老人の専門医療を考える会 - 全国シンポジウム - 内容
第30回 ご存知ですか? 後期高齢者医療制度(PartU)  平成20年2月23日 大手町サンケイプラザ
シンポジウム冊子(PDF版:283MB)

  
13:30 開会挨拶 平井基陽 老人の専門医療を考える会会長
13:40 基調講演「後期高齢者医療制度について」
  平井基陽 日本医師会「高齢者の診療報酬体系検討委員会」委員
講演スライド(PDF)
14:30 現場からの発言T「後期高齢者医療制度で在宅医療に求められるもの」
  照沼秀也 医療法人社団いばらき会いばらき診療所理事長
講演スライド(PDF)
14:50 現場からの発言U「後期高齢者医療制度の中での老人医療」
  富家隆樹 医療法人社団富家会富家病院理事長
講演スライド(PDF)
15:10 現場からの発言V「老人医療の変遷からみた後期高齢者医療制度」
  大川博樹 南小樽病院病院長
講演スライド(PDF)
配布資料(PDF)
15:30 休憩
15:45 シンポジウム「制度改正で変わること、変わらないこと」
シンポジスト:平井基陽、照沼秀也、富家隆樹、大川博樹 
座長:齊藤正身(医療法人真正会霞ケ関南病院理事長)
17:00 終 了
 
開会挨拶 平井基陽 老人の専門医療を考える会会長
山上

本日は、お忙しいところをお集まりいただきましてありがとうございます。

これから「老人の専門医療を考える会」の第30回全国シンポジウムを開催致します。テーマは、「どうする老人医療 これからの老人病院 Part30」、サブテーマは、「ご存知ですか? 後期高齢者医療制度(PartU)」です。PartUとしておりますのは、昨年も後期高齢者医療制度についてシンポジウムを開催しましたが、いよいよ来年度から制度がスタートするため、昨年よりもいろいろなことが分り、また、それに対応していろいろなご意見等々もいただきました。そこで、今回も続けてPartUという形で開催することになりました。今日は13時30分から17時の予定でプログラムを進行させていただきます。

では、流れに沿いまして、開会のあいさつを会長から、よろしくお願いいたします。
平井

皆様、こんにちは。当会の会長をおおせつかっている平井でございます。今回は第30回全国シンポジウムで、テーマは、「ご存知ですか? 後期高齢者医療制度(PartU)」を昨年に引き続いて開催致します。「老人の専門医療を考える会」は、昭和58年に発足いたしまして、会員は53病院です。診療所の会員の方もいらっしゃいますし、施設の会員の方もいらっしゃいますが、広く老人医療の質を高めようと終始一貫言い続けて、25周年を昨年迎えました。

これまでも、いろいろな医療制度改革がございましたが、何と言っても、後期高齢者医療制度がこの4月から始まります。厚生労働省の医療課へ本日の講演をお願いしたのですが、「この時期、土曜・日曜は、わたしたちも仕事をしているので、出席は難しい」と昨日、正式に欠席のお返事がありました。そこでこのあと私から、厚生労働省に代わってというわけではないのですが、制度の概略を発表、ご報告させていただきます。

今日は、一般の利用者の方がたくさんお見えいただいているかなと思ったのですが、意外と少ないようです。さて、介護療養型医療施設の廃止が決まって、今、介護療養型医療施設の転換先として老人保健施設、通称は「介護療養型老人保健施設」と名称がつけられる方向らしいですが、いずれにしても、病床を削減する方向でございます。「老人の専門医療を考える会」といたしましては、「お年寄りに少しでもいい医療を」と終始一貫主張しております。昨年度のこのシンポジウムで、皆様方に「わたしたちの会の考え方」を、2点、挙げさせていただきました。

一つは、75歳という年齢をもとに、受けられる医療を制限してはいけない。75歳を過ぎれば、それまで受けていた医療が、75歳になった途端にそれまでとは違う医療、あるいは、それまで受けられていた医療が受けられなくなるような制度であってはいけない。それからもう1点は、在宅医療、いわゆる医療機関以外での終末期ケアが、高齢者の選択に基づくものでなくてはいけない。福祉の名のもとに、医療抜きの終末期ケアは避けなければならない。われわれはこの2点には反対する、と昨年のシンポジウムでお伝えしたと思います。

先ほど申し上げましたように、療養病床の再編、あるいは後期高齢者医療制度が始まります。いずれにしても、制度が変わることが、国民のほとんどの方がご存じないままに行われる。それをわたしどもは非常に心配いたしております。それから、今度、介護療養型医療施設がいくらかは介護保険施設に変わると思うのですが、その内容についても、国民の方がはたして、従来の老人保健施設と介護療養型老人保健施設の違いが分かるのかどうか。それにも増して、今、医療で診ている高齢者の方たちが、介護保険の施設になることによって、受けられる医療が制限されるという、制度によって制限を受けることに対しては、わたしどもの会としては、やはり療養病床は必要であると主張したい。

さらに言わせていただけるのでしたら、療養型病床群の制度化にわれわれの会も積極的に協力してきました。そして、やっと、わたしどもは、世界に誇れるナーシングホームができた。これからもっと充実させようと言っていた矢先に、介護療養型医療施設が全廃になる事が決まりました。これは日本の医療の平均在院日数を減らす目的のためにだけなされる、非常に嘆かわしい事態であるというのが、当会の見解でございます。

また今日のシンポジストは全て当会の会員でございます。会場の皆様方は積極的に参加していただき、今日一日が高齢者医療の質の向上に少しでもお役に立てたら、今日開催させていただいた意義があると思っておりますので、どうか短い時間ではありますが、おつきあいのほどよろしくお願いいたします。どうもありがとうございました。
山上

ありがとうございました。申しおくれましたが、司会の副会長の山上でございます。よろしくお願いいたします。では、これから、平井会長からの基調講演、「後期高齢者医療制度について」のお話を進めさせていただきたいと思います。では、よろしくお願いいたします。

基調講演「後期高齢者医療制度について」
平井基陽(日本医師会「高齢者の診療報酬体系検討委員会」委員)

本来でしたら、厚生労働省の担当の方がお越しになって、今度4月1日から始まる後期高齢者医療制度の中身についてプレゼンテーションをしていただくのですが、先ほど申し上げましたように、厚生労働省の都合がつかないため、私から主にその利用者の方を対象に制度のあらましを、説明させていただこうと思っております。よろしくお願いいたします。

それでは、早速、30分強ぐらいの予定で進めさせていただきます。

これは、国から出しているパンフレットをもう一度スライドに組み立てたものです。わたしどもの病院の外来にこのパンフレットが置いてあります。

平成20年4月から、75歳以上全員が新しい後期高齢者医療制度で医療を受けます。実は、年齢によって医療保険制度ができるというのは、我が国で初めてのことでございます。保険証は、新しい保険証が1人に1枚交付されます。したがって、医療保険ではありますが、先にある介護保険制度をイメージしていただければ、非常に理解しやすいと思っております。それから、保険料は75歳以上全員が納めます。特別徴収で原則、年金から天引きで、保険料を納めていただきます。病院で支払う自己負担は、これまでの老人保健と変わりません。原則1割の自己負担ですが、現役並みの所得のある方は3割負担していただきます。

財源の問題ですが、大事な点は公費で、つまり国、都道府県、市町村が、その保険料の半分を負担します。そして、若年者の保険料(後期高齢者支援金)から4割負担します。そして、75歳以上の高齢者ご自身の保険料の負担は1割です。先ほど言いましたが、介護保険と同じように、特別徴収で年金から天引きされるように、手続き上は行われるようになりました。ここで大事なことは、後期高齢者医療制度で給付される総額の1割が保険料です。逆の言い方をしますと、75歳以上の高齢者ご自身から集める保険料の10倍のサービス給付しかできないことになります。ですから、そこでもう総額が決まってしまうので、今のサービスが悪いという声が出れば、国は「では、保険料を上げますよ」と言える仕組みになっております。ここがまず、第一のポイントです。

ところが、参議院選挙の結果を踏まえて、少し負担軽減をすることになりました。例えば、ご主人が仕事をなさっていて、奥さんが家にいらっしゃる場合、被扶養者としての保険料の負担はなかったのですね。ところが、75歳からの後期高齢者医療制度になりますと、その方たちもすべて、保険料を納めていただきます。原則として年金から天引きします。ということだったのです。しかし、あまりにもその負担、あるいは地域医療格差等々の声が上がってきましたので、経過措置として、政府は、被扶養者は、2年間は半分負担だったのですが、4月から9月までは負担凍結にしました。それから、10月から翌年の3月は、支払うべき保険料の9割を軽減することが、つい先だって決まりました。

では、実際の保険料の状況を、国で試算したところ、年額一人当たり72,000円の保険料、月額にすると6,000円が標準的な保険料だと発表されました。そして、それぞれの保険者は、都道府県になります。一番安い秋田県で、一人当たり年間47,000円、平均は72,000円です。高い神奈川県では、92,750円と都道府県によって格差があります。

保険料の算定方法は、すべての人にお払いいただく応益割(頭割)と、応能割(所得比例)の保険料とを合わせたものです。先ほどの話によって、被扶養者に関しては半年は保険料がゼロです。それから、そのあとの半年は1割に軽減されております。しかし、枠組みそのものは続いておりますので、近い将来になると思いますが、全額負担という構造になることに変わりありません。

それから次は、「後期高齢者医療の在り方」です。これが一昨年から、後期高齢者医療の在り方に関する審議会の特別部会が国に設けられ、そこで後期高齢者医療の在り方、提供される医療はどうあるべきか、という議論が計10回にわたって行われました。その一つのまとめの時期が第6回でしたので、そこの資料を引用しております。

まず「後期高齢者の心身の特性」。これは法律で、後期高齢者の心身の特性にふさわしい医療制度でないといけないと法律にうたわれております。では、後期高齢者の心身の特性とは何かが、先ほどの特別部会で協議されました。その結果、ここに挙げています三つの特徴です。

1番目は治療の長期化です。高齢者はいくつもの病気を持っています。それから2番目は、症状の軽重は別にして、認知症の問題です。これは後期高齢者にとっては避けて通ることができません。あるいは、すべての方に対して認知症がある前提で対処しなければいけません。それから3番目は、75歳以上ですから、いずれ避けることができない死を迎えるます。これが後期高齢者の心身の特性として挙げられたことに意味があると思っております。

以上の特性をもとに、ではどのような視点を持つべきか。ここも三つございます。1番目は後期高齢者の生活を重視した医療。病気の治療だけではなくて、むしろその生活を重視した医療でないといけない。それから、2番目は後期高齢者の尊厳に配慮した医療でないといけない。そして3番目は後期高齢者ご本人、あるいはご家族が安心できる医療でないといけないとうたわれております。

そして、後期高齢者医療における課題が5つ掲げられました。1番目は、複数の疾患を持っておられるので、体だけではなくて心身両方のケアが必要になる。2番目は、慢性疾患ですぐには治らないため、その人の生活に合わせた療養を考える必要がある。しかしながら、3番目として現状を見てみると、複数の医療機関を、例えば診療所も一つだけではなくて、二つ三つの診療所を、それも何回も受診する傾向がある。そこで検査や投薬がたくさん行われて、重なっている場合もあるとの指摘がなされました。

4番目としては、地域における療養を行えるように、つまり、地域における介護力をサポートしていく必要がある。これは現在、約3分の1の高齢者の方が老老介護、あるいはお年寄りだけの世帯ですから、だれが介護をするのか。あるいは、だれがふだんの生活をサポートしていくのかということが現実問題としてあります。この後期高齢者医療を考える場合には、課題として家族および地域の介護力をサポートしていく必要があると挙げられています。

そして5番目です。その患者さんご自身が自分の受ける治療を理解して、選択できるようにすべきであることです。

以上のところまでで、後期高齢者医療の在り方は、非常に理念としてはすばらしい。頻回受診をなんとかしようという裏には、もっと効率化したいという目的があるのですが、それは別として、理念、考え方としては立派なことがうたわれております。

そこで、実際の医療の在り方はどうあるべきか、ここで4点ほど挙げてあります。少し専門的になっていくのですが、例えば脳卒中で倒れるとか、心筋こうそくなど急性期医療であっても、治療後の生活を見越した高齢者の総合評価とそれから病院を退院されたあと、どのような医療とどのようなケアが必要なのかが、ちゃんと評価されないといけません。

それから、在宅を重視した医療。ここで「かかりつけ医」が出てくるのですが、ここでいう在宅とは、自宅だけではなくて、居住系施設も含まれます。具体的には特別養護老人ホーム、ケアハウス、有料老人ホーム、グループホームも入ります。国は、それらも数年前から「在宅」と呼んでおります。そして在宅を重視した医療。別な言い方をしますと、入院外の医療を重視していく。

その具体的なものとして、かかりつけ医による訪問診療や訪問看護、それから、病院あるいは診療所で、それぞれが得意とするものを、お互いに助け合って連携していかないといけません。高齢者は、複数疾患を長期に抱える特徴があるのだから、一人の医者が総合的に診ないといけません、といわれたわけです。

先ほどの続きですけれども、安らかな終末期を迎えるためには、患者さんが受ける医療、ケアを十分理解した上で、ご自分で決定することが大事なのです。それから、治療も必要ですが、むしろ、その痛みとか苦痛を和らげるような体制が必要です。それから、この後期高齢者医療制度は医療保険ですので、今ある介護保険のサービスと連携が取れた一体的ないわゆる切れ目のないシームレスなサービスが提供されないといけません。

今まで述べてきたような考えと、それから、医療の提供体制の在り方そのものは、非常にいい方向性が出されています。私も日本医師会の、「高齢者の診療報酬の体系に関する検討委員会」に所属しておりまして、先ほどの理念が、どのように具体化されるのかなと、半分は楽しみに、それから半分は、国のお役人はどのように実現するような方策を作るのかなと見ていたわけです。

そこで今度は診療報酬の話に入ります。まず、外来医療では、後期高齢者を総合的に診る。それから、薬歴管理です。患者さんが他の医療機関でどのような薬をどのように飲んでいるかを、きっちりすべてを管理しないといけない。それから、介護保険なども含めて、関係者、患者・家族と、情報共有と連携をしないといけません。入院医療に関しては、退院後の生活を見越した計画的な入院医療。それから、総合的な入院中の評価。それから、退院後をどのように支援していくかが、もう一度整理し直されたわけです。

ここでいくつか共通項があります。外来医療の「情報共有と連携」。それから、在宅医療でも「情報共有と連携」。この「情報共有と連携」が一つのキーワードになっていますし、居住系施設等、つまり「在宅」も一つのキーワードになっています。

これは、実際、診療報酬で点数が入ったのですが、今はあえて点数は抜いております。外来診療では、後期高齢者診療料が新設されました。これは原則診療所で行われます。大切な点は、患者の主病、主な病気、複数疾患がありますが、そのうちの主な病気と認められる慢性疾患の診療を行うのは、1医療機関だけです。その主病が、どのようなものが対象なのかは、まだ細かくは決まっていないのですが、ここで挙げられておりますのは、糖尿病、高脂血症、高血圧、認知症などが主な病気である場合に、一つの医療機関で総合的に診ていきます。

その診療計画の中身は、必要な指導、その日に行った診療の内容、栄養、運動、あるいは日常生活に関することなどがありますが、他の保健・医療・福祉サービスとの連携が重要です。つまり、患者さんと相談して、あらかじめ緊急時の入院先を決めておく、あるいは書き込んでおくことが挙げられています。これが一つ。総合的に診るというのは、その人の緊急時にはどうするか。具体的にどの病院に行くのか、というようなことまで含まれています。

この後期高齢者診療料で診療報酬をもらえるのは、研修を受けた医師です。ということは、外来医療で後期高齢者診療料の診療報酬を得ようとする場合には、この研修をすべての医師が受けないといけないと、今いわれております。研修テーマとしては二つありまして、一つは、高齢者の心身の特性に関する講義。もう一つは、診療計画の策定や高齢者の機能評価、総合評価をどのように評価するかという練習、演習。日にちは違ってもいいのですが、この二つのテーマに関しては必ず受けるように、今いわれております。

具体的には、緊急時の入院先をあらかじめ書くことです。緊急時に入院されて、退院後に、送り先の診療所に患者さんが帰ってこられた最初の診療日には、後期高齢者外来継続指導料がつきます。制度上、組み込まれてしまう危険性をわたしはお話ししていますので、その辺はどうぞご理解をお願いいたします。

それから、後期高齢者終末期相談支援料もあります。これは、症状急変時の延命治療、終末期医療の在り方に関して、何かあったときには、「延命治療をわたしはどの程度まで希望します」とか、もっと具体的に、例えば「人工呼吸器は要らないけれども、点滴はしてください」、あるいは「中心静脈栄養はしてください」とか、そのような延命治療などの希望や搬送先の医療機関との連絡先等を文章にて提供します。これを、終末期ですので、ある程度死が予測される場合、あるいはいずれ死を迎えるのですから、元気なときに相談しておくということですね。

退院の時について、診療所の先生が、患者が病院から退院するときに、その病院に出向いていって、みんなで相談することですね。すでに行っているところもあるのですが、実際に行われているのは非常に少ない。先ほど、日本医師会の委員会の話をしましたが、非常に考えとしては分かるけれども、いちいちカンファレンスには行けないという声が現場の先生方にはありました。そのために、医師だけではなくて看護師さんが入院先に赴いた時、退院時共同指導料も加算されるよう設定されました。

それから、通院できない方、在宅での医療を受けていらっしゃる方に、何か急変があったとき、あるいは急変が予測されるような事態になったときには、患者さんの家、あるいは患者さんが住んでいらっしゃるところに、医師又は看護師が出向いていって、そこの場所で一堂に会して、いろいろな相談をしましょうというような制度ですね。

一方、入院された場合、病院では、急性期医療であっても、慢性期医療であってもすべて入るのですが、後期高齢者総合評価加算がつきます。それは日常生活能力に対してで、今盛んにいわれている看護必要度、認知機能、意欲などが、この評価の対象になっています。この評価を算定するところは、職員がその評価のための勉強をしないといけません。おそらく、医師が研修を済ませて、その医師が今度は職員に対して研修を行う構図になるのだろうと思います。今回の診療報酬、後期高齢者医療制度に関しましては、この研修も一つのキーワードになっています。これは介護保険などで盛んに取り入れられてきたのですね。

今度は退院に向けての調整です。これは退院が一見難しそうな、問題がありそうな方に関しては、専従の看護師あるいは社会福祉士が病棟に配置されていないといけません。それから、退院時共同指導料は、退院後の医師も駆けつけるのですけれども、そこでは入院中の患者さんについて、医師または看護師が入院中の情報、あるいは、今後のありようを伝えないといけません。

医師とか看護師だけではなくて、歯科医師、保険薬剤師、訪問看護ステーションの看護師、あるいはケアマネジャーなど、このうちの3種類の職種が入った場合は、さらにこの指導料に加算されます。だから、このようなことをやってくださいということですね。

その入院の続きですけれども、後期高齢者外来患者緊急入院、先ほど言いました、外来で総合的に診てくれる、いわゆる主治医の先生が、「あなたに何かあったときは、この病院に行きましょうね」というように、病院とちゃんと連絡を取って決めていた場合には、その入院先の病院が、その方を入院させた場合には、入院加算がつきます。定められていなければ、この加算はつきませんとか、あるいは半額になりますとか、いろいろなやり方があります。それから、病院であっても、後期高齢者終末期に関して連続して1時間以上相談支援が行われた場合に、それを文書にまとめて提供すると後期高齢者終末期相談支援料が加算されます。

それから、退院指導は、薬剤師の薬に関する情報、それから栄養とか食事に関しては、栄養士が行った場合。それぞれに報酬がつきます。文章で非常に分かりにくかったと思いますので、これを図で示しました。

今、有料老人ホーム、高齢者専用賃貸住宅も、最近少しずつ増えています。グループホーム、介護保険の特定施設、このようなすべてが在宅というひとくくりになっています。ですから在宅診療は、これらの場所における診療と受け取ってもらったらいいと思います。

後期高齢者診療料を算定している、主な病気(糖尿病など)を算定しているところが掛かりつけ主治医になります。何か突発的なことが起こった時、主治医があらかじめ緊急入院先を、患者さんと同意して決めていた病院に入院した場合は、救急入院加算がつきます。今度退院されるときは、診療所の先生が病院に出向いていく。今度は在宅に帰られてから、訪問看護やほかの職種の方と一緒になって診療計画、医療計画、ケア計画を行った場合、退院時共同指導料が算定できます。次は、亡くなる場合の想定ですが、在宅での終末期相談支援料が、この診療所の場合につきます。それから、同じように、病院でも連続して1時間以上にわたって説明すると終末期相談支援料が加算できます。

非常によくできた制度と言っていいのか、あるいはがんじがらめになった制度と言っていいのか、これで本当にその利用者の方が、患者さん方が分かるのかどうかですね。例えばここでB診療が、この後期高齢者診療料を算定しているとすれば、同じ病気ではA診療所では算定できません。ですから認知症の人の場合に、診療所で本当にその患者の掛かりつけ医、主治医になってくれるのかどうかですね。「それなら、病院だったらいいんじゃないの」と思いますが、今のところは、病院ではこの主治医にはなれません。例外的に、4キロ以内に診療所がない場合に限って、病院の医者が主治医になってもいいのです。一時的には開業医の先生に主治医になってもらいなさいという制度です。

このように非常にち密にといいますか、がんじがらめにというようなことで、今、4月を迎えようとしています。はたしてどこまで、肝心の患者さんなり、ご家族が後期高齢者医療制度について分かるのかということですね。ただ、先ほど言いましたように、一応、後期高齢者医療のあるべき姿に沿って、具体的な方法が考えられました。

それで、先ほど、点数は入れませんとか言いましたが、例えば後期高齢者診療料算定は、ひと月に600点ですから、診療所に入る金額はひと月に6,000円です。では、ひと月6,000円とはどのような額か。わたしどもの病院のこの1月分の実績を出してきました。わたしどもの病院は、75歳未満と75歳以上の入院件数でいうと、精神科の病床もありますので、75歳以上の方は4割ほどです。それから、外来は、大体4割ぐらいが75歳以上の方に該当します。外来だけに限って、レセプトの診療報酬請求書の点数を見てみますと、内科ではひと月当たり1,331点。おそらく月2回ぐらい外来に見えていることから1日当たり615点です。精神科は、ひと月が1,580点で、1日当たりにしても1,137点です。おおむねひと月に1回の通院の方が多いか、1回目と2回目は、その1回目にたくさん点数があれば、2回目はお薬だけかもしれません。

いずれにしても、その600点は、わたしどもの内科で、今それほどに制限しているとも制限を受けているとも患者さんも感じていないし、医者も普通の感覚で診療していて、1日に615点ですね。これがまさに、ひと月で600点ということになると、先ほどの600点には薬剤も治療費もすべて含まれておりますので、単純に言えば今のわたしどもの病院では半分相当の治療内容しか受けられないということに、なってしまいます。実際に4月から動いてみないと分からないのですが、年齢によって受ける医療に制限があってはいけないとわたしどもは言っております。すべてではないのですけれども、どちらかというと制限するほうに向いている可能性があるので、その辺は今後、検証していかなければいけないと思っております。

以上が後期高齢者医療制度の概要でございます。どうもありがとうございました。

現場からの発言T「後期高齢者医療制度で在宅医療に求められるもの」 
照沼秀也 (医療法人社団いばらき会いばらき診療所理事長)

皆さん、こんにちは。いばらき診療所の照沼です。わたしどもは、在宅医療というのをこの10年来、取り組んでおりまして、その中で、どのような考えで在宅に取り組んできたのか、今後どのようになっていったらいいのか等、ここでご紹介させていただけたらと思います。

はじめに、わたしどもの診療所は、県内5か所で在宅医療を行っております。昨年、在宅でお看取りした患者様は、98名ぐらいだったと思います。在宅医療を受けている患者さんの中で大体8割強の患者様がご在宅で、お看取りしております。

在宅医療がそもそも生まれてきた理由は、日本の全体の社会保障の中で医療費だけが突出してしまうと、日本の競争力が低下して、それで日本が元気がなくなってつぶれてしまえば、社会保障もなくなってしまうのではないか。その論理の中で、病院よりも安価な在宅医療を推進していくことが、数字の上での推奨理由だったと思います。ただ、実際にわれわれが在宅医療を始めてみますと、割合お医者さんにとっておもしろい、結構「医者になってよかったな」と思えるような医療ができまして、割合おもしろく続けられた10年であります。

また最近は、老人の専門医療を考える会や日本医師会でも活躍されている天本先生が提唱されたケアレジデンスを、高齢者の集合住宅と在宅医療を併用してます。ケアレジデンスと、1件1件、訪問診療する在宅医療が同じものなのかというと、それは少し難しく、お医者さんの側からすると、ケアレジデンスのほうが少し楽なのかなと、感じております。

ただ、最終的には、患者さんから見て分かりやすい医療が一番大事になってくると思います。また、例えば、自分で動ける方は外来医療、外来診療にして、もしくは、自分で外来に行けない人は在宅医療にする。医療をきちっと説明して行えることは、医療にとってむだのない医療にできる可能性があります。もう一つのテーマとしては、自分の死ぬ時期が分かった人、例えば、がんで終末期医療になってしまった、緩和ケアを受けるような状態になり、病院に行くのもしんどいなと思っている人は、自分で病院に行けても行かない方が結構おられますので、そのような方は在宅医療でもいいのかなと考えております。

いばらき診療所の簡単な概要なのですが、日立市と水戸市は、茨城県の中で北部と中部の都市なのですが、そこの間に東海村、ひたちなか市、茨城町とあります。この数か所それぞれに診療所があり、そこで数名の医師が在宅医療に取り組んでいます。全員で常勤の医師11名と、非常勤の医師16名、看護師80名で実際の活動をしております。われわれの在宅で看ている患者様の中で、最後お亡くなりになった患者様が111名、実際は98名が在宅死ということです。

「在宅医療とは」と書きましたけれども、在宅医療もいろいろなパターンがあります。ここは、「いばらき診療所での在宅医療とは」と考えてください。われわれは、患者さんが生きるというテーマを持って生活されているのをサポートしていきたい、と考えているのです。病院で療養生活が終わって、ご自宅に帰ってくると、やはり、「療養はもうたくさんだ、自分自身の時間を大切にしたい」という方がたくさんいらっしゃいます。そのような人の中で、われわれ医療がどのようにかかわっていけるのかということを突き詰められたらと考えております。

「生きる」とはいろいろなことがあります。もちろん、ご家族がいるのも大事なのでしょう。住み慣れたうちがあるのも大事なのでしょうが、人それぞれ大切なものは、100人いれば100とおりあります。その大切なものを近くに感じて過ごせる時間を、われわれの診療所では「生きる」と考えております。そこは、病院の療養状態と比べると、在宅医療が若干いいのかなと思われる点であります。

高齢者ケアの変化も、やはり避けて通れないテーマです。今度の後期高齢者医療制度は、やはり高齢者の自己負担がかなり増えてきます。それは何を意味するかというと、療養されているご高齢の方からも、医療についての説明をわれわれが求められる機会が多くなってくる。また、医師と患者様の信頼関係をどのように構築していくか、また少し問題が複雑化していく要素があります。

日本の高齢者に合った医療形態は何かということも、やはり今後考えていかなくてはならないと思います。先ほど平井会長から、きれいなモデルが示されましたが、実際はそのモデルに合わない患者様もたくさんいらっしゃいます。どうしても在宅で療養できない患者様もいらっしゃいますし、そのような方は、やはり療養病棟、もしくは介護施設が必要なのは、厳然たる事実であります。そのような事実に即した医療形態を作っていても、最終的には、在宅でお亡くなりになる患者様と、施設でお亡くなりになる患者様が50対50ぐらいの、一人一人の選択に合った形になっていくのが理想的ではないのかなとわたしどもは思っております。

また、在宅医療を支えるいろいろなハイテクが、最近どんどん出てきています。例えば、緩和ケア。われわれは、がんの末期の患者さんもたくさん診させていただいているのですが、以前は飲み薬とかパッチ剤が主流でした。最近はくも膜下にポートを入れまして、そこから24時間持続で痛み止めのお薬を使うことができるようになっております。また、静脈注射に関しても、患者様ご自身でのコントロールがしやすいようなポンプの容量が100ccぐらいあるPCAポンプができまして、非常に患者様にとっては喜ばしい状態になってきております。

また、栄養評価ですね。在宅の栄養評価も、この10年で随分変わってきた印象があります。以前は褥瘡がありますと、褥瘡を洗ってなんとかきれいにするだけでしたが、最近は必ず栄養士さんも入りまして、アルブミンの評価とか、栄養状態の評価がそこに加わっておりますし、廃用症候群に関しても、その方のえん下機能、もしくは栄養状態の指標は、どのようにかかわっていったらいいのかという栄養士さんの評価も、高齢者ケアを変化させた一つの大きな要因だと思います。

最後になりますけれども、代表的な変化としては、やはり日本の文化風土をどう考えていくのかも、高齢者ケアの中では大切になってきている感があります。新聞の論評等を見ていましても、やはり欧米のケアを、そのまま日本に持ってきても、やはり根づかないだろうと思います。日本人の中でどういうように生き、高齢になった時期をどのように生きていって、どのような形で最後に死んでいくのかを、やはり日本人自身が感じて、一つのコンセンサスを作り上げていく時期に、今来ている感があります。

わたしどもが最初に在宅医療を始めた10年前は、何かのんびりした時代でした。患者様から夜中にお電話が来て、ダッシュで行くと、緊急時でも「こんなに早く来たの」とのお話を患者様からいただいたこともありますが、最近は、「もうちょっとスピードアップできないのか」というご意見を患者様からいただくこともあります。そのために、やはりこのような在宅医療のネットワークの中に救急隊も参加したり、救急隊と一緒にカンファレンスをしたり、「この患者さんにはどう対応しようか」と相談するケースも出てきております。

次に、「個人プレーからチームプレーに」ということも少し書かせていただきました。医師独りで開業し、地域の患者さんを診ていらっしゃる先生もいらっしゃいます。お医者さんの中にはスーパーマンがおりまして、独りで何でもできてしまう先生もいらっしゃるのです。そのほうが非常にハートフルな、熱い医療が展開されている地域がたくさんあります。そのほうがいいこともありますが、例えばその先生が病気をしてしまったときに、やはり、急にお医者さんのサポートがなくなってしまうリスクやどうしても、医師も生身の人間ですから、体調が悪いとき、都合が悪いときなどを考えますと、在宅の場合24時間のサポートをするためには、チームプレーのほうがよいと思います。またチームも、医師だけではなくて、看護師、リハスタッフ、ケースワーカーさん、その他いろいろなスタッフがいるほうがよいのではないでしょうか。

また、先ほどのハイテクにもかかわりますけれども、紙に書いたものを持ち寄って以前はミーティングをしていましたが、最近はデジカメとかで写真をきちっと収集し、床ずれの状態、患者さんのADLの状態、リハビリの状態などがカンファレンスのときに画面で見れるようになったのも、在宅医療をしている中で本当に変わってきたなと思っています。

以上、簡単ではありますけれども、10年来、在宅医療を行ってきたことと、若干変わってきたことをご紹介させていただきました。

いばらき診療所の在宅医療は、いかに残された時間を生きるのかを始めた当初から今まで変わらず考えてきました。決して療養ではないのです。その患者様、ご高齢の方が生きる時間を、いかに大切にできるかを支えていきたいなと考える次第でございます。簡単ではございますが、わたしどもの紹介はこれで終わらせていただきます。

現場からの発言U「後期高齢者医療制度の中での老人医療」
富家隆樹(医療法人社団富家会富家病院理事長)

皆さん、こんにちは。僕からは、療養型病院として、特に終末期を中心に資料をいくつか提示させていただいて、どこでどのように終末期、最期を迎えていったらいいのかを一緒に考えていければと思います。そして老人医療を考えていく、老人医療に携わっていく僕たちは、医療制度がどんどん変わっていく中で、どのように進んでいったらいいのかを少し考えたいと思います。よろしくお願いします。

まず、うちの病院の紹介をさせていただきます。埼玉県のふじみ野市にありまして、東武東上線の上福岡駅から車で約20分のところです。療養型病院で標榜する科は内科、外科、泌尿器科、神経内科、腎臓内科、リハビリテーション科です。「老人の専門医療を考える会」で行っている平成18年老人病院機能評価で、全国病院中13位の結果でした。入院病棟は、医療療養型病床が156床、回復期リハビリテーション病棟が46床です。リハビリは、PT、OT、ST合わせて30名が、回復期リハや維持期リハに携わっております。療養型病院としては珍しく、透析室がありまして、入院透析が中心となって、約20台、1日2クール行っております。

うちの病院の取り組みですけれども、僕が今、この病院の院長になって約9年になりますが、そのころから、積極的に重症患者様の受け入れを行っております。そして、そのような患者様は長期の慢性期の期間が長く、経済的にも疲弊する部分が大きいですから、なるべく安価でそして快適な療養生活を送れるように、保険外負担の部分やそれ以外の部分を安価で提供できないかと考えております。また療養型病院としては、抑制撤廃、終末期ケア・緩和ケア、医療事故の低減やリハビリテーション、チーム医療やシームレスな地域ケアなどに取り組んでおります。

入院患者の内訳としては、気管切開が56名、胃ろうが82名、入院透析が55名で、神経難病の患者が32名おります。平均在院日数は476日で、退院内訳の中で、死亡が44.3%です。そういった中で、当院としても終末期ケア・緩和ケアは重要な、考えていかなければいけない、取り組んでいかなければいけないものの課題の一つになっております。

改めて、終末期医療・緩和ケアについて話をしますと、「治癒を目的とした治療に反応しなくなった疾患を持つ患者に対する積極的で全人的なケアである。痛みをはじめとする諸症状、心理的苦悩、社会的問題、スピリチャルな問題の解決を最重要課題とし、その最終目標は患者や家族にとってできる限り良好なQOLの実現である」とWHOは定義をしております。その定義に沿うと、いわゆる終末期、緩和ケアではがんを想像しがちですが、寝たきり状態や植物状態など治療ではこれ以上改善しない状態というのも、終末期として想定していいのではないかと思っております。

そのケアをしなければいけない、乗り越えなければいけない、取り去ってあげなければいけない「四つの全人的苦痛」ですけれども、一つは身体的苦痛。これはなるべく積極的に鎮痛剤を使用して、できる限り除いてあげなければいけないですし、精神的な苦痛に関しては、当院では臨床心理士を配置しておりまして、メンタルカウンセリング等を行っております。また、社会的苦痛は、存在の喪失感等はなかなか難しいですけれども、経済的な部分ではソーシャルワーカーがケアしたり、スピリチャルペインもなかなか難しい問題ですが、チーム医療で乗り越えていきたいなと考えております。

先ほど平井会長もお話しされた、後期高齢者の在り方に関する特別部会で、「後期高齢者にふさわしい医療」が、三つ示されました。その中で、「避けることのできない死を迎える」ということが、盛り込まれております。やはり、その中でふさわしい医療として、生活を重視した医療、尊厳に配慮した医療、患者や家族が安心、納得できる医療を提供していかなければいけないと特別部会でも掲げられております。

そこで、改めて日本の死亡者数、そして死亡場所について考えたいと思います。年間の死亡者数は全国で100万人いらっしゃいます。その中で約80万人、80%の方が病院で亡くなって、13.5%の方が自宅で亡くなっているのが現状です。この数字を見ると、先ほどの照沼先生の98名という数字がいかにすごいことかと改めて感じさせていただきました。

ここで、「終末期医療に関する意識調査」として、平成15年に厚生労働省が行ったものを紹介したいと思います。対象は、一般国民5,000人、医師が3,100人、看護職員が3,600人、介護職員が2,000人を対象にした意識調査で、問1として、「あなた自身が痛みを伴い、しかも治る見込みがなく死期が迫っている場合、療養生活は最期までどこで送りたいですか」、つまり、痛みのあるがんに冒された場合、どこで過ごしたいかという設問に対して、一般国民は、緩和ケア病棟や医療機関、もしくは、必要になれば入院したいが多く、最期まで自宅で過ごしたいという方は10%と、意外に少なかった結果が出ております。

問2として、「あなた自身が高齢となり、脳血管障害や痴呆等によって日常生活が困難となり、さらに、治る見込みのない疾病に冒されたと診断された場合、どこで最期まで療養したいですか」、つまり介護が必要になった場合、どこで過ごしたいかという設問に対しては、一般国民は病院、老人ホーム、自宅の順ですが、医師や看護職員は自宅がほとんど、半分が自宅で過ごしたい、それ以外は療養病床で過ごしたいという答えで、介護職員は、自宅が4割、そして介護福祉施設、いわゆる特別養護老人ホームで過ごしたいという方が26%でした。

この中で、なぜ自宅で療養したいかという理由としては、「住み慣れた場所で最期を迎えたい」、そして「最期まで好きなように過ごしたい」というのが、自宅で過ごしたい理由で、自宅以外で療養したい方の理由は、「家族の負担が大きいから」、「緊急時に家族に迷惑をかけるかもしれない」などが、自宅以外で療養したい理由として挙げられていました。

ここで、「死に至るプロセス」に少し触れてみたいと思います。大きく分けて三つあります。一つは、がんですね。一つは心臓・肺・肝臓等の臓器不全。そして三つめが、老衰・認知症等です。がんなどは、死亡の数週間前までは機能は保たれて、急速に低下をして死を迎える。心臓・肺・肝臓等の臓器不全では、時々重症化しながら機能は低下していき、最終的に死を迎える。老衰や認知症は、長い期間にわたって徐々に機能は低下していきながら、やはり最終的に死を迎えるというような、この3パターンが考えられております。

それぞれのプロセスの中で、終末期の場所を改めて考えてみると、がんは、末期を明確にできることから、緩和ケア病棟やホスピスがよいのではないか。そして、臓器不全に対しては、継続的な医療管理が必要なので、医療・リハビリテーションの態勢が整っている療養病床がいいのではないか。そして3番めの老衰・認知症等では、医療の必要性は低いために、介護が重要になってきて、「生活の場」としての配慮がされている療養病床、もしくは終末期医療が可能な介護福祉施設(特別養護老人ホーム)がよいのではないかなと考えられます。

それ以外の終末期の場所としては、在宅ですね。どのような場合でも、どのような状態でも、どのような病態でも、訪問診療や訪問看護、訪問介護などを組み合わせれば、在宅でのケアは可能です。ただ、介護するほうも費用的にもかなり負担が大きいのが今の現実です。また老人保健施設は、病院から在宅復帰に向けての中間施設を想定しており、終末期医療は想定していないのが今の状態です。今後できる転換型老健では、終末期は考えているようです。また、次の急性期病院、救急病院や大学病院は、生活の場や介護ではなくて、救命と治療が優先されております。ここで、今ほとんどの方がお亡くなりになられていますけれども、終末期医療を目的に急性期病院で治療を行うのは、QOLを考えれば、医療者や患者の双方にとって、あまり利益の高いことではないのではないかと考えられます。その他、有料老人ホーム・グループホーム・ケア付マンションは、介護は想定しているけれども、終末期医療は想定しておりません。

その終末期の場所の数について、緩和ケア病棟は全国に163施設、3,118床あります。ただ、反対にがんの死亡者数は年間30万人です。緩和ケアの数があまりにも少ない数ではないかなと考えられます。療養病床は現在38万床ありますが、2011年に15万床に減るとされております。反対に、急性期病院は現在90万床あります。特別養護老人ホームは36万床ありますが、年間死亡者数は5,000人、全死亡に対して0.53%と、特別養護老人ホームで亡くなられる方は、非常に少ないのが現実です。

ここで在宅療養と療養型病院の費用の比較をしたいと思います。細かい数字がちょっと間違っている部分があると思いますが、ここでお話しさせていただきたいのは、在宅の場合でも療養型の場合でも、国が払うお金は在宅より療養型病院のほうが大きいです。ただ、逆に主介護者の人件費、生活費、家賃等を考慮すると、患者様が払うお金は在宅のほうが大きくなってしまうのが、現在の料金体系の違いだと考えられます。

また、在宅医療の法律上の解釈と問題点について、少し触れたいと思います。「死亡する24時間以内に患者を診ていなければ、異状死とみなす」という、異状死の問題が在宅死を一層困難にしているのではないかなと思われます。もう一つが、高齢者が身体機能が低下していく中で、たんやだ液等による窒息が、避けられない死の一つのパターンではあります。それは外因死と分類され、保険会社が保険を払わなかったり、事故死ではないか、施設の過失ではないかと誤った印象を遺族に与えることが問題になります。

最後に、医療に対する代諾権が現在規定されていません。成年後見人制度はありますけれども、それは資産管理や身上監護に限定されていまして、医療に関する代諾権が認められていないのが現実です。その異状死の問題のモデルの例ですけれども、94歳の女性で、脳こうそくで全介助状態で、家族や本人はもう在宅で看取られたい、看取りたい意識があって、主治医から年齢と状態から終末期の説明が十分されていたにもかかわらず、訪問診療の2日後に亡くなった場合に、最後の診療より24時間以上経過しており厳密に言えば「異状死」として判断されて、検死が行われたことが一例あります。年齢的にも、状態的にも、そして家族・本人的にも、だれもが死亡診断書に「老衰」と書いてほしかったのではないかなという例であります。

最後から2枚めのスライドは、去年の2007年の6月7日に、終末期の決定プロセスに関するガイドラインが、厚生労働省から発表されました。この中に、「患者が医療従事者と話し合いを行い」とか、「医療・ケアチームによって、医学的妥当性と適切性を判断するべきだ」とか、「医療・ケアチームにより、可能な限り疼痛や治療を行われるべきではないか」と書いてありますが、なかなか、診療所レベルでケアチームを作っているところが少ないのが現実です。療養型病床や高齢者医療に携わっている施設、病院では、このようなチームが作られています。しかし、今度の制度では主治医にはなれないという懸念されるべき話が出ています。

最後のスライドです。「どうする? 後期高齢者医療制度の中での老人医療」ということで、今までも、介護保険が始まったり、医療制度がころころ変わったりする中でも、同じことを行ってきたように思います。そして、これからも医療制度は変わっていきますが、安全・安心で良質な慢性期医療を、そして終末期医療を、リハビリテーションを、在宅医療を、レスパイトケアを、僕らは考えながら、みんなで相談しながら行っていかなければいけないし、行っていこうかなと考えて、わたしの発表を終わらせていただきたいと思います。ご清聴ありがとうございました。
現場からの発言V「老人医療の変遷からみた後期高齢者医療制度〜病院の今後の役割〜」
大川博樹(南小樽病院病院長)

ご紹介に預かりました、南小樽病院の大川と申します。何から話せばよいかわからないのですが、後期高齢者医療制度の主治医には、病院は該当しません。当院は病院でありますから、いくつかの加算を取れるだけでして、何をどう話していいか、どこの視点から始めたらいいかよく分からなくて、3か月間、インターネットを含めていろいろなものを探した挙句に、自分としてはずっと外来を行っているものですから、そこから少し話をさせていただきたいなと思っています。

去年のシンポジウム、今年のシンポジウム、と後期高齢者医療制度のお話が続き、わたしが最後の発表なので、一部、小樽の宣伝も含めて、今日は発表させていただきたいと思います。

皆さん、お疲れではないですか。わたしはよく、大学の講義のときに、札幌の医科大学だったのですけれども、60分や90分の講義のうちに半分ぐらいになると、意識が消失していましたものですから、スライドというのは非常にトラウマがあります。なるべく楽しく、最後まで終わって、その中から一つぐらい、「ああ、あんなことを小樽のやろうは言ってたんだな」ということを覚えていただければいいかと思います。

それでは、はじめさせていただきたいと思います。よろしくお願いいたします。

当院の概略です。通所リハビリテーションが半地下にあります。小樽は坂の街でして、坂だったのをトラック8,000台分くらいの土を採って、病院を造りました。こちらが1階で外来があります。ここに2、3、4と、三つの病棟があります。平成8年の8月には、ほかの場所で賃貸で行っていて、今の所に13年の8月に移転しました。診療科は内科、わたしが呼吸器なのですけれども、そのほかに外科、リハビリがあります。医者のスタッフが5人おり、何があっても一応対応するようにそろえています。病床数は131床で、医療が48床、介護83床です。介護が二つの病棟になっています。

この右下の写真が、通所リハビリテーションです。ナムコさんとデザインを提携した通所リハビリを行っています。定員が40人で、来るのが30人です。稼働率が悪いと責められるのですが、どうしても今日は休むという方が多いので、30人しか来ません。外来と1日リハビリも含めて1日の来院数は約70人です。その内訳が、わたしが行っている内科はあまり来なくて30〜40人。残りがリハビリテーションです。職員数は約150人います。

これは病院の宣伝なのですが、左上の写真は外来ロビーです。わたしの設計としては、車いすでもいいし、ゆったりと、あまり、すし詰めにならないで、のんびらこんと、ここにお茶が置いていますので、お菓子を食べて帰っていただくという基本設計、理念で行っています。右下の写真はナムコさんと作った通所リハビリで、ゲームマシンがあったり、これは1個100万円するのです。楽しくやろうというのが当院のモットーでございます。

次のスライド左上の写真ですが、ついこの間撮った患者さんのパーキング写真です。ロードヒーティングと書いてありますが、ここに雪がないのは職員が雪かきをしているわけではなくて、この道の下にうちのボイラーがあります。パイプをぐるっと回してまして、当然A重油を使ってボイラーで沸騰液をたいて、ぐるぐるぐるぐる、モーターで回わしています。右下の写真はうちの前の道で、ちょうど坂になっていまして、国道5号線があって、この道がもしも凍っていたら、ずっと下りてしまい、ぶつかって事故になります。ここの道のロードヒーティングは市が電気でやっています。

さて、今年から石油の値段がとても上がっていまして、リッター81円です。前は40円ぐらいで重油を買っていたと思うのですが、1月の集計をしたところ300万になっていた。このうちの100万円が中の暖房代だと思うのですが、200万円はこの雪を溶かしています。これが数か月間続きます。これだけでも、病院も大変なのだというように理解していただけたらと思います。

具体的に小樽は坂の街です。船見坂とかがありまして、よくテレビとかで上から見る絵があると思います。上から見るととてもきれいなのですが、下から見るととても大変なことになっています。それは階段で行かないとこのうちに行けない。ですから救急車のおじさんは、階段でおんぶして、下りる。だから、通院するときも、なかなかこの階段を下りたくないのですね。だから、ちょっと悪くなると、すぐに入院させてほしいとなるのです。ここに道がありまして、ここの家に行くにはこの道を通るしかないのが小樽の街です。冬はほとんどここら辺の人しか歩けないような状態になっていまして、往診するにも、自力で歩けなくなってしまったら、通所の方は、ここに行っておんぶして下りてくるのが現実です。

当院の後期高齢者は、したがって医療病棟・介護病棟両方含めても、75歳以上は85%、80%を占め、ほとんど後期高齢者の方は、入院の中心になっています。平均医療区分が2.2、平均要介護度が4.2になっています。外来では逆に、先ほど平井先生のところもそうだったと思うのですけれども、意外と少ない。うちはリハビリも行っていますので、意外と少ないのが現状です。

次のスライドは厚労省から発表されている都道府県別一人当たり医療費です。先日も、高齢者の医療費のランクが出ていましたが、2番が北海道で、一人当たり100万かかっていることになっています。最低が長野です。これは平均から見た図で、北海道は特に、一番入院医療が多い。外来はそれほどないが、入院医療が多いのです。なぜこのような図があるかというと、後期高齢者医療制度の中で広域連合を組みます。北海道は北見市の市長がトップなのですが、その北海道の保険料は、結局ここが決めるので、今はよいとしても、このような状態が続いてくると、このような県はどうするのだろうかと非常に心配します。

ただ、入院が多いから医療費が高いのでしょうか。このグラフは、県庁所在地の、県庁別、都市別の雪日数を示していますが、札幌が125日。年間365日のうち、3日に1日は雪が積もっている状態です。札幌ならまだよいのですが、そのずっと上の稚内とか、道東とか、襟裳岬とかへ行くと、小樽はここなのですが、非常に大変な状態になりますから、通院して下さいといったときに、「ちょっと熱が出たから2、3日置いてくれ」というのがほとんどの状態です。そのほかに、この雪にかなりお金もかかるのですが、それだけではなくて、生活保護受給率、失業率を見ていくと、北海道はダントツに高くなっています。

皆さんも疲れるでしょうから、小樽の雪明りのスライドです。これは、小樽運河がありまして、古い倉庫があって、つららが立っています。ここにろうそくを出して、雪明りのようにして、年間60万人、雪祭りの最中にやっていますから、ぜひお金のある方は、ちょっと小樽運河に来て下さい。ただ雪の中に穴を掘って、ろうそくを入れているだけなのですけれども、ゆらゆらしてきれいです。小樽運河は夏に見るとそうでもないのですが、冬はとてもきれいなところです。

次は社会保障費の話です。先ほど、照沼先生からもお話がありましたが、社会保障費が、どんどん増えると、国がどうなるのだろうかという話があるのですが、現在の社会保障費の総額は88兆円です。これは国が88兆円出しているのではなくて、給付していくみんなの保険料も集めて、88兆円になっています。対前年度の伸びが2.3%、対国民所得約23.9%が、社会保障に回っている。一人頭70万円ぐらい、一世帯180万円ぐらい社会保障費にいっています。その内、年金が46.3兆円(53%)です。現実問題、年金が医療の28.1兆円(32%)よりもずっと多い。年金は、どんどん増えています。医療も増えているので、非常に問題になっている。福祉その他は13.5兆円(15%)です。

こちらも、よく厚労省から発表される、社会保障給付費の推移のグラフです。このすごい伸びだと、国がつぶれるのではないかという図なのですが、これの分子と分母を見てみると、対国民所得、つまり国民所得が伸びているときには、同じ額だと逆に下がることがある。この下がっているのは、バブルの時期です。高度経済成長の時も、あまり伸びていない。しかしながら、ここは低経済、ニクソンショック、オイルショックがありまして、どっと戻っている。バブルの後の、10年もどんと伸びています。それから、これだけを見ると、非常に危機感を感じると思うのですが、現実問題は、社会保障給付費のうちの医療費はこのグラフ(矢印8%)です。それほど伸びていない。特に、80年代は非常に抑制傾向が強かった。今現在の医療費は約8%になっています。一方で伸びているのが年金。この赤で書いてあるのが福祉元年です。福祉元年には確かに一時的に伸びていますが、80年代になってずっと抑制傾向が続いたことは、このグラフで分かると思います。

要するに経済の停滞との比ですから、当時は、多いときで13%ぐらいの経済成長がありましたので、大体平均で9%。それからニクソンショック、ちょうど福祉元年が始まってからは、大体4%ぐらいの成長。最近は1〜2%の成長で、2%はいかないし、マイナス成長もあります。福祉元年になったときに、戦後初めてマイナス成長になったので、結局社会保障費総額が下りてきますから、医療費の割合がどんどん高くなっているように思われているのか。

次の「医療費と国民所得」のグラフも、わたしは厚労省がよく使う図だと思うのですけれども、今日は厚労省の方がいないので言いたいのですが、4年の次がなぜ60年なのかよく分かりません。この中に数年あったわけです。省かれた年をきちんとグラフに入れれば、「そんなに変わってないではないか。老人医療ってそんなにないではないか。」ということをわたしは言いたかったので、これを出したのです。老人医療費は、ではすごくうなぎ登りに伸びているのかというと、そうではないです。介護保険で、一回落ちていますが、それほど変わらない。ほかのところは増えているのに。だけれども、割合も8%ぐらいになっているので、これだけ見せられると、インパクトがない図になるので、5年前のグラフを入れたのかなという、非常にわたしはうがった見方をしてしまう図なので、これをぜひ見せたかったのです。

国の負担と個人負担はどうなっているかが、この中の社会保障費の内訳からわかります。国民医療費なのですけれども、よくよく見てみると、1980年代は、国は3割払っていました。2003年になりますと、2割5分しか払っていない。その分、家計では、元々40.2%だったのが、今は45.0%。どんどん家計の負担が伸びていっている。一方、企業負担は、24.0%から20.9%と、企業負担は減っている。ですから、医療費が伸びている中で、一番しわ寄せを受けているのは、やはり家計、あと地方というのが、統計的に明らかに言えることだと思います。今後もどんどん、国は小さい政府を目指しておりますので、国の負担を減らしたい。高齢者の一人一人全員からお金を取って、家計の負担は増やしたい。結局、だれが一番大変なのかといえば、家計が大変なのは、この図からも明らかに分かると思います。

ですから、まとめると、経済成長と医療費は、非常にモトイラの関係というように考えないと、医療費だけを単独に考えた話にはなかなかならないのではないかな、とわたしは思います。ですから、低経済成長の今は時代ですから、医療費抑制を非常に鮮明に出している。後期高齢者医療制度は、言い換えると、わたしは医療費抑制策としか見えない部分があります。もちろん、制度として、平井会長がおっしゃったように、非常に立派な体系を作っています。今回の医療費抑制策は、経済成長の伸びの悩みと高齢社会の到来を見据えた、非常に厳しい医療費の適正化であると思います。適正化と聞いたときには、わたしは、「削減」と読み替えておりますので、非常に厳しい医療費の削減を、今また迫られている現状だと思っています。

よくOECDの中で、しかもG7の中で、日本は8%の医療費GDP比率なのですが、少ないのでもっと増やしたらいいではないか、と議論をされる方がいます。それは全然、厚労省には届かない議論であると思っています。現実にいろいろな試算を見てみますと、厚労省の出した数字の中では7.4%とか7.5%でいいだろうという話があります。

それで、次に、大変雑多なスライドで申し訳ないのですが、高齢者医療制度の経緯の話を簡単にわたしなりにまとめたものです。すでに、今から10年前の「21世紀の医療保険制度」という厚労省の出した中で、医療保険および医療提供体制の抜本的改革の方向が示され、そのときに、高齢者別建て案・高齢者医療制度の原案は、すでに載っております。それに引き続きまして、平成15年、2003年、小泉内閣のときに、基本方針の閣議決定の中に、高齢者医療制度の大枠が決定され、閣議決定の中で、平成16年に決まりました。

次は、ここには書いてありませんけれども、16年の4月に強行採決で、委員会を通りました。それで、実際に衆議院を通ったのは、確かワールドカップの真っ最中です。ですから、わたしも、個人的にはワールドカップにかまけていまして、あまりこの通ったという記事を見た覚えはないのですが、このようなことでした。やっと、最近、高齢者医療制度について、「いいのだろうか?」という話がでていますけれども、すでにもう10年前から話があって、小泉内閣のときから実は決まっていた。

その中で、老人保健法という、昭和57年にできた法律が、「高齢者の医療の確保に関する法律」へ名前が書き換えられました。これが第1条です。第1条は、法律の理念を示したものだと思うので、そこで2法を比べてみますと、老人保健法は、「……国民の老後における健康の保持と適切な医療の確保を図るため……」、これは適切と書いてあるのと、健康の保持と書いてあります。

ところがこれが、平成16年に変わった法律によりますと、「……国民の高齢期における適切な……」これは、老後は高齢期に変わっています。「老人」という言葉が消えました。「高齢期における適切な医療の確保」は同じなのですが、次に、「医療費の適正化を推進する」と書いてあります。明らかに、法律の中に医療費を削減しようとする意図が見えます。いつの間にか、「国民の共同連帯の理念」、の文言が、高齢者の医療の確保に関する法律1条で、入っていましたね。ここに対して、どう考えるのかが、これからの課題だと思っています。

老人福祉法という法律によると、この中では、「老人は、多年にわたり社会の進展に寄与してきた者として、かつ、豊富な知識と経験を有する者として敬愛される……生きがいをもてる健全で安らかな生活を保障される……」のが国の債務であると書いてあります。しかし、いつの間にか健康の保持すらなくなって、医療費の適正化のための計画をしなさい、「国民の共同連帯の理念」となり、国の債務ではないと徐々に国は何をするかという姿勢が、このような法律の変化にわたしは現れていると考えます。

うちの病院でも外科のヤスダ先生が、75歳になります。75歳になった途端に、うちの健康保険証が使えなくなって、ヤスダ先生に「カードが来るので、ぜひ見せてくれ」と言っています。

さて今期75歳の方は、どのような人生を歩んだのか、ちょっとわたしも興味がありまして、今の制度はこうなのかもしれないが、過去の姿が日本の今を作ったわけですから、そんなことを考えていかないと、その高齢者の医療を気持ちとしてやっていいのだろうかというのが、わたしの気持ちの中にいつもあるので、次のようなスライドを作りました。

12歳のときに、3年半続いた太平洋戦争が終わりました。途端に食料不足が来たわけですね。というのは、戦地などから人が帰ってきたことや食糧生産が追いつかなかったことから配給制度になった。やみ市場があった。たけのこ生活がありました。もう食べる物がない、明日どうなるか分からない。小樽でも空襲があったらしいです。この東京の街は焼け野原になった。そのようなところから、12歳でちょうど終戦となり、10代の多感な時期を迎えたのが、今年75歳の方です。それで28歳の働き盛りのときには、国民皆保険制度が始まりましたので、そのときからずっと今まで保険料を払ってきている方です。

福祉元年のときには40歳です。このときにはちょうど田中角栄さんの列島改造で、非常に高度経済成長で、働くのもすごいし、仕事もすごいし、成長もすごいときでした。ちょうど自分の両親が、「老人医療費、無料だから、ちょっと病院へ入ってよ」と当時の老人医療の病院にもそのようなことがいっぱいありました。しかし、それをなんとかしなければならないというので、この「老人の専門医療を考える会」が発足して、今まで活動を続けてきているわけです。そのような時代では、国は、年取れば面倒見てくれるという甘い幻想を、当時はお金もあるからなんとかなると思った時期が40代です。この間ずっと、働き盛りのときは高度経済成長で、もう「働け、働け」の時代だったと思い出してもいいのではないかなと思っています。ちなみに、わたしは52年生まれですので、よく覚えていません。

そして最後に、引退する寸前にちょっとバブル景気があって、ちょっといい思いをしたかもしれない。67歳になりまして、老齢年金をもらうことになると、年金から介護保険料が引かれ始める。で、今年、めでたく、75歳で後期高齢者になってしまった。このような人生を考えるときに、2回の高度経済、ここは別にしても、約20年間を、日本の国で働き手の中心として支えていた方々が、今これから後期高齢者に入る。戦争は、自分が始めた戦争ではなく、自分はその戦争に巻き込まれたのです。

ですから、75歳以上の方は、みんなそのような経験をお持ちです。わたしの患者さんで、小樽で徴用されて、大阪の兵器工場に行った方がいまして、小樽から大阪へ行って、当時何をしたかというと、中古の兵器を組み立てて、新しい兵器を作る仕事をしていました。本人は「これはもう負けるわ」と思っていたらしいのですが、大阪は当時、機銃掃射が来まして、それが来ると、ばっと防空ごうに隠れなければならなかったらしいですね。実際に、わたしが聴いた話なのですが、「来ると、ぱっと伏せるのです。伏せたら、ぼくの手の10センチ前を、ミシン目が通っていった。バッバッバッバッバッバッ……」と。「よく生きましたね」と言ったら、「いやあ、もう死ぬかと思った」と。飛行機が行ってしまったあとに、今度は仲間の遺体を自分たちで片付けなければならない。そのような時代を生きてきた方だとわたしは思っています。

次は、「よく働いた」後期高齢者、というスライドです。戦前に生まれて、戦前は、年間仕事時間が3,000時間です。47年に労働基準法ができても、2,000時間を超えている。オイルショックまで、2,000〜2,500時間、年間働いています。2,000時間ですと、土曜日なくして、1日7.5時間ぐらいですか。働いて、働いて、働いた。それで日本の国を作っていったのではないだろうかとわたしは思うのですね。

次は「いもを食べた青春」と、わたしがつけたキャプチャーなのですが、食糧事情も非常に悪かったときです。これがちょうど戦争の時期ですが、米がどーんと供給量が落ちまして、いもがどーんと増えた。このような時代に成長期の10代を過ごした方々が、今75歳になっているのが現実だと、わたしは思っています。

これは別の話です。わたしが直接行ったわけではないのですけれども、石川県で1月18日に約1,000人が参加した後期高齢者医療フォーラムでの、とある課長補佐の発言がインターネットに大々的に出ました。いくつかおっしゃっていて、文脈もあるとは思うのですが、その中で、「医療費が際限なく上がってゆく痛みを、後期高齢者が自分の感覚で感じ取っていただきたい」という発言をされたと、記録に載っています。

確かに、そこだけで別建ての保険になりますから、上がっていけば自分のところに返ってくる。特に北海道は高いですから、むやみやたらと医者にかかるな、病気をしてはいけない、お金がかかるので、病気をすることはみんなの痛みになって、それを感じてもらう。だから、この後期高齢者医療制度を作ったのだとの発言がありまして、これが非常に波紋を広げました。北海道についても言及されていまして、「広いので病院のアクセスが悪いため、すぐ入院となる……・」。単純にこうではないわけです。広いから何でも入院すればいいとは。確かに、昔は越冬つばめではなくて、越冬入院も確かにありましたが、最近ではそのようなことができないようになっています。

さて、「敬老の日」がありますが、そのような高齢者への思いはどこへ行ったのかと、わたしは最近つくづく思っています。現実に統計を見ると、高齢者が預金を崩して生活に当てている。高齢者の平均収入は高いではないか。平均すると家計収入が400万もあるではないか。ところが、それは平均値でありまして、200万前後の世帯が一番多いのが現実です。現実に貯金比率が非常に下がってきています。受診回数を減らしなさい、軽い病気ではかかるのではない。先ほどの課長は、風邪のことも書かれていました。「風邪は乾布摩擦で僕は治したのに、都会に来たら、病院に行くようになってしまった」とお話をしています。北海道で乾布摩擦をすると、風邪をもっと引くような気がして、わたしはちょっとかわいそうだと思います。

医療費の増大は「医療費亡国論」というのが、昔、1983年にありました。今支えている若者が、「わたしたちが年を取ってきたときにどうなるのだろうか」と思うことがあります。わたしはよく職員に言うのですが、「今、みんなが一生懸命、高齢者ケア、医療、看護を含めたことをやろう。それが、自分たちに返ってくるのではないのだろうか。日本の国がどうあれ、わたしたちが、今、目の前でだれかが行っていかないと、わたしたちが老人なったときには、悲惨な思いをするのだ」ということを、よく言い含めて話しています。それから、高齢者の不安が強いところの国は、非常に少子化になっていると、ある種のデータで出ています。

ですから、希望と明るさを持てる制度設計がなんとかできないものだろうかと、わたしはこの勉強を通じて非常に考えました。先ほど、平井会長も、昔は、療養型を作るときには、老人の専門医療を考える会等にも参加して、一つのものを作ってきた気持ちがある。けれども、この後期高齢者医療制度に関しては、どうも何か違うのではないか、という気が非常にわたしはします。

これが現実に、高齢者の世帯の国民生活基礎調査なのですが、1,000万円の人はあまりいないので、ここは平均なのですけれども、78%が400万以下である。高齢者としても、収入はこの辺がレベルであると。やはり、いろいろな医療制度改革で、老人はあまり病院に行かないよう確かに努力をされています。65歳以上の方の外来受診率、入院受診率の統計を見ると、1990年からドドッと落ちてきています。企業も努力をしているかもしれませんが、かかる患者さんも、それなりにやはり努力をして減らしてきている。もっと減らせというのだろうかというのがわたしの考え方です。

このような現実を見て、60歳未満の方の世帯主にアンケートを取りますと、医療費が厳しくなって、小泉改革が行われたあたりから、「心配」が非常に増えて、「心配でない」が全然いない。「心配してない」が2003年11.3%しかなくて、世帯主、世帯では、「どうなるのだろうか」「老後どうなるのか心配だ」と9割に近い方が考えているのが、今の現実だと思います。そのような中で、国に望む政策としては、やはり、医療・年金の社会保障改革をしてほしいと67.7%、高齢者対策をしてほしいと49.8%が回答している。この二つ合わせると、複数回答なのですが、100を超えます。景気対策は58.6%回答ありますが、少子化対策が28.9%と少ないですね。

これは、小樽の夜の夜景。きれいに見えますが、大したことはないです。これは、雪祭りですね。エジプト、人の高さ、これはステージなのですが、いかに大きなものを自衛隊が作っているかわかると思います。自衛隊としては、名目は、雪中訓練です。自衛隊でないと、このようなことはできません。設計図を書いて、謄写してやるのですね。主に大通り公園の会場で300万人ぐらい来ていますので、来たことのない方は、ぜひ来てください。

次のスライド。後期高齢者医療制度の問題点がいろいろあります。ネットやいろいろな本に山ほど書いてあります。将来は保険料が上がるのが問題ではないかと。また滞納に対するペナルティーは非常にきつい。すぐ取り上げられる。現役並み所得者は、このようにしか書いていないので、どんどん現役並み所得者のレベルを下げていくと、今の団塊の世代の方が年金を普通にもらっても、現役並み所得者と考えられる可能性が高い。それから、給料明細の中に「特定保険料」という形で、後期高齢者の方にいく保険料を別建てでちゃんと書くことになっていますから、若い人が見たときに、「年寄りのためにこんなに持っていかれているのだ」と分かるようなシステムになっています。

それから、かかりつけ医に病院がなれない包括医療の問題点。あとは、もう一つ、メタボ健診、先ほどの過去に関する法律の中では、メタボ健診の話が、一緒に法律の中にあります。ですから下手すると、「あんた、自分でそういう、お酒飲んだり、自堕落な生活をしたから、病気になったんだ」と責められかねない。でも、人間ですからね。

後期高齢者連合はどうなるか。北海道の広域連合は、本当に保険者として、きちっとした適正な医療計画を立てられるのだろうかと私は心配しています。

問題点は、国はどんどん責任を逃れている。企業もどんどん負担が下がってそれで、いいのだろうか。国民負担率がさらに増えるのではないだろうか。現在の国民の税負担率が45%になっていますから、もっと増えるのではないか。ですから、この経済情勢は確かに分かるのですが、わたしは、後期高齢者医療制度が、単なる医療費抑制の手段であってはどうもならないだろうと思います。

最後に、「中小病院の役割」として、高齢者担当医は診療所のみになっています。病院は、今、医師、看護師、介護、PT、OT、STが全部そろっています。それから、MSW、社会福祉士、薬剤師、管理栄養士、ケアマネジャーなど、全部病院のスタッフとしてそろっていて、マンパワーは一番ある。しかも、24時間365日、町の中のホットステーションで、医師、看護師、介護があるのは病院だけです。診療所には、電話をかけると、「今日は閉まりました」と、いばらき診療所さんは別としても、ほとんどです。ですから24時間365日、医師・看護師がいて、PTは夜いませんけれども、そのようなリソースがあって、すごく高齢者を支援できる病院が、なぜ高齢者担当医に入らないのだろうか。今、病院の役割と診療所の役割は明確に分けたいと言っていますので、せっかくあるのに使わせてくれないことは、はたしてそれが効率化なのだろうかとわたしは思っています。

最後なのですが、「安心な老後を過ごせる国づくり」もしていかなければならないと思います。自分ができることは、地域の町医者ですので、制度に命を吹き込むのは、やはり現場力だろう。経済的制約は確かにあるし、お金がつく、つかないにかかわらず、現場でなんとかやれることを、質のいいことをやるしか、わたしにはない。その代わり、現場の声が届く制度づくりをしてほしい。いろいろなアンケートを見ましたけれども、その中で「もっと医療制度の政策づくりに患者さんの声を反映してほしい」というのが、一つありました。確かにそのとおりです。できれば、老人福祉法の理念を実現する国づくりができたら、もっとよい社会になって、それから、次にわたしたちの子孫の世代にも、この国を立派に胸を張って渡せるのではないかと思っています。

以上、長々となりましたけれども、ご清聴ありがとうございました。
シンポジウム〜制度で変わること、変わらないこと〜
齊藤

これまでのお話を聞いていてお分かりのように、後期高齢者医療制度は単に医療保険が分割されたわけではないということです。このことが国民の皆さんはもちろんですが、実はそれほど、医療関係者にも分かっていない方が結構いらっしゃいます。特にこの1年は年金の問題もあり、どちらのほうが大きいのか、重さは決められませんが、なんとなく後期高齢者医療制度のことが隠れてきてしまったような、そのような印象も受けるところです。

特に今、医療にしても介護にしても、質の向上をというような時期に、75歳以上の方々が実際に、今まで以上の医療のサービスが受けられるようにと考えているところに、今回このような制度が入ってきて、先ほどからシンポジストでいらっしゃる方々が危惧されているような、医療が制限されるのではないか、診療所の先生たちだけではたしてうまく機能するだろうか、診療所でも一生懸命やっていらっしゃる先生もいますが、現実どうなのだろうかということ。それから在宅と病院施設との関係が、どなたかのデータにも出ていましたように、病院や施設に対しての国民の方々の考え方と、現実に行われている施策が本当に合っているのかどうかとか。

実はこの後期高齢者医療制度が、決まる決まらないだけではなく、医療が今後の日本の大きな課題になっているということは確かで、手をこまねいていてはいけないのではないかということで、あえて今回またこのテーマでシンポジウムを行うことになったわけです。会長も含めて、シンポジストからご発言がいくつかありましたが、皆さん方まだしゃべり足りなさそうでしたが、それは最後に残しておいて、使える時間も限られているようですので、当初の予定より少し早めに終わらせたいと思います。

まず照沼先生から今されている在宅のお話をお聞きしましたが、在宅での経費のことといいますか、在宅と病院に入院している場合の経費のあたりをもう少し詳しく分かるようにお話ししていただければと思います。おそらく患者さんは軽い人ばかりではないですし、重い方もいるわけで、重い方がこれからどんどん在宅に帰っていきますね。そうなってきたときにはたして国が言っているような感じでいくのでしょうか。その辺について、先生のご意見を少しお聞かせいただけますか。
照沼

そうですね、一つ大きく分けて言えるのは、例えば身体障害状態になってしまった場合などは医療費はかなり補助が出ます。実際、ご家族が払う医療費は介護負担の費用だけになっています。ただ今後、この後期高齢者医療制度のような適正化が、なされていったときには、障害者の方、肢体の身障2級ですね、もしくは呼吸の、内臓系の障害の3級以上の方、そのような方にもご負担いただくような事態も出てくる可能性があります。そうすると、現状ではそのような医療費がかからない患者様にも医療費がかかってきます。重症の方ですね。そのような場合もありますし、今後やはり適正化という波は大きなキーワードになってくるというように感じます。

現状ですと、普通の在宅医療を受ける場合は、医師の訪問が月2回程度ならば、ご家族の負担は6,000円程度です。それから状態にもよりますけれども、ケアリビングといって、グループホームとか、そのようなところに入っている方、いわゆる在宅だけれども半分入所施設のような状態のところにいる方に関しては3,000円くらいですね。今の段階では4,000円くらいですけど、3,000円くらいに今度引き下げられるというようになっています。だんだん重症化して最期までご自宅で過ごされたいという方の場合は、われわれのところでのイメージですと、例えば亡くなるときにどのぐらいの金額の領収書が発行されているかというと、お一人の負担が5万円から6万円という場合もあります。それは一番多い患者様ですね。そのようなご負担をいただいている方もいらっしゃいます。在宅の末期の患者様は医療費としては50万円ぐらいかかっているのです。がんの末期の患者様とか、痛み止めのお薬をたくさん使う方に関しては、そのような医療費が出ます。ご高齢の方に関してはそれでもよいのですけれども、がんの患者様ですと若い方もいらっしゃいます。3割負担という形になりますと、患者側の負担としては15万くらいの負担ですね。10万から15万ぐらいの負担が出ているという場合もあります。

それから、在宅医療だから医療費が安い、患者様のご負担が安いということはないのです。施設に入るときと同じようにかかる場合もあります。特にハイテクな医療ですね。どうしても在宅の末期の患者様で、がんの痛みなどがひどい患者様に関しては、痛み止めの麻薬や先ほどお話に出ました硬膜外ポートという、これは直接背中にカテーテルを入れて、そこから持続的に24時間薬液を流す、麻薬を流す治療ですけれども、そのような医療をした場合には、それにまた加算されて患者様のご負担が発生しているのが現状です。

その辺を含めてどのような形で制度設計をしていくのかが大きな問題となってきますが、決して安い医療ではないというような印象を持っています。
齊藤 そうですね。おそらく医療費だけの問題ではないのだと思いますね。ご自宅で暮らされるというのは生活費もかかるし、ご家族がその間パートに行けたのが行けなくなったりとか、平井会長、そのようなことを総合的に示したような数字というのはあるのでしょうか。
平井

私が知っている限りはないです。清水先生と先ほど話したところ75万とかいう数字がありましたね。

齊藤

清水先生、どうぞ一言、その辺をお話下さいますか。

清水

78万というのは、これはあくまでも試算ですけれども、要介護度5の方で、寝たきりで家族が介護ができないというような条件、つまり介護療養型医療施設に一番多く入院されているようなタイプの方が、仮に在宅に戻られるといいますか、在宅で入院生活に一番近いようなサービスを受けられたとすると、自己負担が約78万かかりますという試算をしました。

齊藤 自己負担がですか。
清水

そうです。いわゆる上乗せ横出しの部分ですね。そのようなことでございます。

齊藤

どうもありがとうございます。実際そのような数字はきちんと出ていないのです。これはかなり大きな問題だろうと思うのですが、おそらく厚生労働省だけでは出せないですし、ほかの省庁になると医療費のことはあまり考えないで生活だけの話になったり、そのあたりはやはり老人の専門医療を考える会としても少し考えないといけないところのような気がします。一つの課題として、結論に持っていかないといけないことが初めに出てしまったかもしれませんが、そのようなことも気にしてみては、というようにも思います。

それから照沼先生、もう一つ、日本の高齢者に合った医療形態は、というお話を先ほどされていましたね。50対50と言われた意味がわたしには分からなかったのですけれども、そこを少し教えていただけますか。

照沼

ご自宅で亡くなる方、自分のお部屋で最期まで暮らしたいという方、もちろん最期を病院で暮らしたい方、イメージ的な問題なのですけれども、外来などで診ていますと、最期までうちにいたいという方と、最期は病院とか、そのような施設にいたいという方と、大体半々ぐらいの印象なのです。病院に行かなくてはいけないという方は、やはり圧倒的に介護力ですね。「一人暮らしだし、病院にそろそろ入れてくれないか」というような話はよくあります。それでその介護力のトータルの面として考えれば、半分ぐらいの方がご自宅でずっと過ごして、半分ぐらいの方が施設に入所されてというのが、なんとなく今の一般的な世相を表しているのかなというように感じております。

齊藤

そうすると、医療形態というのは、入院か在宅かという医療形態のことですね。分かりました。

それでは、次に富家先生、先生のところの病院はかなり重い方がたくさんいらっしゃいますね。在宅のサービスもいろいろやっていらっしゃいますが、それぞれの終末期の場所というお話が先ほどあったと思うのですが、そのあたりについて先生自身は、例えば、がん、心臓、肺、肝臓、それから老衰、認知症と、死に至る三つのパターンのお話の中で、ここに書いてあるのは先生の言葉で書かれたのですか。
富家

この中に書いてあることも、やはり老人の専門医療を考える会で考えていきたいという、終末期医療の提言に載っていた文ではあるのですけれども。

齊藤 先生はそれをどのように思われますか。
富家

特に僕が中心となって診ているのがBの臓器不全の患者様が主でありますので、やはり自分が受けたい医療をうちの病院では作っていっているつもりではあります。療養病床でこのような患者様は診ていきたいな、と僕自身も思いますし、そのような状態であれば療養病床に入院して診てもらうのが一番うれしいのではないでしょうか。ただ、がんの場合、緩和系病棟とここに書かせてもらいましたけれども、圧倒的にそういった病棟の数が少なくて、まだまだ政府そのものも、緩和ケアの充実というようにうたってきてはいるのですが、数はそろっていません。また、医療従事者、特に緩和ケアに特化した医者がとても少ないのが現実です。もう少しこの辺が充実してくれば、緩和ケアの研修会で講師から「緩和ケアというのは、治療がもうこれ以上できなくなったところから緩和ケアが始まるのではなくて、がんが分かったところから緩和ケアが始まって、苦痛の少ない闘病生活を送ることも、緩和ケアの一つの目的でもあるんだ」というお話をいただいていたのですけれども、そのようなことがまだまだ日本では浸透していません。「もう、あなたは治療することがなくなったから、ホスピスに行きなさい」と言い放ってしまう医者が多いというのが現実なのです。もう少しそのような意味での終末期の場所が整備されてくればというようには考えています。

齊藤

ありがとうございます。平井会長、このあたりは老人の専門医療を考える会としてのまとめという話ですが、会長自身はどのようにお考えになっていますか。終末期のそれぞれの場所という、このようなことについて。

平井

終末期の場所として介護療養型の療養病床もその一つに入っていたのですが、それがなくなることになり、そのようなところをどんどんなくしていって大丈夫なのかというのが一つあります。おそらく、わたしが一番心配しているのは、国家統制でやってしまうのではないかということなのです。怖いのは、終末期が、そんなに医療は要らないよ、といいますか、医療はむだというような世論操作ですね。というのは、いわゆる病床というのをなくしてしまうので、としたら施設で十分、国民の方が満足いく終末というのが送れるのではないかというようなことが、この後期高齢者医療制度をきっかけに、そのような世論が広がるのではないか。それでハッピーだったらよいのですけれども、当初からそのことを一番心配していますね。

齊藤

当会でも、特に終末期に関してはシンポジウムでもずっと議論をしてきました。当会のスタンスというのは決めて進んできてはいるのですが、世間にまだアピールするまでに至っていないものですから、これも当会としては緩めずにやっていかなくてはいけないことということで質問させていただきました。

大川先生、お話の中で、おもしろいお話だったことだけではなくて、実はすごく厳しいお話をされていたように思うのですが、その中で僕は2点、とても感じたところがありました。1点めは地域差のことですね。今、国で制度をどんどん決めていますが、実際、表向きでは「県単位だよ」とか「地方自治体だよ」とか、介護保険でも同じですけれども、そうはなっていても結局国全体で決まっているようなことが非常に多いですね。そのあたり、この地域差の問題について先生が思うところはいかがでしょう。
大川

特に北海道がどうしてこのように医療費が高いのかということと、いろいろなことを実際にデータを打ち込んで見てみたのですが、やはり一番関連するのは入院費が高いということがあるのです。場所が非常に広い。雪がある。それから、東京と比べると賃金指数が85くらいですか。その割に物価指数が90いくらなのです。ですから失業率が高い。生活保護率が高い。わたしの患者さんでも昼間はパートに出ていて老人が独居である。それが入院する。しかも病院のベット数が多いのも事実なのですけれども。そのような複数の要素が絡んだことが、地域差だったりします。

では今の北海道の広域連合団体は、もしくは北海道庁も医療費適正化の明確なガイドラインを出しているかというと何一つ出すことができない。つまり地方自治体が、今まで国におんぶにだっこで決めてきたこともあるし、国自体が診療報酬を決めて、調整もろくにしてくれないという状態では、なかなか地域の独立性とか、北海道だからということを主張することはできない。「北海道だからこうなんだ」と言うと「じゃあ長野県はちゃんとこうやっているじゃないか」ということは国の調整であってはいけない。

ただ、北海道はやはり貧しく、借金だらけの県なものですから、どのようにやるのだろうかということは大変な問題だと思うのです。そのようなことができるスタッフが道庁にいるのだろうか、それもいない。そこで地域にどんと丸投げして、はたしてやれるのだろうか。結果として「医療費が上がったから、あんたのところは保険料が上がって痛みを感じるんだよ」ということであれば、国の調整機能というのは、全く機能していないに等しいということになるのではないかと思います。
齊藤

全く皆さん同感だろうというように思いますが、大川先生、もう一つですね、中小病院の役割、特に療養病床の役割という話をお聞きしたいと思います。今回は病院の医師は主治医になれないというような話があったり、それなのに終末期には1時間以上相談できる医師でないと加算が取れない。もしかしたら診療所の先生で1時間その時間を取れる先生がはたしてどれだけいるのか。かえって病院なら医師も含めてチームで相談に乗ることができるのではないかとか、今日お話を聞きながらずっとそのようにも思っていたのですが、このあたりのところもお願いします。

大川

今の日本の厚労省の考え方として、診療所は、あくまでもイギリスのように、まずそこに行ってそこから紹介してもらいなさいと。それがサッチャー政権のときには、がんの入院6か月待ちにつながったわけですね。アメリカでも同じように民間医療保険制度の中で主治医は決められていますから、そこにまず行きなさいと。日本は皆保険ですから、全員が強制加入でお金を出しているわけで、ある意味でのフリーアクセスがあるわけですね。その中で、今度の後期高齢者医療制度のように、主治医と称されるものが診療所だけというのは著しい制限医療だと思います。

逆に、例えばわたしのところに外来の初診が来て、ざっと診ただけで病名が10くらいつくわけですね。それで病名が10ついて、薬を3か所くらいからもらっている。しかも全部あわせて16、7種類の薬を飲んでいるという方の薬歴を見て、「過去にどうでしたか」「ああ、実は20年前にこうでした、いや、修正後にこうでした」という話を全部アナムネーゼで取っていくと20分では終わらない。下手をすると30、40分かかる、それをはたして診療所の先生方がきちんと今後もやれるのだろうかというのは、わたしは疑問に思います。小樽の診療所で、はやっているところでは100人以上来ますから。100人を1日7時間で診ている状態で、はたしてそれがきちんと厚労省が言うような制度の中で運用できるのかということは、はなはだしく疑問だと思っています。

ですから、前に小樽で医者の中で、認知症を診ることについて手を挙げろという話がありまして、いわゆる長谷川式痴ほうスケールをどれだけの医者が評価しているかというと、一般加入の先生はほとんどできません。もしくは使っていません。病院ではSTとかいろいろなスケールをやるように訓練しますし、それはできますけれども、それすらできないのに、どのようにして全国の先生方が1,300万を対象にできるのかというのは、当初からわたしは制度設計に問題があるというように思っています。
齊藤

富家先生、そのあたりどうですか。

富家 僕も今回の、後期高齢者医療制度では、病院が主治医になれないというのに驚きました。例えば歩けない患者様がどうするのか、というのが大きな疑問でもありました。よく従業員に「送迎が大変なのでデイケアのついでに診てほしい」というようなリクエストがあったりもします。逆に診療所の先生から、「もううちには通えなくなったので先生のところで診てほしい」というような依頼を受けたりはするのですけれども、歩ける患者様が前提となって、この後期高齢者医療制度ができているとすると、そうではない人のほうが多いので、逆にそのような患者様も診れる診療所というのは一体どれだけあって、どれだけ在宅に力を入れている病院、診療所があるのかというのをもう一回調べたり、照沼先生に少しお聞きしたいと思ったりします。
齊藤

では、照沼先生どうぞ。

照沼

そのような病院に来れないおじいちゃんおばあちゃんを診に、実際そこまで行って診療するという診療所のスタイルは、わたしの知る限り全国で10か所ないぐらいですね。ただ、わたしの診療所で、一ついいなと思うのは、最近診療所に「在宅医療やりたいんだけど」と、岩手とか秋田とか東京の先生方も来られていますし、同じようなシステムでそのような在宅医療をやりたいという先生方が集っているのです。そのような先生方が、のちのち少しシステムを持っていてもらって、それぞれの地域で広めてもらえたら、日本全体にそのような在宅医療のネットワークが広がっていくのかなというように思っています。

ただ一人でやる診療というのは、先ほどから齊藤先生のお話にもありましたけど、限界がありますし、やはりチームで当たっていく在宅医療というのが求められてくるのではないかというように思っています。
齊藤

そのあたりもきっとわたしたちがこれから主張していかなければいけないと思うのですが、平井会長、今の話もそうなのですが、終末期にそのような相談をすると相談料のような加算がついたり、それから、総合評価の加算がついたりと、よくある加算をたくさんつけてきて、それを取れば点数になるよというような感じなのですが、これでいいのでしょうか。成り立つのかというのが非常に不安です。

というのは、介護保険でうまくいっていないようなことが結構あるのですね。チームみんなでカンファレンスを開こうと思っても、全国的にそれがうまくいっているところというのは本当に少ないわけです。ですから、医師が1時間以上相談で点数がついていますが、チームでも成り立っていない、だからお医者さん一人でというのかどうか分かりませんが。それから介護保険でも掛かりつけ医の研修があったり、先ほど言った認知症のサポート医の研修とかいろいろありますが、それが本当に機能しているかどうかというと、まだまだこれから何年かしてみないと分からないような状況なのです。それに上乗せするように同じような研修とか、カンファレンスや相談など、現在でもうまくいっていない上にまたやるというのはどういうことなのか、もう少し考えてすすめてほしいというように、以前から思っています。そのあたりを、今日は平井会長にお話を聞こうかなと思います。
平井

先ほど、わたしは日本医師会の高齢者の診療報酬のあり方の検討委員会に入ったというような話をしましたけれども、委員構成からすると、わたしは病院の立場から、それから老人医療の実践者の立場から発言してほしいというようなことでした。わたしが感じていることをいくつか言った中で、今、齊藤先生が言われたことがあります。とにかくこの後期高齢者医療制度は、介護保険制度とだぶらせているところが多いのです。それで、わたしがそのとき主張したのは、では主治医でも何でもよいけれど、今で言う600点算定する医者は、必ず介護保険の主治医の意見書を書きなさい。それを条件にすべきであると。あの意見書を書ける人は国の求める管理のできる医師です。それと分離するようなことは絶対やめてほしいというのは、一つ言いました。

それからもう一つは、実は時間制を導入したらというのも、私が提案しました。これは認知症の患者さんをいつも診ているので、大体初診の場合は1人1時間かけています。とてもそのような報酬は出ておりませんし、今、大川先生がおっしゃったように初診の場合には、時間が5分やそこらというわけでもない。別に開業医の先生をどうこうというわけではないけれども、「1時間のあいだに50人診るというのはないでしょう」ということを課長に申し上げたことはあったのですが、そのときはさすがにほかの開業医の先生方や厚労省の課長からも「時間のことを言われるとやりにくいですよね」というような話があったのです。今回は制度の中に時間5分と入っているのですけれども、5分で書けというのであれば、よほど簡単なものでないと書けない。

それから、今、齊藤先生が言われたカンファレンスというのは、元々介護保険のほうで、あるいはリハビリの世界でやっと積み上げてきた手法なのです。その要介護認定のところでも、主治医の意見書がなかなか出てこないとか、訪問リハビリとか在宅サービスにしても、主治医の指示書がなかなか出てこないとかいうようなことがあって、それと日医の検討委員になっている野中先生が、強力にこのようなカンファレンスをしなさいというようなことをおっしゃられました。非常によいことだと思うのですが、「実際どうするのか、本当に開業医の先生が病院に来られるのですか」というようなことも、委員会の場では結構やり合ったのですけれども、このような結果になりました。

ですから、このような制度にするのだったら、点数を今の5倍ぐらいはつけてやってほしかったと思うのです。銭金の話はしたくないといいましたけれども、今のような200点とか1,000点とかいうのであれば、医者の側から言う費用対効率というのは極めて悪いのです。だから、そのような意味からいうと、今回は実際の運用は難しくても道筋をつけた功労はあるのかなと思うのです。

ただいつも言われることですが、介護保険担当課と医療保険の担当課が違うので、介護保険との整合性とか、切れ目のないとか言ったところで、一体化して提示してもらわないと分からないし、そう言われる前にわれわれが介護保険を取り込んだ一体化したモデルを、提示していかないとだめだろうとは思っています。
齊藤

全くそのとおりで、病院関係者ではない方々もいらっしゃっていると思うので、お話ししたいと思いますが、実は後期高齢者医療制度以外の診療報酬の改定のすべてを見てみると、例えば脳卒中の方が病院に入院なさって一命を取り留め、そしてリハビリテーションを行って、そして在宅に帰り生活されていくという流れの中で急性期と回復期リハビリの期間が短くなったのです。なおかつ在宅に多く返すと点数がつくという、何か成功報酬のような、自宅復帰率が高くて改善率が高いと点数がつくという仕組みが、今回導入されたのです。試験的にかもしれませんが。

つまり、早い時期に在宅に帰るのですね。早い時期に在宅に帰って、帰ったらこの後期高齢者医療制度を今度使うことになってくるわけです。その制度がちゃんと基盤ができていないのに帰せるだろうか。しかし、病院は無理にでも家に帰そうとするようなことが起こってきかねないというのが今の現状です。実は後期高齢者医療制度だけ見ているとほかにもいろいろと大きな課題が実は残っている。今回は小児科、産婦人科それから急性期のほうに報酬がついて、どちらかというと、そうではない部分は下げられてしまっています。でもやるべきことは多く出てきているというのが現状で、実は医療関係者にとっては非常に頭が痛い。そのような状況であるということをご理解いただければと思います。

さて、それでは会場からご意見やご質問がございましたら、ぜひおうかがいしたいと思います。手を挙げていただければ、難しい話は平井会長が全部答えてくれると思いますし、現場の在宅や病院の話はほかの先生方が話してくれると思いますので、どうでしょう。はい、どうぞ。
井上

小倉リハビリテーション病院の井上と申します。今日はありがとうございます。私もこの後期高齢者医療制度に関しましては、非常にシステムが分かりづらくて、あまり理解のないまま、今日ここにやってきたのですけれども、会長のお話をお聞きますと、大きく二つ課題があるのかなと思いました。

一つはやはり非常に分かりにくいシステムですので、利用者さんによく理解していただくための、こちらのはたらきかけが要るのかなということです。もう一つは、おっしゃっていたように、連携というものがあって、ただこの連携というのはずいぶんと使い古された言葉で、やらなければいけないというのは分かってはいるのですけれども、なかなか地域の中では、できていません。

ただ、いよいよ介護保険と医療保険の垣根を乗り越えてやらなくてはいけないということが課題としてあるのだろうと思います。先ほどから主治医という言葉が出ていましたけれども、特に連携という中でのキーマンとして主治医の役割というのは非常に大きく、連携だけではないと思いますが、役割はますます大きくなってくるように思うのです。その辺について平井先生、大川先生にご意見いただければというように思うのですが、いかがでしょうか。お願い致します。
齊藤

では大川先生からお願いします。

大川

わたしは基本的に、患者様が自分が信頼できて馬が合う、たまたま運命的に出会ってしまった方が主治医になってくれれば、一番いいのではないかと思うのです。いろいろな病気を持っているのは事実ですから、その中で内科系がいいのか何科がいいのか、いろいろなことを考えますけれども、基本的に医師と患者様の信頼関係の中で医療というのは行われるべきでありますから、それを入り口を制限して、自分がかかっているところがたまたま病院だったならどうするかというと門前クリニックを作ることでいいのだろうかということになりますね。

一時、診療報酬の問題で門前クリニックが山ほどできて、しかもそちらのほうが報酬が高くなるわけですね。再診料も高ければ、特定疾患治療料もわたしたちが800円のところを2,000円以上取るわけですね。それだけでもコストが高くなって、ちっとも抑制策にならない。けれどもそちらに誘導していく。同じようなこととして、薬剤師さんに怒られるかもしれませんが、調剤薬局を作った時点で、うちも仕方なく薬局を外に出しましたけれども、患者様の負担は増えるわけですね。

確かにいろいろなメリットもあるのでしょうが、その中で医療費抑制と言いながら、実際に起きていることは、そのようなことではないのではないかと思います。もっとそこを効率化していけば、うちのように中小の八百屋の親父のように行っているところに来てもらって、町医者がやることに何の問題があるのだろうかと。その制限されることに関しては非常に憤りを感じています。うちの病院のようなところはPTを含めて、いろいろなリソースがあるわけですね。何か問題があったら、例えば介護保険を持っていない場合なども、MSWがしっかり申請の手続きも代行しているし、申請の仕方も教えるし、親書を取るときにもやり方も全部教えてあげることができます。そのようなリソースがあるわけです。薬剤師も訪問に行けるわけですね。服薬状況のカレンダーもきちんと作って、毎週毎週入れ直すこともできる。

病院ではそのようなことができるのに、現実にクリニックに薬剤師がいることはまずあり得ないし、STもPTもいない、ましてやMSW、社会福祉士もいない。いわゆるゲートキーパーという誘導をするような制度を高齢者に導入するということは、おそらく制度として若い人にも広がっていく可能性があると思います。うまくいった時点でのことになるでしょうが。それは今の国民皆保険の精神と合致するのだろうかという疑問をわたしは持っています。非常に危ぐしています。
齊藤

ありがとうございます。平井会長、お願いします。

平井

井上さん、わたしが思っているのは、キーマンはケアマネジャーだと思っているのです。けれども、いくらケアマネジャーが出向いても、一銭も出ない構図にしてしまっているのです。それは、ケアマネジャーというのは介護保険の世界で配置されているからだと思うのですが、せっかく国が養成をしておきながら有効に使わない。だから、そこに大きな問題があるのですけれども、やはりキーマンはケアマネジャーになっていただいて、在宅は訪問看護にがんばってもらうということに尽きるのではないかと思います。

齊藤

それでは、主治医は利用者にとって何がメリットなのでしょうか。ちょっと単刀直入すぎましたか。主治医になるとこのような点数がつくとか加算がつくという、医療側からの話は分かったのですが、今回のことで利用者にとっては何がメリットなのでしょうか。どなたかお答えいただけますか。

平井

多分、これまで主治医の先生が患者さんに「あなたの掛かりつけ医はどなたですか」と言うと、「いません」と言ったり、「外科はあの先生で、内科はあの先生で、皮膚科はあの先生です」という、その感覚だったと思います。今度は「いや、主治医は1人しかできないのですよ」ということになって、そこで初めて「だれがこのようなことを決めたのだ」と、患者さんが怒るのではないでしょうか。

齊藤

例えば、わたしも外来を受け持ったり、患者様の担当医をしていますが、今度は国でいう主治医ではないのですね、病院の医者ですから。とすると、患者さんは別に無理に主治医を作る必要はないということなのでしょうか。主治医ということがどんどん進んでいくと患者さんがお医者さんを選べないのですね。その辺はどうなるのかなというように思います。

もう一つ大きな疑問といいますか、どうなってしまうか心配しているのは、介護保険の制度には掛かりつけ医がいるのです、主治医意見書というのを書く医師です。その介護保険の主治医と、病気のほうの、医療制度の主治医が同じとは限らないということが出てくるのです。例えば大きな病院に入院なさっていて、リハビリをやっているあいだに主治医意見書を書きますね。そのときに書いた主治医は、病院の先生です。それで退院するとまた違う主治医ができますが、介護保険の中だけでも、実はその主治医から次の新しい主治医への連携というのがなかなかうまくいっていない中に、今度は後期高齢者医療制度も加わります。しかし、実はその前の段階から、在宅にいるときに主治医がいるわけですね。

その辺が、本当に平井会長が言われるように介護保険との整合性といいますか、なんとかしていかないとならないというのは、実感として感じるところです。ぜひこのあたりも皆さん少し注目していただきたいと思うところであります。
平井

別に不安をあおるわけではないのですが、ふと考えたのですが、今、救急医療が全国で問題になっていますね。たらい回しとか何とかということで。わたしが心配しているのは、今後、救急病院、いわゆる専門的に言うとDPC病院、7対1病院は、掛かりつけ医の紹介状がなければ、受け付ける必要はないというようになる可能性があるかもしれません。そこで、心筋こうそくとか脳卒中とかというのを具体的に詰めていかないといけないと思うのですが、もしかしたら主治医というのは、「あなたがいざというときに、主治医がいなければ病院に入院できないのですよ」という手段に打って出られる可能性はありますね。今ふと思い浮かびました。

大川

例えば、わたしが患者の身分で、夜中でも調子が悪くなったら、担当医の先生に電話をするとちゃんと病院を紹介してくれて、救急医療に回してくれたり、だれか来てくれたりということを期待されても、そこは制度に書いていないわけですね。

齊藤

実際、在宅療養支援診療所の先生方は24時間体制ですから、そのような役割をするのかもしれません。主治医も提携先の病院を決めなくてはいけないでしょうから。そのような役はやるでしょうけれども。でも、在宅療養支援診療所も去年の数で5,000件ぐらいですね。そのうち実際にやっているところは1,000いくつぐらいしかないと言っていましたから、それがすべて期待できるわけではないですね。

ほかに何かご質問はございませんか。よろしいですか。

実はこの制度というのは、今わたしがとても感じるのは、ここで少しの時間で話していても、疑問とか、どうするのだろうとか分からないところが結構あるのですね。ですから、本来は厚生労働省の人に来ていただいて説明してもらうのがよいと思いますが、きっとその人も担当官というだけですから、今そう決まったのだという話しかできないと思います。やはり全体的に見ても、この制度以外のこともそうですけれども、利用者の立場といいますか、利用者の声がなかなか入っていないのと、それからやはり、ここで今出たような議論が、はたして後期高齢者医療制度を作るときに、なされてきたのだろうかということも、実はよく分かりません。わたしも今日に備えていろいろと議事録などを見てきましたが、あまりこのようなことは出てきていないような感じがします。

実は使う側にとって安心できる医療の体制ということを考えれば、そこが一番大事なように思います。老人の専門医療を考える会も、会長から先ほどお話があったように、もう25年たちます。これからどう打って出るかというところだろうと思うのです。これは会長が宣言されていくと思いますが、事務局長という立場でお話しさせていただければ、老人の専門医療を考える会ができるきっかけというのは、「老人病院というのは、もう、ろくなところがないよ」という話の中で、「そんなことはない。一生懸命やっているところもあるんだ」と立ち上がったいくつかの病院が、今まで25年がんばってきて、結果的に介護力強化型という病院の制度ができました。介護職の方は、当会の発足当時は付き添い婦さんしか入っていなかったのを、自前の職員として入れていきました。わたしたちの立場で言えば、その人たちの賃金というのは保証されていないわけですね。それをなんとか自分たちで、やせ我慢しながらやってきた結果、制度ができ、療養型病床につながってきたという経緯があります。そのような意味では、ある意味誇りを持って今までやってきたわけです。

それが政権が変わったり、制度が変わったり、そのたびに時代が違うからとか、団塊の世代の人になったからとか、いろいろな理由で、結局は財政なのかもしれませんが、せっかく何か培ってきたものが崩れていくような気がします。それを手をこまねいていて見ていてよいのかという、そのような時期に来ているのかもしれません。老人の専門医療を考える会は、しっかりやっている、そのようなところもしっかり見てよという話だったのが、これからは本来はこうあるべきだということを前に出て訴えていく時期に来ているというように思うところです。ぜひわたしたちの活動を今後もよく見守っていただければというように思います。

最後にお一人ずつ、言い残したことといいますか、大川先生から一言ずつお願いします。
大川

自分は今日のシンポジストを引き受けるにあたり調べてみて、いろいろなことを感じたのですが、一番残念なのはこの国がこのようになってしまって、歴史的に見て戦争とかそのようなことを通り越した方を、なんとか尊厳を持って最後まで看取っていくような医療なり看護なりをできるような国の体制、経済的なあり方であってほしいというように、わたしが個人レベルでいくら言っても、どうもそのような方向になっていないということに、非常に残念で悲しいという気持ちになりました。少なくともうちの病院なり、老人の専門医療を考える会の病院の方は、そうではないスピリットに燃えて今後もやっていくのだというように思ってください。わたしたちも現場から一つずつ積み上げてきたもので進んでいきたいと思っておりますので、よろしくお願いいたします。

齊藤

ありがとうございました。では、富家先生。

平井

僕自身も先生方のお話を聞いて将来に若干不安を持ち、だんだん話を聞いていると暗くなってしまいました。この前、実は東京都青年医師会というのが、永生病院の安藤先生の勧めで「早朝勉強会をやっているから出てみないか」というように言われて、昨日の朝6時半から京王プラザホテルで2時間ぐらいの勉強会に参加していたのですけれども、そこには主に全日病の比較的、若手の先生方が集まって話をしていました。

どのような話をしたかというと、アジアの医療というテーマで話があったのですけれども、例えばタイとかシンガポールというのは医療そのものが外貨を稼ぐ手段になっています。中国やインドから患者様が来て、そこで治療してまた帰っていくということで、そのようなことも日本でも考えていっていいのではないかと、少し夢のある話も出ていました。逆に今、僕らが行っている医療というのは、とても良質でとてもコストが安いのです。もし保険を払わなくても、中国の富裕層の方やアジア圏のお金を持っている方々は日本の医療のレベルであれば来てくれるのではないかと思います。そのようなサービスを提供していくことも、一つの病院の経営としての選択肢として考えてもよいのではないかという、半分夢のような話がありました。少しは明るい話かなと思って最後に話をさせていただきました。
齊藤

では照沼先生。

照沼

後期高齢者医療制度ということでは、わたしもまだ不安な点がいろいろあります。とりあえず自分たちが向かっていく医療は、やはり日本人に合った医療、日本の文化風土の中でどう考えていくか、どのように生きて、病気になったときにどのように支えていくのかと、そのような医療をやはり続けたいと思いますし、そのようなものを今後の診療の中で作っていけたら、というように感じています。

齊藤

ありがとうございます。では、平井会長。

平井

われわれの老人の専門医療を考える会というのは会員は50少しで、この25年通しても大体そのあたりの数字です。私の力不足もあるのですが、ここ数年は会員の皆さんそれぞれの病院であるべき老人医療を展開してくださいということで、現にこの会の先生方は、本当にがんばってやっていらっしゃると思います。

けれども、ここ1年ぐらいですか、「老人の専門医療を考える会は何をやっているのだ」ということで、「もう少し声を上げろ」というような要望が強いことをわたしも感じております。ただ、政党政治、それから特定の団体に偏らない、スポンサーはつけないというような、全部、手弁当でというのがわれわれの会の趣旨でございます。本当は今、政治課題として問題提起するというのは非常に有効な時期だとは思うのですけれども、そのあたりは実戦部隊の日本療養病床協会に任せるとして、やはり何と言われようとあるべき姿はこうだ、というのは言い続けて、せめて自分の施設ではそれを実践していきたいというように思っています。

ただ、やはり医療の質、あるいは老人医療の質を守るというような使命は、これからもずっと続いていくのだと思いますので、今後、慢性期医療に限らず、老人医療は急性期も当然あるわけです。緩和ケアもあるし、終末期もあるわけですが、老人医療というのはこうあるべきというようなことは、会として発信できるようにしたいと考えます。またそのためのディスカッションもしていきたいし、研究もしていきたいというように思っています。
齊藤

ありがとうございました。少し海外の話を最後にさせていただきたいと思うのですが、昨年スウェーデンに初めて行ったのですが、そこでおもしろいといいますか、考えたら当たり前かなという医療の体制がありました。

それは、ストックホルムから少し離れた郊外にある医療センターのようなところなのですが、そこのドクターは朝の9時から10時の1時間は、地域の皆さんからの電話を受ける時間と決まっているのです。電話を直接受けるのは医師です。医師が受けて、お話を聞いて、「今日はそのままでいいんじゃないか」「今日は来てください」「明日いらっしゃい」とか、あるいは「だったらすぐ訪問看護が行くよ」「わたしが今すぐ行きます」とかいうように、1時間を電話で応える時間と決めているのです。それで何が起こったかというと、夕方になってから飛び込んでくる外来がほとんどいなくなったそうです。朝、必ずその時間に何もなくても電話してくれる。患者さんといいますか、地域の方にとっても、相談がなくても電話で先生の声を直接聞くことができる。その話を聞いたときに、それこそ本当の医療のあり方といいますか、安心というのはそのようなことを言うのかなと感じました。お薬を出したり検査をしたりするだけが大事なのではなくて、その前に、やはりコミュニケーションをしっかり取り、その方にいつも寄り添っているという姿をお見せすることが今の日本の医療には、欠けてきているのではないかというのが一つ感じたことです。

それから、一昨年オランダに行ったときに面倒を見てくださった、オランダの厚生労働省に近い役所の方にこのようなことを言われました。「どうして日本はアメリカばかり見るんだ」と。「評価だ、何だと、そんなことばっかり言ってるアメリカばかりどうして見てるんだ」と。それで「日本の医療制度はいいじゃないか。何でそれを捨てようとするんだ」「もしどこかのまねをするんだったら、オランダをまねろ」と言われたのです。ダッチモデルと言っていましたが、「元々長崎に蘭学として入って、そこから日本の医療は始まっているんだから、まねするならオランダをまねろ」と。

その辺はウィットに富んだお話だったのですが、先ほど照沼先生が言われたように、日本の文化風土に合った医療というのは、おそらく今までやってきたことが日本の文化風土に合ってきたことだったのだろうと思うのです。それを、何でも大きく改革することがいいように思われていますが、やはりいいところはしっかり残していきながら、うまくいかないところだけを直していけるようにするべきです。病院や施設がこれだけたくさんあるのですから、それをなぜ有効に活用しないのかというようなことも、もう一度考え直す時期に今来ているように思います。

わたしたちの会はそのような心構えで今後もがんばっていくつもりでおりますので、ぜひ会員の皆様はもちろん、そうでない方も注目していただければと思いますし、平井会長が言われた「老人の専門医療を考える会は何をやっているんだ」というのは、事務局長であるわたしが言われたものというように受け止めて、何らかの活動を行い、皆さん方に発信していければというように思っています。ぜひよろしくお願いいたします。

それでは、これで終わりにさせていただきます。外は寒そうですので、暖かくして風邪を引かれないようにお帰りいただければと思います。それでは、シンポジストの4名の先生方にもう一度拍手をお願い致します。どうもありがとうございました。

「どうする老人医療 これからの老人病院」第30回全国シンポジウムをこれで終わりにさせていただきたいと思います。どうもありがとうございました。

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老人の専門医療を考える会 JAPAN ASSOCIATION FOR IMPROVING GERIATRIC MEDICINE