老人医療NEWS第138号
老いと死は他人事
医療法人社団慶成会 会長 大塚宣夫
世にいう老人病院を開設し、その運営に関わるようになってもう三十五年が過ぎた。この間に多くの高齢者に接し、一万人余の人生の最期も見てきた。人は誰でも年を取り、そして間違いなく死んでゆく。自分なりに高齢者とはこんなもの、七十歳を超えて年を重ねるとこんな気分になるのではと思っていた。さらには寝たきりになり、最期に至るプロセスもそれなりに分かったつもりでいた。

しかしである。自分自身七十三歳を過ぎ、社会的にも立派な高齢世代の仲間入りをしたというのに自分が高齢者の一人とはどうしても思えないのである。確かに目はかすみ、耳も遠くなり、体のあちこちに痛みを覚え、物忘れもかなりのものである。まぎれもなく老化現象の真只中にいるのに、だからといって自分が高齢者と思えないのである。送られてくる介護保険証や年金受給者現況届など目にすると腹立たしい気分にさえなる。世間から見れば老いを受容できない高齢者ということになろうが、正直な気持ち、自分のなかでは五十歳頃とほとんど変わりないのだから困ってしまう。

心配になって周りの七十歳代、八十歳代の友人知人に訊くと、一瞬照れながらも全員が同じようなことを云う。つまり、多くの人が年を取るのは他人であって自分ではない、あるいは自分だけは老いないと思っているのではなかろうか。

その延長線で人生の最期を考えると、さらに空恐ろしくなる。他人の力を借りないと生きられなくなった時、自分の意思表示さえもままならなくなった時、人は本音で何を思い何を望むのであろうか。今の我が身からすれば、そうなったら、苦しいことや惨めな姿をさらすことはまっぴらご免とばかりに少しでも早く楽に逝かせて欲しいと思っている。もっと云えば、ヨーロッパ流に口の中に入れられたものが飲み込めなくなったら、それ以上は何もしないで逝かせて欲しい等と気楽に云っている。しかしここでも、死ぬことはあくまでも他人に起ることであり、実感を伴わないなかでの発想であり、本当のところは分からない。

そして突然不安に襲われる。老人病院の経営者として若い時から世間でいう社会的弱者としての高齢者に少しでも豊かに終えてもらいたいと自分なりに考え、対応してきたが、こんな思いの高齢者がいたとなると何か根底から間違っていたのではと思うからである。それとも障害や病気がちになると、あるいは七十五歳を過ぎると気持ちが変わり、弱者として扱われることに抵抗なくなるのであろうか。

自分が老いる日が、そして死ぬ日がいつか来るのは知っているが、それは何歳になってもかなり先のことと思いたがるのが人の常であるが故に、老後のことや死に方についての議論がなかなか進まないのかもしれない。あなたの場合はどうですか。

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地域包括ケア
福山記念病院 理事長 藤井功

「自分で出来る事は自分でする」を基本とした地域包括ケア体制が大きくクローズアップされてから数年経過しているが、地域により温度差が目立って来たと感じている。多職種交流会を行っても、地域のつながりは、あまり強いものではない。

私の知っている財政豊かでケアに熱意のある地域では、それなりに充実した地域包括ケア体制が概ね完成されている。しかし公的経費を費やして共助、公助を充実できたこの地域は、自助、互助が衰退の危機にあるという。超高齢化で老人世帯が目立つこの地域では、必要な医療と充実した手厚い介護が提供されている。在宅生活が困難となれば、すぐ施設に入所できる。住民の連携が希薄となり、自助・互助が重要視されなくなるのも自然の流れである。自治体の担当者は公的援助が少なくなったら、現在の体制を維持できないと心配している。

そもそも、このシステムは老人が長く在宅生活をするための体制作りである。そこには二十四時間、目が行き届く介護の存在が絶対条件であり、それが最大の欠点でもある。本来なら、自助・互助を確保できない地域では実現困難である。超高齢者には毎日数時間の介護空白を許してくれる余裕はない。このシステムは破綻していると公言する学者もいる。

少子高齢化が加速している借金大国日本である。消費税の増税を見送ったため、ますます医療介護の財源が足りなくなったと発表される(なんだか厚労省と財務省の策にはめられた感がしてならない)。そのため共助・公助を頼ることはできないことは理解できる。

地域包括ケア体制を実現させる策があるだろうか。そのためには元気な高齢者を育成し、彼らの能力を有効利用することである。若者は日本の諸産業の重要な担い手である。文化、教育、科学技術の発展に寄与する人財である。多くの有能な若者に頼る医療介護政策は間違っている(人手不足が顕著になり、閉鎖する施設もある)。

私は介護保険導入時、要支援に介護保険を適用するなら、老人クラブやゲートボール同好会等に補助金を出して運動を勧めた方が良いと常々発言していた。しかし、担当者は「老人を介護すればするほど国からお金が降りてくるから高齢者は財産です。この制度は完璧です」と回答していたことを思い出す。

元気な高齢者が病んだ高齢者を介助し、ボランティアが活躍する。これを定着させることが出来るカリスマ的リーダーと有能なコーディネーターの育成が急務である。さもなければ迅速に動ける同一又は関連法人による自己完結型包括ケア体制が各地域を分担するのであろうか。多くの民間事業者により共助が過剰な地域は、各事業者が利用者の確保に奔走している。地域を競い合って助ける「競助」が繰り広げられている。その為介護保険料が高騰していることを利用者は知らない。

「競助」の弊害をもう一つ。最近、報酬に在宅復帰率が導入されたことは評価する。しかし「在宅復帰もどき」が多く出現している。すなわち一日だけ自宅に宿泊し、その後一ヶ月間ショートステイ等で生活するパターンである。この様に在宅復帰の理念とかけ離れた実態もある。在宅復帰率が報酬で過大に評価されれば、必ず「在宅復帰もどき」は拡散する。

地域包括ケア体制の完成は道半ばです。信頼されるコーディネーターの育成に努力します。

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昭和五十八年
南小樽病院 理事長・病院長 大川博樹

昭和五十八年は、一九八三年なのだが、それではあの前後の時代感が呼び起こされない気がする。一九九〇年代以降は西暦が似合うが、八〇年代は昭和が耳に馴染む。

この年の日本レコード大賞は細川たかしの「矢切の渡し」。巨匠船村徹氏、石本美由起氏の作品、最優秀歌唱賞に森昌子の「越冬つばめ」作曲は意外にも「とんでとんで」の円広志氏である。細川たかしは前年「北酒場」でもレコード大賞を獲得、曲調の全く異なる二曲で連続受賞に輝いた。

「レコード」大賞と言うからには、当時の音楽流通の主流はレコードとカセットテープであった。そして、CDは昭和五十七年から発売されてはいたが再生機の普及が追いつかないこともあり、販売数はまだ少ないものだった。

昭和五十八年は、当会の正式な発足の年である。音楽CDの歴史とほぼ一緒である。CD販売数は一九八〇年代後半にはレコードを抜き去り、九〇年代末にピークを迎えたが、それ以降はひたすら減少の運命をたどっている。「九〇年代は良い時代だった」とは老人医療にもCDにも同じく言えることなのかもしれない。

レコード大賞は一九九〇年の堀内孝雄、九十一年北島三郎、九十二年大月みやこ、九十三年の香西かおりを最後に、歌謡曲・演歌系の受賞は途絶えてしまう。仮に、歌謡曲を一家団欒でも聴くことが出来る音楽とゆるく定義してみるなら、あの一九九五年以降は音楽は個別的に聴くものになったとの推論も可能であろう。歌は世に連れ、との言い回しのように、音楽もポスト・モダン化したと言えよう。

昭和五十八年は、わが国の人口約一億二〇〇〇万、出生数は約百五〇万人で死亡数の約二倍、しかし合計特殊出生率は一・八〇であり、すでに人口減少、高齢化社会の足音が聞こえ始めていた。悪徳老人病院が社会問題化していたのも事実であり、それが当会の発足を促した面は確かにあったではあろうが、社会の変化とその未来を鋭敏に察知していたのも事実であったはずである。

老人医療の、量から質の転換をはじめとして、当会がわが国の老人医療に果たしてきた役割は、CDがもたらした音楽の変化と同様に画期的なものであった。質の向上ひとつをとっても、同じような時代に似たような発展をしている気がする。

昭和五十八年に発足した当会は、今年で三十二年。音楽産業もその間に大きく変化し、CDよりも音楽ネット配信、それ以上にライブ中心のビジネスモデルに転向してきている。

日本レコード大賞はネーミングに「レコード」を残しつつ依然として最大の音楽賞になっており、二〇〇七年のコブクロ以降はグループの受賞が続いている。当会も「老人」という言葉を残して、「慢性期」とは異なった意味合いを主張している。時代を超えて残り続けること、それ自体が「存在の意味」であるとしたら、そこに新たな意味を盛ることができるのか、それともすでに時代性など超越した「存在」として、「あり」続けるのか、いつか時代が新たな意味を見いだしてくれると信じていくのか、CDが今後も消滅はしないだろうが、どのような意味で存在し続けるのかと同様に、興味深く見守って行きたい。

音楽は器の変遷はあれども、音楽として永遠に存在するものである。同じように、老人医療も、呼び名や診療報酬上での形態は変化し続けるだろうが、永遠に存在するものであり、我々が追い続けることのできる永遠のテーマであろう。

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医療介護制度改革は急展開するも実効性に疑問
[アンテナ]

安保国会とでも呼ぶのであろうか。与党は国会会期を八月まで延長といったが、すぐに九月までといいだした。何が何でも政府提案の安全保障関連法案を成立させたいという気持ちはわかるが、国民を二分する大議論であり、無理が通れば道理が引っ込むというわけにはいかないのだろう。ただ、医療制度改革は、何でもかんでも政府の方針通りに順調に改革されている現状にある。

昨年六月に成立し公布された医療介護総合確保推進法は、十九の現行法を一度に改正するというすごい法律で、政府も厚労省も自信を深めたようにみえて仕方がない。

今年四月の介護報酬改定も前評判はひどすぎたが、医療事業をたためとまでは脅されなかったし、時間がたてば案外良くできた報酬改定であるという部分もある。

よくわからないのが医療介護総合確保推進法による「地域医療構想策定ガイドライン」という代物だ。関連の法律や通知あるいは行政の資料や官僚の説明を聞いていると、わけがわからない。かっての医療計画、医療圏、病床削減による医療費抑制などという無策の行政計画は、何の効果もないというより、駆け込み増床とか、公立病院の増床に対する配慮などにより、絵に描いた餅になってしまった過去を反省せず、また同じミスに向おうとしているとしか考えられない。

厚労省は「地域医療構想策定ガイドライン等に関する検討会(遠藤座長)」の報告を受け、三月十八日に都道府県の「地域医療構想を策定するための指針」とした。この指針は、どうも内閣府の「医療・介護情報の活用による改革の推進に関する専門調査会」が作成した、将来推計や病棟区分の考え方を厚労省がそのまま採用したらしい。

約十か月前より集中審議し厚労省がDPCやNDBのレセプト等のビッグデータをこの専門調査会に提出し、医療需要の推計を実施した。このワーキンググループの主査は産業医大の松田晋也教授で、レセプトの出来高点数総合額から入院基本料等を除外して医療資源投入量を計算し、急性期と回復期などを区分するという作業や二〇二五年に必要な都道府県別の病床数を計算したらしい。

どう考えてもガイドラインは、内閣府の「医療・介護情報の活用による改革の推進に関する専門調査会」が作成した、レセプトの出来高点数総合額から入院基本料等を除外し医療資源投入量を計算し、急性期と回復期などを区分したものに過ぎない。

高度急性期三千点以上、急性期六百点以上、回復期二百二十五点以上などという数字を並べ立てている。到底、科学的に理解できない閾値(いきち)の羅列である。「医療区分一の七割は在宅医療等へ。療養病床の入院受療率が低い県のレベルに合わせることにしたらどうか。病床稼働率は高度急性期七五%、急性期七八% 、回復期九〇%、慢性期九二%ということで構想区域の機能別必要数を算定」などというもっともらしい文章もある。

医療・介護情報の活用による改革の推進に関する専門調査会の六月十五日公表の「第一次報告書:医療機能別病床数の推計および地域医療構想の策定に当たって」では、「在宅復帰に向けた調整を要する幅をさらに見込み百七十五点で区分」という数字を示し、二〇二五年回復期必要病床は三十七・五万床程度(高度急性期十三万床、急性期四十万床)などという数字を示している。

その結果、全国で推計すると約十六万五千床過剰であるものの、埼玉県、千葉県、東京都、神奈川県、大阪府、沖縄県は不足するという。他の道府県は、病床過剰だが、在宅医療や介護施設で追加的推計患者数は増加するというものである。なんだかもっともらしい推計を示しているが、要するに慢性期病床を減少させ、いかに在宅医療や介護施設などで対応するかという古典的議論の蒸し返しに過ぎない。はなはだ、実効性に疑問が生じる。

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老人の専門医療を考える会 JAPAN ASSOCIATION FOR IMPROVING GERIATRIC MEDICINE