老人医療NEWS第127号
「地域包括ケア」と「連携」
北中城若松病院 理事長 涌波淳子

 五月の日本経済新聞に「医療体制の強化と膨張する医療費の削減を目的に、医療法人がグループで経営しやすくする規制緩和の検討が始まった」という記事が載っていた。その記事の中では、グループ内で病床や診療科の配分を決め、患者の情報を共有する事で、より適切な医療施設への転床や在宅医療への誘導もしやすくなると期待されている。確かに、様々な医療及び介護機能を同じ法人やグループで持ち、管理できたら地域医療やケアに一貫性が生まれ、より効率的な管理ができると思われる。しかし、一つの法人やグループで、地域の中のすべての医療や介護を支える事は難しいし、様々な患者さんに対し、安心安全の医療及びケアを継続的に提供し続ける為には、システムと同時にそのシステムを上手に生かせる「連携」の力も必要である。

 「連携」という言葉は、最近、とてもよく使われている言葉であるが、実際には、同じ法人内であっても「連携」は、なかなか難しい。良い連携をするためには、お互いの事情を知ることが必要であるが、先日、法人内の小規模多機能施設でノロウイルス胃腸炎が発生した時、同じ高齢者の医療と介護の現場であっても病院や老健とは全く違った対策や配慮が必要であったことに改めて気づかされた。ましてや、平均在院日数が十日前後の急性期病院や生活を中心とする特養なども含むと視点も視野も課題も異なってくるし、管理者やスタッフの体感温度や時間の流れすらも異なっているように感じる。「地域包括ケア」という同じ言葉を聞いてもおのおの全く異なった景色を見ているのかもしれない。

 初めてゾウに遭遇した盲人達が、「大きな太い柱のような物」「大きな壺みたいな物」「うちわのような物」等それぞれが違った印象を報告し、譲らなかったという寓話がある。同じように、私たちは、「お互いに違った役割を担っている」と頭では分かっていても、忙しい現場の中では、つい自分の見える視野の中で、相手を評価してしまったり、自分の考えに固執してしまったりする。世界で類のない超高齢社会を迎えるにあたって、「地域包括ケア」というこれまで見たこともない巨大なゾウの絵を書いていかなければならない私たちは、医療、介護、福祉、住宅、生活支援など様々な視点からの情報や提案をつなぎ合わせる大きな「連携」の力が必要となってくる。そのためには、互いに相手の役割や状況を知り、尊重しあい、同じ目的を持って互いの働きを生かす「心」が大切なのではないかと思う。

 

 聖書の中に「愛は、すべてを完成させる絆です」という言葉がある。一人の高齢者、一つの家族を大切にする愛の心によって部署と部署、職種と職種、そして組織と組織が結ばれ、地域全体を見渡せる愛の絆(連携)ができて、地域包括ケアという象の完成版が見えてくる。「走りながら考える」として始まった介護保険制度、あれから十三年。今度は、「走りながら考える」地域包括ケアが始まる。

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そろそろ本当のことを言おう
日野病院 理事長 日野頌三

 これが発行されるときは、参議院選挙が終了して、勢力分布が決まっているだろう。自由民主党の圧勝が予測されているが、政権交代前の自由民主党への復帰が恐ろしい。曲がりなりにも政権交代をして、そのごたごたの折に政権政党としての「悪行」が見えたからである。中でも、閣僚の一人が「節制もしない奴の面倒を見るのは嫌だ」という趣旨の発言をして、問題になったが、相変わらず日本のマスコミに「共助・公助の社会的価値」の視点から論じたものはなく、寒い思いをした。

 先月、太平洋横断を試みて失敗し、共助・公助のおかげで生還した関西の人気キャスターが「この国に生まれて本当に良かった」と心を絞り出すような感想を述べたが、これこそ事実であろう。前記閣僚は、危機管理意識が乏しく、たまたま健康に現在を迎えたため、正直に保険制度の持つ不公平への不満を述べたのだろう。どう考えても閣僚として日本の政治を担える資質があるとは思えない。

 さて、厚生労働省の常套句で鼻につく嘘が少なくとも二つある。一つは「安心・安全の医療」である。安心・安全なら、医療は要らない。われわれ医療提供者は安心・安全でないが故に、顧客として国民を人質にとって生計を立てている。国民の健康を守るという美しい表現も事実の一面ではあるが、大半は自分の生計を立てることにある。

 もう一つは「効率的で質の高い医療」である。最近有名になったトリレンマについて書いておこう。多くの問題を抱えている日本の健康保険は、[1] 金、[2] 質、[3] アクセスを保障しているが、このうち一つを省略してよいなら、問題は解決する。[3] を省略すると、「ええもん、高いのが当たり前」が露骨に現れる。良質の医療を廉価に提供できることは稀である。今注目を浴びつつあるiPS治療は、5,000万円かかると言われているし、全患者に最適の薬剤を投与するため、遺伝子を調べ、オーダーメイド処方にするには、単価もかなりのものになろうし、母数を考えるとどれだけ医療費がかかるかわからない。

 実現可能で国民的合意が得られそうなアクセスの制限は、特定機能病院への受診制限である。特定機能病院は、現在のような病床数は不必要で、特殊な疾患を本当の意味での専門医が複数常駐して、研究・治療するところであるべきだ。ここを受診する必要のないコモンディジーズの患者は、健康保険の適用外にすべきだし、ここの収支は、医療保険に左右されるべきではない、と考える。さらに、介護保険が終末を迎えようとしている。「在宅復帰率」を介護老人保健施設に取り入れたところ、所定の期間に退所した人が過半数だったからといって、無関係な同時入所者に高額の施設サービス費が課せられる。悪平等を錦の御旗のように大切にする介護保険として、到底納得がいかない。さらに、酷いことは、一般企業よりもコンプライアンスの欠如した、いや、モラルハザードの塊のような貧困ビジネスが、今や、メタボ時代に入った。貧困地域に行くと、路上で睡眠薬や貼り薬が露天商よろしく販売されている。財源は社会保険である。その逆に、例えば24時間付き添い介護のような良質なものを求めても、叶えられない。老後に明るい灯をともしてほしいものだ。

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当法人における口腔ケアシステム導入
〜深化する口腔ケア〜
小林記念病院  理事 小林清彦

 十数年前には、「口腔ケア」は一部の施設で積極的に行っていましたが、他の多くの施設では口腔に関心すら持っていなかったように私は感じています。そして、当法人もその一つでありました。しかし、「高齢者の幸せは、口腔環境に左右される」と考え、2005年、当法人に口腔ケアシステムの構築を開始しました。

 「歯科衛生士はどこの所属にするか?」これが口腔ケアシステム導入における最初の課題でした。当時、歯科衛生士が何をする職種なのか、国家資格なのか、誰も正確に知りませんでした。「口の清掃をするのであれば、介護職と同じだ」「病棟を横断的に関わるのであれば、技術職だ」など、意見が出ていましたが、最終的にリハビリ科の所属となりました。今思い返しても、良い判断だったと思います。

 採用した歯科衛生士が最初に行ったのは、口腔に関する患者記録の作成でした。当時、入院時は、義歯の有無のみの把握だったため、「歯牙を誤飲したかもしれないが、元々の歯の数が分からない」「義歯が片方ないと家族から言われるが、最初からなかったと思う」などの問題が発生していました。入所時の口腔内記録を作成したことで、様々な問題が解決すると同時に、口腔の現状と新たな課題を数多く把握することが出来ました。しかし、歯科衛生士の時間は限りあることから、口腔ケアのシステム化に取り組みました。

 当院では入院患者の口腔ケアは、基本的に全身ケアの一環として看護師・介護士の業務とされていました。しかし、開口障害や重度の口腔乾燥、血液疾患などにより、看護師に口腔ケアが困難な場合に歯科衛生士の介入が求められました。そこで、歯科衛生士が初期評価を行います。その評価に応じて、歯科衛生士が専門的ケアを行います。通常の看護師や介護士によるケアにて維持可能な状態になったところで歯科衛生士によるケアを終了としました。このシステムで、歯科衛生士の役割を他職種にも周知できたと同時に、歯科衛生士の関わる病棟を増やすことができました。その後、口腔ケアに関する勉強会の実施やNSTに参加するなど、

 口腔ケアの専門家としてチーム医療に関わるようになったことで、スタッフの口腔内の問題に対する意識が向上し、問題の早期発見ができるようになりました。口腔ケアの改善を進める中、治療を必要とする口腔疾患《義歯関係(65.3%)抜歯(15.4%)》も数多く発見しました。これら口腔疾患の治療は、歯科を持たない自院ではできないため、地域の歯科医院との連携の構築に取り組みました。その際、協力医療機関として特定の診療所に頼るのではなく、かかりつけ歯科医に依頼することを原則としました。現在も地域の先生方の協力により、口腔疾患の治療を行うことが出来ています。

 当法人では現在三名の歯科衛生士が中心となり、病院・老人保健施設・通所施設等で口腔の管理や、地域の高齢者教室で口腔ケアの啓蒙活動を行っています。しかし、高齢者医療の在り方を見直している現在、口腔領域における医療の考え方は更に変化すると考えます。

 高齢者が入院治療による長期の臥床を余儀なくされると、廃用症候群を併発することが知られています。口腔においても咀嚼機能、摂食・嚥下機能を長期に使わないまま放っておくと「口腔の廃用症候群」が生じます。そのため、口腔内の環境を整え、清掃するという「狭義の口腔ケア」でなく、摂食方法や誤嚥の防止、唾液分泌の促進、摂食嚥下機能障害のための指導やリハビリテーション、さらには歯科治療まで含む「広義の口腔ケア」の考え方で、高齢者を支える必要性があります。専門職の一人として、そして地域を支える者として、今後も勉強と実践をしていきます。

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優良障害者施設病棟を守れ
[アンテナ]

 本年7月の参議院選挙は、自民党の大勝という結果で幕を引いた。この大勝が社会保障改革国民会議に影響し、老人医療にも強い締め付けにならないことを祈っていたが、今のところ取り越し苦労になりそうだ。

 一方、厚労省の中医協周辺は、国民会議の顔色をみながら、水面下で準備が進んでいるようだ。いろいろな課題はあるものの、なんといっても7対1入院基本料が問題視されている。潮流としては、すでに38万床以上となっている7対1を適正化するために、平均在院日数の計算式を見直す方向が明確だ。まず、いまさらながら「急性期とは病態が不安定な状態から、治療によりある程度安定した状態に至るまで」とするという定義を持ち出し、病床がある程度安定したら急性期から追い出そうということなのだろう。だが、今の7対1入院基本料病棟からの大量な患者さんの受け皿を整備しなければならない。そこで、急性期とともに、仮称「亜急性病棟」を新しく定義し、制度化するという方針だ。ややっこしいのは、現行の病室単位で算定する「亜急性期入院医療管理科」ではなく、まったく新しい亜急性期病棟を新設し、7対1の病院の一部を亜急性期に変更したり、ごく少数かもしれないが療養病床で積極的に急性期の受け皿や、在宅療養者の病状急変時に機敏に対応している病床からも亜急性期に転換可能とすることになろう。

 これらのことは、良く考えてみれば、当然の方向であるし、老人の専門医療がこの機会に一層充実することになるのであれば、賛成である。

 ただ、どうしても気になることがある。それは、7月31日に開催された平成25年度第7回診療報酬調査専門組織「入院医療等の調査・評価分科会」の資料の次の一文である。「本分科会の調査では、障害者病棟入院基本料や特殊疾患病棟入院料を算定する病床に入院している患者像が療養病棟との患者像と類似していることから…(中略)患者像や病床の機能について見直すことが必要である」。

 気に入らない。確かに限られた調査結果からみれば、療養病床と障害者病棟に入院している患者像は類似していて当たり前であろう。何度も読み返してみたが「いいかげんな障害者病棟が多く、なんとか始末するぞ」とおどされているように読める。被害妄想ではない。

 当会の古くからの会員である小倉リハビリテーション病院の障害者病棟をみたことがあるのだろうか。浜村明徳先生は「障害者病棟は、リハビリテーション医療の原点」だという。若年者の重篤な脳挫傷や脊髄損傷で、九州一円から、病院に見放された患者さんと家族が疲れはててたどりつくのが、この病棟だ。

 浜村先生は「では、ごいっしょにやってみましょう」といって、この困難な患者さんとその家族に話しかけるのが常である。ゴールは、車イス上の自立、家庭復帰だが、まったく発語もできず、ほぼ寝たきりの患者さんが六か月あるいは一年間かけて家庭復帰していく姿に、われわれは医療の原点を学び、感動する。

 収益性は低く、医療利益は乏しい。その上、志も高く、技術的にも、人間性にもすぐれたスタッフが「辛い」の一言でさっていくのが、みていて本当に辛い。なんとか協力したいと思う。

 かつての老人医療は、寝かせきりで、死を待つだけであると酷評された。あれから30年の時間が経過したが、浜村先生は当会の会員とその職員の研修会で、何度も何度も「まだ私たちにできることがあるだろう」と問いかけてきた。その原点が、この病院の障害者病棟に結実している。この光を一同で支え、守ろう。

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老人の専門医療を考える会 JAPAN ASSOCIATION FOR IMPROVING GERIATRIC MEDICINE