こぼれ話
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老人医療NEWS第82号 |
老人医療では益々、在宅・地域リハビリテーションが重視されている。入院から在宅復帰を阻害する問題の一つに障害の受容の難しさがある。医療者と違って、一般の方は「障害=病人」という考え方をしやすい。
たまたま、孫の結婚式に出席するために両側股関節の人工骨頭置換術をした妻の母親が、一人で青森空港から福岡空港経由で来てくれた。長年姑に仕えた謙虚な母親のイメージが強く残っていた妻にとって、八十歳を過ぎて日常生活に軽介助を要するようになったが、急に自分の生活を楽しみ、何所にでもでかけるなど自己主張を強めた母親の態度に少し驚いたらしい。
結婚式も終わり、春にまた来ると言って、雪の弘前に帰っていった後の妻の一言は「年寄りの世話って考えている以上に大変ね。頑固で言うことを聴かないだけでも疲れてしまった。考えると私がケアプランを担当している家族は皆偉いわね」であった。
毎日、リハビリに乗せようとお年寄りとお互いトボケたり誉めたりしながら治療に関わっていると、この程度のことは、日常茶飯事のことで愉快であった。高齢者や障害者との日常生活での関わり方によって、受け取り方が様々な一面である。
高齢者をはじめ障害者の社会参加を考える上でノーマライゼーションが言われて久しいが、この「日常性」が大切だと日頃考えている。しかし、なかなか家族や社会に理解してもらうことは難しい。
リハビリテーションでは、「全人間的復権」の理念のもとに社会復帰を目指しているが、高齢者ばかりでなく、働き盛りの年代の方も一度脳卒中などで倒れて障害を起こすと、人生を終了したかのように隠遁するか、または、リハビリ人生となり社会に背を向けてしまう方があまりにも多く残念である。
社会復帰や社会参加の内容は年齢に応じて様々である。復職や転職など新たなライフスタイルの再構築を積極的に試みる方は問題ない。しかし、リハビリ人生に引き込む原因の一つにリハビリに関わる医療者の対応にもある。回復期だ、やれ維持期リハビリだと治療に熱心過ぎて、社会復帰どころかリハビリ人生に終始させてしまうことがあるので注意が必要である。今更言うまでもないが、リハビリは医学以上に社会学が要求される職域である。
ギリシャ神話の時代から「スフィンクスの謎」のように、四つん這いから二本足歩行、そして杖を必要とする三点歩行となるようにヒトは生涯変化するものである。その他にも、例えば近視や、加齢とともに老眼も多くなる。視力に障害がおきるとスポーツをするにも、車を運転するにも、仕事をするにもメガネがないと不便である。また、足腰が弱ってくると、膝のサポーターやコルセット、杖、シルバーカーなどを利用する方も少なくない。これらは、ライフステージで区切れることなく、知らず知らずに起きてきた障害であるが、結構、不便に応じて器具(補装具や自助具)等を利用して普通に生活している。疾病の後に障害を引きずるのは、その重症度にもよるが、発症過程が問題のようである。
五体満足に人生を全う出来るヒトはどれくらいいるだろうか。大なり小なりの障害を持った人達からも社会が構成されていることを考えると、これがノーマルな社会の構造である。障害の受容は、高齢者や障害者個人の心理的問題だけでなく、周囲の「日常性」における関わりが必要である。老人が三ヶ月以上入院すると在宅復帰が難しくなるのは、周囲の「日常性」の変化のためで、リハビリ病院でも社会復帰の際にみられる現象として「日常性」の喪失に気をつけている。(18/1)