老人の専門医療を考える会 - 全国シンポジウム - 内容
第26回 『痴呆高齢者とどう関わるか』
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9.シンポジウム

齊藤正身

 後半のシンポジウムに移りたいと思います。 それでは、ここからは当会会長の平井に司会をバトンタッチ致します。では、よろしくお願いします。

平井基陽

 司会を担当いたします、平井です。私は老人の専門医療を考える会の会長で、奈良県の秋津鴻池病院の院長と理事長を兼務しております。 最初に申し上げましたように、本日おいでくださった皆さん方が主役ということで、どのようなことでも結構ですので、ご意見なりご質問なりをお受けしたいと思います。

 最初に、今、発表いただいた方々に対して、「ちょっと分かりにくかったのだが、これはどういうことですか」とか、そのような質問から始めていただければありがたいのですが。そうでなければ何でも結構でございます。

 ただ、ご発言の時は、本日は様々な方が見えていらっしゃると思うのですが、利用者の立場、患者側の立場、あるいは医療提供者側の立場というようなことで、お名前と、差し支えない範囲で所属等とをおっしゃっていただければありがたいと思います。よろしくお願いいたします。  

 それではどうぞ。手を挙げていただければマイクを回しますので。はい、どうぞ。

発言者1

 訪問看護ステーションに勤務している看護師です。○○と申します。  

 実はいろいろ悩んで、本当に昨日まで、この仕事を退こうかと真剣に思いながら、職場に通っていました。

 訪問先では、本当にいいご家族に励まされる思いです。  

 あるご家族は、おばあちゃまがお独りでいるところを、わたしたちが様々な形でサポートさせていただいているのですが、お孫さんも素晴らしいし、お嫁さんも素晴らしい。ご家族皆さん素晴らしいという、とても感謝が多い患者様です。  

 学生さんと一緒に、前の週に一度訪問させていただいた際、お孫さんに初めて会いました。その時に、患者様がお孫さんに「ばあさん、百まで元気で生きろ」と言われている。このような子は、このようなおばあちゃまから育つのだなと感じるようなケースで、見ていて本当に幸せだなと思います。そのような所でお手伝いをさせていただいております。    

 本当は、学ぶことのほうが多いです。

 いつ、介護される立場に自分がなるか分からないから、こういうことは順番だということを、私なりの言葉でお伝えすることがよくあります。本当にそう思います。  

 私自身、本当に悩みに沈んでいて、でも明るく訪問したのですが、患者様は、私を待っていてくださるのです。それで、たまたま、ゆっくりお話しを聞いてあげられるチャンスを得まして、聞き手に徹して、「お孫さん、本当に素敵だね」と尋ねたのです。そうしたら、お孫さんに「『ばあさん、今、感謝度何%だ?』と聞かれる」ということを初めて聞きました。「今、100%」と答えると、「そりゃあ、ちょっと足りないんじゃないか」と言うそうです。「130%だ」と答えると、「まあまあいいな」と言うそうです。なんて素晴らしいのだろうと思った時に、この仕事を辞めてはいけないと思いました。頑張ろうと思っています。  

 最後に、木島さんがご自分の体験を話してくださって、本当に勉強になりました。言葉の大切さ、まだ亡くされてから間もないのにお話を聞かせていただきまして、本当にありがとうございます。  

 本当に今日は来てよかったと思っています。ありがとうございました。

平井基陽

 ありがとうございました。辞めなくてよかったです。頑張ってください。ほかにございますか。どうぞ。

発言者2

 秋田県から来ました。医師です。  

 最初の斎藤先生に伺いたいことがあります。  

 痴呆性高齢者のための制度として、地域福祉権利擁護事業、これは費用が安いというお話でしたが、実際、わたしどもの地域にも、このようなことが必要と思われる患者さんが大変多いのです。  

 けれども、そのような場合に、ほとんど年金しかもらっていない方が任意後見制度などを受けるときは、費用が大変で受けられないのではないかという話があるのですが。  

 これに掛かる費用など、その辺についてお聞きしたいのです。

斎藤正彦

 任意後見契約は全くの任意契約ですから、受け手がいくらで受けるかによるのです。公的後見の場合の、例えば後見保佐の費用というのは、原則として家庭裁判所が決めます。いくらかかったということを申告しますが、家庭裁判所が決めます。  

 一般的に任意後見を、例えば弁護士さんや、「リーガルサポート」という司法書士の組織が全国組織で財団法人を作って、保護してくれる人がいない人のために、後見人を派遣するという仕事をしています。そのような所だと、財産の多寡にもよりますが、月に2、3万円かかります。  

 ただし、地域福祉権利擁護事業は、数百円から千円、二千円、そのくらいの単位です。  

 それから、生活保護世帯に対しては無料になります。

 ただ問題は、地域福祉権利擁護事業は全国でやっているはずなのですが、地域の社会福祉協議会の力量によって、ものすごく力の差があります。

平井基陽

 よろしゅうございますか? はい、ではどうぞ。

発言者3

 介護老人保健施設から来ました、○○といいます。  

 土田先生と齊藤先生にお伺いしたいのですが。  

 うちは、老健施設100床で、痴呆専門棟が50床あるのですが、やはり他の施設や他の病院では受け入れができないという方がほとんどで、結構重症の痴呆老人が多いのです。  

 その中で、土田先生がおっしゃった行動障害と原因というのをアセスメントして明らかにして介護しているのですが、情熱だけではできないものがあります。やはり精神科の先生に適切なアドバイスをいただいて、介入してもらうということができるといいと思います。  

 しかし、精神科の先生は、分裂などには興味があるのですが、痴呆専門で興味を持たれる先生は少ないように思えます。1回の受診だけではなかなか解決できないものがあり、結局行き着く所は、今まで利用していた老健などです。     

 そのようなことでいつも葛藤しているのですが、精神科との連携やコミュニケーション、お医者様の考えなどをお聞きしたいと思います。  

 それからもう一つは、この行動障害と原因のように、痴呆に対するケアの方法で最新のものが開発されているのですが、それに現場が伴ってないというところもあると思うのです。例えば、グループホームがいっぱいできているという話しを聞いています。群馬県もかなり多くあるのですが、その中でケアするスタッフが、あまりにも素人の方が多いのです。「なるべく受け入れて」とは言うけれども、専門的な知識がまだまだ普及していないと思うのです。それも悩みの種です。  

 そのようなことをどうお考えなのか、二つほどお聞きしたいと思います。

平井基陽  では、土田さんから先にお願いします。
土田昌一

 当院で行動障害のあるような患者さんには、最初にいろいろと工夫しています。  

 先ほど申しましたように、薬を整理するだの、血液検査をしてビタミンが足りないだの、ああだのこうだのとやって、結局、整理したら全然変わらなかったという方がたくさんいるのです。  

 そのようなときに、以前は精神科の先生の所に相談して、お送りしたことがあるのです。そうすると、寝たきりになって帰ってくるのです。ほとんど何か、目を開けているか開けていないかの状態で帰ってこられて、またこの薬の整理が始まるというようなことが繰り返されているうちに、「なんだ、それだったらうちでやろうか」という話になりました。  

 あとは、ダイナミックな責任をだれが取るのかだけなのです。  

 薬の説明をするのが医者の責任でもあるので、少量から始めたり中等量から始めたり、向精神剤と言われている薬で、副作用が少ないお薬を選んだり。それに加えて抗てんかん剤を入れたり。それから鬱、先ほどの分析の中で鬱ではないかというので、鬱病薬を処方することもあります。  

 それから以前、嫌な体験をされたことをご家族が覚えていてくださると、それによるパニック障害というのがあったりするのですね。痴呆があってというよりも、分析してくると、この人がなぜこのような行動を取るのかというところが見えたときに、薬を少し合わせてみる、というようなことを、今やっているのです。  

 当院の場合は、できるだけ身体拘束はしないようにしているのですが、ほかの患者さんのベッドにもぐり込んだり、この前あったのは、理由は何だかわからないけれども、他の患者さんに、「どけ」と言って蹴飛ばして、杖でたたいたという方がいました。そのような方に関しては、落ち着くまでの間、4人部屋を一人で使ってもらったりします。たまたまベッドががら空きの時代がありまして、そういうことができたのですが、そのような環境設定ぐらいしかできないです。  

 老人保健施設の痴呆棟というのは、当院の近隣の場合、大体半年待ちなのです。グループホームは、下手すれば「今年中に入れますか」というような相談なのですね。老人福祉施設は、3年から4年なのです。そうしたら、結局、行き場がない。当院から出ていってくれと言っても、精神科の痴呆病棟というのも、これまたなかなか入れない。結局、在宅に帰るという話を持っていかなければいけない。在宅は無理だろうとした場合に、先ほどお話した、「大声さえ出さなければ」というのがここで出てくるのです。  

 一度、患者さんが連日連夜大声を1週間出され、自治体の会長さんが来て、「なんとかしてくれませんか」という話になりました。やはりその時は、申し訳ないが、精神科のいつも相談している先生と同じだけの薬の量を使っていったん寝ていただいて、それから微量調節を始めたということをしています。  

 薬物療法というのは、恐る恐るやっていても困るというのがあるのですが、やはり必要なものは絶対しなければいけない。けれども、先ほどお話ししたような分析というのですか。状態をきちんと把握した上で薬を整理しておかないと、「パーキンソンですよ」と言ってパーキンソンの薬であおられて起こっていたことが、やめれば何のことはなかったというようなことをよく経験するものですから、そのような経過がやはり1か月ぐらいあるのです。その上で対応しています。  

 それから、もう一つの現場とのギャップというのは、今申したように、施設で受け入れていただけるキャパシティがほとんどないのと、どこの施設に行っても皆疲れているのですね。先ほど帰られた方がおっしゃっていましたが、「もう自分は向いてない」とか、介護されている方の自己責任の範ちゅうが大きくなっているように思います。自分の能力がないように思われていて、燃え尽きてしまうというのですか。齊藤克子さんがおっしゃったように、「ハッピー、ハッピー、ハッピー」ではないですね。ちょっと崩れると全部アンハッピーになって、グルグル回ってしまう。これは当院でも関連の所で同じことが起こっています。何かいい方法はないか、逆にわれわれも悩んでいるところです。  

 言えることは、やはり職員の方々が燃え尽きないように、だれかが聞いてあげなくてはいけないということで、全然違う職種の方に来ていただいて、病院の悪口を言っていただいたりということを行っているようです。その方のお話は、一切外に出さないということで、私も聞いてないのですが。昔で言えば、袋の中にしゃべればいいというのがありましたね。そのような場を設けて、少しやり始めています。リレーションが悪くて、とにかく困っているのは変わらないですね。

平井基陽  齊藤先生お願いします。
齊藤克子

 精神科の先生の、痴呆に対する理解の有り無しというのは、確かに、常日頃私も感じていることです。  

 ただ、精神科の先生というのは、ずっと診ているわけでなくて、受診の時の姿だけしか診ていなければ、やはり分からないことは多いと思うのです。  

 私は、精神科の先生の診断やアドバイスは非常に参考になるので、それを聞いた上でお薬も一応相談するのですが、実際にはほとんどその用量では使えなくて、いつも診ている私が、診断やアドバイスを参考に量を調節するというようなことをさせていただいています。  

 やはりそのように、常日頃診ている者が一番よく分かるという自信を持って行っています。  

 ケアのことは、そうですね。確かに、グループホームとか、デイサービスなどがどんどんできていて、きちんと教育が出来ていなかったりということがあると思うのですが、やはり、一人の方にどういうケアを行っていくかということを、議論したり試行錯誤しながらみんなで考えて、一人一人から経験を増やしていくということが基本になるかなと思います。  

 すみません、お答えになっているかどうか。

発言者3

 どうもありがとうございました。

平井基陽

 斎藤正彦さん。今、お二人とも、精神科にはアドバイスを求めるけれども、あまり役に立つ実際的なアドバイスは少ないというような話もございました。  

 斎藤正彦さんは、老年精神科医のスペシャリストでもありますので、今のお二人のコメントに対するコメントでもいいのですが、一言お願いいたします。

斎藤正彦

 精神科医に対する皆さんのイメージというのは、「ああいう所に行くとひどい目に遭う」という非常にネガティブな印象か、そうでなければ、「1回会ったら心理的な問題はすべて改善するのではないか」という万能感か、どちらかなのです。  

 精神科医はただの医者ですから、一度だけ外来を受診されて、「こういう問題行動についてどうしましょうか」と言われても、何も分かりません。  

 ですから、もし施設を持っていらっしゃるのであれば、やはりしかるべき信頼できる精神科医と日常的な接触を持つべきだと思います。  

 痴呆の患者様の精神症状や問題行動というものは、一つは環境とか心理的な要因で起こりますね。もう一つは、脳が壊れてくるという、アルツハイマーにしろ血管性痴呆にしろ、脳の組織そのものが壊れたことによって起こってくる認知の障害であるとか、あるいは行動そのものが神経症状であるということがありますので、脳が壊れたことによって起こる症状がある。そこまでは別に精神科医でなくても良いのだと思います。神経内科医でも、痴呆を診なれた老年科医でもいいのです。  

 精神科医に相談しなければいけないのは、問題行動や精神症状に、その人の持っている素質や心理的な環境が関与している場合です。同じ妄想を持つにしても、分裂病的な妄想が発展していく方もいる、全然そうならない方もあるわけですね。  

 抗精神病薬は鎮静薬だと皆さん思っていらっしゃるけれども、そうではないのです。いろいろな種類の抗精神病薬がありますが、それらの薬は、もちろん鎮静にも使えますが鎮静は二次的な目標であって、例えば鬱症状をどうするのか、その鬱症状のオリジンといいますか元は何なのか、あるいはこの人の攻撃性の元は何なのか、この人の妄想を形成している頭の中のメカニズムは何なのかということを考えて、たくさんある抗精神病薬の中から薬を選びます。  

 けれども、それを1回の受診で1時間話を聞いて、しかも付いていらっしゃるのがご家族ではないと、やはりその方が持って生まれたその80年の人生のほとんどが分からないわけですね。今の断片、ここでみんなを困らせているという断片だけしか分からないわけで、それで「なんとかしてくれ」とおっしゃられても、それは大抵の精神科医が何もできないだろうと思います。だから、付き合い方の問題であろうと思います。  

 それから、先程発言された方は、群馬県とおっしゃいましたか。群馬県は、なぜだか知りませんが、グループホームについて言えば、やはり政策の責任だと思います。ものすごい勢いで作っていて、私どもの研究員が一人頼まれて職員の講習に行ったのです。新たに施設を作るという人たちの講習会です。そうしたら、その人が言うには、これは言っていいか分からないけれども、「土建屋さんの入札現場に来たかと思った」と。「うちの工場の土地が空いていて、そこに作るのだがどうしたらいいか」とか。それは、自治体の責任で、地域ごとの問題があるのだと思うのです。  

 自分たちの地域の福祉をどうするかということについて、税金を払うだけではなく、やはり住民がはっきりものを言わないと、そのようなことが起こってくるのだろうと思います。

平井基陽

 ありがとうございました。どなたか、ほかにご質問はございませんか。それでは、またあとでお伺いします。  

 本日、利用なさる立場から、木島さんの非常に貴重な体験をお寄せいただきました。その中で私が「なるほどな」と思うのは、木島さんの、例えば「呼吸不全になるときに管を入れますか」という、おそらく気管のチューブを入れることだと思うのですが、そのときに家族で決めなさいということ。その点がまず一つですね。家族が決めなさい。  

 それからもう一つは、家族で返事をした。返事をしたことが、その人の命を左右すると。木島さんは、「父の命を私が決めた」というようにおっしゃいましたね。おそらくこれは、医療者側、医療の提供側にも同じことが言えるのではないか。  

 一番最初に斎藤正彦さんがおっしゃいました。「いろんなことをゆだねる制度はあるけれども、医療に関しては任せるような制度はないのですよ」と。  

 まさにこの三つの点で、少しシンポジストの方とディスカッションしてみたいと思うのです。  

 藤田さんに聞きましょうか。先ほどの木島さんのお話で、どのようにお感じになりましたか。

藤田博司

 まず、私の発表の症例の中で、経管栄養をするかどうかを家族と相談するというのが出てきました。結局のところ本人が決めなければいけないけれども、本人が決められないときどうするかというのは大変な問題になります。では医者が決められるのかというと、医者は、だれも何も言わなければ一番命が長くなる方法を普通はとると思うのですね。  

 これは、療養型病院の場合はどのような方法にしても、看護師にしろ介護職にしろ、スタッフがしっかりしている所であれば、どのような方法をとってもその中でのQOLは多分、ある程度までは維持できます。   

 ただ、本人の人生観がどうだとか本人がどうしたいかというのが、そこの中には生かされてこない、という問題があるのです。そうすると、わたしたちがいつも次に考えるのは、一番ご本人のことを分かっているのは誰だろうということです。そうすると、どうしてもご家族に相談を、というお話になってしまうわけですね。  

 ただ、先ほど木島さんの話を聞きながら、若干私も反省しているところはあるのですが、やはり時間がいるということが一点ですね。それから、本当に患者様の状態をご家族がきちんと把握できるようにわたしたちが話をしているかどうか、これが一番大事なことなのです。そして、そのために今からしようとしている、管を入れるとか入れないとか、心臓マッサージをするとかしないとか、そのようなことがご本人にどのような影響を与えるのか。そのことが本当に医療として効果がすごくあることなのか、そうでもないことなのか、きちんとそこをお話しして、というところが、やはり一番の重要な点ではないかと、私は今のところ思っています。  

 最近なのですが、ムンテラといいますけれども、ご家族への説明をするときに、あまり医者一人でしないようにしています。病棟看護師、あるいはリハビリスタッフ、あるいはMSW、関わるスタッフを必ず同席させて、私の医者としての現在の見解、患者様の状態、これからやろうとしている医療行為のこと、それから看護師から普段の病棟での状態であるとか、看護師の目から見てどうであるということをお話して、ご家族にそれを伝え、ご家族にもしっかり考える時間を取っていただく。それまでの間、あとどのくらい時間がありますよということをそこで話しますが、それをしっかりした上で判断していただくしか、今のところ、私は方法がないと思っています。  

 ご家族に患者様の命を左右させるという部分を、もし私が今までお話をしていたご家族が持っていらっしゃるならば、非常に反省をしなければいけないことではないかと思っています。

平井基陽

 ありがとうございました。  

 齊藤克子さん、在宅では、今、われわれが病院で直面するような、そのようなことは比較的少ないのですか。結構あるのですか。

齊藤克子

 同じようにではないですが、場面はあると思います。  

 でも、在宅の場合は、施設内にいるよりは、比較的その家庭の中に入っているということで、家族の状況や気持ち、時々刻々変化していく気持ちを、特に訪問看護師さんやヘルパーさんはそうだと思うのですが、とてもよく、とらえられているのではないかと思いますので、病院内で話すよりはご説明をしやすい状況にあると思います。

平井基陽

 ありがとうございました。  

 斎藤正彦さんにお聞きします。法律的に、あれやこれやといろいろな思いがあるとは思うのですが、ここは法律的にどうなのかというところを、まず斎藤正彦さんにお聞きしてから、また議論を始めたいと思います。

斎藤正彦

 私は医者ですので、法律家ではありません。  

 成年後見法学会というのを法律の先生と一緒に行っているのですが、先ほどの、成年後見には代諾の権限がないと言っているのは、法務省ということが、そこで議論になっています。  

 法務省は、成年後見法が議論されているプロセスからずっと、成年後見人には入院の契約をする権限はあるが、最終的なところで蘇生をするかしないかとか、経管栄養を入れるか入れないかとか、あるいはガンの手術をするかしないかというようなことについては権限がないということを、明確に何度も何度も繰り返しています。  

 けれども、法律家の中にも、それでは駄目なのではないかという人がいます。成年後見人にちゃんとした権限を持たせろという人もいます。そのようになっていくだろうと思います。  

 今は、完全に法律が欠けています。法律の抜け穴ですので、法律的にはなっていくだろうと。ただ、私は、成年後見人に任せればいいとは思っていないのです。私は、もう少し、何か、第三の制度を作らないと駄目だと思っています。法律的には全く抜け穴です。

平井基陽

 ありがとうございました。  

 今のようなことに医療関係者は常に直面しているわけですが、そうでない利用される方は、やはりこのようなところに、今、大きな問題があるのだというようなことを知っていただけたかとは思います。  

 ほかに何かございますか。はい、どうぞ。

発言者4

 老人病院情報センターの○○と申します。  

 やはり、今おっしゃったように、胃ろう造設の話などのご相談をとてもよく受けるのです。ご相談に来られるご家族が、本人はもう意思決定はないから、病院でこれをすれば、例えば特養に行けるとか老健なら行けるとかいう、ケアをする側の立場で決定をするように家族に言うらしいのですね。ですけれども、ご家族は、来られる方はお一人ですが、ご家族・ご兄弟5人いれば一人一人意見も違うと思います。  

 わたし自身はこのことについて非常に興味がありますので、そのことは、われわれの世代は自分で決めておいて、家族と自分が死ぬときはこのようにしてもらいたいということを、法というようなことを、きちんと今、皆さんで考えましょうということをやっていきたいと思っているのです。  

 この間のご相談で、痴呆のお年寄りの胃ろう造設をするのにどうしようかというご家族が来られて、その方は、お父様は判断できない状態なのですが、多分、父親は、尊厳死協会に入っているから、そのような無駄な延命はしてもらいたくないと思う。けれども、そのことを現場のお医者様に言っても、お医者様は尊厳死協会に入っていることや、本人の意思をあまり尊重してくれなくて、とにかく「これをしないと死にますよ」というようなことをおっしゃるらしいのです。病院とか、その先生のお考えによって、家族の説明なども違ってくると思うのですが、よく理解していただけない先生などがいるので、ちょっと困っているのです。そのことを、特に高齢者の病院の先生たちは、どのように考えているかということを、患者さんの家族に伝えてほしいと思っているのです。   

 今日の先生たちの話は大変よく分かって、わたしどもも安心しているのですが、そのようなことを病院全体で考えていただきたいといいますか、そのようなことを望んでいることは、病院としてどのように取り組んでいっているのか、お聞きしたいと思います。

平井基陽

 ありがとうございました。  

 木島さんにお聞きします。今、少し、皆さんの意見なり議論なりをしているわけです。お父さんがお亡くなりになったあとなのですが、「今から思えば、このように言ってくれたらもっと救われたかな」というようなご感想はございますか?   

 先ほど、「自分がお父さんの命を決めた」とおっしゃいましたね。「そうだな」とわたしも思うのですが。

木島美津子

 検査をされた先生3人ぐらいと看護師さんなども、非常に説明は丁寧だったのですが、病状についての説明ですね。今、このような重篤な状態で、このような状態を起こしていると。そして突然、管を、という話になったものですから、もし説明していただけるのだったら、そのような状態がどのようになるのかというような、経過の予測をお話しいただければと思いました。人工呼吸器になるというのも、こちらの質問でようやく分かったのです。  

 こちらは本当に、一つずつ説明していただかないと、この状態が次にどうなるかというのが分からないわけです。

 医療者の方は、分かっているから説明できないのでしょうか。専門家だから、その辺は分かりすぎてしまって、わたしたちのような素人には、説明が端的になってしまって、わたしたちには、もっとかみ砕いて話してくれないと分からないということがお分かりにならないのだなと思いました。  

 それでもう、本当に自分が決めてしまったような感じになりました。

平井基陽

 ありがとうございました。ほかにございますか。では、前の方からいきましょうか。どうぞ。

発言者5

 有料老人ホームで看護師をしております。  

 先ほど木島さんのお話にありましたように、わたしは実際に職場でご家族の方に対して、胃ろうを造らなくてはいけない、経管栄養をしなくてはいけないときに、「ご家族の方で決めてください」と今まで言っておりました。先ほどの話を聞いて、本当に頭をガーンとやられた気分です。看護部門の責任者として、ご家族の方に決めていただくのが一番、あとあと後悔しないと思って信じてやってきました。  

 ただ、そのような話を聞いて、また違った考え方もあるのだと思って、また明日から悩みながら仕事をしていくと思います。  

 藤田先生のお話にもありましたように、これから本人に与える影響や、それを行ったことで、どのように良くなっていくとか、変化があるのかということを、よくご家族に理解していただいて、後悔なく決定していただけるようにしていきたいと思います。  

 ご家族の方に「経管栄養をしますか」、「胃ろうを造りますか」、「それともこのまま自然に老衰と認めて自然な看取り方をしますか」という考えを聞くときに、藤田先生、何かいいアドバイスはございますか。単刀直入に「しますか、しませんか」と聞けたら一番いいのでしょうが、ご家族の心情を考えると、なかなか単刀直入に言えないこともあります。  

 あと、高齢者ご本人が肺炎を起こされて、「もうこれでやっとお迎えが来るかと思ったのに」、抗生物質と点滴をして良くなって、「そう簡単には死ねないのね」と言われた時、自分たちの信じてやってきていることが、少し間違っているのかな、と迷うこともあります。  

 どのようにご家族の方に説明し、決定していったらいいのでしょうか。アドバイスお願いします。

平井基陽  ではお願いします。
藤田博司

 普段行っていることをそのままお話ししますが、まず端的に「経管栄養しますか、しませんか」、「胃ろうにしますか」とか、「延命しますか」というお話をしません。  

 まず、現在の患者様の状態を、なるべく分かりやすい言葉でお話するということにしています。特に長い経過で、例えば老衰ということになったら、かなり長い経過を診ていますので、その件については、場合によっては病棟看護師長であるとか、リーダーナースであるとか、病棟でいつも患者様に接している人も同席させます。  

 そして、今、その患者様がどのような状態にあるのかということをできるだけ細かく説明して、その上で、「では今からの方法としてこのようなものがあるけれども、どうしましょうか」というお話をすることにしています。  

 端的に「胃ろう付けましょう」、「経管栄養しましょう」、「食べられないのだから、経管栄養にしたら栄養が取れますよ」というお話ではなくて、様々な場所でお話しする時に言いますが、わたしたちは患者様に携わっている時、その方の人生の、本当に一番最後に出会う人かもしれないのですね。一番最後にお世話をする、一番最後にその方の命に携わっているかもしれないという思いがあれば、その人の人生をずっと見ていった中で、今はどのような状態になっていて、これからはどうなるかということのお話から始めたほうが、ご家族も判断がしやすい。  

 わたしたちは判断できないということは確かなのですね。あくまで、だれかが判断しなければいけない。ご本人であればそれが一番いいのですが、どうしてもご本人が判断できなければ、一番近いご家族の方で判断していただくことになるのです。  

 しかし、そのためのサポートは、われわれの責任です。ですから、それをしっかりしなければいけないと思っています。  

 それから、先ほど尊厳死協会の話が出ていました。昨年の日本療養病床協会の全国大会で、尊厳死協会の理事長と私とシンポジウムをしましたが、全国の病院で尊厳死協会の尊厳死の宣言を持っていったら、大体80%ぐらいの病院は受け入れてくれているようです。  

 ただ、尊厳死協会の発行している尊厳死の宣言の中に「痴呆になって」という項目はありません。今のところ、ガンの場合と重症意識障害になって、もう障害が永続すると認められた場合というのは書いてありますが、「痴呆になって、そのために判断力が無くなって食べられなくなったときはどうしますか」というのは書いてありません。ですから、その辺については今から議論されるということです。  

 お答えになりましたでしょうか。

平井基陽

 ありがとうございました。それでは、その後ろの方、どうぞ。

発言者6

 療養型病床の介護保険病棟で働いている、○○と申します。  

 先ほど藤田先生のお話の中で、拘束はほとんどしていないということでした。  

 私も今、自分の担当の患者様で、胃ろうを、NGを抜いてしまう恐れがあるということで腕を拘束してしまっている患者様がいるのですが、すごく抵抗があり、家族の方からもその悩みなどをたくさん聞いて、私自身もとても悩んでいるのです。  

 やはりいろいろとリスクが高いと思うのですが、拘束をしないということで、先ほどの話と少しかぶってしまうのですが、そのような方、本人ないし家族の方へのムンテラはどのようにしているのかということが一つ。  

 土田先生もお話しされていたように、共同生活をしていく中で本人だけの問題では済まない部分もあると思うのです。  

 先ほども話されていた、「みんながハッピー」ということで、家族だけではなくてスタッフの満足度といいますか、拘束をしたくないけれどもしている。しかし、拘束をしていないということで、やはり何か「ああ、していないのだ」と言える、介護・看護する側からしてみれば良い気持ちの部分と、やはり手が掛かると言ったら失礼ですが、少し大変な部分もあると思うのですが、その辺をスタッフの方がどのように感じられているのかということが一つ。  

 それから、木島さんたちご家族の方は、拘束されている患者様、ご自分のご家族だけでなくほかの、周りの入院されている患者様が拘束されているのを見て、どのように感じているのかということが一つ。

 全部で三つのことについて、お聞きしたいと思います。

平井基陽

 どうしましょう。先に木島さんに聞きましょうか。

木島美津子

 父が入っていた病院でも拘束されている方はいましたが、家族側も、仕方ないと感じているのではないでしょうか。  

 私もその方にたたかれたりしたのですが、常時その人の所に職員の方が付いていられない状態がありました。その時、私はよく見ていたのですが、かなりの部分で関わっていらしたのですね。食事の時、どうしようもない時に縛られていたのを見て、はっきり言って複雑な思いでした。それがどうしても必要なのかな、今、人手がないから仕方がないのかなというような思いで見ていました。あのような時は人手をどうするのかなと。職員だけで行っていると、かなりきついのかなと思ったりしました。  

 あまりいいとは思いませんでしたが。できれば、拘束はないほうがいいと思います。

平井基陽  ありがとうございます。では藤田さん、お願いします。
藤田博司

 身体拘束の問題は、大変な問題だと思います。  

 まず一点目なのですが、急性期病院の場合、命にかかわるという場合は、やむを得ないことがあるかもしれません。私も下関市内で急性期病院の勉強会に行きますが、脳神経外科で頭の手術をして、その晩、頭にドレーンが入っているのを引き抜いてしまった、たくさん管が入っているのにベッドから落ちてしまった、これは大変な問題になりますのでね。これはある程度はやむを得ない部分があるかもしれません。  

 では、わたしたちの療養型病床でどうですかというときに、まずスタッフの話ですが、今質問された方にお聞きします。抑制身体拘束をして「つらいな、つらいな」と思って仕事をするのと、多少大変だけれども、身体拘束をしないで「忙しいな。でも身体拘束してないよ。でも忙しいな」というのと、どちらが精神的に働きやすいと思いますか。

 
発言者6

 忙しい中でも拘束をしないほうが、私は働きやすいです。

藤田博司

 そのことを施設長に言ってください。身体拘束をやめるには、まずトップの決断が要ります。  

 なぜかといいますと、私が先ほど出したデータの痴呆高齢者の身体合併症で、なぜか骨折というのが非常に多かったのですね。3年間で30件あります。これには、ご家族からクレームは一件もきていません。  

 わたしたちは、入院してこられるときにご家族に説明をします。「わたしたちは身体拘束をしません。徘徊されれば歩いていただきますし、フラストレーション、要するに欲求不満を取ることが、一番、その方の痴呆症状を緩和することになります。環境を整えて本人が満足するように生活するためには、絶対にしません」というお話をします。「その代わりに、骨折ということは当然あり得る。あるいは、離院、病院から出ていってしまうということもあり得るかもしれません。最大限わたしたちのできる範囲で見ていきますが、100%防止はできない」ということをお話しして、「抑制はしない。しかし、骨折などが起こるリスクもあります。それでもよろしいですか」という了解をいただきます。  

 もし、それでも「私の母を縛ってください。そうなったら、もう部屋に閉じ込めてください」とおっしゃる場合は、入院をお断りしています。そこまで決断して行っています。  

 先ほど、鼻の管を抜いてしまうとか、胃ろうを抜いてしまうという話があったのですが、抜いて何か危険なことがあるのでしょうか。胃ろうのチューブを抜いたからといって、命には関わりません。職員が「ああ、抜いてしまった。大変だがまた入れなきゃいけない」ただそれだけのことです。鼻腔チューブだと、栄養剤を流しているときに抜くと誤嚥して、肺炎を起こして、あるいは窒息します。だから、栄養剤を流しているときだけは、必要であれば職員が付きます。場合によっては、2、3人の患者様にナースステーションに来ていただいて、ナースは机に付いて3人を、ずっと声を掛けながらニコニコ笑って見ていればいいのです。栄養剤を流してないときに鼻腔チューブを抜いたからといって、何も問題はないと思うのです。点滴にしても、チューブが本人の目に入らなければ抜きません。胃ろうチューブなどは、例えばさらし1枚ちょっとおなかに巻いてあげれば済むことかもしれないのです。

 まず職員の皆さんと病院全体で身体拘束をやめる、命にかかわることでなければ気にしない、というぐらいの気持ちで本当にやっていくという姿勢を示せば、身体拘束は無くなります。

平井基陽

 木島さんどうぞ。手が挙がりました。

木島美津子

 今、目からうろこでした。家族の覚悟という、ドクター側とか施設側ばかりではなくて、こちら、受ける側の気持ちがしっかりしていなければいけないというのを改めて思いました。私も拘束に反対です。

平井基陽

ありがとうございました。ほかに何かございますか。何でも結構ですが。どうぞ。

 
発言者7

 私は、定年を迎えて、今年で3年目になります。現在、心療内科に通っています。鬱病、アルツハイマー、痴呆、脳梗塞、頭痛持ちです。これからどうしていったらいいのかと思っています。一昨年に1回、その前の年に2回倒れています。これも医者に言いまして、一応、薬は調合してもらって、今のところ落ち着いているのですが。  

 今まで会社だと24時間、9時から5時、6時までスケジュールが埋まっていますが、定年退職になると真っ白なのですね。定年後の1日のスケジュールの使い方を立派にやれば、問題は出てこないのです。定年退職になってから、大体病気が出てきます。  

 今、私は治療していますが、はっきり言って成年後見制度ですか、これを取り入れようかと思っているのです。うちの女房は、公証役場で、「私が死んだ場合には全財産渡す」という書類を作ってあるのですが、私の場合はまだ作っていないのです。二人で生活していまして、現在、子供がいない。そのような状態で自分が、今しっかりしている間に、成年後見制度を付ければ非常にいいのですが、今のところ、まだそれはやっていません。  

 だから、定年退職後の1日の過ごし方というのが、真っ白になってしまうわけですね。これがはっきりして、充実しないと駄目です。私は、毎日外に出るようにしています。熊谷に住んでおりますが、東京へも出てきます。今回のような講演があれば必ず出てきて、いろいろな知識を得て、逆に先生に教えるようなこともあります。  

 それから、今回、いろいろ話を聞いていたのですが、これは日本国内だけの話なので、国外の話を事例で出してもらいたいのです。ということは、日本は菜食主義ですね。外国は肉食主義。それによって、データが違ってくるのです。それも日赤の広尾病院の方にいろいろ話したら、外国帰りの医者が3人いたのに、何も答えてくれなかったというのが現状です。  

 ですから、私は今、このような5つの病気を抱えていますが、定年後、自分たちのスケジュールを充実できるような形をとらないと、ますます頭を使わなくなります。知識も入りません。これは自分の努力しかありません。わたしはもう12年、座禅をやっております。ほとんど悟りは開いております。これは皆さんには言えません。これを言ったら、もうおしまいです。座禅をやったところで頭痛が取れるかというと、絶対取れません。ストレスなどの問題は、確かに取れます。1時間座りますから、当然、その1時間というのは、会社からいったん離れ、自分の時間になります。翌朝には、また新規の自分になるわけですね。  

 そのような、いろいろなものを幅広く見てもらって生活の中に入れてもらえば、これは非常に自分のためになると思うのです。  

 それから、等尺運動というのをご存知ですか?先生方。

平井基陽

 等尺ですね、はい。

発言者7

 介護度5の人が介護度1になったという話しを、私は聞いているのですが、これをリハビリの先生に聞いても、「資料をくれ」と言っても実際くれません。私は自分なりにやっています。  

 そのような状態で、病院に行っても、置いてある資料は、全て薬剤の会社から出ているもので、自分独自の、医者として本を書けるだけの人間が日本にはいないのです。

 今まで何度も講演会に行っていますが、日本の医療は20年遅れています。先生に怒鳴りつけたこともあります。  

 このようなことを十分考えて、老人に対して再認識してもらいたいと思うのです。

平井基陽

 ありがとうございました。要は、定年退職で閉じこもり・引きこもりというのが非常に問題であるというアドバイスでございますね。  

 それと、成年後見制度を考えていらっしゃると。  

 さらには、いろいろなご不満が、今、おありのようでございます。  

 ほかに、何かございませんでしょうか。  

 本日のテーマは、最初にも申し上げましたように、老人病院ですから、痴呆高齢者とさせていただいているのですが、痴呆と医療、どう関わるか。  

 あるいは、皆さん方で、先ほど4人のシンポジストの方がそれぞれの立場から痴呆高齢者との関わりと問題点、あるいは悩んでいる点というような現状も踏まえてご報告いただいたわけです。  

 医療に対して、医療といいますか、病院でいいですね、痴呆はちゃんと病院で診てくれないとか、痴呆は特別養護老人ホームでいいのだとか。あるいは、痴呆は在宅で十分いけるのだとか、その全く逆で、痴呆の方は在宅ではどだい無理なのだ、とかですね、  

 そのようなことをもし本音で思っていらっしゃる方があれば、教えていただきたい。どのようなご意見でも結構です。

発言者8

 行政の保健師としての立場ではなくて、一個人としてお話を伺いたいのですが。医療に関する質問を少し。  

 土田先生の資料の中に、薬剤における基本というのがあったのですが、医療に関して、今、痴呆に関するお薬もかなり出ているのですが、ほかの病気もそうなのでしょうが、薬を出すドクターによって、出し方・使い方がかなり変わってくるというような印象を受けております。  

 実際に苦情とか、病院でインフォームド・コンセントをきちんとされてないというところが前提になっているかと思うのですが、苦情も入ってきたりする中で、先生とよくご相談を、というようなところで、結果的にはそのようなお話になってしまうのです。  

 医療の中での薬に対するお考えというところの、この会としての発信のようなものが、今の段階でおありかどうかということを、お聞きしたいと思います。

平井基陽

 薬は、先ほど斎藤正彦先生がおっしゃった、痴呆に対する一般的な薬がありましたが、今おっしゃっているのは、具体的に言うと抗痴呆薬、アリセプトなどに関してですか。

発言者8

 そうですね。痴呆一般に関するお薬に関して、ドクターによって出し方が違うという苦情がある中で、出し方、処方の仕方のようなところの、マニュアルではないのですが、そのようなところに行き着くまでの、見込みがあるかどうかとか。難しいとは思うのですが。  

 その辺のところをお聞きしたいと思うのです。

平井基陽

 分かりました。

 では、痴呆の方に対して、いろいろあると思うのですが、土田さん、先にいきましょうか。痴呆の方に対しての薬物の使い方に、何か、ルールのようものを決めておられるかということについて。

土田昌一

 当院だけの話になってしまいますが、当院では今、先ほどの方からも言われたように、日本語では、あまりちゃんとしたものを見つけられなかったのです。それで、欧米の教科書や最近の論文などを読んで、今はやっているEBMなどというもので良さそうなものを選んでいます。その中で出てくるときに、アリセプトが欧米では5ミリグラムから使って10ミリグラムなのが、日本では3ミリグラムから5ミリグラムであって、5ミリから10ミリの事例はやったことがないというのでも、10ミリを勧められている薬剤師さんがいるのですね。  

 では、われわれがどうするのかというのは、やはりその方に対して有効かどうか分からないとしか言えないので、とりあえず、今、自分たちの中で、申し訳ないけれども「このような量で使わせていただきます」というような形で説明しましょうということを始めています。  

 それから、代替医療というのですか、「漢方薬がいい」とか「これ飲んだらいい」などと言われても、これも、本当に良かったかどうかというのが分からないのです。  

 というのは、昔、「頭の良くなる薬」というのがさんざん出た時がありまして、私が以前勤務していた病院で、その係になってしまったのですね。それで、ご家族とかご本人に聞くわけです。「どうですか、良くなりましたか」と。「まあまあですな」と言ったら「まあまあ」に丸をするのです。そうやって出たデータというのは、「害はないけれども、良くなった方もいる」ということでOKになってしまったのです。  

 これは、私がその担当でいたものですから、何なのだろうという気もするので。あの時に一斉風靡した薬ですね。何年か前に、あれは駄目だったという話になって、今はごめんなさいで済んでるのですが。  

 ですから、会としてというのは、そこまでは話にはなりますが、では何を見てデータとして出せるのかということですね。やはりご本人個別のものもあるかもしれないし、この人が本当にそれによって良くなるのか。自分が満足されているかどうかですね。満足度というのですか。家族の満足度も含め、そこまでのケースを正直言ってデータ化していないです。  

 海外でSF36というテストパターンがあって、何かややこしい、いろいろな検査があるのです。それを当院でやろうとすると、日本語版になるとこのぐらいの厚さになるので、それがまだ消化しきれてない状態です。  

 すなわち、自分たちが使っている薬に対する見直し等を行いつつありますが、まだこれといって出てないのが事実です。  

 これは、もっと言いますと、抗生物質の使い方一つうちの病院で決めようとしても、なかなか大変なのです。院内感染だからこうだと、転院されてきた方が入院されてきたからそれは市中感染だと、訳の分からない話なのですが、感染する菌が違うのです。それを調べて出てくるまでの間どうするのという話になってしまうのです。それもなかなか決められないというのが現状なのですね。  

 うちの病院は、とにかく今、もだえています。今おっしゃったような痴呆に対する薬という前に、先ほど申したようなことで8割の方が少し症状が改善するというぐらいです。あと残った2割の方に対するアプローチですね。

 今、アリセプトをどう使うかとか、それから意欲を出させるためのいろいろなお薬を出すとか、先ほど斎藤さんがおっしゃったような薬の使い方とか、いろいろと試しますが、まだこれといって達しきってないです。今、このような状況です。以上です。

平井基陽  藤田さん、何かありますか?
藤田博司

 まず、痴呆薬とおっしゃいますが、アリセプトの有効性というのは、今のところ、初期のアルツハイマー病の進行を数年延ばすことができるというものです。  

 わたしたちの病院に入院して来られる方のほとんどが、長谷川式のスケールで3点以下。既にアリセプトの適用を始めている方がほとんどなので、抗精神病薬であるとか抗アルツハイマー病薬を使うとか、そのようなことはまずありません。  

 痴呆の方に対する抗精神薬の使い方というのは、基本的に、身体抑制にならない最小限度ということにしていまして、ポリシーとして痴呆の方の症状を緩和するのはケアであると。生活環境であり、スタッフの携わり方であり、またその中で問題点を見つけてご家族の方にアドバイスすることであると思っています。夜間の不眠があるとか鬱のある方についてのみ、最小限の抗精神病薬を使うというようにしています。  

 そのほかいろいろなお薬が、抗生物質の話などが出ていますが、はっきり言って、日本にはガイドラインは全くありません。大体このようなものだろうというのは、いろいろな先生がいろいろな書き方で本に書かれていますが、はっきりと欧米のように学会が主導権を持って、「こうでなければいけない」というガイドラインはありません。 

 その辺のところもいろいろと問題はあるかと思いますが、わたしたちはそのような欧米のガイドライン等を参考にして、自分たちの病院の中を見て、うちではこのように使おうという形で使っています。

平井基陽

 ありがとうございます。どうぞ。

木島美津子

 本当に全くの素人なのですが、私の父も痴呆の薬はたくさん使っていました。痴呆の薬と内科の薬を使っていました。  

 ある時、あまりにも薬の量が多いものですから、かかりつけの精神科の先生に、「この薬を飲んで、いろいろな症状が出てきましたが、止まるのでしょうか」と聞きましたら、「まあ、ほとんど変わらないでしょう。止めることはできません」と言われました。そして、いつもの薬が出ました。  

 それで、ホームドクターということで、近所のお医者さんにかかった時に、薬を持っていきました。それを一つずつ先生が調べてくださったのです。「この薬を、何故飲んでいなければいけないのだ」と言われました。その時に残ったのが、血管の薬が一種類だけでした。あとは全部止めました。それから足の運びが良くなったというのがあります。

平井基陽

 ありがとうございました。  

 では斎藤正彦さん、今の話を踏まえて、まとめていただきたいと思います。

斎藤正彦

 私も薬は多いと思いますが、痴呆薬はアリセプトしかないですからね、今のところは。  

 だから、それはともかくとして、マニュアルについて言えば、精神科の睡眠剤や、抗鬱剤という薬の一番の問題は、飲ませてみなければ分からないところです。健康な身体を持っている人に対しても、人によって効き方がものすごく違うのです。  

 ですから、マニュアルを作ると言われても、なかなか、だれにでも適用できるマニュアルは作れないのですね。  

 基本的には、土田先生がおっしゃったように、必要最小限の量から行っていくということ以外には考えられないのです。  

 欧米にマニュアルがたくさんあるのは、保険で医療費を払う、私的な保険から医療費を払うときのエビデンスといいますか、「これにのっとっていれば保険会社はお金を払いますよ」ということだからです。日本の場合はそのようなことはないですし、利用するほうも、お薬の代金というのはあまり考えませんので、ついつい出てきてしまうのです。  

 そうして、精神科医が3種類、内科医が3種類、整形外科医が4種類ということになると、もうこれでおなかいっぱいになるような薬を飲んでいることになるので、僕はホームドクターという考え方はとても大事だと思います。  

 それから、意思決定をするときも、救急の病棟に担ぎ込まれて、挿管するかどうかという判断をしている救急の医者に、「この人の人生の歴史を全部知ってどうするか決めろ」と言われても、それはできない相談です。救急の医者は、救急車で運ばれてきた人を、分単位で次から次へと診察していかなければ訴えられるわけですから。それから、そのご家族に、いきなりそのような場面で、「挿管しますか、どうしますか」と聞いても、ご家族は困るわけです。  

 そのような意味でも、私はお家でなさるのなら、やはりホームドクターを、信頼できる医者を探しておくことだと思います。その医者を通して、いろいろな医療の交渉をなさればよい。その先生が救急の病院に1回電話してくれれば、ご家族が30分も40分も言うよりずっと、さっと話が通ることだってあるわけですから。  

 特に痴呆の場合は、ここで治療をやめるという判断をしなければならないことがあります。やめたら、そのあと患者さんは亡くなるかもしれない。そのようなときには、これまでずっと親身になってケアをしてきたご家族が、ここまできて、痴呆の進行の様子を見て、これ以上の延命は無意味だと決断なさったのか、もともと、真面目にケアしてこなかった人が自分の都合で、もう面倒くさいからいいやと言っているのかが分かる人がいないと、やはり救急のお医者さんは困るわけですね。医者の習性とか何とかいう問題ではなくて、実際困るのです。  

 そのような意味でも、介護の様子を見ている先生が一人いらっしゃれば、かなり違う。それは医者でなくてもいいと思います。訪問看護の看護師さんだっていいのだと思います。  

 やはり長い期間、家族の介護に連れ添って、意思決定に付き合っていく。リビング・ウイルと違って、長いのです。  

 ガンのリビング・ウイルは、たかだか3か月ですが、アルツハイマーというのは、自分で判断できなくなってから5年も10年もかかるわけです。「あんな姿になって生きていたくない」と言っていたおばあさんでも、アルツハイマーがひどくなれば、一生懸命生きようとするのですね。「この人、昔は『こんな格好で生きたくない』と言っていたからやりません」というのは、合理的かどうか分からないでしょう。  

 われわれには分からないことがたくさんあるのだけれども、やはり長い時間を見て決めていくということが大事だと、私は思います。

平井基陽

 ありがとうございました。今ご質問された方、よろしゅうございますか?では最後のご質問ということで。

発言者7

 私は、いつ倒れてもいいように、医者でもらっている薬は全部持って歩いているのです。今、先生方がおっしゃったアリセプトというのも、実際にもらっています。全部の薬をいつも持っているのです。いつ倒れても、これを見れば私の状態が分かるようにしています。  

 それから、テレビ番組でも言っていましたが、薬は絶対に6種類以上は使わないようにしてもらいたいと思います。薬同士の作用が出て、副作用が起こります。

 それから、データと申しますが、自分のものは自分なりにデータを出して、必ず患者も責任を取るようなことをしてもらいたい。ということは、それが集まって、この薬は、日本全体としてこのような傾向にあるのだというデータを出さない限り、いくら言葉で言っても皆さんは納得しません。それは、よろしくお願いしたいと思います。

平井基陽

 分かりました。ありがとうございました。  

 時間もそろそろなくなってまいりました。本日は、実は痴呆のリハビリというようなことも話題にしたいと思っていました。  

 これは繰り越しということになると思うのですが、痴呆のリハビリテーションというのも、今後一つの大きなテーマになっていくと思います。痴呆は進むから駄目なのだとか、もっと具合が悪いのは、年を取ったらだれでも痴呆になるのだとか、痴呆は年を取ったからだとか、年のせいだとかいうのが一番まずいのであって、痴呆に挑戦するという意味で、痴呆のリハビリというようなところに、一つは目が向けられていくのではないか。  

 ただ、痴呆のリハビリテーションという場合には、痴呆そのものに対するリハビリですね。つまり認知能力に対するリハビリと、それからもう一つは、本日、土田さん、それから藤田さんから出していただいた、痴呆の方が骨を折ったとか、あるいは合併症を起こした場合に治療する。やはりノウハウを持っていないといけないので、「痴呆の方は困ります」というようだったら、その病院は老人病院ではないというような認識を、われわれは持っております。  

 最後になりましたが、本日、いろいろご意見をいただきまして、中でも木島さんに非常に示唆に富んだご意見をいただきました。  

 思いますに、やはりご家族あるいは介護なさる方も大変だとは思うのですが、医師も分からないものは分からない。  

 ただ大事なことは、医師も、できればご本人も、「できれば」というのは「言葉が通じなくても」という意味ですね。  

 そして家族の方が一緒に悩むというようなことが、とりあえず今、われわれには必要ではないか。  

 それから、本日、これも木島さんからヒントをいただいたのですが、「うちのお父さんお母さん、一人一人大事にされているんだな」というように思っていただける、一人一人を大切にするというのが、やはり、どうしても忘れてはいけない視点かな、というように思います。  

 たくさんの方がお見えになって、まだまだ質問したいのに、というような方がいらっしゃったかもしれませんが、これで、本日のシンポジウムを終わらせていただきます。  

 また、来年は3月12日に、場所は決めていないのですが開かせていただきます。また是非、時間がございましたらご参加下さい。  

 どうもありがとうございました。シンポジストの先生方、ありがとうございます。

齊藤正身

 皆さん、ありがとうございました。平井さん、ご苦労様でした。  

 本当は、もうちょっと突っ込んでもいいお話もあるのでしょうが、やはり、それだけまだまだ痴呆のことは課題も多いですし、先ほど平井さんが言われたように、わたしたちも結構悩んでいることも多くて、一緒に考えていくような場ができればいいなといつも思っているのです。  

 このようなシンポジウムを通して、皆さん方からいただいたご意見も参考にして、医師ワークショップというものも行っているのです。ワークショップには、ドクター、特に現場で働いている先生方が参加しています。藤田さんや土田さんはその中心人物ですが、もっと若い先生方も集めて、今、老人医療に関わっている方々で、「うちはこうしてるんだけど、どういうふうにしてる?」というような話をしています。  

 ですから、「うちの病院は」という言い方を皆さんしてい

 ますが、当会の中では、いろいろな意見を取り入れながら、データも取ろうという努力もしています。一度マニュアルも作りました。  

 しかし、先ほどの斎藤正彦さんのお話ではないですが、な

 かなかマニュアルどおりに物事がいかないところもあって、やはり悩んではいます。しかし、なんとか前進していこうと思って頑張っている、このような集団もあるということを是非忘れないでいただいて、またいろいろなご意見をお寄せ下さい。    

 来年、またお会いできれば嬉しく思います。もう一度シンポジストの方々に拍手を。どうもありがとうございました。  

 本日のアンケートは、何らかの形で還元できるように頑張っていきたいと思います。どうもありがとうございました。

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老人の専門医療を考える会 JAPAN ASSOCIATION FOR IMPROVING GERIATRIC MEDICINE