老人の専門医療を考える会 - 全国シンポジウム - 内容
第26回 『痴呆高齢者とどう関わるか』  平成16年2月21日 大手町サンケイプラザ

総合司会 齊藤正身
老人の専門医療を考える会 事務局長

13:30 開会挨拶 平井基陽 老人の専門医療を考える会会長
13:40 基調講演T「痴呆高齢者のQOL−成年後見制度の活用を含めて」
   斎藤正彦 青梅慶友病院副院長
 講演資料(PDF:109KB)
14:00 基調講演U「リハビリテーションを実施していく上で」
   土田昌一 鶴巻温泉病院院長
 講演資料(PDF:69KB)
14:15 基調講演V「痴呆高齢者とどう関わるか〜在宅診療編〜」
   齊藤克子 霞ケ関中央病院副院長
 講演資料(PDF:46KB)
14:30 基調講演W「痴呆高齢者の身体合併症への対応」
  藤田博司 光風園病院副院長
 講演資料(PDF:50KB)
14:45 基調講演X「老人医療を利用する立場から介護者としての発言」
  木島美津子 NPO法人たすけあいの会ふきのとう代表
 講演資料(PDF:8KB)
15:15 シンポジウム
シンポジスト:斎藤正彦、土田昌一、齊藤克子、藤田博司、木島美津子 
座長:齊藤正身 霞ケ関南病院理事長
 
17:00 終 了
 
開会挨拶 平井基陽 老人の専門医療を考える会会長

老人の専門医療を考える会の会長を仰せつかっております、平井でございます。

老人の専門医療を考える会は、昭和58年に結成されました。会員は、現在55名で、今までも会員数60名までの非常に小さな集団でございます。

この会が元々結成されたいきさつを、簡単に申し上げます。会が発足した昭和58年といいますと、いわゆる行き場のないお年寄りが病院にたくさん収容されていた頃で、マスコミ等々から非常に非難を受けておりました。いわゆる悪徳病院ということで、病院に入れて薬漬け、点滴漬け。それから、中には縛る。今、やっと問題になっている身体拘束等の問題がございました。 

当時、私はまだこの会には入会していませんでしたが、その時に立ち上がった4、5名の医師が、「これはなんとかしないといけない。われわれ老人医療を担うものが、自らの責任において少しでも老人病院のイメージを上げよう」ということで、当会を立ちあげ、今年で22年目を迎えます。今まで、そのような志をだれにも負けず高く持とうと運営している小さな集団でございます。

このシンポジウムは、広く市民の方々のご意見をいただこうというような趣旨で始まりました。そのテーマは、一貫して「どうする老人医療これからの老人病院」ということです。今回は痴呆性老人を取り上げましたが、過去25回の中で2度ほど、このシンポジウムで痴呆の問題を取り上げさせていただきました。

皆さんよくご存じのように、ここ数年、介護保険制度の見直し等で、尊厳ある高齢者ケアをと言われています。痴呆はどなたでもなる可能性があり、要介護の人の実に7割ほど、あるいは8割と言ってもいいのですが、何らかの痴呆の症状をお持ちです。ですから、痴呆というものは、特別なケアあるいは治療ではなくて、すべての人が痴呆を持つということで、ケアを組み立てましょうということが、一つございます。

それからもう一つは、高齢者リハビリテーション研究会というものがございまして、そちらでも、リハビリのあり方ということで3つのモデルを挙げました。1つは、脳卒中型というような従来のモデル。それからもう1つは、廃用性といいまして、使わないがために機能低下に陥る、その2つ目のモデル。そして3つ目のモデルとして、痴呆型のモデルというものが提案されましたが、痴呆に関してはまだ確立されておりません。

痴呆といいますと、皆様ご存じのように社会福祉関係、あるいは施設で言いますと老人保健施設、あるいはグループホームというところで、非常に関心が高くなっているのも事実でございます。

そのようなことで、医療を担うわたしたちが痴呆に対してどのように関わるかということで、痴呆の問題を取り上げるのは今回で3度目になります。当会といたしましては、3度目のこの時期にテーマとして取り上げさせていただきました。

本日のシンポジストにお招きした4人は、当会の会員ならびに関係者でございます。お一人は利用者の立場からということで、ご参加いただいております。

どうか皆様方の積極的なご意見を頂戴いたしまして、それをまた明日からの一つの糧にして、ますます老人医療の質を高めるために頑張っていきたいと思っております。どうかよろしくお願いいたします。ありがとうございました。

基調講演T「痴呆性高齢者のQOL−成年後見制度の活用を含めて」 
   斎藤正彦(青梅慶友病院・副院長)

齊藤正身

それでは、早速始めていきたいと思います。

まず始めに、基調講演のTとして「痴呆性高齢者のQOL」クオリティー・オブ・ライフですね。生活の質。「―成年後見制度の活用を含めて―」という題で、青梅慶友病院副院長の斎藤正彦先生、よろしくお願いいたします。 

なお、講師の方々の略歴は2ページ、3ページに載っておりますので、改めての紹介は割愛させていただきます。

それでは、よろしくお願いします。

斎藤正彦

ご紹介いただきました斎藤でございます。

今日は、「痴呆性高齢者のQOL―成年後見制度の活用を含めて―」というテーマでお話を申し上げます。どちらも非常に広範な話で、話がまとまらなくなっても困りますし、2番目からのスピーカーの先生方のお話は患者様の生活の質ということに非常に深く関係したお話でございますので、私の話は成年後見制度を中心にして進めさせていただこうと思います。

そうは申しましても、最初にわたくしどものスタンスと申しますか考え方について、お話申し上げようと思います。

従来、痴呆性高齢者ということが論じられるときは、介護される人としてしか論じられないのです。

今年、国際アルツハイマー協会という団体が主催する国際大会が京都で開かれますが、世界アルツハイマー協会の日本の支部の名前は、「ぼけ老人を抱える家族の会」です。私は、それは随分大きな違いだと思います。アルツハイマー協会には、アルツハイマーの患者さんがたくさん入っていらっしゃるのです。「ぼけ老人を抱える家族の会」というのは、非常にユニークで立派な活動をしている団体でありますから、私はそこの団体の悪口を言っているのではないのですが、その名前は、そろそろよしたほうがいいと思います。

最近、わたくしどもの法人が持っておりますクリニックの患者様、アルツハイマーの患者様が、お一人テレビに出演して、奥様と二人で、「福祉ネットワーク」という番組で話をしてくださいました。その患者様は、ご自分でご自分の生き方を選んでいる。決して、その患者様は奥様に抱えられているわけではない。自分の足で歩いている。奥様だって自分より重い患者様を背負って歩いているわけではないので、まずそのような考え方から改めないといけないのだと思います。

痴呆性高齢者のQOLは評価が難しいとよく言われます。それは自分で評価ができないからだというように言われていますが、本当にそうでしょうか。この会場には、非常に進行したアルツハイマーや血管性痴呆の患者様のお世話をしていらっしゃる病院や施設の方々、あるいは地域でそのようなお仕事をしていらっしゃる方がおりますので、「そうだ。自分では決められないのだ」とお思いになる方があるかもしれない。でも私は、結局のところ、命の質とか生活の質とかというものは、本人以外にはだれも分からないのではないかと思っています。   

ですから、できる限りご本人がどう思っているかを考えるべきですし、分からなくなってしまったら、勝手にいろいろ評価尺度を作って「QOLの評価尺度が高いから、うちの病院の患者様はQOLが高い」とか「隣の病院は駄目だ」などと言っても始まらないのであって、分からないものは分からないということが大事なことだと思っております。

最初に申し上げましたように、介護問題というものは、痴呆性高齢者の問題の一部にすぎないのであって、どれほど障害が重くなっても、患者様が一人の人間として生きていく主体として見守るということが重要であります。

さて、そうは言っても、自分でいろいろなことを決めて生活していくことのできない患者様というのはたくさんいらっしゃるわけで、そのために幾つかの制度が用意されております。

一つは、地域福祉権利擁護事業と呼ばれる事業でございます。これは、社会福祉協議会が援助を必要とするご本人と契約をして、日常的な金銭の管理、あるいは介護保険制度利用の援助をいたします。例えば、独り暮らしのお年寄りが通帳をすぐに無くしてしまう。銀行に行って、毎月毎月無くすたびに新しい通帳を作ってもらう。作ってもらうと別の通帳が押し入れから出てきて、どちらが本物か分からなくなる、というようなときに、それを預けて保管してもらうというような制度が、介護保険と前後して発足いたしました。

この制度の特徴は、費用が安いということです。ただし、費用は安いですが、大きい資産の管理はできません。うちのマンションを管理してくれと言っても、それはできないのであります。

当初、地域福祉権利擁護事業は、地域で生活をしていらっしゃる方だけを対象としておりましたが、いろいろな要望がございまして、現在では施設に入居していらっしゃる方に対してもこのようなことができるようになりました。例えば、独り暮らしの方が施設に入居してしまった。だれが銀行に行ってお金を下ろして病院に支払いをするのだ、福祉事務所にお金を払うのだ。あるいは、日用品を買うときにだれが世話をするのだ、という問題が出てまいりますが、地域福祉権利擁護事業を利用していただけば、そのようなことを援助できるという制度でございます。

ただしこれは、1行目に書きましたように、社会福祉協議会とご本人の契約によってできる制度でございますので、契約する能力が無くなってしまったら使えません。実は、この契約をする能力を見定めるというのが、非常に重要なことであります。普通の、例えば家を買うとか家の修理をするという契約とこの契約とを比べれば、この契約に要する能力のほうが明らかに低くてよいのです。

なぜかといいますと、一つは相手が社会福祉協議会だから、詐欺に遭って財産を取られるという心配はない。それから、してもらうことが限定的なこと。大きな財産を管理してもらうわけではありません。  

それから、受けるサービスはもっぱらご本人のためになると推定されることですので、この契約に要する能力というのはかなり低く設定されております。独り暮らしをして、あるいは、お年寄りだけで生活していらっしゃるような方で、なんとかそのまま地域で生活できるような方ならば、大体、契約ができるような評価の方法を用いております。

地域福祉権利擁護事業が極めてソフトなやり方で援助をしようというのに対して、もう少し財産が大きかったり強力な保護を必要とする方のための制度が、成年後見制度であります。

2000年に、介護保険と全く同じ時期に、新しく発足いたしました成年後見制度の目玉の一つは、任意後見制度というものが導入されたことであります。任意後見制度というのは、将来に備えて自分で契約をする制度です。例えば、私がアルツハイマーだと診断された。私は、今のところ何でも自分で決められるが、1年後、2年後にどうなっているか分からない。だから、今のうちに、自分でこの人と決めた人や弁護士さんに、私の財産のこれだけを使ってケアをしてもらいたい、私の介護の方針というのはこのようなことだ、余計な延命措置をしないでもらいたいとか、独りで暮らすのが大変になったらさっさとこの病院に入れてもらいたいとか、あるいはこの施設に行きたいとか、そのようなことを具体的に指示しておきます。遺言書と同じように、公正証書を作って登記をしておきます。任意後見制度とは、そのような制度です。

自分で選んだ人に、自分が決めた範囲の代理権を与えます。ただし、あとでほかの制度の時に出てきますが、任意後見制度では、取消権・同意権を与えることはできません。

取消権・同意権というのは、例えば私が独り暮らしをしている。それで、ぼけてしまった。私は毎日毎日、何十万円もする羽布団を何組も買ってしまった。そのようなことを、あとから「それはなしですよ」というのを取消権といいます。

しかし、そのような権限は任意後見人には与えられません。ですから、そのような保護はできないのですが、自分のものを使って自分の望むような老後を暮らすというためには有効な制度です。

この制度は、能力が低下したあとに発行いたします。私がアルツハイマーであると診断されてもされなくてもいいのですが、私に身寄りが無かったり、身寄りが少なかったりしたとき、Aという弁護士にこれこれのことを頼むと言っておいたが、実際のところ私は自信がなくなってきた。この頃どうも人にだまされやすいとか、あの人に2回家賃を払ったかもしれないなどと心配になってきたら、家庭裁判所に行ってもいい。それから、頼まれる予定になっている人、契約を結んで私のアルツハイマーが進行したら後見人になりますという契約をしている人が、見ていてこれはおかしいと思ったら、家庭裁判所に行きます。家庭裁判所に行って、任意後見監督人というものを決めてもらいます。

といいますのは、アルツハイマー病が進行してしまったら、私が頼んでおいた人が約束どおりに行ってくれるかどうか分からないわけです。私の頭がはっきりしている間は、「ああ、いいですよ。やりますよ」と言ってくれるが、私がアルツハイマーになってしまった途端、私の財産をたくさん取っておき、それを相続することばかり考えて、真面目に行ってくれないかもしれない。これは親族であった場合ですね。 

それから、信頼する友人に頼んでおいたら、その友人が心変わりして、自分の会社が倒産しそうだから、私の財産からその穴埋めをしようということだって起こり得るわけです。そのような事が起こったとき、私は抗議ができない。なぜかというと私のアルツハイマー病は進行してしまっているから。そのために、家庭裁判所が任意後見監督人というのを決めます。

この制度は、任意後見監督人が決まらないと発行できません。監督する人が決まって初めて、制度が動き出します。任意後見監督人は、後見人があらかじめ約束したとおり行っているかどうかを見てくれます。ただし、痴呆がどんどん進行していき、私が予測して「こうして、こうして、こうやってもらいたい」という範囲ではやりきれなくなったというようなときには、この制度は駄目になります。ですから、あらかじめ「このようにしたい」と自分で計画しておいたことを実行するという点については非常に大事な制度ですが、最後までこれでいけるかどうかは少し厳しいところがあります。

これに対して公的後見制度というものがございます。公的後見制度というのは、なぜ公的かといいますと、家裁が選任して、家裁が権限を決めるからです。

後見類型、保佐類型、補助類型という3つの類型があります。後見類型というのは、従来の禁治産と同じです。全く自分で自分の財産の管理や処分ができない人を対象にします。精神障害のためにですね。精神障害のために管理ができない人を後見類型。それから、重要な財産行為が自分ではできないのだが、だれかがつきっきりで、「お父さん、こうだよね。こうでこうでこうだから、こんな契約はできないね」というように説得すれば、なんとか合理的な結論に至れるというような人。常にだれかが付いていれば、重要な財産行為でも可能な程度の障害であれば、保佐類型というものを使います。最後の補助類型というものは、ときによって、場合によってはそのような援助を必要とするというような人たちを対象にしています。

これらの公的後見人は、取消権・同意権というものと代理権という2つの権限を持っています。取消権・同意権というものは、先ほど申し上げたように、本人の契約をあとから取り消す権利です。例えば、シロアリ駆除の契約を私が結んでしまった。クーリングオフの時期を過ぎてしまった。過ぎてしまったあとで、この間行ったばかりだということが分かった。それを保佐人が、「私はこれに同意しない」というようにあとから言えば、裁判をしなくても自動的にその契約は無効になります。そのような制度です。

ですから、独り暮らしをしていて一応のことはできる。けれども、どうも高い買い物をしてしまったり、家を売るとか売らないとか、そのようなことで人にだまされそうだったり、そのような人たちにとって、とても力強い権限です。

それから代理権というものは、全く本人に代わって行えるということです。私の財産を、私の代理人は、あたかも私が行うように契約を結べる。不動産屋は、私を相手にするのではなく、私の代理人を相手にする。普通の代理人と違うのは、私が頼んで代理人になっているのではないということです。裁判所が「この人は私の不動産の管理について代理権を持っています」と決めているのだから、私が「嫌です」と言ってもそれは通用しないのです。

それから、お年寄りの財産を処分してケアのマネジメントをしなければならない。どこかの施設に入るとか、お家があるのだけれど、その家には独りで住めない。そこにたくさんのマンパワーを導入するよりは、家を売って、どこかしかるべき施設に入ったほうがケアしやすいというようなとき、本人が同意しなくても代理人がそれをすることができます。詳しいことを申しますと、住んでいる場所を売ってしまうということについては簡単にはできないのですが、株券など、ほかの資産を売って、施設に入る準備をするというようなものが代理権です。後見・保佐・補助には、それぞれ一定の代理権・取消権が付けられます。

この制度の利用を申請できるのは、本人、四親等以内の親族、検察官、任意後見人、公的後見人、および市区町村長です。新しい制度で加わったのは市区町村長で、これは、大きな街中で独り暮らしをしているお年寄りがいらして、しかも親身になって心配してくれる親族がいない。亡くなって遺産はもらいに行くけれど、世話は勝手にやってくれ、というような親族しかいないというときに、市区町村長が家庭裁判所に「この人の資産をこの人にために活用したい。ついては後見人を付けたい」というような申請ができるようになりました。

本日は時間の都合で補助類型のご説明だけをしますが、補助類型というのは、今度の新しい成年後見制度で初めてできた制度であります。 

従来、成年後見制度は、「後見太り」という言葉があるぐらいです。変な言葉ですが、後見人になった人が自分の相続分を増やすということがあるのです。兄弟で財産の取り合いなどがあるときに、お兄さんを出し抜いて次男が後見人になっておくと、次男はとりあえずお父さんが生きている間は、お父さんの財産を「お父さんのために」という名目が立てば活用できるわけですから、相続に対しても極めて有利になるわけです。そのために後見人のポストを取り合う。そこまで極端ではなくても、お父さんが有料老人ホームに入ったら家を売らなければならない。けれども、2、3年、十分な介護ができない所で我慢してもらうとか、特別養護老人ホームに入れば家を相続できるということだって起こるわけです。

そのように、どちらかというと家庭の財産を守るという方向で使われていましたが、補助制度は、新しい時代に、たとえ精神に障害があっても、自分の財産を自分で使って、自分のために生活をしていこうという人を対象に作られた制度であります。

後見保佐は、本人の同意がなくても、親族が家庭裁判所に行って申請できるのですが、補助制度については、本人が同意しなければ申請も受け付けてくれません。それから、この制度の補助人の同意権・取消権、および代理権は、すべて本人が同意した範囲で決められます。本人が同意して、例えば大きい口座の管理と不動産の管理については任せる。けれども月々入ってくる年金何十万円については自分が勝手に使うというようなことを決められます。このような制度を使えば、少し自信がなくなったかな、というようなお年寄りでも、独りで安全に生活することができます。

それから、後見人には「身上配慮義務」というものがあるというように言われているのですが、今のところこれは非常に難しいのであります。特に今日は痴呆性高齢者のQOLというお話ですが、痴呆のお年寄りの医療行為に対する代諾の権限というのは、日本の法律ではどこにもないのです。自己決定ができなくなった人の同意書というものは、私は医者ですが、気軽に家族に頼みます。しかし家族には同意権はないのです。法律で定められた成年後見人にも同意権はないのです。 

入院の手続きはできます。それは民事契約なのでできるのですが、いわゆるインフォームド・コンセントを与える権能というものは、日本の法律からは全く抜け落ちているのです。自分で決められなくなったら、だれも決められないのです。いろいろな医療機関で、痴呆があるために手術をしてもらえない患者さんがいる。痴呆があるために、助かるはずの治療をしてもらえない患者さんがいるのです。同意する人がいないから。だから、この問題は、やはり成年後見制度の中でなんとかしなければなりません。

成年後見制度は、今のところ、大きな資産を管理することと身上配慮義務とをいっぺんに与えるということになっているのですが、例えば、信託銀行が私の後見人になったときに、信託銀行に介護保険の面倒を見てくれといってもそれはできないわけです。制度上は、今度の制度では、財産を管理する後見人と身上監護をする後見人を分けることができる。例えば、お年寄りが二人で暮らしていらして、おじいさんが痴呆である。おばあさんは、面倒は見たいのだけれども、財産の管理については自分も自信がないというようなときに、身上配慮に関する後見人は奥様がなる、財産の管理については何とか信託銀行がやる、というようなことも可能になっております。

最後にまとめに代えて、最初のお話の繰り返しになりますが、痴呆性高齢者のクオリティー・オブ・ライフというものを判断するのは、私は基本的にはご本人以外にないのだと思います。だからこそ、可能な限りご本人がご自分の意思に従って自分で独立した生活を営んでいく。たとえそれが施設の中であろうと、病院の中であろうと、ご自分の意思に従ってできるだけ自立した生活をしていくという援助が非常に重要であります。

しかし、実際には、現実の病気は進行していって本人が判断できない事態ということが起こってまいります。ここから先は、今日お集まりの一般の市民の方とか、あるいはこのようなサービスを利用していらっしゃる方にはあてはまらないことですが、私は自分への自戒のつもりで申し上げます。他人が見ていて分かることと分からないことというのを、はっきりと分けるべきであります。わたくしどもは往々にして、熱心になればなるほど、患者様のために、自分がケアをしている方のために、あたかも自分がすべてを背負えるような気分になります。 

しかし、そのようなことは絶対にないのであって、人生の質だとか命の質だとかというものは、他人、おそらく家族でも分からないものであります。分からないことには首を突っ込まないという謙虚さが、最終的に痴呆のお年寄りの生活を豊かにするのだと私は思っております。

以上です。ありがとうございました。

齊藤正身

ありがとうございました。

斎藤さんのお話をお聞きしていて、「痴呆になってからは、確かに判断はできないなあ」と思いましたが、今のような成年後見制度のお話というのは、実は、痴呆になる前からもなかなか理解できにくいところで、難しい言葉もいっぱい出てきます。

ですが、本日のお話を聞いて、ある程度整理して、きちんと押さえておかなければいけないことではないか、ということを実感しました。

続いてお話ししていただくのは、医療法人社団三喜会鶴巻温泉病院の院長をされている、土田昌一さんです。

土田さんは、このシンポジウムではほぼレギュラーのように毎回シンポジストになっていただいております。ご本人いわく、早口なので皆さんに分かりにくいのではないかということです。分からないと困るということで、レジュメをかなり大きくしっかりと準備してくださいました。

きっと、ゆっくり話してくださると思いますが、「痴呆高齢者とどう関わるか?リハビリテーションを実施していく上で」という、リハビリテーションの専門医としての立場、あるいは病院の院長としての立場も含めて、ご経験の中からお話をいただきたいというように思います。

それでは、よろしくお願いします。
基調講演U「リハビリテーションを実施していく上で」 
   土田昌一(鶴巻温泉病院・院長)

土田昌一

齊藤さん、ありがとうございます。今、齊藤さんがおっしゃったように、私は大変早口でして、そしてパタパタ話しているうちに終わって、「スライドが奥のほうで見えない」、「何を話しているか分からない」、「何だったのだ、あいつは」というようなご批判をいただいたことがありました。今回、この冊子の半分を占めるような形で資料を掲載させていただいております。

通年、2月といいますと花粉症がひどくてしゃべれない状況だったのですが、今年は幸いなるかな、まだ来ていませんので、鼻をすすることなくお話しさせていただきたいと思います。

「リハビリテーション」という言葉について、いつも、もう1回振り返っておこうという気持ちでおります。1981年という時代にWHOが定義されています。 

(スライド)「諸条件の悪影響を減少させ……」かつ、「……社会統合を容易にすることも目的とする」。すなわち、訓練はあるのですが、その方の社会適合、例えば家庭であったり、地域であったり、あるいはその方が活躍されていた場であったり、というところの統合。

つまり、またその中で生活できるようにすることがリハビリテーションである、ということなのです。

「ADL」という言葉も、リハビリテーションでよく使われる言葉です。「activity」というのは、「行為」というように考えるのですが、「高次の計画」というのは、何かしようといろいろなことを考えるわけです。その中で、その行為の計画と、それから脳のほうにいろいろな情報が入ってきます。その自分のやりたいことと入ってきた情報が一連の中でうまくかみ合っていないと、とんでもない行動が起こるわけです。例えば、飛び跳ねてみようと思ってその周りを見たら、なんと、自分は綱渡りをしていたとか。認識脳がきちんと情報が入っていない状態で、そのような高度な計画はできない。

人生の質、QOLと言っているのですが――自分の人生の質がどれだけあるのかといつも考えて生きていますが――、日常の生活にどれだけ支障があるのかということを考えておかなければいけない。日常とは何ぞやと申しますと、日が常にある。昨日も今日も明日も必ずできているという状況が、日常なのです。最大瞬間風速で100メートルを15秒で走れたからといって、それは日常ではない。つまり、普段できていて、明日できるかどうかなど考えないでよい仕事というのが、日常性ということなのです。そのような日常性というものが自分の生活の基盤の中にあって、QOLを追求できるのです。

ですから、このADLという日常の生活は、このようなことをいうのですが、今は、コミュニケーションもあります。このような日常性だけを目標にしてしまうと、人生の質にはならないということを考えておかなければいけない。この人の人生の質にとって、どれが改善できるのか、どこが問題なのかを考えて、一緒にチームで行っていくことを「リハビリテーション・アプローチ」というように考えています。

ご本人がどのような状態にいるか、ということを理解しておかなければいけないのですね。これは障害受容。「自分は何ができないのかということを、どれだけ分かっているか」という度合い。

そして克服意欲。つまり、やる気ですね。この線上、自分のこれだけ悪いのだなという部分が分かっていて、それに相応する意欲・やる気があれば、いい方向に向いていけるわけです。逆に、自分の具合が、どのようなところが悪いかは分かっているのだけれども、やる気がない場合は、自分の状態が悪いのだと思ってしまうと鬱になりますから、なかなか乗り越えていくことができないのです。しかし、分かっていなくてやる気どんどん、というのも困るのです。全然違う方向に走っていってしまいます。これは気を付けてもらわなければいけない。

また、どちらもない、別に困らない、何もできなくても困らないよ、という状態があるのです。痴呆症状を持たれた方というのは、わりとこのような所にいらっしゃることが多い。この方が、どのような所が問題であるかということが、やはりわれわれはきちんと分かっていなければいけないと思っています。

やる気、つまり意欲ですね。歩行訓練とか日常生活の訓練というものは、「やる気がないから駄目ですね」とか「意欲がないからこの人は訓練できません」という話を時々される方がいるのですが、これは先ほど言ったように、ご本人がどの四角の部分の中にいらっしゃるかということを、対応させていただいているわれわれがみんな分かっていなければいけないのです。

「見当識」というものと「不全感」。「見当識」というのは、自分の置かれている状況を認識していることというように、私は考えています。それと「不全感」。自分が不自由だなと思っている。この二つが無いと、先ほどの座標が作れないのです。

急に難しい単語がたくさん出てきますが、記憶というものが何なのか、ほんの一つの部分だけの説明です。いろいろな情報が入ってきます。目玉に飛び込んできます。その情報が、これはどうでもいいのですが、脳の後ろ側。

(スライド)一応、こちらが後ろでこちらが前だと思っています。後ろ側の所に電気的に映像化されるのです。それが何かということを、大脳のこの辺の所で認識されるのです。それを続けているうちに、この「何だ?」ということを、この側頭連合野という、ここにファイルされるのです。

このファイルされるときに、このような扁桃体というものがあるのですが、「快」、「不快」、「良かった」、「嫌だな」という気持ちが入ってくると、容易に入りやすいのです。これを考えていただくと、昔話だとか、自分のことになると嫌なことを覚えている方がいます。いいことを覚えている方もいます。ちっぽけなことかなと思って、あとで考えても覚えていることがある。本人の中でこれが作動しているのですね。

そのようなことで、覚えたことがここにあるのです。逆に言うと、見たもので、ここから引き出してきて、ものを見ている。似顔絵などは似て非なるものなのですが、「なんとなく分かった。あ、これ、小泉首相だな」などと分かるわけです。よくよく見ると全然違うのだけれども、その特徴をとらえていると、この側頭連合野に合うファイルが出てきて、誰であるというのが分かる。

これをなぜ言いたいかといいますと、その人その人の持っているファイルが一緒ではないのです。だから、その困っている方が、どのように何を思っているのかということを、われわれはよく考えておかなければいけない、よく見ておかなければいけないということです。

それで、テストをします。これをよく見てください。

(女性の横顔スライド)いいですか? 次にいきます。おばあさんか若い女性かです。おばあさんに見えた人、手を挙げてください。若い女性に見えた方。これ、どちらがどうだということではありません。言いたいのは、この側頭連合野の中に入ったファイルを、あなた方は自分の中でこうだと思って見たわけです。先ほど言った、ものを覚えているときの快・不快ですね、それが作動しているのです。

それで、もう一回見てください。すると、先ほどおばあさんに見えた方は、若い女性に見えますでしょうか。これが、あごです。これがまつげで、これが耳になる。おばあさんなら、これが目で、これがわし鼻で、これが口。というように、ものをどのように見ているかというのは違うのです。同じ絵を見てもみんな感じ方が違うのだというのは、よく自分たちが理解しておかなければいけないことなのですね。その上で、この方が何をどう理解されているかということをふまえ、アプローチをしていかなければいけない。

そうすると、この障害受容という、自分がどのような状態なのかということに対してよく考えてあげなければいけないのが、訓練で「よく歩かせてください」とおっしゃることです。歩行というものは、動作を開始するためには、なぜ歩くのかということが分かっていなければいけないのです。ただ「歩いてください」と言われて、「はいはい」と言って、どこに行っていいか分からない人というのは、それはいわゆる徘徊なのです。歩くことだけ訓練していって、その人が何かの道具として歩くという動作を使ってもらって初めて歩行ということになるのですが、目的のない歩行が始まってしまうわけです。その方がどのような認知、どういうように理解をされているかということをよく分かっておかないと困る。

少し長くなって早口が始まりますが、うちの病院が596床あって、このような感じで病棟を分けています。これを見てください。

(スライド)その中の一つの病棟の、いわゆる昔からある病棟なのですが、そのシステムの中で、痴呆を持っている方、問題行動があると言われた方々が、特に専門的な医療を必要とするほどではないと思っているのだけれど、骨折だとか何か問題が起きた方に、われわれはこのような病棟を作りました。徘徊していて骨折した方とか、脳卒中になって混乱していて、どうも普通の訓練では無理だという方々が入院しています。ただ、住宅街にあり大声を出されると周りに迷惑なので、「大声禁」ということになり、大声を出す方は、ここでは断っていますが。

この病棟では、6か月間で32人の方が退院されました。そのうち、悪くなった方はともかくとして、自宅に帰られた方、それから、変わらなくて、そのままある程度コントロールできるよというので、ほかの施設に移られた方に分けてあります。

このような方々をどのように見ていたか。問題行動というものは、ご本人がどのような行動をするかといいますと、周りに迷惑を掛ける行動をすることを問題行動だと思っています。それが、薬かな、周りの対応かな、もしかしたらホルモンのバランスが悪かったから、ビタミンが少なかったからと、いろいろな原因が考えられます。

それから、ちょっとあおりすぎたかな、というのがあるのです。入院されていたうちのお一人で、全く目が見えなくて耳が聞こえない方が、自宅で生活していたときに、ヘルパーさんが来られていて、少し引きずるような感じだというので病院に連れていかれた。CTを撮って、頭のCTです。つい最近、新聞にも載りましたけれども、日本はすぐにCTを撮りますから。結果、小さな梗塞があって、「これは脳梗塞だ!」というので、2週間絶対安静で点滴を行ったのです。全然説明を受けていないので、本人は何がおきているか分からないのです。それで「何だ!」ということで暴れたのです。

この方に関して、当院で何をしたかといいますと、やはりこの人は、痴呆ではないのだというように考えて、看護師さんと介護の方々に、「無理強いしないで、ご本人の環境を設定しましょう」という話をしました。そうすると、今はこの方は個室なのですが、自立されているのです。何の問題もなく。あとは薬を減らすとか、レジュメに書いてあるようなことをやります。

メイヨー・クリニックという所では、内科の先生の1年目、2年目の研修医の時に、絶対やらなければいけないことがあります。そのクリニックにあったマニュアルがここにあります。これを見てください。たくさん字があって遠くからは見えないと思いますが。

目的のない行動は何か。それはこのような原因がありますよ。抵抗されていることが何かありますよ、このように全部原因があります。次もそうです。同じように、問題が何かありますよ、ということになります。

薬が、これに書いてあります。少し違いますが、このようなことがあるので、薬というものは怖いものだということを、看護、介護、そしてご家族にもすべて分かっていただきながら、全部それを吟味していかないといけないというようにしています。これは、ある教科書なのですが、外来のお医者さんが気を付けなければいけないという、そのような内容です。その中で、このように書いてあります。だから、今、うちの病院では、「薬を見たら毒と思え」というように言っております。

まとめますと、原因だとか誘因を分析する。つまり、この方がどのようにものをとらえているのかというようなことを見て、そしてその人の行動パターンから混乱を避けるようにし、歩くことに対してこの人は危険性がないと判断したら――どちらにしろ歩く方は歩いてしまいますから――、歩けたときに何が危ないかということを、われわれが認知して対応するような空間を保障するようにしていくということです。

それで、先ほどから申している日常生活というのは何か、ということをよく考えていただきたい。とにかく大事なのは、一緒に住む方によく分かっていただきたいということなのです。

これで終わりますが、思い出してください。先程の横向きの女性の絵がどのように見えていたか。以上です。ありがとうございました。

齊藤正身

どうもありがとうございました。

今のお話に関することが、あとできっと出てくると思うのですが、痴呆の方、歩けない状態の方で痴呆の方にリハビリテーションをすると、歩けるようになってしまいます。それは歩いてもらうのがいいわけなのですが、なかなかそうはいかないような事情もあったりして、わたしたち病院をやっている者の中でも、いつも悩むところであります。動けば動くほど介護量が増えてくる場合もあります。

ですから、そのような意味で、しっかりとした診断をつけて、こうなのだという統一した見解を持つということがきっと大事なのだろうなと痛感いたしました。

それでは、続いて、「痴呆高齢者とどう関わるか〜在宅診療編〜」ということで、霞ヶ関中央病院の副院長の齊藤克子先生にお願いしたいと思います。

在宅医療をしている中で、やはりできるだけお家の中で過ごしたいという方はかなりいらっしゃるわけです。ご家族も、大変は大変だけれども、なんとかできる限り家で過ごさせたい。そのような方に、在宅医療を担当している医師としてどう関わっているのかということ。

それから、霞ヶ関中央病院というのは介護保険の病棟がありますので、そこのショートステイ等を痴呆の方にご利用いただいたり、こちらからサービスがお伺いしている中で、どのような工夫をしているか、というような現場の話をしていただこうというように思っています。

よろしくお願いします。
基調講演V「痴呆高齢者とどう関わるか〜在宅診療編〜」 
   齊藤克子(霞ケ関中央病院・副院長)

齊藤克子

皆様、こんにちは。齊藤でございます。どぎまぎとしております。

では、用意してきました原稿ですが、一生懸命考えましたので読ませていただきます。

私の普段感じている在宅痴呆高齢者の現状からお話しします。

日本の要介護高齢者のほぼ半数は、何らかの介護や支援を必要とする痴呆のある高齢者といわれています。在宅では、医師によるきちんとした診断を受けていない方も多く、さらに専門医の診断となると、ごく限られた方しか受けていません。病院へ連れていくのも一苦労といった場合に、訪問して診察してくれる専門医がいればいいのですが、少ないのが現状です。そのために、家族の理解もなく、本人も不安や混乱のため、家族内の人間関係が悪化する場合があります。

痴呆の方は、環境変化になかなかなじめず、新しいサービスを導入しようとしても難しく、また徘徊があると、受け入れ可能な施設が制限されてきます。他の合併症があって治療が必要な場合は、受け入れてくれる病院も制限されてしまいます。

在宅で痴呆高齢者を見ることは、何と言っても家族の介護負担が大きくなります。負担感が大きくなるのには、幾つかの要素があります。 

まず、家族の痴呆に関する知識と理解が不十分である場合です。そうすると、なぜ簡単なことが分からないのか、どうしてすぐ忘れるのか、なぜ自分のことができないのか、というように痴呆を病気として受容ができず、家族のほうがイライラして精神的に不安定になる場合があります。いまだに恥ずかしいといった思いの方もいて、出かけさせることができない。「近所の人に知られたら」と思って、誰に相談しようと悩む方もいるようです。

高齢化・核家族化によって、いわゆる老老介護の方が増えています。痴呆を理解する力や受け止める力が乏しくなり、介護保険のシステムやサービスの理解・判断力も落ちている場合があります。介護者自身の体力低下や持病を抱えている場合も、しばしば見受けられます。

いろいろなことを理解し、体力もあり、介護を続けている方でも、問題行動が続くと、「こんなことがいつまで続くのか」という先の見えない不安感が募り、負担感がぐっと強くなる時期もあります。

このような現状を踏まえて、痴呆高齢者が最も落ち着いた状態で過ごすことができるはずの在宅での生活を長続きさせるため、わたしたちの経験と目指すものをお話しします。

まず、病状を正確に把握することです。痴呆の診断をきちんと受けていただき、その程度を知り、これまでの経過を見直すと共に今後の予測をしっかりと立て、わたしたちはご家族にそれを説明します。専門医のアドバイスにより内服薬が必要なら、その状態に合わせて少量から使用します。そして経過をしっかり観察し、内服薬の調整などをしていきます。糖尿病や心疾患といった他の身体合併症は、早期発見し、早期治療を心がけます。

本人の混乱をきたさないようにするには、なるべく入院しないで在宅でできる検査や治療を優先し、判断に困った場合も、まずは専門医に相談しアドバイスをもらって、可能な限り在宅で治療します。

介護者のフォローアップは最も重要であり、介護負担の軽減を図ることが、痴呆高齢者本人にとっても大事なことです。それにはまず、介護サービスの有効活用が挙げられます。

デイケアやデイサービスといった通所サービスは、刺激になり、閉じこもりや寝たきりを予防して、社会性の維持にもつながります。定期的に利用することは、生活が規則的にもなります。

ショートステイは、介護者の休息のためには最も利用したいサービスですが、本人は混乱し、一時的に痴呆症状が悪化し、帰宅したあとかえって手が掛かる場合がありますので、定期利用によりリズムを作って慣れていくことが必要です。

通所サービスで慣れた施設を利用することもいいと思います。通所サービスもショートステイも送迎が問題になることがありますが、始めのうちは家族の送迎にしたり、迎えに行くスタッフをなじみの人にしたり、身支度や送り出しに慣れたホームへルパーを利用することもいいでしょう。

訪問系のサービスを利用して家事や介護を任せ、その時間、介護者は別の場所で休息することも可能です。

精神面のフォローも必要であり、それは、痴呆という病気を正しく理解できるように説明すること。問題行動というのは一生は続かず、いつかは落ち着いていくことなどを話します。他の家族や親族が時々介護を代わってくれればいいのですが、無理な場合も、介護者の大変さを理解して声を掛けてくれるだけでも気分的には違うはずです。

ご本人のため、介護者のために、介護サービスを上手に取り入れていくことは大切なことですが、その際にわたしたちが気を付けていることは、介護者のニーズや本人の状況を的確につかむことです。

そのためには、ケアマネジャーとの関わりが重要であり、医学的な情報を分かりやすく提供し、そしてケアマネジャーからの情報を大事にして様々な状況を理解していきます。

ケアカンファレンスやサービス担当者会議には、医師も積極的に参加する努力をしています。利用者と介護者の気持ちを皆で聞くことができる。意思統一が図りやすい。サービスの頻度やケア内容の調整がしやすい。サービス利用開始後の連携がとりやすくなる。医師も参加することにより、医学的な情報が共有できるなど、結果的に得られるものが大きいのです。自分の予定が合わず参加できない場合は、あらかじめケアマネジャーと打ち合わせをし、自分の意見や聞きたいことを伝えておくようにしています。

ここで、私の法人の紹介をさせていただきます。医療法人真正会は、埼玉県川越市にあり、ご覧のとおり、二つの病院、二つの診療所、トレーニングセンター、あとは在宅系のサービスがあります。特別養護老人ホームも、一昨年12月に近隣に移転してきました。

「老人にも明日がある」を設立理念とし、「医療の原点は福祉である」、「地域なくして医療は成り立たない」ことを常に念頭に置いた上で、リハビリテーションと在宅サービスの充実を図ってきました。

平成2年に訪問医療を開始し、始めは二つの病院を退院された方を中心に診ていました。徐々に外来や他院からのご紹介の方も増えて、現在までに約900名の方を診てきました。昨年5月には、訪問診療中心のクリニックとして独立し、主に内科と皮膚科の訪問診察を行っています。平成16年1月末現在、利用者107名中、痴呆性老人日常生活自立度U以上の方が47名。約44%です。そのほとんどの方が、通所サービスやショートステイを利用されています。

霞ヶ関中央病院は、86床の介護療養型医療施設です。介護保険のスタートと同時に、ショートステイの受け入れも始めました。 

霞ヶ関南病院には、医療管理度の高い方、リハビリ評価やリハビリ継続の方の利用が中心ですが、痴呆の方の受け入れもしています。ただし、徘徊の激しい方は、建物の構造上、受け入れが難しい場合があります。

痴呆の方の利用目的は、介護者のレスパイトだけではなく、病院の機能を生かした内容になっています。痴呆の専門医による診察や評価、身体合併症の検査と治療、眼科や整形外科など他の専門外来の受診、リハビリ評価などです。

在宅介護支援センターでは、痴呆高齢者やその予備軍に対して独自の取り組みをしています。

(スライド)「ゲートボール」と書いてしまいましたが、グランドゴルフでした。グランドゴルフや料理教室、絵手紙などの創作を、閉じこもり予防教室として開催したり、地域の公民館や自治会館に出向いて、痴呆相談会を定期的に行っています。

痴呆相談会は、医師とソーシャルワーカーが対応していますが、その内容はさまざまで、「この頃、もの忘れがひどい。ほんとうに痴呆なのか」、「問題行動があって困っているが、どこに相談して、どんなサービスをどう使ったらいいか」、「すでにサービスも導入しているが、介護が長期間にわたり負担になっており、話を聞いてもらいたい」といった、痴呆の初期からベテラン介護者の方の相談まで、内容は多岐にわたっています。その内容によって、痴呆という病気の説明、介護保険の申請の説明、具体的なサービスの説明など、できるアドバイスをしています。お話をされ、それをこちらが聞くだけでも、少し晴れ晴れし、明るくなって帰られる方もいます。今年はさらに充実させて継続していく予定です。

以上のように、さまざまな取り組みをしていますが、在宅で、痴呆高齢者が生活し介護していくということは、並大抵なことではありません。在宅スタッフのチームでも、何年も検討し、いろいろなサービス利用を試行錯誤していても、いまだに介護者の負担軽減を図れない事例があるので、ご紹介します。

(スライド)N・Kさん。78歳の女性。平成10年頃から痴呆症状が出現。アルツハイマー型痴呆の診断を受けました。糖尿病や心疾患の合併症があって外出できないため受診が難しく、浮腫が強くなったのを期にやっと内科外来を受診されましたが、定期的な通院が困難で訪問医療開始となった方です。

介護者である1歳年上のご主人と二人暮しで、常にご主人と一緒でないと不安が強く離れられないため、ご主人の介護負担は相当なものでした。ご本人は、食事を取らなかったり、食べたことを忘れ、続けて同じものをたくさん食べることもあり、糖尿病が悪化しました。食事量が一定しないためインシュリンの使用も難しく、また心疾患の精査も試みましたが不穏となり中止。なんとか内服薬の調整をしながら経過を見ています。

デイサービスやショートステイも何度か試しましたが失敗し、そのうち介護者は介護疲れからめまいの発作が出現するようになり、本人を連れて個室に入院されたことも何度かありました。この入院を期に、都内に住む息子さんがご主人のみの介護は限界だということをやっと理解され、協力するようになりました。

(スライド)現在利用されているサービスは、このとおりです。始めは、食事が取れない、入浴しないというところから、ホームヘルパーを導入し、ご主人の負担軽減も兼ねて食事作りと食事介助を。そして、病状観察を含め、食事介助や入浴方法を指導する訪問看護師が入って協力するようになりました。訪問医療は継続していますが、平成12年より、息子さんの協力もあって、定期的に精神科の専門医を受診し、投薬も受けています。せめてご主人の家庭内での負担を少しでも軽減できるように配慮し、訪問サービスを導入し、ご主人にも訪問医療で診察や投薬をし、めまい発作など急なときにも対応できるようにしています。しかし、日々のほとんどの介護がご主人に集中し、介護も長期になって精神的な疲れも見られ、通所サービスやショートステイが利用できないままお二人とも高齢になって、負担はさらに大きくなっています。

多くの高齢者は、介護が必要になっても自宅で家族と共に不安のない生活を送りたいと考えています。不安や混乱の中にある痴呆高齢者にとって、フラストレーションのなるべく少ない生活を送ることで、痴呆の進行を遅らせたり、安定した状態で過ごすことができるはずです。

痴呆高齢者が自宅で過ごすことは、最もフラストレーションの少ない生活が送れるはずなのに、介護者の負担が大きくなり、本人と家族の人間関係が悪化してくると、自宅での生活がかなわなくなってしまうことも、しばしば見られることです。

介護者は、多くの無理をせず、完璧を求めず、自分の生活も大切にしながら痴呆高齢者と共に生活できるような援助を、わたしたち専門職がしていけたらと思っています。

  高齢者はハッピー!介護者もハッピー!そうなると、私たちもハッピー!です。みんなでハッピーになりましょう。

齊藤正身

ありがとうございました。

在宅で見ていくのは、やはりかなり大変なことでして、相談相手が家族以外に一人でもいるかいないかで大きく違うということがあります。そのようなところで、医者が相談相手のような役割ができればいいなというのが、いつも実感として感じることです。

しかし、なかなかそうもいかない地域もあったり、場合もありますので、やはりそのようなことをもっと運動していかなければいけないかなというように、いつも痛感しているところです。

続いて、藤田博司先生です。医療法人愛の会光風園病院の副院長さんです。藤田さんからは、「痴呆高齢者の身体合併症への対応」というテーマでお話しがあります、内科医をされている立場で、痴呆の方がただ単なる痴呆の問題だけではなくて、そこにいろいろな合併症が加わってくる。その合併症の治療という部分でもいろいろな取り組みをされている方です。

では藤田さん、よろしくお願いいたします。

基調講演W「痴呆高齢者の身体合併症への対応」 
   藤田博司(光風園病院・副院長)

藤田博司

光風園病院の藤田といいます。今日は、「痴呆高齢者の身体合併症への対応」ということです。先ほどからのお話で、痴呆のある方の医療というのは大変だという感想を持たれている方もあるかもしれませんが、うちの病院での取り組みについて、少しお話をさせていただきます。

ただ、私の講演の中で、患者様のお写真が3枚ばかり出てきます。3名の方とも、一応、ご本人、それからご家族にお話をしてありまして、痴呆の方のこのような勉強会であれば使ってもよろしい。自分たちの姿を皆さんの前にさらすわけですが、これが皆さんの勉強の一つになってもらえればいいということでご了解を受けておりますので、その点、その3名の方には感謝をしながらお話を進めたいと思います。

痴呆高齢者の身体合併症で最大の課題というのは、当会での医師のワークショップで出てきました。平成10年だったと思うのですが、このような問題点が出ています。それは、どのような合併症が、どのぐらいの頻度で出てくるかということです。  

それから、痴呆があるということで、本来取るべき治療方針が変わるのではないか。治療方針はどう決定するか。あるいはそれに必要な処置をするときに、どのような対応をするか。かつて身体拘束の問題がたくさん出てきましたが、そのようなことについてどうするかという問題ですね。

それから、最初に斎藤先生がお話しになった、インフォームド・コンセント。先ほどのお話では、それを実際に受けられる権限を持つ人はいないということなので、もっと大変な問題なのだと思うのですが、だれが意思を決定するのか。あるいは終末期になったときに、だれが本当にこの方のQOLを見ることができるか、という問題点が出ています。

まず、高齢者によく見られる疾患。これは、当会の『老人医療実践マニュアル』という本があるのですが、その中で、脳梗塞、高血圧性脳出血とか、このような脳疾患ですね。それから多いのは、肺炎。元議員の山中さんが、昨日この肺炎で亡くなったという新聞記事がありますが、高齢者の死亡原因で最も多い肺炎。それから、高血圧、糖尿病という、いわゆる成人病。それからイレウス。これは、高齢者の方、大変な便秘症の方がたくさんいまして、腸が動かなくなってくると腸閉塞のような状態になる。このような、いろいろな疾患が高齢者によく見られます。

では、痴呆の方はどうなのでしょう。わたしたちの病院に痴呆病棟というものがあるのですが、40床の介護保険の適応病棟になっています。対象としているのは、重度の痴呆があって専門的ケアを必要とする患者様です。

どのようなものが専門的ケアかというのは、本日は他に重要な話がありますので簡単に言ってしまうと、本人のフラストレーションを取って、いかに楽しく生活をするかということを実践することで問題行動が無くなっていく。そして、問題行動が無くなれば自宅へ帰っていただくということをしています。

もう一つは、身体的疾患に対する医療度が高いけれども、重度の痴呆があるためにほかの医療施設で対応していただけない方を受け入れています。主にここに入っていらっしゃる方の痴呆度というのは、長谷川式スケールという基準で、大体3点以下という高度の痴呆の方ばかりです。

居室には、ベッドがあって、たんすがあって、いすがあって、柵が無くて、ナースコールがあって、という、ごく普通の患者さんが入院する部屋と何も変わることがないようにしています。

日中よく過ごされている食堂は、流しもありますし、花も飾ってあります。どのような問題行動がある方が入ってこられても、特に日常生活を変えないというポリシーで行っています。

今回、お風呂を改装しまして、すべてこのような個室浴槽になりました。個浴にして、入院されている方の日常生活が全く変わらないようにしています。

そのような十分なケアをすることで、問題行動を減らして落ち着いた精神状態になっていただいております。

そこで、平成13年1月から平成15年12月までの3年間に、この病棟に入院歴のある患者さんについての分析をしました。

男性42名、女性63名で、105名の方がこの病棟を利用されていました。

(スライド)基礎疾患といいますのは、痴呆を起こしている元になっている病気です。アルツハイマーが16、脳梗塞が31と、非常に多いのですが、ほかに脳出血、くも膜下出血などの疾患が痴呆の原因になっています。この方たちが入院してこられた時、その時既に持っていらっしゃった病気を合併症と呼んでいますが、高血圧の方が21名。糖尿病の方が12名。慢性の呼吸器の病気が10名。循環器、という方がありますが、ガンの方も8名入院されています。中には、徘徊があるためにお世話ができないということで、あるホスピスからわざわざ紹介されて、うちでホスピスケアのために入院された方もあります。 

そのほか骨折があり、リハビリテーションをしなければいけないのですが、先ほどの土田先生が一生懸命やっていらっしゃるような病院と違って、リハビリテーションがうちではできないからということで当院に送られてきた方もあります。

そのような方たちが入院中にどのような疾患を発症したか、3年間で見てみました。そうすると、やはり一番多いのが肺炎です。30例の患者様で、67件、肺炎が発生しました。尿路感染も29件、18名です。このように、元々高齢者に多いという疾患は、やはりたくさん発生しています。

しかし、注目しておかなければいけないのは、骨折なのです。手術が12件、保存的にされたものが18件で、30件骨折が起こっています。

これは、わたしたちの病棟が特に身体抑制を全くしないというポリシーで、徘徊もかなり自由にしていただけるような形にしているからです。先ほどの基礎疾患の中に脳梗塞例がたくさんありましたが、そのためにどうしても転倒・骨折ということは防ぎきれないということで、この数になりました。これが、私たちの病院の特徴ではないかというように思っております。ほかに、腹膜炎で手術された方などがあります。

では、そのような方について、ほかに治療法として何か変わったことをやっているかといいますと、はっきり申し上げて(最初の課題の1なのですが)、特に変えてはおりません。肺炎については、きちんと抗生物質の投与、点滴が必要であれば点滴もします。

(スライド)この患者さんは今、点滴をしているのですが、特に身体抑制はしていません。ただ、この方は、放っておきますと点滴の針を抜いてしまいますので、詰め所で看護師がにこやかな顔をしながらお話をしているのです。点滴のルートは、わざわざ頭のほうから下げていって、本人の目になるべく入らないようにする。このようにすることで、点滴ルートに気がいかないようにし、点滴を抜くということもなしに、しかも、このように、にこやかに点滴をするという風景が見られているのです。このような取り組みをすることで、治療が可能になっています。

(スライド)それから、先ほどたくさんありました骨折が、ここにずらっと並んでいます。ほかに、ヘルニアや腹膜炎などで手術をしたという話になります。しかし、これらについては、私たちの病院では手術ができませんので、すべて近隣の整形外科の先生、あるいは総合病院にお願いして手術をするのです。

どの手術方式を採ったとしても、注目していただきたいのは、この転院日数なのです。手術をするために、大体3日、4日ぐらいの転院日数。2日でもう帰ってきたという方もあるのです。この方は、丸2日かかっていますが、実際には20時間くらいしか転院していなかったのです。要するに、手術はしていただいて、術後はうちの病院でリハビリテーションなり術後のケアをする。精神的ケアもきちんとしながら術後を見ることで、このような方の手術も可能だと思っています。

(スライド)ここに患者さんがいらっしゃるのですが、後ろに立っているのは病棟看護師とリハビリスタッフです。わざわざリハビリ室まで行かなくても、広い食堂を上手に使って日常生活を上手にしながら、上手に徘徊をしていただいても歩行練習になるのではないかと思っています。土田先生は異論があるかもしれませんが、私はそう思っているのです。

このように、日常生活について、看護師とリハビリスタッフが患者さんを前に話をして、では、どのようにしてこの方のリハビリテーション、歩行訓練をしようかということを行っています。

このようにして3年間診てきて、皆さんがどうなったかといいますと、この病棟からほかの病棟に移った方。これは、特に大きな問題行動が無くなったとか、先ほどの脳梗塞、特に多発性脳梗塞等が進行することによって、少しずつ機能が失われていき、元気に徘徊できる病棟でなくてほかの病棟へと行かれた方もあるのですが、21例がほかの病棟です。退院された方が47人。そのうち自宅へ帰られた方が14人。特別養護老人ホーム10名。老人保健施設が3名。そして、結局16名の方が亡くなっています。

死亡原因を見てみますと、やはり肺炎は5例。30人の方が肺炎を起こして、そのうち5例の方は重症になって亡くなりました。ほかに、心不全、脳梗塞、このような疾患で亡くなっていますし、元々の合併症であるガン死の方が2名と肺炎の方が1名ということです。中には老衰の方もいます。これは、痴呆があるかないかということもあるのですが、ご本人が積極的に食事を取られなくなる。「食事を本人の意思で拒否しているな。ほかの栄養方法も、本人の意思でどうもこれは拒否しているだろう」ということを、ご家族と話し合いをし、本人の機能も見ながら、これはもう老衰に入ったという方については、特別に経管栄養などをしないで、そのままQOLを高めるようなケアをしながら看取りをするということで、3名の方が亡くなっています。

(スライド)一例、症例を出したいと思うのです。72歳の女性の方で、糖尿病があります。70歳のころから痴呆症状があって、訪問看護を受けてインシュリンを使用しているということだったのですが、平成14年になってグループホームに入所されています。入所したグループホームで、食事がどうも不安定なために血糖コントロールができないということで、私たちの病院に紹介で入院されました。不明瞭な発言があるけれども、意思の伝達はそこそこできていて、興奮などの問題はない。ただ、食事が不安定なためにうまくコントロールができないということでした。

この方が入院され3か月ぐらいして、実は肺炎を発症されました。一週間ぐらいで肺炎は軽快したのですが、食事が取れないため流動食になりました。流動食ではむせてしまうというので、もう少し固めの「つるん食」という、ミキサー食を固めたようなお食事に変えてみました。ケアカンファレンスをして、食事の変動が非常に悪いのですが、覚醒状態が悪く、脱力もあって、食事があまり取れない。リハビリスタッフと連携して、なんとか身体を起こしたりして刺激を与えて、少しでも改善しようではないかということをやってきたのですが、脱水になり、一時、状態が悪くなります。点滴をして脱水を改善したのですが、やはり食事が進まない。何か他の状態が起こっているのではないかということで、頭部CTを撮りました。撮ってみたところ、脳梗塞などという大きな病気は起こっていなくて、ただ前頭葉を主体として脳が萎縮、小さくなっていっているという所見でした。「これだったら、痴呆としての脳の所見だけですね」ということでもう少し行っていたのですが、肺炎を繰り返すようになりました。

そこでご家族に、「全身状態が悪くて、認知力が低下してきて、食事が取れていません。今後、脳の変化からして認知状態が良くなる、痴呆が良くなるということはないけれども、全身状態だけでも維持するには、経管栄養をしなければいけないかもしれません」というお話をして、カンファレンスでも経管栄養をするかどうかということを検討することにしました。

さて、この患者さんの経管栄養は、本当に適用があるのでしょうか。もし、経管栄養を行わなければ、栄養障害が確実で、点滴を続けても3か月前後の寿命で、いわゆるターミナルケアになります。経管栄養をした場合に、痴呆があって、CTで脳萎縮もありますので、わずかにコミュニケーションが取れる状態で経管栄養のままずっと、ひょっとしたら最期になるかもしれないということですね。

私たちの病院の、経管栄養の考え方なのですが、経管栄養というのは、あくまで安全な栄養方法であるということ。適切な栄養管理を行うことで、患者様により良い療養生活が保障されるということがなければ、適用はない。特にこのことによって、食事の楽しさを失うことに対して、それを埋めるだけの十分な生きがいをご本人に与えることができなければ難しいのではないか。悪性腫瘍の終末期とか意識障害、老衰などの、栄養管理をしてもただ単に延命になるという場合には、患者さんの苦痛とか経管栄養を行うことの意味を十分に考慮しなければいけない。否定はしないけれども安易に行ってはいけない。それから、経管栄養の実施にあたっては、本人あるいは家族とよく話し合って納得をしていただけなければ行わない、ということにしています。

(スライド)それで、この方は別の患者さんなのですが、非常ににこやかなお顔をされています。ここに一本、管があるのですが、この方はここに胃ろうが作ってあります。これは、今、胃ろうから経管栄養を流しているところなのですが、この方は、経管栄養中もこのようににこやかな状態ですし、胃ろうからの経管栄養が終わると、またスタスタと元気に病棟の中を歩いていらっしゃったり、アクティビティーに参加して楽しんでいらっしゃる。ただ栄養は胃ろうになっているという方です。この方は、この状態で9か月過ごされて、やがて脳梗塞の再発で亡くなっています。

そこで、経管栄養をしても十分にご本人にQOLがある場合には経管栄養をしますが、ということで、ご家族に、「今のところ食べやすい食事を出しているけれども(この時期一日2割くらいの食事量がせいぜいだったのです)、本人の認知力に問題があって口もなかなか開けていただけない状態であるし、点滴をしても数か月の寿命と思われるが、経管栄養で延命をするかどうか、ご家族でも考えていただけませんか」というお話をしています。結局、ご家族も4、5日家族会議を開かれたようで、意識があり、なんとか話もできる。意識がある間は生きていてほしいということがご家族の結論で、経管栄養をすることにしました。

カンファレンスをして、「これからの全身状態、QOLを考えて経管栄養をするけれども、前頭葉の萎縮があるので、今後の回復が可能かどうかは分からない。しかしながら、今後も声を掛けて刺激をしたり、座る練習をしたり、口腔ケアをしたり、口腔の感覚を残したり、褥瘡や、関節拘縮を防いだりして、QOLを高めながら少しでもまた回復することを目指してみようではないか」ということで取り組んでみました。

そうすると、4月の中頃に経管栄養にして、6月の初めぐらいに、どうも本人が何か食べたがる素振りがある。そこで、一口ゼリーというものを買ってきて食べていただくと、1、2個はどうも無理なく食べられているようだということが分かりました。そこで、楽しみ程度におやつに食べていただこうか、あるいはティータイムの時間にアイスクリームを食べていただくようなことをしたら、ご本人も少し喜ぶのではないかということで、それを続けていました。

それから2か月経ってみると、どうも、手も足も関節可動域が広くなっていて、いろいろなことをお話ししても反応が良くなっている。非常に活動性が上がってきまして、9月になると、鼻腔カテーテルが嫌だとばかり、自分で抜いてしまうような状態になっています。このために肺炎を起こしてしまいまして、ご家族に、「このままだと鼻腔チューブをしょっちゅう抜かれます。そばに付いて見ていて栄養を差し上げることはできるのですが、そのために何度も入れ替えするのも大変ですよ」という話をしました。胃ろうを作りましょうということで、ここで胃ろうを造設しました。

胃ろうでしっかり栄養を取りながら、このような一口ずつ食べるというようなことを進めていったところ、11月くらいになってくると「食べたいという欲求が非常に強くなってきて、自分で手を出して食べようとされていますよ」ということなのです。しかも、座る耐久性もかなり付いてきたとういうことなので、12月から一食分。12月の終わりに二食。12月の最後には三食ともゼリーで固めたお食事が口から取れるようになったのです。この時点で、一応、経管栄養を終了しました。

現在、2月なのですが、結局、肺炎を発症されてから約一年ちょっと。現在、元のようにまで元気ではないのですが、車いすで離床して病棟の中で楽しむことぐらいはできるようになっていて、食事も三食食べていらっしゃいます。

そこで、わたしたちが考えているのは、高齢者の終末期というものは、普通考えると、進行ガンとか再発ガンで現在いかなる医療を行っても根治できないとき。それから心不全や感染症、脳血管障害で積極的に治療しているが、全身的に回復が望めない、何をやってもなかなか難しいですね、というとき。

このようなときと、さらに年齢が進んだり痴呆の進行で、食事をしなくなったり寝たきりになった状態を、一応、終末期と考えましょうというようにしています。

しかし、先ほどの症例の方のように、痴呆の進行で食事をしなくなって寝たきりになったとあまりに早く判断をしすぎると、この方の場合は、いわゆる見込み発車の終末期ということになってしまうわけです。

特に痴呆の患者さんの場合には、肺炎を起こしたあとの回復が非常に悪かったり、コミュニケーションが取りにくい。しかも非常に意欲が低下するということで、終末期と誤ることもあるかもしれない。もっと慎重に診て差し上げなければいけないというように、最近は思っています。

以上です。どうもありがとうございました。

齊藤正身

ありがとうございました。3つの病院の各々の取り組みといいますか、外から見ると同じような病院に見えるかもしれませんが、やはり各々の病院、取り組み方も違ったり、実は病棟の種類も違ったり、外からはなかなか見えないようなこともあると思います。この辺も、ある意味では課題なのかもしれません。  

ただ、光風園病院は、お食事のことなども一生懸命ですし、それだけではなくて、桜が千本もございます。もう少しして行くと、きっときれいだと思います。無理に行くこともないですが、お近くの場合は見に行かれるといいと思います。下関で、とても風光明媚な所で、きっと穏やかな気持ちで療養されている方が多いのではないかというように思います。どうもありがとうございました。

  それでは、病院関係者からの報告が続いたところで、最後に、これは介護者の立場ということで、「老人医療を利用する立場から介護者としての発言」というテーマで、NPO法人たすけあいの会ふきのとうの木島美津子さんからお話をいただきたいと思います。よろしくお願いいたします。

基調講演X「老人医療を利用する立場から介護者としての発言」 
   木島美津子(NPO法人たすけあいの会 ふきのとう)

木島美津子

木島と申します。非常に緊張していますので、原稿を読ませていただきたいと思います。

父の介護を通して体験したこと・感じたことをお話ししたいと思います。

父は、今年の1月の末に亡くなりまして、本日は結果報告のような形になります。

まず、私のことですが、「たすけあいの会ふきのとう」という市民互助型の助け合いの団体で働いています。16年前、千葉県の四街道市という所で市民の間から生まれました。当時は、措置でしか福祉サービスを利用することができませんでしたので、その公共のサービスから漏れた方たちのために、枠を外して、だれでもが利用できるようにと設立された会です。お互いに対等。利用者もわたしたちも対等であるために、有料としたボランティアの活動で、活動はかなり多岐にわたっております。私は、介護保険開設と同時にサービス提供責任者をさせていただいております。

そして、父のことなのですが、父は、千葉市に50年間住んでいました。器用な人で、定年退職後は、好きな植木いじりやペンキ塗りなど、様々なことを自分の趣味を超えた範囲でやっており、近所の方を手伝ったりもしていました。昔かたぎの実直な頑固者で、仕事に対して自信を持っていたので、丁寧でしたが、人の意見は聞きませんでした。人間的にはとても優しくて明るい人でした。

83歳の時、そのような仕事をしている時に、はしごを踏みはずして、アキレス腱を切ってしまいました。それで入院したのですが、この時に、リハビリを受けている所から病室に帰る道が分からなくなったり、夜、トイレに行ったまま部屋に戻れないというようなことがありました。

それ以前にも、少しそのような症状は出ていたのですが、今度は、父が入院していた最中に、母も転倒して骨折をしまして、一緒に入院をしました。母には腰痛がありました。

退院してきた時、父の痴呆が少し進み、日常生活に多少支障を来してきました。母の介護力にも問題があったので、介護保険の申請をして、すぐデイサービスを週2回利用するようになりました。訪問介護で人が入るのを嫌いましたので、私が散歩と入浴で、週に2回ぐらい父の面倒を見ることになりました。

そのような状態を1年近く続けていたのですが、2002年の1月、腰痛持ちの母の介護力に限界がきました。本当に突然、父が私の家に来ることになりました。父にとって、いかに娘の家と言えども、慣れない所での生活は大変だったと思います。

うちに来ただけでもかなりの負担だろう、父の生活リズムを壊さず、できるだけ実家にいた時と変わらない生活をしてもらおうと思いました。私が、かなり忙しい仕事を持っていたので、父の生活とのすり合せが大変でした。それで、実家と同じく、デイサービスの週2回の利用と、訪問介護をお願いして、デイサービスの送迎や散歩などをしてもらいました。そして、ショートステイも利用しました。一緒に暮らしていく中で、お互いにそれぞれの生活を少しずつゆずって見つけたのがこの方法でした。

その中で一番苦労したのは、私は時間のきちんとした生活をしていなかったので、一日の食事を、父が決まった時間に食べるということが大変でした。それと排便。とてもひどい便秘だったので、排便のコントロールも、結構悩みの種でした。最初は父に合わせているつもりだったのですが、いつのまにか私の生活のペースになってしまい、いろいろな事にとまどっていたようでした。そのようなことが、父にどういう影響をもたらすのか、いつも悩みながら行っていました。

その中でもう一つ大変だったのが、通院でした。50年間住んでなじんでいた場所でしたので、病院を替えたくなかったのです。父も、そこの病院にとても慣れていたものですから。その病院でなんとかやっていました。けれども、月に3回ぐらいの通院になると、大学病院なので、2時間から3時間待つのが普通ということで、父の体力にかなり負担がかかってきました。いずれは病院を替えなければならないかなと思っていました。

通院中に感じていたことがあります。全部の先生ではありませんが、患者である父が目の前にいるわけですね。それなのに、病気の説明をする時、病状を本人には聞かないで、本人を通り越して介護者である私に聞きます。その時に父の顔を見たら、気が弱かった人なので、困ったような、何とも言えない顔をしていたのが、とても悲しく思い出されます。お医者さんは、痴呆と思わず、年寄りと思わず、説明をしてほしいなと、その時すごく思いました。

2002年の10月、私が仕事で帰りが遅くなった時、父がベッドから落ちていて、出血していたので、救急車を呼びました。胃潰瘍でした。入院したのですが、どうしたことか、大きな声で歌を歌うのです。今までそのようなことはなかったのに、とにかく一晩中歌って、おかしいやら大変やら、本当に困ってしまって。次の日、看護師さんもとても困っているのが分かったので、「もし、この検査をするのが、通院でできるのであれば、そのようにしていただきたいのですが」と相談したところ、OKがでまして、一晩で退院してきました。その時に、「ああ、もうこの状態だと入院がきつくなるな」という感じがしました。   

事実、それからはもうずっと歌っているのです。電話の声も聞こえないくらい歌っていました。話し言葉すら歌に替えてしまう。これはとても楽しかったのですが、入院はできない、という思いでいました。

2003年頃より、たまに発熱がありました。その原因が分からなくて。千葉の病院に行っていると、待つのが大変なので、近くの医院にかかりました。 

ホームドクターのような存在の病院も、予約があったり、遠かったので、近くで日頃まめに行くというわけにはいきませんでした。

それで、近くのホームドクターを考えるようになりました。そこで相談をしたら診てくださるということと、介護保険の更新も、いずれはその先生にしていただくということでお話をしてきました。病院でも、本人の負担のないようにということで、紹介状をもらうこともでき、手はずを整えました。

アキレス腱を切った頃から、非常に皮膚をかゆがって、それがひどくて。病院には皮膚科がなく、開業医にずっとかかっていました。お薬をもらっていたのですが、一向に良くなりませんでした。

2003年頃から、本当にかゆみがひどくなってきました。足の間に、うずらの卵ぐらいの水泡ができていました。皮膚科に行くと、水疱を破いて治療してくれるのですが、薬は変わりません。あまりにもひどくなってきて、皮膚科を替えました。そこで、強いステロイドを使いすぎたことによる副作用だと言われ、治療法が全く変わりました。  

それ以後、体中に水泡ができ、父はかゆみと痛みに苦しみ、私は朝晩1〜2時間かかる包帯の取り替え、山のような洗濯物、通院で、日常生活が壊れてきました。そのころと大体並行して、元々むせやすい人だったのですが、嚥下が大分悪くなってきました。熱が出たり、いろいろな症状が5月頃から徐々に出て、体の機能が落ちてきました。姉が宇都宮にいるので、1か月のうち2週間、もしくは3週間、手伝いに来てもらうようになりました。

父の状態も少しずつ落ちているというのが分かりましたので、熱を出した時に、先生の所に行って、これからの事をお願いしました。また、私は父を引き取った時から、父を家で死なせてあげたい、病院ではなく家で最期を見たいとずっと思っていました。そのこともドクターにお話しして、了承してくださいました。その時も、皮膚の状態が非常に悪化していたので、父の病状をどうして取り除いてやるかという、本当に暗たんたる思いでいました。

日々の介護生活は、父の明るさで、大変は大変でも楽しかったという状態だったのですが、このような状態がずっと続いて、9月ですね。急にものが食べられなくなったのです。口当たりの良いものをあげると少し食べるので、栄養状態はそれほど落ちていないと思いながら、私は皮膚の手当ての方に気持ちがいっていました。1週間ぐらいして、やはり食べる量が減っているということで、先生に相談しました。その時に、「在宅でこのまま見るか、入院するか、家族が決めてください」と言われました。その時、私は頭が真っ白になってしまって、もうそのような状態まできているのか。まだ元気なのにと、入院は保留にしてきました。私としてみれば、点滴で少し水分補給というぐらいの気持ちで行ったのです。連休の前で点滴もやってもらうことが時間的に難しいということで、「連休明けに行きますからね」というドクターの言葉を頼りに、家に帰ってきました。それでその時に、エンシュアで栄養を取ってみましょうということで、エンシュアを飲んだのです。とても喜んで、「大丈夫だね」と言いながら。

9月15日、水分補給が水だとむせるので、氷を少し口に入れたのですが、むせてしまい、いつもと非常に違う状態だったので救急車を呼び、以前かかっていた病院に入院しました。入院した翌日、先生に「呼吸不全で非常に重篤な状態だ」と言われました。そして、その時に関わった先生、各担当の先生方にいろいろ丁寧な説明を受けました。しかし、「危険なときには管を入れますが」という説明で、私達家族は、ピンと来なかったのです。それはどのようなことか、管を入れるのはとても痛いことなのか、苦しいことなのかと伺ったところ、とても痛くて麻酔でなければ入れられないということ、管を入れて、もしそれが駄目になったら人工呼吸器になると言われました。父の、そのような怖い思いはしたくないという話は、前々から聞いていました。父は注射一つでも嫌いな人でした。そのような人に苦しい思いをさせたくないと思い、「そんなに苦しいものだったらしてほしくない」と言いました。そうしたら、「心臓マッサージもやらなくていいのですか」と言われて、びっくりしました。「えっ!」と思いましたが、思わず「はい」と答えてしまいました。しかし、わたしたちは無知だったので、そのような時でも、心臓マッサージも了解を得ないとやらないのかと驚きました。

そして、入院3日目ぐらいに、危険は脱していないが容体が安定したということで、看護師さんから「今日は、まだ熱が下がらないけどシャワー浴をしました」という言葉に本当にびっくりして、傷も本当に丁寧に処置されているので、とても嬉しくなったのを覚えています。

人工呼吸器の話の時、私はとても苦しい思いでした。管を入れないでくださいと言った時に、父の命を決めてしまったと自分の中で思ったのです。本人が、今、苦しい状態でいる時に、私がそのようなことを決めていいのか。もしかしたらこのまま、父を殺してしまうかもしれないという思いでした。ICUに入っていたのですが、父の命を決めてしまったのではないかという思いをずっと持っていました。

IVHをつけているのを見て、食事するのはもう無理なのかなと涙が出てきたら、師長さんが、「大丈夫。嚥下の訓練をしてからおうちに帰しますよ」とおっしゃったので、気持ちが落ち込んでいたところを励まされ、希望を持つことができました。病状はどうあれ、そのような思いでいました。

10日ぐらい経つと個室に移ることができ、状態が大分落ちついてきました。今度はMRSAと緑膿菌が出てきて「かなり難しい状態です」と言われました。正比例のように、水泡はきれいになってきました。 

3週間目、急に師長さんに、「退院してください。別の病院を探してください」と言われました。「病院はこちらで探してあげます」という話だったのですが、どの病院を紹介されるか分からなかったので、私が2、3、どうしても入れたくない病院名を伝えて、そこには絶対入れないでほしいというお願いをしました。その時、師長さんに、「どこか心当たりの病院があったら言ってください」と言われました。

翌日、ソーシャルワーカーに、MRSA、IVH、カテーテルが付いている状態で転院はなかなか難しいというお話をしながら、「どこか知っている病院はありませんか」とおっしゃったことに対して、ソーシャルワーカーの役割というものに、疑問を持ちました。

それで、次の転院先の病院と面接をしまして、その病院で説明を受けたのですが、それはとてもありがたいものでした。6か月のリハビリ入院をして、そのあとでも療養型でいられますということで、その時の状態ではどうなるか分からなかったこともあり、その説明にとても安心しました。転院する前にIVHは取れました。転入院して10日ぐらいでカテーテルも取れ鼻腔栄養となり、MRSAも解放病棟で、それほど難しいこともなく受け入れられました。ただ、高額な医療費は、年金生活者には厳しいものがありました。

傷が本当にきれいになったということと、そこの病院では父はとても大事にされているなということが、看護師さんたちの対応の中で、感じることができました。病院の中で挙げている目標と、看護師さんの力量とか姿勢に大きな差があることも、毎日見ていると分かってきました。

ある時、リハビリで後ろを支えながら歩くことができるようになり、もう嬉しくて。病院の中は広かったので、散歩をしたり、笑顔が出るようになりました。

しかし、1月に急変し、呼吸不全で亡くなりました。亡くなった時は、管を一つも付けないで、体も傷つけないでということが、せめて父の怖さをなくしたかなと思いました。 

病院の中で、父のために様々な試みを行ってくださったのは、とても嬉しい事でした。心安らぐことが多かったのですが、中には、言葉は優しいけれど、手元はものすごい早さで吸引する人、口腔ケアを無言で行う人。臆病な父はどう感じるか。驚いた顔をして、口を閉じてしまいます。家族にとって不安な事でした。痴呆の患者や能力の落ちた患者に接する時、相手の不安を感じてほしいし、人として尊重してほしいと思いました。

病院には感謝していました。暖かくなったら、いつか家に連れて帰ろうと思っていました。

仕事を通しては、お年寄が、加齢による喪失がもたらす不安は予想以上に大きい事、また、その不安の中で、医療を最後のよりどころとしている場合が多く、痴呆だからという扱いが及ぼすダメージの大きさなどを感じていました。

父の介護はこれで終わりましたが、また私には母の介護が待っているのかなと思っています。母を介護するとき、父の介護で体験したことがどのように生かしていけるか、今、自問自答しているところです。

長い時間ありがとうございました。

齊藤正身

木島さん、ありがとうございました。

本当におつらい時期に、ここまで詳しくお話をしていただいて、わたしたちの会が今後やっていかなければいけないことを示唆してくださったような気がします。肝に銘じて皆で頑張っていきます。

シンポジウム
齊藤正身

後半のシンポジウムに移りたいと思います。

それでは、ここからは当会会長の平井に司会をバトンタッチ致します。では、よろしくお願いします。

平井基陽

司会を担当いたします、平井です。私は老人の専門医療を考える会の会長で、奈良県の秋津鴻池病院の院長と理事長を兼務しております。

最初に申し上げましたように、本日おいでくださった皆さん方が主役ということで、どのようなことでも結構ですので、ご意見なりご質問なりをお受けしたいと思います。

最初に、今、発表いただいた方々に対して、「ちょっと分かりにくかったのだが、これはどういうことですか」とか、そのような質問から始めていただければありがたいのですが。そうでなければ何でも結構でございます。

ただ、ご発言の時は、本日は様々な方が見えていらっしゃると思うのですが、利用者の立場、患者側の立場、あるいは医療提供者側の立場というようなことで、お名前と、差し支えない範囲で所属等とをおっしゃっていただければありがたいと思います。よろしくお願いいたします。

     それではどうぞ。手を挙げていただければマイクを回しますので。はい、どうぞ。
発言者1

訪問看護ステーションに勤務している看護師です。○○と申します。

実はいろいろ悩んで、本当に昨日まで、この仕事を退こうかと真剣に思いながら、職場に通っていました。

訪問先では、本当にいいご家族に励まされる思いです。

あるご家族は、おばあちゃまがお独りでいるところを、わたしたちが様々な形でサポートさせていただいているのですが、お孫さんも素晴らしいし、お嫁さんも素晴らしい。ご家族皆さん素晴らしいという、とても感謝が多い患者様です。

学生さんと一緒に、前の週に一度訪問させていただいた際、お孫さんに初めて会いました。その時に、患者様がお孫さんに「ばあさん、百まで元気で生きろ」と言われている。このような子は、このようなおばあちゃまから育つのだなと感じるようなケースで、見ていて本当に幸せだなと思います。そのような所でお手伝いをさせていただいております。  

本当は、学ぶことのほうが多いです。

いつ、介護される立場に自分がなるか分からないから、こういうことは順番だということを、私なりの言葉でお伝えすることがよくあります。本当にそう思います。

私自身、本当に悩みに沈んでいて、でも明るく訪問したのですが、患者様は、私を待っていてくださるのです。それで、たまたま、ゆっくりお話しを聞いてあげられるチャンスを得まして、聞き手に徹して、「お孫さん、本当に素敵だね」と尋ねたのです。そうしたら、お孫さんに「『ばあさん、今、感謝度何%だ?』と聞かれる」ということを初めて聞きました。「今、100%」と答えると、「そりゃあ、ちょっと足りないんじゃないか」と言うそうです。「130%だ」と答えると、「まあまあいいな」と言うそうです。なんて素晴らしいのだろうと思った時に、この仕事を辞めてはいけないと思いました。頑張ろうと思っています。

最後に、木島さんがご自分の体験を話してくださって、本当に勉強になりました。言葉の大切さ、まだ亡くされてから間もないのにお話を聞かせていただきまして、本当にありがとうございます。

本当に今日は来てよかったと思っています。ありがとうございました。
平井基陽

ありがとうございました。辞めなくてよかったです。頑張っ

てください。ほかにございますか。どうぞ。

発言者2

秋田県から来ました。医師です。

最初の斎藤先生に伺いたいことがあります。

痴呆性高齢者のための制度として、地域福祉権利擁護事業、これは費用が安いというお話でしたが、実際、わたしどもの地域にも、このようなことが必要と思われる患者さんが大変多いのです。

けれども、そのような場合に、ほとんど年金しかもらっていない方が任意後見制度などを受けるときは、費用が大変で受けられないのではないかという話があるのですが。

これに掛かる費用など、その辺についてお聞きしたいのです。

斎藤正彦

任意後見契約は全くの任意契約ですから、受け手がいくらで受けるかによるのです。公的後見の場合の、例えば後見保佐の費用というのは、原則として家庭裁判所が決めます。いくらかかったということを申告しますが、家庭裁判所が決めます。

一般的に任意後見を、例えば弁護士さんや、「リーガルサポート」という司法書士の組織が全国組織で財団法人を作って、保護してくれる人がいない人のために、後見人を派遣するという仕事をしています。そのような所だと、財産の多寡にもよりますが、月に2、3万円かかります。

ただし、地域福祉権利擁護事業は、数百円から千円、二千円、そのくらいの単位です。

それから、生活保護世帯に対しては無料になります。

ただ問題は、地域福祉権利擁護事業は全国でやっているはずなのですが、地域の社会福祉協議会の力量によって、ものすごく力の差があります。
平井基陽

よろしゅうございますか? はい、ではどうぞ。

発言者3

介護老人保健施設から来ました、○○といいます。

土田先生と齊藤先生にお伺いしたいのですが。

うちは、老健施設100床で、痴呆専門棟が50床あるのですが、やはり他の施設や他の病院では受け入れができないという方がほとんどで、結構重症の痴呆老人が多いのです。

その中で、土田先生がおっしゃった行動障害と原因というのをアセスメントして明らかにして介護しているのですが、情熱だけではできないものがあります。やはり精神科の先生に適切なアドバイスをいただいて、介入してもらうということができるといいと思います。

しかし、精神科の先生は、分裂などには興味があるのですが、痴呆専門で興味を持たれる先生は少ないように思えます。1回の受診だけではなかなか解決できないものがあり、結局行き着く所は、今まで利用していた老健などです。   

そのようなことでいつも葛藤しているのですが、精神科との連携やコミュニケーション、お医者様の考えなどをお聞きしたいと思います。

それからもう一つは、この行動障害と原因のように、痴呆に対するケアの方法で最新のものが開発されているのですが、それに現場が伴ってないというところもあると思うのです。例えば、グループホームがいっぱいできているという話しを聞いています。群馬県もかなり多くあるのですが、その中でケアするスタッフが、あまりにも素人の方が多いのです。「なるべく受け入れて」とは言うけれども、専門的な知識がまだまだ普及していないと思うのです。それも悩みの種です。

そのようなことをどうお考えなのか、二つほどお聞きしたいと思います。
平井基陽 では、土田さんから先にお願いします。
土田昌一

当院で行動障害のあるような患者さんには、最初にいろいろと工夫しています。

先ほど申しましたように、薬を整理するだの、血液検査をしてビタミンが足りないだの、ああだのこうだのとやって、結局、整理したら全然変わらなかったという方がたくさんいるのです。

そのようなときに、以前は精神科の先生の所に相談して、お送りしたことがあるのです。そうすると、寝たきりになって帰ってくるのです。ほとんど何か、目を開けているか開けていないかの状態で帰ってこられて、またこの薬の整理が始まるというようなことが繰り返されているうちに、「なんだ、それだったらうちでやろうか」という話になりました。

あとは、ダイナミックな責任をだれが取るのかだけなのです。

薬の説明をするのが医者の責任でもあるので、少量から始めたり中等量から始めたり、向精神剤と言われている薬で、副作用が少ないお薬を選んだり。それに加えて抗てんかん剤を入れたり。それから鬱、先ほどの分析の中で鬱ではないかというので、鬱病薬を処方することもあります。

それから以前、嫌な体験をされたことをご家族が覚えていてくださると、それによるパニック障害というのがあったりするのですね。痴呆があってというよりも、分析してくると、この人がなぜこのような行動を取るのかというところが見えたときに、薬を少し合わせてみる、というようなことを、今やっているのです。

当院の場合は、できるだけ身体拘束はしないようにしているのですが、ほかの患者さんのベッドにもぐり込んだり、この前あったのは、理由は何だかわからないけれども、他の患者さんに、「どけ」と言って蹴飛ばして、杖でたたいたという方がいました。そのような方に関しては、落ち着くまでの間、4人部屋を一人で使ってもらったりします。たまたまベッドががら空きの時代がありまして、そういうことができたのですが、そのような環境設定ぐらいしかできないです。

老人保健施設の痴呆棟というのは、当院の近隣の場合、大体半年待ちなのです。グループホームは、下手すれば「今年中に入れますか」というような相談なのですね。老人福祉施設は、3年から4年なのです。そうしたら、結局、行き場がない。当院から出ていってくれと言っても、精神科の痴呆病棟というのも、これまたなかなか入れない。結局、在宅に帰るという話を持っていかなければいけない。在宅は無理だろうとした場合に、先ほどお話した、「大声さえ出さなければ」というのがここで出てくるのです。

一度、患者さんが連日連夜大声を1週間出され、自治体の会長さんが来て、「なんとかしてくれませんか」という話になりました。やはりその時は、申し訳ないが、精神科のいつも相談している先生と同じだけの薬の量を使っていったん寝ていただいて、それから微量調節を始めたということをしています。

薬物療法というのは、恐る恐るやっていても困るというのがあるのですが、やはり必要なものは絶対しなければいけない。けれども、先ほどお話ししたような分析というのですか。状態をきちんと把握した上で薬を整理しておかないと、「パーキンソンですよ」と言ってパーキンソンの薬であおられて起こっていたことが、やめれば何のことはなかったというようなことをよく経験するものですから、そのような経過がやはり1か月ぐらいあるのです。その上で対応しています。

それから、もう一つの現場とのギャップというのは、今申したように、施設で受け入れていただけるキャパシティがほとんどないのと、どこの施設に行っても皆疲れているのですね。先ほど帰られた方がおっしゃっていましたが、「もう自分は向いてない」とか、介護されている方の自己責任の範ちゅうが大きくなっているように思います。自分の能力がないように思われていて、燃え尽きてしまうというのですか。齊藤克子さんがおっしゃったように、「ハッピー、ハッピー、ハッピー」ではないですね。ちょっと崩れると全部アンハッピーになって、グルグル回ってしまう。これは当院でも関連の所で同じことが起こっています。何かいい方法はないか、逆にわれわれも悩んでいるところです。

言えることは、やはり職員の方々が燃え尽きないように、だれかが聞いてあげなくてはいけないということで、全然違う職種の方に来ていただいて、病院の悪口を言っていただいたりということを行っているようです。その方のお話は、一切外に出さないということで、私も聞いてないのですが。昔で言えば、袋の中にしゃべればいいというのがありましたね。そのような場を設けて、少しやり始めています。リレーションが悪くて、とにかく困っているのは変わらないですね。
平井基陽

齊藤先生お願いします。

齊藤克子

精神科の先生の、痴呆に対する理解の有り無しというのは、確かに、常日頃私も感じていることです。

ただ、精神科の先生というのは、ずっと診ているわけでなくて、受診の時の姿だけしか診ていなければ、やはり分からないことは多いと思うのです。

私は、精神科の先生の診断やアドバイスは非常に参考になるので、それを聞いた上でお薬も一応相談するのですが、実際にはほとんどその用量では使えなくて、いつも診ている私が、診断やアドバイスを参考に量を調節するというようなことをさせていただいています。

やはりそのように、常日頃診ている者が一番よく分かるという自信を持って行っています。

ケアのことは、そうですね。確かに、グループホームとか、デイサービスなどがどんどんできていて、きちんと教育が出来ていなかったりということがあると思うのですが、やはり、一人の方にどういうケアを行っていくかということを、議論したり試行錯誤しながらみんなで考えて、一人一人から経験を増やしていくということが基本になるかなと思います。

すみません、お答えになっているかどうか。

発言者3

どうもありがとうございました。

平井基陽

斎藤正彦さん。今、お二人とも、精神科にはアドバイスを求めるけれども、あまり役に立つ実際的なアドバイスは少ないというような話もございました。

斎藤正彦さんは、老年精神科医のスペシャリストでもありますので、今のお二人のコメントに対するコメントでもいいのですが、一言お願いいたします。

斎藤正彦

精神科医に対する皆さんのイメージというのは、「ああいう所に行くとひどい目に遭う」という非常にネガティブな印象か、そうでなければ、「1回会ったら心理的な問題はすべて改善するのではないか」という万能感か、どちらかなのです。

精神科医はただの医者ですから、一度だけ外来を受診されて、「こういう問題行動についてどうしましょうか」と言われても、何も分かりません。

ですから、もし施設を持っていらっしゃるのであれば、やはりしかるべき信頼できる精神科医と日常的な接触を持つべきだと思います。

痴呆の患者様の精神症状や問題行動というものは、一つは環境とか心理的な要因で起こりますね。もう一つは、脳が壊れてくるという、アルツハイマーにしろ血管性痴呆にしろ、脳の組織そのものが壊れたことによって起こってくる認知の障害であるとか、あるいは行動そのものが神経症状であるということがありますので、脳が壊れたことによって起こる症状がある。そこまでは別に精神科医でなくても良いのだと思います。神経内科医でも、痴呆を診なれた老年科医でもいいのです。

精神科医に相談しなければいけないのは、問題行動や精神症状に、その人の持っている素質や心理的な環境が関与している場合です。同じ妄想を持つにしても、分裂病的な妄想が発展していく方もいる、全然そうならない方もあるわけですね。

抗精神病薬は鎮静薬だと皆さん思っていらっしゃるけれども、そうではないのです。いろいろな種類の抗精神病薬がありますが、それらの薬は、もちろん鎮静にも使えますが鎮静は二次的な目標であって、例えば鬱症状をどうするのか、その鬱症状のオリジンといいますか元は何なのか、あるいはこの人の攻撃性の元は何なのか、この人の妄想を形成している頭の中のメカニズムは何なのかということを考えて、たくさんある抗精神病薬の中から薬を選びます。

けれども、それを1回の受診で1時間話を聞いて、しかも付いていらっしゃるのがご家族ではないと、やはりその方が持って生まれたその80年の人生のほとんどが分からないわけですね。今の断片、ここでみんなを困らせているという断片だけしか分からないわけで、それで「なんとかしてくれ」とおっしゃられても、それは大抵の精神科医が何もできないだろうと思います。だから、付き合い方の問題であろうと思います。

それから、先程発言された方は、群馬県とおっしゃいましたか。群馬県は、なぜだか知りませんが、グループホームについて言えば、やはり政策の責任だと思います。ものすごい勢いで作っていて、私どもの研究員が一人頼まれて職員の講習に行ったのです。新たに施設を作るという人たちの講習会です。そうしたら、その人が言うには、これは言っていいか分からないけれども、「土建屋さんの入札現場に来たかと思った」と。「うちの工場の土地が空いていて、そこに作るのだがどうしたらいいか」とか。それは、自治体の責任で、地域ごとの問題があるのだと思うのです。

自分たちの地域の福祉をどうするかということについて、税金を払うだけではなく、やはり住民がはっきりものを言わないと、そのようなことが起こってくるのだろうと思います。

平井基陽

ありがとうございました。どなたか、ほかにご質問はございませんか。それでは、またあとでお伺いします。

本日、利用なさる立場から、木島さんの非常に貴重な体験をお寄せいただきました。その中で私が「なるほどな」と思うのは、木島さんの、例えば「呼吸不全になるときに管を入れますか」という、おそらく気管のチューブを入れることだと思うのですが、そのときに家族で決めなさいということ。その点がまず一つですね。家族が決めなさい。

それからもう一つは、家族で返事をした。返事をしたことが、その人の命を左右すると。木島さんは、「父の命を私が決めた」というようにおっしゃいましたね。おそらくこれは、医療者側、医療の提供側にも同じことが言えるのではないか。

一番最初に斎藤正彦さんがおっしゃいました。「いろんなことをゆだねる制度はあるけれども、医療に関しては任せるような制度はないのですよ」と。

まさにこの三つの点で、少しシンポジストの方とディスカッションしてみたいと思うのです。

藤田さんに聞きましょうか。先ほどの木島さんのお話で、どのようにお感じになりましたか。
藤田博司

まず、私の発表の症例の中で、経管栄養をするかどうかを家族と相談するというのが出てきました。結局のところ本人が決めなければいけないけれども、本人が決められないときどうするかというのは大変な問題になります。では医者が決められるのかというと、医者は、だれも何も言わなければ一番命が長くなる方法を普通はとると思うのですね。

これは、療養型病院の場合はどのような方法にしても、看護師にしろ介護職にしろ、スタッフがしっかりしている所であれば、どのような方法をとってもその中でのQOLは多分、ある程度までは維持できます。 

ただ、本人の人生観がどうだとか本人がどうしたいかというのが、そこの中には生かされてこない、という問題があるのです。そうすると、わたしたちがいつも次に考えるのは、一番ご本人のことを分かっているのは誰だろうということです。そうすると、どうしてもご家族に相談を、というお話になってしまうわけですね。

ただ、先ほど木島さんの話を聞きながら、若干私も反省しているところはあるのですが、やはり時間がいるということが一点ですね。それから、本当に患者様の状態をご家族がきちんと把握できるようにわたしたちが話をしているかどうか、これが一番大事なことなのです。そして、そのために今からしようとしている、管を入れるとか入れないとか、心臓マッサージをするとかしないとか、そのようなことがご本人にどのような影響を与えるのか。そのことが本当に医療として効果がすごくあることなのか、そうでもないことなのか、きちんとそこをお話しして、というところが、やはり一番の重要な点ではないかと、私は今のところ思っています。

最近なのですが、ムンテラといいますけれども、ご家族への説明をするときに、あまり医者一人でしないようにしています。病棟看護師、あるいはリハビリスタッフ、あるいはMSW、関わるスタッフを必ず同席させて、私の医者としての現在の見解、患者様の状態、これからやろうとしている医療行為のこと、それから看護師から普段の病棟での状態であるとか、看護師の目から見てどうであるということをお話して、ご家族にそれを伝え、ご家族にもしっかり考える時間を取っていただく。それまでの間、あとどのくらい時間がありますよということをそこで話しますが、それをしっかりした上で判断していただくしか、今のところ、私は方法がないと思っています。

ご家族に患者様の命を左右させるという部分を、もし私が今までお話をしていたご家族が持っていらっしゃるならば、非常に反省をしなければいけないことではないかと思っています。

平井基陽

ありがとうございました。

齊藤克子さん、在宅では、今、われわれが病院で直面するような、そのようなことは比較的少ないのですか。結構あるのですか。
齊藤克子

同じようにではないですが、場面はあると思います。

でも、在宅の場合は、施設内にいるよりは、比較的その家庭の中に入っているということで、家族の状況や気持ち、時々刻々変化していく気持ちを、特に訪問看護師さんやヘルパーさんはそうだと思うのですが、とてもよく、とらえられているのではないかと思いますので、病院内で話すよりはご説明をしやすい状況にあると思います。

平井基陽

ありがとうございました。

斎藤正彦さんにお聞きします。法律的に、あれやこれやといろいろな思いがあるとは思うのですが、ここは法律的にどうなのかというところを、まず斎藤正彦さんにお聞きしてから、また議論を始めたいと思います。

斎藤正彦

私は医者ですので、法律家ではありません。

成年後見法学会というのを法律の先生と一緒に行っているのですが、先ほどの、成年後見には代諾の権限がないと言っているのは、法務省ということが、そこで議論になっています。

法務省は、成年後見法が議論されているプロセスからずっと、成年後見人には入院の契約をする権限はあるが、最終的なところで蘇生をするかしないかとか、経管栄養を入れるか入れないかとか、あるいはガンの手術をするかしないかというようなことについては権限がないということを、明確に何度も何度も繰り返しています。

けれども、法律家の中にも、それでは駄目なのではないかという人がいます。成年後見人にちゃんとした権限を持たせろという人もいます。そのようになっていくだろうと思います。

今は、完全に法律が欠けています。法律の抜け穴ですので、法律的にはなっていくだろうと。ただ、私は、成年後見人に任せればいいとは思っていないのです。私は、もう少し、何か、第三の制度を作らないと駄目だと思っています。法律的には全く抜け穴です。
平井基陽

ありがとうございました。

今のようなことに医療関係者は常に直面しているわけですが、そうでない利用される方は、やはりこのようなところに、今、大きな問題があるのだというようなことを知っていただけたかとは思います。

ほかに何かございますか。はい、どうぞ。

発言者4

老人病院情報センターの○○と申します。

やはり、今おっしゃったように、胃ろう造設の話などのご相談をとてもよく受けるのです。ご相談に来られるご家族が、本人はもう意思決定はないから、病院でこれをすれば、例えば特養に行けるとか老健なら行けるとかいう、ケアをする側の立場で決定をするように家族に言うらしいのですね。ですけれども、ご家族は来られる方はお一人ですが、ご家族・ご兄弟5人いれば一人一人意見も違うと思います。

わたし自身はこのことについて非常に興味がありますので、そのことは、われわれの世代は自分で決めておいて、家族と自分が死ぬときはこのようにしてもらいたいということを、法というようなことを、きちんと今、皆さんで考えましょうということをやっていきたいと思っているのです。

この間のご相談で、痴呆のお年寄りの胃ろう造設をするのにどうしようかというご家族が来られて、その方は、お父様は判断できない状態なのですが、多分、父親は、尊厳死協会に入っているから、そのような無駄な延命はしてもらいたくないと思う。けれども、そのことを現場のお医者様に言っても、お医者様は尊厳死協会に入っていることや、本人の意思をあまり尊重してくれなくて、とにかく「これをしないと死にますよ」というようなことをおっしゃるらしいのです。病院とか、その先生のお考えによって、家族の説明なども違ってくると思うのですが、よく理解していただけない先生などがいるので、ちょっと困っているのです。そのことを、特に高齢者の病院の先生たちは、どのように考えているかということを、患者さんの家族に伝えてほしいと思っているのです。 

今日の先生たちの話は大変よく分かって、わたしどもも安心しているのですが、そのようなことを病院全体で考えていただきたいといいますか、そのようなことを望んでいることは、病院としてどのように取り組んでいっているのか、お聞きしたいと思います。
平井基陽

ありがとうございました。

木島さんにお聞きします。今、少し、皆さんの意見なり議論なりをしているわけです。お父さんがお亡くなりになったあとなのですが、「今から思えば、このように言ってくれたらもっと救われたかな」というようなご感想はございますか? 

先ほど、「自分がお父さんの命を決めた」とおっしゃいましたね。「そうだな」とわたしも思うのですが。

木島美津子

検査をされた先生3人ぐらいと看護師さんなども、非常に説明は丁寧だったのですが、病状についての説明ですね。今、このような重篤な状態で、このような状態を起こしていると。そして突然、管を、という話になったものですから、もし説明していただけるのだったら、そのような状態がどのようになるのかというような、経過の予測をお話しいただければと思いました。人工呼吸器になるというのも、こちらの質問でようやく分かったのです。

こちらは本当に、一つずつ説明していただかないと、この状態が次にどうなるかというのが分からないわけです。

医療者の方は、分かっているから説明できないのでしょうか。専門家だから、その辺は分かりすぎてしまって、わたしたちのような素人には、説明が端的になってしまって、わたしたちには、もっとかみ砕いて話してくれないと分からないということがお分かりにならないのだなと思いました。

それでもう、本当に自分が決めてしまったような感じになりました。
平井基陽

ありがとうございました。ほかにございますか。では、前の方からいきましょうか。どうぞ。

発言者5

有料老人ホームで看護師をしております。

先ほど木島さんのお話にありましたように、わたしは実際に職場でご家族の方に対して、胃ろうを造らなくてはいけない、経管栄養をしなくてはいけないときに、「ご家族の方で決めてください」と今まで言っておりました。先ほどの話を聞いて、本当に頭をガーンとやられた気分です。看護部門の責任者として、ご家族の方に決めていただくのが一番、あとあと後悔しないと思って信じてやってきました。

ただ、そのような話を聞いて、また違った考え方もあるのだと思って、また明日から悩みながら仕事をしていくと思います。

藤田先生のお話にもありましたように、これから本人に与える影響や、それを行ったことで、どのように良くなっていくとか、変化があるのかということを、よくご家族に理解していただいて、後悔なく決定していただけるようにしていきたいと思います。

ご家族の方に「経管栄養をしますか」、「胃ろうを造りますか」、「それともこのまま自然に老衰と認めて自然な看取り方をしますか」という考えを聞くときに、藤田先生、何かいいアドバイスはございますか。単刀直入に「しますか、しませんか」と聞けたら一番いいのでしょうが、ご家族の心情を考えると、なかなか単刀直入に言えないこともあります。

あと、高齢者ご本人が肺炎を起こされて、「もうこれでやっとお迎えが来るかと思ったのに」、抗生物質と点滴をして良くなって、「そう簡単には死ねないのね」と言われた時、自分たちの信じてやってきていることが、少し間違っているのかな、と迷うこともあります。

どのようにご家族の方に説明し、決定していったらいいのでしょうか。アドバイスお願いします。
平井基陽 ではお願いします。
藤田博司

普段行っていることをそのままお話ししますが、まず端的に「経管栄養しますか、しませんか」、「胃ろうにしますか」とか、「延命しますか」というお話をしません。

まず、現在の患者様の状態を、なるべく分かりやすい言葉でお話するということにしています。特に長い経過で、例えば老衰ということになったら、かなり長い経過を診ていますので、その件については、場合によっては病棟看護師長であるとか、リーダーナースであるとか、病棟でいつも患者様に接している人も同席させます。

そして、今、その患者様がどのような状態にあるのかということをできるだけ細かく説明して、その上で、「では今からの方法としてこのようなものがあるけれども、どうしましょうか」というお話をすることにしています。

端的に「胃ろう付けましょう」、「経管栄養しましょう」、「食べられないのだから、経管栄養にしたら栄養が取れますよ」というお話ではなくて、様々な場所でお話しする時に言いますが、わたしたちは患者様に携わっている時、その方の人生の、本当に一番最後に出会う人かもしれないのですね。一番最後にお世話をする、一番最後にその方の命に携わっているかもしれないという思いがあれば、その人の人生をずっと見ていった中で、今はどのような状態になっていて、これからはどうなるかということのお話から始めたほうが、ご家族も判断がしやすい。

わたしたちは判断できないということは確かなのですね。あくまで、だれかが判断しなければいけない。ご本人であればそれが一番いいのですが、どうしてもご本人が判断できなければ、一番近いご家族の方で判断していただくことになるのです。

しかし、そのためのサポートは、われわれの責任です。ですから、それをしっかりしなければいけないと思っています。

それから、先ほど尊厳死協会の話が出ていました。昨年の日本療養病床協会の全国大会で、尊厳死協会の理事長と私とシンポジウムをしましたが、全国の病院で尊厳死協会の尊厳死の宣言を持っていったら、大体80%ぐらいの病院は受け入れてくれているようです。

ただ、尊厳死協会の発行している尊厳死の宣言の中に「痴呆になって」という項目はありません。今のところ、ガンの場合と重症意識障害になって、もう障害が永続すると認められた場合というのは書いてありますが、「痴呆になって、そのために判断力が無くなって食べられなくなったときはどうしますか」というのは書いてありません。ですから、その辺については今から議論されるということです。

お答えになりましたでしょうか。

平井基陽

ありがとうございました。それでは、その後ろの方、どうぞ。

発言者6

療養型病床の介護保険病棟で働いている、○○と申します。

先ほど藤田先生のお話の中で、拘束はほとんどしていないということでした。

私も今、自分の担当の患者様で、胃ろうを、NGを抜いてしまう恐れがあるということで腕を拘束してしまっている患者様がいるのですが、すごく抵抗があり、家族の方からもその悩みなどをたくさん聞いて、私自身もとても悩んでいるのです。

やはりいろいろとリスクが高いと思うのですが、拘束をしないということで、先ほどの話と少しかぶってしまうのですが、そのような方、本人ないし家族の方へのムンテラはどのようにしているのかということが一つ。

土田先生もお話しされていたように、共同生活をしていく中で本人だけの問題では済まない部分もあると思うのです。

先ほども話されていた、「みんながハッピー」ということで、家族だけではなくてスタッフの満足度といいますか、拘束をしたくないけれどもしている。しかし、拘束をしていないということで、やはり何か「ああ、していないのだ」と言える、介護・看護する側からしてみれば良い気持ちの部分と、やはり手が掛かると言ったら失礼ですが、少し大変な部分もあると思うのですが、その辺をスタッフの方がどのように感じられているのかということが一つ。

それから、木島さんたちご家族の方は、拘束されている患者様、ご自分のご家族だけでなくほかの、周りの入院されている患者様が拘束されているのを見て、どのように感じているのかということが一つ。

全部で三つのことについて、お聞きしたいと思います。

平井基陽 どうしましょう。先に木島さんに聞きましょうか。
木島美津子

父が入っていた病院でも拘束されている方はいましたが、家族側も、仕方ないと感じているのではないでしょうか。

私もその方にたたかれたりしたのですが、常時その人の所に職員の方が付いていられない状態がありました。その時、私はよく見ていたのですが、かなりの部分で関わっていらしたのですね。食事の時、どうしようもない時に縛られていたのを見て、はっきり言って複雑な思いでした。それがどうしても必要なのかな、今、人手がないから仕方がないのかなというような思いで見ていました。あのような時は人手をどうするのかなと。職員だけで行っていると、かなりきついのかなと思ったりしました。

あまりいいとは思いませんでしたが。できれば、拘束はないほうがいいと思います。

平井基陽

ありがとうございます。では藤田さん、お願いします。

藤田博司

身体拘束の問題は、大変な問題だと思います。

まず一点目なのですが、急性期病院の場合、命にかかわるという場合は、やむを得ないことがあるかもしれません。私も下関市内で急性期病院の勉強会に行きますが、脳神経外科で頭の手術をして、その晩、頭にドレーンが入っているのを引き抜いてしまった、たくさん管が入っているのにベッドから落ちてしまった、これは大変な問題になりますのでね。これはある程度はやむを得ない部分があるかもしれません。

では、わたしたちの療養型病床でどうですかというときに、まずスタッフの話ですが、今質問された方にお聞きします。抑制身体拘束をして「つらいな、つらいな」と思って仕事をするのと、多少大変だけれども、身体拘束をしないで「忙しいな。でも身体拘束してないよ。でも忙しいな」というのと、どちらが精神的に働きやすいと思いますか。

発言者6

忙しい中でも拘束をしないほうが、私は働きやすいです。

藤田博司

そのことを施設長に言ってください。身体拘束をやめるには、まずトップの決断が要ります。

なぜかといいますと、私が先ほど出したデータの痴呆高齢者の身体合併症で、なぜか骨折というのが非常に多かったのですね。3年間で30件あります。これには、ご家族からクレームは一件もきていません。

わたしたちは、入院してこられるときにご家族に説明をします。「わたしたちは身体拘束をしません。徘徊されれば歩いていただきますし、フラストレーション、要するに欲求不満を取ることが、一番、その方の痴呆症状を緩和することになります。環境を整えて本人が満足するように生活するためには、絶対にしません」というお話をします。「その代わりに、骨折ということは当然あり得る。あるいは、離院、病院から出ていってしまうということもあり得るかもしれません。最大限わたしたちのできる範囲で見ていきますが、100%防止はできない」ということをお話しして、「抑制はしない。しかし、骨折などが起こるリスクもあります。それでもよろしいですか」という了解をいただきます。

もし、それでも「私の母を縛ってください。そうなったら、もう部屋に閉じ込めてください」とおっしゃる場合は、入院をお断りしています。そこまで決断して行っています。

先ほど、鼻の管を抜いてしまうとか、胃ろうを抜いてしまうという話があったのですが、抜いて何か危険なことがあるのでしょうか。胃ろうのチューブを抜いたからといって、命には関わりません。職員が「ああ、抜いてしまった。大変だがまた入れなきゃいけない」ただそれだけのことです。鼻腔チューブだと、栄養剤を流しているときに抜くと誤嚥して、肺炎を起こして、あるいは窒息します。だから、栄養剤を流しているときだけは、必要であれば職員が付きます。場合によっては、2、3人の患者様にナースステーションに来ていただいて、ナースは机に付いて3人を、ずっと声を掛けながらニコニコ笑って見ていればいいのです。栄養剤を流してないときに鼻腔チューブを抜いたからといって、何も問題はないと思うのです。点滴にしても、チューブが本人の目に入らなければ抜きません。胃ろうチューブなどは、例えばさらし1枚ちょっとおなかに巻いてあげれば済むことかもしれないのです。

まず職員の皆さんと病院全体で身体拘束をやめる、命にかかわることでなければ気にしない、というぐらいの気持ちで本当にやっていくという姿勢を示せば、身体拘束は無くなります。

平井基陽

木島さんどうぞ。手が挙がりました。

木島美津子 今、目からうろこでした。家族の覚悟という、ドクター側とか施設側ばかりではなくて、こちら、受ける側の気持ちがしっかりしていなければいけないというのを改めて思いました。私も拘束に反対です。
平井基陽

ありがとうございました。ほかに何かございますか。何でも結構ですが。どうぞ。

     
発言者7

私は、定年を迎えて、今年で3年目になります。現在、心療内科に通っています。鬱病、アルツハイマー、痴呆、脳梗塞、頭痛持ちです。これからどうしていったらいいのかと思っています。一昨年に1回、その前の年に2回倒れています。これも医者に言いまして、一応、薬は調合してもらって、今のところ落ち着いているのですが。

今まで会社だと24時間、9時から5時、6時までスケジュールが埋まっていますが、定年退職になると真っ白なのですね。定年後の1日のスケジュールの使い方を立派にやれば、問題は出てこないのです。定年退職になってから、大体病気が出てきます。

今、私は治療していますが、はっきり言って成年後見制度ですか、これを取り入れようかと思っているのです。うちの女房は、公証役場で、「私が死んだ場合には全財産渡す」という書類を作ってあるのですが、私の場合はまだ作っていないのです。二人で生活していまして、現在、子供がいない。そのような状態で自分が、今しっかりしている間に、成年後見制度を付ければ非常にいいのですが、今のところ、まだそれはやっていません。

だから、定年退職後の1日の過ごし方というのが、真っ白になってしまうわけですね。これがはっきりして、充実しないと駄目です。私は、毎日外に出るようにしています。熊谷に住んでおりますが、東京へも出てきます。今回のような講演があれば必ず出てきて、いろいろな知識を得て、逆に先生に教えるようなこともあります。

それから、今回、いろいろ話を聞いていたのですが、これは日本国内だけの話なので、国外の話を事例で出してもらいたいのです。ということは、日本は菜食主義ですね。外国は肉食主義。それによって、データが違ってくるのです。それも日赤の広尾病院の方にいろいろ話したら、外国帰りの医者が3人いたのに、何も答えてくれなかったというのが現状です。

ですから、私は今、このような5つの病気を抱えていますが、定年後、自分たちのスケジュールを充実できるような形をとらないと、ますます頭を使わなくなります。知識も入りません。これは自分の努力しかありません。わたしはもう12年、座禅をやっております。ほとんど悟りは開いております。これは皆さんには言えません。これを言ったら、もうおしまいです。座禅をやったところで頭痛が取れるかというと、絶対取れません。ストレスなどの問題は、確かに取れます。1時間座りますから、当然、その1時間というのは、会社からいったん離れ、自分の時間になります。翌朝には、また新規の自分になるわけですね。

そのような、いろいろなものを幅広く見てもらって生活の中に入れてもらえば、これは非常に自分のためになると思うのです。

それから、等尺運動というのをご存知ですか?先生方。
平井基陽

等尺ですね、はい。

発言者7

介護度5の人が介護度1になったという話しを、私は聞いているのですが、これをリハビリの先生に聞いても、「資料をくれ」と言っても実際くれません。私は自分なりにやっています。

そのような状態で、病院に行っても、置いてある資料は、全て薬剤の会社から出ているもので、自分独自の、医者として本を書けるだけの人間が日本にはいないのです。

今まで何度も講演会に行っていますが、日本の医療は20年遅れています。先生に怒鳴りつけたこともあります。

このようなことを十分考えて、老人に対して再認識してもらいたいと思うのです。

平井基陽

ありがとうございました。要は、定年退職で閉じこもり・引きこもりというのが非常に問題であるというアドバイスでございますね。

それと、成年後見制度を考えていらっしゃると。

さらには、いろいろなご不満が、今、おありのようでございます。

ほかに、何かございませんでしょうか。

本日のテーマは、最初にも申し上げましたように、老人病院ですから、痴呆高齢者とさせていただいているのですが、痴呆と医療、どう関わるか。

あるいは、皆さん方で、先ほど4人のシンポジストの方がそれぞれの立場から痴呆高齢者との関わりと問題点、あるいは悩んでいる点というような現状も踏まえてご報告いただいたわけです。

医療に対して、医療といいますか、病院でいいですね、痴呆はちゃんと病院で診てくれないとか、痴呆は特別養護老人ホームでいいのだとか。あるいは、痴呆は在宅で十分いけるのだとか、その全く逆で、痴呆の方は在宅ではどだい無理なのだ、とかですね、

そのようなことをもし本音で思っていらっしゃる方があれば、教えていただきたい。どのようなご意見でも結構です。

発言者8

行政の保健師としての立場ではなくて、一個人としてお話を伺いたいのですが。医療に関する質問を少し。

土田先生の資料の中に、薬剤における基本というのがあったのですが、医療に関して、今、痴呆に関するお薬もかなり出ているのですが、ほかの病気もそうなのでしょうが、薬を出すドクターによって、出し方・使い方がかなり変わってくるというような印象を受けております。

実際に苦情とか、病院でインフォームド・コンセントをきちんとされてないというところが前提になっているかと思うのですが、苦情も入ってきたりする中で、先生とよくご相談を、というようなところで、結果的にはそのようなお話になってしまうのです。

医療の中での薬に対するお考えというところの、この会としての発信のようなものが、今の段階でおありかどうかということを、お聞きしたいと思います。

平井基陽

薬は、先ほど斎藤正彦先生がおっしゃった、痴呆に対する一般的な薬がありましたが、今おっしゃっているのは、具体的に言うと抗痴呆薬、アリセプトなどに関してですか。

発言者8

そうですね。痴呆一般に関するお薬に関して、ドクターによって出し方が違うという苦情がある中で、出し方、処方の仕方のようなところの、マニュアルではないのですが、そのようなところに行き着くまでの、見込みがあるかどうかとか。難しいとは思うのですが。

その辺のところをお聞きしたいと思うのです。
平井基陽

分かりました。

では、痴呆の方に対して、いろいろあると思うのですが、土田さん、先にいきましょうか。痴呆の方に対しての薬物の使い方に、何か、ルールのようものを決めておられるかということについて。

土田昌一

当院だけの話になってしまいますが、当院では今、先ほどの方からも言われたように、日本語では、あまりちゃんとしたものを見つけられなかったのです。それで、欧米の教科書や最近の論文などを読んで、今はやっているEBMなどというもので良さそうなものを選んでいます。その中で出てくるときに、アリセプトが欧米では5ミリグラムから使って10ミリグラムなのが、日本では3ミリグラムから5ミリグラムであって、5ミリから10ミリの事例はやったことがないというのでも、10ミリを勧められている薬剤師さんがいるのですね。

では、われわれがどうするのかというのは、やはりその方に対して有効かどうか分からないとしか言えないので、とりあえず、今、自分たちの中で、申し訳ないけれども「このような量で使わせていただきます」というような形で説明しましょうということを始めています。

それから、代替医療というのですか、「漢方薬がいい」とか「これ飲んだらいい」などと言われても、これも、本当に良かったかどうかというのが分からないのです。

というのは、昔、「頭の良くなる薬」というのがさんざん出た時がありまして、私が以前勤務していた病院で、その係になってしまったのですね。それで、ご家族とかご本人に聞くわけです。「どうですか、良くなりましたか」と。「まあまあですな」と言ったら「まあまあ」に丸をするのです。そうやって出たデータというのは、「害はないけれども、良くなった方もいる」ということでOKになってしまったのです。

これは、私がその担当でいたものですから、何なのだろうという気もするので。あの時に一斉風靡した薬ですね。何年か前に、あれは駄目だったという話になって、今はごめんなさいで済んでるのですが。

ですから、会としてというのは、そこまでは話にはなりますが、では何を見てデータとして出せるのかということですね。やはりご本人個別のものもあるかもしれないし、この人が本当にそれによって良くなるのか。自分が満足されているかどうかですね。満足度というのですか。家族の満足度も含め、そこまでのケースを正直言ってデータ化していないです。

海外でSF36というテストパターンがあって、何かややこしい、いろいろな検査があるのです。それを当院でやろうとすると、日本語版になるとこのぐらいの厚さになるので、それがまだ消化しきれてない状態です。

すなわち、自分たちが使っている薬に対する見直し等を行いつつありますが、まだこれといって出てないのが事実です。

これは、もっと言いますと、抗生物質の使い方一つうちの病院で決めようとしても、なかなか大変なのです。院内感染だからこうだと、転院されてきた方が入院されてきたからそれは市中感染だと、訳の分からない話なのですが、感染する菌が違うのです。それを調べて出てくるまでの間どうするのという話になってしまうのです。それもなかなか決められないというのが現状なのですね。

うちの病院は、とにかく今、もだえています。今おっしゃったような痴呆に対する薬という前に、先ほど申したようなことで8割の方が少し症状が改善するというぐらいです。あと残った2割の方に対するアプローチですね。

今、アリセプトをどう使うかとか、それから意欲を出させるためのいろいろなお薬を出すとか、先ほど斎藤さんがおっしゃったような薬の使い方とか、いろいろと試しますが、まだこれといって達しきってないです。今、このような状況です。以上です。
平井基陽

藤田さん、何かありますか?

藤田博司

まず、痴呆薬とおっしゃいますが、アリセプトの有効性というのは、今のところ、初期のアルツハイマー病の進行を数年延ばすことができるというものです。

わたしたちの病院に入院して来られる方のほとんどが、長谷川式のスケールで3点以下。既にアリセプトの適用を始めている方がほとんどなので、抗精神病薬であるとか抗アルツハイマー病薬を使うとか、そのようなことはまずありません。

痴呆の方に対する抗精神薬の使い方というのは、基本的に、身体抑制にならない最小限度ということにしていまして、ポリシーとして痴呆の方の症状を緩和するのはケアであると。生活環境であり、スタッフの携わり方であり、またその中で問題点を見つけてご家族の方にアドバイスすることであると思っています。夜間の不眠があるとか鬱のある方についてのみ、最小限の抗精神病薬を使うというようにしています。

そのほかいろいろなお薬が、抗生物質の話などが出ていますが、はっきり言って、日本にはガイドラインは全くありません。大体このようなものだろうというのは、いろいろな先生がいろいろな書き方で本に書かれていますが、はっきりと欧米のように学会が主導権を持って、「こうでなければいけない」というガイドラインはありません。 

その辺のところもいろいろと問題はあるかと思いますが、わたしたちはそのような欧米のガイドライン等を参考にして、自分たちの病院の中を見て、うちではこのように使おうという形で使っています。
平井基陽

ありがとうございます。どうぞ。

木島美津子

本当に全くの素人なのですが、私の父も痴呆の薬はたくさん使っていました。痴呆の薬と内科の薬を使っていました。

ある時、あまりにも薬の量が多いものですから、かかりつけの精神科の先生に、「この薬を飲んで、いろいろな症状が出てきましたが、止まるのでしょうか」と聞きましたら、「まあ、ほとんど変わらないでしょう。止めることはできません」と言われました。そして、いつもの薬が出ました。

それで、ホームドクターということで、近所のお医者さんにかかった時に、薬を持っていきました。それを一つずつ先生が調べてくださったのです。「この薬を、何故飲んでいなければいけないのだ」と言われました。その時に残ったのが、血管の薬が一種類だけでした。あとは全部止めました。それから足の運びが良くなったというのがあります。
平井基陽

ありがとうございました。

では斎藤正彦さん、今の話を踏まえて、まとめていただきたいと思います。
斎藤正彦

私も薬は多いと思いますが、痴呆薬はアリセプトしかないですからね、今のところは。

だから、それはともかくとして、マニュアルについて言えば、精神科の睡眠剤や、抗鬱剤という薬の一番の問題は、飲ませてみなければ分からないところです。健康な身体を持っている人に対しても、人によって効き方がものすごく違うのです。

ですから、マニュアルを作ると言われても、なかなか、だれにでも適用できるマニュアルは作れないのですね。

基本的には、土田先生がおっしゃったように、必要最小限の量から行っていくということ以外には考えられないのです。

欧米にマニュアルがたくさんあるのは、保険で医療費を払う、私的な保険から医療費を払うときのエビデンスといいますか、「これにのっとっていれば保険会社はお金を払いますよ」ということだからです。日本の場合はそのようなことはないですし、利用するほうも、お薬の代金というのはあまり考えませんので、ついつい出てきてしまうのです。

そうして、精神科医が3種類、内科医が3種類、整形外科医が4種類ということになると、もうこれでおなかいっぱいになるような薬を飲んでいることになるので、僕はホームドクターという考え方はとても大事だと思います。

それから、意思決定をするときも、救急の病棟に担ぎ込まれて、挿管するかどうかという判断をしている救急の医者に、「この人の人生の歴史を全部知ってどうするか決めろ」と言われても、それはできない相談です。救急の医者は、救急車で運ばれてきた人を、分単位で次から次へと診察していかなければ訴えられるわけですから。それから、そのご家族に、いきなりそのような場面で、「挿管しますか、どうしますか」と聞いても、ご家族は困るわけです。

そのような意味でも、私はお家でなさるのなら、やはりホームドクターを、信頼できる医者を探しておくことだと思います。その医者を通して、いろいろな医療の交渉をなさればよい。その先生が救急の病院に1回電話してくれれば、ご家族が30分も40分も言うよりずっと、さっと話が通ることだってあるわけですから。

特に痴呆の場合は、ここで治療をやめるという判断をしなければならないことがあります。やめたら、そのあと患者さんは亡くなるかもしれない。そのようなときには、これまでずっと親身になってケアをしてきたご家族が、ここまできて、痴呆の進行の様子を見て、これ以上の延命は無意味だと決断なさったのか、もともと、真面目にケアしてこなかった人が自分の都合で、もう面倒くさいからいいやと言っているのかが分かる人がいないと、やはり救急のお医者さんは困るわけですね。医者の習性とか何とかいう問題ではなくて、実際困るのです。

そのような意味でも、介護の様子を見ている先生が一人いらっしゃれば、かなり違う。それは医者でなくてもいいと思います。訪問看護の看護師さんだっていいのだと思います。

やはり長い期間、家族の介護に連れ添って、意思決定に付き合っていく。リビング・ウイルと違って、長いのです。

ガンのリビング・ウイルは、たかだか3か月ですが、アルツハイマーというのは、自分で判断できなくなってから5年も10年もかかるわけです。「あんな姿になって生きていたくない」と言っていたおばあさんでも、アルツハイマーがひどくなれば、一生懸命生きようとするのですね。「この人、昔は『こんな格好で生きたくない』と言っていたからやりません」というのは、合理的かどうか分からないでしょう。

われわれには分からないことがたくさんあるのだけれども、やはり長い時間を見て決めていくということが大事だと、私は思います。
平井基陽

ありがとうございました。今ご質問された方、よろしゅうございますか?では最後のご質問ということで。

発言者7

私は、いつ倒れてもいいように、医者でもらっている薬は全部持って歩いているのです。今、先生方がおっしゃったアリセプトというのも、実際にもらっています。全部の薬をいつも持っているのです。いつ倒れても、これを見れば私の状態が分かるようにしています。

それから、テレビ番組でも言っていましたが、薬は絶対に6種類以上は使わないようにしてもらいたいと思います。薬同士の作用が出て、副作用が起こります。

それから、データと申しますが、自分のものは自分なりにデータを出して、必ず患者も責任を取るようなことをしてもらいたい。ということは、それが集まって、この薬は、日本全体としてこのような傾向にあるのだというデータを出さない限り、いくら言葉で言っても皆さんは納得しません。それは、よろしくお願いしたいと思います。
平井基陽

分かりました。ありがとうございました。

時間もそろそろなくなってまいりました。本日は、実は痴呆のリハビリというようなことも話題にしたいと思っていました。

これは繰り越しということになると思うのですが、痴呆のリハビリテーションというのも、今後一つの大きなテーマになっていくと思います。痴呆は進むから駄目なのだとか、もっと具合が悪いのは、年を取ったらだれでも痴呆になるのだとか、痴呆は年を取ったからだとか、年のせいだとかいうのが一番まずいのであって、痴呆に挑戦するという意味で、痴呆のリハビリというようなところに、一つは目が向けられていくのではないか。

ただ、痴呆のリハビリテーションという場合には、痴呆そのものに対するリハビリですね。つまり認知能力に対するリハビリと、それからもう一つは、本日、土田さん、それから藤田さんから出していただいた、痴呆の方が骨を折ったとか、あるいは合併症を起こした場合に治療する。やはりノウハウを持っていないといけないので、「痴呆の方は困ります」というようだったら、その病院は老人病院ではないというような認識を、われわれは持っております。

最後になりましたが、本日、いろいろご意見をいただきまして、中でも木島さんに非常に示唆に富んだご意見をいただきました。

思いますに、やはりご家族あるいは介護なさる方も大変だとは思うのですが、医師も分からないものは分からない。

ただ大事なことは、医師も、できればご本人も、「できれば」というのは「言葉が通じなくても」という意味ですね。

そして家族の方が一緒に悩むというようなことが、とりあえず今、われわれには必要ではないか。

それから、本日、これも木島さんからヒントをいただいたのですが、「うちのお父さんお母さん、一人一人大事にされているんだな」というように思っていただける、一人一人を大切にするというのが、やはり、どうしても忘れてはいけない視点かな、というように思います。

たくさんの方がお見えになって、まだまだ質問したいのに、というような方がいらっしゃったかもしれませんが、これで、本日のシンポジウムを終わらせていただきます。

また、来年は3月12日に、場所は決めていないのですが開かせていただきます。また是非、時間がございましたらご参加下さい。

どうもありがとうございました。シンポジストの先生方、ありがとうございます。
齊藤正身

皆さん、ありがとうございました。平井さん、ご苦労様でした。

本当は、もうちょっと突っ込んでもいいお話もあるのでしょうが、やはり、それだけまだまだ痴呆のことは課題も多いですし、先ほど平井さんが言われたように、わたしたちも結構悩んでいることも多くて、一緒に考えていくような場ができればいいなといつも思っているのです。

このようなシンポジウムを通して、皆さん方からいただいたご意見も参考にして、医師ワークショップというものも行っているのです。ワークショップには、ドクター、特に現場で働いている先生方が参加しています。藤田さんや土田さんはその中心人物ですが、もっと若い先生方も集めて、今、老人医療に関わっている方々で、「うちはこうしてるんだけど、どういうふうにしてる?」というような話をしています。

ですから、「うちの病院は」という言い方を皆さんしていますが、当会の中では、いろいろな意見を取り入れながら、データも取ろうという努力もしています。一度マニュアルも作りました。

しかし、先ほどの斎藤正彦さんのお話ではないですが、なかなかマニュアルどおりに物事がいかないところもあって、やはり悩んではいます。しかし、なんとか前進していこうと思って頑張っている、このような集団もあるということを是非忘れないでいただいて、またいろいろなご意見をお寄せ下さい。  

来年、またお会いできれば嬉しく思います。もう一度シンポジストの方々に拍手を。どうもありがとうございました。

本日のアンケートは、何らかの形で還元できるように頑張っていきたいと思います。どうもありがとうございました。

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老人の専門医療を考える会 JAPAN ASSOCIATION FOR IMPROVING GERIATRIC MEDICINE