巻頭言
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老人医療NEWS第92号 |
では、老人病院は「社会的入院」(医療区分T)を入院患者の半分にいたるほど抱えこんでいる、恣意的な存在なのだろうか。問題の根源は各医療施設に帰するのだろうか。昭和四十五年以来、核家族以外の世帯比率は半減し単独世帯比率は一・五倍に増加している。このような核家族化のなかにあって、何らかの疾病を有し独居の不安を抱える高齢者が、医療費が「無料」である入院生活を選択することを容認する社会的背景がそこにはあっただろう。したがって「社会的」というならば、まさにこのような「イエ」の変容を背景とした意味での「社会的」であり、その時代変化のなかにあって老人病院の存在がいろいろな意味で着目・活用されたものと考えることができる。さらにその後の日本社会は、「家族」の存在意義さえ再度自問しなければならないような状況を呈し、今や新しい家族のあり方や「イエ」の模索を我々に求めている。
このような社会背景から見れば、「在宅」のあり方を考えるときに、単に施設との経済的メリットでの議論はもちろん必要なのであろうが、日本の家族社会の変容への考察からも議論しなければならないのではないだろうか。物理的・金銭的・介護力的な問題は「在宅」への強い抵抗として存在するが、それらの根底にかつての日本に存在した「イエ」の崩壊があることに目を向けなければならない。このような現状認識は、高齢者医療を単に経済的制約からではなく、社会現象の一部として捉えていく必要に目を向けさせる。
「福祉元年」はそのときの高齢者には安心感を与え、当時四〇代の働き盛りの日本人に明るい老後への期待を抱かせた。彼らが八〇歳になった今、あのころのような安心感も明るさもこの国には見当たらない。年々きびしい現実がのしかかってきているという声を聞くばかりである。
老人病院の歴史は核家族化や高齢社会への急激な変化による社会の要請を受け止め続けてきた歴史でもある。その中にあって、高齢者医療の「質」にいち早く着目し自律的な改革を志す当会の存在が、あくまでもマクロな経済原則に立脚する高齢者社会保障費抑制政策へのカウンターバランスとして効いてくれることを願っている。(19/9)