老人医療NEWS第140号
豊かな看取りのプロを目指せ
医療法人社団慶成会 会長 大塚宣夫

医学教育の二大価値観

世にいう老人病院を開設して三十七年目に入った。この間に関わった高齢者は一万二千人を超え、看取った人の数も七千人にのぼる。

今もあまり変わってないと思うが、医学の教育課程で叩き込まれる主な価値観は次の二つ、その第一は身体や精神につき正常なる状態を設定し、そこから逸脱した部分を発見し正常に戻すべく努力すること、第二は死を医学の敗北と見なし、それを回避するため、あるいは少しでも先に延ばすために全力を尽くすことである。

高齢者医療の何たるかをよく知らずに関わるようになったとはいえ、毎日の診療現場ではこの二大価値観には大いに悩まされた。

まず高齢者では、何らの苦痛や不自由もなく生活している人でも、検査すれば山のように異常値が出てくる。いろいろな治療手段を講じても異常値はほとんど改善を示さず、治療による副作用のみが出現したり、その後遺症が残ることも少なくない。自分の力量不足に悩んだ。

さらに高齢者の場合、どんな手段を駆使しても時期が来ると元気が無くなり、食事も入らなくなり、死ぬことを思い知らされた。そればかりか、一般成人では当然と思われるような対応をすると、かえって死が早まることも知った。死を敗北と位置付けるなら、まさに連戦連敗の歴史であったともいえる。

しかし、二、三年して考えが変わった。ひょっとしたら我々が受けてきた医学教育の二大価値観が間違っているのではないか、少なくとも高齢者には通用しないのではないかと思い始めたのである。

死は人生のプロセスの一つ

視点が変わると世の中の景色が一変する。一般成人からすれば異常でも高齢者にとってはそれがなんの支障も来たさない、治療に反応を示さないのは、それでバランスが取れているからではないか。

死についても同様、人は誰でも死ぬ、一つの流れのなかで死んでいく。高齢者の立ち居振る舞いや、持つ雰囲気の変化をじっくり観察すると、その人の寿命さえも見えてくる気がする。今もって医学的手段ではこの流れは変えられないのは明らかである。少なくとも高齢者についていえば医学の敗北の結果ではない。むしろ誰でもたどる人生のプロセスにすぎない。

豊かな看取りへのプロ不在

そうと決まればまた新しい世界が開ける。

人が生れ出る際の医療のプロは居る。途中の病気やケガ、障害を治すプロも居る。この流れからすれば、年間百万人もの人が死に、その大部分が高齢者という時代に、終末に向けてのプロセスに真剣に向き合い、豊かな看取りを実現する医療のプロがいても不思議ではない。しかしながら、そのプロの何と少ないことか。我々がやるべき医療、目指すべき姿はそこにこそあるのではあるまいか。

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困惑している一人の人間
北中城若松病院 理事長 涌波淳子

「すこしでもはやく次のことをするためじゅんびしていてもぜんぶうらめにでる もうくたくただ すこしは大めに見てください このくるしみ だれも りかいしてくれないのはなぜ? ごみはだしておきます ついでにすててください なんにち なんようびがわからないのですから」これは、せん妄、大声、介護への抵抗等のBPSDで入院された八十代の脳血管性認知症の方が、入院半年前に書かれた文章だ。この方は、元看護師で、定年退職後、沖縄に移住しケアハウスに住んでいた。六十代で脳梗塞を発症されたが回復、その後も自立した生活をおくり、バスに乗って外出し、趣味も広く、とても活動的に余生を過ごされていた。しかし、施設の職員が「何かおかしい」と思った時には、既に認知症が進み、自立した生活が出来なくなっており、このような文章が何枚も書かれていた。これまでと同じように一人暮らしの豊かな生活を続けようとしているにも関わらず、日時の見当識障害や実行機能障害によって上手に生活ができず、困惑している気持ちが痛いほど伝わる。

当法人の「認知症医療及び介護の行動指針」の一番目に、「私たちは、認知症の方々は、『認知症というハンデイキャップをもちながら、その中で自分なりに生きようと努力している、あるいはそれで困惑している一人の人間である(室伏君子)』と認識することからケアを始めます」と入れている。何度も唱和している言葉ではあるが、この方のカルテの中に前述のメモを見つけた時、「困惑している一人の人間である」という意識が、本当に私自身の心に落ちていただろうかと自省せざるを得なかった。

ない。抗認知症薬によって多少の神経伝達を改善したり、抗不安薬や睡眠薬等を使って睡眠を確保し精神的な混乱を収めたり、せん妄を改善する事はできるが、進行してしまう認知機能の低下とそれに伴う本人の中に内在する何とも言えない「困惑」は薬では改善できないように思う。特に認知症の方は、この「自分なりの努力」や「困惑」を言語で表現できなくなってしまい、私達は、「取り繕われている言葉」や「混乱している行動」など表面に現れているものしか見えず、それを解決する事に終始してしまいがちになる。

二〇一二年に厚生労働省から発表されたオレンジプラン(認知症施策推進総合戦略)は、超高齢社会において認知症の方が増えていく現状を捉え、国や県における医療福祉政策の一つの柱となった。しかし、いろいろなサービス事業が増えても、認知症と診断されることへの不安や認知症を苦とした心中事件は後を絶たず、何となく「魂」の入っていない冷たいコンクリートの柱のような感じを受けた。その後、これまで「困惑」の中で苦しんでこられた認知症の方々の中に、自分の病を直視し、サポートを受けながらも「困惑」を乗り越え、認知症に立ち向かって力強く生きる方々が現れ、その方々の「言葉」によって、二〇一五年、「認知症の方の視点」で修正された新オレンジプランが発表された。忙しい現場業務の中で、表面上は同じようなケアプランになってしまうかもしれないが、「困惑している一人の人間」として認識するのであれば、「魂」の入ったケアにつながるのではないかと思う。認知症になっても安心して生きられる社会をつくるのは私達である。

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地域で行った、認知症高齢者の介護病棟での学び自動車運転に関するアンケートから
善常会リハビリテーション病院 理事長 岡田温

認知症高齢者の自動車運転が原因と思われる交通事故を目にするたび、耳にするたび、「とても他人事とは思えない。いつ、自分の夫(妻に、親に)起こってもおかしくない」という恐怖にも似た不安を持つ人は数多くいるに違いない。

社会全体で取り上げられることはもちろん、より身近な地域で考え、重層的に支えていく仕組みが必要であると考えている。

私どもは、活動する地域(名古屋市南区)で、ここ数年、「認知症ケア研究会」という極々小さな研究会を開催している。昨年度は、国立長寿医療研究センターの荒井由美子先生をお招きして、『認知症高齢者の自動車運転を考える家族介護者のための支援マニュアル』についてご講演をいただいた。かなり細やかな配慮がされており、このマニュアルを多くの人に活用して欲しい。単に、運転を止めさせるといったことではない、高齢者の生活の質を考えた支援が必要である、という荒井先生の切なる思いが伝わってきたご講演であった。

この講演に先立ち、南区の地域包括支援センターが行った、「認知症高齢者の自動車運転に関する相談事例調査」の結果も報告した。地域のケアマネジャー(一三〇数名)を対象に行ったアンケートであった。その結果の一部について、お伝えする。〈相談内容〉としては、
・危険運転をしているが、どうしたらよいのだろう。(車をぶつけている。道に迷う等)
・運転を止めさせたいが、どう納得させたらいいかわからない。誰の言うことも聞かない。
  (家族の言うことを聞かない。医者に止められたのに運転する。鍵を隠したらひどく怒った等)
・本人の自覚がない。(止めたらと言ったら、普通自動車を軽自動車に代えれば良いと言う。/大型二種の免許を持っているから大丈夫だと言う等)
・車に乗らないと生活できない事情もある。(老々介護で生活に必需品である。嫁が自分たちのことは自分たちでしてほしいと、運転の継続を望んでいる等)というものであった。

次に、〈運転を中止できたケースについて、その方法〉として
・関係者が協力し本人を説得した。
・車や鍵の処分をした。
・事故を起こし、自分で危険を認識して止めた。
・代替え方法を提案した。
〈今後必要な支援として〉は、
・運転を中止しても安心できるサポート(代替え支援、心理的サポート、生きがいづくり)
・運転中止に対するサポート(@連携体制:関係者、関係機関の連携体制の強化、相談できる窓口の設置等、A自主返納につながる取り組み(高齢者サロンや認知症カフェ、勉強会等で話しあう場を増やす、危険予知のビデオを見る機会をつくる、ある程度の年齢になったら、免許を返納する雰囲気を地域で作る等)

このアンケートは最初にお伝えしたとおり、ごく小さな研究会で発表されたものだが、他の都市部で行っても同じような結果になると思われる。かなり、苦慮している様子が伺える。

今後、この課題はますます大きくなっていくであろう。医師はこの課題について重要な役割を担う。平成二十九年六月一六日までに施行される、七十五歳以上の高齢運転者への臨時認知機能検査等に「荷が重いなあ」と、なんとなく腰が引けてしまうのも事実だ。しかし、家族は、そして関係者も本当に困っている。好むと好まざると、私たちはこの問題のど真ん中にいるようである。

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巨星三局長 厚労省を去る
[アンテナ]

六月に開催された第一回社会保障審議会療養病床のあり方等に関する特別部会の冒頭、三浦老健局長から「療養病床の再編につきましては、昭和四十八年の老人医療費無料化以降、病院が高齢者介護の受け皿となってきました、いわゆる老人病院問題として懸案であったものでございます。介護保険法の施行後六年を経て、介護基盤の整備も一定程度進んだということなどから、積年の課題を整理し、いわゆる社会的入院に対応するということで進められてまいりました。このため、平成十八年から療養病床につきましては患者の状態に則した機能分担を促進するという観点から、医療の必要性の高い方々につきましては、引き続き医療療養病床で。高齢で医療の必要性の低い方々につきましては、療養病床から移行した例えば老人保健施設などで対応するという方向性のもとで改革が進められてきたものでございます。昨年度、七回にわたりして療養病床のあり方などに関する検討会で御議論いただき、これからの選択肢を検討していただきました。その検討の中で日常的、継続的な医学管理や充実した看取りやターミナルケアを実施する体制と、あわせて利用者の生活様式に配慮し、長期に療養生活を送るのにふさわしい環境整備の重要性、この二点が取りまとめられたと理解しております。委員の皆様方には、高齢者がそれぞれの状態に最も適したサービスを利用することができますように、制度改革に向けた議論が実り多いものになりますように、忌憚のない御議論をいただきたいと思いまして、冒頭の御挨拶とさせていただきます」

続いて唐澤保険局長が挨拶した。「私は三十五年前に厚生省に入りまして、当時は老人病院でございましたが、それから介護力強化型を経て、介護保険制度を経て、今日の療養病床問題につながっております。当時からずっとお世話になって御示唆をいただいている懐かしい先生もたくさんいらっしゃいまして、感慨深いものがございます。課題は相変わらず残っているということでございますが。さて、今回の特別部会で御議論いただくことになります療養病棟のあり方につきましては、地域包括ケアの推進の観点から非常に重要な課題の一つでございます。また、医療と介護の計画の同時策定、これは平成三十年度から始まりますし、また、国保の財政運営を都道府県化、これも平成三十年度から始まります。さらに診療報酬と介護報酬同時改定ということがありますので、この平成三十年度をにらみまして今回の検討を進めていただきたいと考えているわけでございます。慢性期における医療、介護の両方のニーズをあわせ持つ方々ができる限り地域で安心して継続して生活していくことができるように、どのように受けとめていくべきなのか。お一人お一人の状態像に応じた適切な場で受けとめていくことが重要だと考えております」

審議中、唐澤局長は再度、「この療養病床の問題は私が入省したときからずっとこれはやっておりますけれども、なかなか一筋縄ではいかない問題がございます。ここだけさわっているようで、実は関係の施設体系、急性期も含めて施設体系にさわっているという問題であって、しかも医療と介護、医療保険と介護保険の間にブリッジをかけるようなところに存在している問題でもありますので、それはここの場で十分御議論をいただきたいという趣旨でございます」と発言した。

この国の三十五年来の政策課題が老人医療にあり、それを解決するのには「一筋縄」ではなく、これが療養病床問題の全てである。この特別部会が開催された六月末に、唐澤剛さんと三浦公嗣さん、そして長年、社会保障制度改革をリードしてきた香取照幸さんが厚生労働省を去った。

* へんしゅう後記*

当会の前副会長桑名斉先生が「わたしの旅立ちに備えて(リビングウィル)」を誰もが活用しやすいシートにまとめられ、ホームページに公開した。是非ご活用いただきたいと思う。

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老人の専門医療を考える会 JAPAN ASSOCIATION FOR IMPROVING GERIATRIC MEDICINE