そういうことが一つ。

これは、生活文化に合わせた個別性の問題ですね。オムツにしないでそういう汚いバケツを使わせてくれるか。オムツにおしっこをしたのは3回だけですから。便は1回だけ。浣腸をしてもらったときにオムツにしました。そのときも「垂れ流しになっちゃう、なっちゃう」と嘆いて、その次の日、もうその半日後に死んでしまいました。だからオムツというのは耐えられなかったのだろうなと思います。

もう一つは症状コントロールです。つまり緩和ケア。皆さん、緩和ケア病棟、ホスピスはお聞きになったことがあると思いますが、いわゆるもう亡くなる期間が決まっている、見通せるがんの患者さんとエイズの患者さんしか、日本の緩和ケアの医療の対象としては認められていません。

介護保険の対象は、痴呆の方とか、ある程度肢体不自由であるとか、そういうような方がなっています。うちの父は死ぬまで要支援でしたから、「おいおい、冗談じゃない」と思いました。具合が悪くなってから要介護4になったぐらいで、そういう状況の中で、高齢者でもまだ基礎体力のある、精神的にもADL的にも元気な人の慢性疾患の最終段階のいわゆる症状の緩和、手当において、とにかく最後は、1か月、身の置き所のないようなだるさでした。これはがんの末期と同じなのですが、もう置き所がないぐらい体が一定の位置に保てない。それと呼吸苦。「苦しい」と叫んでいましたから。そういうものを、私は24時間浴びていたわけです。

そうしますと、そういう中で本人の症状に合わせて、ある時期からピシッと本人や家族と相談しながら、状況に合わせて、インフォームドコンセントをしていくことが求められます。その状態をきちっと両者が共有して、認識し理解して、どういう治療をどういう方向で、「あなたはどうしたい」「意識を落としても苦しさを抜いてほしいか」、それでなければ「この苦しさが生きている何とかだから」、でも「少し落としたいか」とか、そういうようなことをしてほしかったのですが、在宅医療の医者でもできませんでしたので、私はちょっと歯がゆい思いをし、それだけが唯一うちの父には気の毒でした。

老人病院、療養型の医療施設が、個別的に生活文化の問題と、症状として苦しいというようなことについて実際問題として対応してほしい。または在宅医療をやっている先生たちがすべて高齢者の緩和ケアに対してベテランではないですから、若い先生は特にそうです。そうすると、そういう人たちと連携をして、ノウハウ、つまりそういうのを臨床の知といいますが、どうやって安らかに本人が望むように、または希望どおり、または苦しさを取って、がんの痛みだけではなくて、慢性疾患のそういうものをどうやってバックアップしていけるのか。

では先ほどそれぞれの職員の配置基準が出てきましたが、老人病院がそういうサービスを提供するためには、現状の配置の実態でできるのか。私はできないと思います。ですからそういう中で、今の症状の手当の仕方、そういうようなものがやはり高齢者にはまだまだ欠けているし、高齢者のケアといっても医療的なところのバックアップとかそういうものも含めてほしい。まだまだ必要で足りないということをすごく個人的には感じました。

私もこれから先、病院をたぶん利用するようになると思いますので、そういうときに自分の大事にしているもの、アイデンティティー、尊厳ですね、何をよりどころにして生きていくか、そこのところを職員に理解してもらって、なるべくそういうようなことを受け入れてもらえるような老人病院であってほしいと思っています。

現在の老人病院の実態については、またこの後のシンポジウムのところでお話をさせていただきたいと思います。ちょっと私的な部分も入ってしまいまして、時間もご迷惑をかけました。熱心に聴いていただいてありがとうございました。
基調講演U 高野喜久雄(総泉病院・院長)

ご紹介いただきました高野と申します。千葉県の市内ですけれども、端のほうで仕事をしております。皆さんの中でうちの病院を知っている方が何人かおられると思います。昔テレビで「若葉のころ」というのをキンキキッズがやりました。悪徳院長がパトカーで捕まった、そのロケをやった場所でありますので、そういうことで知っておられるだろうと思います。ちなみに最近では、ギバちゃんこと、柳葉敏郎さんが看護婦さんに見とれて池に落っこちる場面がテレビでやっております。あれはうちの裏庭で落っこちました。何を言いたいかというと、そのような環境で仕事をしているということを申し上げたかったわけであります。

今までの話を聴きますと、確かに病院や老人病院には暗いところがあり、いつ明るくなるのかと心配しているうちに、少し明るくなってきたかなというのが、最近の気持ちです。今まで、高齢者医療の現場というのを見られた方もおられるかもしれませんし、そうでない方もおられると思います。これから若干ビジュアルでお見せしようかと思います。

どうしてそんなに老人病院や医療が悪口を言われるのかということをちょっと考えてみたいのです。お時間の関係がございますので、ポンポンと飛ばすようなこともあるかもしれませんが。

かつてはヤブイチクアン先生が「ん、脈が。」などということを言って、こういう方に絶対の信頼をおいていたわけです。ところが、そのヤブイチクアン先生もおちおちできません。オランダが日本をねらっていて、長崎の出島というところで西洋医学とかいうものを作っていくわけです。ちなみに私の卒業した学校は順天堂なので、相当昔からこういうようなことを医史学の先生に聴いておりました。

この出島でやっていたのですが、これはある医史学に造詣の深い先生の本にもありますが、ここに来ていた医者は全部、軍医である。したがって「それ行け、やれ行け」と、ちょっと元気になったら、もう1ぺん戦場へという発想もあったかもしれないということで、徹底的な「痛みこらえよ、治療するから」というようなものであったと思われます。キュア、治すことが非常に重たく、ケアをするということはちょっと軽いというのでしょうか、「痛み、我慢せい!」というような感じがあったわけです。

そんなところで、次におきてきたことは、急性の病気や血が噴き出したりするのを止めるのはいいけれども、どうもそうでない病気もあるということです。先ほど大塚先生からもお話があったように、慢性の病気というのがあります。24時間痛いわけではないし、血が止まらぬというわけではないのです。そうすると、治療を受けている以外のときにいったい何をすればいいのだろうかということがございます。したがって、ケアのほうを少し考えていくと、キュアとケアのバランスということになってくるわけです。これからいくつかのスライドをお見せしますけれども、こんなことをやっていますということをまずお話ししたいと思います。うちの病院でやっている日常のことでございます。

本院ではお食事の選択メニューがございます。選択メニューというのは何種類かのうちから選んでいただくということです。好みのものを食べるということは必要であります。しかしだんだん体力が落ちる方、それから物が飲み込めなくなるという方を見ますと、嚥下ということが非常に問題になっております。そして、嚥下障害の先には一言でいうと、高齢者の栄養はどうあるべきかというような問題とつながります。おなかに管を入れたり、鼻にチューブを入れたりすることだけが最終的な答えなのか。あるいは、しなくて済むことができるのか。このへんは現在、検討すべき問題があるところです。今、胃瘻、胃瘻といって、おなかに穴をあけることがはやっておりますけれども、全員がおなかに穴をあけるわけではありませんので、果たしてそれがどうなるか、また栄養ということに注意したいところと思います。

それから転倒ということがございます。歳を取れば腰がだんだん曲がってきますけれども、現実問題、骨がつぶれてスカスカになっていくということです。そういうようなことがありますので、私の病院では3、4か月に1度、全員骨密度を測定いたします。3、4か月で骨密度が変わるわけではありませんが、いろいろなデータを開示するという意味、それからひとつ、デジタルだけれど、数字で出るのでということで、その中から特に危ない方の場合には、片足で立って揺れを見るという重心動揺解析も今ルーチン的に入れております。

また、他の施設とどこが違うかということは医者がおりますし、もちろん看護師さん、ヘルパーさんもおられます。コメディカルとしてレントゲン技師、臨床検査技師がおりますし、薬剤師、栄養士などがいるということで、皆がチーム医療として一生懸命やっているつもりでも、間違えてしまうということがございます。この対策としてリスク管理というのがでてまいります。本院でも二つのことを考えて、今やっております。

その一つは、ここのところにバーコードで患者様の名前を書いて出力するということ、それから、忙しい看護婦さんに、注射を朝「詰めろ、詰めろ」と言っても「疲れた、疲れた」と言われたり、「無理強いさせるから間違えるのだ」などと言われることもありますので、今一部は薬局で注射を詰めて、病棟のほうに払い出すというようなやり方をしております。

病棟に行きますと、患者さんのところにタグをつけてあります。点滴のバッグのバーコードと違っていると「違っているぞ」という信号が鳴るようにしております。

もう一個は、高齢者というと必ずリハビリテーションという言葉が出てまいります。リハビリテーションというのを間違えて、「リハーサルやってくれ」と言うお年寄りもおられて、「ちょっとなめてるのかな。なめられちゃったかな」と驚くことがありますが、リハビリという言葉は大変魅惑的な言葉です。

あるとき「やる気がない」、「面白くないから行きたくない」というので、「じゃあカラオケでもやろう」となりました。とにかくベッドからおこす、はなすということが大事です。カラオケのときに脳波を取って、その結果アルファ波が出たなどと言いましたら、NHKが取材に来たので、ちょっと何か話さなければいけないということであったのですが、確かにカラオケとかそういう類のものは寝たきりを防いだりして、いいことでもあります。声を出す、あるいは寝たままカラオケをやる人はあまりいませんから、体を起こすということがあって、いわゆる生理的効果があるということになります。起き上がって、何人かでやりますから、「あなたお上手ね」とかということを言ったりしているので、心理的というか社会的効果はあるなということですが、ここで実は気がついたことがございました。

そういうような場の中で、山田トラさんという方がおられれば、トラさんが古き歌を歌う。その時ケアをする人たちが、あの歌はうちのおばあちゃんが歌っていた、母親が歌っていた歌ではないかというふうに、その人の人生をかいま見るということがあるわけです。単に寝たきりの老人患者としては見ない。先輩として見ています。そこで敬愛の念が出て、その後のケアにも非常にいいなという感じがいたしました。ですから、非常につらいリハビリテーションもあるけれども、ソフトリハビリというと怒る先生もいるかもしれませんが、こういうものもけっこういいものではないだろうかというふうに思っております。維持期のリハビリというのは、この中に入っていくかどうかということになります。

高齢者のリハビリテーションというのは、ボディビルのように非常に積極的にやっていくというようなリハビリテーションもありますが、わが国の病院で普段やっているのは、そういうものも一部分ある。しかし高齢者のリハビリテーションは本来だったら、あるがままに無理せず楽しく、結果としてリハビリになるというものを多く入れていったらどうだろうかということを考えております。

ここにありますものはアクティビティーで、ちぎり絵などをやりますが、ちぎり絵も赤い和紙を渡して、「赤いところに貼れ」というのはだめなので、うちでは古い雑誌を持ってきまして、その中で赤いところを選んで、そしてそれを破っていただいて、貼るというようなやり方をしております。ちょっと一ひねりと経済的効果もねらっているわけですが。

はやりのガーデニングということもありますが、これも一生懸命やっています。ガーデニングも非常にいいです。人間の一番の欲望で、成果を楽しめるということですね。春先、だいたい5月の連休からトマトの苗を50個ぐらい買ってきます。ガーデニングというのは、やはり自分がどこかやらされているという感じではなくて、面倒を見ているという気持ちが出てくるのではないかということです。面倒を見てもらっているのではなくて、私も面倒を見る力があるのだということでよいのではないかと思っております。

昔のお菓子を作って、孫にあるいは子どもに作ったことを思い出すという意味でも、お菓子づくりなどは非常によろしいと思います。ここにおりますのは、痴呆の方です。痴呆の方に包丁を持たせると危ない、隣をつつくのではないかと、いろいろ怖いことを考える方が多いのですが、数年前にオランダのアントンペックホッフェという場所に行ったときに、そこでは痴呆の入所者が夕食を作っている。今はやりのグループホームみたいなところですが、それを見まして、うちでも包丁をお年寄りに持たせることができる、特に痴呆の方にどうだろうかということを思いました。何年か経って、こういうことができるようになりました。むしろ包丁さばきはうちの職員よりはるかに上手で、みんな教わっているというのが実情です。昔とった杵柄をここで見せていただくということになると思います。

いくつかのアクティビティーに興味を持ちまして、病院でいろいろなことをやっております。ゲームというのもあるでしょうし、貼り絵もありますし、中にはパチンコ台を改造したりとか、いろいろなものをこういうふうに並べてみましたが、結局その中で出てくるのは、「楽しい」「面白い」がないとどうもだめだということがございます。また、ご婦人が圧倒的に多いですから、おしゃれと女心をそそらなければいけないのです。それから「なつかしい」とか「思い出」というキーワードがあると思います。あるいは、やはりただおだてたって、お年寄りは「なんで、おだてるんだ」というふうに思われますから、昔とった杵柄を褒めるというようなことだろうと思います。

そのようなことから、「昔」あるいは「思い出」というキーワード、私が大学の時、室伏君士先生という先生に精神科の授業を習いました。その後数年経ってから先生は菊池病院というところで痴呆の方を診るプロジェクトをやられて、色々発表をされています。その中で「なじみ」というキーワードを一生懸命言っておられるように私は理解を致しました。そこで病院の中に思い出ミュージアムというのを造りました。

ここへ行きますと、お年寄りは「こうだったんだよ。ああだったんだよ」と言って、その方の人生を語ってくれるわけです。人の人生を聴くには、無理に聴けば嫌なことでも聴かなければいけないですから、こういうところで仲良しになっていく。あるいは、「こうしましょうよ」という、こちらのいろいろな要望が、なじみという関係でうまくいくというふうに思って、このようなものを造っております。駄菓子屋さんみたいな、食べられるものもありますけれど、古くなっているので、「すぐそばの売店で、有料で売っております」などと言ったりします。

また、着物というのも非常にいいことなので、特に、お正月や成人式は職員もまじえて着物を着たり、夏まつりの時は、女性職員はゆかたを着てくださいとお願いしております。

こういうことばかりやっていると、「高野という人間は一緒になって遊んでいるのではないか」ということになりますが、一緒になって遊んでいれば、それはそれでも得るものはあると思います。脳波をある程度コンピューターで解析しますと、いろいろなことが分かってまいりました。ここらへんはベースラインですが、猫の話をすると非常にリラックスした波が多くなってくることとか、あるいは田んぼの絵の前だとか稲の話をしたりするということです。ただ、脳波というものはわざわざ頭に電極をつけるわけですから、こんなことをしなくたって、顔を見れば顔つきで分かるという場合が多いのですが、中には測定好きの方もおられますので、こういうようなこともやっております。

病院の中だけでやっていると、これまた「だめだ。外へ出せ」という怖い先生もおられます。そこで、うちの看護部長に「思い出って何だ」と聞けば「水車小屋だ」と言うので、「なんだかパイオニアのカラオケの見すぎじゃないか」と言いました。こういうようなことで、病院の裏、約2,000坪のところに水車小屋を造りました。さらにこちらのほうはトンボが来たりするビオトープを造りました。杉林もありますけれども、先日の台風で32本やられました。

しかし、このようなことがいったい何になっているだろうかということであります。ここにマズローの欲求5段階説というのがございます。衛生的・生理的と、非常に人間にとってベーシックな問題です。というふうにだんだん欲望が上がってまいります。時間の関係でどんどん進めてまいります。

安全の欲求。自我の欲求。さらに、このへんが自尊心とか尊敬されることの欲求とあります。そして自己実現。この五つなのですが、さらにそのうえに自己超越しているというところもあるということです。

果たして、うちの病院が今までやってきたことが、この中にどうやって関係しているかということを見てみると、栄養とか嚥下障害、それから先ほどお話がありましたけれども、床ずれの問題などというのは第一番目かなという気がいたします。それから転倒防止あるいは投薬の安全性ということを見れば、これは第2番目であるかなと思います。毎月のイベントや誕生日で仲良く愛されること、あるいは家族の中にいるような感じで自分が愛されるということを思われるのではないかということです。アクティビティーで「お上手ね」などと言われると、ご機嫌がよろしいということになるわけです。

あともう一つ、このへんになってきますと、自分がなりたいものへの欲求というのは、一つ僕自体が思えば、今一度昔のようにというような気持ちがあるのではないか。具体的にこれは何であろうかというようなことを探すべきものかもしれません。

それから自己超越してくると、残された人生のまとめというところであります。このへんがなかなか病院ではやりきれないところでありますが、一部の病院がやっている宗教の場というのがあるのではないかというふうに思っております。

ここにキュアとケアがありまして、バランスを取ってこうなるぞとは申し上げましたけれども、しかし現実問題としては、先ほどのお話がありましたように、積極的に医療のことをしなければなりません。現在、うちの病院でも心筋症が起こって、もうかなり息が苦しい、注射も高価な注射をしなければいけないという非常に積極的な医療を行わなければならない人や、あるいは残り少ない人生なのですが、周りの環境、その方の日常の整容などを見ながらお世話していくという人、この二つがあって、どちらを取るか。片方だけではないと思っております。ここらへんのところが個々へのケアということではないかと思います。

最後になりますが、これはオランダのキューケンホッフという公園でチューリップ畑の前の写真です。隠し撮りというか、急いで撮ったためにこうなりましたが、前におられる方は車いすの方です。後ろで押している人がおります。現在われわれは後ろで、ちょっと坂になっているところだけど、押しているような役割だと感じております。

われわれの病院は先ほど申し上げたように、人間の本能的なものをサポートするのだというところと、そしていつかは自分は押されていく立場になるのだから、押していく人たちをたくさん世の中に作っていくシステムの一環として、教育の部分の使命があるという気持ちでやっております。

以上、それでは終わります。

基調講演V 藤井功(福山記念病院・理事長)

藤井でございます。私の病院は非常に小さい病院でございます。私は今まで急性期をずっと扱っておりまして、約15年ぐらい前までは、はっきり言えば10年ぐらい前からですか、老人医療のほうに加わっております。この「老人の専門医療を考える会」も、入会してまだ2年ぐらいしか経っておりません。私はまだ、老人介護をどうやれば理想に近づけるかということを、今考えて、いろいろやっている段階ですので、私の考えがいいのかどうか、それを自分自身いつも問うております。今日は、やっていることをちょっとお話しさせていただいて、また自分の参考にしたいと思っておりますから、よろしくお願いいたします。

福山市といいますと、名刺交換で今までは「福山市港町」という名刺を作っておりましたけれども、これを東京に来て先生方にお渡ししたら、「福山市って、どこでしたかな? 福島か、福岡か」ということで、これはいけないと思いまして、あわてて「広島県福山市」という名刺を作りました。そしてやっと認知されたかなと。でも、まだ皆さん福山市がどこかご存じないと思いますけれども、広島市と岡山市の中間の小さな町でございます。そこで私が病院を始めたのが平成元年、昭和天皇が亡くなった年に福山記念病院という名前にいたしました。

その当時、福山市の現状は、先ほど来言っております悪徳病院ですね。そういうのがございました。今でもあるのですけれども、私は非常にこれを反感に思っているのです。「亡くなるときに3点セットというのをやるのですよ」と、そこに勤めていた職員が私の病院に替わってきて言うのです。「どうもあそこの病院にいたのでは、自分自身がおかしくなってしまう。だから先生のところに来たのです」とかいう、本当に悪徳病院と呼べるような病院があったのです。亡くなるときに徹底的に治療して、亡くなる。それだけは全部、点数というような、保険点数にはね返りますから、収入が増える。そういうことをやっているというから、それは何とかしないといけないと思いました。

ところが、医者の世界というのは非常に狭いもので、それを「先生、おかしいじゃないの。こうやったらいいんじゃないですか」と、そういう自助努力が働かない世界だと思います。医師会というものがあって、みんな相手に遠慮をしてしまう。私がやろうとしてもできない。今の国会が非常に国民から離れてしまっているというのも、やはり国会の中で議員同士で自助努力がないから、国民から見放されたのではないかというように考えます。

ですから医者の世界も自助努力が働いて、みんなでいい医療をしようという働きがあれば、やはり国民の皆さんから「ああ、いい病院だ。いいことをしてくれる病院だ」というふうに受け入れられるのではないかと私は思いまして、この会に入りましたが、皆さん、本当に一生懸命やっておられます。そこで勉強させていただいて、私も少しでもいい病院にしたいと思っております。

話を戻しますけれども、私の病院は91床という小さい病院でございます。大塚先生のところが798床、総泉病院のほうも353床と大きな病院でございます。私のところはわずか91床。さあ、これで福山市の老人医療をなんとか改革しようと考えました。では、患者さんをお受けするのだったら、診たときに何かしないといけない。どこでお世話するかということで、私は老人保健施設を開設して、それが135床あります。合わせてやっと226床という数でございます。

ですから、私の病院の91床は在院日数が非常に短こうございます。介護療養型病床群でも57.3日。どんどん回転して、その受け皿は介護保健施設、あるいは、在宅だと思っております。おうちに帰れるか帰れないか。入ったら、ずうっといさせてもらえる病院も確かにあると思いますけれども、それをやっておりますと、どうしても新しい患者さんをお受けすることができない。では、在宅のほうに帰って、皆さん、患者さんのおうちも病室の一つだよという格好で、患者さんとお付き合いしたいと考えております。

ですから最初に「入院させてください」と来られた場合に、その方のプライバシーにもだいぶ立ち入るとは思いますけれども、家庭状況、経済状況、おうちの間取り、そこらも全部とことん聞かせていただいて、この方は今後、病院で亡くなるのがいいのか、あるいは在宅を本当に望んでいるのか、そこらを患者さんおよびその家族と話し合いをしております。

そうして、ある程度のQOL(クオリティー・オブ・ライフ)が、自立まではいかなくても、ある程度家で看ることが可能だとなった場合に、ではどういう手助けをさせていただいて、家で看られるかということを考えます。

ただし、それは家に帰っても、悪くなった場合、必ず受ける。そうしますと、私の守備範囲というものが、またおのずと決まってきまして、病院から私が車で30分で行ける範囲、それだけを私のテリトリーと申しますか、守備範囲にさせていただき、その中で入ってこられた患者さんにはとことん付き合いたいと思っております。

こうやっておりましたら、よその病院の先生が「おい、お前のところはどんな患者さんでも看るんか」と、これは広島弁になりますけれども、「看るのか」というような問い合わせを受けます。私から言いますと、一応基本的にはどんな患者さんでも1回はお受けします。そして皆さん方の要望をお聞きして、在宅なり、それに向かって行きたい。あるいは永久の住処(とわのすみか)という方も確かに病院の中にございます。いちばん長い方では6年ぐらいの方もおられます。この方はどちらかといったら、おうちに帰すのがかわいそう、また家族もそれを望んでいない場合で、その時はやはり病院で看るべきではないかと思います。

介護保健施設あるいは特別養護老人ホームはやはり守備範囲が違いまして、医療度の高い介護療養型病床群、われわれのやっているような老人病院のニーズのほうが本来は高いでしょう。そして今後老人がまだまだ増えるわけですから、その方をどこで本当にお受けするか。今から3倍、4倍の老人の数になるわけです。そうしますと、病院に入れたら幸せで、それを介護老人保健施設、介護療養型病床群だけで受け入れることは絶対不可能でしょう。

ただ、何回も申しますけれども、在宅機能というものをどこが持つか。私はやはり病院ではないかと思うのです。福山の場合ですけれども、市の介護保険課と話し合いをしておりましても、「ぜひ、在宅を重視してくれ」と言われます。そして私のほうでは、よくいう自己完結型といいますか、ヘルパーも持ちます、訪問入浴あるいは配食サービス、おうちに帰ったときに「食事を持っていきましょう」「おうちにおふろを持っていきましょう」そういう機能も持ってしまったのです。福山の悪徳病院が一つあるのですけれども、そうやってそれに対抗しよう、ああいう病院ではだめなのだということを皆さんに分かってもらいたいという一念で今はやっております。

ただし、これをやっておりましたら、この15年間で借金ばかり非常に増えてしまいまして、「大丈夫か、お前のところは」と言われるのですけど、借金が増えても、中途半端でなくたくさんの借金がありましたら銀行は絶対につぶさない、つぶすことはなかろうと笑っています。そんな借金を気にしていたら、こういう病院はできませんので、のんびりと、よその病院とけんかしながらでもやっていこうと思っております。

もう一つ、今、私のほうで問題になっているのは個人情報です。皆さんのお話を一生懸命聞いてやっているのですけど、個人情報というのは、どこまで聞いてもいいのか。私があまりにも際どいことを聞きますので、そうすると看護師さんが「まあ、そこまで聞いたらおかしいんじゃないの」と。でも、そこまで聞かないと本当に介護できない、お世話できないわけですから。いや、そこまで聞いてはいけないのか。それを一つ私は迷っております。

それからもう一つ迷っていることというのは、リビング・ウィルというのがあります。患者さんはどうだったのか。本当に生きたかったのか。先ほど胃瘻とか鼻腔の管とかを通すと言われましたけれども、そこまで望んでいたのかどうか。それを望んでもいないのに、つい胃瘻とかをしている傾向がまだあります。患者さんの状態が悪いと、それを助けよう、どうにか命を長らえさせようというのは、やはり医者の義務感みたいなものでございますので、そうすると患者さんが望みもしないのに、ダラダラと生かされてしまって、医療費もかかるし、患者さんも苦しみます。生きているうちに、自分は何をしてほしいか、臓器提供も一つありますけれども、やはり早く意思表示をしてもらう、そういうシステムづくりが必要です。

この会の中川先生や皆さんのように、ずっとリビング・ウィルを一生懸命やっている地方はたくさんあります。福山はその点遅れておりますので、そういうカードを作って、患者さんと話し合って、今のうちに、今現在、外来に通っている患者さんと老後のことを話し合う。そして本当に自分自身はどこまでの医療をしてほしいかということを、やはり元気なうちに意思表示をしようではないか。それが法的な拘束があるかどうかは全く分かりませんけれども、やはりこれはこれからの老人医療を考えるためにも、ぜひ必要だと言って、福山で今私のほうに通ってきておられる患者さんにぼつぼつと始めております。あまり大げさにやってもいけませんから、ぐっと親しい患者さんから始めて、輪を広げていこうかなと思っております。

そんな状況の中で、病院の機能評価のアンケートをうちの病院もやっているのですけれども、まだ非常に点数は低うございます。また13年度の平均点が今353ですか、私のところはまだその平均点にもいっていないのです。多くのここに来ておられる先生方の病院は、けっこう上のほうなのですけど、私はまだ平均点もいってないので、まずそれも目指さなければいけない。

ただ、アンケートの中の内容といいますと、終の住処の病院と、私のように、在宅へ向けて在宅へ向けてとやっている病院ではちょっと点数の配分が違いますので、一概にはいえないのです。けれども、なんとか平均点以上、そして上位20位以内ぐらいに食い込みたいといつでも考えております。いつの日にか上位10位以内に入って、平井先生をびっくりさせようかなというように考えて、一生懸命やっております。

こういう病院も地方のほうにはあるということを、ちょっと頭の隅に置いていただけたらと思っております。短い時間ですけれども、どうもありがとうございました。
基調講演W 涌波淳子(北中城若松病院・院長)

高齢者医療にかかわってまだ6年目で、病院長に就任してから3年目の未熟な者ですから、今日このような高い位置でお話しできる状態ではないのですが、「フレッシュな感性で」という大塚会長の温かいお言葉に励まされて、お受けいたしました。今回は私自身の意見というより、当法人の周囲にいる方、ご家族、職員の夢や期待をアンケート調査という形で聞かせていただきましたので、その結果をふまえてお話ししたいと思います。アンケートにかかわった方たちの背景を知るためにも、まず最初に当法人の概要をご説明して、それから今日のテーマである「自分の入りたい老人病院」についてお話ししたいと思います。

医療法人アガペ会は南国沖縄那覇空港から車で1時間ほど、北の人口1万5,000人の村、北中城村にあります。村とはいっても、私立を合わせると小学校が三つ、中学校が一つ、高校が一つという、いわゆるこちらでいう村とは趣が多少異なるかもしれません。

(スライド)当法人は高齢者医療に特化した北中城若松病院と介護老人保健施設若松苑、そして在宅部門を支える地域支援局の三つの組織から成り立っています。少し写真がぼけていて申し訳ありませんが、開設16年目になる病院の全景です。世界遺産になった中城城址から歩いて10分ほどの風光明媚な場所に建っております。周囲は城址公園になる予定で、完成すれば患者様のよいお散歩コースとなるのではと期待しておりますが、現在は用地を拡大できないための不自由さのみ感じております。

病院の詳細は本日のパンフレットで紹介しております。ベッド数223床です。「痴呆症の高齢者になんとかよいケアを」という理事長の思いから始まった病院で、昨年からは沖縄県から痴呆介護実務者研修の研修施設として委託を受け、年間90名ほどの研修生とともに学ばせていただいています。

(スライド)渡り廊下を渡って、奥に老健施設が見えます。左上が老健施設若松苑です。100床の入所及び短期入所用ベッドと、通所介護すなわちデイサービス40床、居宅介護支援事業所を持っております。

右下は地域支援局で、地域の家庭医を目指すファミリークリニックきたなかぐすくと、訪問看護ステーション、ヘルパーステーション、20床の通所リハビリすなわちデイケアと、こちらも居宅支援事業所、北中城村委託事業としての在宅介護支援センターなどがあります。こちらは村役場から歩いて10分ほどの距離にあります。クリニック院長が家庭医としての資格を持っていることから、クリニックと病院の共同で「家庭医療学研修センター」からの研修医を受け入れております。

(スライド)16年前に病院が開設され、その後高齢患者様の必要に応じる形でさまざまな事業所が併設されて、現在の形になっております。赤くなっているのが当法人内の事業所です。赤のラインは疾患の治療にかかわってくるおもな患者様の動きです。線がごちゃごちゃするので、入ってはいませんが、実はどの病棟からもご自宅への退院、あるいはご自宅からの入院があります。また病態によっては急性期病院への転院もあります。クリニックから急性期病院への紹介が抜けていて、昨日クリニックの院長に怒られてしまいましたので、皆様の頭の中にはそのラインを付け加えてください。青のラインは在宅介護を支えるラインです。そのほかにも村役場の保健師さんやほかの法人の事業所とも密接に連携を取らせていただいています。

(スライド)さて、病院の理念は老いていく人たちに共感を持ち、この方の体と心と魂をもともに支えていける病院ですが、法人づくり、病院づくりの根底に流れているのは理事長の好きなみ言葉の「あなたの隣人(となりびと)をあなた自身のように愛せよ」と、私の好きな「あなたのしてほしいと思うことをほかの人にもそのようにせよ」という聖書の言葉ではないかと思います。言い換えるならば、自分が受けたいケアの実践を目指す。すなわち、自分が入りたい病院を目指しているともいえます。

(スライド)さて、自分が入りたい病院のイメージですが、やはり人は1人1人感性が違うものですから、今回は法人職員の約半数にあたる職員150名、今月入院費や入所費を支払いにみえたご家族100名、実際に、回収されたのは86名でした。北中城村役場の職員そのほか当法人に直接かかわりのない方125名、この方を「その他」と表してます。以上の方たちにアンケートを取らせていただきました。その年齢分布がこのグラフです。職員は30代をピークに、ご家族は50代をピークに、そのほかの方は40〜50代がピークになっています。

(スライド) 「老人病院と聞いて思い浮かべるイメージは何ですか?」という問いに対する答えです。「暗い」「臭い」「寒い」「汚い」「寂しい」「苦しい」「明るい」「清潔」「楽しい」「死」「元気」「命」「点滴」「生活」「リハビリ」「忙しい」「静か」「ゆったり」「穏やか」「悲しい」「そのほか」の22項目から三つ選んでいただきました。その上位8項目です。

トップの「寂しい」はどの群でもトップを占めていました。細かく分析していないので、コメントはしにくいのですが、ご家族で2位だったのが「リハビリ」であったのに対して、職員でこの項を選んだのがたった11%しかおらず、反対に職員の5人に1人が「生活」をイメージしているのに対し、ご家族は3.5%しかいませんでした。当院では高齢者の生活は「生活すべてがリハビリですよ」と言っているので、職員の中には、リハビリがあるのが当たり前という認識があるのかもしれません。

また、そのほかの答えまで見ていくときに、職員は「寂しい」「暗い」「くさい」などネガティブなイメージが強いのに対し、ご家族は「寂しい」が1番であるが、その後は「リハビリ」「命」「静か」「穏やか」「清潔」などポジティブなイメージを選ばれる方が多く、またそのほかの方々の回答は両方が入り混じっていたことに気づきました。私は思わず看護部長に「うちの職員はうちが老人病院であると認識しているんですか?」と尋ねてしまいました。

(スライド) さて、次は「あなたが歳を取り、病気になって入院せざるを得ない場合、自分が入りたい老人病院を選ぶとしたら、重要ポイントは何ですか?」に対する答えです。「バリバリ最先端の医療」「ある程度の医療と生活の質」「てきぱき働くスタッフ」「ゆったりした空間」「静かな環境」「在宅介護に向かうためのリハビリ」「にぎやかな環境」「個室で一人の時間」「豊かな行事」「おいしい食事」「規則正しい生活」「自由な生活」「退院をせかされない」「最後の看取り」「入院費が安い」「生活臭」「清潔感」「ボランティアや家族、見舞い客が多い」「そのほか」の19項目から三つ選んでいただきました。上位九つです。

ここでもばらつきが出たのが「リハビリ」の項目でした。ご家族の22%が「リハビリ」を選択しているにもかかわらず、職員は7%。反面、職員の24%が「自由な生活」を選んでいるのに対して、ご家族は9%。この結果をどう考えるかはさておいて、「ある程度の医療と生活の質が確保され、ゆったりとして清潔で静かな環境の中でおいしい食事をいただきつつ、自由な生活と在宅に向けてのリハビリを受けられる。ボランティアやご家族、見舞い客が多く、そのうえ入院費が安い」というのが多くの人が期待する老人病院像であり、少なくとも北中城若松病院が目指す病院像の一つであることが分かりました。

(スライド)「老人病院に期待するものは何ですか?」という自由記入欄からの言葉も含めて、まとめてみました。1番目は医療の質。「安心して入院できる」「過度の延命処置をしない」という言葉で表された適切な終末期医療。「患者さん個々人が自分の受けたい医療を選択できるための適切な情報提供がほしい」「どんな患者さんでも病状についてちゃんと説明してほしい」というインフォームドコンセントの問題。「寝たきりにならないようにしてほしい」というリハビリに対する期待。これは生活の質にもつながってきます。「病院が病院としての機能を果たすべきである」という言葉にも表されていると思いました。

2番目は生活の質。患者様の生活歴や家族関係を知ったうえで「1人1人を大切にしてほしい」という個別のケア。たとえどんな寝たきりの患者様であっても、プライバシーの尊重は大切だと思うし、「どんなに私が痴呆になったとしても、年上の人として扱ってくださいね」という言葉からは痴呆のケアの大切さ。死に対する不安が取り除け、その恐怖が受容できるような心のケア。ちなみに当病院は法人全体に4名のチャプレン、つまり病院付き牧師が配置され、各病棟ごとの礼拝や個別の心のケアにかかわっており、患者様にもご家族にも、また職員にも喜ばれております。

3番目は家庭や社会とのかかわり。患者さんが自分も役に立つ人間なのだと思えるコミュニティ。「長期入院になることでどうしても家族とのつながりが薄くなってしまうので、ご家族をサポートして、患者様とご家族をつなぐ役割を果たしてほしい」「地域の方々に対しての勉強会や講演会を通して、啓蒙活動を行ってほしい」「地域社会に開かれた施設で、もっとオープンに痴呆や終末期について語られるように引っ張っていってほしい」という声が聞かれました。

4番目は職員の質。「温かい声かけの多い職員」「威圧的ではないドクター」「緩和医療的な技術と感性を持ったスタッフ」など職員教育の大切さが語られていました。一方、増やしても増やしてもマンパワー不足を感じる現実の中で、今回の介護保険の改定で、療養型医療施設の介護職員の配置が患者様3人に対し1人という介護報酬の区分がなくなってしまうことは、介護保険料の高騰が問題とはいえ、国民の期待に反しているのではないかと思いました。

そこで出てきたのがボランティアの問題です。今回のアンケートでも一般の方から「元気なときからボランティアとしてかかわりたい」というコメントをいただきました。うれしいと思う反面、お年寄りの心を傷つけてしまったり、かえって現場の職員の手間がかかってしまうような状態にならないよう、十分なボランティアの教育システムを作らなくてはならないと思いました。

5番目はすみやかな入退院ができること。高齢者の状態は時々刻々と変わっていきます。在宅生活を十分に支えるためには、「必要なときにすぐ入院できる」という安心感が必要です。そして、そのためには、医療が必要なときには病院に、医療濃度が低くなって、リハビリや生活が必要になってきたら老健施設、もっと医療依存度が落ちてきたら特別養護老人ホームやケアハウス、グループホームなどと、適切な施設の選択とすみやかな移動が不可欠です。これらのことは医療スタッフ側もご家族もともに考えなくてはならないことだと思います。どれだけ多くの社会資源と協力連携し合えるかが在宅介護のキーポイントではないかと感じました。

最後に環境の問題です。「ゆったり穏やかな時と空間」「面会者と患者様が互いにリラックスできるような空間」「自由に利用できる個室のようなスペース」など、時に人生の最後の場所になるのにふさわしい環境が期待されていました。

とりとめのない話になってしまいましたが、これからの老人医療の発展の一つの指標になれば幸いだと思います。

最後に「老人病院という名前はイメージが悪いので、名前を変えたらいいのでは」というアドバイスがありましたので、今後の課題として提示をさせていただき、私の発表を終わらせていただきます。ご清聴ありがとうございました。

今の世の中は人生の終りというのは非常に暗い、あるいは寂しい、厳しいというものだという気持ちが満ち満ちておりますが、人生の最後になって、自分のわがままいっぱいに何でも聞いてくれて、そして家族もけっこう頻繁に来て、それなりにわれわれがイメージするような極楽というものが、死ぬ前にあるような病院だったら、私は入っても良いなというふうに思っております。

どうもありがとうございました。

シンポジウム
平井

それでは、シンポジウムを始めさせていただきます。シンポジストは、先ほど講演をいただきました5人の先生方でございます。司会は私、平井が務めさせていただきます。

まず最初に、限られた時間でございましたので、5人のシンポジストの先生方の中で、ちょっとこれだけは追加しておきたいということがございましたら、どうぞお話しをいただけますか。

どなたか。では藤井先生。

藤井 すみません、一言だけ。私は在宅の話を申し上げたのですけれども、ほんの1か月ほど前、もう1年半ぐらい入院しておられた方から、死ぬときはおばあさんと一緒に死にたいという話がありましたので、「じゃあ、ぜひ帰りましょう」とおうちに送っていって、おうちで看取りました。帰って2日ぐらいしか経っておりませんでしたが、非常に感謝されたと思っております。ですから私は、なにも病院で死ぬ必要はないという気持ちで毎日診療しております。ちょっとこの話を付け加えさせていただきます。
平井

ありがとうございました。ほかにはございませんか。

それではご来場いただいた皆様方の中で、何かご質問やご意見がございましたら、どうぞおっしゃってください。

もし、何もないようでしたら先ほど皆様方から回収した質問用紙に、いくつかお書きいただいているので、そちらのほうからまず一つ。当然のことながら、それぞれ質問の中に関連性はございません。高野先生のほうには、「痴呆のある患者さんへのリハビリは、程度に応じて何をどの程度なさっていらっしゃいますか」というご質問なのですが、簡単にお願いできますか。

高野

今、司会者のほうから簡単にと言われましたけど、実際は大変です。それだけでもう講演会ができてしまうぐらいの内容だと思います。ですが、本当に一言でいわせていただければ、先ほど言いました「なじみ」という関係でその人と接触をしながら、その人の得意なことをやる。要するにいちばん大事なことは、その人が安心できるような場を作るということだと思うのです。これは私自身もそうなのですが、記憶力をアップしようとか、何々しようということをしなくても、安心するような場を作ってさしあげると、知能テストの数字はよくなりませんけれども、コミュニケーションとか挨拶ができるようになる方は非常に多いのです。

もう一つ、それとプラス薬の問題がどうなるかという話になるとまた難しくなります。しかし、薬というものをあまり考えないいろいろなリハビリテーション、あるいは、病院の中で先程お話したようなものを作ったということで、ある程度お答えになるのかなという気がいたします。そんなところでよろしいですか。
平井

よろしゅうございますか。質問された方がどなたか分からないのですが、もし質問と答えが全然違うということがあれば、ぜひおっしゃってください。

それでは、藤井先生、先ほどのお話の中で、個人情報をいろいろ聞かないといけないとおっしゃっていましたが、「質問をする際に、何のために聞いているのかというご説明はなさっていますか」という質問です。

藤井

一つはお部屋代のことがありまして、有料部屋がいいのか。あるいは、私のところは1人部屋と2人部屋しかないのですけれども、個室のほうがいいか、2人部屋がいいか。もう一つは療養期間。今後の治療期間が長い場合と短い場合では、やはりいろいろな患者さんのご負担が違いますので、そこらのことから見ても、まず金銭的なことは聞かざるを得ないし、「いや、もう年金だけでやってほしいんだ」というのなら、それはそれなりの対応を考えます。治療は同じなのですけれども、どこでお世話するか、どうすればいちばんいいかということを考える場合に、やはり経済的なことはどうしても聞かざるを得ない。家族との絆が深いかどうか。本当は介護放棄的な患者さんのご家族がけっこうおられますので、どれだけかかわるつもりがあるかないか、そこはやはり聞かざるを得ないし、けっこう踏み込んでいかざるを得ないと思います。
平井

よろしゅうございますか。先にご質問のほうにお答えさせていただきますが、何か関連の質問がありましたら、お手を挙げてください。

それでは、涌波先生も含めて皆さん方にということなのですけれども、「インフォームドコンセントの際に、どのようなことに気を配っていらっしゃいますか」ということで、その例として、経管栄養、管の栄養は希望せずに点滴は希望するという矛盾した希望をなさる家族に対して、どのような対応をされているかということなのですが、一般的に経管栄養を希望せず、点滴等は希望するということに対して、矛盾しているかどうかということも含めて、涌波先生のお考えをお願いします。
涌波

たぶんそういった質問をされるときは、かなり嚥下障害がひどくなってきて、誤嚥性肺炎を繰り返されるようなケースを聞かれているのだろうと思うのですけど、そのときには「このままお口から召し上がっていると、かなり誤嚥性肺炎の危険が高くて、肺炎を繰り返しますよ。肺炎は、その都度ごとに治療はしますけれども、原因が取り除かれない以上、それを繰り返し行うことによって、だんだんこの方の体力なども落ちていきます。肺炎のいわゆる起炎菌というか、いろいろなばい菌が増えてきて、だんだん抗生物質も効かなくなっていきますよ」というお話を差し上げて、「でも経管栄養にすると、まだ肺炎になる危険率は少し下がりますけれど」という話になると思うのです。

そのときに「いや、やはり最後まで口から」というご家族もいらっしゃいます。そのときは「そうしましょうね」と。ただ、「あまり危険なときは、お食事は差し上げられません。最初からこの日は誤嚥しますよというときは、お食事はもう差し上げられませんけど、どうしますか」となったときに、次に「点滴はしましょうか」という話になるのです。水分はどうしますかと。口からは食べさせられなくなり、点滴だけになってきます。その次に段階を追って、だんだん点滴も入りにくくなってくるので、血管もだんだんつぶれてきて、「今度は点滴も入らなくなってきましたけれど、どうしましょうか」と。

やはり一度にどんどんどんと攻めて聞いてしまうと、ご家族もイメージができないし、あれこれ選択するのも大変なので、時期をずらしながら、こうしてどうしますか、次はどうしますか、と折々を見て私はお話を差し上げています。そのときに私は、経管栄養を望まなくて、点滴は望むというのは矛盾しているようにはあまり思っておらず、それはそれで認めています。

ただ、だいたいは点滴も入らなくなってきた時、IVHという中心静脈栄養はしない方向です。末梢の点滴が入らなくなってきたケースでは、看護婦さんが3回刺して、それでも入らなかったら、その日は「じゃあ点滴はやめましょうね」と。だんだん脱水がひどくなってきて、やはり「これで最期になります」というお話で、だいたいは終わりを迎えます。

平井

ありがとうございました。よろしゅうございますか。

それでは、できればすべての先生方にお答えいただきたいのでございますが、ここにご質問がございます。「患者さんの家族の負担はどこまですべきか。お金だけではないと思います。今回の講演ではあまり触れられていませんでしたので、先生方は患者さんの家族負担はどこまですべきというふうにお考えですか」というふうな、きわめて難しい質問だと思いますが、どなたか。

奥川

金銭的な負担なのですか。それでなければ、例えば、以前いわれていたのは、私も先ほどの話の中でちょっと申し上げなかったのですが、家族の役割、それから医療とか看護、介護サービスをする施設がどういうサービスを提供するか、その役割分担は、「家族は技術的なこととか実際の介護はしてくれなくてけっこうです。わたしどもプロがやらせていただきます。その代わり、心の絆とか関係の絆、魂のレベルとかそういうようなものは家族でなければできません」という言い方を施設長さん達なりはされていたのです。特別養護老人ホームも含めてです。ですが私は、ここのところはそろそろ変わってきているかなと思います。

やはり患者様というか、クライアントというか、利用する側が求めているのは、ドライで無機質なかかわりではなくて、「多少、心も削ってちょうだいよ」とか、「魂全部くれなくていいから、多少そこの部分も見せてね」というぐらいのかかわりをサービス提供者の側に求めているのではないでしょうか。全部介護をやってしまったらこっち(家族)が死んでしまいますから、そうではなくて、ほどよい関係づくりというのがそろそろ施設ケアのほうでも求められているのではないかと思います。今お話したのは、お金ではない、どこまでかかわればいいのですかとか、どの程度負担すればいいのですかということになりますが、お金のことについてお答えした方がよかったですか。
平井

いえ、そうではないのです。お金だけではないと思いますよ。今おっしゃったようなことだと思います。

それと、私のほうで舌足らずだったのですが、「介護する側は体力を当然消耗します。その介護者の安定化はどんなふうにしたらいいですか」という、介護する人の安定化についても聞かれています。この方がおっしゃっているのは、おそらく介護する側は一定の安定した介護をしないといけないというふうに思われているのかもしれませんが。
奥川

私は、自分が仕事としてずっと現場で高齢者とそのご家族のご相談を承っていたとき、現在も相談の場は実際にあるわけですが、そのとき心がけているのは、直接身体とか身体ケアにかかわる医師、看護職、それからリハビリのスタッフなどさまざまなスタッフがいらっしゃいます。そういう方たちと役割分担をして、ソーシャルワーカーの方はご家族に必要なケアをする。場合によってはカウンセリング的な対応まで含めて、ご家族の心身の状態を手当する。実際にどういうふうに手当するかというのは、面接で行っていくわけですが、そういうものは非常に必要です。

いわゆるホスピスには実際問題として家族をどう手当していくかという機能はあります。それをソーシャルワーカーとか臨床心理士などがやっているわけですが、実は私は昨日、別の用事で九州のホスピスに勤めている後輩のMSWに電話をしたのです。その人の対応というのは、身近に肉親を亡くしたばかりの私、彼にとっては先輩になるわけですが、それに対してかなりきちっと対応し、ケアの仕方というか、言葉のかけ方が上手でした。わが後輩ながら感心し「うまいな、あんた」とは言いませんでしたけど、これから先の1年間をどう大切にするかというようなことをきちっとケアしてくれました。そういうようなご家族への対応というのは、かなり重要かと思います。

平井

ありがとうございました。よろしゅうございますか。

では、先に質問のほうにお答えしていきます。大塚先生よろしゅうございますか。2枚ほどお渡ししているのですけれども、ちょっと私の力不足で、先生に質問と答えと一緒にご発表いただいたらと思います。

大塚

その前に今の、家族はどんなふうにケアしたらいいのかという話です。大原則は、元気なご家族あるいは余裕のある状態の家族がするならばよいケアが期待できると思います。一方家族が自分で元気がなくなった、あるいは、余裕がなくなったと思ったら、早めに他人の支援を求めるなり他人に渡すなりすることがお互いの幸せのためだ、という割り切りをすることがいちばん大事ではないかと思います。何でも家族がやるのがいちばんいい結果を生むなどと思わないこと。これが第1番目ではないでしょうか。

私にいただいた質問用紙の中で、「リビングウィルはどの程度尊重していただけるのでしょうか。私は10年以上前に書き、尊厳死だけでなく、回復の見込みがないとき、そして苦痛のあるときは安楽死を望む。しかし決して医師に責任を負わせたくない」と書いてあるのですが、端的にいえば日本の現状ではあまり期待、希望が持てませんということです。

リビングウィルについて日本の現状を見る限り、日本人の命というのは本人のためだけにあるわけではない。ご家族の希望というのが途中から大変大きな力を持ってくるのが日本の特徴ではないでしょうか。さらにこれに医療関係者のメンツが加わってくるのです。そうなると、本人などはどこかに飛んでしまって、ご家族あるいは医療関係者の中でいろいろな綱引きが行われるようになり、本人の意志や尊厳は二の次になってしまいます。回復の見込みがなければ治療をやめてくださいと言っても、そんな生やさしいものではないということを、まず現実の姿としてご理解いただきたいと思います。

例えば、ご本人の希望を聞き、たまたまそれがご家族の希望と一致したような場合に、尊厳死だとか、回復の見込みがないときは治療をやめてくれなどと言われたとしても、結果によってはそのことで医療関係者、特に医師は責任を問われることが十分にあるということであります。今まで新聞報道されている部分についても、おそらくあの中の何例かは、本人もご家族もそれを望み、非常にまじめで患者思いの医師が100%の善意をもってその望みを叶えた。しかし、死後周りが騒ぎ出して、結果として本人は一切の抗弁を許されない状況に追い込まれた例だってけっこうあるのだと思うのです。

ですから私自身は、ご本人の意思を尊重することも大事、それからご家族の希望を聞くことも大事。だけれどもやはりいちばん大事なことは、ことがすべて終わったときにご家族様がやはり「これでよかったんだ」と思ってもらえる形を作ることだと思います。特に、ご家族に責任を負わせるような形だけは避けるべきではないかと思います。後に残された人は、そのことについてずっと引きずって生きていかなければいけないということを考えるならば、われわれの責任は非常に重いのではないかとは思っております。

奥川

今大塚先生がおっしゃいましたように、私も自分が高齢者のご家族と接しているときは、それこそ余裕がなくなってきているとか、その娘さんなら娘さんのこれからの人生がつぶされそうになっているとか、時にはお歳を取って非常にパワーがありエネルギーのある老人は逆に凶器になりますから、生き延びるため、言い方がちょっときついですが、実際、現実の中には弱者が凶器になって、本来強者である人を刺すという逆説があるのです。そういうような状況になってしまっていることというのをいっぱい見てきました。ですから、それこそ人の人生なのに「あなたの人生はこれからまだまだあるのよ。捨てなさい。捨てなさい」と。親を捨てろということではなくて、一生懸命訴えたりとかいろいろなことでやっていました。これはやはりどうしても親子関係の問題などがありますので、どういうふうにけりをつけるかは、その方たちの人生です。本人たちがどうやって落としどころをつけていくかというところのサポートになるのだと思います。

このリビングウィルというのは、これからの時代絶対必要になるものだと思います。これは、今先生がおっしゃったように、書く人そのものではなくて、周りの家族がネックで、それは日本の今までの歴史的な文化の中で、「この命だれのもの」というところがポイントです。これは外国にもありますけれども、日本はどうしてもご家族です。

例えば、白菊会を見れば分かるように、献体も同じようなことです。自分の亡くなった後、医療の進歩のために自分の死体を医師の解剖のために献体しますという契約をしようとしても、身内の賛成がなければ絶対それは申し込めない。その説明を家族にして了承を取ってからしてくださいと、いきなり申込書はくれないのです。大学病院の献体を受けるところは、いきなり申込書をくれないで、家族をまず説得してくださいという説明があって、それで家族を説得して、ハンコをきちっと押してもらってからになるんです。

そうすると、この命はだれのものといったときに、ものすごく家族の存在というのは大きくて、医者の側から見れば、絶対信用しない。家族の言いなりになったら、自分が後ろに手が回ってしまうというか、楽にしてくださいと言われてもそうはできない。もう私は家族の言うことは聞かない、信用しないという医者も出てくるような状況になりますので、これは一人称、本人の、私の死というふうにならないと、リビングウィルもなかなか成立しにくいというのは、ずっと私はソーシャルワーカーとしての仕事をしている中で、この命だれのものというのは常に感じてきました。
平井

いいですか。それでは何かほかに。

あと私どものほうからといいますか、シンポジストの先生方に確認したいことがございます。一つは、「日本の老人病院」という小冊子の中で、大塚会長も提示されましたけれども、職員、おもに看護・介護の職員がアンケートに答えているのですけれども、少なくともそのうちの3分の1は絶対に自分の病院に入院させたくないというふうなことで、実は私の病院もかなりの数で、そういう答えがここ数年出てきたわけです。

私はこの3年間職員に対して「実はこれこれのアンケートで、半分以上の人が自分の病院に入れたくないと言っている。自分たちの病院に入れたくない、自分が入りたくないような病院であると、毎年同じような返事をして、それでいいのか」というふうなことをうるさく言ったお陰でというか、これはなにも中身がすぐに改まったかどうかは分からないのですけれども、そういう目で職員が見てくれたお陰か、今年、ついこの間行ったアンケートでは6割が入院させたいというふうに変わった。

これは強制的に変えたということもあるのですが、また裏を返せば無記名のアンケートですので、だれがどういう返事をしたかというのは分からないのですが、それとなしに聞いてみると、必ずしも自分の病院が悪いというふうな意味ではなくて、先ほど藤井先生がおっしゃいました、いろいろなことを聞きます。自分のことを自分たちの仲間に知られたくないというものもある。それから自分たちの同僚に世話をかけたくないというふうなこともあるのです。

今日のテーマが「自分の入りたい老人病院」ということは、裏を返せば自分の入りたい病院を作りたい、あるいは自分の理想とする病院はこうだというふうなことだと思いますので、ぜひシンポジストの先生方、そういった職員自身の評価に対して何かコメント、あるいは今後もっとこういうことを聞いていけばよくなるのではないかというような点について聞かせていただければと思います。

奥川先生には、今の点について病院の経営者以外の立場からまずはその感想を聞かせていただくのと、今後こういう点に注意してもっと聞きなさいということがあれば、提言をお願いしたいと思います。では、涌波先生からいきましょうか。

涌波

うちの病院は反対に、最近少しずつ職員のほうから、職員の親であったりあるいは親戚であったりという方の入院希望が増えてきているので、少しほっとしているところなのです。

ただ、職員の意見を聞いていると、うちの病院がいちばんいいから、安心してということだけではなくて、よそを見て回ったときに「まだましだから」という意見がけっこうあります。老人医療にかかわっている病院の質がまだまだ不十分なので、本人たちの希望は、「このくらい、もっともっとここまでしてほしい」と、すごく高いのですけど、そこにまだ到達していないうちの病院でも、ほかで見るよりはまだいいからという感じなのではないかと思っています。
平井 ありがとうございました。藤井先生はいかかですか。
藤井

私は、職員が入りたいと言った場合に、そのような状態になってまでも見るのはかわいそうだというのが一つあります。ですから、そのような状態の親を見るのはつらい。入らなければならないような状態になるような親を見たくないから、入れたくないのだ。ちょっとおかしいのですけれども、そういう状態の親を見たくないというニュアンスがけっこう職員のほうにありました。

ですからどういうふうな生き方をするか、「では君たちの親はどういう終末、どういう死に方をしたいのか」と、いろいろそこらを聞きまして、そうしたらやはり「元気に生きて、ぴんぴんころり」ですか、そういう状態がいいので、「やはり親は病院には入れたくないですよ」という答えがかなりありました。病院がよくないから入れたくないのだというのとは、ちょっと違うところがありました。しかし入っている親もたくさんおられまして、非常に親切にしてくれるということを評価してもらっているところもあります。だからそのあたりでニュアンスがちょっと違うところがありました。

平井 ありがとうございました。高野先生。
高野

自分から見れば、入ってみたい病院といっていいだろうと自分で思っています。身内を1人、義理の母親ですけれども、入れて、ずっと看てきました。ただ知っている人というのはやりにくいというもので、院長の義理の母親だからと、本人は小児科の医者だったわけでありますので、そういう面もあったのでしょうけれども。

その母が、具合が悪くなるちょっと前に、職員の悪口を私に教えてくれました。「院長は、ああいうことを言っているけれど、自分じゃやらないくせにねと言ってるよ」と言われたのです。そういう恨みを買って、私が自分の病院に入院すればいじめられるかもしれませんが。

ただ、ここで大事な質問は、例えばうちの病院で何か手術をしてくれと言われてもできないわけです。その中でメニューはいろいろあると思うのです。目が悪いのに婦人科へ行ったって始まらないと思うのです。

ただ、慢性的な高齢者のケアをしてくれと言ったら、私は先ほどもお話ししたような、自分自身も遊んだりするのも好きだし、そういうものがあってもいいのではないかというふうにやってきましたから、ほかへ行くよりもうちのほうがいいかというふうに思います。ただ、なんとなく自分が今まである意味では威張っていたことが、そこでだんだん世話になるというギャップに自分が耐えられるかどうかということがあって、これはつらいものだろうと思うのです。

それから、職員の人が自分たちの親とかあるいは知り合いの人を紹介してくれる例はありますけれども、親だとか身内はいいのですが、ときどき逆効果がございます。それはどういうことかというと、「よくしてくれる、いいところだよ」といって、聞くほうは過剰期待をしてうちの病院に来られる方がおられるということなのです。いちばんひどかったのは、ここにそのお身内の方はおられないと思いますけれども、「ばかな医者ばかりいて、こんなところにいたから死んだんだ」と言って、けとばして個室に穴をあけて、逃げていった人がいます。そういう人もやはりいるので、どうもさまざまだとは思うのです。とはいっても、ある年になれば自分が作ったところで死んでいくのも人生かなという感じも若干はしております。そんなような感じです。
平井 ありがとうございました。では、先に大塚先生に職員の評価について。
大塚

私は病院を造ったときに、ともかく自分の親を安心して預けられる場所を作りたいと思って、ずっとそれを職員にも訴え続けてきました。20年ぐらいかかって、今私の実の母親が97歳で入っておりますし、私の家内の父親も入っていますし、母親も一時入院しました。

では自分が今入っていいかと言われると、嫌だなと思うのです。なぜ嫌かといいますと、一つはわがままをあまり聞いてくれないところがあるのです。ごはんを全部食べないと、がんばって全部食べろ。朝になると、起きろと言うのです。毎日お通じは出ましたかと聞くのです。もっとわがまま、気ままがいいと思います。

食事にしたってうんとおいしいものを出して、それでも食べないというのだったら何か言われてもいいけれども、「そんなことを言う前に、もっとうまいものを出せ」というのが実情です。

私はお風呂が嫌いですから、お風呂に入れと言わないでもらいたい。それから長生きなどさせてもらわなくていいから、痛い思いは一切させてくれるな。

だけど、こういうわがままを意外と聞いてくれるところは今以ってないのです。さっき言った、医療関係者のメンツなどというのはまさにそういうことであって、なんとなく他人の期待の中で、あるいは他人に気がねして無理やり生きていくのは嫌ですね。歳を取るというのは周りに対してだんだん責任を持たなくてもよくなるということですから、本当にわがまま放題、何でも聞いてくれる、その結果として本人の命が短くなったって、何したっていいではないかという環境を作るのが私の夢なのです。

私はまだ60過ぎたばかりですけれども、これからの目標をそういう場所を作ることに努力します。
平井

ありがとうございました。では奥川先生ですが、さっきお父様の介護で、個別の欲求にどれだけ答えられるかという大きなテーマを私どもに提示してくださったと思うのですが、ただ、今の制度ではだめでしょうという。おそらく制度の枠内でということになれば、やれることはしょせん決まっているとは言いながらも制度との関連で、奥川先生にそのへんを提言いただきたいと思います。

奥川

今の介護保険は、家族が看るところで在宅のいろいろなサービスを入れるということが前提になっていますから、独り暮らしの高齢者や障害者の場合、よほどその地域にしっかりした訪問看護ステーションの職員であるとかヘルパーが存在しない限り、看取りまでできるような仕組みにはなっていません。これは厚生労働省の制度をお作りになった方がはっきりおっしゃっていました。

そういう中で、本人の自立心がきっちりあり、自分の命に対して、酷ですが最後まで自分で責任を持つという一つの姿勢がない限り、他人がその人をどうやって自宅で、例えば今大塚先生がおっしゃったような、本人の自由を、気持ちを、願いを全部入れて見送るということは、それこそ日本は世間体の社会ですので、新聞記者がだいたい許してくれないし、そこのいい意味での個の尊重ということがまだできていません。ところが仕組み、システムは個の自立と個人の自己決定というのをどんどん求めているという、今ひずみの中にあります。

そうしますと、医療保険でも、例えば1時間、週に1回とか2回とか医者がいくら来てくれたって、その後の23時間は本人が1人で過ごすだけの覚悟がなければいられませんし、ヘルパーさんにしても何にしても、そういうことが可能になる病気とか障害はありますけれども、多くの慢性疾患とかそういうようなものは症状管理が必要ですから、やはりだれかがいるということが前提の制度になっています。

そのときに、かなり孤独に強く、もう、1人で生きて死ぬのだというような国の文化、オーストラリアだとかイギリスだとか、孤独に耐えるというような国民性があればきちっと在宅の仕組みの中で症状管理のために病院やホスピスを使う。ホスピスは死ぬところではなくて、症状をコントロールするために入って、また家に戻ってくるというような仕組みは可能になるでしょうが、利用する側、私たちのいわゆる被保険者側と保険者側の状況に応じてサービスをどれだけきちっと、抑制するのではなくて、出すときは出すし、出さないときは出さないというような、これはかなりプロとしてのレベルの高さが必要になってきます。そういうような専門職が存在して、なおかつ利用する側が本当の意味で自立している、それから孤独に耐えられるというところにまでいかないと、私は難しいのではないかと思います。

そして老人病院。今大塚先生がおっしゃっていましたが、やはり個別性をどれだけ尊重できるか。例えば風呂。私も疲れてきてからすっかり風呂に入らなくなってしまって、毎日入っていた人が1週間入らなくても平気というか、体のほうがついていかないから、入れないわけです。そういうのを放っておいてほしいというような、もともと嫌いというのではないのですが、そういうようなことだってある。

うちの父の場合は、もう亡くなる前はそれこそカステラとみかんとココアで、みのもんたのテレビ番組でココアの効能を取り上げていてやはりすごいと思いましたが、命をつないでいたのです。そうすると、それでどういうふうにつないでいたかというと、すぐに片付けてしまうのではなくて、食べたいときに食べられるように、いつでもナイト・テーブルの上に置いてある。そういうことができるかどうか。

それから先ほども申し上げましたが、本人が、おトイレに行きたい。ウォッシュレットを使いたい。ポータブル便器でウォッシュレットになるのはまだないですから。ウォッシュレットをすると、刺激して出ると。そうすると間に合わなくて、失禁ではなくて、垂らしてしまうわけです。そうするとタイルのねじ中にいっぱい入ってしまって、ダスキンを呼んでもだめだったのです、においが取れなくて。そういうことの繰り返しになります。痴呆とまた違ったケアになるのですが、そういうことをきれいな病院で許してもらえるか。

本人がどうしてもおしめをしたくないからと言っているのに、訪問看護師さんはすぐおしめをしろと言うわけです。だけど「それってちょっとないよな」と。半分、家族が楽になるからというのはありがたかったのですが、本人の側から見るとやはりしないのです。最後まで、死ぬ前の日までバケツでしたから。

そういうような自在性というか、本人のいわゆる体の状態、欲求または生活文化に応じたそういう対応ができるためには、私は費用の負担が大きくなったっていいと思います。職員の配置のこと、医療費が高いといわれますが、そういう個別的なケア、今QOL、QOLとさかんにいわれていますが、それを真剣にやろうとしたらどのぐらいコストがかかるのか、人員が必要なのか、それはもう十分出しても構わないのではないかという時代だとは思っています。よろしいですか。
平井

ありがとうございます。今までのシンポジストの議論を聞かれていまして、何かご意見はございますか。できましたら今の、お金はいくらかかってもいい、そのお金を払う払わないは別にして、こんな老人病院があったらいいというので、どなたか言っていただけませんか。

こんな老人病院があったらいいなというのはありませんか。ひょっとすればそれを聞いた先生が採算を度外視してやる人も中には出てくるかもしれませんので。ございませんか。

それでは涌波先生、一つ、先ほどアンケートの中に出てきたのですが、「ある程度の医療」という言葉がありましたね。あれを、先生はどんなふうにイメージをされていますか。
涌波

その対極に「バリバリ最先端の医療」というのを入れてあったので、それに対しての「ある程度の医療」というイメージだと思うのですけど、例えば本当にいろいろな機械をいっぱいつないで、いわゆる急性期病院でやるような医療に対するある程度の医療なのです。ですが、必要なときにはそれこそ中心静脈栄養を入れたりする場合も私は必要だと思っていますし、高齢者であるからもう治療しなくてもいいという考えではなくて、高齢者であったとしても、この疾患のここの部分を一生懸命やってあげればまたよくなるという認識がある場合は、しっかりと老人病院であったとしてもやってあげたいと思っているのです。

ただし節度をきちっと、ご家族と医療スタッフとできればご本人が意思表示ができたらご本人と一緒に相談して、ラインを決めていく。そして必要な場合は急性期病院の力を借りて、転送する。そしてまたその治療が済んだらすみやかに返してもらうように、その後のフォローアップはやはり高齢者医療をずっと専門にやっているところのほうが得意だろうということで、早めに返していただけるという意味での「ある程度の医療」です。

平井

今の点は、先ほど涌波先生のところで「ある程度の医療と生活の質」というのが一つ要望として出てまいりました。それで今「ある程度」というのをお聞きしました。実はこういうある程度の医療というようなことを、ご家族なりご本人なりが私どものほうに相談する態勢にあれば非常にありがたいということがあります。

それで、今問題になっておりますのは、今後、痴呆の方がおもだと思うのですが、その方の意思が確認できない場合、どう答えるのかということです。ですから、わがままを許してほしいとかいうことはもう一つ別の見方として、やはり日本の国民として元気なうちに私はこうして死にたいとか、こうしたいとかというのを考えるべきというのはいわれているのですが、もう少し具体的にしていかないといけないのではないか。

それから、さっき奥川先生もおっしゃいましたけれども、こういうふうに成熟した社会になっていきますと、やはり個別ということです。特に大塚先生ぐらいの年代辺りからおそらくわがままな方が出ていらっしゃると思うのですが、大塚先生ぐらいはっきりしていれば分かるのですけれども、そういうふうな意思表示を周りの人にしていらっしゃるかどうか。あるいはわれわれ医療の提供側が、この用紙に丸をつけてくださいというふうな用紙を用意すべきなのかどうか。今そのへんの非常に難しい時期にかかっていると思います。

特に終末期医療。終末期医療というのは、がんとかエイズではなくて、高齢者のいわゆる老衰に近い末期の終末期の医療に対してどうするかというふうなことで、国のほうでも委員会が立ち上がりました。アンケートもやっているようですけれども、やはりここのところが満足いくところに達しないと、片方ではいくらいい医療といっても、だれかが不満を持つということにもなると思います。

今日は時間の関係もございまして、直接フロアの方からご質問等々いただかないまま終わることになりそうです。ただ、質問のところで一つお答えしていなかったのがあります。ある方から、お金の話です。「入院当時月額18万円でした。介護保険を使うようになって、要介護5でしたけれども、月額は変わりません。先生のところはどうなっているのですか」という大塚先生へのご質問だったのですけれども、これについて。

大塚

ここでお書きになっているのは、「最初、医療保険を使って病院に入院したら、月額18万円のご負担があった。それが介護保険にかわって、18万円のご負担のある部分だけでも介護保険が負担してくれるのではと期待していたけれども、負担額は変わらなかった」ということだと思います。介護保険に対するよくある誤解は、介護保険になったら、今まで負担をしていた生活だとか介護の費用を介護保険で負担してくれるようになるのではというものです。

それはもう本当に大きな誤解です。私たちは今ある患者様をお預かりして、1か月きちっと対応しようと思えば、ある一定のお金がかかります。そして、例えばそれが58万円としましょう。そうすると今まではその58万円のうちの40万円は医療保険から支払ってくれました。ですから、ご家族のご負担は18万円ということになります。ところが今度介護保険ができて、その医療保険から払われていた40万円はストップし、そのかわり介護保険からお金が出るようになっただけの話です。病院側が余計お金がもらえるようになったわけではないのです。ですからご家族の負担額はそういう意味では一切変わらないということです。

ただ、行政は、今までの医療保険からの支払いのなかにはおむつ代は含まれておらず、患者から徴収していいと言っていました。しかし、介護保険の場合には支払われる40万円の中におむつ代も含んでいるのだということで、そのおむつ代の分だけを本人から徴収するのを減らしなさいという指導をしています。
涌波 平井先生、よろしいですか。
平井 はい、どうぞ。
涌波

今の方は、要介護度5という認定をされた方だと思うのですけど、医療保険の病床に入っていらっしゃって、次に移るために介護保険の申請を受けて、介護保険の認定は受けたものの、(介護保険のベッドが空かず)まだ次に移れなくて、そのまま医療保険のベッドにいらっしゃる場合は、(医療保険での請求なので)前と変わらないという場合もありうるのではないかと思いますので、きちんと18万円の内訳を聞かれたら納得されるのではないかと思うのです。窓口のほうで、どうなっていますかと。領収書をいただくなり、今、介護保険のときは県から中身を明細しなさいと言われてきますので、中身がどんな内訳になっているのかというのは書かれてくると思いますから、お問い合わせになったほうがいいかもしれません。

間違っているかもしれないのですけど、ときどきうちの病院も、介護保険の申請をしているけれども、介護保険のベッドに移れなくて、そのまま医療保険にいらっしゃる方は、やはりご家族には医療保険での請求をされていますので、その誤解がある場合もあるかと思って、お答えしました。

平井

ありがとうございました。それでは、時間がまいりました。最後に質問をいただいた方は、また私のほうでお答え申し上げますので、もしよろしければこの会が終わった後、私のほうに来ていただければと思います。

われわれは、今日中途半端な形で終わってしまいますが、自分の入りたい老人病院と自分が作りたい老人病院というふうなことで、次回はぜひその利用者の方々から、制度を前提にしないで、今こんなところだからこれしかできないだろうというのではなくて、もっともっと楽しい夢を語り、そのうちの一つ、二つが実現するように、私どもも制度を超えた取り組みをしたいというふうにも思っております。

閉会挨拶 松川フレディ 老人の専門医療を考える会副会長

平井

尻切れトンボになってしまいましたけれども、これで「自分が入りたい老人病院PartU」の全国シンポジウムを終わらせていただきます。終わりになりましたけれども、副会長の松川フレディ先生からご挨拶いただきます。

松川

ただいま紹介いただきました、神奈川県の湘南長寿園病院の松川と申します。「老人の専門医療を考える会」第25回のシンポジウムが終了したわけでありますが、どうでしょうか、皆さん。何か感じるところがあったか、それとも得るものがあったでしょうか。「老人の専門医療を考える会」といたしましては、今後もこのようなシンポジウムは続けていきます。それからこれまでも、いろいろな調査をいたしまして、どういう病院を目指すかとか、皆さんに情報開示をして、誤解のないような、皆さんとともに歩めるような研究を20年やってきたわけであります。今後もこのまま続けまして、ますますいい会にしたいと思います。

今、平井事務局長のほうから話がありましたが、来年の2月もおそらくこの会場だと思いますが、またこういう話の延長線上でさらに建設的な意見も出してもらえるようなシンポジウムを開催したいと思います。

長い時間でございましたが、ご清聴ありがとうございます。また、シンポジストの先生方、どうもありがとうございます。また司会の労をとられた先生、ありがとうございます。これで終わらせていただきますが、外はまだ寒いかと思います。インフルエンザもだいぶはやっております。今年はインフルエンザのワクチンの効きもいまひとつ問題があるようでございますので、風邪をひかぬように、けがをせぬようにお帰りくださいませ。本日はどうもありがとうございます。
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老人の専門医療を考える会 JAPAN ASSOCIATION FOR IMPROVING GERIATRIC MEDICINE