こぼれ話

老人医療NEWS第56号

どうする医療界
青梅慶友病院 理事長 大塚宣夫

医療事故に関する報道が、あちこちで目につき、医療訴訟も増加している。そして、その都度医療機関は、悪者としてヤリ玉にあげられる。現時点ではどちらかといえばまだ、表面化していない高齢者施設での事故にも、順番がまわってくるであろう。従って、今のうちに自分なりの考えを整理しておきたいものである。

<時代は変わった>

今さら云うまでもないことだが、最近、医療事故が急増しているわけではない。医療技術が進歩し、複雑になるにつれて、新しいタイプの事故が発生するようになったとはいえ、同じ状況で見れば、これまた技術や、システムの進歩により、事故発生の確率はむしろ低下しているからである。

ではなぜ、医療事故のニュースや、訴訟が増えているのか。

最大の要因は医療界への根深い不信感である。十分な説明もなく、何でも「まかせておけ」という態度ややり方で事をすすめながら、思いがけない展開になると、突然、患者自身の特異性や不運として片づけようとする風潮が延々と続いてきた。結果に大いに不満を持ちながらも、多くの人は言い出せないできた。しかし、誰かが口火を切った流れは一気に変わる。これに呼応する形で、内部から思っても見ない事実が洩れ始める。大部分は、自分達の働いている環境への不満が根底にある。

かくして、医療界は血祭りにあげられ、医療人はあわてふためく。

ここでの対応方法は、ただ一つ、ともかく何事によらず事前にあらゆる可能性をきちんと説明すること、そのあと経過についてもその都度、事実をありのまま伝えることである。

最近はやりのインフォームドコンセントなるものは、アメリカでは医療訴訟を避けるための手法の一つとして発展してきたと理解すべきである。

どんなにベストを尽くしたといっても結果が悪ければ訴えられることを前提に事をすすめるべきではないか。時代は変わったのである。

<質の向上には費用がかかる>

もう一つ、日本では患者の取り違えのような初歩的ミスが多い、あるいは、米国に比べて事故の発生率が高い、と報道される。これまた、医療界に身を置くものとしては、当然のこととして受けとめている。

手術患者の取り違えや、手術部位の間違いなど患者の側からすれば想像を絶することであるが、内側からすれば発生の可能性は十分ある。まず、患者の側にとってはまさに人生の一大事であるが、手術する側にとっては、日常茶飯事であり、受け止め方が180度ちがう。

このギャップを埋めるには、事故のおきる可能性を丹念に潰していく仕組みを作るしかない。しかし、システムを作るために、あるいはそれを運用するためには、時間、専門的知識、そして何より膨大な人手がかかる。

日米の医療の最大の違いは、システム化の程度の差であり、これは医療事故の発生率の差になってあらわれる。しかし、これは同時に医療費の差として反映される。今の3倍の医師、看護婦を配置し、3倍のサポートスタッフを揃えれば、医療事故は半減するであろう。

質とはそこに投入されるコストとの見合いといった面が少なくない。つまり、個人の優秀さとがんばりだけでは、限界があるということだ。高齢者施設で話題となっている身体拘束ゼロの推進にしても、今の人員のままでゴリ押しすれば他の介護の手を抜く結果を招くことになろう。

こんな状況にもかかわらず、医療費を抑制せよとの大合唱である医療界はこのような当たり前のことをきちんと世間に知らしめてこなかった点では、重大な責任があるとしても、このままでは事態はますます悪くなる。まさにどうする医療界である。
(13/9)

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老人の専門医療を考える会 JAPAN ASSOCIATION FOR IMPROVING GERIATRIC MEDICINE