老人の専門医療を考える会 - 全国シンポジウム - 内容
第27回 『終末期をどう生きるか』
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基調講演T


基調講演T 最後まで口から食べることを大切に〜口のリハビリテーションのすすめ〜

栗原正紀彦

 皆さん、こんにちは。栗原でございます。私の話は、終末期の、もう少し手前の「どう生きるか」。日常の生活、病院、そして、在宅の生活を含めて、少し皆さんと、口のことを視点として一緒に考えようということで、このタイトルを選ばせていただきました。       

 まず、私の経験した症例を皆さんにご紹介いたします。もう随分昔のことですが、私が口のことを非常に大事だと学ばせていただいた症例でございます。もうご高齢で、私がまだ脳神経外科医として救急医療を行なっていた頃の方ですが、頭の血管が詰まって意識が昏睡状態になって運ばれてきた患者さんです。何とか命は取り留めたのですが、スライドをごらんになってお分かりのように、自分で座ることができない。それから、自分で食べることもできないし、おしゃべりをすることもできないという、非常に重度の状態になられた方です。

 家族が、「先生、もう治療をすることがなければ家に連れて帰りたい。みんなで一緒に暮らしていきたい。ただ、鼻から管を入れられているのは非常に忍びない。何とか口から食べさせてもらえないだろうか」と言われました。当時、私は口のことをあまり知りませんでしたが、何とかしなければいけないということで、看護、あるいは親しくしておりました歯科の先生と一緒になって、在宅に向かえるように努力した症例です。

 私たちがやりだしたのは、とにかく寝かせていてはどうしようもないということで、まず座っていただきました。しかし、座った姿は、後ろから支えていないと首もガクンと下に落ちてしまいます。つまり、赤ちゃんが、まだ首が据わらないのと同じ状態に、病気によって戻ってしまったということです。それで、後ろから支えてあげる。もちろん言葉もしゃべれません。とにかく、鼻から管を入れるのを何とかしてくれという訴えについて、確かにそうだと思いました。鼻から物は、普通は入りませんね。鼻からは空気しか入りません。物が入るのは口からだということで、口から管を入れました。経管栄養ですから朝・昼・晩に入れて、流動食を提供したあとは抜いてしまうという方法です。さらに、一生懸命座っていただくことをやったわけです。これは救急病院での話でございます。

 (スライド)少し反応が出てまいりまして、口から流動食が入っている状態です。次のスライドは、何を口の中にふくんでいるかというと、たまたま看護師さんが工夫して、割りばしの先に普通のパイナップルを冷凍して刺したものです。そうすると、パイナップルの酸っぱいといいますか、甘いといいますか、そのような味がしたのでしょう。唇が非常にうまく動き出したのです。そして、赤ちゃんがお乳を吸うように、チュッチュ、チュッチュと吸われているという状態を示しています。非常に豊かな反応が出てきました。そして、何とかお昼だけ口から食べていただくようになりました。さらに、ご家族には口から管を入れるという訓練をしていただき、家に帰っていただきました。

 スライドは、家に帰った状態でのご本人でございます。いかがでございましょうか。この方(入院されていた頃の写真)がこの方(在宅生活での写真)でございます。全く違う。この影響には、一つにはお孫さんの力が非常に大きいです。朝晩、お孫さんが学校に行くときに、おばあちゃんに声をかける。そうすると、非常に豊かな笑顔が出てきたそうです。もちろん、訪問看護あるいはご家族の手によって、ベッドの上に寝かせっきりということはありませんでした。このようなことを経験いたしまして、一つのきっかけではございますが、口を大切にするということは、その人の尊厳といいますか、その人を守ることにつながるということを非常に強く意識しました。

 さて、人間というものを私は少し考えてみました。いろいろな本を読みました。われわれ人間の体というのは直立2足です。大先祖が4本足で歩いていて、たまたまかもしれませが、2本足で歩いたときに、人間は重力と闘いながら生きるという宿命を持たされたということに気づきました。よくよく考えてみますと、人生のうちの3分の2は重力と闘うものだというように宿命づけられているのを、皆さんお分かりだと思います。つまり、起きる、座る、立つ、歩く、これが大体24時間のうちの3分の2です。こればかりやっていると疲れてしまいますので、8時間ぐらいは横になって寝ておけと、このような感じではないかと思うのです。

 ただし、重力と闘っていますが、重力をうまく利用して生活をしているということもあります。例えば、寝たまま大便をするのは非常に難しいです。ところが、座ると大便は出やすいのです。それは、重力で引っ張られているからという解釈もできると思います。もう一つは、使わなければ退化する。私は高知から参りましたが、有名な坂本龍馬は、当時、江戸あるいは京都まで歩いて行っていたのです。とんでもない話ですが、私にはそれはできません。われわれは、もう文明によって退化していっている。それから、もう一つは外界からの情報と応答の関係。何かといいますと、自分1人では何も自分を認識できないということです。外からいろいろな情報が入ると、われわれは応答する・反応するということで存在していることが分かります。

 すなわち、これら三つの原則を、もし一つでも逸脱していくと、とんでもないことが起こるということが、最近、多くの病院で警告されています。それは何かといいますと、われわれの体は寝かせきりになるとガタガタになる。これを廃用症候群といいます。例えば床擦れ。あるいは関節が固くなる拘縮。筋肉が委縮し、骨もまた委縮します。それだけではなく、肺あるいは心臓、消化器の動き、しまいには精神活動さえだんだんと衰えていくということです。

 つまり、病院で治療をする時は、安静にしなければいけないと昔からいわれてきましたが、どうも安静ということが、人間のあるべき姿を完全に逸脱した状況の中で治療をする。それが、先ほど言いました、重力とは闘わないということ。そうすると体はフラフラになっていく。大体、われわれでも丸2日ぐらい寝ていて、突然起きるとフラフラしますね。ましてや、お年寄りはこれが強烈にくるということが、まだまだ病院の中では認識が薄い状態です。

 先ほどの症例の、座っていただく、口からきれいに食べられるように訓練をする、刺激を与える、このようなことが、結果として、この方がきちんと車イスにも座れる、表情がしっかりするというところまでいったのではないかと思います。

 さて、口の話のスライドを少し見てみましょう。先ほど言いましたように、4本足から2本足になったときに、人間あるいは人類は三つの働きが口に備わるようになりました。その働きは、息をする、話す、そして食べる。この三つの働きを口でするようになりました。決して4本足の動物は話すことはできません。息をする、ものを食べることはできます。唯一、2本足の動物が言葉を話せるようになりました。人間以外で言葉を話せる動物は何でしょう。つまり2本足の動物です。九官鳥、オウム。言葉を話せるということは、「あいうえお」がきちんと区別できるかどうかといわれています。 

(スライド)この、たまたまいただいた乳児の写真ですが、この頃、お乳を飲む頃は、息をしながら飲んでいます。皆さん、試してみませんか。われわれは、ゴックンとツバを飲むときは必ず息を止めています。もしも何か飲み込むときに一緒に息が吸える人は、私がフランス料理をごちそういたします。ありえないのです。われわれの体は2本足で立ったときから、そのようになっております。2本足で立つ頃に、だんだんと口が進化していきます。呼吸と嚥下というのは、物を食べる・飲み込むということですが、息をするのと飲み込むのは完全に区別するようになりました。

 そして、きちんと2本足で立てたあとから話ができるようになりました。ですから、赤ちゃんは、この頃「おいで」と言えばきちんと来ますね。けれども、話せません。最初に話す言葉は「ママ」ですね。決して「パパ」ではないです。これは寂しい話ですが。いずれにしても、このような進化の過程と成長の過程は非常に相関しています。これに、口の三つの機能が備わった。2本足での備わり方。これが非常に複雑にできているわけです。脳の発達によって、これが支配されています。

 けれども、唯一困ることは、息をすること、言葉を話すこと、物を飲み込むことは、それぞれが別々ではありません。例えば、息があまりできない状態では、肺が悪くて呼吸が非常に悪い人は、おいしい物を上手に食べることはできません。つまり、ゴックンとするとき、人間は息を止めなければいけませんから、止める間がないほど息が苦しい人はうまく食べられません。あるいは、上手に食べられない人は言葉の張りを良くすることはできません。例えば、のどの奥でゴロゴロいっている人、湿っぽい言葉を出す人は、必ず何かの形でだ液が肺のほうに入っていったりします。このような三つの働きをきちんと見定めて少しでも安心して食べられるように支援することを、口のリハビリテーションという考え方でまとめました。

 これは、少し皆さんにご理解いただければと思います。物を食べるときは、「おいしいのかな」「食べられるものなのかな」「みんなで一緒に食べられたらいいな」というような格好で、目で見て、それがおいしい物、好きな物というのを認知する。そして、もしも唇をかんだり、歯が悪い人は、口の中に入れたときにボロボロッとこぼれますね。それもまた困る話です。舌が動かないと、なかなかのどの奥までは行きませんね。のどの奥に行ったときにきちんとゴックンとできるかどうか。このゴックンとするときに、飲み込んだものが肺に入ってしまうととんでもないことになります。普通ならせきをしますね。そして肺に入った物を出しますが、もしもそれができない状態、つまり、脳梗塞、あるいはお年寄りになっていくとだんだん体力が弱っていって、肺炎を起こしてしまう。

 つまり、この三つの機能が発達したために、ある意味では、気管に物が入っていきやすくなったという、逆にいえば危険性までも持つようになったというのが人間の宿命です。そういう意味では、このような、物を詰めて命が危なくなるということは、チンパンジーなどにはあまりないということです。

 そのようなことを認識して、われわれは、最後まで少しずつ口から食べられるようにするために、いろいろ工夫をするわけですが、どうも今までの医療の流れの中で、今でもそうですが、鼻から栄養をとるということを随分私もやってまいりました。これはこれで悪くはないのですが、残念ながら、本来あるべき姿ではありません。鼻から物を入れるものではありません。できるだけこれを抜こうではないかと、いろいろとみんなで頑張っております。まず、問題は、鼻から管を入れてしまうと口がほったらかしになってしまうのです。口がほったらかしになると、ここで、先ほど言いました「使わなければ退化する」というように、口の中がどんどん退化してまいります。

 まず第一に当たり前のこととして考えてみましょう。どのような障害があっても、あるいはお年寄りになったとしても、体力が失われていったとしても、われわれは本来、寝たままで物を食べるものではありません。寝たままで食べてもおいしくない。そうであれば、経管栄養、つまり管で栄養をおくるとしても、やはり座って栄養をするものだという考え方をみんなで認識しようではないかということです。そうでなければ、結局、体がガタガタになります。これは廃用症候群の話です。

 では、座らせるというのはどのようなことか、座るというのはどのようなことかといいますと、ただ車イスに乗せるものではありません。 

スライドの麻痺の患者さんの座っている姿は、「座らせる」あるいは「座らされている」という格好です。皆さんは、まだ元気でそれなりにリラックスされているから、いろいろな格好ができます。本来、座る姿は美しいものです。スライドの様に、背筋は真っすぐになっている。横から見てもこのように真っすぐです。麻痺のある患者さんでも、このような座らせ方、あるいは座っている姿を呈する方法がきちんとあります。これがある意味でリハビリの考え方、あるいは技術です。そのようなものをいろいろ利用すると、どのような患者さんでも真っすぐな姿勢ができるようになります。例えばクッションを入れたり、座りやすいものを敷いて、傾かないようにするという座り方です。

 もう一つ、健康なときはだれでも口をきれいにしようと努力します。若い人ほど、朝・昼・晩、もしかすると寝る前まで歯を磨きます。年を取ってくると口にだんだん気を遣わなくなるのは、少し問題です。年をとればとるほど口をきれいにしなければいけない。口の中に雑菌がだんだんたまってくると、肺に転がっていきます。これで肺炎を起こしてしまう。これが誤嚥性の肺炎として、今、非常に問題です。年を取っても口の中をきれいにしようということを、みんなで注意し合いましょう。元気で若いから口をきれいにするのではありません。

 例えば、このような問題は医療の中に沢山あります。非常に寂しい話ですが、例えば、舌が非常に汚い状態は非常に危険です。年を取っても口の中がきれいであるように、「おばあちゃん、口が臭うから嫌い」と言われないようにしなければいけません。老人会で、皆さんに気をつけていただきたいと、よく言っています。

 (スライド)このような口の中を呈している患者さんが入院されている病院は困ったものだと思います。われわれの病院ではできるだけこうならないように、みんなが頑張ってくれています。放置しておくと、しまいにはカビが生えてしまいます。このような状態は、ほとんどが鼻から管が入った状態の患者さんです。鼻から管を入れても、「将来は何とか口から食べてもらおう」とみんなが思えば、このような状態にはしないはずです。もうあきらめてしまったのかと思うくらいです。非常に危険な状態です。

 いろいろな方法があります。今は、歯科の領域では、非常に工夫されたブラシがありますし、舌をきれいにする物もあります。皆さん、歯を磨く時に舌までブラシをかけられていますか。タバコを吸う人は、ぜひ舌を磨いてください。

 それから、もう一つは入れ歯がうまく使われていないということがあります。例えば、病院に入院すると入れ歯が紛失してしまうことがあります。非常に困ります。入れ歯紛失事件というのは沢山あります。ご家族が注意してあげてください。何しろ入れ歯は固い物ですから、1週間入れていないと、もう合わなくなってしまいます。使わないとダメになるということと同じです。残った歯がグラグラになってくるし、全部入れ歯だと歯肉が委縮してしまいます。そうすると、もう合いません。せっかく時間をかけて作った入れ歯が合わなくなっては、どうにもならない。病院に別の病気で入院していて入れ歯が合わなくなるのは、どうも話がおかしいですね。

 もう一つは、病院に入院しなくても、健康な頃からうまく入れ歯を使われていないことが結構あります。非常に心配です。時には、仏壇に入れ歯が飾ってあるということがあります。これは非常に困ったものです。入れ歯をきちんと作っていただいて、うまく使うということを、もっともっと皆さんが注意しなければいけないと思っています。

 いかがでございますか。(スライド)一見すると、恐らく80代、あるいはもう90ぐらいに見えますね。しかし、入れ歯が入ると70代ぐらいに見えますね。単に見た目だけではなくて、入れ歯をきちんと入れてあげると、おいしい物はおいしく食べられるはずです。歯科の先生、歯科衛生士さん、病院のスタッフたちが一緒になって、このようなことを大事にするということがスタートラインではないかと、皆で今、議論をしています。また、何とかしようと言っています。

 高知では、口のリハビリテーション研究会まで作りました。なんと、会員が1,000人います。すごいと感激していますと、ある人が、「先生、高知では、人がいっぱい集まるのは情熱があるからです。ただし、熱しやすく冷めやすいですから注意してください」と言われました。

 もう一つは、食べる物の話です。どうしても口がうまく使えない人、脳卒中で使えなくなった人、少しだけうまく工夫すれば食べられる人には、見た目に食べたいと思えるような食事を食べていただくという提供の仕方がございます。非常に寂しい話ですが、食べたくならないような物を提供しているということが、結構あちらこちらであります。おいしそうな物を、安心しておいしく食べていただく。この心を、どのようなステージでも、ステージというのは、病院でも、在宅でも、施設でも、少しでも工夫ができるような時代になってくればと考えています。

 私は、これからの老人医療の基本というのは、栄養を豊かに取って、なおかつおいしい物を安心して口から食べられるように、そして体がどんどんダメにならないようにという、廃用症候群の予防、これがまず基本にあって医療が成り立つのではないかと思います。この口のリハビリテーションというのは、「どのような障害があっても、最後まで人としての尊厳を守り、『諦めないで口から食べる』ことを大切にする」というように書いてみました。恐らく、医療従事者に「あなたは、鼻から管を入れられて治療をずっと受けなくてはいけないとなったときに、それを望みますか」と聞くと、99%答えは「No」です。「でも、あなたは患者さんにそうしてますよね」と言うと、言葉に詰まりますね。「でも、忙しいから」と言ってしまいます。なかなか難しい事情があります。急には、みんな変わらないかもしれませんが、患者様からいろいろなものを学びながら少しずつやっていくことが大事だと思います。

 最後に、私がものすごく沢山の事を教わった患者さんをご紹介します。これは、もう十数年前の症例です。私が脳神経外科医として、救急の病院で仕事をしていた頃ですが、(スライド)これは頭の中の写真です。脳がスッポリやられてしまい、障害があります。これは左の脳ですから、言語に関わる脳がほとんど障害を受けてしまっている患者さんです。命は助かりましたが、ご主人が定年と同時に家に連れて帰ると言われ、本当に寝たきりの植物状態の患者さんでした。その当時は、私はまだ何も知りませんでしたから、鼻から管を入れて訪問看護をお願いしていました。歯科の先生と仲良くなり、その先生が「少しでも」ということで、口をきれいに、いろいろ試しにということで関わっていただいた症例です。

 時々私も訪問しましたが、情けないことに、私自身は聴診器を当てて、あとは何もすることができませんでした。けれども、歯科の先生には、一生懸命口の中を診ていただきました。歯科衛生士さんが口をきれいにして、いろいろな刺激を与えていってくれました。グラグラしている歯をすぐには抜かないで、できるだけその歯を固定できるようにと、いろいろな工夫をしていただきました。

 さらには、車イスに乗せて、いろいろ言葉をかけました。もちろん声も出ません。そのうち、少しずつ、何か動きがよくなるのです。このような症例ばかりではありませんが。そうすると、歯科の先生は、口の働きを、単に歯の治療だけではなくて、息の仕方を本人の前で行なっているのです。(スライド)ストローをくわえて「フーッとやってください」と声をかけています。すると、歯科の先生の言うことには、何となく息が届くのだそうです。

 そのように関わっていただいて、好きなメロンを左手で、完全に右は動きませんが、スプーンですくうようになりました。そして、音楽が非常に好きだったらしいですが、何となく、おもちゃのピアノの鍵盤を押して、音を出すようになりました。字を拾うようにもなりました。

 そして、最後に、これは本当に驚いたことですが、たまたま別の病気を併発して入院された時のことです。ご主人が、ご本人が好きな歌を隣で歌っていたらしいのです。この方はSさんというのですが、そのころは、「Sさん、おはよう」と私が声をかけると、「うんうん」と、このぐらいはされました。ところが、ご主人が1番の歌詞を歌って、2番の歌詞を忘れてしまった。すると、Sさんが歌い出したのです。最初に、スライドで頭の写真を見せましたね。言葉が出るはずがないのです。この出来事だけは、私はもしかしたら奇跡かもしれないと思います。けれども、座れるようになったのは、私が知らなかったからできなかったのです。みんなが寄ってたかってやった結果がここまでだったのですが、最後にご主人に「ありがとう」と言ってあの世に行かれました。

 そのプロセスをご主人が書かれて、自分たちで本を作られました。そのご主人ももうお亡くなりになっておりますが、最初の症例とこの方を見たときに、単に医術だけではなくて、みんなで、少しでも豊かにしようではないか、ほったらかさないということに努めていくと、ここまでにはなるのだということを教えていただきました。

 以上です。ご静聴ありがとうございました

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