こぼれ話
老人医療NEWS第74号
いまどきのムンテラ
三条東病院理事長 林光輝

 幼い頃、高熱などで具合が悪くなると近くの医院に連れていかれました。口を開けさせ、頚部を触り、胸と背中を叩き、聴診器をあてると診察は終わりました。「風邪ですね。二、三日でよくなるので心配ありません」と先生が説明してくれました。「熱が下がると楽になるから注射しましょう」と腕に痛い注射を打たれ、自宅に戻る頃には解熱し身体も楽になりました。

「二、三日で治ります」という言葉に安心感がありました。

 今はどうでしょうか。「風邪の症状なので二、三日でよくなると思いますが、よくならないことも考えられますのでその時は再び診察に来て下さい。解熱剤の注射は副作用が心配なのでしません。坐薬を処方しておきますが、稀にショックを起こすことがありますので充分ご注意下さい。内服薬も薬剤アレルギーで薬疹が出現したり、肝機能障害を引き起こす可能性があります。副作用がご心配でしたら頚部などを冷やしてください。現時点では普通感冒と考えていますが、他の疾患の可能性もありますので経過を診る必要があります」これでは内服薬を飲むのも心配になり、ひたすら額に氷嚢を乗せていた大昔と変わりがありません。

 個人意識の強い米国で生まれたインフォームド・コンセント(説明のうえでの同意)という言葉が日本でも認識され医療現場で実践されるようになってきました。これは患者が自分の病状と医療行為について、知る権利と決定する権利を持つという意味になっていますが、主な目的は「医師と患者の相互の信頼関係をより深めることである」と説明されています。残念ながらインフォームド・コンセントの目的が正しく理解され、実践されているとはいえず、誤った方向に進んでいるように感じます。

 医師は「医療上の責任を問われることがないように十分な説明をして承諾書をもらうこと」と考え、患者も「医師の説明以外のことが生じた時は、告知義務を怠ったということで責任を問える」と考えています。

 「この度は、大変申し訳ございませんでした」医学部付属病院の病院長等が大勢の報道陣の前で揃って深々と頭を下げる。ひと昔前までは、見ることがない光景でしたが、最近では珍しくなくなりました。こんな報道のたびに「明日は我が身か」と考えてしまうのは私だけでしょうか。おそらく管理職の方に限らず、医師は皆同じ思いで見ていると思います。

 医師は医療行為による被告人として法的に裁かれることがないように事前の防衛策を意識しながらの診療体制を整えるようになり、結果的に診療内容が萎縮してしまい患者にとっても、医師にとっても良き時代とはいえません。「事実をありのままに話す」という名目のもとに病状や病名を告知すれば医師はとても楽になります。患者の精神面の反応や問題点を全て受け止める技量も無く、ただ機械的に病状や病名を告知するだけのことが多いとの指摘もあります。「病気を診ずに、病人を診よ」昔の先生は本当に偉かったと思います。

 厚生労働省からの指示で何かにつけて同意書類を準備することが義務化されました。患者としての人権を尊重し、万人が適切な医療を受けられることを目的としていますが、現場では医療トラブルを有利に運べる予防策、或いは診療報酬を支払ってもらう為に必要な書類としか捉えていないと思います。いずれは、こんな時代に育った医師しかいなくなるかと思うととても心配になります。

 高齢者の終末医療のムンテラは、本人ではなく家族を中心にすることが多く尚更複雑で、多面的な配慮が必要になります。それなのに高齢者の置かれている背景を考慮せず、一方的に医学的な知見を並べ、「どうぞご自由に治療方法をお選び下さい」と。こんなお粗末なムンテラをインフォームド・コンセントと称して堂々と行なっています。

  「我々も精一杯治療をさせていただきました。お祖父ちゃんも最後まで頑張ってくれましたが、残念ですが遂に力尽きてしまいました。」本当はこれで良いはずではないでしょうか。

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老人の専門医療を考える会 JAPAN ASSOCIATION FOR IMPROVING GERIATRIC MEDICINE