こぼれ話

老人医療NEWS第55号

これは年寄りのわがままか?
三条東病院 理事長 林光輝

久しぶりに兄弟8人の家族が実家に集まった。数年前に盂蘭盆初日の出来事だった。

法事を元気に仕切っていた82歳の母が、突然、「フラフラして右足に力が入らない」と訴えた。日頃から「死ぬ時は穏やかに、辛い治療や無意味な延命は受けない」と自分の死生観を語っていたが、ひとまず救急車で主治医の勤める某総合病院の救急外来を受診することになった。脳内に出血は確認されず、一旦帰宅したが、翌朝になると右半身の麻痺が顕著になったので慌てて再受診し、そのまま内科病棟(4人部屋)へ緊急入院となった。突然の右半身麻痺の恐怖感に加えて、慣れない病院のベッドや療養環境など高齢の母には精神的な負担がとても大きいように感じられた。視覚的にはカーテンで遮られているが、手を伸ばせば隣のベッドに手が届き、隣の患者さんの寝息が聞こえる距離である。これが急性疾患で苦しむ患者さんが入院する一般病床の療養環境基準である。入院直後から個室への転床を自ら強く希望したのも、決してわがままとはいえないだろう。

次は持続点滴となり、膀胱内にカテーテルを留置された時のことである。「自分の意思で排尿できないならば死んだ方がよい」と留置カテーテルを拒否した。直ちに留置カテーテルは抜去され、本人も安心したというが、今度は「オムツをあてがわれた」と憤慨する。自力歩行は困難であるが、痴呆はなく、意識清明で尿意もある。ベッド上で寝たままオムツの中に排尿することは、我々が想像するよりも抵抗があるようだ。「オムツの中には排尿できないし、便器をあてがわれても嫌だ」と訴える。呆れ顔のスタッフとの妥協案がベッドサイドのポータブルトイレであった。しかし、日勤帯はコールすれば、数分以内に看護婦がトイレ介助に訪室してくれるが、夜勤帯では訪室がとても遅くなるという。病院側に状況を説明し、付き添いを婦長に申し出たがあっさり却下されてしまった。婦長は「ご不自由ならばいつでも看護婦を呼んで下さいね」と笑顔で説明するが、母親はしかめ面で、二人の夜勤看護婦で十分な対応ができるはずがない、と言わんばかりである。基準看護が理由では患者を説得できるはずもなく、付添いの許可が下りたのは入院3日後のことであった。

ようやく2週間が経過し、いよいよリハビリが始まった。しかし、1日に1回30分程度のリハビリで土、日はお休み。検査と重なってもお休みである。高齢の母にも充分なリハビリ効果が期待できるかどうかの判断を下すことは容易であった。4週間を経過した頃、生命に関する危険な状態を脱したことを理由に担当医から退院許可が下りたというところでついに母はぶち切れた。

「まだ1人では歩けないですよ。これでどこが治ったのですか?やぶ医者ね」

多くの不満を抱いての退院であったが、家族として病院側に母の無礼をお詫びしたところ、次のようなご返事を頂戴した。

「お年寄りは誰でもわがままになります。どうぞお気になさらないで下さい」

臓器医学の延長線上だけの視点で高齢者を診察することは人生最期の不幸を招き、一般病院のスタッフには到底高齢者の特性を理解していただけないということである。去る6月14・15日に沖縄で第9回介護療養型医療施設全国研究会が2000名近い規模で盛大に開催されたが、どの発表も高齢者の特性を最優先に考えた研究発表であり、多いに見習って欲しいところである。

ちなみに母は杖歩行が可能になり、実家で一人暮らしを元気に続けているが、どうやら神奈川県の某病院を死に場所として心に決めている模様である。(13/7)

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