現場からの発言〈正論・異論〉 
老人医療NEWS第105号

「四大ゼロ」のバカ

エビハラ病院 理事長 海老原 謙

八月の「日経新聞」の有料老人ホームの全面広告。イケメン会長の写真と共に「四大ゼロへ」が新しい介護のスタンダードだと云うのである。四大とは「おむつ」「特殊浴」「経管食」「車椅子」のことで介護側の利便性や省力化のために安易に繁用しないことこそ真の介護であると云うのだが・・・。
残存能力のできるだけの温存のためリハビリ等々も含めて努力目標としていることは介護の常識であり、今更の宣伝事項でもあるまい。老人はある日突然他界するわけではなく、努力にもかかわらず「動けなくなった時」、残った人生をできる限り安楽に穏やかに過ごしてもらうのが「介護」であり、その時点からの「四大」はむしろ「四種の神器」とも云うべき貴重な道具である筈である。多少元気な老人にとっては「ゼロ」でも、老人ホームが「終の棲家」をめざすなら介護に対するこんな認識はいかがなものであろうか。
同じく九月の同紙によると「ゼロにこだわる」「ゼロの宣伝文句にひかれる」消費者は七〇%とある。送料無料とかゼロと云うと不要なものまで買いたくなるのが心理であるとのことだ。
しかし、「ゼロ」が介護の宣伝にこのような形で使われてよいものか。「四大ゼロ」よりその先をどうするかこそが介護の最重要課題であろう。
また、「老人ホームは、ご入居者様の幸せのためにだけある」ともあるが、そうであろうか。吾々介護に携わる者は次世代(介護世代)の充実した社会生活のためのお手伝いもしていると自負しており社会貢献の意義を感じている。
ともあれ、車椅子より便宜性、おむつのあり方、特殊浴と一般浴の使い分けなどなど、検討事項は限りないが、質の向上を云うならば経管食にしても半固形流動食の活用、脱水予防のための大量皮下輸液、在宅にも活用できる褥創のためのラップ療法等々、終末期介護のための技術に眼をむけるべきではないか。いずれは「医療を伴わない介護はあり得ない」のであるからキレイ言ばかり云ってないで人生の終末や緩和ケアのための現実をみつめるべきである。
余談だが、最近のメディアは大衆迎合どころか世論誘導の危惧さえ感じられる。広告、宣伝にしてもポピュリズム、多数決、付和雷同のみによって社会が動かされるのはどのようなものだろうか。
九月の週刊新潮、選挙特大号の見出しに「われら衆愚の選択」とあった。衆愚とは久しぶりに聴くコトバである。
今回の政変を腐すつもりはないし、むしろ心機一転、期待半ばするものであるが、マスコミのとりあげ方は如何であろうか。話題性ばかりを追求しているように思われ、釈然としないものがある。
われら高齢者にとっては五十年前、失脚はしたがインドネシア大統領の「指導された民主主義」というコトバが憶いだされるのである。根拠のある多数決が必要なのではないか。

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老人の専門医療を考える会 JAPAN ASSOCIATION FOR IMPROVING GERIATRIC MEDICINE