老人医療NEWS第39号 |
今年の我が国の最大の課題は、行政改革と規制緩和であるといわれている。確かに、我が国の逼塞した状況を打破するためには、これらのことが必要であることは間違いない。
この規制緩和問題は、医療の分野にも及んでいる。もちろん、医療分野においても規制緩和は必要であり、不必要な規制はできる限り緩和すべきであると思う。この医療分野における規制緩和問題についても、総理府の行政改革委員会規制緩和小委員会で議論されてきたが、そこでは市場原理による自由競争を行うことにより、医療分野の活動を活性化させるという視点からの議論であった。従って、このことにより、企業にも病院経営に参加することを許すべきだということが大きな論点の一つとなった。
行政改革委員会は、平成8年12月16日に「規制緩和の推進に関する意見(第二次)―創意で創る新たな日本―」を公表し、そこで「幅広く関係審議会の議論も経ながら、医療提携主体や医療提供体制の在り方の中で企業による病院経営の問題も含めて検討すべきである。」と提言するに至った。
だが、我が国の医療および医業経営は、公共性、非営利性を原則とし、現行医療法にも規定されている。すなわち医療は、人の生命、健康に直接関わることであるから、営利の対象にすることは好ましくないとの考えであり、国民感情に添うものである。この根本原則を崩し、営利目的で医療経営が行われる事態となれば、地域医療は混乱し、ひいては国民の健康に重大な影響を与えることになるので、医療および医業の公共性、非営利性の原則はこれまでどおり堅持しなければならない。
規制緩和の方向は正しいが、経済原則至上主義に陥り、人権の最たる国民の生命をもその渦中に巻き込むことは、断じて許すことはできない。規制緩和を行うに適した事項と、そうではないものを峻別することが何よりも求められるのである。その峻別なしにことを運ぶことは、国民医療の頽廃を招き、国民の願いとは全く逆の方向に進むことになろう。
医療を決して営利の対象とすべきではない。これは、国民医療を担う我々の基本理念であると同時に国民の願いでもあるのである。
折りたたむ...老人の専門医療を考える会では、「高齢者医療のあり方」をテーマに、昨年度は4回の医師ワークショップを開催し、その成果は中間報告として「高齢者ケアの育成策に関する研究」(平成8年3月)としてまとめられた。各会ごとのサブテーマは、
と設定され、それぞれについて熱心に討議され、毎回いくつかのプロダクトが議決されたが、全体を通じて確認されたのは「臨床老年科医養成プログラムの作成が急務」ということである。
老人医療の専門性の確立に向けて老人医療を実践している自分達の手で、まずマニュアルの小冊子を作ってみようというのがワークショップ参加者の一致した意見であった。
そこで今年度のワークショップの目標を「老人医療マニュアル(仮題)の作成」に置いて行うこととなった。
平成8年度の第1回医師ワークショップは第4回介護力強化病院全国研究会(広島)に引き続いて、平成8年10月19・20日の2日間にわたって、約30名の医師が参加して開催された。
今回のワークショップに備えて、あらかじめ参加者に先に述べた昨年度のワークショップの中間報告書とOHP集を送付し、合わせてケースレポートが必要と考えられる疾患や病態、さらに自身で経験したアクシデント事例をアンケートにより回答してもらった。
について短期間で執筆していただき、それを資料としてワークショップ当日に配付した。
講師には国立医療・病院管理研究所の小山秀夫医療経済研究部長を迎えて、第一日目は全員で昨年度ワークショップの内容を再確認し、マニュアルの作成が必要なこと、臨床老年科医としての研修が必要なことが議決され、さらにワークショップから老人医療実践医の会へ発展させようとの提案もなされた。
2日目は、昨年度ワークショップで明らかにされた老年専門医に最低限必要な要件として挙げられたジェネラル・フィジシャン、老年精神医療、リハビリテーション医療の3本柱を念頭において、マニュアル項目建ての作業が行われた。
2グループによる項目立て作業と並行して他の3グループでは老人医療の専門性に関連して、
について検討が加えられた。そして、最後の全体討議でマニュアルの内容、作成日程、手順が決められた。
次回の医師ワークショップは今年の3月8・9日の2日間、東京において日本医科大学教授岩崎榮先生を講師として開催される予定である。先の議決に従えば、次回ワークショップにはマニュアルの原稿集が参加者の手元に配布されるはずである。
ワークショップ開催にあたって、毎度のことであるが、膨大な資料の整理・作成に尽力頂いている事務局の皆さんに感謝したい。
折りたたむ...公的介護保険の導入を間近に控え、ケアプランの取り扱い方をめぐって、関係機関や団体、そして学識経験者の間で1つの論争が起こっている。しかし、その実態は、ケアプランの定義や条件についての統一見解を示すというよりも、どの手法を使ってケアプランをたてるのかという道具の選定に終始しているのが現状である。我々高齢者医療(ケア)の現場で働く者にとっては、チームにおける共通言語であることと、取り組み自身の評価ができ、ケアの質の向上と業務の効率化につながれば、開発母体がどこであろうと、どのような手法であろうと大きな問題ではない。逆に言えば、ケアプランと呼ぶにふさわしい条件をクリアしていて、学習しやすく、自院の状況にマッチし、活用可能なものであれば、どのような手法にでも取り組んでみたいと考えているのが本音ではないだろうか。
では、「ケアプラン」の条件とは何であろうか。私見では、図1のフローチャートの各パートを実行することであると考える。もちろん、順序(流れ)に多少の違いはあると思うが、どのパートも決して省略できない事項である。アセスメントにおいては、問題点や課題を明らかにするだけでなく、残存能力や社会的環境も含めた長所・資質も同定したい。例えば、右片麻痺であれば、左手は使えるとか、家族が自宅復帰に前向きである、複数の介護者がいる、近くにデイサービスセンターがあるなどといったその人が持ち合わせているアセットが、ケアプランに反映されるべきであり、早期退院へのポイントとなるからである。また、今までに実施されていたケアの種類や内容を検討することも重要である。家族による介護もあれば、紹介先の病院や施設、そして自分たちが提供していたケアなど、果たして効果的であったのかどうかを検討することで、継続して実施すべきケア、軌道修正の必要なケア、新たに取り組むべきケアを組み合わせていく作業は、その後の効率的なケアの構築に大いに役に立つことは明白である。
評価した結果から、自院におけるケアの対応方針を検討し、チームで確認していくことも重要である。対象者のアセスメントの状況がまったく同じであっても、提供されるケアは必ずしも一致しない。これは、図2のごとく、施設種別の機能、施設個々の独自性などを踏まえ、高齢者の状態の改善・維持の予測を行い、ケアを組み立て、スタッフ間で確認しておく必要があり、納得した方針決定につながるからである。理想のケアプランはたっても、実行できなければ意味がないわけで、検討するべき事項は必要と考えるケアと実行可能なケアであり、その調整はカンファレンスの重要な討議事項となる。
その他の過程は今さら解説する必要はないと思うが、これから構築される高齢者ケアシステムの目玉でもあるケアマネジメント、そしてケアプランは、決して特別なことをするわけではなく、今まで我々が実践してきた高齢者ケアをより推し進めていくことであることを忘れてはならない。
折りたたむ...実は私は、在宅医療を初めてまだ1年もたっておりません。本当に在宅医療ってこれでいいのか、という実感がまだ涌いていないのが本音です。ただ予定訪問診療に回ると、待っていたよ、っていってくれるおじいちゃんやおばあちゃんの笑顔や、長年住み慣れた部屋で小さい子どもたちに看取られながら最期を迎えるおかあさん、いろいろな人たちの生活に根付いた命の輝きがここにあることは紛れもない事実です。在宅医療の医師の1日を紹介します。
朝、状態のよくない有症者を回り、治療方針の変更があれば受け持ち看護婦に連絡を取ります。その後、午前の定期の訪問診療に移り約10人の診察、午後は新患の診療がなければ、予定の診察を10人程度行います。
では、現場中継に移ります。
12月15日金曜日、午後5時30分、看護婦さんの馬塲さんと一緒に車で水戸へ向かう。今日から診ることになる患者さんの初回訪問です。6時10分、少し道に迷いながら患者さんのうちに到着。
TYさんは、54歳の女性です。約半年前に大腸癌と診断され、手術をしましたが肝臓に転移した癌は切除できませんでした。いろいろと手を尽くしたのですがあまりよくならず、そうこうするうちに、あと3ヶ月の命だと説明を受けたのです。患者さんと夫は、覚悟はしていたものの、かなりのショックを受けたようでした。そこで、家族と相談した結果、在宅で最後を迎えたい、と思ったらしいのです。当院に相談にこられたときも、大腸癌とはどうしておこるのかとか、治療の可能性はないのかとか、様々な質問が出ました。
そんなことを思い出しながら患者さんのうちにつきました。玄関の前でブザーを押すと、なかから男性の声がしました。「こんばんは、いばらき診療所の内科の照沼です。」
「お待ちしておりました。どうぞお上がり下さい。」馬塲さんと2人で和室に通されました。すると突然いろいろ質問が始まりました。現在行っている抗ガン剤の点滴をするとひどく疲れるのですが、身体に害はないでしょうか。あと3ヶ月といわれましたが信じられないのです、とか。
大腸癌については現在研究も進んでおり発癌のメカニズムが解明されつつあるが、まだ分かってないことも多く、現在の治療法では手術、化学療法が主で、その他の治療法は理論的に解決されていないものが多い、との説明を一通りしました。
一段落したところで、簡単に在宅医療のシステムについて説明し診察。腹部には手術創がありましたが、腹水や、肝臓の腫大の所見はなく馬塲さんとともにほっとしました。
帰り道で馬塲さんと、痛みが出たら毎日くるようになるんだね、という話をしたと思います。
1月30日午後3時、定期の訪問診療予定の患者さん宅へ向かう。
「こんにちは。」「ハーイ。」うちの人の声がする。「あ、先生ですか。」「おじいさん、どうですか。」「奥の部屋にいます。「では、診察をしてきます。」
がらがらと奥の部屋の引き戸を開ける。「こんにちは。診療所の照沼です。お変わりありませんでしたか。」「ええ。」「ご飯はおいしく食べられていますか。」といったやりとりをした後、診察をします。
「足がだいぶ動くようになりましたね。リハビリの方は毎週受けていますか。」「ええ、毎週きてくれています。」「それじゃ、またくるからね。」と、約束して部屋を出ます。
こんな毎日を過ごしております。是非遊びにきて下さい。
折りたたむ...平成8年11月29日(金)銀座ガスホールにおいて、第12回シンポジウムが開催された。全国から250名余が集い、熱心に耳を傾け議論が交わされる有意義な時間となった。 天本宏会長の開会の挨拶、宮坂雄平氏(日本医師会常任理事)のご挨拶、養老孟司氏の含蓄に富み巧みな話術で聴衆を魅了した記念講演に続いて、平井基陽氏(秋津鴻池病院院長)の司会でシンポジウムが開催された。終了後は活発な意見交換が行われた。以下に記念講演シンポジストの発表の論点を簡単にご紹介する。
記念講演 「老化とは何か」
北里大学教授 養老孟司
東京大学でずっと解剖学に携わり死体を見てきた。つまり人を死というところから逆向きに見てきたが、現代の医学の中でも老化の問題は大きな分野になろう。生老病死とあるように人の一生は生れてから死ぬまでひとつながりで、途中で切れるものではない。誕生・青年・老化・死亡というふうに区切っても、脳死の問題でも分かるように死がどこを指すのか分からない。専門化し一体としてとらえない、時代はそのように変化してきている。都市化・意識化の流れの中に現在の老化の問題もある。『生・病・死』を家庭から遠ざけることにより現代人は自然への実感を失ってしまった。
都市化というものは意識化で、現実を意識でしかとらえられないのでボケの人は受け入れられない社会になった。インターネットの普及でそのうち何がオリジナルなのか分からなくなる。オリジナルなものが身体だとすると、意識下の世界では測定された値で論理化されたものが身体というものになる。看護婦が自然体としての五感の部分を担い(ケア)、医師が意識下の人工体を治療する(キュア)ということになる。この間の押し合いへし合いが医学の世界で大きな問題となっている。
美しい田園風景を見るとその維持や管理は大変なことのように思える。だが、その昔はあるハッキリした目的があるわけではないがかなりの労力がいる『手入れ』という行動様式があり、それによって保たれていた。それが今では失われつつある。これから大切なことは『年を取って死ぬ』ことは当たり前のこととして実感を持つことだ。目的志向のみではなく、10割のうち7割か8割を本体に使い、残りの2割は別の何かに使えばよいということになる。ケアには余裕が必要だということである。つまり『手入れ』することが老人問題の第一歩であり、無意識にやることで世の中が癒される。
シンポジウム 痴呆はよくなるか
朝日新聞記者 生井久美子
記者として2年間介護の現場を取材してきた。68歳の男性は妻の病気を隠したいと思い1人でアルツハイマー病の妻を6年間介護してきた。1年前になってはじめて病院で診断を受けやむなく入院させた。ようやく安堵できると思った夫が病院で見たものは、オムツをつけ、鍵付きの抑制服を着せられて、表情も乏しくなっていく妻の様子だった。その後、夫は妻を在宅介護することにして頑張っている。病院というのはプロの集団なのにどうして抑制服が必要なのだろうか。抑制に説明をつけるのではなく、おかしいと思う気持ちを持ってもよいのではないか。ドイツでも抑制する場合には裁判官が出向き本人や家族の意思、医療側の説明を聞いた上で判定している。お年寄りだけでなく抑制する側の心まで抑制しているのではないだろうか。
光風園総婦長 中尾郁子
重度痴呆老人病棟20床を含む210床の病院に勤務している。入院してくる時にはオムツをしている場合が多いが、排尿の時間や量を観察し、本人に合ったトイレへの誘導方法を見つけていく。オムツを外すことが寝かせきりにしない、問題行動を防ぐことへとつながる。夜眠れない患者さんの場合も、手が掛かるように見えても工夫することで本人が納得して休めるようにしていく。中途半端な対応は精神的な不安定、問題行動につながることになる。痴呆性老人に接する時にも人生の先輩として尊敬する言動で関わらないと、不快な感情が残ったり、不安やストレスの原因となっていく。専門的な知識やケアで対応し、一日でも長く笑顔を見られるようにするのが看護だと思う。
近森リハビリテーション病院リハビリテーション部長 森本榮
農業に従事していた問題行動のある重度痴呆患者の奥さんが、たまたま農作業場でいつになく穏やかな夫の顔を見たことから自由に徘徊させてできるだけ見守ることにした。そうしたところ、本人が落ち着いてきた。事故の危険性から行動に制限があったが、多少の危険性はあっても柔軟な対応を心掛けたいものだ。
上川病院理事長 吉岡充
痴呆には主として脳血管障害をともなうものと、原因不明だが脳細胞が死んでいくアルツハイマー型痴呆の2種類がある。
痴呆でやっかいなことは、夜大声で騒ぐ、徘徊して迷子になる等といった周囲に迷惑をおよぼす行動で、痴呆の問題行動と呼ばれている。適切なケアや、向精神薬を上手に使用することによって、この問題行動の生ずる頻度が減り、勢いも弱くなったりすることが多い。その結果、痴呆老人の介護もしやすくなり、おつきあいしやすくなる。
痴呆がよくなるということはこういった改善をさしている。
閉会挨拶では、大塚副会長より、現場の思い込みで人を扱おうとするところがあるが、一人一人違う人であるということを認識することから新しいケアが始まる、とまとめられた。
折りたたむ...厚生省高齢者対策本部は、老人保健福祉局と共同して、平成8年度の高齢者ケアサービス体制設備支援事業を全国で進めている。この事業は、介護保険制度の準備の一環として、全国60モデル地域で、要介護認定業務の試行を行うもので、各地域ごとに在宅50人、施設50人を選定して、マークシート式のケアサービス調査票による調査とかかりつけ医意見書を実際に記入し、この両者を資料として、介護認定委員会で介護認定を試行するものである。
マークシート式調査は、28の項目のチェックと記入式の特記事項およびフェースシートからなっている。26項目は、71のチェックが必要で、視力、聴力、麻痺、拘縮などの身体機能、歩行などの基本的動作をはじめ、知的能力、社会的能力、日常生活動作、問題行動などに対する質問形式となっている。
一方、かかりつけ医の意見書は、見開き1ページの用紙で、傷病名、症状、経過、意見、医学的管理の要否、現在行っている医療内容と状況について、記述回答する形式になっている。
この2種類の調査票を比較してみると、かかりつけ医の意見書は、いかにもおそまつだ。各種の介護のサービスのみで生活を継続することができる高齢者は決して少なくないが、老人専門病院の入院患者の多くは、医学的管理と看護、リハビリテーションなどのサービスを必要としている場合がほとんどである。
にもかかわらず、要介護認定に、かかりつけ医の単純な意見しか反映されない恐れがある。要介護高齢者を医学的に診る目と、医学に基礎をおく医療サービスの担い手を無視しない要介護認定となるよう会員の一層の努力と協力を願いたい。
折りたたむ...![]() |
×閉じる | ![]() |