こぼれ話

老人医療NEWS第91号

「認知症」の原因を考える
湘南長寿園病院院長 松川フレディ

厚労省のお声がかりで「老人性痴呆症」「老人のボケ」は「認知症」という新しい呼び名に統一されようとしている。「認知症」という言葉がふさわしいか否かは別として、徐々に「認知症」は認知され始めているように感じる今日この頃である。

全国に一六〇〜一八〇万人以上になったといわれる「認知症」は今やポピュラーな話題となり、親類、知人が集えば、愚痴や苦労自慢のように話されるようになった。ここ数年、小生も全国の地方新聞社主催の講演会によく招かれるが、どこも「認知症関係」の題をつけてくるところが多い。中年から初老の人達には大きな関心事であり、身近にボケたお年寄りがいたり、世話や介護に困った人ほどその傾向は強いように思われる。「ボケてあんなふうになりたくない」という想いは殆ど強迫観念に近いものがある。

さらに最近はテレビ、雑誌等で人の記憶力を試すようなゲームが続々と発売され、一般大衆の不安をあおり、そのお陰でビッグビジネスにさえなっている。ゲームはもともと子ども相手のものだったが、通称「ボケ」と呼ばれる認知症の影に怯える中年から高齢者まで取り込んだのは大きい。テレビで「おとといの昼ごはん覚えていますか」を聞いて不安に思う人は多いと思うが、果たしてその問いは正しいのか。

高齢と共に幾何級数的に増え続ける認知症のリスクは厳密ではないにしても原因はひとつであるはずはない。特に先天性要因と後天性要因の問題では、圧倒的に後天性の環境因子がより多く関わっていると考えるのが妥当であろう。原因が複数であれば、「ゲーム」「暗算」「書き取り」等、どれかひとつやっていれば良いとコマーシャルしているのは間違いと考えざるを得ない。

一生涯「書き取り」「算数」を教えていた学校の先生が認知症になった話には枚挙にいとまがない。「物忘れ」「固有名詞」が思い出せないということが多くなるとボケてきたのではという心配は分からないでもないが、生涯たいして変わらない事も多い。

上記に書いたことは、忘れても良い「小さな記憶」であり、認知症は忘れようにも忘れられない「大きな記憶」「体験」等が失われ、かつそれによって日常生活に問題が起こる状態である。「おとといの昼ごはん」は些細な記憶であり、覚える必要のない記憶である。

アインシュタインが晩年、度忘れに悩み、多くの学者、知識人も度忘れ、物忘れに悩まされていたというエピソードは多い。レーガン元大統領が完璧?なアルツハイマー病になったエピソードは詳しく報告されている。我々、凡人が年をとってきて、度忘れ、固有名詞がなかなか思い出せないのは普通の事である。

「認知症」は大きな記憶の障害が中心でかつ日常生活に問題が起きている状態なので、軽い認知障害があっても日常生活、在宅生活が出来れば良いのである。「ボケたらどうしよう」「ボケたらみんなに迷惑をかける」等、強迫観念が脳にとって大きなストレスになっていると考えられる。そのストレスは、ボケ発症の大きな要素となっているという説は多く、小生も同様に考えている。仏の教えでもないが先の事はわからない、なるようにしかならないという柔軟な考えが必要であると思う。

認知症発症の最大原因は多分、「加齢」と頭の刺激の少なくなった生活習慣による「廃用頭脳」と考えているが、皆さんはどうでしょうか。

取材の時によく聞かれる質問「先生はご自分はボケないと思いますか」には、「半々でわかりませんね」と答えている。すると、どんな風になると思いますかと聞かれる。「ボケていようがいまいが、ボケたふりして女性のおしりをさわっている」と笑って答えることにしている。 (19/7)
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