こぼれ話
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老人医療NEWS第72号 |
私が老人病院に勤務したのは、内科研修後、皮膚科を十年位行った後である。突如として与えられた老人病院の院長のポストと、慣れない老人診療には戸惑いを覚えた。就任以来しばらくは、内科の勉強ばかりしていたが、幸いなことに内科の研修知識がベースにあったため、あとは当院の向かい側にある一般病院の先生方に相談しつつ知識と経験をつんでいった。また、外来には整形外科の先生方も入れ替わりパートで来られていたため、整形疾患もたくさん勉強させていただいた。そんなこんなである程度のことは、相談が受けられるようになった。
老人医療で心に残ることは、ある八十歳近いおばあさんの事である。足腰が痛く、心臓も悪く通院していたが、来るたびに、嫁の悪口を言う。さも辛そうに訴えるものだから、聞いているスタッフも皆、鬼嫁を想像し、今度一緒に来ようものなら、捕まえてもっと大事にせい、と言ってあげたかったがなかなかチャンスにめぐり合えないでいた。
そうこうと月日がたつ間、六十四床の入院患者さんを診ながら、どうして、幸せそうにニコニコしている人がいる半面、いつも悲しそうにしている人、怒ってばかりいる人などがいるのだろうかと考えた。人間最後はニッコリやすらかに終わりたい、終わらせてあげたいもの。この違いは、人との今までの関わり方にあるのではないか。何事も自分優先にし、人への思いやりや配慮に欠ける生活をしてきた人は、あまり幸せではないのではないか。
そのような仮定のもとに、家族面談などで、今までの生き方を聞いてみると、案の定、人付き合いの良かった人は、友達や、孫や、近所の人までもがお見舞いに来るほど慕われ幸せなのである。それに気づいてからというもの、私自身も人のために時間を費やしたり姪や甥にこずかいをあげたりして老後の幸せ作りに励んでいる。
それでは今までそうしてこなかった人に幸せな大往生はあるのか。
ある時、看護の日の集いに、看護師さんたちが招いたキリスト系大学の講師の先生が「成功の祈り」という一文を朗読してくださった。人は貧しい人、裕福な人、病弱な人、健康な人などさまざまだが、裕福だから、健康だからといって幸せとは限らない。しかし、神は全ての人に成功を与えんとしているはず、何をもって成功とすればよいか、本当の成功とは感謝できる心・・感謝の言葉を身上として生きてゆこう、という内容だった。そういえば、幸せそうな人には、感謝の言葉がある。これだ!と思った。
私たちにできることは、感謝していただけるようなサービスを提供すること。いつも怒ってばかりいる人、不満ばかり言っている人、生きていてもしょうがないと思っている人が感謝の言葉を発してくれたら大成功。このような気持ちで日々努力をしているが、その人にとってよかれと思って努力をしていても、喜ばれないこともある。
九十歳近いおばあさんが入院していた。とにかく、始終コールを押してくる。その都度スタッフがかけつけるのだが、何もしてくれないといつも不満ばかりだった。このまま文句ばかり言って、スタッフに嫌われ家の人もあまり寄り付かないで一生を終わらせていいのだろうかと思い、ある日、思い切って尋ねてみた。「あなたの言われるままにスタッフは一生懸命やっていますが、あなたには感謝の心はないのですか」と。その方は暫く黙り込んでいたが、それ以来、「ありがとう」の言葉が聞かれるようになり、笑顔がでて、スタッフとも家族とも心が通い、穏やかに、大往生された。
私たち老人医療に携わるものは、どう生きれば幸せになれるかを患者さんを通じて学んでいる。これから老いを迎える人にも、今老いの最中にいる人にもこの心を伝えたい。