アンテナ
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老人医療NEWS第91号 |
私は今『老人の専門医療を考える会四半世紀の歩み』の最終原稿をながめている。これまでの歳月の一コマ一コマが長編ドキュメンタリーのように再構成され、いとおしい思い出としてよみがえってくる。
昭和六〇年三月二十三日の朝日新聞に当時四十一歳の天本宏会長が「老人病院を一足とびに介護施設にしてしまったら、老人の専門医療はどこがやるのでしょうか」と発言している。その天本先生が、二十五年記念誌に「高齢者医療のあるべき姿を日本医師会において提示することに係わるのに二十五年の地域医療の実践と、老人の専門医療を考える会での活動を要した」と明記されている。
二十五年間、高い志と強い思いで繰り返し、同じことを主張し続けることだけでも立派である。この間、いろいろな前進があったが、どう考えても老人の専門医療が確立したとは思えない。後期高齢者医療制度に関する議論や政策展開をみていても、一方では、この程度のうわべの議論ではどうにもならないのではないかと心配だし、他方では経済優先であまりにも一人ひとりの高齢者への配慮がないがしろにされているのではないかとういう疑念がはれない。
当会の歴史が、わが国の高齢者医療制度の歴史でもあることは、別に不思議ではない。われわれは、どこからも援助を受けない自主独立の小さな任意団体であるものの、社会に対して発言することを第一義的目的としていることから、これまでに多くの提言や提案をなしてきた。立法府のメンバーとも、行政府のスタッフとも、いくども意見交換してきた。それゆえ、わが国の高齢者の保健医療あるいは福祉や介護の政策や制度に直接間接に影響を与えたことは確かであり、この意味では責任もある。
われわれは、設立直後から医師のワークショップを続けてきたし、数多くの勉強会や施設見学会として海外研修を進めてきた。その成果は、明確で、なによりも現場の医師が成長したように思うし、チームケアの基本型を確立することができた。全てを全員が企画し、実施し、評価してきたことは、大きな自信となったし、当会が継続できた原動力であったと思う。
「継続は力なり」という言葉をかりるとすれば、今年三月二十四日に開催された全国シンポジウム―どうする老人医療これからの老人病院」も第二十九回となった。そして、機関誌『老人医療NEWS』は第九十一号となった。毎回アンテナを担当した者として、なによりも読者の皆様に、この場で深く御礼申し上げるとともに、この二十五周年記念を共によろこびたい。
祝二十五周年
【備忘録】
当会の第一回総会から一年後の会員数は、三十四病院となり、独立の事務所と事務員を配置することになった。事務所は、新大久保の三島屋ビル六〇一号室、和室二間と台所で、安藝祐子さんが就職してくれた。家賃十二万円であった。
その後、六十三年五月に、新宿区百人町の清ビル三階に移転した。その直後、老人保健施設連絡協議会が組織され、都内に事務所を開設することになり、隣室を提供して、社団法人化の準備事務所となり、平成元年十二月二十二日に社団法人全国老人保健施設協会が設立された。
現在の事務所への移転は、平成六年十一月であり、会員は五十一名で、年会費は三十六万円である。
本当に少ない会員と小さな事務所で、吹けば飛ぶような存在にすぎない当会が、ここまで継続できたのは、会員間の意思疎通というか、老人医療への思いとしかいいようがない。
なお、当会は、厳しい入会審査付であるが、新入会員を現在も募集している。