老人医療NEWS第126号
地域リハビリテーションと地域包括ケア
小倉リハビリテーション病院 名誉院長 浜村明徳

 地域リハビリテーション(以下、リハ)、これから始まる地域包括ケア、どちらも「地域」が冠となっている。その意義などを考えてみたい。

 地域リハは、地域におけるリハサービスだけを指すものではない。そのサービス(通所リハ、訪問リハなど)は、在宅リハとして地域リハの中心的活動に位置づけられる。しかし、障害のある人々や高齢者が、住み慣れた地域でその人らしくくらせることを目標とする地域リハには、在宅リハに加えて、連携活動や地域の理解を進め、支えあいが可能となるような働きかけが欠かせない。

  国際的にも、地域リハはCommunityrehabilitationではなく、Communitybasedrehabilitation(CBR)と表される。この「based」は、地域に根ざした、地域ぐるみの、あるいは地域による活動と理解している。最近では、地域ケアも同様にbasedが使われるという。2010年に発表されたWHOなどによるCBRガイドラインでは、Inclusion(包摂)がその目的に取り上げられた。簡単に言うと、地域全体で見守り、寄り添いながら支えてゆこうという考えの提案である。

 さてこれから始まる地域包括ケアであるが、議論も深まり、具体的な活動基準も示されつつある。しかし、サービス拠点の有無や連携などに議論が集中し、当初うたわれたCommunitybasedに不可欠な「地域の支え合いづくり」に関係する話題が乏しくなってきた感が否めない。また、地域包括ケアシステムはサービスの充実した都市部のモデルであるとする意見も多い。しかし、都市部ほど人の孤立化や支えあい意識の希薄化が進んでいるのも現実である。人のくらしがサービスの充実だけで豊かになるならその意見はもっともである。しかし、活動が目指すものは、地域総体による支えあいのシステムである。障害があっても、高齢となっても住み慣れた地域で、孤立しないでくらせる条件は、サービスのありようだけでは決められないと考える。

 昨年秋、久しぶりに長崎県の壱岐島を訪問した。20数年前から、地域リハの推進を続けている島である。残念ながら、回復期リハ病棟などなく、サービス拠点も乏しい。しかし、彼らの活動は、障害児の就学・就労への支援から高齢者の自立生活への支援、関係者への啓発、連携活動など、極めて活動的なものに発展していた。その成果は、住民の笑顔が象徴しているように思われ感動した。

 つまり、地域住民による支えあいがCommunitybasedな活動に不可欠であるという視点で見ると、地域リハや地域包括ケアの構築に、必ずしも田舎や地方が不利であるという結論にはならないと思われる。Communitybasedが価値あるものとするなら、容易なことではないが、このことをしかと見据えて両活動の推進に努めることが課題となる。そこにある多様な社会資源を障害のある人や高齢者のくらしにつなげ、地域社会から見守られているという感覚を持っていただけるよう活動を展開してゆきたいものである。

折りたたむ...
やはり胃瘻は好ましくない?
福山記念病院 理事長 藤井功

 最近老健施設に紹介されて来る患者さんに、胃瘻を造設している方が減っている。当法人関連の老健(3か所、合計定員220人)で三年前は35人の経胃瘻栄養患者を数えていたが、現在は半減して16人となっている。そのうち3人は近く抜去可能な状態である。患者数が減ったのは近隣の病院での新規造設が減っているためと推察している。

  新規造設が減少した第一の要因は、医療療養病床における医療区分の問題である。診療報酬改定により経中心静脈栄養に医療区分が高く設定されたため、その選択が増えたと聞く。第二の要因は、昨今胃瘻造設反対の機運が強く、マスコミにも大きく取り上げられた影響であろう。ご家族からの胃瘻造設術の希望が極端に減少している。

 昨年12月の私たちの法人における終末期ケア研修会に、石飛幸三先生にお越しいただき公開講演会を行った。今年二月の広島県病院学会には東大死生学特任准教授会田薫子先生に特別講演をお願いした。お二人とも当会の全国シンポジウムでお会いする機会があり、遠く広島まで招聘出来たことに感謝している。

  公開講演会では、石飛先生の表現力とその影響の大きさに驚いた。会場では涙を流す方もいたとのことである。会田先生は学者として冷静に死を見つめられておられ、その特別講演は現場で日々奮闘している医療人に反省を促し、光明を与えていただけたと確信している。

 これらの講演の後、当法人職員の意識も大きく変化している。「老衰による死は、食事を摂れなくなったら何もしないのが一番よいです」「ほんの数分前まで、何やら話していた方が、スーと眠るように息を引き取られました。」「亡くなる時のお顔がきれいでした」などの会話が聞かれる。講演の成果である。老衰を含め回復不可能な病状であるなら、無理な延命治療はしないで平穏な死を望む人が確実に増えている。

  現在マスコミが胃瘻反対のアドバルーンを上げるのはよいとして、幾分行き過ぎの感があるのではないだろうか。いかなる病態であろうと胃瘻は悪と決め付けようとしている。

 要は経口摂取ができなくなったときいかなる処置をするべきかの問題である。経口摂取できない場合、輸液か、経腸栄養のどちらかを行わない限り死に向かう。ご家族は「延命治療はしないで下さい」といいながら、「輸液はして下さい」という。末梢血管確保が不可能になると、中心静脈栄養を希望する。説明が悪いのかもしれないが何か間違っている。

 栄養法としては経静脈栄養法よりは経腸栄養法が優れていると信じている。経腸栄養法では経胃瘻栄養法が患者本人の苦痛は明らかに少なく介護者の負担も軽い。

 最初に述べたように当法人の老健に現在入所されている16人の胃瘻患者のうち3人は近く抜去する予定である。この3名の患者さんは安易に造設されてしまったためか、はたまた一時的な栄養補給を経胃瘻栄養で行い危機を救ったのか。私は後者であると信じている。食べるための胃瘻造設には賛成である。抜去できる背景には、言語聴覚士・看護師・介護士、栄養士等多職種の努力があり、一時的な胃瘻造設の利点は自信をもってアピールすべきである。

 人生の終末を迎えられた方への栄養補給が、診療報酬改定に左右されてはならない。医療人は人生を全うした美しい死を演出することが努めである。

折りたたむ...
家族を「代行」するNPO法人
善常会リハビリテーション病院 岡田温

 病院・介護施設を問わず、医療・福祉の仕事に携わっていると、様々な家族模様がみられ、家族のあり方について考えさせられることがあります。大昔、「核家族化」が叫ばれ、「DINKS(doubleincomenokids)」なる言葉が流行したのも、まだまだバブル華やかな頃。それも遠い昔となった昨今は、「婚活」なる言葉がはやっております。その背景には未婚化・非婚化が問題としてあり、国立社会保障・人口問題研究所「人口統計資料集(2013)」のデータによれば、生涯未婚率が男性で20.14%、女性で10.61%に達しています。そして、その結果としての「孤独死」の社会問題化や「震災」が、「婚活」ブームに拍車をかけています。

 「合計特殊出生率」はここ数年でわずかに回復してきているものの、「核家族化」から「DINKS」へと辿ったツケは大きく響いていると思われ、単身あるいは夫婦のみ世帯の65歳以上人口は1500万人(2010年)となり、「DINKS」前にあたる1980年の実に五倍に達しています。そのためか、近頃は全く身寄りのない方の入所が目立つようになってきました。そのような情勢の中で、最近は、家族や親族に変わって身元保証人を引き受けるNPO法人が現れ、有料で通院や身の回り品の購入なども引き受けてくれるようになりました。

 ある秋の日に当法人の老健に入所されたAさんも、「非婚」のお一人で、肺炎・心不全で入院された際に、やっと従兄弟と連絡をとられたとのこと。その従兄弟の方が、救急病院からの転院、さらに当施設への入所手続きもされ、入所後もしばらくはお世話をされていました。しかし、従兄弟の方もご高齢でもあることから、身元保証人は、あるNPO法人に委託されることとなりました。

 入所後のAさんは、リハビリも順調でADLも回復し、要支援へと移行できるようになったため、翌年の桜の時期を前に、有料の老人ホームへと移られる予定でした。そんなある日、Aさんと仲の良かったBさんが転倒し、大腿骨頸部骨折のため、病院に搬送されてしまいました。それを見ていたAさんはショックをうけ寝込んでしまい、急速にADLが低下してしまいました。そして、事件は起きました。

 ついさっきまで、なんとかお手玉などをされていたAさんが、車椅子上でぐったりしていました。一時は自発呼吸もなく、血圧も低下したため、直ちに救急病院に搬送することとなり、当施設の職員が身元保証人であるNPO法人に連絡をとりました。あいにく担当者の方は不在。代わりに電話に出られた方に、救急病院に向かい手続きなどをするようお願いしたところ、返ってきた答えは、「うちではそのようなサービスは行っておりません。亡くなったら、ご連絡ください。」とのこと。その話を聞いた職員一同は、一瞬フリーズ、しかし、すぐに気を取り直して搬送の手続きを進め、何とか従兄弟の方にお願いし、無事Aさんを救急搬送しました。その後、薬剤誘発性SIADHの診断を受けたAさんは、救急病院で順調に回復され、そのまま当初入所予定であった有料老人ホームへと退院され、事なきを得ました。

 あとで聞いた話では、Aさんが契約をしたNPO法人は、葬儀会社の関連法人であったそうですが、確認したところでは、ちゃんと病院の送迎もサービスに含まれるとのこと。今も新たな入所者の方の保証人となっていただいております。しかし、ちまたではうさんくさいNPO法人も横行しているようです。きちんとしたNPO法人をご紹介できることは、受け入れる施設側にもとても重要ということを認識でき、さらに改めて家族のあり方について考える機会となりました。

折りたたむ...
医療制度改革は患者目線で!
[アンテナ]

 社会保障改革国民会議での議論が波紋を呼んでいる。この会議は、平成24年11月30日に第1回が開催され、25年5月9日が第11回であった。社会保障制度改革推進法に基づき設置期限は8月21日までである。目的は、安倍政権の社会保障制度改革の方向性を示すことにあり、平成26年度以降の予算編成や制度改革のロード・マップになることは明らかである。

 この内閣府に設置された国民会議の議論は、固有の哲学に導きだされているものでもないし、まったく新しい考えを示しているわけではなく、社会保障制度改革についての議論を蒸し返しているにすぎない。それでも、インパクトは強烈で無視することはできない。

 受けて立つのは、当面、厚生労働省に設置されている社会保障審議会医療保険部会と介護保険部会である。医療保険部会は、5月10日、16日、27日(第63回)と毎週のように開催されている。こちらの議論も正直いってまとまりがない。

 例えば、国民会議では「医療計画の策定者である都道府県を国保の保険者とする。さらには医療計画の策定者である都道府県に保険医療機関の指定・取消権限を与えるほか、その実効性を高めるための諸施策を講じることとし、これらの方向性を医療法で明示すべき」と主張する。

 これに対して医療保険部会が明確に反対という意見集約はない。まず、国民健康保険の保険者は、都道府県にしてはどうかという議論は、長い蒸し返しの議論であるが、ぜい弱な市町村保険者の努力の積み重ねで、なんとか制度が維持されてきたのではないかということが正当に評価されていない。つぎに、都道府県に保険者機能ばかりか、保険医療機関の指定や取消権限を与え、それを医療法(?)で明示すべきであるという点は、正直言って理解に苦しむ。どう考えても都道府県国保として保険者機能を強化させ、それを医療法に書けばどうにかなるだろうという程度だ。

 国保財源が苦しいので国保を広域化するという方向は今までもある。平成の大合併で市町村数は約半減したが、あまり改善は期待できない。後期高齢者医療制度創設時に、保険者を都道府県にする方針があったにもかかわらず、知事会の反対もあり、わけのわからない組織体になった。都道府県が国保も保険者機能もよろこんで引き受けるはずはない。

 今、県レベルの財政状況は、国以上に厳しい。地方公務員の給与の引き下げもあり、県庁職員はやる気を失っているように見える。

 東京都、神奈川県、大阪府、愛知県、埼玉県、千葉県の人口を合計すると日本の全人口の40.5%になる。これらの都府県と滋賀県・沖縄県のみが人口増加しているものの、残りの全ては人口が減少しているのである。どう考えても県レベルで力があるのは、まれといわざるをえない。

 厚生労働省老健局長を4年3か月にわたり在任し退官した宮島俊彦氏は近刊「地域包括ケアの展望」(社会保険研究所)の中で「病院改革は、日本の場合、急激には進まない。これは、日本では、病院は民間病院が中心であり、誘導的な政策にならざるを得ないからである」というまっとうなことを述べている。また、高度急性期、一般急性期、亜急性期という病床区分について「患者サイドから見た場合、急性期が三区分というのは理解しづらい。病床区分は急性期病床と回復期病床(亜急性期病床の一部と医療療養病床を含む)くらいで大別し、機能的なところは診療報酬にゆだねて、医療圏ごとに柔軟に対応できるよう仕組んでいく方向ではないか」と述べておられる。

 こうした患者目線、被保険者側からの議論を真摯に展開して欲しいと思うのは、無理なのであろうか。

折りたたむ...
前号へ ×閉じる 次号へ
老人の専門医療を考える会 JAPAN ASSOCIATION FOR IMPROVING GERIATRIC MEDICINE