現場からの発言〈正論・異論〉
|
老人医療NEWS第81号 |
一九九一年に私は大学を卒業し、総合ローテートの研修を経て、高知県に戻った一九九二年当時は、ちょうど訪問看護ステーションが法制化した年でもあった。また、付き添い看護を行っている病院が転換をはかりはじめ、介護力強化病院という新たな診療報酬体系の中での長期療養型の病院へと生まれ変わりを遂げていた。当時は病院から自宅へ帰す事を目標にリハビリテーション病院で汗をかき、自宅退院した患者さんのフォローで、毎週東西南北のコースを決めて訪問診療を行っていた。自分のいたリハビリテーション病院では入院待ちの患者も多く、退院に拍車をかけないとたちまち入院が滞り新患を受けられなくなるため、障害を抱えながらの患者さんを退院にもっていくのに、悪戦苦闘の日々を送ったものである。
そんな病院時代を経て一九九七年に東京の下町に診療所を開業し、八年が過ぎた。診療所の変遷も激動であるが、医療福祉業界を取り巻く制度の変貌はめまぐるしいものである。
二〇〇〇年には介護保険がスタートしケアマネジャーという職種が新たに生まれた。在宅ケアのサービス事業所や老人保健施設、老人福祉施設、長期療養型の病床が質的にも量的にも整備されてきた。急性期病院の平均在院日数も年々短縮化され、現在では十五、六日程度にまでになり、より一層在宅復帰に拍車がかかっているように思われる。
「住み慣れた自宅に帰る」これは極めて当たり前のことではあるが、障害を抱えながら、自宅復帰する事は決して容易な事ではない。本人の状態や支援体制によっては、看る側、看られる側双方にとっても苦痛が伴い、在宅生活そのものが破綻をきたしかねない。介護保険発足前に往診をしていた高知県では、自分が関わる対象者については、関連の訪問看護ステーションのおかげでそれほど困らなかったものの、地域の体制として訪問看護ステーションや訪問診療、訪問リハビリテーションを行う機関はまだまだ少なかった。また、ホームヘルパーの利用も限られた人のみのサービスであったため、地域サービスは決して充実していたとは言いがたかった。
その当時と比較するとサービスの量や供給体制は充実してきた。とりわけ訪問介護サービスのニーズは極めて高く、またデイサービスやショートステイといったサービスへのニーズの伸びも著しい。在宅で生活していく上でいかに介護の手を必要としていたのかが伺え、また費用負担をしても、適切な費用負担であればサービスを利用したいと希望する利用者は確実にいる、という事も明らかとなった。
しかしである、人々は決して介護される状態を望んでいるわけではなく、元気な身体でいたいのだ。単に世話をするのではなく、あくまでもリハビリテーション前置主義。当事者の自立支援と介護量の軽減が図れるサービスメニューを組み立て、必要なサービスが必要に応じて十分提供されている、そんな在宅ケアサービスが日本中どこにいっても当たり前になっている日が早く訪れるよう今後も地域医療を発端にサービスの充実を図っていきたいものである。(17/11)