こぼれ話
老人医療NEWS第61号
「老い」の自覚
老人の専門医療を考える会事務局長/秋津鴻池病院理事長平井基陽

 東京出張中に右大腿骨の骨幹部を骨折して約一年が経つ。倒れた瞬間に骨が折れたと分かったが、夜中のことでもあり馴れない東京ということもあって、取り敢えず家内に連絡をし、夜が明けるのを待つことにした。

 翌朝、事務局の安芸さんに電話を入れ、手術する病院を探してほしいと頼んだ。三十分もしないうちに、天本先生の紹介で慈恵医大に受け入れて貰えるとの知らせがあった。ほどなく家内と安芸さんがほぼ同時に現場に駆けつけてくれた。やがて救急隊員三人が来てくれ、親切かつ丁寧に患部を固定しながら搬送してくれた。しかし、救急車はサイレンを鳴らして走っている割りには非常に遅く、車が揺れる度に骨折部位の骨がコリコリと音をたて、新たな骨片が出来ているに違いないと思った。

 慈恵医大の救急室で担架からベッドに移るときに強烈な痛みを感じ、これから何度か体験するであろう移動時の痛みに対する恐怖感と憂鬱感、そして骨折したとの実感が涌いてきた。
何しろ骨片が五〜六個に分かれた粉砕骨折である。医師によるとこういった折れ方は交通事故以外に考えられないと言う。理由を尋ねられて「転倒しました」と何人かの医師に答えたが、そのうち骨折理由については誰も聞かなくなった。手術は浮腫と炎症が強く、すぐには出来ない。相当量の出血のため貧血もあるので、実際にはしなくて済んだのだが輸血に対する同意のサインもさせられた。

 治療に関して私は三つの希望を出した。(1)膝関節を曲がるようにして欲しい、(2)十一月に当会主催の海外研修旅行に行きたい、(3)自分の病院で回復期リハ病棟を始めたので、リハビリはそちらでしたい。担当の教授にはすべての条件にOKをだしていただいた。

 八月初旬に手術は予定の時間より長くかかったが無事終了した。手術室で術後のレントゲン写真を見せられて「うまく行きましたよ」との説明を受けた。さらに教授より奈良医大には一週間経てば転院しても良いとの気の早い話も出たが「いくらなんでもそれはないやろ」と思った。
そのうちに、受け入れ先の奈良医大と連絡をとりながら転院の話が進んだようで、搬送手段も色々と考えてくれてパンフレットも用意していただいた。民間の搬送業者がいくつかあり、新幹線の列車に障害者用の個室があることも、そのとき初めて知った。さらに希望すれば医師の方で手配するとも言ってくれたが、お勧めの業者を尋ねて、手配は家内にさせた。結局、術後三週間で奈良医大に無事転院することが出来た。

 私の出した希望のうち、旅行の時期までには回復しなかったが二つはかなえられた。

 三つの病院を渡り歩き、最後は私の病院で老人と共にリハビリ治療を受け、術後六ヶ月でめでたく社会復帰することができた。車イス、歩行器、松葉杖それに一本杖と各種の用具も体験できた。この五月には捻転防止用の装具をつけてゴルフも出来た。今は感謝感謝の気持ちである。当会の役員の先生、安芸さんはじめ多くの皆さんに大きな迷惑を掛けたことを心からお詫びしたい。そして多くの皆さんの善意に包まれる環境にあったことに私を生んでくれた両親に感謝したいと思う。

 私の療養中に、例のアメリカでの同時多発テロが起こった。さまざまなメディアで報道されたときの「もはや、昨日までのアメリカではない」とのことばが私の脳裏から離れない。今回の体験により、いろんな意味で私の人生に断絶が生じたことは事実である。これは「老い」の自覚の最初の一歩かもしれない。

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老人の専門医療を考える会 JAPAN ASSOCIATION FOR IMPROVING GERIATRIC MEDICINE