老人医療NEWS第131号
魂からの原動力
南小樽病院 理事長・院長 大川博樹

一九九〇年代の老人医療は、かつてないほどの変革を迫られた。しかし、老人病院はそれに翻弄されることなく、むしろ主体性を持ち、さらなる高みのレベルを見据えて今に至っている。介護力強化病院では、わが国初の診療報酬包括制度と介護スタッフの内部化を実現、療養型病床群においてはいち早く最大四人部屋、ゆとりある廊下幅、リハビリ、デイルームなどを整えた。これらを提唱・牽引した中心的存在として「老人の専門医療を考える会」そして「介護力強化病院連絡協議会(現日本慢性期医療協会)」があった。ただ、残念なことにそのような認識が年々薄れてきているように見受けられる。時の流れの必然とも言えようが、我々のソシアル・サイエンスへの素養のなさと過剰な未来志向の故もあるであろう。

では、当会はどのようにして九〇年代の老人医療で先駆的に振る舞えたのだろうか。それは、理想の老人医療を実現しようという「熱い思い」の存在に尽きるのではないか。つまり*宮台真司氏の言を借りると「内発性」(損得勘定を超えた動機づけ)による活動であったが故に社会の変革をもたらすことが可能であったのである。もちろん、損得勘定による動機づけである「自発性」も存在するのが現実であり、その意味で当会から現日慢協が分離・独立していった事は必然の歴史であった。当会が「内発性」を重んじ高齢者医療に対峙し続けることによって、つねに老人医療の原点を社会に喚起できることになろう。さらにそれは実践への土台となり続けるだろう。九〇年代に「熱い思い」・「内発性」から生まれた行動が、時代や環境の変化を乗り越え現在の老人医療の基盤となっていることがそれを証明している。

二〇二五年への備えとして地域包括ケアシステムが提唱され、我々はシステムの構成員として再定義されるはずである。それはさらなる自己改革であり、「内発的」かつ「自発的」に時期に間に合うような再定義が必要である。そして、求められている機能を果たす事が求められている。しかし、その機能はいつかコモディティ化され置き換え可能な存在になる。したがって、「熱き思い」の前提なしに機能自体が目的化されてしまう。「内発性」を確保してゆくには、今後ますます、かなりの覚悟と胆力が要求されていくだろう。

宮台氏はこう指摘する、自発性が最高に発揮されるシーンは恋愛の場面であると。そうならば、我々のなすべき事は老人医療にとことん惚れ抜いて、最後まで瑞々しい感性を保ち情熱を燃やし続けることに他ならない。九〇年代に我が国の老人医療での金字塔たる変革のエネルギーを、二〇二五年に向け再び結集出来るかが我々に問われている。老専の存在意義が真の意味で認識されるような努力を積み重ねていきたい。自らの「熱い思い」に今こそ耳を傾け、信じた道を進んで行きたいものである。

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老人病院入院者のQOL
釧路北病院  理事長 豊増省三
入院前の居場所と残院者

およそ二十五年前の病院開設時から、家族の高齢化や老化の進行などで在宅介護が困難になった人を入院させてきました。他院からの転院も、ADL障害がある人に限りました。すると病院には次第に寝たきりの老人だけが残っていきました。

どうしてこんなことになったのか、私の誤りはADL不全を疾患と混同し、リハビリで改善できると期待したことでしょうか。

昨年一年間に新たに入院した患者の入院前の居場所は、自宅が二十二%、医療機関が四十四%、施設系が三十四%でしたが、現在入院している患者の前居所は、自宅六%、医療機関六十六%、施設系二十八%ですから、他から転院してきた患者の多くがそのまま長期入院していることになります。


「主病」と「入院病名」

ADL障害の原因となった疾病や後遺症は、入院者のQOLに決定的な影響を及ぼしますので、私はこれを「主病」としています。主病だけでは入院の適応とはなりません。入院は主病に併発した疾患や新たに発生した疾患の治療が目的で、これを「入院病名」と呼んでいます。「入院病名」はあくまでも治すべき疾患です。しかしそこを治しても、主病が以前より良くなることはありません。臥床していた分だけADLは低下し、主病も悪化することが多いのです。


「主病」の内訳

いま入院者の主病の割合は、脳血管障害五割、神経難病などの特定疾患三割、その他一割、残りはADLがほぼ自立し、主病名がない人で、感染症や脱水症など短期入院者です。

主病には根本的な治療法がありません。当院では遷延性意識障害の人は四割に達していますが、この人たちに在宅介護は無理ですし、施設でも対応できませんので、最近の当院の退院者の転帰は半数以上が死亡退院です。

ここで重度の遷延性意識障害を治療の効果がない障害と見なして、思い切って医療の対象から外したらどうなるでしょうか。


遷延性意識障害者のQOL

病棟を回ってみると、日中ベッドの上で目を閉じて大きく口を開け、あるいは開眼しても天井を見ているだけの人が大勢います。この人の心は今どこにあるのでしょうか。

二年前から通常の回診とは別に病室を巡回して、全員の開眼、追視状態、表情、会話の可否や内容、従命動作、痛み刺激の反応、摂食状況などを記録し、受けている処置、ADL状態、意識レベル等からQOLを推察しようと試みています。私はQOLのLを「生命」と言うよりむしろ、「存在」と訳しています。その人の「存在の質」です。
遷延性意識障害の人に語りかけ、リハビリを続けていると、意思疎通が叶うようになるのでしょうか。彼らの魂の質、精神の質(QOS)にアプローチする方法を見つけて、存在の尊さに思いを巡らせながら診て行きたいと願っていますが、そのような方法などないのであれば、彼らのために、医療や介護保険とは関係のない看取りの施設や、そんな施設を成り立たせるような制度の創設を検討しても良いのではないかと考えます。

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ものがたり診療所の佐藤先生
いばらき診療所ひたち 理事長 照沼秀也

先日、ものがたり診療所の佐藤伸彦先生のお話を伺った。

水戸市のひとつ東京寄りの赤塚駅は、私が子供のころはゴミゴミしたイメージがありあまり立ち寄らない駅であったが、近年整備が進み、無機的な広場ができている。最近開発された地域はどこでも似たようなものだが、駅の北側に国家公務員共済組合連合会の病院と複合施設がある。お役所の運営する施設はどこかひっそりしたところがある。

正直に話すと、講演会の会場をいろいろ探したがその日にかぎって、どこも盛況で、赤塚にある福祉ボランティア会館を貸していただけた時はほっとしたものである。

佐藤先生のものがたり診療所は富山県砺波市にあり、ナラティブ(ものがたり)という言葉を慢性期医療に表現した初めての医療機関とのことで、先生のお話はその幅広い知識とともに楽しく聞かせていただいた。

なんでも佐藤先生の診療所では、一人一人の患者さんのバックグラウンドを大切にし、それぞれの患者さんが生きてきた人生の一コマ一コマをお写真やDVDで紡いでおられるのであった。やはり、どのような患者も自分の人生を大切に真剣に生きてこられたのがよくわかり、医師を含めたケアスタッフの診療にはジーンとくるものがあった。慢性期医療の醍醐味を見事につくりだした作品であった。

講演後の質問で、面白いなと思ったことは佐藤先生の診療所ではプラスチックワードを禁止しているというケア方針である。

ドイツに作家のベルクゼンという人がいる。その著書の「プラスチックワード」という本の中でベルグセンは「アイデンティティー」「コミュニケーション」「マネジメント」などという言葉は、みんなを黙らすほど反対する人がいない言葉だけど、本当のところ何のことかわからないものが多いと言っている。

笑い話だが「国際化」「情報」「環境」などというとどこぞの大学を思い出す諸兄も多いのではないか。

佐藤先生にとっては「傾聴」「安定」「元気」などのケア言葉もプラスチックワードだという。患者の話を「傾聴」しましたと言えば、誰も納得してしまうが、その実「何を傾聴したのか」さっぱりわからないのである。傾聴なんていう看護学校の教科書言葉ではなく「昨日孫が来て楽しかったんだけど疲れたよ」なんていう話のほうが大事な宝物だ、という至極まっとうな話である。

二次会は財団法人安寿苑の運営する有料老人ホームローズヴィラ水戸のマリアンラウンジで開かせていただいた。当方の厨房スタッフの手料理とワインで腹を少ししずめてもらい、前日より猛特訓していたIBC四八(いばらき診療所フォーティーエイト)の恋するフォーチュンクッキーに入った。これは結構受けたため、アンコールは参加者全員で恋するフォーチュンクッキーをおどり大いに盛り上がった。

二次会のとき少しだけ佐藤先生とお話する時間があった。佐藤先生が水戸第一高校出身ということで、年代的にも私と似ていたもので、少し悪乗りして何人かの私の友人で何人か水戸一高に行った名前をあげてみたところ、ロケットを飛ばしたいと言って東大に行った倉本君が医者になった話や前の茨城県弁護士会会長の佐藤君など知っており同じ学年だとわかり少し親しみを覚えた。

佐藤伸彦先生は茨城県に帰ってきてほしい先生だが、先生の言葉に富山の言葉が深くしみているのを聞き、砺波市にとってもかけがいのない先生であることを心に留めた。

私も、大学から研修医、その後の医師としての生活を送った浜松市を離れるときに、仲良しの患者さんに、茨城県に行くことをお話しすると、とてもびっくりされるやら怒られるやらで、何ともさびしい思いをした。

やはり、医者は患者に支えられているのだなと痛感した一日であった。

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診療報酬改定の衝撃
[アンテナ]

平成二十六年度診療報酬改定の概要が公表された。細部については、今後の通知やQ&Aをみないとわからない点もあるが、医療関係者からは大きな衝撃と受け止められているようである。

報酬改定は、二年に一度のビッグイベントだが、自らの医業経営にとって、プラスかマイナスかによって評価は正反対になる。考え方によるが、公定価格変更が与える影響が皆無な医療機関はほとんどないし、医療収益の増加になればよいが、減少してしまうと固定費比率が高い分だけ変更が困難になる。

今回改定のポイントは、その「基本認識」に示されているように「入院医療・外来医療を含めた医療機関の機能分化・強化と連携、在宅医療の充実等に取り組み、医療提供体制の再構築、地域包括ケアシステムの構築を図る」ことである。目玉は、地域包括ケア病棟の新設をはじめとした在宅復帰機能の強化であることは確かだが、どう考えても七対一入院医療基本料の病床を九万床程度削減するという政策意図があまりにも鮮明である。

七対一や十対一に対する特定除外制度の見直し、一般病棟用の重症度、医療・看護必要度の見直し、自宅や在宅復帰機能を持つ病棟あるいは介護施設等へ退院した患者さんが七十五%以上という新基準、四泊五日までの手術や検査の一部の患者さんを平均在院日数の計算除外とするということによる衝撃が、多くの七対一入院基本料病棟に走った。

それでも、七対一の半数の病床は、なんら変更しなくても、この条件をクリアできるが、問題は残りの半数はなんらかの対応が必要であり、対応できない九万床程度が七対一から退場せざるをえないのではないかという予想もある。

では七対一からの退場組はどのように対応するのであろうか。在院日数と看護必要度のどちらかが満たせなければ、一病棟だけでも回復期リハビリ病棟や新設の地域包括ケア病棟への移行を考えなければならなくなる。自宅等への退院七十五%が満たせない病棟は、他院の地域包括ケア病棟や回復期リハビリ病棟、在宅復帰強化型の老健施設あるいは在宅復帰率が高い医療療養の二〇対一に患者を集中して紹介するはずである。もちろん、特別養護老人ホームもサービス付高齢者向け住宅でも、有料老人ホームでも「自宅等」であるが、入院後ただちに調整しても、二週間程度で受け入れが可能な居宅系施設はそれほど多くないのが現状である。

多分、七対一は、生き残りをかけて無理をするはずである。公立病院をはじめとする公的部門に属する病院は、意思決定が遅く、単なる思い込みと意地をはるのであろう。その結果は、病床利用率を低下させ、ただでさえ放漫経営なのに、更に利用率低下で損益を山積みにし、そのつけを地域におしつけるのであろう。

さて、地域包括ケア病棟・病室は、当面、療養病棟からの申請が大半を占めるであろう。全体の姿が決定するのには半年程度の時間が必要である。いったいどのような結果になるか不明な点もあるが、政策的には七対一が九万床程度減少し、地域包括ケア病棟等が増加して、その結果、入院期間が短縮し、在宅ケアが普及すればよいのだ。

戦々恐々としているのは、医療療養の二十五対一、在宅復帰型以外の老人保健施設である。同一建物内に、回復期リハビリか地域包括ケアがあれば対応できるそうだが、七対一と医療療養二十五対一のケアミックス(とんでもない患者ピンポン経営)は、どう考えても生き残れないだろう。

今回の診療報酬改定にはかなり厳しい部分が少なくないが、日本の病院医療への衝撃は、極めて大きい。

* へんしゅう後記*

今回の診療報酬改定で二〇二五年に向けての方向性がいよいよ明確になってきた。超高齢者対策の図の中心に描かれるのは在宅だ。そこで問われるのは、在宅コーディネーターの力であり、患者からすれば当たり外れのない地域包括ケアを望みたい。

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老人の専門医療を考える会 JAPAN ASSOCIATION FOR IMPROVING GERIATRIC MEDICINE