老人医療NEWS第40号 |
私は去る6月7日に開催された当老人の専門医療を考える会の定期総会において、かねてより勇退の意を表明されていた天本宏前会長、ならびに会員各位の御推挙により老人の専門医療を考える会会長に就任しました。微力ではありますが、当会の発展のために全力を尽くす覚悟であります。皆様がたのあたたかいご支援のほどを心よりお願い申し上げます。
さて、当会は昭和58年の結成以来、会員数の数十名と小さな所帯ながら、初代天本宏会長の強力なリーダーシップのもと多方面にわたり、目覚しい活動を展開してきたように思われます。/p>
発足当時の課題は専ら、「老人病院イコール悪徳病院」のイメージの改善でした。以来15年間、平成2年度の介護力強化病院制度の創設により老人病院のイメージは大きく変わりました。少なくとも以前の「薬漬け、点滴付け、検査漬け」はなくなりましたが、社会的役割を十分に果たし、高く評価される存在になったかといえば、必ずしもそうではありません。ひき続き老人病院の質の向上を当会の活動の1つの柱にしたいと考える所以であります。
活動のもう一方の課題は、老人医療の確立および普及、啓蒙にあります。
わが国で、老人医療に関心がもたれるようになったのはせいぜいこの20年であり、医療は高齢者にいかに関わるべきかといった本質的な問題はおろか、老人医療の基本的な知識についてすら、医療関係者間の共通の認識が得られていないのが現状です。
わが国に生を享けた人の70%以上が80歳を超えて生きる時代、人々は、今や長く生きることよりも豊かに生きることを、きれいで穏やかな人生の終幕の実現こそを望むようになっているといっても過言ではないでしょう。
ここでは、「正常」「健康」への復帰を至上命題としたり、「死を敗北」とみなす伝統的な医学の価値観の大幅な見直しが求められているのです。
医療が人々の苦痛や不安、不便さを軽減することを通じてQOLの向上に貢献する一手段にすぎないとしても、豊かな高齢社会の実現には質の高い老人医療の存在が不可欠なことも事実であります。
高齢者介護保健のスタートを控え、老人病院制度や老人医療の活動範囲も大きく変わろうとしていますが、時代を超えて「終りよければすべて良し」を可能にする老人医療の確立に向け、当会の力を集中してまいりたいと存じます。
折りたたむ...地域に根づいたやさしい病院作り
当永生病院は東京都八王子市にある一般病棟・介護力強化病棟・精神病棟を持つケアミックス型の病院で、老人保健施設を併設しています。八王子市は人口約50万人の首都圏の新興住宅地ですが、総合病院・一般病院が少なく老人・精神病院が多いという特徴があります。このような地域にあり、地域ニーズに応えた「成人から高齢者まで」「急性期から慢性期まで」の一貫した医療体制と「地域に根づいたやさしい病院作り」をミッション(理念)としたケアミックス型の病院を目指してきました。
きっかけは1990年の新館オープンであり、外来機能・リハビリテーションの開始と、HI(ホスピタル・アイデンティティー、イメージアップ戦略)の導入に始まります。HIの導入により、病院の理念やビジョンおよび地域とのコミュニケーション戦略が次第に輪郭を持ち始めました。八王子市の委託による入浴サービスを始め、訪問診療・訪問看護など在宅医療・ケアへの取り組み、医学講座や介護者講習会、eiseiフェスティバルと名付けた病院祭・ふれあいコンサートの開催、ビデオライブラリー・図書室の開放、市民福祉グループとの懇親会、ボランティアの方々の受け入れ、患者様の会など、「病院は地域よりお預かりするもの」を合言葉に、地域に開かれた病院作りを行ってきました。
情報発信として「通信eisei」という季刊誌を発行し、患者様、ご家族様、地域の方々、開業医の先生方をはじめとする医療福祉施設、八王子市など行政機関などに配付し、病院を知っていただくツールとして活用しています。
患者様から評価を受けるという意味で、患者様およびご家族様から病院の通信簿(患者様満足度アンケート調査)を付けていただき、患者様の満足度向上、医療の質の向上、職員の啓蒙・意識改革を図ってきました。アンケート以外にも「みなさまの声」という投書箱があり、患者様、ご家族様、そしてスタッフからも意見・要望を取り入れるようにしています。
ところで、当院の当面の課題は、介護保険の導入を睨みながら介護力強化病棟を療養型病床群へ移行することです。大都市部では多くの場合、ハード面の制約により病床削減は避けられず、その結果自宅へ退院し在宅サービスを利用してもらうか、もしくは転院が必要となりますが患者様およびご家族様にとって大変な負担となります。つまり病床を可能な限り削減せず療養型病床群の環境を提供することが必要と考えます。
しかし移行のための面積を確保することが大変困難な状況にあり、そのためには、病棟の立て替え、外来診療機能・事務等管理部門の切り離し、院外処方による薬局の院外化などが必要となります。これには莫大な費用が必要であり、課題も山積みです。療養型病床群への移行は、我々にとっては死活問題であり、各団体を通じ、行政に対し、制度・政策に関してどんどん具体的な提言をしております。
最後に、一言申し上げますと、今後の病院の運営管理の方法としては、
の3点が大切であると考えております。
このたびは「老人の専門医療を考える会」に入会させていただきまして誠にありがとうございます。一生懸命勉強したいと存じます。どうか皆様のご指導を賜りますよう宜しくお願い申し上げます。
折りたたむ...平成9年5月23日午後12時43分、矢内伸夫先生がご逝去されました。矢内伸夫先生は医療法人共和会南小倉病院院長・老人保健施設伸寿苑施設長(福岡県)を務められ、また、社団法人全国老人保健施設協会初代会長、全国老人デイ・ケア連絡協議会会長として、老人医療に熱意をもって取り組まれました。当会会員としても長年にわたり、多大なるご尽力を賜わり会員一同、感謝に絶えません。生前のご功績を偲び謹んでご冥福をお祈りいたします。
夕映え美しく 霞ヶ関南病院 齋藤正身
去る5月23日に矢内伸夫先生がご逝去された。ここで改めて先生のご功績をご紹介するまでもないが、ご自身の体調や私的な物事は二の次に、日本の高齢者ケアの質の向上とシステムの構築に全精力を注ぎ込まれ、我々後に続く者たちに進むべき道をお示し下さった先駆者である。もちろん、64歳という年齢を考えれば、まだまだ挑戦されたいことややり残されたこともおありであったと思うが、その代役は、南小倉病院、伸寿苑の愛弟子たち、そして志を同じにする全国の矢内イズムを理解している人々が必ず実現するであろう。
老人保健施設の創設にご尽力され、デイ・ケアの土台作りに徹せられ、特に痴呆老人とその家族の社会生活の確保に対する数々の取り組みには敬意を称する。
先月、7月中旬、南小倉病院の勉強会にお招きいただき、100名ほどの職員の前で「ケアマネジメント」の話をさせていただいた。先生がお聞きになれば、「今頃何言ってるんだ!」と顔をしかめられるような幼稚な内容だが、職員の方々は気がついて下さったと思う。私の話しは決して新しい概念ではなく、先生の著書の1つである「夕映え美しく」を原点にした、高齢者ケアに携わる者としての心構えと具体的な取り組みについての話であったことを。
我々、老人の専門医療を考える会の会員は、先生の残された有形無形の宝物を、決してしまい込まず、世界一の高齢者ケア実現の道具として使わせていただくことをお約束します。ご冥福をお祈りします。
自称先生の弟子より
折りたたむ...高齢者の終末期医療
老人の専門医療を考える会主催のシンポジウムは今回で第13回目を数える。テーマを『高齢者の終末期医療』とし、最近マスコミにも取り上げられている時宣を得た企画と評判を呼んだ。三人の講師による基調講演は、各人の人生観、死生観に直接かかわる問題に対して示唆に富んだ内容であった。その後のシンポジウムでは、満席の会場から活発に意見がだされ、関心の高さを感じさせた。
基調講演
講演は、東京都老人医療センター研究検査科部長松下哲氏による『老化・介護・終末ケアの意識』と題するテーマから始まり、スライドを活用されながら説明された。
平均寿命の延長は、環境がよいと多数の個体が生存し、限界寿命の手前で多数の個体数が生じる。これを『生存曲線の直角化』(ゴンベルツの法則)と呼んでいるが、高齢社会は生命表が直角化した国、近代文明の成熟段階に現れる。高齢で死ぬほど長期の介護を要し、『動けない・失禁・痴呆』が介護を受ける3大状態である。また、老人医療センターの例で、洗面、入浴、着換えの一部介助を必要とする状態から死亡までの期間は、80歳を超えると長くなる等の特徴を説明された。
また、ターミナルケアにおける『癌告知に関する意識』の変化についての調査結果を報告され、最後に『自宅で』『自然に』という希望を具体的に実現していくケアの研究とともに、実際のケアや治療の研究、情報開示が必要と思われる、と結ばれた。
次のテーマは、東京都老人医療センター外科部長橋本肇氏により『高齢者終末期にどこまで治療すべきか』として話された。
同センターの外科として、ターミナル患者の検討を行った結果、疾患は胃・大腸の癌が大半で死因の9割以上が癌であった。ターミナル患者の問題は、高カロリー輸液などの治療は、延命効果がなくても始めると止められないこと、また『苦痛と疼痛』が問題で、4分の3以上にモルヒネを使用しているが、『緩和療法とその障害』では、法律・知識等の不足や偏見もあり、在宅医療では技術的問題もある等の問題点を指摘された。
『経管栄養』では『クレア・コンロイ事件』を例に出され、治療かケアか、中止した場合に倫理的に問題はないか、安楽をもたらすのか、等の問題提起がなされた。ターミナル患者の治療は、成功率が高くて費用がかからないことが基本であるとし、生死に関する基本的考え方として『人間らしく生きている』ことへの発想の転換が必要だとまとめられた。
最後に、医療ソーシャルワーカーの奥川幸子氏より、『有終の美はあるか』と題する講演があった。25年間老人医療の場で老人患者と家族の姿をみてきたが、『老い』という言葉のイメージが『寝たきり』から『ボケ』に移り、『病院死』の時代の到来が『自然死』という概念を消滅させ、『親孝行』の考え方も変えた。老人文化は徹底的に破壊されてしまい、『あるべき老人像』が確たる存在ではなくなってしまった。
老人から高齢者へと呼び方が変わっても、社会の中で老人の居る場所がなく、長く生きるのは申し訳ないと老人自身が言っている状況である。
さらに、終末期には『私看る人が、私殺す人』という状況も起こり得る。生かす技術がある以上、高齢者本人が望まなくても入院させられてしまう状況にある。つまり、生死の美意識がうすれ、生命は本人のものでなく、家族(周囲)のものになってしまっている。
インフォームド・コンセントと自己決定の時代は、消費者である私たちが医療の選択をする時代である。いのちを専門家に委ねるのではなく、自らの死の重みと対峙できるために自律をキーワードにできるか、どう医療専門家を活用できるかがポイントであると結ばれた。
シンポジウム
3人の基調講演者をシンポジストに迎え、補足説明の後、秋津鴻池病院院長平井基陽氏の司会で『ターミナルケア』に的を絞ってのシンポジウムが開催された。経管栄養から点滴に変えるときに医の倫理だけで進めてよいのか、ターミナルとする場合の医師としての基準はあるか、『自然に』という概念についてどう考えるか等、会場の参加者からの熱気あふれる質問や意見と、シンポジストの意見とが交錯する場となった。
『老人の専門医療を考える会』のシンポジウムで社会が変わったか等の意見も出された。
主催者側からの閉会挨拶では、15年前の老人医療の実態への問題意識から若手の医師が集まって本会が発足した。着実に成果も上がってきているが、今後とも研鑽をつづけたい、と述べられた。
折りたたむ...「老人の専門医療を考える会」では、発足以来、一貫して老人医療の専門性を主張してきた。1995年度より、「高齢者医療のあり方」をテーマに臨床医が集まり、医師ワークショップを重ね、その中で確認されたのは「臨床老年医養成プログラムの作成が急務」ということであった。そこで、老人医療の専門性の確立に向けて老人医療を実践している自分たちの手で原稿を執筆したのがこの「老人医療実践マニュアル」である。総論、各論、老人によくみられる疾病と事例の3部構成となっており、まだまだ未完成ではあるが、今後の議論の叩き台として、各方面からのご意見、ご批正を賜れば幸甚である。
折りたたむ...6月7日、銀座ガスホール(東京)において平成8年度総会が開催され、新役員ならびに平成8年度事業・会計報告、平成9年度事業計画・予算案、規約の改正が承認されました。
役員の改選では、15年間にわたり会長を務めてこられた天本宏先生が勇退され、新会長に大塚宣夫先生が選任されました。
大塚宣夫会長は、『老人医療の確立』と『老人病院の質の画期的向上』という当会の設立趣旨である原点に立ち戻り、自ら考え、実践し、提案する存在であり続け、社会に貢献していきたい、と就任にあたっての抱負を述べられました。
また、天本宏先生は当会の監事として今後も新会長の補佐にあたるとともに、東京都医師会理事として活動していかれることとなり、大塚宣夫会長より、これまでの御功績に対し、当会を代表して感謝状と記念品が授与されることとなりました。
規約の改正では、昨年度の総会決議により年会費が36万円に改められることが承認されました。
〔老人の専門医療を考える会役員〕
会長 大塚宣夫
副会長 木下毅、平井基陽、吉岡充
幹事・事務局長 齋藤正身
幹事 石川誠、漆原彰、大野和男、加藤隆正、児玉博行、坂梨俊彦、猿原孝行、照沼秀也、戸金隆三、林光輝、日野頌三、松川フレディ、山上久
監事 天本宏、渡辺庸一
わが国に老年専門医制度が確立していないことと、老人専門病院の質の向上とは、かなり密接な関係があるように思う。
ジェリアトリシャンと呼ばれる老年科医は、老年医学を専門に学んだ専門医である。そして、老年科、老年科医、老年科専門病棟は、1本糸で結び付けられているのが欧米の現状である。わが国の医科大学でも老年科教室が開講されている場合が多いが、その老年科が老年専門医を多数養成しているという現状ではないばかりか、老人専門病院をフィールドとした研究も数少ない。つまり糸があるとしても、結び付かない。
このような現状は、ここ十年以上あまり変化がなく、病院の院長や副院長が集まり、なんとか老年科医の育成と老人専門病院というイメージの向上に努力したのは、当会だけかもしれない。
当会の第2代会長に大塚宣夫先生が就任された。初代天本宏会長は、1983年(この年に老人保健法が施行され、いわゆる老人病院制度が登場)以降、15年間リーダーシップを発揮し、会をリードしてきた。医療関係の任意団体として、これは異例のことで、快挙といってもよい。老人病院バッシングの時代から、老人保健施設、ゴールドプラン、訪問看護ステーション、療養型病床群、そして介護保険制度の創設への道のりは、あまりにも短かったが充実した日々であったように思う。
今では、老人病院が不用だという人も少数であり、当会の会員への社会的批判はない。そして、会員の仕事は、多くの医療関係者やマスコミなどからも評価されるまでになってきた。実際、会員病院のほとんどにリハビリテーション職員が配置され、なんらかの在宅ケアにも取り組み、そして大半の病院が療養型病床群へ移行中である。ひかえ目にみても、各会員の努力は、各地で評価されており、当会がリーダー的な存在として、社会的活動を行っているといってもよいと思う。
過去の評価は評価として受け入れることが大切であるが、今後どのような針路が当会に求められているのかを正確に理解することが重要だ。
まず、第一に、これまで取り組んできた老人専門病院の機能評価自主点検を継続することが大切である。
この事業自体、大塚会長がこれまでに担当してきたことでもあり、一層の充実を期待したい。われわれが行っている老人ケアを、自らの定規を作り、それで測定した結果から、新たな改善へと取り組む姿勢が大切なのである。
第二に、医師ワークショップによる相互間の学習である。この方法も当会結成以降長い歴史があるが、ワークショップを続けてきたことが、当会のパワーであったことは、明らかで、今では、老年専門医の現任教育プログラムとしての有効性や、研修教材の開発、診断、治療方法の情報交換という産物をえるまでになった。
第三に、各種の研究プログラムである。リハビリテーションやケアプランに関する研究事業は、結果としてわが国の老人ケアの質の向上に影響を与えることができた。それは、現場のデータを集め、解析し、各種のマニュアル作りへという経過であるが、少数のグループが、他からの経済的寄付を受けることなく、これほどの研究を積み重ねられたのは、当会会員のメンバーシップであったと思う。
このように、自主評価→研修→相互研鑽→研究事業→プログラム開発という各種事業は、1本に結び付けられており、ひとつのサイクルになっている。このような活動を、今後も当会の指針とするとともに、その成果を各会員施設で実践し、フィードバックすることが大切である。
そしてなによりも、これらの活動は、老年専門医制度の確立のために有効であり、活動を強化することによって老年専門医制度を確立することが、当会の指針であると思う。
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