こぼれ話
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老人医療NEWS第65号 |
当院が掲げるテーマ「豊かな最晩年の創造」の一環として「食生活の抜本的な見直し」に取り組んでいる。
食事には二つの側面がある。その一つは、生命や活動を維持するための栄養分や水分の補給手段としてである。ここでは、専ら量的な問題や、その構成内容が重要であり、体内に送り込む手段も多様である。
二つ目の側面は、食べることの楽しみ、あるいはそれを通しての生きる意欲の高揚や、味覚、咀嚼、嚥下等を通しての大脳への刺激等であろう。
さて、高齢者に限らず病院での食事がまずい、貧しいといわれて久しく、当院でもさまざまな工夫や努力を重ねてはいるものの、今以って豊かとはいい難い。
◆なぜ病院食はうまくない?
私達が対象とする高齢者には、豊かな食生活への阻害要因をもった人が多い。植物状態に代表されるような食べること自体が不可能であったり、意欲や反応がまったく欠ける人もいるし、歯の問題でうまく噛めない、うまく飲み込めない、あるいは、他人の手を借りないと食事が摂れない人も少なくない。
加えて、行政の指導や提供する側の都合や予算の制約もあって、食事時間が一定の範囲に集中するため、一時期に大量に調理、多人数に介助といったこともある。しかし、改善の余地は十分にあるように思えてならない。
◆発想の順序が逆?
その第一は、献立作成時の発想の順序である。
私の知るところ、管理栄養士が献立の作成をはじめ、全体の管理を行っているように思われるが、そこでは治療食に代表されるように、前段のカロリー計算、栄養バランス等は極めて熱心に検討されるが、後段の本当においしい食事の追求となると、関心は今ひとつといった感がある。
高齢の入院患者の場合には、この順番を逆にすべきではなかろうか。人生に残された数少ない食事を作るにあたっては、「まずどうしたら一番喜んで食べてもらえるのか」から入るべきであり、カロリー、栄養はその後の調整でも遅くなかろう。
◆評価法に問題あり
第二は、出される食事の評価の方法である。
現在の検食や嗜好調査、残量の調査はほとんど役に立たない。もし食べる身に立って本当に豊かな食事を提供しようとするならば、評価者が一日三食、献立のサイクルの全期間を食べ続けてみることから始めるべきである。入院患者の大部分は、長期にわたり病院の食事だけを食べることが余儀なくされているからである。一回食べてうまいものでも、すぐ飽きるメニュー、味もあれば、繰り返し食べてもうまいものもある。
◆いつでも好きなものを
第三は、対応の柔軟性である。
自分の嫌いなものがあったらどんなことがおきるのだろう。自分がもっと食べたいものがある時はどうしてもらえるのだろう。家では嫌いなものは残し、好きなものを沢山食べることでバランスが取れているという話しもきく。また、今は食べたくなくても、あとでおなかが空いたらどうしよう。すぐ対応できるように、果物の買いおきやレトルト食品の上等なものを現場に用意するのは不可能であろうか。
◆好きなものだけを口から
第四は、食事の経口摂取に多大な苦痛や負担を伴う患者では、生命維持のためのカロリー、水分は、胃瘻等により投与し、口からは本当に好まれるものを少量楽しんでもらうようにしてはどうか。おいしいもの、好きなものならムセることもなくスルリと入るという話もよく聞くところである。