現場からの発言〈正論・異論〉
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老人医療NEWS第72号 |
私が現在の武久病院理事長に就任したのは、昭和五十三年であるから、約二十五年余りをこの仕事に費やした事になる。この期間は、日本の老人医療・福祉にとってはどの様な期間にあたるのか、あわせて、これからの老人医療・福祉はどうなってゆくのか、またどうあるべきかを考えてみたいと思う。
まず現在の老人医療・福祉の原点を語るには、第二次大戦後の現医療法の制定直後から初めるべきであろう。現医療法については、国際的にも費用対効果に対しては、一定の評価が成されている事は周知のとおりである。つまりその成功と終戦からの右肩上がりの経済成長の二枚看板によって、日本は世界で最長寿国となった訳であるが、その結果として、人口の高齢化と少子化という二枚の負の手形を受ける事になった。しかも、このスピードが異様に速いといった事も問題を深刻にしてきた。結果として今後は、全体的な人口減少に加え、人口動態の変化から就労人口層の減少が始まる。
現在しきりに新聞誌上を賑わす年金問題も、根の部分でここに原因を求める事ができる。この問題は国全体としての問題であるが、目を老人医療・福祉業界へと移すと、「働き手が減少する」現実がどのくらい私たちの業界に深刻なダメージをもたらすのか。
「老人医療・福祉は人手を省けない」という事は、私が二十五年携わってきて実感している。つまり他の業種に比べて最も合理化しにくい業種の一つである。老人看護介護は言うまでもなく、単純な物理作業ではない。お年寄りへのデリケートな心遣いを伴った働きかけは必須条件だ。つまり人手に頼る以外にない仕事である。しかもこういった働きが出来る様になるまでには一定の素質と訓練を要する。その上に今後は、人手を集める手段が困難になっていく訳であるから大変である。私が所属する医師会立の看護学校でも、現在はまだ受験希望者も定員を超え、生徒の質の低下等の話題がもっぱらであるが、数年も経てば、おそらく生徒募集に汲々としていて、とても生徒の質どころの話ではないであろう。
二〇〇二年秋、中国の青島(チンタオ)の看護学校に視察に行く機会を得た。現状では日本での就労ビザは取れないが、日本語の教育も行っている。学生と日本語で交歓会を行った際、目を輝かせて「明日からでも日本で働きたいです」と皆が意欲的だったのが印象的であった。一方では、東京その他の大都市では、ごく普通に外国人の店員が就労しているのを目にするようになった。特に、アジア系の外国人は「少し言葉がおかしいかな」程度で、よく見るとやっと外国人と気付く程度の人もいる。
自然の流れの中で、日本人は単一民族という図式が壊れていけば問題はないが、日本が経験した速度での人口動態の変化を、同じスピードで修復するのは不可能と思える。たとえ、就労人口層を輸入する方法を採るにしろ、強いあつれきが出る事になるだろう。もう一方で、増加した高齢者に働いてもらう方法も試すべきであろう。一番短絡的な方法は、定年延長である。高齢者も元気な間は働く事のできる社会づくりをすることが、急務ではなかろうか。
高度成長と世界に冠たる医療制度により築かれた日本は、急激に老いて国力は低下の一途を辿ろうとしている。この難局をどのような手段で乗り切るか。おそらく日本と同じ経験を持つ国はなく他に手本なしならば、独力で今後を切り開くしかない。老人医療・福祉という狭い観点からも、また国全体の問題としても。