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老人医療NEWS第69号 |
診療報酬引き下げの大合唱がはじまった。厚労省用語でいう「診療側」としての我々は、どうすることもできないので無関心というか、正直いって無視している。金の切れ目が縁の切れ目というのであろうか、金がないからダメですといわれれば、それではバイバイというしかないのか。
平成十二年の改定は、すさまじいものであった。金がないからという枕詞で、やってなければ減算、手術件数が少ないと三割引き、再診回数逓減制とか、選択療養制というおまけまでついた。厚労省の一昔前の常識は「金がないと改正はできない」というまっとうなものであったが、最近は「金がなければ悪知恵を出せ」といわんばかりだ。
それにしても、診療報酬制度から自由でないのが老人の専門医療であり、病院経営であるというのが現実である。ただ、前回の改定や、介護報酬改定によって、老人の専門医療の質は向上したかのといった議論をしてもらわないと「金がないからガマンしろ」といっているようにしか聞こえない。
企業経営の世界では、この不況に対して、企業の生き残りのためには進んでリスクを取り、日々変革を続けることが必要だといわれている。確かに、我々のような病院経営でも日々改革を進めないと、組織がダメになってしまう。そのための努力は続けているものの、はたして変革さえすればよいのかというと、変革によって成功しなければならないという前提というか、目的があることがわかる。
何をいいたいのかといえば、どう考えても、二年に一度必ず診療報酬を改定しなければならないのかということが、正確に理解されていないといいたい。診療報酬を引き下げるのであれば、一律一%引き下げというのもあるだろうし、前年対比で一律減額というのもあろう。
改定をするとなると、どこかの部分を大幅に変更しようとするのが常であり、その改定自体が失敗であったとしても、責任を取るわけでもない。マイナス改定という業務をやってもおもしろくもないだろう。何も悪知恵ばかりではないにしても、マイナス改定で、医療の質は向上するなどということは、およそ経済学のABCに反するであろうと思う。
そこで、どのようなことが可能であり、不可能なのかを明らかにしておきたい。
第一に、低所得者の入院医療については、国として最低限保障することが、絶対必要である。入院医療が必要であるにもかかわらず、金がないので入院できないということになってはならない。
第二に、老人医療についての当会の基本方針は、診療報酬の包括化に賛成、ただし看護・介護職員については、最低二対一以上必要というものである。
第三に、老人の専門医療の質が向上するためにも、なんらかの方法で診療側が価格決定できる範囲を拡大して欲しい。方法としては、特定療養費や選択療養を拡大するとか、介護報酬上の上乗せ、横だしの部分を入院医療に限って拡大することが望ましい。一般に高齢者の経済状況は豊かではないが、他方で現在の入院サービスの質に満足せず、多少の負担であれば、質の高い方を望むという人々もいる。
第四に、引き下げるという議論であれば、制度を急激に変更しないで欲しい。なぜならば、改定に対応するたびに、我々は多大なエネルギーを消耗するからである。少なくとも前向きに老人医療の質の向上を願っている我々にとって、このような消耗は、職員の士気を害する。
以上のようなことは、診療報酬改定における、基本中の基本だと思う。関係者の一層の努力に期待したい。