こぼれ話
老人医療NEWS第68号
だから訪問診療はやめられない
霞ケ関中央病院副院長 齊藤克子

 訪問診療を始めてから十四年が経った。そのおかげでたくさんの経験や人生勉強をさせてもらっている。外来や病棟での仕事も無論いろいろな関わりや出会いがあり経験もするが、家庭の中に入っていくことで、病院内で仕事をするより医療以外の部分への関わりも濃く、ご家族からの相談ごとも多岐にわたり、その分ご家族との関係が密になっていく。

 もちろん医療の部分も、特に在宅ターミナルケアの場合は老人病院ではなかなかお目にかからないような病気の方をお引き受けすることもしばしばあり、新しい医療器具や薬を使用している場合などとても勉強になる。ターミナルケアは最終的には全身管理となるので、普段は自分の守備範囲外の婦人科や泌尿器科などの病気でも勇敢にお引き受けすることになる。(余談になるが、今まで訪問の依頼に対して地理的な理由以外でお断りしたことがないのが自慢である。)

 「自宅で、畳の上で死にたい」と言われた方に精一杯の取り組みをしてご家族と共に無事に看取ったときは、病棟では得られない充実感を感じる瞬間である。在宅の場合は医療器具などそろっていないため苦労も多いが手ごたえも大きい。

 最近は訪問診療も普及してきたが、私が始めた当時は実際患者さんが自宅でどうやって生活しているかなんて考えもしない医師も多かったと思う。私も今考えるととおりいっぺんの指導まがいのことをしていた。しかし訪問を始めてからは、医師や看護師のいない家庭で夜間にこんなことが起こったら、休日にこんなことが起こったら、と先回りしていろいろな場面を予測し、ここのお宅ならこの辺のところまでできるだろう、いやここまでで無理だろうなどとその家庭に合った対応策をこと細かく考え、説明するすべも身につけた。

 充実した在宅生活を長続きさせるためには、その方に合わせたサービスの利用、二十四時間の医療の保障、連携など不可欠な要素はいくつもあるが、たくさんの家庭を見ていると「介護者」の性格や判断で在宅生活がつまらないものになったり、充実したものになったり、患者さんの人生までもが左右されることが往々にしてあると感じている。細かいことによく気がついて早め早めに連絡を下さる介護者はいいが、それが度を超して少しのことでも心配の種になり、大騒ぎして患者さんも落ち着かなくなることもある。

 嫁がいいか娘がいいかという議論(?)もあるがこれは善し悪しである。嫁は冷たいとされているが冷静に親のことを見られるので判断が的確な場合が多いのと、面倒を見てもらう側も多少の遠慮があり自分でやれることはやろうと頑張る。しかし、病前の関係が悪いと仕返しをされる危険がある。

 娘は甘えられて良いと言われるがお互い好きなことが言える分容赦がなく、性格が似ている場合は衝突が多い。娘の夫に遠慮して過ごさなければならないこともある。

 親身になって面倒を見てくれるのは配偶者であるが、年齢が近く自分のことで精一杯になっている場合も多い。いずれにしても多少のことには動じない明るく前向きな介護者に恵まれればそれは本当に幸せなことである。

 患者さんの中には十年以上訪問している方々もある。時には親子げんかの仲裁に入ったり、定年を迎えた介護者である息子さんのボランティアの口を紹介したこともあった。あるいはお孫さんの受験の相談に乗ったり、エアコンの調子を見たりと、私もなかなか忙しい。

 あまり道路など知らなかった私が裏道の通と言われるようになったのも訪問診療のおかげで、渋滞も何のそのの毎日である。

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老人の専門医療を考える会 JAPAN ASSOCIATION FOR IMPROVING GERIATRIC MEDICINE