こぼれ話
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老人医療NEWS第71号 |
「それでは、父はターミナルケアになるわけですね」そう言って恰幅のいい紳士はうな垂れてしまいました。百一歳の父親が老人保健施設に入所中に、脳梗塞を発症し意識の低下とともに食事が取れなくなってしまったのは今年の一月でした。はじめの二週間あまりは点滴で経過を見て、その後鼻腔チューブによる経管栄養を開始しましたが、自己抜管があり再挿入時に苦しがり激しく抵抗されました。その姿を見て、ご家族は経管栄養の中止を申し出られました。
胃切除をされ胃瘻にも出来ず、点滴をして経口摂取訓練で食べられるようにならなければそれが本人の寿命と言うことで理解はされたようでした。「高齢でもあり、栄養をつけて寿命を延ばすにも限界があります。好きな音楽を聴いたり、離床して外の景色を見たり、入浴して気持ちよく毎日を過すことも大事です」と私が話したとき、ご家族は確かめるように最初の言葉を口にされたのでした。
私たちが医学部を卒業したころ、患者様やご家族への説明は「ムンテラ」と呼ばれていました。ドイツ語の Mund Therapie (口での治療)という言葉(本当にそういうドイツ語があるかどうかは知りませんが)の省略形ということで、「医師が患者に安心を与え治療を円滑に進める」のが目的であったような気がします。その代わりに、医師の治療方針が前面に押し出され、「医者がそう言うのなら仕方ない」とか「医者に逆らってもいけない」、「先生の良いようにお願いします」という雰囲気がありました。
さて、医療の世界に、インフォームド・コンセントという概念が持ち込まれてから久しくなります。診断、検査、治療などについて十分な説明を行い、患者の同意を得て患者主体の医療を行うということがその趣旨だったと思います。
これを踏まえ、療養病床でも様々な機会に、患者様やご家族と面談するようになりました。入院時診療計画然り、リハビリテーション実施計画然りですが、特に気を使うのは、患者様の疾患が重篤な状態に陥ったり、機能低下で食事が経口摂取出来なくなったときです。そのときの病状、今後の見通し、選択できる方法(人工呼吸、経管栄養、IVH等)などお話しますが、結局のところ「管を入れるかどうかご家族で決めてください」と締めくくってしまうことが多いように思います。
治療方針には、本人の意思決定が重要なことは言うまでもありません。しかしながら、療養病床では意識障害や痴呆など意思決定の困難な方が少なくありません。このためどうしてもご家族に決断をお願いする(押し付ける)ようになってしまいます。「先生は父の方は向かず、私にばかり話をする」「『私が父の命を決めてしまっている』と思った」これは、NPO「ふきのとう」の代表木島美津子さんが自らの経験をお話になった講演での言葉です。
さて、前述のご家族ですが、この面談後も「点滴はどのくらいしてもらっているか」「今日は少しは食べられたか」「入浴したりして、病状は悪くならないか」と看護師詰所に良く来られるようです。看護師も、「先生がお話されても、ご家族は納得されていませんよ」と言ってきます。
肉親が目の前でしだいに衰えていくのを見て、自然の経過と理解できても納得まで出来る家族があるでしょうか。医療における責任論だ、インフォームド・コンセントだと言う前に、厳しい決定を迫られる家族には十分な支えが必要だと思います。ムンテラとか病状説明ではなく、患者様にとってどうするのが一番良いかをスタッフ、ご家族をまじえて話し合える場を作っていきたいと思っています。