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老人医療NEWS第97号

気持ちが読めない政治はダメだ

「失礼ですが七十五歳以上ですか」「はい」「四月一日から後期高齢者と呼ばれていますが失礼だと思いませんか」「失礼だ」。

これは、本年四月にテレビ放送された一映像で、場所は巣鴨のじぞう通りだという。後期高齢者医療制度施行に伴う混乱は、なんともやりきれない。十年前から議論を重ね、五年前から老人医療の対象を毎年一歳ずつ引き上げ、平成二十年四月より六十五歳から七十四歳までを前期高齢者、そして七十五歳以上を後期高齢者医療制度にするという「高齢者の医療の確保に関する法律」が国会で成立し、四月実施後から混乱が大きくなった。しかし、「失礼だ」「知らなかった」「もとにもどせ」などとさわいだところで、代案がなければ、ただただ混乱を助長するだけで、何も解消しない。

医療費財源が確保できず、産科や小児科医療が地域でどうにもならないので、何とかしなければならない。そのためには、高齢患者さんも、医療従事者も、そして国民も傷みを伴う改革に合意して欲しい。さもなければ老人医療制度自体を維持できないと小泉政権は主張した。国民の多くは正確に理解していたかどうかは別として、結果として、制度は改正されてしまった。

今になって、なかったことにできるわけでもないと思う。しかし、苦汁の決断によって、やむをえず黙認せざるをえなかった当時と、今回の混乱に対する厚労省の姿勢、そして政治家やマスコミの大衆迎合型無責任体質にやりきれない思いが残る。

七月に入ってテレビ局のワイドショーのディレクターという人から電話連絡があった。「私たちの番組で一方的に後期高齢者医療制度をタタイタが、医者の友人を含めてタタクだけで対案もない報道をするなという批判があるので、何か高齢者医療の明るい話題を提供して欲しい」という内容だ。「タタク」「明るい」というノーテンキな言葉に私は言葉がなかった。

高齢者医療がワイドショーで取り上げられることには意味があると思うが、番組を創る人々が、あまり深く考えず、黒白をはっきりさせる安易な報道には、高齢患者さんもその家族も、そして医療現場で苦労しているスタッフも顔がでない。そんなもんだと割り切ればいいのだと思うが、高齢者医療をバカにしないで欲しいという思いがつのる。

実は、後期高齢者医療制度ばかりではなく、療養病床廃止から診療報酬、そして介護保険制度や生活保護制度まで厚生労働省関係の事柄は、全ておそまつな社会保険庁問題に集約されるかのような状況になっている。こんなことをいうのは変といえば変だが、厚労省は国民の健康と福祉に大きな責任がある以上、きちっと説明し、主張することは主張し、反論することは反論した方がいい。

何人かの国会議員を知っているが「療養病床削減は反対ということでいいですね」という議員が大多数だ。良いか悪いかというより、わが国の高齢者医療を真剣に考え、もっと議論し、ゆるぎない制度を立案することを国会議員にお願いしたいのだ。

KYという言葉は、永田町の流行語のようで「空気が読めない」ということらしいが、空気が読めない政治家は失敗するかもしれないが罪がない。しかし「気持ちが読めない」政治家や官僚そしてマスメディアの人々が、いいたい放題、やりたい放題に高齢者医療制度を「タタク」姿は、いつかは大きなツケとなって高齢患者や医療従事者、そして国民に負担と困難をつきつけるように思えてならない。

高齢者のための、ゆるぎない医療制度を構築し、高齢者医療の専門性を確立し、展開することが全てである。単なる財政対策や短絡的な制度対応では高齢者の専門医療を確保し続けることはできない。その前提は、国民の気持ちをしっかり読む政治だと思う。 (20/7)
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老人の専門医療を考える会 JAPAN ASSOCIATION FOR IMPROVING GERIATRIC MEDICINE