老人医療NEWS第141号
今こそ「老人の専門医療」を
秋津鴻池病院 理事長 平井基陽

年が明け、かつてNHKの朝ドラで覚えた「まだまだとおもひすごしおるうちに、はやしのみちへむかうものなり」なる主人公の台詞を改めて胸に刻み込んでいる。これから先のことを考える時間よりも来し方を振り返ることが多くなってきた。当会も結成から三十五年近くなる。当会で学ばせてもらったことも沢山ある。それを糧にして自分の持ち場で試したことも一杯ある。

そんな感慨にふけっているところに先日、老年医学会等から高齢者七十五才以上説が提言された。それによると「現在の高齢者においては一〇〜二〇年前と比較して加齢に伴う身体的機能変化の出現が五〜一〇年遅延して『若返り』現象がみられています」とのことである。

私たちの病院では日本医療機能評価機構の受審に合わせて平成十五年に「高齢者診療指針」を作成した。これは八項目からなるがその第一項に「高齢者とは医療との関連で言えば、寝たきりや認知症などの障害発生頻度が七十五歳を境に増加することが統計的に知られており、七十五歳以上の後期高齢者をもって高齢者と定義する」とうたっている。また、既に七十五歳以上を対象として平成二〇年度から後期高齢者医療制度が施行されている。これらの理由から「いまさら」の感はあるものの、この定義が今後の政策にどう影響するのか注目される。

我が国では七十五歳以上の人口は二〇三〇年頃までは増加すると推定されている。私たちの施設がある御所市の場合、人口は平成五年の三万六〇〇〇人をピークにその後は減少に転じ、この二〇年間で約七割になった。しかし、後期高齢者(新老人)の数は二倍に増加しているし、今後も二〇二五年までは増え続ける見込みである。まさに、老人医療真っ盛りの時期を迎えている。

一方で、近未来を見据えて「地域医療構想」なる議論が始まっている。過日、県の医療政策部局と地域医療構想調整会議委員との意見交換会があった。その席で私は「この三〇年間、私たちは老人医療を実践し、その中で認知症の総合医療とリハビリテーションの大切さに気づき力を入れ、地域に貢献してきたつもりです。そこに、たまたま制度が出来たので回復期リハビリテーション病棟と最近では地域包括ケア病棟を設置しました。地域医療構想とかなんとか言わなくても放っておいたらなるようになるんではないでしょうか。地域の人が要らないと言えばそれまでですが」と発言し、その場を白けさせてしまった。

少なくとも、今後一〇年間は人口が減ろうとも、老人が元気で過ごそうとも、老人医療の需要は増え続けることだけは確かである。そこで、これまで培った専門性をどれだけ発揮できるかどうかが勝負どころとなる。

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循環器内科から見た超高齢化社会
わかくさ竜間リハビリテーション病院 院長 錦見俊雄

私が医師になった一九八〇年代前半は七〇才以上は超高齢者であった。七十一才の狭心症患者をバイパス手術目的で国立循環器病センターに紹介したところ、七〇才以上の高齢者に心臓手術の適応はないと、そのまま返された。一九九〇年代になり、PCI(経皮的冠血管インターベンション)が盛んになり、最初は八〇才以上の患者にPCIの適応があるのか、循環器内科医にも逡巡があったがそのうち八〇才以上の患者にPCIが行われるのが普通になり、現在に至っている。今では七〇才以上の患者のバイパス手術を断れば、心臓外科医は仕事を失うであろう。弁膜症の手術も同様で、現在手術をする大動脈弁狭窄症の患者の平均年齢は八〇才を超えている。経皮的大動脈弁置換術(TAVI)も日本で導入され、現在日本で広まっているが、適応者はほとんど八〇才以上である。

医学の発達と栄養の向上とともにこの三〇年間で急速に寿命が伸び、医師のみならず社会が充分に対応できていないように思われる。現在では九〇才を迎えるのは男性で約四分の一、女性で約二分の一である。確かに七〇才はまだ若く、八〇才でもまだまだお元気な方が多い。九〇才代になってようやく衰えて来たかという印象がする。昭和三〇年代に数百人しかいなかった百寿の方も、現在六万人を超えた。ただ今後も百才を超えて寿命が伸び続けるのかというと、やはり限界はあるようだ。最近の論文によると、ここ二〇年間の世界の最年長者は徐々に低下している事が示されている。この理由としてヒトは六〇兆個の細胞からなるが、毎日数千億個が分裂・再生している。当然遺伝子のコピーミスがある一定の確率で生じ(進化の源でもある)、この遺伝子のコピーミスが年齢とともに蓄積していく。遺伝子のコピーミスが重要な遺伝子に年齢とともに蓄積し、ある一定以上に達するとガンが発症する事もわかってきている。従って生物は永遠に生きる事はないし、百才を大幅に超える事もなさそうというのが現在の考えのようだ。

私は回復期リハビリテーションと療養型を有する当院の院長をつとめて三年弱になる。それまでは大学を中心とした急性期病院勤務だったので、病気は治療して元気になっていただく、病気と戦うというスタンスだった。当院の院長となって、回復期病棟の患者と、療養型病床の患者の一部で医療・リハビリを平行して行い、在宅復帰を目指しているが、療養型病床では回復が困難な高齢者もたくさんいて、今の治療方針でよいのかと自問自答を繰り返している。人間(生物)はいつか死ぬようにプログラムされているので、ある一定のところで線を引いて、その人らしく尊厳を持ってこの世とお別れをさせてあげる、というのも医師の大事な使命と思うようになった。しかしこの線引きは大変難しい。昨年、我々の法人に英国から医療関係者が来られ、経管栄養が多いのに驚いていた。英国では食べれなくなると医療行為をしないそうだが、国民のコンセンサスは得られているようだ。しかしそこに至るまで二〇年くらい国民全体での議論がなされた。日本は急に高齢化社会になったこともあるが、死というものに国民が真に向き合っていないという現実がある。今後は国民全体で死について議論を進めていく事が必要であろう。自分自身も死を現実の問題として考える年齢となり、穏やかで尊厳のある死を迎えたい、と思う今日この頃である。

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地域をつくる、広域型 京都版CCRC
―意識・発想の転換―
京都大原記念病院グループ 代表 児玉博行

人口二五〇〇人、無医村の京都・洛北大原の里で病院を開設してから三十五年が経つ。開設直前までメスを握り手術をしていた外科医が、突然、地域の高齢者と向き合うことになった。それまでは、外科医の当然の意識として、高齢者の外科的病変を探し、検査をし、手術をしていた。しかし、このような過疎な地域で一体何ができるのか、アクセスの悪い田舎に、果たして患者、高齢者を集められるのか、非常に不安であった。

約三〇年前より東京に出て様々な人の意見を聞き、少しずつ社会全体が見えるようになった。老人の専門医療を考える会をはじめ、三菱商事、医療コンサルティング会社の方々と、様々な視点から海外視察をした経験を踏まえ、日本の社会保障制度の行く末が見通せるようになってきた。

当時の京都市の病院状況は、一般病院・総合病院の大盛況時代であった。いずれ官民格差が拡大し、急性期は官主体、民は亜急性期・慢性期に分別されていくことは、容易に推察できた。「敵を知り、己を知れば百戦して危うからず。」金もなく力もない者が、同じことをしても、生き残れないであろう。敵を作らず、戦わずして勝つにはどうしたらいいか。こうした観点から、急性期以外は全部やると決め、リハビリテーション医療を核として老健、特養、ケアハウス、有老、在宅医療の事業を展開してきた。気が付けばいつの間にか京都府の地域包括ケアのモデルとなり、国の地方創生モデル事業として京都府と広域型京都版CCRCを推進することになった。

日本は、全てにおいて大都市、特に東京一極集中である。大手町、霞が関では合わせて年間二万人も退職しており、その親は八〇歳前後である。また一七〇〇兆円の個人金融資産のうち、約一千兆円は高齢者に集中している。つまり、日本においてアッパーミドル、高齢者富裕層は、自然と東京に集中している。

さらに上海の財閥の当グループの視察もあり、これらハイアッパーのアジア人を京都もしくは大原に取り込めないかと考えている。京都はインバウンドも含めて観光客年間七千万人以上が来る。中国、フィリピンなどのアジアでは富裕層が多いなか、医療機関によるリタイアメント施設などが追い付いていない。世界的な高齢化から見ても、マーケットが拡大し、我々にとってはビジネスチャンスがあると言える。

こうした状況の中で、まず二〇一三年にリハビリ専門の「御所南リハビリテーションクリニック」を開設した。東京慈恵会医科大学、京都大学、京都府立医科大学、大阪医科大学、関西医科大学、京都第一・第二赤十字病院と連携し、教授五人、部長クラス二十五人が集まり、縦割的な考え方ではなく、様々な特殊外来を展開し、高度なリハビリの考え方をデータとして厚労省に提出し、政策提言を行っている。次の拠点としては、京大病院に隣接した形で百床程度のリハビリ専門病院を二〇一八年に開設し、東京、アジアの高齢者富裕層の呼び水として考えていく。

大原では、内閣府のモデルケースとして予算が組まれ、ここでは「リハビリ道場」を二〇一八年に開設し、健康長寿を推進。新しい商品を開発していく。具体的には保険外のリハビリを実験していくことになる。

日本の債務残高が一千兆円を超えるなか、制度ビジネスの限界が見えている。意識・発想の転換をはかり、地域に合った新しいビジネスモデルを自ら考え、創設していかないと、取り残されるだろう。二〇二五年には、団塊の世代がすべて後期高齢者となり、日本においても、世界、特にアジアにおいても、高齢者人口が増大する。すなわちマーケットが拡大する。我々にとってはビジネスチャンスである。高付加価値商品を企画・開発し、提供していくことが、今後、我々に求められてくる。

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診療・介護同時改定の財源はどうなる?
[アンテナ]

安倍政権の経済政策の基本は、マイナス金利にしてまで市場にカネを投入し、経済成長させる。一方で、二%の物価上昇を政策目標としたにもかかわらず達成できなかった。おまけに、消費税一〇%への引き上げを明確な理由も示さず二度も延期した。

どう考えても、現時点では成功していると評価するのは無理であるが、有効求人倍率を改善し、インバウンドは目標の二千万人を越え、社会全体のムードは、悪い方向にあるわけではない。ただ、トランプ政権の政策展開が、どのようになるのか、不安があることは事実だ。

社会保障と税の一体改革という政策の基本は、いまさら変えようがない。消費税を全て社会保障政策に投入し、年金、医療、介護、子育て支援、福祉サービスを確保するということは、今や大前提といってよい。消費税が八%から一〇%ということが決まった時点から、その増税分を見込んで政策が準備され、一部は増税前から施行された施策もあったのにもかかわらず、引き上げを延期した。

なぜ、予定されていた引き上げをしないで、二度も延期したのかは、いくらいろいろな憶測を見聞きしてもわからない。総理の決断といわれているが、あまりにも謎だ。五%から八%引き上げにより、経済に悪影響が生じたことは確かであろう。しかし、今度は引き上げないことで、社会保障制度を維持できなくなってしまうという悪影響が目立ってきたように思えてならない。

来年一〇月には一〇%に引き上げられるのであるから、良いではないかといった悠長なことは、とてもいう勇気がでない。

現実問題として、どう考えても来年四月に実施される診療報酬・介護報酬そして障害福祉サービス改定について、特別な財源があるわけではなく、高齢化の伸長などで増加する社会保障の伸びをいかに抑制するかといったことが焦点化されている。二〇一七年度予算編成では、社会保障費の増加額を五千億円に抑制するために、七〇歳以上の高齢療養費制度などが見直されることになっている。二〇一八年度も情勢は大きく変化していないので、伸びを五千億円程度に再度抑制しようとすれば、医療も介護も大幅な給付引き下げをせざるをえないと総理周辺では、もっともらしく議論されている。

医療での有効な引き下げ方法は、薬価引き下げであることは、だれの目にも明らかであるのかもしれないが、どこまでも引き下げられるわけでもない。医療や介護サービス原価は、薬などのモノを差し引けば大半が人件費だ。つまり、医療や介護費用の引き下げは、人件費を引き下げることが求められるのかもしれない。ただし、介護職員の人件費は、毎改定ごとにこれまで三回政策的に引き上げ、次回も引き上げざるをえない。看護職や医師の人件費を引き下げるといっても、それでは医師や看護職が確保できなくなってしまう。

そうであれば、被保険者というか、利用者の負担を強化するしかないということになるが、年金もすでに十分に引き下げ、大多数の高齢者は、これ以上の負担に対応できない。生活保護を受給せず、自らの僅かな年金のみで生活している人々の多くを被保護者にすることは、さけるべきである。

こんなことを考えてみると、改めて同時改定の財源を確保することができるのか、とても不安になる。「無理が通れば道理が引っ込む」というが、社会保障の道理を引っ込ませては絶対ならない。

* へんしゅう後記*

一〇〇歳以上の長寿の人たち「センテナリアン」の研究がすすんでいるようだ。インタビューを受けているセンテナリアンの様子を見ると、皆すべてを受容し穏やかで幸せそうだ。日本は、人口あたりのセンテナリアンの数が世界で最も多いようであるが、これから目指すところは健康長寿の大国になることだろう。

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老人の専門医療を考える会 JAPAN ASSOCIATION FOR IMPROVING GERIATRIC MEDICINE