老人医療NEWS第136号
老人にも明日がある
老人の専門医療を考える会会長
霞ヶ関南病院理事長 齊藤正身

一九八〇年、まだ制度として老人デイケアがなかった頃、当院では外来機能として「デイホスピタル」を開設した。開設理由・目的を私の父は当時以下のように述べている。

「このサービスを導入する目的が四つある。一つ目は家庭で生活を続けながら、医療的管理が可能で、特にリハビリテーションによるADLの維持・向上を図ることができる。二つ目は入院を回避できる(再入院防止)。三つ目は家族の労苦の軽減ができる。そしてもう一つ、社会的な接触の機会が得られる。」

介護保険制度が始まって、老人デイケアは通所リハビリテーションと呼ばれるようになった。しかしその目的とするところは、今でも変わることはない。決してリハビリテーションの提供だけが目的ではない。多目的多機能であること、そして自宅に居ながらにして病院や施設のサービスを受けることができる。通所リハビリテーションには、そのメリットがあること、活かさなければならないことを忘れていないだろうか。ソフトとハード、そして機動力と専門性を駆使して、地域にとってかけがえのない存在になることが求められる。単に「訓練」だけを提供する場ではないことを実践していかなければならない。

国際生活機能分類(ICF)は、WHOで一九八〇年に制定された国際障害分類(ICIDH)の改訂版である。二〇〇一年に制定されたICFは、ICIDHがマイナス面を分類するという考え方が中心であったのに対し、生活機能というプラス面からみるように視点を転換し、さらに環境因子等の観点を加えたことであると厚生労働省のホームページにある。父が一九八〇年にデイホスピタルを開設した同じ時期に示されたICIDHをどのように受け止めていたのかを聞いたことはなかったが、少なくともデイホスピタル開設の理由を四つの「〜できる」で表現したこと、「訓練」だけではなく「生活」「活動や参加」そして「明日への希望」を感じるICFの理念は、当時から父の目指していた社会だったのではないかと推察する。特に社会参加につなげることの重要性は私だけでなく多くのスタッフに伝えていた。生前「ICFを知ってるか」と、私にICFの概念図を渡し、肯定的な側面で考えることの重要性を熱く語っていたことを懐かしく思い出す。

一九七二年、当法人が設立したときの理念「老人にも明日がある」は、敬老敬愛の精神を以て現在も事業理念として唱え続けている。「老人」には「高齢者」にはない深い意味があると思う。ある患者さんのご家族から「素敵な理念ですね。『明日がある』ももちろんだけど、『老人』という言葉を使っていることが素晴らしい。『老人』には単に年齢が高いだけではない、社会や文化的な生活を感じるから」と言われたことがあるが、当会の名称にもある「老人」の意味を次世代に伝え、明日に向かって活動していくことが私の使命である。

折りたたむ...
今、感じていること
医療法人社団和恵会和恵会ケアセンター 理事長猿原孝行

最近小さな町内や自治会などに呼ばれ認知症の話や老化の話をする機会が増えた。参加者は自治会関係者や高齢者、ご婦人が多い。

私も今年古稀を迎えるので老化は我が身の事でもあり、その体験談を話すと受けが良いように思う。例えば、物忘れなど身近に起こる話や夫婦の会話で「アレをくれ」が多用される、「アレ、コレ」の日常生活のことをさらけ出すという漫談みたいな話しをしながら、長生きすれば認知症になるリスクが高まるということを話し、だから認知症を忌み嫌うのではなく「自分の将来の姿」と思えばケアにも力が入る、と伝えている。

二〇二五年には認知症が七〇〇万人と推計されているので、未来の日本の市町村の至る所に認知症の人がいる事になる。だから高齢者や認知症に寛容な街を作る必要があるので、静岡県でも働く場所が個人の「家」近くに接点がある業者、例えば郵便物、宅配便の配送業者等の三〇ほどの業者が参加した会を動かし始めている。

そんな近未来の街作りが進んでいるが、どんな街ができても医師の必然としての役割があるので静岡県慢性期医療協会としてその会に参加している。

二〇〇〇年に介護保険が施行され日本には「新たな文化」が芽生えた。認知症や高齢者に優しい手を差し出す事を「社会」全体で行う、という文化である。その文化を支えるために色々な仕組みが作られ、技術が開発され新たな職域も生まれてきた。あれから十五年が経過しケアマネジャーを始めとする沢山の人材が育った。今後この文化をさらに進展させ花を咲かせるために、せっかく育てた人材が散逸しないようにせねばらないが、定着率が悪く不安がある。

不安と言えば次々に起こるもので日本人はこれから年間百六〇万人ほど死ぬ、いわば「大量死」の時代を迎えるといわれている。その中でどんな理由で死を迎えたのかよく分からない「死(その他)」が年間四十七万人出ると予測されていることが不安を醸し出している。病院での死は現在に比較して若干減り八十九万人ほど、という値が出ている。医療職が少ない介護施設では九万人。肝腎の自宅では二〇万人ほどしか看取る事ができない。

このように数を並べてくると「その他」での「死」の数が極めて高いことが分かる。

そこで気になるのは「その他」とは何処のことなのか。「サ高住」の事なのだろうか。その他ではしっかりした「死」の判断を誰がどうやって行うのか不明だ。不審な死ではないと誰が判断するのだろうか。

どんな理由で父や母、夫や妻が「死」を迎えたのか知りたい、という気持ちは否定のしようがないが、それに答えられない建物がこの世に存在する奇っ怪な現象が起きているようだ。

その上、サ高住も「自宅」と定義つけられているので、今後発生する日本人四十七万人の「死」を近い将来は「自宅」と置換して「自宅死六十七万人」という数字になりかねない。認知症や高齢者に優しい社会作りが始まっているが、「日本人の死の質」は劣化するのではないか、と疑問を持ちたくなる。

これなら、三百六十五日二十四時間看取り機能がある介護療養型医療施設をもっと沢山残しておけば良かった、と十年後に思うのではないか。不思議な既視感。

折りたたむ...
今後の介護療養病床のあり方について
京都南西病院院長 清水聰

私は平成十五年に医師になり金沢医科大学病院で精神科医として勤務し、平成二十三年に地元である京都に戻り療養型施設である当院で勤務を開始しました。平成二十四年七月より院長に就任し現在に至ります。

当院は昭和六十年四月に六〇床の病院として開設、その後増床をして現在は百三十五床で運営しております。地域の高齢者の方々に少しでもお役に立てればと、また今まで得た知識を自分が忘れないようにするためにと細々とではありますが、毎週金曜日の午後に「もの忘れ外来」も行っております。おかげさまで地域の方だけではなく、入院患者様の家族にも受診して頂き認知症の診察や相談を受けております。

私が院長に就任した時点では介護療養病床百二〇床、医療療養病床十五床でしたが、平成二十六年一月より回復期リハビリテーション病棟を開設し、介護療養病床五十九床、医療療養病床三十八床、回復期リハビリテーション病床三十八床となりました。回復期リハビリテーション病棟を開設するまでは寝たきりで意思疎通が困難な患者様が多く、また経口摂取も困難なため経管栄養などで栄養補給を行っている患者様が多数でした。私が精神科医として働いていた時には、認知症の周辺症状やせん妄を認める方を中心に診療をしていました。意思疎通は困難でも話せる方、歩ける方、自分で食事摂取可能な方がほとんどでしたので、当院で働き始めたときはそれまでの患者層とは全く異なっていたため愕然としたこと、また当然ですが精神科的な知識よりも内科的な知識が必要なため毎日内科の復習をしていたことが今でも思い出されます。回復期リハビリテーション病棟開設以降は在宅復帰を目的としているADLの高い患者様が増えているため、病院の雰囲気もガラリと変わっております。

さて、今年は介護報酬改定がありますが、昨年十一月六日の介護給付費分科会において介護療養型医療施設に対する新類型として療養機能強化型介護療養型医療施設(仮称)を設けるという案が出てきました。その施設に指定される五つの要件の中に「入院患者のうち、重篤な身体疾患を有する者及び身体合併症を有する認知症高齢者が一定割合以上であること」「入院患者のうち、一定の医療処置を受けている人数が一定割合以上であること」「入院患者のうち、ターミナルケアを受けている患者が一定割合以上であること」という三つの要件がありました。

介護療養病床といえども病院ですから医療行為を必要とする患者様がほとんどです。しかし介護療養病床における重篤な疾患とはどのような疾患を考えればよいのか、また介護療養病床での医療処置とはどの程度までを考えればよいのかがまだ不明ではありますが、何れにしても介護療養病床においての更なる医療の質の向上が必要不可欠であると考えます。また二〇二五年問題が迫っている現在、様々な精神症状を認める認知症患者もますます増えていくでしょう。そのような患者様も積極的に受け入れていく必要がありますが、この点に関しては精神科で学んできた知識を生かせるチャンスが出てきたかと思っております。ターミナルケアに関しては今までも行っておりますが、カンファレンスを行うことは少なく意識して行っているわけではありませんでした。そのため看取りに関するスタッフの意識を更に向上させ、患者様だけではなくご家族も十分納得できる最期を迎えて頂く必要があるでしょう。その人にとって望ましい死に方とはどうあるべきか。尊厳死とは。自然死とは何なのか。死についてはこれからの多死社会を迎えるにあたり、国民的議論が必要になると思います。

このように療養型医療施設としての機能を今まで以上に向上させるためにするべきことは山積しておりますが、一歩一歩確実に実現させていきたいと考えております。

折りたたむ...
壊滅的介護報酬改定の結末
[アンテナ]

厚労省は、二月六日、社会保障審議会・介護給付費分科会に、介護報酬改定の個別サービス単位数を提示し、了承された。改定率はマイナス二・二七%と公表されているが、まず一律に五%弱報酬を引き下げてから、中重度者と認知症高齢者に多少配慮し、その上で介護人材確保対策費用を上積みするという作業が進められたようだ。

それでも、マイナス二・二七%だ。

改定全体の内容をみれば、介護サービス提供サイドに、非常に厳しい改定であるとしかいいようがない。本体というか「基本サービス分」は、ほぼ全て減額されている。処遇加算T(新設)を加えた上で、その他の各種加算を全て算定できれば、在宅でプラスとなる場合がマレにある。

しかし、処遇加算への対応だけでも、かなりの事務量になる。かなり高い質を求められる各種加算は、かなりハードルが高く、職員の増員や入れ替が必要になるものばかりで、人員不足、介護福祉士や看護師の採用困難という状況は、何も改善されていない。

例えば、訪問介護は、三・五一%〜四・六六%基本部分が減額されることになった。通所介護も要介護2の(七ないし九時間)で、通常規模で五・一%、小規模で九・四%、介護予防では二〇%以上の大幅減額となった。小規模多機能の要介護3で五・八%、グループホームの要介護3で六・三四%のマイナスである。

老健施設のユニット型個室の要介護5でも五・六%減であるので、在宅強化型か在宅復帰・在宅療養支援機能加算が算定できないと、経営の継続性が確保できなくなってしまう。より深刻なのは、介護老人福祉施設である。利益率が高く、財務省に名指しで六%の減額をせまられてしまったものの、各種加算を懸命に算定しても、結果としてマイナスになり、介護職員処遇加算が算定できないと、職員の大量退職が現実のものとならざるをえないであろう。

介護療養型医療施設も、従来型は大幅に引き下げられたが、新設された療養機能強化型AおよびBは、Aと職員処遇加算Tが算定できればどうにかこうにかトントンということになっている。しかし、機能強化型Aの「重篤な身体疾患を有する者及び身体合併症を有する認知症高齢者の割合が五〇%以上」「喀痰吸引、経管栄養、インスリン注射が五〇%以上」さらに「ターミナルケア等が一〇%以上」という規定は、かなりハードルが高い。喀痰吸引等が三〇%、ターミナル等が五%のBであれば、ほとんどの介護療養型が算定できるかもしれないが、そうなると減収にならざるをえない。

考えようによっては、良く考えられた報酬改定であるのかもしれないが、とても厳しい内容である。

壊滅的な介護報酬改定であるといいたいが、今後どうなるのか不安がある。地域性があるのかもしれないが、小規模通所介護や訪問看護事業所で、自ら廃業を選択する予定だという人々もいる。小規模な事業所は介護保険事業への参入障壁が低いが、撤退スピードも速い。

都市部では、介護職員が採用できれば、なんとか経営できた時代が続いてきたが、これからは人材吸引力や人材教育力を向上させるマネジメントがより求められることになろう。また訪問看護はニーズが高いことはわかるが、入院がしやすく、介護保険施設にも比較的入所可能な地域では事業が伸び悩んでいる。もちろん、看護師不足はあるが、入院・入所サービスの相対的供給過剰が原因だ。

この改定で特養や老健施設の経営悪化で、倒産する施設が増加することになれば、三年後の改定はプラスになる。利益率が減少しただけであれば、結果はどうなるのであろう。

* へんしゅう後記*
今年は戦後七〇年目。この間に老人医療が生まれ、大きく育った。老人人口の増加、平均寿命の延びとともに、老人医療はどうあるべきかを模索しながら皆で実践してきた。そして今、自分が老人に近づき、これからの時代の老人医療のあり方に一言を呈していきたいと思う。

折りたたむ...

前号へ ×閉じる  
老人の専門医療を考える会 JAPAN ASSOCIATION FOR IMPROVING GERIATRIC MEDICINE