巻頭言
老人医療NEWS第67号
最後の晩餐
嵯峨野病院理事長 清水紘

 私は食べることが好きである。特においしいものは大好きである。二十数年前にタバコをやめてから、案の定食べるもの全てがおいしくなり、京都フランス料理勉強会などというシェフたちの集まりにも顔を出すなど食への執着は強かった。週に三日はフランス料理のフルコースを食べていたように思う。おかげでいろいろな食材や調理法などを知ったが、予定通り肥満と糖尿病へまっしぐらという結果になってしまっている。

 さて、昔から病院の給食はまずいものの代名詞のように言われ続けている。私の病院では父が院長の時代の給食はおいしかった。私も京都の病院の中では一番おいしいと本気で思っていたし、転院してこられた患者様もそう言っておられた。

  ところが、これが徐々に不味くなってきたのである。グルメ理事長としては一大事である。何が原因か、いろいろと調べ、考えてみた。

その結果、次のような結論を得た。

調理に携わるものが味に敏感でない。
献立を立てるものが若い。
食材の良し悪しがわからない。
おいしい食事を食べて頂くという気がない。

 一についてはある程度先天的なものもあろうが、やはり本人が味覚を鋭敏にするように努力しなければおいしい料理はできない。激辛カレーの食べ歩きが趣味などというのは論外であるし、まして喫煙などは料理の匂いや香りまで消してしまうことにもなり、話にもならない。

 二では若いということはそれだけ食についての経験が少ないということでもあり、高齢者が昔は何を食べていたかがわからない。したがって煮たり焼いたりしただけでよいものに何かをかけたり、まぶしたりした、いわゆるトッピングだらけの献立を立てたりしたがる。

 三は納入業者任せで、自分で市場などでの買い物はしたことがない。

 四これが一番重要なことである。最近の若人に多いが、突然何の理由もなく辞めてしまう。己の一生の仕事として調理をするという輩はいなくなったのだろうか。客の来ない、少なくとも二度とは来てくれないような料理と味付けと盛り付けをするレストランは、到底サービス業であるとはいえない。

 これらの事どもが相互に関連して、給食を不味くしてしまったのであろう。料理は経験に負うところが多い。高齢の患者様には昔の味付けができる職員が必要なのである。味付け専門員を雇用してはどうだろうかと真剣に悩んでいる。

 最後に、当院のような高齢者ばかりが入院している病院では、今まで元気だった患者様が突然亡くなられるということはそう珍しいことではない。患者様は最後に食べられた食事を本当においしいと思って食べておられたであろうか。食事を作った者としてもっとおいしい食事を出すことはできなかったのか。そう考えれば、いつ人生最後の食事になるかもしれない給食を、徒や疎かにはできない筈である。

前号へ ×閉じる 次号へ
老人の専門医療を考える会 JAPAN ASSOCIATION FOR IMPROVING GERIATRIC MEDICINE