老人医療NEWS第146号
老人医療の現況
秋津鴻池病院 平井基陽

私が「老人の専門医療を考える会」に入れてもらったのが病院長に就任した平成二年であるから私と老人医療の付き合いはかれこれ三十年になる。平成時代の活動がまさに我々の法人のプロダクトであると言える。

私のパソコンには院長就任以来の沿革一覧表が入っている。メモのようなものだが毎年末には更新を重ね、私にとっては貴重な備忘録となっている。

平成の初期は法人の施設規模拡大の時代である。精神科病床が三割増し、老人保健施設の定員が五割増しになった。一般病床は療養型病床を見据えて建て替えを行い、老人保健施設も開設から十年が経っていなかったが、新たな場所に新築した。これらの拡大のキーワードになったのが痴呆(認知症)であった。 行政からの強力な要請、後押しもあった。精神科病棟の建て替え工事も平成十年に完了し、一連のハードリニューアル工事は一段落した。

平成十二年の介護保険制度の創設に伴い、その数年前からケアプラン、ケアマネジャーの準備、養成が始まった。当会の海外研修のテーマもケアプランであった。時を同じくして、リハビリテーションがクローズアップされ、回復期リハビリテーション病棟の制度が始まった。当会で学んだことを実践するために、一般病棟の再編を行い、機能分化を進めた。

ソフト面では当会の海外研修(ヨーロッパ)でスペインの認知症デイサービスに刺激を受け、われわれの病院で「もの忘れ防止教室」や「もの忘れ外来(予約制)」を開始した。これが平成中期のできごとで、地元のテレビや新聞に取り上げられた。

平成二十年以降の平成後期は制度追従、あるいは診療・介護報酬対応に追われ、私自身がワクワクするような大改革は、病院においては行われていない。

そのような中にあって、大塚先生が中心になって作成された当会の「老人病院機能評価マニュアル」(平成五年発行)は大切にしている。平成十五年には日本医療機能評価機構の病院機能評価を受審し、その後も継続して今年の九月に三度目となる認定更新のための受審を予定している。種別としては、主機能が精神科病院、副機能が慢性期病院とリハビリテーション病院である。

昨今は、病床機能報告制度、地域医療構想や地域包括ケア体制の構築が行政主導の形で進められているが、何れも老人医療の核心に迫った議論がなされていない気がしている。奈良県においては急性期病床削減のあおりを受けて公的病院が回復期リハビリテーション病棟や地域包括ケア病棟の診療報酬算定を行っている。医療・介護計画においても老人の居場所が「自宅」から得体の知れない「在宅」に変わってきている。また、最近はやりの「○○認定医」も目障りである。

もの忘れ外来を通じて、「自宅」を筆頭にグループホームや有料老人ホームなど様々な形態の「居宅」からなる「在宅」のありようを見せつけられている。老人の専門医療がいまこそ必要である。

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「川下」からの発想
南小樽病院 理事長 大川博樹

私は「老人の専門医療」という言葉を頼りに医療者の道を歩んで来た。そして、この老人医療の専門性は、慢性期のみならず急性期においてもしっかりと発揮されるべきであると考えている。しかし、老人医療を慢性期医療、また老人病院を療養病床と呼び替えたことで、老人医療は慢性期の医療に限定されてしまった感がある。また、急性期医療との関連性においては「川上、川下」という用語が使われているために、老人医療は「川下」担当医療であるかのような印象が生まれている。

およそ「川上、川下」は業界用語からの転用であろう。しかし、物流を川に例える言い回しが医療に転用される事に違和感はないのだろうか。たしかに、慢性期では急性期からの転院が多い。その意味で慢性期を「川下」とするのであろうが、それと老人・高齢者医療が「川下」扱いされることは別であろう。このこだわりは、私の言葉への過敏症なのかもしれない。しかし、何気無く使う言葉には無意識の心の在り方が表れていると思う。

さて、その「川下」での医療現場に長年携わっているうちに、そもそも「川」に入らないようにするための方策はないのだろうかと考えはじめた。もちろん、すでに出来上がってしまった疾患をケアすることは最優先の任務である。ただ、そうならないようにする医療的な介入方法も必要であろうと考えた。そんななかで、とある新聞記事がきっかけで抗加齢医学会を知り入会した。平成18年のことであった。抗加齢医学とは加齢に伴って生じる「負」の現象が起こらないように行動する学問領域である。そして、この学会を起点として、オーソモレキュラー栄養学、点滴療法などの関連領域にも興味を広げた。

さらに、そこから得た知見を、スタッフの健康の増進や疾病の予防を目的として、職員健診に応用出来ないものかと考え、平成29年から採血生化学項目を独自に増やした。まずは、女性の血清鉄とフェリチン測定を加えた。オーソモレキュラー的にはこれらは貧血対応だけではなく、不定愁訴などへのアプローチとしても有用であることが知られている。また、三種の腫瘍マーカー、さらに中高年男性にはPSA検査を組み入れた。そこに、当院のベテラン消化器内科医師が胃がんABC検診の実施を提案してくれた。そのため、ミニドック並みの生化学検査が行われることになったが、当然のことながら健診費用は当院の負担である。

さてその健診の結果は、私の予想もしていなかった事になった。平成29年には、ABC検診でB判定以上には全員上部消化管内視鏡を勧め25名に検査が行われた。すると、一件のかなり早期の胃がんが診断された。このスタッフは手術も無事に終わり元気に職場復帰している。さらに、本年度にも一名が早期で診断されている。また、PSA高値の一名は前立腺がんでさっそく手術治療に進み、今も通常の仕事に就いている。当院のおよそ160名ほどのスタッフ数でこの結果である。また、ピロリ陽性者へは除菌を行い100%の除菌率を達成している。それは前記医師の工夫された処方のおかげである。一方、女性の鉄、フェリチンについては、Hb7.1のスタッフもいて、内服やその後のサプリメントで回復している。ただ、フェリチン値が30以下の、いわゆる隠れ貧血が多いことは今後の課題である。

「川下」と呼ばれることへの、ささやかな抵抗から始まった早期発見や予防への視点の広がりは、まず当院のスタッフの疾病早期発見・治療に繋がった。この経験をもとに、地域住民の健康増進、疾病予防の活動を広げていきたい。

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「命」
北中城若松病院 理事長 涌波淳子

「では11月にチューブを外しましょう」これは、入院後2か月目のカンファレンスで出た結論である。80代後半の女性、10年前にアルツハイマー型認知症と診断され、1年前に脳出血、その後誤嚥性肺炎を繰り返し寝たきりで意志疎通が取れず経鼻経管栄養となって当院に転院された。前夫との間の娘さんが県外から来沖し、アメリカ人の夫との間に生れた長男はインターネットのテレビ電話で参加するという異例のカンファレンスである。私の手元には彼女が3年前に米国領事館で書いた事前指示書があり、そこには「医療決定権は息子に委ねる。また自分が意識障害や進行性の疾患で回復する見込みがなく家族を理解することができない時には一切の延命処置及び経管栄養は行わない事」と書かれていた。米国の長男はこれに沿って「すぐに経鼻栄養を止めてほしい。」と話し、娘は「母親の意向には従いたいがあと少しせめて年内はこのままで。」と訴えた。経鼻経管栄養が開始された時には多少なりとも娘さんの声掛けに頷いていたし、医師の強い言葉に押されたと言う。私たちの前で息子と娘はお互いの気持ちを正直に話し合った。そして、すり合わせた結果が上記の結論である。

私は研修医へのミニ講義の中で日本老年医学会の「高齢者ケアの意思決定プロセスに関するガイドライン〜人工的水分・栄養補給の導入を中心として〜」について説明をしつつ、「今回のガイドラインの画期的なことは一旦始めた経管栄養もご本人のADLやQOLに益をもたらさないのであれば中止できるというプロセスが明記されたこと。私自身も喘息もちで誤嚥は発作につながり苦しいので誤嚥を繰り返すようならさっさと胃瘻を作り、認知症が進んで家族の顔へ反応しなくなったら胃瘻を終了してほしいと思っている。」と話していたが、実際にこのような症例を受け持った事はなかった。医局のカンファレンスでは、「脳の委縮もかなり進んでおり回復の見込みはない。ご本人の希望、ご家族の希望に沿って良いのでは」との結論を得た。病棟スタッフも同意している。ガイドライン上のプロセスは「適切」である。

息子さんからご本人が好きだったという香水やCDなどが国際便で送られてきた。「息子さんからのプレゼントです」と届けた時に、一瞬、目が見開かれて表情が変化したように感じたが、その後の反応は乏しかった。あれから1か月、「採血はしない。肺炎時なども点滴はしない。酸素と解熱剤と内服の抗生剤のみ。」と取り決めがされたが、頻回な喀痰吸引をはじめ種々の全身管理によって、今のところ肺炎も尿路感染症も起こさず穏やかに過ごされている。月に1回の娘さんの来沖時には、iPadを通して息子さんも「Hi Mom!」と呼びかけ一緒に面会している。

息子さんは11月に来沖して約2週間滞在するという。家族の要望はただ一つ「本人が苦しくない事」。11月まで感染防止、脱水防止をするためにはある程度の栄養状態を保つ必要があるだろう。脱水もなく栄養状態も良好な場合に一度に栄養と水分をストップしたら何日間で死に至るのだろうか、息子さんの来沖期間中にお看取りをすることが可能なのだろうか、本人と疎通が取れない状態で一気に経管栄養をストップしたら彼女は何が起こったか理解できないままに飢餓に苦しむのではないか等、経験のない栄養管理に主治医の私は日々悩んでいる。60年代の洋楽が流れ 甘くかぐわしいシャネルの5番の香りに包まれながら入院時とは異なって安定した状態で寝ている彼女を見ながら、、、やせ衰え栄養も水分も処理できなくなった方の経管栄養の中止の経験はあるが、今回のようにとても終末期とは見えないこの方の最期の時を私たちはどのように迎えるのだろうか。

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病院経営者は勉強して生き残るしかない
[アンテナ]

かれこれ四〇年前「ジャパンアズナンバーワン」という本を手に取った。読後、ふつふつと高揚感が湧き上がってきたことを、今でもハッキリ覚えている。長続きはしないもので、その後、バブル崩壊が起こり、失われた二〇年とか、もうすぐ三〇だとかいわれて久しい。  夢や希望を失い、不安の中で暮らすことは、堪え難い。いつの世でも、結局はなんとかなるものであると考えないと生きられない時もある。

ただ、なんともならない、なんともできないこともある。例えば、日本の人口減、高齢化という現象は、簡単に解決できないであろう。この現実は、どう考えても経済成長の足を引っぱり、どうあがいても二%成長という目標を達成できないという結果となっているのだと思う。

人口減少と高齢化が進むということは、国際社会の中で、もはや「勝算」がないということだ。だから、勝てなくても、負けない国にしなければならないはずだが、その方法論もなく、社会全体としての覚悟も醸成されているわけではないように思う。出口のない袋小路に追い込まれたような閉塞間がただよっている。

かつて山本七平賞を取った『新・観光立国論』の著者デービット・アトキンソン氏は、近著『日本人の勝算』の中で、人口減少と高齢化が進む日本は「今、大変革の時代を迎えています。もはや平常時ではありません。」「皮肉なことに、大変革が起こると、それまでの仕組みや枠組みに詳しければ詳しいほど、固定観念に囚われしまい、新たな発想を生み出すことができなくなります。」とした上で、いくつかの提案している。いわく「海外市場を目指せ」「企業規模を拡大せよ」「生産性を高めよ」「人材育成トレーニングを『強制』せよ」といった正鵠を射る主張が、根拠を示しながら展開されている。

アトキンソン氏が繰り返して主張していることに「経営者教育が不可欠」であるというものがあります。「日本の生産性の低さが、日本に数多くある零細企業と中小企業の経営者の経営能力の低さを雄弁に物語っています。彼らは、この事実をもっとしっかり認識するべきなのです」と手厳しい。

「経験と勘と度胸をいまだに重んじている経営者が多いのが日本の特徴です」「国を将来を背負っている経営者の教育は、日本にとってもっとも重要な課題の一つなのです」と述べている。

あー。中小・零細企業の経営者がダメだから、日本の経済社会はダメになったのだという主張を、私たち病院経営者はどのように受け取ればいいのであろうか。

冷静に考えてみれば、日本は人口減と高齢化という危機に直面している。この危機を軽減するだけでも大仕事である。なにもしないわけにはいかないことはわかる。できることは進めなければならないが、その中心的課題は、経営者の責任なのだといわれると、何からはじめればよいのか躊躇してしまう。

確かに人手が足りないとか、経営が悪化しているという状況に陥っている。それなら、賃金も引き上げワークライフ・バランスに注意し、定年延長もしなければならない。もちろん、人材育成のためのトレーニングには注力しなければならない。

やれることを全てやることが必要だが、最も難しいのが、経営者がもっと勉強するしかないということである。

長年経営していると、なんとなく根拠のない自信というものが身に付いてきたように思うことがある。しかし、それは傲慢でしかなく、結局経営者は絶えず学習し、多くの人々の忠告に、真摯に受け止め、合理的、効率的な経営に努力するしかない。

* へんしゅう後記*

本年七月八日に、当会の七代目会長に平井基陽先生がご就任された。当会の事業はシンプルにスリム化して令和を迎えたが、老人医療はどこまで複雑化していくのだろうか!?

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老人の専門医療を考える会 JAPAN ASSOCIATION FOR IMPROVING GERIATRIC MEDICINE