老人医療NEWS第44号 |
日本人の老後を考える時、どういう老後が日本人の望みなのか、コンセンサスがないように思う。誰だって手厚い医療や福祉が欲しいに決まっている。しかし、手厚いということはお金はどういう形にしろ、国民が払わなくてはならないし、払わなければ不可能なのである。お金は降って来ない。
一部の文化人(?)が、北欧は福祉が行き届いて、いたれりつくせりと賞賛するが、その代償が75%にもなる租税負担率のことはあまり口にしない。つまり、スウェーデンやデンマークの国民は、全収入の4分の3を支払ってでも老後の安心を得たいと考えた時期があり、国民のコンセンサスの上に現在の国策があると思う。一方日本人の租税負担率は40%位である。この程度の負担で北欧並みの老後を得ようとすることに基本的に無理がある。なのに一部の政党はあたかもそれが可能のように言っている。
現在の日本人は消費税5%でも嫌なのに、高い税金を支払ってでも、老後の安心が欲しい人は一体どの位いるのか。こういう大切な問題は国民投票でもして決めればいいのではないかと常々思う。しかし、国民投票までしなくても、もっと税金を払ってでも、よりよい老後を国が保証してくれることを望んでいる人は少ないだろうし、日本人は現在、国や政治家を信用していないと思う。年金も危ない。いくらお金を払っても、ちゃんとしたものが保証されない政治不信が明らかに存在する。
介護保険にもその観がうかがえる。お金はとられても、期待した介護は受けとれないという不安。そんな国に国民は税金をより多く払うはずもない、それなら自分の老後は自分で守るしか道はないと考えるのは当然である。それが日本人を貯金に走らせ、現在の不況の大きな要因と考えられる。日本人は、勤勉であり、農耕民族特有の横並びが好きなのである。みんなが自分の老後は自分で守るしかないと考えれば、一円だって余計に払わない方向に行く。
国民医療費が増大しているが、世界的にみれば、私は日本の医療費は効果的に使われている方だと思う。それでも高いというなら、医療や福祉は、どこまでやれば良いか、多くの国民の望む老後はどういうものかを国民に聞けば良いのではないか。国が国民に保証する老人医療や福祉はどこまで、それ以上の費用は自己負担、私的保険等、色々な案があると思うが、紙面の都合でそれははぶく。
この国は主権在民をうたい、一応その選挙システムも確立されていて、この程度の政治が行われ、そして、そういう政治家を選んだ。一升にはいる金は決まっている。一升の金でできる医療、福祉も決まっている。どういう国にしたいか、国民投票でもした方がハッキリすると思うがいかがか。
折りたたむ...当会の発足以来、要介護老人のQOLの向上のためには、「生活・介護・医療」が一体的に、効果的かつ効率的に提供されることこそが重要であると私達は主張してきた。
その一つの成果として、平成2年4月より導入された介護力強化病院制度がある。
従来の医療中心、他人任せの介護下では、要介護高齢者のQOLは、改善されないという反省に立ち、専門職として訓練された介護者の養成、高齢者医療にふさわしい診療報酬体系の確立、そして自立を助け、生活環境を整えるための構造や設備により、老人病院における高齢者のQOLは、明らかに向上したのである。勿論、一部の心ない病院運営のもとでは、かつての過剰、濃厚診療から一転して粗診粗療になり、医療の恩恵を受けられないとの批判もあることは承知しているが、患者にとっては、過剰、濃厚診療よりは、粗診粗療の方が苦痛は少ない分だけ良いとの確信は揺るがない。
公的介護保険の導入を前に、老人病院は、療養型病床群への転換という、ハードルを越えることで、生活環境も大幅に改善されることになろう。これにより、世界に例を見ない「生活・介護・医療」が一体として提供される施設が実現され、私達の長年の夢がかなうというものである。
しかし、昨今の公的介護保険をめぐる議論をきいていると大いなる不安を覚えることも少なくない。
特に、現行の介護力強化型病院の機能については、社会の認識は極めて不十分、というより、偏見と誤解に満ちており、それが制度構築の議論の中にも色濃く反映されている。
主な点は、今後、介護保険の給付対象となる、三施設(現行の介護力強化病院、老人保健施設、特別養護老人ホーム)がいずれも同じ状態の高齢者を抱えているというものである。
介護保険の下、将来的には機能を統合一本化してはどうか、あるいは、同じ高齢者を扱うのに、特養の1.5倍もお金のかかる療養型病床は不要だといった議論を聞けば、明らかである。老人病院には社会的入院といわれる層もあることは確かであるとしても、その一方で特養や老健施設において受け入れ不能な、医療、介護を同時に必要とする高齢者が大半を占めている事実こそ直視すべきである。医師や看護婦が24時間365日常駐し、広範な医療行為、密度の濃い看護介護を行える体制の整備とそうした施設の存在は、増加する要介護高齢者を支えていく上で不可欠と断言できよう。
また一部には、介護療養型医療施設で、手のかかる病気が発生したら、他の一般病院へ移したらどうかという意見もある。要介護高齢者は、末期に近づくほど、環境の変化に弱く、他病院への移動はそれだけで大変なストレスになり、状態が悪化することは明らかである。加えて、一般病院では医療機能はあるにしても、前述した介護体制も生活機能も不十分な場合が多く、QOLの向上に寄与するとは考え難い。一体的という意味の中には、「同じ施設内」でも含むことは言うまでもない。折角、世界に誇れる機能の施設が見えてきたのに、これを暗黒の時代に逆戻りさせるような対応だけは何としても避けてもらいたい。
折りたたむ...老人の専門医療を考える会の平成11年度プレジデントワークショップが「抑制」をテーマに、国立医療・病院管理研究所の小山秀夫医療経済研究部長を講師に迎えて、去る4月25日、ホテルストラーダにて開催された。
この報告に先だって、今回のテーマが選ばれた背景・経緯について述べておきたい。当会作成の「老人病院機能評価マニュアル」の中でも「抑制」は重要視されており、評価100項目のうち3項目は抑制に関する項目である。ちなみに、同マニュアルでは「抑制とは人手以外の物理的な力で行動の自由を長時間(15分以上)にわたり制限する行為をさす。ベッド上等はもちろん、車椅子からの立ち上がりやずり落ちを防ぐための抑制もカウントする」と定義されている。平成9年3月に407病院(介護力強化病床、35,000床)が参加した第4回調査結果からは、抑制の発生率は平均で3〜4%を推定されている。
当会では昨年度、職員の質の向上をめざして全職種対象の研修会「抑制、転倒・骨折予防」および2日間の医師ワークショップ「老人性痴呆と身体合併症」を開催して抑制の問題を考えてきた。小グループで、それぞれの病院の実情を提示しグループ構成員全員で語り合い、考える作業を行ってきた。
医師ワークショップにおける全体討議では「抑制をしてまでも行う治療」の再検討を行うと同時に、抑制をしない治療の工夫をし続けることが参加者全員で確認された。また、生命に影響があり、一時的に抑制が必要になった時の家族・本人の同意をえる手続きのマニュアルが示された。さらに、痴呆を理由に治療水準を下げることがあってはならないこともプロダクトとして採用された。
今年の2月、介護保険制度における施設運営基準に身体的拘束の禁止規定を盛り込む厚生省案が医療保険福祉審議会の部会に提出されたこともあり、2月の幹事会において平成11年度の全国シンポジウム(第17回、18回)のテーマは「抑制を考える」に決定された。
シンポジウムに先だって、主催者としての当会の統一した考えを明らかにしておく目的で冒頭に述べた会員病院の開設者・管理者からなるプレジデントワークショップが持たれた。4つのサブテーマ
を設定してのグループ討議を経て全体討議でえられたプロダクトは次の通りである。
「老人のQOLを高めるため、抑制をしない対応や方法を考え続け、抑制を限りなくゼロに近づける努力をする。緊急かつ、やむをえない場合の抑制であっても同意、納得を前提とし、院内の手続きを明確にする。そして、抑制に関しては当会として、今後も引き続き調査研究を行っていく」
ところで、介護保険制度下での「身体的拘束禁止」は例外をどこまで認めるのか、精神保険福祉法の第36条との整合性をどう図るのか、急性期病院には抑制に関する問題はないのか、車椅子の「安全ベルト」の取扱はどうなのか、など今後に残された課題は多い。
折りたたむ...来年4月からの介護保険制度の本格実施に向けて準備が各方面で進められている。老人専門病院の最大の関心事は、指定介護療養型医療施設の病床数をどの程度にするのかである。それは、医療保険適用の病床数をどの程度見込むのかといったことと同じ意味がある。
しかし、ここにきて厚生省介護保険制度施行準備室の説明が歯切れが悪い。制度設計段階では、特養29万、老健施設28万、そして療養型病床群19万ということでセットされていたにもかかわらず、景気対策という理由で特養が1万床増加された。その上、本来1月現在の療養型病床数を集計してみると、すでに約158,000床も転換していた。このほかに老人病棟入院医療管理料病床が約134,000床あることから、この時点で約10万床が過剰ということになった。
当会会員病院が療養型病床群や老人性痴呆疾患療養病棟に積極的に転換してきたのは、病院をご利用いただく方々に、少しでも豊かな療養環境を提供したいと考えたからである。診療所を開設し、在宅総合診療料を採用したり、デイケアを積極的に進めるのも、それが老人の専門医療の前進のために必要だからである。なにも、介護保険に対応したいからそうしてきたのではない。
この意味では、介護保険であろうと医療保険であろうと、報酬の裏付けがなされればそれでよいという立場を堅持してきたし、今後も変更する必要もない。ただ、介護保険や医療供給体制あるいは医療保険制度の改革のゆくえについては、当然、無関心ではない。
1997年に外来薬代の一部負担が、きわめて複雑に改悪され、その後、厚生省が「参照価格」を打ち出したが、この4月13日は、日医や製薬業界、米国製薬工業会の圧力で導入を断念した。そもそも薬価差益を減少させ、医療費の延びをどうにかしたいのであれば、薬剤の包括化や調剤薬局の普及に努力すればよいのに、目的と手段がぐちゃぐちゃになったとしか考えられない。
介護保険制度において、患者負担を一割とするのであれば(これはこれで負担増になるので、にわかに賛成しがたいが)老人医療費も一割負担とすればよいのに、正面からの議論となっていないようにみえる。また、次期医療法改正で一般病棟の急性、慢性の区分をするとかいっているが、何をどうするのかさえ意見の一致がない。さらに、医療保険と医療供給体制は「両刃の剣」とかいっているものの、外部からみて厚生省の政策が一体化されているのかどうか大いに疑問である。
何をやってもうまくゆかないのは、国民経済の情勢が様変わりしたことに原因があるといっても、このままではどうにもならない。ここは、厚生省をはじめ関係者の一層の努力をお願いして、21世紀の医療のグランド・デザインを示して欲しい。
ただ、わが国の老人医療に関しては、これまでの当会の努力を少しは参考にして欲しい。苦しい経営状況の中から、スタッフを充実し、新規投資も積極的に進めてきたのは、老人の専門医療を確立するためである。一般病床から療養型病床群への転換は、利用者の方々の療養環境の改善という意味で評価したい。療養型の基準は、単なる面積の課題をクリアすればよいが、そこで行われる専門医療は、それなりの技術や知識の蓄積が必要である。
それゆえ、療養型への転換は、老人専門医療の供給体制を整備することと同義語であって欲しい。まちがっても、どうなるか先が読めない医療制度に対して「でも・しか」組ばかりの転換になれば不幸だ。
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