こぼれ話
老人医療NEWS第70号
一貫の道
天本病院院長 青野治朗

 高齢者医療現場と向かい合って五年の歳月が過ぎました。そこには、単一疾患に対して最新のエビデンスやサイエンスの日本刀を振りかざし、辻斬り医療でご満悦だった私にとって正に別世界が広がっていました。

 例えば、私の外来を定期的に尋ねてくる八十八歳の老紳士がいつも同じことを語ります。「足が冷えてね。先生は若いからわからないかも知れないけど、長生きをすることは辛いことなんだよ」と。初めて彼と出会った頃、私は様々な検査を勧め、あらゆる処方をしました。彼は辛抱強く付き合ってくれましたが、その問いかけは変わりませんでした。

 勿論、彼には安堵の表情はありません。いつ頃からか私は彼の問いかけに対して「人生は修行の場ですから」と笑顔で返答するようになっていました。すると彼は、私に「頼んだよ」と言っていつも外来を去るようになったのです。最近では冗談交じりに彼の死亡診断書に記載するであろう主病名の話までしています。

 私のようなどこにでもいる医者には、彼の心の中にある不安の闇を技術で救うことはできませんがハートがあります。心から共鳴しようとするとき笑顔の妙薬を処方します。ここに私なりの信頼関係が築き上げられて医師と患者の関係を超越した感情が芽生えてくる気がします。必然である死という終着駅が目の前に迫っている高齢者にとって、先端医療が必要なのではなく、誰に最期を任せられるかが重要なことだと思うようになりました。

 高齢者医療に携わる者として、そこには三つの山場があると思います。
(1)老いを感じる初老期、(2)病期から立ち直ろうとしているリハビリ期、(3)死を受け入れる受容期、です。

 冒頭の挿話は受容期にある人との絆の話です。その時期は、より宗教観に近く諸子百家が混戦を呈しやすい世界でありますが、私も青野教とも呼ぶべき死生観に磨きをかけておりサービス提供体制を整えています。

 次に、リハビリ期に関しては回復期リハビリテーションを含め医療福祉の現場では最盛期を迎えようとしています。高齢者リハビリを実践する天本宏先生の下で修行している私としては、大川弥生先生提唱の目標指向型リハビリテーションプログラム的発想により「生涯リハビリオタク」を作らない社会が来ることを信じたいと思います。
そして今からは、初老期に対してのトライアルが私のライフワークと考えています。具体的には、初老期の体力(フィジカル・フィットネス)の開発を医科学的な知識をベースにスポーツトレーナーと協力して行い、健康度を回復させ、肉体年齢の向上まで実現させたいと考えています。   

 この事業は平成十二年に、当院の近くにある民間スポーツクラブNASとの提携から始まりました。当時、三分間診療の外来では生活指導の一環である運動療法に対して満足のいくサービスの提供など無理であると半ばあきらめていた私に、NASが場の提供をしてくれました。

 この年より、私はメディカルフィットネスコースと称するスクールを担当する自称スポーツドクターになったのです。紆余曲折の末に今では水着でプールに入り利用者のヘルスチェックを行っています。生徒さんは私の担当する外来患者様が中心で、最高齢は八十七歳でピンピン飛び跳ねています。参加者の多くは健康上のトラブルがあり、その改善が目的ですが、体力レベルの向上もさることながら自覚症状の改善や投薬量減少のお土産つきの症例まで出現するようになってきました。

 また、昨年からは別のスポーツ団体とより組織的な取り組みを始めるようにもなりました。保険財政に頼らず、自腹を切って健康をめざす高齢者の姿は民主導型医療費削減の夢まで私に見させてくれるような気がします。

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老人の専門医療を考える会 JAPAN ASSOCIATION FOR IMPROVING GERIATRIC MEDICINE