こぼれ話
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老人医療NEWS第69号 |
先日九十七歳の女性が自宅で亡くなった。老衰であった。特に他には問題はなく老化と共に衰弱し、在宅での看取りを希望していたため、平成十四年秋から往診を始めた。
本人はやせ、体力が徐々になくなってきてはいるが、呆けているわけではなかった。話しはニコニコと明るく、往診に行くと楽しそうな声で話をし、「ありがとう」とかん高い声で挨拶をしてくれる。食事はほんの少量ではあるが、毎日自分で食べていた。また二階の室内の隅に置いてあるポータブルトイレまでは、ゆっくりだがなんとか歩き、自分で排泄は行えていた。
この家族は九十七歳の本人の他、主介護者である娘さん夫婦と、娘さんの弟さんの四人家族で、酒屋を営んでいた。下町にある古い建物で、小さな店の奥の居間を抜けると狭い台所の横に、はしごのような階段があって、そこを昇った二階でひっそりと暮らしていた。
往診当初、足がむくんでいた。「足がむくんだら死ぬ、と昔の人はよく言っていた」と娘さんが当時興奮して言っていたが、その勢いであわてて通院先の担当医に相談して、早々に当診療所に往診を依頼したのだそうだ。幸いすぐに亡くなるような急激な変化はなく、ほとんど臥床か床に座り込んで一日が過ぎていった。
そして一年が経過したこの十月に急に足が立たなくなり、背部には褥瘡が出来始めた。一旦は持ち直したものの食事が飲み込めなくなりだし、介助でなんとか食べ数日が経過したが、三週間程経ったある朝息を引き取った。
この老人の死はいわゆる大往生の話ではある。しかし同じ頃から娘さんのご主人の行動がおかしくなりだした。どうも呆け出したようである。徘徊したり外で酒を飲みまわったりするようになった。また肺癌の疑いがかかり、入院して体中の検査をした。結果として異常はなかったようだが、入院中に病院を抜け出してしまい、探し回るようなこともあって、娘さんとしてはかなり夫のことにも気を取られていた。その夫の病状の悪化に加えて母親の容態が悪化しだしたのだ。
娘さん自身七十歳という高齢であり、酒屋という商売のこと、夫の体調のこと、そして母親のことが重なり介護で夜も寝られず疲れ果て、精神的にも肉体的にもこれ以上は耐えられないほどの限界に達していたという矢先に母親が息を引き取った。
九十七歳、大往生と言えば大往生ではあるのだが、娘さんにすれば一生懸命に看ていたが、急に息を引き取ってしまったので、自分が至らなかったのではないか、と悔いていた。そこで、肩を落としている娘さんに、これまでの経験を交えて話をした。
「やっとの思いで一致団結して動いている家族に、危機的な状況が一度に起こった時、まだこれから生きなければならない人を残して、一番手がかかる人が自然と先に身を引くことがある。これは理屈では説明できないが、娘さんがご主人の世話をしなければならないことがわかって、九十七歳の母親が先に身を引いたのだと思う」と。
それまで泣き崩れ、「昨日まではなんとか食べてたのに」、と悔いた話しをしていた娘さんの口から「先生にそう言われてなんだかわかるような気がする。精一杯看てきたのだし、そう言ってもらえて自分が救われた」との一言があり、ほっとした表情に変わり、母親に「ありがとう」と何度も言っていた。その後はいつものように家族と共に死後の処置をした。
まだ医者としても若造ではあるが、人生の最後までをも地域で診ていく経験を沢山させてもらい、そして少しは人が安心できるような言葉かけができるようになった自分を「お前も医者らしくなったんだ」と認めてやりたい。