現場からの発言〈正論・異論〉
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老人医療NEWS第100号 |
患者の葬式
生まれてはじめて患者の葬儀に参列しました。医者になって一番長くみてきた患者でした。
畳屋さんで、脳梗塞で左片麻痺・失語になって重度の構音障害は残りましたが達筆で診察はいつも筆談でした。朝・夕は胃瘻で昼はむせながらも何とかご飯を食べていました。いつもにこにこして明るくて、女の人が大好きで、うちの職員の殆どがラブレターをもらっていました。デイケアには電動車いすで通って「院内暴走族」とデイケアの室長に怒られてました。外来診察のたびに「嫁をもらってはやく結婚しろ」「子供をつくって早く跡継をつくれ」「こんど入ったあの看護婦さんは(嫁に)どうだ?」とからかわれてました。
肺炎になったり、尿路感染になったり、インフルエンザからの脱水や、胃瘻造設、奥さんの入院などで当院には数え切れないほど入院しましたが、その度に、元気に自宅に帰っていました。奥さんは岩手の訛りで「帰ってくると大変だけど、本人帰りたいっていうからね」と明るく笑いながらうれしそうに迎えにきていました。
腎結石・尿路結石の手術で大学病院を紹介したとき、見舞いにいったらすごく喜んでくれ、退院した後には病院に三箱の生のホタテが送られてきて職員みんなで一生分のホタテを食べました。
病院の増築や改装の度に自分のことのように喜び「どんどん大きくなるねえ」と聞き取りにくい声で言ってくれました。「他の病院に入院するといつもここに戻りたいっていうのよね」と奥さんも言ってくれました。
最期は、他の病院で、静脈瘤破裂・肝不全で亡くなりました。
それまでは、知り合い以外の患者の葬式には参列したことはありませんでした。「医者は患者の葬儀に出るものじゃない」「医師の最後の仕事は死亡診断書を悔恨の中で書くことだ」と研修医時代に教わった気もします。「出席すべきではないもの」…それが私の中での「患者の葬儀」でした。
でも、この訃報を聞いたとき参列させてもらいたいという気持ちのまま葬儀の詳細を尋ねました。お通夜の会場に向かう間、遺族から「あなたのせいだ!」とか「なにしにきた!」などと行き場のない気持ちをぶつけられたらどうしようかという想いが頭をかすめ、「やはり出ない方がいいんじゃないか?」と自問自答を繰り返しました。
葬儀会場には、多くの参列者がいました。焼香を待つ間、自分がみんなに見られている気がしていました。自分の順番で一番前にきました。遺影は私が知らない若い元気な笑顔でした。右には奥さんが子供や孫などの大勢の家族に囲まれていました。自分の知らない彼の人生を垣間見た気がしました。涙が込み上げてきました。
そんな姿を人に見られたくなくて足早に帰りました。
数日後、奥さんが病院にみえ、沢山の職員にあいさつに回ってくれました。そして最後に私と話をしました。「やっと落ち着きました。」と、いつもとは違う、見方によっては力のない笑顔でした。
ふいに「最期も先生のところにもどりたいって言ってたのよ」と言われたとき、ぼろっと涙が出てしまいまし。あとはうつむいてしゃべるしかありませんでした。
ご冥福を祈って、筆をおきます。 (21/1)