老人医療NEWS第137号
老人医療を受ける身になって〜齢七十二歳にして〜
新天本病院 理事長 天本宏

ほとんどの方々が九〇歳過ぎまで生きる長命の時代が来た。問題は自分の意思、自己表現できなくなってから死までの時間があまりにも「長い」ことと、またお任せ医療・介護になっていることである。

自ら食べられなくなり、排泄処理ができなくなった長命の方が余りにも多い。自然の摂理や自然淘汰に逆らい「自然な看取り」とは思えない、あるいは「自己決定できない人生の最期」があまりにも多い。九〇歳ともなれば「病死でもなく、安楽死でもない自然死」がある。老衰による自然死とは血・肉と、知・気と、覚醒・精神とが枯渇しきった状態。そして肉体のミイラ化、精神の昇華する自然死(即身成仏)があってよい。

QOLのLifeの日本語訳も寿命の延長とともに変わってきた。人生五〇年のころは、QOLは生命(肉体的、精神的、社会的、文化的生命)の質として理解され、人生七〇年では生活の質といった視点となり、人生八〇年では生涯(人生)をいかに生き、幕引きしていくかといった個人個人の人生のプロセスの質を追い求めるようになってきている。一人ひとりのQOLの質はお任せではなく各個人が選び、自身で手塩にかけて創造していく。つまり「自己責任」でもある。様々な「しがらみ」から解放され、自身の価値観によって自由に、そして時間もたっぷりと生きられるのが高齢期である。

「人は見た目ではなく中身」とよく言われるが、老いは見た目に表れる。最近、【サクセスフル・エイジング】成功例として「いきいきとし、笑顔も満開」、「仲良く手と手をつなぎ楽しそうに会話している高齢の男女」、「一人静かに自然と向き合い悠然と暮らしている方」などなど【健康長寿】の姿を見る機会は着実に増えてきた。人は【生きてきたように死んでいく】そうだ。言い換えれば寿命を決定する因子は「日々の生活習慣」や「主観的幸福感(Here and Nowをその人がいかに幸せに感じるか)」である。上手に時を過ごす生活名人の顔には遊びの顔、ファミリー・メンバーの顔、家事(生活)をする顔、市民の顔、有段者の顔、独り上手の顔、お洒落な顔、人の手を借りられる顔といった様々な顔がある。時、場に応じて様々な【顔】を使い分け、楽しく生き、長寿でありたい。そしてまた「可笑、可嘆、可憎(笑うべし、嘆くべし、憎むべし)」、喜怒哀楽もよし。ただし則(のり)を超えず、周りに害を与えず自由奔放な人生を。人は能力ではなく生き方であって、知識ではなく行動であると先人は言われた。後は天命にお任せする覚悟であろう。やりつくさなければ覚悟は生まれない。

Where there is a will,there is a way 意志あるところに、道がある。急ぐ必要はない。他人に歩調を合わせず、自分の歩幅で一歩ずつ大地を踏みしめて登れば、超えられぬ峠(人生)などない。己の人生をこつこつと凡庸に、かつ納得し、歩み尽くしたいものである。時とともに先人達の、信仰の、そして哲学の教えに耳を傾けるようになってきた。

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地域医療提供体制
大久野病院 院長 進藤晃

今般、介護保険の改定が行われましたが、皆様の病院や関連施設での影響はいかがですか。

介護療養型医療施設の機能強化型はハードルが高く、クリアーするのはとても難しいです。当院は回復期リハビリ病棟・医療療養病棟・介護療養病棟の各一病棟を有し慢性期の様々な要求に応えられます。残念ながら介護療養病棟を他の機能へ移行する必要がありそうです。

地域医療構想・地域包括ケアと言われておりますが当院が立地している東京都西多摩地域において脳卒中後の方の施設間移動を二年毎に調査しています。

二次医療圏における脳卒中の急性期での受け入れは約八〇%、その内約四〇%は自宅へ復帰され、約五〇%は回復期リハビリ病棟へ移動します。そこから約七〇%が在宅へ復帰し、約二〇%が急性期病院へ戻っています。その他は、ほぼ老人保健施設へ移動され、そこからの在宅復帰は約一〇%、看取りは数%で約五〇%が急性期へ戻っています。

この移動結果から急性期ではマンパワーがあるため安定し、マンパワーが急激に減少する回復期・療養・老人保健施設・在宅では肺炎などのイベントが起きると急性期へ戻すと推察されます。

療養型における在宅復帰率は一〇%程度ですが、看取り率は五〇%と他に比較して高率です。慢性期におけるマンパワー不足の結果、ブーメランのように戻ってくるために急性期が忙しくなり要求に応えられないように見えます。ならば、療養型・老人保健施設・在宅の医療提供体制つまりマンパワーを強化すべきで、高度急性期病院の機能を強化するより費用的にも安いように思います。高度急性期の整備には多額の費用を投入しているようですが、今後は認知症に合併した骨折・肺炎・脳血管障害が増えると言われ、これに対応するために高度急性期を整える必要があるとは思えません。この様な高齢者特有の疾患への対応を得意とする療養型・地域密着型の急性期病院に費用が投入されないのは考え方の違いでしょうか。高度急性期医療は自己判断によって自費負担があっても受けたくなる医療が多くないでしょうか、多くの苦労をして老後を迎え、でも費用負担が難しい方を療養型や地域密着型の急性期病院で高度ではないが、広く医療を提供できた方が老後への不安がなく幸せな社会ではないでしょうか。年間四〇万人も死ぬ場所が決まらない、在宅らしいと曖昧なままで進むような社会で良いのでしょうか。

先日、近隣某自治体の地域ケア会議に傍聴者として参加しました。高齢女性で腰痛があり動けない方へのケアプランに対して、どう不安を取り除くのかが議題の中心でした。投薬内容を見ると鎮痛剤・腰痛の原因検索と対策が行われていません。痛みを止め、原因に対応を行えば不安もなくなり、リハビリを少量提供することである程度ADLを改善できると考えましたがケア会議では議題になりませんでした。在宅においては療養型よりもさらに医療提供量の少なさ、提供体制の脆弱さを実感する会議でした。医師がじっくり向き合っていれば鎮痛、原因への対応が可能であったし、その結果元気に在宅で過ごす時間が増えQOLが高まるとともに寝たきりを防ぎコスト削減に繋がると思われます。

Time is money。在宅や慢性期に患者様とじっくり向き合える時間とマンパワーを与えてください。

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世の中の進歩は見かけだけ?
信愛病院 理事長 桑名斉

通勤電車の中での人間観察は楽しいが、ここ数年で様子が変わった。以前は居眠りをするか、イヤホンで音楽を聴くか、新聞や本を読んでいる人が多かったが、今はイヤホンをしながら、スマホやPCをいじっている人が七〜八割である。

これらの人々のほとんどはメールやゲームをやっているようだ。寝ないで勤しんでいる。これだけの手間と労力たるや大変なパワーだ。なかには、赤ん坊が泣いても片手でバギーを揺すりながらスマホを離さないママ、スマホとにらめっこしながら試験勉強をしている学生、うつらうつらしながらもスマホをしっかり握りしめている疲れた顔のサラリーマンなどなど。中にはたまにニターッと笑う人もいたりして、表情を見ているとさらに興味深い。

年齢層でも違いがある。コール音が高くて止めるのに時間がかかっているのは年配者。車内放送を無視して話しているのも年配者が多い。しかも大きな声で。耳が遠くなっているせいだろうか、「今、電車」「だから、今電車なの。後でかけるから」。おそらく、「恥ずかしいから、人前で大声で話しちゃいけないよ」と親に教えられた世代のはずなのに。サイレントモードなり留守録機能もついているし。とりあえず、大衆の面前で他人に聞こえるような声で会話をしなければならないほどの緊急事態ではないようだが。

便利で有益なこともたくさんあるが、目や耳の使い過ぎ、指の使い過ぎ、頭の使い過ぎなどからくる視力障害、聴力低下、手の腱鞘炎や手指の変形、それに最近、スマホのコールにすぐに反応する人ほど、ストレスを多く抱えているという実験をした人もいたように、ネット依存症やLINE(ライン)強迫症なども増えつつある。ということは、眼科、耳鼻科、整形外科だけでなく精神神経科や心療内科なども今後、ますます繁盛するだろう。スマホによるスマホのためのスマホ外来なんて出来るかも。

こんなことを考えていた折も折、またぞろ高齢者虐待のニュースが二件。東京都北区のクリニックが運営する老人マンションでの身体拘束と、町田市の有料老人ホームにおける虐待の事件。前者は点滴ラインや経管栄養チューブを抜かれないためのミトン使用と四肢、体幹拘束、後者は介護職員不足と低いケアレベルからくる誤嚥や褥瘡発生などによる入所者の全身状態悪化などで、これらが虐待であるというものだ。当たり前だろう。

少し前にも、認知症高齢者の家族が監督責任を問われた裁判所の有罪判決、あるいは、超高齢者が最先端医療を受けて成功し、それをあおるようなセンセーショナルで得意げな紹介(その後のフォローがないので成功か否かは不明)や尊厳死法案の賛否議論などを聞くと、なんでいまだにこんな話が、と思ってしまう。

当会のおかげで、多くの研修や見学・視察などからたくさんのことを学び、自院の老人医療・ケアを見直し、改善することができた。いつも熱い想いを抱いている仲間との出会いと白熱した議論は、より良い老人の専門医療を実践したいという活動につながったと思ってきたにもかかわらず、それらは自己満足だったのだろうか。入会した当時とあまりにも似た状況はショックである。

一体、いつまで愚かなことを繰り返すのだろうか。これまでに当会で提唱、実現してきた医療やケアは会員で共有することはできたものの、広く世間に発信するという点ではまだまだ足りなかったのかもしれない。時間がたてば同じ問題を繰りかえす愚かさを改めることに繋がらなかったのかと思うと、口惜しい。

老人医療の世界は、人間の尊厳を基本にしたソフト&マイルドな医療と、フレンドリーな介護であってほしい。

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医療介護総合確保法の本格施行
[アンテナ]

昨年六月に国会で成立した「医療介護総合確保法」は、その一部が六月二十五日から施行されたものの、大部分は、本年四月一日からの施行となっている。

医療分野では、都道府県が進める地域医療構想の達成に向けた病床の機能分化や連携の推進を目的とした制度が実施される。

介護保険分野では、居宅サービスや施設サービスの見直し、一定の所得以上の利用者の二割負担化や介護予防サービスを介護予防・日常生活支援総合事業に平成二十九年度までに全面移行すること等の地域支援事業の見直し、および介護保険事業計画の見直しに関する事項が施行される。

昨年六月の総合確保法の成立からの九か月間に様々なことが起きた。

第一に、確保法成立による医療や介護分野での準備である。医療と介護連携をはじめ、住まいや生活支援サービスまでを総合する根拠としての地域包括ケアシステムの確立に向けての準備といってもよい。厚生労働省の医政局、保険局、老健局、社会・援護局が十分連携して政策展開することが求められる。同様に、都道府県でも医療部局と介護部局の十分な連携が必要となっている。

今年四月から介護保険事業計画は、第六期となるため、これまで保険者である市町村は計画策定に努めてきた。また、都道府県は、介護保険事業支援計画の策定作業を進めた。

第二に、いわゆる内部保留問題に端を発した社会福祉法人制度改革に関する議論が、社会保障審議会福祉部会で進められた。その結果は、社会福祉法人の@公益性・非営利性の確保、A国民に対する説明責任、B地域社会への貢献などである。役員報酬など重要事項を決議する評議員会の必置化、理事の親族制限厳格化などが盛り込まれた。

内部留保の問題は、事業継続に必要な財産を余裕財産との明確な区分とともに、余裕財産を人材投資や地域ニーズを反映した福祉サービスとして、再投下する仕組みが検討された。

第三に、この社会福祉法人の内部留保問題は、どのように考えても今回の介護報酬改定に影響を与えたと考えられる。介護報酬改定率は、表面上マイナス二・二七%であったが、「収支状況などサービスの適正化」ということでマイナス四・四八%引き下げてから中重度者や認知症高齢者のサービス充実に〇・五六%、介護職員処遇改善加算に一・六五%配分したものである。

社会福祉法人制度の見直し、特に社会貢献と介護報酬改定との関連では、特別養護老人ホームの職員や通所介護事業所等の職員に係る専従要件の緩和が決定された。一見なんの関係もなさそうにみえるが、いくら特養に社会貢献しろといっても、カネはともかくヒトがいないという問題がある。特養の職員は、原則として入居者の介護のために専従することが規定されているため、職員が勤務中に職場をはずれ地域活動を行うことはできないことになっている。それゆえ、専従要件を緩和して地域社会に貢献して欲しいということになったものと考えられる。

例えば、地域包括ケアシステムを一部としての生活支援サービスを、特養のスタッフで進めることは、これまではできにくかったが、地域内に「見守り、緊急通報、安否確認システム、食事、移動支援、社会参加の機会提供、その他電球交換、ゴミ捨て、草むしりなどの日常生活にかかわる支援」のニーズがあることは確かである。これらのサービスや介護予防の全てを住民自治組織やボランティアあるいはNPO等にまかせても、実際問題として全てに対応できるわけではない。

このように医療介護総合確保法の本格施行は、地域包括ケアシステム確立に向けて主動しはじめた。

* へんしゅう後記*

アジアの中で介護という職業分野があるのはまだ日本だけのようだ。我が国は高齢化先進国として、介護のプロフェッショナルを育て、その技術を伝えていく使命もあるだろう。

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老人の専門医療を考える会 JAPAN ASSOCIATION FOR IMPROVING GERIATRIC MEDICINE