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老人医療NEWS第100号 |
いまさらながら医療資源は有限であると思う。我々は、医師をはじめ看護師あるいはリハビリテーション職員の不足に長年悩まされてきた。療養環境を改善するために積極的投資もしてきたし、何とか老人の専門医療の質を向上させるために努力してきたつもりである。
しかし、医療に支払われる費用の総額は、政府の医療費抑制政策をはじめ、安価な費用で高い質と効果を享受できるのではないかという考え方が当然視されているように思えてならない。医療資源が有限なことは、少し考えてみれば理解できるはずであるが、自らが患者や患者の家族でもないという幸福な状態では、誰も医療資源のことを真剣に考えてくれない。
ただ、自らが患者と呼ばれるようになるか、その家族の立場になると「なぜ、いつでも、どこでも、最高の医療が、安く提供されないのか」と疑問や不満を主張することが多い。医療者も正確に対応しているかどうか疑問だが、つい「政府の低医療費政策のせいで」とか「今の医療保険ではここまでが精一杯です」などと言い訳がましいことをいってしまう。
患者さん以上に、医療資源に限界があることを知っている医療者は、医療の無駄や節約可能な部分があることは率直に認めていても、無駄を排除したり、一層節約することに熱心ではないし、そのようなことに努力しても、誰からもほめられない。
医療経済の世界では、あたかも医療者が経済法則により行動しているといわんばかりの議論が展開されることがある。たとえば、薬価差益については、差益が多い薬品が処方されているなどというステレオタイプ議論である。また、出来高払いと包括支払方式では、医療者のビヘービアは、まるで反対になるといったようなこともいわれている。
しかし、いくら医療経済学で分析してもらっても、現在の医療の混乱はどうしようもないのではないかと思う。今、必要なことは、医療資源が有限であることを、改めて国民に理解してもらうことが第一歩だ。
国民の多くは医療費問題が大変なことになっていることは理解できても、何をどのように対応していいのかわからない。救急車を頼まないようにすればいいのか。軽症の受診が多いといわれても、重症かどうかがわからないのである。
したがって、有限な資源という理解とともに、どのような場合にどうすればよいのかというマニュアルと、あまり好きな言葉ではないが「患者教育」が大切であるというのが、次のステップだと思う。「自宅で療養しますか」といって「ハイ」と答えてくれる入院患者さんが多数いるわけでもない。
医療者の努力は、当然であっても、医療資源の分配ということについて、一人ひとりの医療者にはどうすることもできない。ヒト・モノ・カネ・情報のうち、努力すれば改善できる範囲はおのずと限られており、カネの問題は、どうしようもない状態になりつつある。
まず、医療資源をどのように分配するのかといったルールはあるのかないのかということや、力関係がどのように働くのかといったこともよくわからない。しかし、救急医療や産科・小児科が重視されていることは理解できる。
次に、老人医療に対して医療資源をどの程度分配しようとしているのかよくわからない。この分配のパワーバランスは、最終的に政治の判断ということになるのであろう。では、与野党は、どうのように再分配しようとしているのかわからない。
有限な医療資源を老人医療にどの程度分配するのか、各政党は、選挙前に明らかにする義務があると思う。(21/1)