老人の専門医療を考える会 - 全国シンポジウム - 内容
第24回 自分が入りたい老人病院  平成14年2月23日 都市センターホテル・コスモスホール

総合司会 齊藤正身
老人の専門医療を考える会 事務局次長

13:30 開会挨拶 大塚宣夫 老人の専門医療を考える会会長
14:10 基調講演T 齊藤正身 霞ケ関南病院院長  
基調講演U 土田昌一 鶴巻温泉病院院長  
基調講演V 中尾郁子 光風園病院総婦長  
基調講演W 大塚宣夫 青梅慶友病院理事長  
基調講演X 山上久 鳴門山上病院理事長  
基調講演Y 川添みどり 老人病院情報センター代表  
15:30 シンポジウム
シンポジスト:齊藤正身、土田昌一、中尾郁子、大塚宣夫、山上久、川添みどり 
司会:松川フレディ 湘南長寿園病院院長
 
16:55 閉会挨拶 中川翼 老人の専門医療を考える会幹事
17:00 終 了
 
開会挨拶 大塚宣夫 老人の専門医療を考える会会長

齊藤

それでは第24回全国シンポジウムを開催したいと思います。皆さん、こんにちは。私が、今回総合司会を担当させていただきます、当会の事務局次長の齊藤でございます。今日1日、よろしくお願いいたします。
まず、始めに開会のあいさつを、大塚宣夫会長にお願いしたいと思います。大塚先生よろしくお願いします。

大塚

それではこの会を始めるにあたりまして、主催者を代表して一言ごあいさつを申し上げます。本日は2月にしては少し暖かすぎるような、非常に良い陽気の土曜日の昼下がりに、このようにたくさんお集まりをいただきまして、誠にありがとうございます。まず最初に、私ども老人の専門医療を考える会の紹介をさせていただきます。

私どもは昭和58年にこの会を立ち上げまして、今年でちょうど19年目を迎えたことになります。会設立の目的というのは、その頃の老人病院の評判が非常に悪く、行き場のないお年寄りを入院させて、薬漬け・点滴漬け・検査漬け、あるいはベッドに縛りつけてすぐ床ずれをつくってしまうというような、悪徳病院としてのイメージで語られていました。その評判の悪い真っ盛りの昭和58年に、なんとかこの悪徳病院のイメージを払拭したいということで周りの仲間に働きかけて、この会を立ち上げたわけであります。

そのイメージの改善、あるいは質の向上のためにどんな活動をしてきたかといいますと、まず第1はメンバーが集まって徹底的に情報交換、あるいはデータを集めるという作業でありました。第2は職員あるいは経営者の質の向上のため、いろいろな研修の機会を設ける、あるいは海外の施設を視察して歩くということでありました。第3は行政への窓口となって、現場の情報をしっかり行政側にお伝えする、あるいは施策を考える際に、私どもなりの提案を行なっていくというようなことでありました。第4は、既にこれは10年以上の歴史を持つわけですが、老人病院に対する一つの評価基準というものを作って、それを使って自分たちで評価をし合うというような活動であります。そして、5番目の役割としましては、一般社会に対して、老人病院の実情、あるいは私どもが考えていることを積極的にお伝えしていくということであります。

このシンポジウムもその一環として始めたものでありますが、年に2回とか3回開催したこともありますけれども、今回で24回目であります。そのテーマはいつも同じでありまして、「どうする老人医療、これからの老人病院」ということです。しかしながら、この間に老人病院を取り巻く環境というのも非常に大きく変わりました。

まず、設立当初の、薬漬け・点滴漬け・検査漬けに代表される濃厚診療、過剰診療は、平成2年にいわゆる包括払いといわれる制度が導入された途端に、問題が消失しました。しかし、その後に残った介護の質の問題が今日まで大きく続いているわけであります。そして最近は、特別養護老人ホーム、老人保健施設、その他の高齢者を扱う施設と私どもの医療施設とがどのように違うのか、同じような人を扱っていて費用だけはたくさんかかるのではないかというような議論が、盛んになされるようになったわけであります。

平成12年4月、ちょうど2年近く前に介護保険がスタートしました。ここで示されている方向は、いわゆる老人病院はこれからはできるだけ介護施設になれというようなことであります。もう一方では急性期病院は入院期間を極力短くせよという動きです。高齢者というのは一般になかなか治療に反応しない、あるいは治癒まで長引くことが多い。しかし高齢者であっても、急性期の病院では入院期間をできるだけ短くせよという流れの中にありますから、あまり状態がよくないままにどんどん退院させられて、その受け皿はどこになるのか、我々ですら不安に思うような状況も、起きつつあるわけなのです。

当会は19年間活動してきましたけれども、残念なことにいわゆる老人病院に対する社会の評価が上がってきたというふうには思いません。むしろ、私どもに下される評価というのは、年々厳しくなっているようにさえ思います。例えばマスコミに出る老人病院というのはいまだに、入ってきたお年寄りを縛りつける、あるいはすぐ床ずれをつくってしまうというようなイメージで語られる。

一方、行政側では、質の向上よりも膨れ上がる老人医療費の削減の一つのターゲットとして、さらに老人の入院医療費を安くすることに関心が向けられています。このように20年経ってもなおかつ老人病院に対する評価が上がらない。私どもが今まで行ってきた活動の力不足を感じるわけであります。

今日は、一つの総括といった意味も込めて、少し視点を変えて、それでは自分たちの入りたい、あるいは自分の親を安心して預けられるような高齢者施設、あるいは老人病院というのはどんなものであるか、このことについて議論をしてみたいと思い、このシンポジウムを企画しました。

後ほどフロアの皆様方からもいろいろご意見をいただきたいと思っております。どうぞ今日は最後までじっくりとお付き合い下さい。

基調講演T 齊藤正身(霞ケ関南病院・院長)

齊藤

ありがとうごさいました。それでは早速ですが、基調講演及びシンポジウムを始めたいと思います。ここからは司会を湘南長寿園病院の松川フレディ院長にお願いしたいと思います。松川先生お願いいたします。

松川

皆様、こんにちは。ただ今紹介いただきました、松川でございます。私は神奈川県藤沢市で湘南長寿園病院という、いわゆる老人病院の院長です。今会長の方から説明がありましたが、この会は19年前に、なんとか良い老人病院をつくりたい、そういう思いで集まった人達から始まりまして、今では60病院の会員の皆様方と研鑚を重ね、少しでも老人の質を良くしたいということで切磋琢磨し、公開シンポジウムを行なっております。
 
今回は24回目ですが、先ほど会長の言葉にありましたように、自分が入りたい施設、老人病院ということですが、今日いらしている方は実践されている側に立つ方が約半分、そうでない一般の方が約半分であり、ちょうど良いくらいの比率で、医療を提供する側と利用される側とのお話し合いができればと思っております。まだ老人病院に入る年齢ではない方もたくさん見受けられますが、こうして見ますと、「もうそろそろ調べておかなきゃな」という、切実な気持ちでお見えになった方もいらっしゃるのではないかと思います。
 
時間も限られていおりますので、老人病院のすべての問題を解決しようなどということは特に考えておりませんが、皆様方の考えておられる老人病院と現実にある老人病院とのギャップは、大きいのではないかと思います。今回のシンポジウムの企画・コーディネートを仰せ付かりまして、当会副会長でもある私がいろいろな意味でシンポジストを選びました。細かいことはお手元にございますから、演者の経歴、病院の概要等はそれぞれにお任せするといたします。
 
今日のシンポジストの病院の方々は、院長・理事長が4人と、総婦長さんが1人、それから看護婦さんでかつ老人病院情報センターを開設している方、要するに皆様方の要望を直接聞いておられる方にもお願いいたしまして、少しでも実りのあるシンポジウムになればと思っております。
 
シンポジストの4人の病院の方は、私が考える日本の今の老人医療をリードしていく人たちだと思っております。私の病院が、「私がリードして行く」と言えないのが少し残念ですが、最初にお話をいただく霞ヶ関南病院の齊藤先生は、先ほど会長が言いましたように、当会の独自の自己評価基準の調査で全国の老人病院のランキング第1位の病院であります。
 
そして、その後でお話をいただく、鶴巻温泉病院は神奈川県屈指のリハビリ病院であります。老人病院の優劣を決めるのにいかにリハビリが大事であるかということは、皆様おわかりになっていると思います。
 
そういうことを含めまして、大塚会長の病院は、この中にも会長の病院に入院していらした関係者の方もいらっしゃるかと思いますが、大変人気のある病院でございまして、入院するまでに年単位で待つようです。「そこまで生きてないよ」という話もありますが、そのくらい人気があります。
 
ですから、今日のシンポジウムは現在の日本の老人医療をリードしている病院の人たちと看護婦さんたちの話をしていきますので、非常に特殊で、「うちの近所と全然違うじゃないか。」と言う方もいるかも知れません。それは後でお話をしたいと思いますが、少し特殊な環境の話です。今日は私がそういうコーディネートをさせていただきました。
 
司会者としてちょっと前置きが長くなりましたが、前半は各演者の方に10分以内で講演していただきたいと思います。そして残りの1時間半くらいを皆様とディスカッションをさせていただきたいと思います。
 
それでは霞ヶ関南病院の齊藤先生からお願いします。

齊藤

ご紹介いただきました霞ヶ関南病院の齊藤でございます。初めに全国1番などと言われてしまうと……。たまたま1番だったというだけで、建物を新しくしたがために点数が上がっただけと思いながら「1番だよ」と実はやはりうれしく思っていたり、少し複雑な心境です。

今日のテーマをいただいて「自分が入りたい病院」というのをどんなふうに考えたら良いのか、うちのスタッフと一緒に話し合いました。結果、「病院はやっぱり入りたくないよね」という結論に達してしまって、「でも、まあそうは言わずにみんなでいろいろ考えてみようよ」ということで、ディスカッションをして出てきた内容を話したいと思います。初めの基調講演は、自分の病院のプレゼンテーションをするようにというお話がありましたので、まずそのあたりからお見せしたいと思います。
 
私ども、「医療法人真正会」といいます。埼玉県の川越市にあります。川越市はご承知の方もいるかもしれませんが、埼玉県のちょうどまん中あたりです。池袋から東武東上線で約40分くらいのところですが、川越自体は人口約33万くらいの都市であります。そこに今から30年前、今年ちょうど30周年を迎えますが、霞ヶ関中央病院という老人専門病院を開設しました。当時はまだ老人医療という制度自体もない時代でしたが、そのころから今、当法人の会長をしております私の父が、「老人の専門病院を作りたい」と。父は福祉の仕事をしている人間だったのですが、福祉、例えば老人ホームを運営していくにしても、医療がしっかり補填していなければいけないのではないかということで作った病院です。
 
それから30年の間に、私が今院長をしております霞ヶ関南病院や診療所、通所リハビリテーションといわれているデイホスピタル、それから、訪問看護ステーションやヘルパーステーションなどを包括的に、総合的に提供させていただいています。そして姉妹法人に老人ホーム真寿園もあります。
 
実は私どもの法人の特徴というのは、各々のサービスが単独で存在しているのではなくて、そこに地域の方々、私はよく半径5キロ以内と言わせていただいているのですが、責任をもって対処できる範囲、往診できる範囲と言ったら良いのでしょうか。そういう方々を中心にみていく横のつながりの部署が必要だということで、コミュニティケア部というものを持っています。ですから、病院やその施設ごとに何かをしているのではなくて、在宅に帰られた後も病院やそのほかの機能が連携を持って提供できるようにという、そういうスタイルが私どもの法人の特徴です。
 
「老人にも明日がある」というのが私どもの設立理念で、それは30年前から今も一貫して同じ考えでおります。先ほども話しましたが、「医療の原点は福祉である。地域なくして医療は成り立たない」というのが、私どもの設立理念に併せてスタッフが方針として持っている考え方です。
 
私どもが提供する医療の基本は、ちょっと格好良い言葉で言うと、「コミュニティケアとリハビリテーション」。地域の方々をみて、何とか家で生活できるようにという中で出てきたのが、一つはやはり在宅サービス。何かあった時にすぐ対応できるようにというのと、もう一つはやはりリハビリテーションというのがキーワードということになりました。実際このリハビリテーションは30年前はほとんどない状況でしたが、今は50名から60名くらいのスタッフを持って、積極的に在宅復帰していただくための、取り組みの手段として提供させていただいています。
 
地理的に言うと、霞ヶ関中央病院と南病院とは実は400メートルしか離れていません。もともとは霞ヶ関中央病院が急性期の病院で南病院が慢性期の病院だったのですが、今は中央病院のほうが在宅の支援。ですから、地域の方々を中心にして外来とか訪問医療などを行い、そこにある病棟には介護保険の病棟もあります。この介護保険の病棟も一般的にいう長期療養の方ばかりではなくて、ショートステイで、例えば気管切開されていて、なかなか普通のショートステイでは預かってもらえないという方々、医療度のある方々、そういう方々をショートステイで、だいたい毎月17名から19名くらいの方を定期的にお預かりするというようなシステムを取っています。そんな関係で、平均した在院日数もおそらくいちばん少ないのではないかと思いますが、48日とか50日くらいでという形で運営しています。
 
霞ヶ関南病院のほうは、後ほどまた話す機会があるかもしれませんし、土田先生からもお話があるかもしれませんが、回復期リハビリテーション病棟を158床、4病棟持っています。埼玉県の中で回復期のリハビリテーションを提供できる病院はいまだに5ヶ所くらいしかありません。埼玉県には荒川が流れていますが、その川の西側は南病院だけなのです。そういう関係で実は半径5キロなどとは言っていられなくて、二次医療圏というか、少し広い範囲からこちらに来て頂いています。
(スライド)霞ヶ関南病院がここにあります。狭山市との境目にあるのです。上のほうに霞ヶ関中央病院があります。
(スライド)これが外観です。
 
病院の病棟の中には、建物と建物の間にガレリアという地域共有スペースなどもあります。そこにはギャラリーがあったり、カフェテリアなど、一般の方も入れるようになっています。それから浴室は、家に帰る方が多いですから一般の浴槽をあえて置いてあります。ADLというか、日常生活動作を訓練する部屋も用意しています。家に帰ったときにどんな階段なのか、家と合わせるような形で階段のシミュレーションをし、階段の高さが変わってくるものや、浴槽のシミュレーション、トイレの訓練のバーが動くものも配置しています。
(スライド)ガレリアというのは、決して医療の面だけではなく、地域の方々も年に何回か集まっていただいてお祭りを開いたり、私もこのような格好をして、隣にいる右側は男性ですが、こんなこともしている。なるべく地域に密着しようという考えです。
 
入院経路はどこから入院なさってくるかということですが、平成12年のデータではほとんどの方が一般病院や大学病院から入っていらっしゃいます。私どもの病院はリハビリテーションを提供して家に帰っていただくというのが役割と認識しています。
 
回復期リハビリテーション病棟には、多くは大学病院や一般病院から入院しているということです。
 
退院ですが、退院に関してはデータでは60%弱くらいになっていますが、回復期リハビリ病棟で言えば、だいたい60%くらいの方が家に帰られます。その中で特筆すべきは、法人内だけですべて終わらせるのではなくて、他の病院やクリニックにお任せして在宅に帰るケースが約50%。残りの50%は私どもの訪問や外来で診ております。このように、すべて私どもでしてしまうのではないというのが特徴です。
 
先ほどお約束した、当院のスタッフとのディスカッションと、患者さんに直接お話を聞いた結果をお話して終わりにしたいと思います。
 
患者さんに「私どもに何か要望はございますか?」と聞いたら、「リハビリテーションの回数をもっと多くしてほしい」、「時間をもっと長くしてほしい」というような要望や、「年寄り扱いしないでほしい」というようなことがありました。それから、「4人部屋でも良いから一人になれる時間をつくってほしい」「いつもだれかが一緒にいるのではなくて、一人になれる時間がほしい」と言われたり、「早く家に帰って家族と暮らしたい」というようなご要望ももちろんあります。逆に「退院と言わないでほしい」というのもございます。そう言われる方がかなりいらっしゃるような気がします。「家族に迷惑をかけたくないんだ」というような気持ちのお年寄りもかなりいらっしゃる。それからまた、「つらい独り暮らしより、うるさい家族より、病院にいるほうが良い」と言われた方。昨日聞いたのですが、このようにはっきり言われている方もいました。それから、当院はリハビリ病院なのですが、「もう歳なんだからリハビリなんてしなくて良いよ。とにかく寝かせておいてくれ」と言う方も中にはいらっしゃいます。
 
今度はMSW、メディカル・ソーシャル・ワーカーといって、医療福祉相談員、皆さん方にいちばん近いところにいるスタッフですが、その皆様方の要望などいろいろな状況をいちばん把握している彼らに、「君たちだったら、どんな病院なら入院しても良いか?」ということで、ディスカッションをしてそれをまとめました。
 
「退院して、『元気になった』とあいさつに行けるような病院」、「入院しても、早く家に帰してくれる病院」というのが出てきました。ですから、今日のテーマにある、「自分が入院したい病院」ではなくて「病院には入院したくないけど、入院するなら短く済むようにしてほしい」という気持ちなのではないかと思います。それから、「命令や強制をしない病院が良い病院だ」というふうに言っていました。また、「入院をしていても自宅、家族、地域が身近に感じられる病院」とも。これは裏を返すと、入院期間が長くなればなるほど、自宅や家族や地域が遠くなっていってしまうともらした患者さんがいらっしゃったということから出てきたものだと思います。
 
そして、これは確かにそうかなと思ったのですが、「障害が重ければ重いほど、道徳的な生活を強いられるのはつらい」というような言葉が出てきました。ちょっと意味深なのですが、動けなければ動けなくなるほど、道徳的な暮らしを強いられる。楽しい暮らしというのは、すべてが道徳的なのではなくて多少は不道徳というか、好き勝手にできるような、わがままが言えるような、そういう部分もあるのではないか。寝たきりになればなるほど、そういう気持ちは強くなってくるのではないかということで、私は昨日この言葉を聞いて、大変感じるところがありました。
 
最後に私の目指す病院像というものをまとめてみました。内容については、のちほど細かくお話しします。まず一つは、「フラストレーションのたまらない入院生活」、そして「なじみやすい環境づくり」、決して家と同じではなくても良いから、なじみやすい環境をつくれれば良いなと思います。それからもう一つ、やはり仕事はきついですから、「スタッフへの配慮を忘れないような病院」。この三つは、実は私が考えたのではなく、オーストラリアのある施設の先生からお聞きしたことで、私が目指すものも同じことかなと、今感じているところです。
 
どうもありがとうございました。
基調講演U 土田昌一(鶴巻温泉病院・院長)

こんにちは。鶴巻温泉病院の土田でございます。
 
資料に、私どもの病院の今現在の姿を書いております。今、平均在院日数というのがいろいろなところで言われているのですが、介護保険病棟というものを、私どもでは117人の方が利用していただいてまして、平均在院日数1,700日と書いてありますが、1,000日くらいになってきています。その一つの理由というのは、ショートステイを使っている方が徐々に増えてこられたこと、それからレスピレーターという人工呼吸器を、在宅で希望する方のニーズも高くなってきているような状況があります。
 
それから、回復期リハ病棟。これは一昨年4月にできた枠組みですが、病気になって3か月以内にリハビリ病院に入院し、集中的なリハビリテーションを6か月間までの限度の中で行なうことができるというものです。当院も今99床で運営させていただいていまして、ちょっと時間がかかっていますが、平均在院日数100日平均の状態でございます。現在30人くらいの方が常時回復期リハ病棟に申し込まれ、入院待機中です。この30名の待機というのは、2週間も予約がいっぱいになっていての30人という形になっていまして、近々152床に増床する予定です。
 
もう一つのほうは医療保険で、介護保険以外の療養病床として運営しているものが、今380床あります。この内訳は回復期をもれた方、つまり発症から3か月と1日以上たった方、それから慢性呼吸不全の方で、メンテナンス上ある程度の自立を支援していきたいという方々、それから難病の方々などが当院を利用されておられます。
 
特徴は、総合リハビリテーション施設という、いろいろな訓練室の大きさとか、いろいろな制度が施設的な設備面と人員基準にありまして、リハビリテーションの施設の中ではいちばん上のランクだということです。
 
そういう施設の形を取っており、回復期から維持期そして終末期のリハビリテーションまでみています。ターミナルという人生の最後をいかにご本人らしくまっとうされるかということに関しては、やはりこれはリハビリテーションが必要です。リハビリテーションという言葉を、私なりに考えているのは、その人らしくいかに生きるかを一緒に考えることがリハビリテーションであるということからしますと、死に方もやはり同じくリハビリテーションと考えています。
 
地理的には新宿から小田急線で小田原に行く途中です。湘南海岸からだいたい12、3キロの距離で、新宿から1時間、小田原から30分くらい。横浜も電車で1時間くらいというアクセスです。東名高速道路の厚木インターの近くになります。
 
今私がどういう姿勢でこの病院を運営していこうかという、方向性の中での具体的なものなのですが、とにかく高齢者医療の実践ということが、この病院に課せられた仕事ではないかというふうに考えまして、院長になりました。専門性の高い医療提供をしたいと思っています。
 
入院ではどういう方々をどういうふうに対処させていただくかというと、回復期リハ病棟では先ほどお話ししたような方々が対象で、できるだけ在宅復帰への支援ということになっています。当院では52、3%程度の在宅復帰率です。現在発症から3日目くらいで連絡をいただいて、早い方ですと、発症から1週間から10日くらいで入院してこられます。
 
維持期リハというものは回復期リハの後で、先ほどお話ししたように、だいたい3か月過ぎたらもう維持期だというような考えなのですが、たとえリハがされていなくて寝たきりになられていても、とにかく維持期の中での持ち上げというか、その人なりの能力を見定めればそれなりの人生観がまた芽生えてきます。一緒にお手伝をすることで、その人がもしよくなれば在宅へというようなことも考えられるということで、維持期リハも行っております。その中で在宅に帰られる方も40から50%いらっしゃいます。
 
終末期リハ。先ほどお話しした方々なのですけれども、できる限りその人らしく、できればその方のリビングウィルがあれば尊重したいのです。けれども、今リビングウィルを持っておられる方はまだまだ少ないので、ご家族とも話し合いまして、その人の病態、今までの人生観等をお話しさせていただいております。できれば何もしないということだったら、ご家族が泊まり込みできるような施設も造りましたので、一緒に暮らしていただきながら、在宅と同じような雰囲気でその人なりに看取るということも、終末期リハとして考えております。
 
すなわち、終末期だからといって寝たきりにすることではなく、できるだけ座る時間を長くするとか外に散歩してもらうとか、もし食べたいとおっしゃったら、嚥下のほうに問題があっても、それをわれわれスタッフがついて、何か食べたいものがあれば食べていただく。
 
つい最近あったのが、まだ若い方で57、8歳の男性なのですが、ガンの末期で「最後は鶴巻で死にたい」とおっしゃって、年末の28日にとある都内の病院から来られまして、亡くなられたのは31日なのです。ガンの転移で肺はほとんどなくてなっていました。その方は食べられなかったのですけれども、最期にいちばん好きなハンバーグを食べられて、それから3時間後に息を引き取られました。このようなこともしております。その間、点滴、心電図のモニターということは一切しないで、家族に看取られながら過ごしました。それで、亡くなったということをご家族とわれわれが確認させていただくというようなことも、一応リハビリではないかと思っております。
 
それから、回復期・維持期で在宅ないしは、在宅以外でも施設で入所されている方々の支援をしたい。在宅急変時の対応と同様に老人保健施設、老人福祉施設で入所されていた方の急変時の対応というものも、老人病院では行っています。当院でも救急で受け入れようという形で、今、男性、女性各1名ずつ予備ベッドを作りまして、急変の時の対応で、24時間に近い態勢で受け入れています。
 
それから、医療度の高い方の短期入院では、先ほどお話ししたように、人工呼吸器というようなものは、今は当たり前のように対応できます。
 
外来機能なのですが、高齢者の方々に対する予防外来というふうなことも行っています。その方々は成人病外来に近いのですが、成人病一つを診るのではなくて、全体像としてその方を診られるような外来を、今やり始めております。
 
また、専門外来も同様ですが、ただ一つ違うのは、高齢者にも性がある。男性、女性一緒ではないということも考えまして、今女性専門の高齢者の外来をつくっています。「いきいき外来」と称しまして、ホルモン補充療法を婦人科の先生にしていただいております。今、20代の方から最高90いくつの方まで、この「いきいき外来」に来られまして、ホルモン補充療法を受けられながら、生き生きと若返って、髪の毛が黒くなったとか、肌が良くなったとか、中には腰痛とかそういう痛みも取れたとおっしゃっています。
 
それと、その腰痛のことなど、私がしていますが、関節運動機能が悪くなってくる諸々の問題に対する外来、これも専門ですが、そういうような外来で、一般の病院でされているものではないような外来というものを当院で展開したいと思います。
 
私はとにかく医師というものはどうあるべきかということに論点を持ちました。パターナリズムというものがありまして、それは今まで「お任せします」とか「任せなさい」というようなスタンスが医者との間であったと思うのです。2000年12月22日の東京の読売の夕刊にもお医者さん任せというのは困るのではないかというようなことが記事になりました。私もそう思っておりまして、当院においての医師のあり方というのは、次のようにあるべきではないかと思っております。
 
自分が患者であった場合、医師に対して気楽に相談できる雰囲気を持って欲しい。つまりこちらの話を聞いて貰いたい。それから、いろいろな問題をこちらからは相談するが、先送りしてほしくない。「じゃあ今度またその時に話しましょう」ということではなく、その場で解決して貰いたいと思います。実際に診療していただく場合は、やはり自分の病気は自分の人生にとってどうなのかという観点から整理をして欲しい。
 
それから、治療方法の説明も同様で、その治療の優先順位とその選択肢をわれわれに提示して貰いたい。これはどこでも言われていると思うのです。私が特に大事にしたいのは、生きる権利と死ぬ権利を保障して欲しいということ。苦しまないで生きていける方法と、苦しまないで死ねる方法と手段。これは安楽死を意味するのではなくて、やはり余病を発症しないで、自分らしく生きる方法はないかというようなことを、相談できる先生であってほしいと思っております。
 
そういう意思の先生方がいれば、病院というもの自体に対してはどういうことを望むかということを考えますと、私が希望するのは医療従事者、看護婦、介護の方々、リハビリテーションのスタッフ、それからケースワーカー、事務、全員なのですが、栄養士も含めます。私自身のだいたいの病状をみんな何となく把握していてくれる。これはチームできちっと話し合いがなされていて、「土田っていう患者はこうだよね」ということがみんなわかっていて、それをなおかつ秘密厳守してほしい。
 
そして、医療従事者間での自分の今後に対しての話を、今言いましたけれども、自分にわかりやすく説明できる雰囲気を皆さんが持っていてほしい。それから、自分のプライバシーを保護できる療養環境も必要でしょう。自分が一人でいたい時には一人でいられるような場がほしいし、ほかの方と話し合いたいのならそういう場もほしい。それから、私はお酒を飲むのですけれども、とにかくアルコールがほしい人にはアルコールくらい飲ませてあげても良いのではないかと、今当院では一応許すような方向でいますので、アルコールを飲まないで眠剤を飲むより、酒乱でない限りアルコールを飲んでも良いのではないかと思っておりますので、そういうふうな柔軟性があることが必要かなと考えています。
 
では、雑駁になりましたけれども、鶴巻温泉病院という596床の老人病院を首都圏の中でやらせていただいて、やはり自分としては何をやりたいかということをお話しましたので参考になればと思いますが。以上、どうも失礼しました。

基調講演V 中尾郁子(光風園病院・総婦長)

皆さん、こんにちは。下関からまいりました中尾と申します。最初に大変お話の上手な先生方でしたので緊張しておりますが、少しのお時間お付き合いください。
 
私は看護婦の立場ですので難しいことは言えませんが、やはり病院というのは、医療機関ですので、医療はちゃんと提供していかなければいけないというのを基本的には持っています。それともう一つ大事なのは、看護とは何かと考えた時、病気だとか障害を負われた患者さんが持っておられる自然治癒力とか回復力、そういうものを出せる環境づくり、看護とは環境因子の一つであるということを認識するのが大事なのではないかと思います。それを持っていると、自然に自分たちの役割がわかってくるだろうし、それがない医療施設の看護のレベルというのは非常に低いのではないかと思います。
(スライド)古いスライドですので色がちょっとわかりづらいと思いますけれども、これは当院の外見です。冊子にも書いてあるのですけれども、敷地内に1,000本余りの桜の木があります。春になるとこういうふうに大変良い環境でして、療養されている患者の皆様にはそういう環境を楽しんでいただくということが、特徴としては大きいと思います。ただ、「環境が良いけれど、中身が大したことないね」と言われないように、その辺は常日頃から心がけています。
 
先ほど大塚会長のほうから、老人の専門医療を考える会の発足後から今日まで、いろんな研鑚を積んできたというお話がありました。私も看護婦の立場でこの会の発足当初から、いろいろな意味で看護の質を高めるための研鑚を積んできたのですけれども、いろいろなことを患者さんに教えていただきました。それで一つ一つ目標が定まって、それを改善していく努力をしてきたということなのです。
 
医療としては当院の場合は、高齢者に多い感染症とか消化器疾患、骨折、保存的治療も含めてですけれども、早期に必要な急性期の疾患でも、当院で見られる範囲の、ある程度早い時期からの対応というのはしています。あとは、慢性期の患者さんでは、高血圧があるとか、合併症のある糖尿病の患者さんの疾病のコントロールとか、そういうことを行っています。最近では在宅人工呼吸器の患者さんとか、腹膜透析が必要な方で在宅の医療が可能な方、そういう方を受け入れるように努めています。ただ、手術とかICU、そういう高度医療機器の必要な検査等は当然うちではできませんので、近隣の医療機関との連携を迅速にできるように対応しています。
 
リハビリテーションとしては、もちろん理学療法・作業療法もですけれども、あとは、言語聴覚士による言語療法です。それから、嚥下障害のある患者さんがお食事をご自分で口から食べられる。嚥下性肺炎にならずに食べられる、回復の可能性があるかないかをきちんと評価して、お口から食べられるようになる。そういうことも含めて今は進めています。
 
医師の方は主治医制ではなく担当制です。週1回の診療科のカンファレンスとか、病棟で行われるケアプランに基づくケアカンファレンスに、医師は積極的に入ってもらっていますけれども、看護婦も医師と同じ土俵で意見がきちんと言えるようにする等、最近としては進んできたかなというふうに思います。
 
あと、医療機関と言っても療養型の病院ですから、患者さんの退院目標設定がしにくい方もおられまして、なかなか退院していかれないということがあります。それは一つにはどういうことがあるかというと、ちゃんと段階的に評価したことを、きちんと患者さんやご家族に伝えられないという問題があると思うのです。できるだけ早く目標設定をして、「あとどれくらいだと次のステージですよ」とか、「どれくらいだと帰れるようになるでしょう」ということが、きちんと言えなくてはいけないと思うのです。
 
入院していただいた時に、ご家族も含めて入院時カンファレンスというものをするのです。この時に、食べられるようになりたいとか、トイレで排泄ができるようになりたい、そのためにここに入院しに来たのだというふうに、ご家族が持ってこられる目標というのがあると思うのですけれども、それを単に「そうですか。では、そのように努力します」ではなく、「それが可能なのかどうか、ある期間を設けてそれを見させていただきます。それによって次の方向性は一緒にお話し合いをしていきましょう」ということを話し合うのです。やはりできることはできると約束した以上、していかなくてはいけないし、「してみたんだけれども、ちょっとできない。無理のようです。でも、ここまでは可能だし、こうなった場合はこういう方向性で考えていきましょう」ということが、きちんと話し合いがあってしかるべきだと思うのです。
 
よくご家族の方から「『お話してほしい』と言わないと話をしてくれない」、「どうなっているのかわからない」ということを言われます。そういう迅速な対応はできるだけ、こちら側がご家族に「いついつこういうふうに変化がありましたよ。この件について医師の方から説明がありますから、ご都合つけられますか」ということを、看護側も提示していかなくてはいけないのではないかと、最近感じています。
 
ちょっととりとめのない話で申し訳ないのですけれども、ご家族の意見をお聞きするという機会もやはり大事なのではないかと最近思いまして、接遇面でアンケートを取らせていただいたのです。その時にどういう言葉が具体的に書いてあったか、少し紹介したいと思います。「医療というところを充実してほしい」ということがちゃんとありましたし、「患者の気持ちを考えて意識してほしい」。「心がこもっているかどうかは見ていてわかるものだから、その辺は患者の立場を考えてほしい」。こういう言葉も入っていました。「私の妻は意識がないのだけれども、一つ一つの処置の時に、例えば『たんを取りますよ』とか、『食事が来ましたよ』というふうに看護婦さんが声をかけてくれる。それは妻が元気なころを垣間見る一瞬なんだ」というような言葉が書いてあり、大変感動したのです。
 
そういうことを私たちがいちばん意識して、看護の本質というのを考えていかなくてはいけないのではないかというのを感じました。やはり大事なのは、全部は応えられないけれども、応えられる部分は応えていく努力を、応えられない部分は、なぜそれには応えられないかという理由を提示することではないかというふうに感じました。
 
病院の構造は痴呆の病棟も同じようになっています。患者さんの衣類とかそういうものが病衣ではないので、お好みのものを持ってきて着ていただくという形です。ベッドが3モーターとちょっとわかりにくい表現で冊子のほうには書いてあるのですが、高さが動くのです。そうすると、患者さんが立ち上がりやすい高さも調節でき、私たちの処置の時にも負担が少ない。それはイコール患者さんへの負担が少ないというようになっています。
 
食堂ですが、療養基準の中に食堂がなくてはらないという決まりがあるのです。それもやはり良い環境で、回復力を高められるような雰囲気が必要という、最近はこの辺が特に必要なのではないかと感じています。
 
いちばん大事なのは、私たち看護婦というのは患者さんの代弁者であって、お医者さんの言いなりではいけないということだと思います。その辺を現場の看護婦がどれくらい理解しているかで、良い病院というのはある程度決まってくるのではないかと最近感じます。医療の能力というのは、病院それぞれやはり違いがあるのですが、環境とか医療の提供の密度とか、そういうものは大事です。そこに働いている看護婦の質。質という言い方は悪いですね。意識の問題とか心の問題というのはハードでは補えないし、私たちがどれほど高めていけば良いサービスにつながるのかというのは、これは永遠のテーマだと思います。そういう気持ちを持ち続けていくことが必要であり、そういう病院こそがやはりこれから求められる、私としては入りたい病院かなと最近思います。あとの具体的なことは時間がありましたら、お話したいと思います。以上です。

基調講演W 大塚宣夫(青梅慶友病院・理事長)

青梅慶友病院の理事長の大塚でございます。今、過分の紹介をいただいたのですが、私の病院は非常に変な病院であります。おそらく待機者のことだとか、あるいはいろいろ悪名高いことでもかなり全国的なのではないかと思います。
 
東京にありますけれども、東京とは名ばかりで、ここに来るのにだいたい2時間くらいかかる非常に辺ぴなところであります。そこにベッド数から言いますと約800床ありまして、これがだいたい常時いっぱいであって、待機者がかなりいるという状況であります。もう一方で、厚生労働省が昔から取ってはいけないという保険外負担を堂々と取るということでこれまた有名であります。また、厚労省が「早く帰せ」と言っても、私どもの病院はいったん入院をさせたら病院から「退院をせよ」ということは言わないということで、平均の入院期間が4年以上になっております。
 
スタートしましたのは1980年、昭和55年で、今年でちょうど満22年が経ったところです。現在入っておられる方の状態像についてちょっと申し上げますと、入院の資格としては、介護と医療を同時に必要とする高齢者ということで、実際に入っておられる人の平均年齢が86.6歳。入院者の35%は90歳を超える方であります。100歳を超えておられる方が今、14、5名おられます。現在、日本の100歳老人というのはだいたい15,000人余といわれていますので、その0.1 %がわずか1万坪足らずのところに集まっているという、世界でも有数の100歳老人村であります。
 
実際に入っておられる方の状態ですが、常時おむつを必要とする方が7割。明らかに痴呆があるというふうに思われる方が全体の6割。それから完全な寝たきり、あるいは植物状態がだいたい2割くらいを占めています。
 
先ほど申し上げましたが、平均の入院期間が4年余りとなっており、私どもはいったんお預かりしたからには、最後まで面倒を見させていただくということを一つの売りにしております。いったん入院されますと、その95、6%は私どものところで最後を迎えられるといった病院であります。今までに私どもがみとらせていただいた患者さんの総数は、3,100名を超えると思います。
 
私がこの病院を造ろうと思った動機というのは、ともかく自分の親を安心して預けられる施設を造ろうと思ったことです。具体的には何とか豊かな最晩年をつくろうということでありまして、そのための実験研究開発センターといいますか、そういう存在たらんとしたい。そのためにはお金も力の限りつぎ込もうということでやってまいりました。
 
最初は病院としてスタートしたのですが、間もなく医療だけではお年寄りを元気にすることも、豊かにすることも、幸せにすることもできないということに気が付きました。ちょうどその少し後にヨーロッパの施設を見学する機会がありました。これで私どもは大きく方針を転換しました。それまではどちらかといえば医療というものが主体としてあって、それに必要な介護の機能を付けて、少しばかりの生活の環境も整えようという方針でした。しかしヨーロッパの施設を見て、私は目からウロコが落ちました。ともかく人生のいちばん最後の何年間かを過ごすための生活の場をきっちりと整えて、そして、そこに住んでいる人に必要な機能としての介護、そして医療、この二つを整備しようというふうに変えたわけであります。この同じ機能をそろえるにしても、その順番をどうするかということによって、出てくるものが全く違うのではないかと思ったわけであります。
 
自分の親を安心して預けられる施設ということで22年やってきましたけれども、私の親は現在96歳でありますが、今から4年くらい前にうちの病院に入れました。だから、私は第1の目的は達したわけであります。これからは、今度は自分が入りたい。自分が入るための整備をしていきたいと思っておりまして、それがちょうど今日の「自分の入りたい病院」ということで合致したわけであります。
 
まだ時間的には15年くらいあると思いますので、変えようと思うことにつき述べたいと思います。それは、まず第1は何と言ってもわがままを目一杯聞いてもらえるところであります。うちの病院などを見ていますと、朝になるとやはり「起きろ」と言うのです。それから、ご飯を食べないと「頑張って食べなさい」と言うのです。あるいは毎日熱や血圧を測りにきたり、「おしっこが出ましたか」なんて余計なことを聞く。あるいは少しじっとしていると「寝たきりになるわよ」と起こしに来る。人生最後のほうになったら、今まで毎日毎日我慢や気兼ねをしながら生きてきたんだから、最後はもう目一杯、どんなわがままでも良いから聞いてくれと思います。
 
第2番目は、家族も一緒に楽しめるような仕組みにできないかということであります。老人病院に入れると、ご家族の方は後ろも見ずに一目散に逃げて帰りたくなる。現実の話として3日前に親を入院させて、今日行ってみたら、入るまではしっかりご飯を食べていたような人が、鼻からチューブを入れられて手足を縛られていた。こんなことだったら、二度とあんなところには行きたくないという気持ちになった人の話しを聞きます。そうではなく、家族が今度行ったら、どんなふうにニコニコした顔をしててくれるかしら、あるいは家族が一緒に過ごして、また明日も来たいと思うような仕組み。先日お父さんと一緒に散歩に来ていた娘さんが、私に向かって「この父が死んだ後もここに来ても良いですか」とおっしゃって、やはりそういうのが一つの理想なのかなというふうに思います。
 
3番目は、季節が感じられる、あるいは時の流れが感じられるような雰囲気は絶対必要だと思います。緑があって、花があって、鳥が鳴いてなどということばかりではなくて、一日一日過ぎていく中で、自分はしっかり生きているのだということを感じられるような環境が必要です。
 
最後は話のわかる医者がいてくれるということでしょうか。だいたい医者というのは売り物が医療でありますから、自分の存在感を発揮しようと思ってか、やたらと病気を治そうとしたりするのですが、80歳、90歳、100歳になったら、医者がどんなにやっても治らないものは治らない。その見極めをきっちりしてくれて、そして、余計なことはせず、その苦痛だけしっかり取ってくれれば良い。でも、「そろそろ私はもう飽きたから死なせてくれ」と言ったら、死なせてくれないまでもそれくらいの気持ちも素直に受け止めてくれるところが必要ではないかと思っています。
 
今の世の中は人生の終りというのは非常に暗い、あるいは寂しい、厳しいというものだという気持ちが満ち満ちておりますが、人生の最後になって、自分のわがままいっぱいに何でも聞いてくれて、そして家族もけっこう頻繁に来て、それなりにわれわれがイメージするような極楽というものが、死ぬ前にあるような病院だったら、私は入っても良いなというふうに思っております。

どうもありがとうございました。

基調講演X 山上久(鳴門山上病院・理事長)

今ご紹介いただきましたように、徳島の鳴門というところに私の病院はございます。ちょうど対岸に淡路島がございまして、北に15分くらい行きますと香川県に入るという、3県にまたがるところにございます。
 
今日の資料に少し概略を書かせていただいております。全部で280床ですけれども、現状といたしまして、医療保険の病床120床のうち40床がいわゆる一般病床です。これは新しく入院された方に対するアセスメント、および院内で患者さんが急性転換されたりとかした時に対応する、急性期対応病棟にしております。そして回復期リハの病棟、医療保険の療養病床を各一病棟という形でやらさせていただいてます。それから介護保険の病床。実は併設で老健施設というのを同じ建物の5階で代用させていただいています。
 
平均在院日数が254日。その内訳は施設の類型を変えることによっての対応の結果で、実は昔は平均在院日数は3年以上の施設でございました。
 
沿革をもとにお話させていただければ、もともと京都に本院がございましたが、その後、四国徳島出身の先代の私の父親がいわゆる故郷に錦を飾るという形で徳島に病院を建て、当初の40床から280床に増床するまでいったのですけれども、高度成長期に頑張りすぎまして、いわゆる倒産に至りました。それで、もうこれでは破産という直前まで行きましたが、京都の病院を売却することによって、なんとか皆さんに待っていただき対応して立ち直ったという次第の病院です。
 
もともと私どもは外科のほうの医者でございまして、それで救急に呼び戻されて対応していった次第なのです。最初はいわゆる一般病院で、ご老人が多く入院されてる病院でスタートしておりました。そこで医療をやらさせていただいたのですけれども、何か違う。お年寄りの対応というのは、外科医としてやらさせていただいて、やはり違う。何かジレンマを感じ取っておりました。そこに老人保健施設という制度が出てきまして、これがちょうど63年ですか、そちらができるというので、これを64床でスタート致しました。その時第1回目のカルチャーショックを受けました。
 
いわゆるケアの重要性ということです。病院のほうで2年〜3年医者も看護婦も頑張って対応させていただいたのに、全面介助だった方が、ケアというものを中心でしていったら、自分でご飯を食べ、ポータブルトイレを使いだした。これはなんだと。このケアというもののすごさに非常に感銘いたしまして、そちらのほうを対応していくようにもっていきました。それが第1回目のカルチャーショックだったのです。
 
その後、デイケアというのを始めて、これが2回目のカルチャーショックになりました。いわゆる病院で入院していただくのがいちばんお元気になると思っていたのですけれども、実は入院するよりもおうちへ帰っていただいて、デイケア等で一日でも出てきて貰う方が、どんどん良くなってこられる。そこのところをデイケアで教えられました。
 
それと、実はその頃までは、私どもの入院患者さんの割合が徳島県以外の他府県、特に淡路島の方が多く、最高で75%を超しました。というのは、淡路島のほうに公立病院と市立病院が、当時二つしかなく、いわゆる基準看護を取っている病院はそのうちの一つという状態で、それらの病院で、長期入院とか等々で入院を続けることが難しくなった症例が来られるということも多く、それで先ほど申しましたように、平均在院日数が3年近いという次第でした。
 
ところが、ご存知のように地域医療計画、福祉計画で淡路島のほうにも次々と病院とか施設ができてまいりまして、地元の病院や施設に入れるようになり、だんだん地元の患者さんに対応していく必要性が出てきました。対応する患者さんが遠方の方々から地元の方々へと変わってきたことによって、やはり在宅の部分を強化していかなければいけないということが起きてまいりました。それとともに、さらに在宅のサービスを展開していく。そして、その中で在宅に帰っていただくためにはリハが必要だということで、リハの展開を特に進めてきました。
 
その後、地元に密着するために、デイケアだけでなくデイサ−ビスなどもスタ−トし、さらに、回復期リハ病棟というのもリハの強化のために必要性が出てきまして、スタ−ト致しました。
 
けれども、回復期リハ病棟に入っていただく患者さんも、やはりご高齢の方へ対応している部分が多いところもあります。また地域的に徳島の端、鳴門市でも端のほうにございます。健保病院とか公的病院、また開業医さんからもご紹介いただくのですけれども、後のフォローの問題点等がございまして、そこで一つの方法としてオープン病床を考えました。よく行われているのが、開業医の先生方が手術とか等々必要な方を公的病院にご紹介なさって、その後往診するためにオープン化をなさるケ−スが多いのです。この回復期リハビリテーション病棟をとりまして、例えば脳外科の先生が、手術後の患者を病院に紹介しやすい方法ということで、このオープン化を県のほうにお話ししましたら、そういうスタイルでも許可をしていただけました。
 
ただし、回復期病棟に入った時は紹介医からの往診は駄目ですが、一般病床に入院された時には来ていただいて、請求していただけるという方法で、病床のオープン化でいわゆる地域の方との連携ということを考えました。
 
そして、280床の病院なのですけれども、入院の形も、先ほど申し上げましたように、いろいろな類型、そして在宅のほうも通所型・訪問型、いろいろなサービスで対応させていただいています。
(スライド)こういうふうに、いわゆる病院の部分、入院の部分、老健の部分、そして通所型・訪問型とかこういう形で、家庭の方をサポートさせていただくという形を取らせていただいています。
 
鳴門市は、人口6万4千のところです。小さな市なのですが、その地域の方に対応していく。そして、その周辺市町村とも対応しています。けれども、現状では50%強が鳴門市の方、残りの40数%が香川県、先ほど申しました淡路島の方からも来られる状態になっています。今後ともだんだん地元密着型に対応していくために、患者さんが必要となさるものをどんどん追加していかなければいけない。それに応じて対応していこうと考えております。

基調講演Y 川添みどり(老人病院情報センター・代表)

こんにちは。老人病院情報センターの川添と申します。私どもは渋谷の神泉町というところで、平成3年11月に老人病院情報センターを開設しました。その1年前、平成2年から1年間、首都圏に限りなのですが、東京、千葉、埼玉、神奈川県の病院をずっと回りまして、どこにどんな病院があって、そこの病院に入院すればどんなケアが受けられてお金がいくらかかるのかという、患者さんにとっていちばん知りたい情報を、50項目以上にわたって一件一件調べました。そのデータをもとに情報をダイヤルQ2で有料で提供するという仕事をしております。
 
そのころはまだ介護力強化病院が都内に10か所もなかったころですし、老人保健施設が造られ始めていたころです。老人病院は、まだ付添婦さんがたくさんいらして、ベッドとベッドの間に付添婦さんが必ず座っていたとか、病院の仕切りを取り払って20人以上の患者さんがダーッと並べられて、点滴をつるされていたとか、廊下で付添婦さんがたばこをふかしながら話をしていたなど、そのような情景が今でも思い起こせるような、そんな状況のころでした。
 
そのころからだんだんと病院も変わってまいりまして、介護力強化病院や老人保健施設が増え、付添婦制度が廃止になりました。そして介護保険の導入ということで、病院というのがどんどん変わってきました。今、療養型というふうに変わり、そのころに比べますと、療養病室の広さや、あるいは食堂、デイルームが造られてきて、療養環境というのは本当に大きく変わりました。10年前とは比べようがないというような感じで、もはや老人病院というような名称はなくなると思います。
 
それから10年以上にわたりまして、今もですが、延べ500以上の老人病院や老人保健施設あるいは有料老人ホームなどを訪問していますと、本当に時代とともに変化していくなということを、情報を提供する者として実感しています。
 
私どもが実際行けるのは首都圏だけなので、情報の提供も首都圏だけなのです。ほとんどが患者さん本人ではなく、家族からの相談です。多い時は年間1,000件を超す相談がありましたが、介護保険が導入されまして、在宅介護支援センター等で老人保健施設の情報などがいきわたってまいりましたので、医療と介護の住み分けが進んでいるのかなというような感じがします。
 
私ども、インターネットのホームペ−ジでも病院の情報提供をしております。インターネットを見て、それからダイヤルQ2に電話をかけて、さらにそこで予約をして私どもまでわざわざ来所相談に来られる方もけっこう多いです。そういう方は予約なのですが、多い日は1日4人くらい来ることもあります。
 
老人病院と一言で言いましても、先ほどの先生方のは本当に素晴らしい病院ですが、やはりピンからキリまでだなという感じはすごくしております。入院してからでは遅いので、まずいちばん最初にどこの病院を訪ねるかというような、その前の情報というのは大事だと思います。特にマスコミなどに出る時は、老人病院は悪い場面ばかりが出ますので、いまだに「縛られてるんですか」というような質問もありまして、「いや、そういう所もありますけれども、全然違いますよ」というふうに、私どもは情報を提供します。患者さんの病気ですとか、日常生活の動作、痴呆の状態ですとか、希望する治療やケアの内容、住んでる地域、リハビリをしたいですとか、1か月どれくらいお金を出せますかということをお聞きした上で、その患者さんのご希望に近い病院の情報を何か所か提供して、そして何か所か見比べて貰います。「ご自分で相談に行かれて、そして見に行かれて納得したら、選んで下さい。選ぶのはあなたですよ」という形で、私どもは情報提供だけということに徹しております。
 
相談内容でいちばん多い相談は、「急性期の治療を終えて、療養型病院へ転院したいので、それを探している」。あるいは「今いる病院から退院を迫られているので探してほしい」。逆に「今いる病院からどこどこの病院を紹介されたんだけれども、その病院はどうですか」と逆指名で聞かれる方もいらっしゃいます。あるいは、もう何か所か病院を見て回ってから「あの病院はどうですか」と来られる方もいます。
 
それから、やはり先ほどからあるように、リハビリを希望される方が大変多いということです。そして「今入っている病院にちょっと不満があるので転院したい」、例えば、「見舞いに行くのに遠すぎる」とか「ちょっと保険外の負担金が高いので、もうそこには入りきれない」とか、そういうことで転院先を探している人は多いです。最近やはり多いのは、医療の依存度が高いので、例えば「経管とかバルーンが入ってしまったために、自分が希望している老人保健施設とか特別養護老人ホ−ムに入れない。それで病院しか行くところがないので」というようなご相談も多くあります。そのほかに「有料老人ホームとかグループホームの情報もほしい」とか「介護保険の利用できる病院はどこだろうか」とか、あるいは介護保険の利用についての簡単で素朴な質問の電話もあります。
 
相談の中に出てくる病院に対する不安とか不満ですが、これは良い病院の方からは、「とても良いです」という電話はありません。やはり「入院期間の制限がある」「入ったと思ったら出なくてはいけない」「退院するという不安があるので、できたら長く入院したい」「ケアの内容が悪い」という内容です。たった一言なのだけれども、患者さんや患者さんの家族にとって非常に心ない言葉を言われた、というものもありますし、ケアの内容では、昔は「お風呂に入れてくれない」、「おむつの取り替えが悪い」というようなことだったのが、今は食事の場面での不満が大変増えました。例えば、「時間が短い」、「ちょっとしか食べないのに、すぐ片付けられてしまった」、あるいは「経管が入っていて、家族が行けばちゃんとヨ−グルトとかプリンは食べるのに、病院はちっとも管を外す努力をしてくれない」、「できるだけ食事を食べさせてやりたい」等です。それからやはり「担当医が病室に来てくれない」、これは患者さんとその家族がずっといるわけではないのでわかりませんが、そういう不満も多くあります。
 
また、「病院の雰囲気が暗い」というのもあります。患者さんの希望する病院はこれとは逆の病院で、近くにあって長く入院させてくれて、保険外負担金が少なくて、療養環境が良くて、ケアが良い。そういう病院があったら真っ先に知りたいと思います。そういうことが望まれているわけです。
 
私も母を入院させたことがありますので、家族として病院に望むことを私の視点も踏まえて申し上げますと、入院相談の時点で病院の姿勢をはっきり聞きたいということです。大塚先生のところの病院のように、「もう退院の強制はしませんよ」。あるいは齊藤先生のところの「うちは在宅を中心にしますから、こういう方針でやります。そして在宅も支援します」。あるいは「こういう要望にはほかの施設が連携してます」、そういうことをはっきり教えてほしいということです。
 
それから保険外負担金が高いとか安いとかよく言われるのですが、その内容の説明をきちんと聞けば、患者さんの家族は納得できると思います。おむつ代がどうしてそんなに高いのかと思って私どもも調べてみたところ、紙おむつにしても、例えばパンツ型のおむつは1枚500円もするおむつがあるのです。それを5回取り替えたら2,500円です。それを1か月にしたら75,000円。そういうふうに考えてみると、「ああ、おむつ代もそんなに高くとってないんだ」とか、ちゃんと説明を聞けば理解できると思います。その辺りの内容について、あるいは、先ほどのお話の、終末期の看とりの内容についても、病院としてはどういうように考えているかということを、これから制度も含めてきちんと説明をしてもらいたいということです。
 
それから先ほどもありましたが、曜日や時間を設定して、担当医と気軽に話ができるような機会をつくってもらいたいし、患者さんだけではなく見舞いに来る家族にも、健康相談や心の相談などにかかわってくれればありがたいと思います。あるいは、福祉車両などを病院が貸し出ししていますというようなサービスがあれば、家族が見舞いにきて、その車を借りて患者と一緒にお茶を飲みに行くとか、お墓参りに行くとか、そんな新しいサービスがあればと思っています。先ほど婦長さんもおっしゃっていましたが、家族としても、行事だけではなくケアの現場にも意見を反映していただいたり、家族が参加を希望するのであれば、参加できる機会があれば大変うれしいと思います。最大の希望はやはり家族として、安心できる病院というのがいちばん望んでいることであります。
 
今日は病院の先生方がたくさんいらっしゃるというので、僭越ですが、言わせていただきたいことがあります。私どものセンターが病院に望むことは、やはり病院の情報の開示ということです。中身ですね。「介護療養病棟がありますよ」とか「回復期リハがありますよ」とか。そういう病院の特徴も含めまして、私どもに正確な情報を提供してほしいということを強く望みます。その情報をもとに私たちは正確に患者さんにお伝えします。専門外来とか透析とか回復期リハとか、特徴のある病院であれば私たち情報を提供するものにとっても大変わかりやすいので、そちらのほうもお願いします。
 
最後に気管切開とかMRSA、先ほど言いましたように、胃ろうとか、そういう医療の依存度の高い患者さんが、行き場がなくて大変困っているという相談がとても多いです。特別養護老人ホームに入所していた方が肺炎になって一般病院に入院して、たちまち経管栄養になってしまったとか、あるいはバルーンカテーテルを入れられたとか、あるいは胃ろうになってしまって、もう施設が受け入れてくれない等です。こういう医療の依存度の高い人たちこそ、医療機関としてぜひ受け入れをお願いしたいと思います。どうもありがとうございました。

シンポジウム
松川

それでは、後半のシンポジウムを始めたいと思います。
 
まず、どうしても聞いてほしいという問題とか、先ほどのいろいろな方の講演の中でわからないとか、そういうことをまず最初に伺いたいと思います。ご質問のある方は、医療・福祉サイドのいわゆるサービスを提供している側なのか、それとも一般の方なのかだけお教え下さい。それによって見方が違いますでしょうし、お答えも違うということもありますので。こちらではいくつかの問題についてディスカッションをしたいと思っておりますが、フロアの方でどうしてもこれは聞きたいというのがあれば出して頂きたい。そしてどの先生に聞きたいのかも。もちろんその先生一人でなくてもかまいません。皆さんのご希望がございましたら挙手をしていただきまして、2カ所にマイクがありますので、そちらに出ていただけますでしょうか。「うちの近所の病院とはだいぶ様子が違うけれども、本当かな」というような話でも結構なのですが。
 
ちなみに私は自分の病院の話はあまりしませんでしたが、私の病院にも理念がございます。私の病院では各要所要所にそれが貼ってあるわけですが、私は老人の病気を治すばかりでなくて、その老人の将来を考えた医療をするというのが、理念の第1なのです。2番目は個人の希望を最大限に取り入れる。個人の希望を最大限に取り入れるということでは、ターミナルケアなどにおいても、徹底的にしてほしいという人と静かにしてほしいという方で全く違う。それを取り入れるということ。個別のケアを、その人なりのものをするというのが私の病院の理念であります。
 
しかし、理念は唱えるのは簡単でございます。実際どれだけできているかというと、はなはだ問題はあると思います。しかし常にそれを目指していくという意味では、理念ははっきりしていかなければいけないと思うのです。川添さんのほうから、その病院がどんな病院を目指しているのかというようなことをはっきりさせるということが言われました。それから皆さんここにいらっしゃる方は、半分くらいが医療福祉関係の方なのでわかっておられるかもしれませんが、どうしてこっちの病院はすぐ退院というように言い、こっちの病院は平均在院日数が3年なのか。私の病院も1,100日で平均年齢が82歳。200床ありますが、1日2日の短期入院の人を入れて平均で1,100日といいますと、10年以上入院している人がざらにいるということになります。
 
ですから、そのくらい老人病院のあり方というのは変わっておりますので、皆さんの素朴な疑問、「なぜ違うんだろうか」「こんなことしてもらってないよ。うちの行った病院はいつも臭いよ。暗いよ。こんなところに入れたくないし、自分なんか入るつもりはないよ」という話は当然あると思うのです。
 
そういうような話でどなたかございますか。

フロア よろしいでしょうか。私は市民活動団体として、ボランティアの方と協力して施設とか病院などで入居者や患者さんと話をしたりして、地道に活動しています。特に土田先生のお話でリビングウィルのお話が出ましたけれども、そのリビングウィルの内容を踏まえて、個人の意志の尊重ということで個人的な対話をしていく活動です。ボランティアを希望されている方で続かない方がいらっしゃるのは、もしかすると一因に負担が大きいのではということを考えていたのですけれども、病院や施設の方ではボランティアが来るのは当たり前とか、特に働きかけるという活動はどうもあまり見らないようにも感じています。
 
しかし、入院患者さんなどには、普通の世間話を望んでいらっしゃる方がけっこういらっしゃると思うのです。自分は病気だという感覚からマイナスな思考になりがちなのですが、何気ない会話をすることで快方に向かういうような、ちょっと素人っぽいかもしれませんけれども、そういう考えが私にはありまして地道に方々回っています。
 
その辺に関して病院側としては、そういう対話的な精神緩和に関するようなことで何か具体的な案があればぜひ聞きたいですし、もしそういう市民の協力を得られるようなところをお探しでしたら、いろいろな形で私も頑張っていきたいと思っています。ぜひその辺をお伺いしたいと思います。
松川

ボランティアを受け入れるかどうかということに関して、病院の対応はだいぶ違うと思います。先ほどちょっと土田先生からそういうお話がありましたが、土田先生のところの病院ではボランティアの導入と対話、患者さんの話相手になるとか、そういうことに対してはどういうふうにお考えでしょうか。

土田

当方ではサービスシステム開発室というものを特別に設けておりまして、そこで患者さんのご家族のいろいろなご要望やクレームを、例えば退院された方からのアンケートというような形で受けている部署があります。今はやりのCSというものです。その中の一部門の中にボランティアの方々との接点を設けております。ボランティアの方の代表の方に来ていただいて、その目的とするものは何かと。やはりプライバシーという問題もありますので、そこのところのセキュリティーをかけるような話をした上で、来ていただいています。
 
具体的には近隣の小学校・中学校、それと随時ではないのですけれども、月に1回くらいは何か皆さんに持ってきていただいて、高齢の方々との接点を持つ。あとは、少林寺拳法、ハワイアンダンスなどのグループの月々のいろいろな催物、それから「ピアノで歌を歌いましょう」ということで、うちの年配ドクター2名と一緒に毎週水曜日夜6時ごろから7時半ごろまで1時間半、私が聴いたことがあるような年代の歌を歌う催し等。これは、50人くらいの患者さんがいろいろな病棟から集まられて一緒に歌っています。そういうことで、基本的にはボランティアの方に来ていただくということもあります。
 
けれども、一方の難点を言いますと、世知辛い世の中なものでして、これはボランティアの方に失礼なことなのですが、「病院荒らし」ということもあるのです。団体で来られたボランティアの中で、これはまだわからないのですが、一度盗難騒ぎがありました。われわれとしては恐いことですので、やはり十分話し合いをさせていただいて、そういう嫌なことも言わせていただく。つまり「良いことづくめではないんですね」という話をさせていただいて、あとはもうジェントルマンシップを持ったお付き合いをさせていただくように努力しています。

松川

大塚先生のところはどうでしょうか。

大塚

私どもでもいろいろ努力はしていますが、一番欠けている部分は、患者さんとゆっくりお話をするようなスタッフの存在であります。この部分をボランティアの人にお願いできないかという案が前から挙がっています。うちはけっこうな額の保険外負担等をいただいていますので、しっかりお金を取っておきながら、かなり中核の部分である、患者さんとのコミュニケーションの部分をボランティアに委託するのかというようなご意見もないわけではないのが一番の問題です。
 
もう一つは、ボランティアにもいろいろなものがあって、自分たちの日頃練習している芸を見せたいというものが結構多いのですが、素人芸を押しつけられるというのはつらいものです。私は嫌だなと思っています。どなたかピアノを弾いてくださって歌を歌うなどというのは、一見良さそうなのですが、私は今でもみんなの前で歌を歌うなどというのはまっぴら御免と思っていますし、その辺の兼ね合いをどのようにしたら良いのかと思います。
松川

ボランティアについてもいろいろ考え方があるようです。私のところでも今言ったフラダンスですとか、毎月の行事で誕生日会に歌を歌うとか、カラオケとか昔の歌ですね。そういう手を替え品を替えしないと退屈します。リハビリも大事だけれども、遊ビリも大事だというのが現実です。
 
それから今日この話をしながら、最後に皆様方へのメッセージとしましては、良い病院の選び方のポイントがいくつか出て来ました。それを今日つかんで帰られれば、自分のところの親や親戚が入っている病院が良い病院かどうかということがわかるのではないかと思います。
 
例えば今日の話だと、行事とかをほぼきちんと行っているところが普通です。何もしないで季節感も味わえない病院や、ベッドからどのくらい降りているかという時間もあります。しかし、大塚先生がおっしゃったように、車椅子に「さあ乗りましょう」と言ったら、「勘弁してくれ、今日は」「動かないとだめですよ」と言う。それは良いことなのか悪いことなのかと、そういう話になります。ですから、どれだけその人の自由とか希望を入れられるかどうかということが、まず大きなポイントになると思います。
 
今の質問に対してほかの先生方か看護婦さんからの答えはありますか。

齊藤

うちではボランティア委員会があります。開設当初からずっとボランティアの方が入っていて、1日のうち必ずだれかがいらっしゃっている。団体に限らずに、個人の方もけっこう多い。地域に住んでいらっしゃる方や、以前当院で自分のご両親をみとられて、その後も続けて来てくださっている方もあります。
 
やはり先ほどからお話にもあるのですが、例えば紙芝居などをしてくださるのもありがたいのですが、ほとんどみんな興味がなく、ただ座っているだけです。やはりそこでの対話が大事なのだろうと思うのです。私たちと患者さん側とボランティアの方々で何をしようかとか、何をしてほしいかというような、そういうことを話す機会をつくらなくてはいけないのではないかというので、私どもでは年に1回、本当はもっとやらなくてはいけないのでしょうが、そういう委員会に来ていただいて、いろいろなご意見を聞くというようにしています。
 
それからもう一つの対話についてですが、実際うちの病院でもナースルームというか、スタッフルームのカウンターのほうに向かって、「ちょっと危ないな、動いたら危ないな」という方が全部座っていて、「見守っていないと危ない」ということがあるのですが、あれもつらいだろうと思うのです。患者さん側からしてみると、看護婦さんが動いていたりケアのスタッフが動いたり、お医者さんが動いているのをぼおっと見ているだけになってしまう。やはり見たいものはそういうものではないし、話したい人がいれば話したくなるので、できればそういうほんのちょっとした時間、何人かの方とお話をしてくれたりというボランティアは、うちの病院に限らずどこでも実はほしいのではないかという気がします。
 
ただその中に、例えば転倒の問題などが最近多く出ているので、ボランティアがかかわったときに、そういう事故が起こったらどうなのかとか、その辺までしっかり仕組んでおかないと、せっかくしてもらったことが悪い方向に行く心配があるかと思います。

松川

レクリエーションとか楽しみを強要すると良くないのですが、私のところは年間行事は毎月あるし、クリスマスにしろ運動会にしろ何にしろずっと行っています。誕生日は毎月曜日を決めて行います。その時に必ず先ほどの大塚先生のような患者さんがいるのです。「歌を今日歌うんだけど、誕生日に行かないか」というと「私は歌は嫌いです」とか。「でも、お菓子も出るしなんとか……」と言うと出てくる人もいます。
 
それは聞き方によって、かなり解決もできます。「今日は気分が悪いから行かないの」と、そういう話もあります。
 
それから、強要しない。「決まってるんだから」「リハビリなんだから」とか「早く行きましょう、お風呂に行きますよ」と。「今日は入りたくない」と言っているのに「臭くなっちゃうよ」などと言う。そこが問題なのです。プロとアマチュアの差というのは、お風呂に入れた時に急いで行きますと、上がった後に「ああ、今日は恐い思いをした」となり、ゆっくり入れてあげれば「良いお湯だった」とこうなります。同じことをやるのですが、1分時間を早めるとこういうことが起きる。その辺がプロとアマチュアの差なのです。その他に聞きたいということはありますか。

フロア

将来老人病院に入るであろう立場からの質問です。今年の4月から特養ホームのほうは、新築については個室化ができるようになりましたね。私は老人病院で長期に滞在すればするほど、やはり個室が欲しい。これは介護の場では個室、あるいはユニットケアとかいうことがようやく言われています。今後、超高齢社会になってくると、やはり介護だけではなくて医療も必要であろう。しかし今病院では個室というのは非常に少ないし、差額ベッド代が高い。先ほどお話を聞いていたら、「一人になりたい」という要望がけっこうあった。これは費用の面もあると思いますが、今後個室化をどの程度まで推し進めるお考えがあるのかというのをお聞きしたい。

松川

どの先生にお聞きしましょうか。

フロア

大塚先生によろしくお願いします。

大塚

私も入るならやはり個室ですね。どんなに狭くても良いから、やはり一人になれる場所があるというのはすごく大事だと思います。そういった意味で、遅まきながらうちの病院も個室化を推進していきたいと思っております。だいたい個室というと、けっこう豪華な部屋を想定するのですが、そうではなくて本当にベッド一つが入っている部屋。最低それだけでも空間としては結構良い空間になって、ご家族と気兼ねなく看護婦さんの悪口を言えるとか、医者を「やぶ医者」だと言える。そういうのは、すごく良いと思います。

松川

ちなみに先生、個室料金というのはおいくらなのでしょうか。

大塚

今は割合豪華な個室ですから、15,000円くらいです。これでは患者様はとても長期にわたってというわけにはいかないでしょうから、私の目指しているのは、1日10,000円くらいの負担で、小さいながらも個室を提供できるような体制をなんとかつくりたいというのがあります。私が考える支払い能力は1日10,000円くらいかなと、こういうふうに思っています。

松川

ほかの方で個室化を目指してるというのはありますか。

齊藤

うちは、初めにお話ししたように、在宅に帰られる方が多いですが、やはり長期の方も中にはいらっしゃいますので、個室を利用される方もけっこういらっしゃいます。基本的には療養というか、長期になる方は施設のほうで見ていくべきなのではないかと、いつも思っているので、そちらにお医者さんが往診したりできればそのほうがよいかと。ちょっと変かもしれませんが、病院を経営しておきながら、病院に長くいるのが嫌だと自分は思っているので、病院のすぐそばに特別養護老人ホームのユニットタイプの個室を建設中です。そして、状況に応じてそちらに入所する。具合が悪くなったら病院に入るのではなくて、医者や看護婦が行けるような体制をとる。それも一つの方法なのではないかと私は思っています。
 
ただ特養にしても、既に補助金で建て始めてしまったので、差額ベッド代はもらえないのです。けれども、今年の4月以降にできるところでは、果たしてすべてそういうように個室化していって良いのか。必ずしも個室ばかりがニーズとしてあるのかというのは、いろいろ要望も出てくるかもしれないと思っています。そう言いながら実は私は、妻と2人部屋が良いかなと思ったことがあるのですが、妻のほうに拒否されていますから、おそらく私も個室に入ると思うのです。できれば病院の個室ではないほうが良いと思っています。

松川

大塚先生は1日10,000円くらいなら払えると。ここにいらっしゃる方は、「やっぱりお医者さんはお金持ちだなあ」と思っているのでは。私の病院には個室は6つしかないのです。今は全部埋まっていますけれども、空いている時期もあるわけです。その時に「景気悪いからねえ」という話をよくします。
 
古参の看護婦さんなどは「私は自分の親が倒れたら、とてもこの病院の個室に入れるお金はありません。とてもそんな長いこと払えません」と言っていましたが、そういう現実はあると思うのです。年寄りの場合、私のところで1,100日といいましたけれども、本当に年単位になることがあるので、個室といわれても、3,000円で個室ができるかどうかとか、そういうような話になります。
 
先ほどからの話を聞いておりますと、やはりプライバシーを守れるような、たとえ4人部屋にしても直接的に見えない、という話ではないでしょうか。ここに看護婦さんたちがたくさんいらっしゃいますが、下着を替えたりするときでもちょっと慌てると、カーテン閉め忘れとか、廊下を通って見えたとか見えないというようなことにもなると思うのです。これもかなりソフトの面の問題ですが、プライバシーを尊重してくれているのかどうか、そういう目で見ればまた病院の見方がわかると思うのですが、いかがでしょうか。ほかにありますか。

フロア

埼玉県のほうで療養型病院をやらせていただいています、●●病院の●●と申します。私の病院でも平均在院日数が1,000日近くになっています。やはり良い病院というのは職員の方々のモチベーションが高いのではないかと思います。一般病院と比較して患者さんの流れがそんなにないところで、職員のモチベーションを高める工夫というのをどういうふうにされているか、勉強させていただければと思います。

松川 難しい質問ですが、どなたに聞きましょうか。
フロア

松川先生と大塚先生にお聞きかせいただければと思うのですが。

松川 大塚先生、どういうふうにすれば職員のモチベーションを保てるか。先生、給料を高くするとか、簡単に言わないでください。
大塚

良いサービスをしようと思ったら、やはり職員がハッピーな気持ちでないとなかなかできないと思います。私は非常に下賎でありますから、自分が不幸なときというか、あまり良い気持ちでないときに、他人が自分よりも幸せだと腹が立ちますね。この仕事というのは、いちばん弱い立場の人を裏表なくきっちりと、できるだけ幸せにしようという仕事ですから、そうなると、やはり基本は何といっても、職員を幸せな気持ちにさせるような仕組みだと思います。
 
そうすると、一つはやはり何といっても良き待遇で、簡単に言えば給料が良いというだけではなくて、きちんと休みも取れるとか、自分たちのしていることを誇りを持って外に対して話ができるとか、あるいは病院の中で自分たちがすごく大事にされていると感じるとか、こういうような仕組みをきっちり作ることではないかと思います。
 
そういう意味では、何といいますか、経営者というのは、言ってみれば、その職員の御用聞きのように職員に徹底してサービスする。この精神を持つことが大事なのではないかと思います。

松川

良い経営者ですね。この話は病院の中で看護婦さんとかヘルパーさんの間からいつも出る、「これでもうちょっと給料が良ければね」とか「こんなに夜勤がなきゃね」と、こういう話だと思うのです。
 
この話をしていくとかなり長くなるのですが、そういうことの待遇の善し悪しや環境の善し悪しをつくっていくにも、果たして今の日本の介護保険とか医療保険でそれができるかどうかと思うのです。しかもそれを全国均一に。日本のお役所は何でも均一にしないと、公平にならないといけないみたいに言いますが、場所も物価も全然違うところでは、同じことはできないということのほうが自然なわけです。
 
これ以上この話に深入りすると差し障りが出ることもありますが、職員を大事にするということ、それからそれにはお金がかかるということは、だんだんと世の中に浸透していくのではないかと思います。安かろう悪かろうものが好きな人、「カプセルホテルで寝るのだったら良い」という人もいれば、「帝国ホテルでなくては嫌だ」という人もいる。どちらもホテル業なのですが。だからその差別化はもう止むを得ないのだろうと思っております。
 
ですから、良いケアを提供して、少々高いけれども、患者さんに来てもらうという競争が、今後必要になって来ると思うので、うちの職員にも「それに負けんなよ」と言っております。
 
もう一人、先ほど手を挙げられた方、すみませんでした。

フロア

私は自分が入りたい老人病院の前の、私が入りたい老健施設で働いております。ちょっとお伺いしたいのですが、老人病院とそれから老健施設。大塚先生は老健施設についてどうお考えでしょうか。教えていただきたいと思います。

大塚

私は老健施設のことについてあまりよく知らないのですが、設立の時からの経緯を見ていますと、おそらく老人保健施設というのは在宅ケアを支援するため、自宅でケアをしようとする人を支援するための役割を担っているというように理解しております。自宅でみたいと思う人もたくさんおられるわけですから、その人たちに対していつでも短期間お預かりして、いろいろな形でサポートするという施設があっても良いと思っております。私の理解というのはその程度なのですが、よろしいでしょうか。

フロア

実情は、老健施設に入っていましても、なかなかお家に帰れないというのがあるのです。老健施設はずっと入れるところではないので、そこが私ども働いているもののジレンマみたいなところがあります。先生のところは老人病院なので、最初から老健に入らないで老人病院に入ったほうが良い生活ができるのかと思ったりしましたので。

松川

今度できました介護保険は老健も特養も選べるわけです。いわゆる老人病院とわかりやすく言っておりますが、介護療養型の病院、この三つとも選べるわけです。ですから、介護保険ができたことによって、皆さんに選択肢ができたということは進歩だったと思います。
 
しかし、一方ではこの保険ができたために特養とか老人保健施設も入れない。もういっぱいで何年待ちとかといって入れない地域も東京近辺にはたくさんあるわけです。そういう意味では、まだ老人病院のほうが入退院というか、かなりゆるいです。ですから、10年の入院という人が出てくるわけですが、選べるという意味で進歩はしたけれども、だからといって問題の解決に全部なったわけではないのです。
 
そして、どうしても医療的なものがなければならない人たちというのがいますね。先ほど言いましたように、いろいろなチューブが入っているとか、急変の可能性が非常に高いという人たちです。そういう人ははっきり言えば、特養と老健は最初から断っていますね。というのは、手が掛かりそうな人はお断わりしているという現実があります。私は今日の話の中でうまく出るかどうかと思ったのですが、先ほど川添さんがおっしゃっていた、入りたくてもそこには入れないという現実、こんなチューブがついていたらだめですよというようなことというのは、現実にあるわけです。ですから、病院でなくてはならないということが多いですね。川添さんはそれはどう思われますか。かなり深刻な問題だとは思いませんか。

川添

そうです。すごく深刻に思っていますし、例えば介護保険の認定で4とか5とかの医療の依存度の高い人は特別養護老人ホームに入ったとしても、特別養護老人ホームは夜間ほとんど看護婦さんがいなくて、当直している人たちはみんな介護職の人たちです。その介護職の人たちが、そういうチューブの入った人や医療の依存度の高い人たちをみるのは、すごく不安だなと思いますし、患者さんも同じように不安だなと思っています。医療の依存度において、施設を選ぶいちばんの基準の一つは、医療が必要かどうかといういうことなのです。
 
それからその次に必要なのは、この後ご家族の方がどういうふうにこの患者さんを見ていくかというようなことを、私たちはよくお聞きして、それから順番に、例えば緊急の医療の場合は一般病院で治療を受けて、それから療養のほうでというような形で、その方の病状に合った選び方をするというのが私たちの情報の基本です。先ほど言いましたように、医療の依存度は高いのだけれども、施設には入れなくて困っている人というのはこれからもっと増えてきて、そういう人たちはどうするのかなと心配です。特に特養に入っておられる方は、全部ではないですが、家族もいなくてお金もないから特養に入っているわけです。その方が病院に入ってしまって、チューブが付けられてしまったから特養では受けられないといったら、その人たちはお金もないしどこに行けば良いのでしょう。そういうケースが増えていくのではないかと思います。
 
先日新聞に、甥が伯母さんを殺したという記事がありました。それはなぜかというと、特別養護老人ホームに入っていた伯母さんが病気になって入院した。病院に入ったのだけれども、チューブとかが入ってしまって施設が受けてくれない。それでどんどん入院が長くなってしまって、金がかかるからと……。本当かなと思ったのですけれども、やはりそれは息子さんではなくて甥であったから、金がかかるのには耐えられないだろうなとは思いますが、そういうケースがどんどん増えてくるのをとても心配しております。

松川 国の施策は「在宅へ、在宅へ」と言っておりますが、現実的には施設の必要性というのは、実際に家に病人が出たときにわかるわけです。私はお年寄りやいろいろな人とお付き合いがありますが、「命が惜しけりゃ病院に来たほうが良いよ」と言います。これは医者に診せるべきかどうかという判断を、寮母さんがするべきではないと思うからです。私のところもたくさん施設からの入院がありますが、「なんでここまで置いておいたの」「だって、お医者さんいないですし」と言って、「もう土、日ですから」と。2日前ならもっと楽に治療ができたのにということが多いですから、そういう意味で、先ほども言ったように選択肢です。自分で選べるのです。
 
命が惜しければ、それは医者や看護婦の手厚いところに行けば良い。私はうぬぼれているわけではないのですが、親を長生きさせたいのなら、「自分の病院に来てください」と言っています。もし長くなって文句を言うのだったら「ほかに行ってくれ」と、わかりやすく言います。「長生きさせたいのかどっちなのか」と。長くなってくると文句を言う人がいるのです。「いつまでやっているんだ」なんて。そういうことが老人病院ではしょっちゅう起きています。
 
ですから、最初に選ぶところを間違えますと、自分の思ったとおりにならない。ここには、老人病院はもっと汚くて臭くて暗いという経験がある方がいらっしゃると思うのです。でも、そういう病院がなぜやっていけるか。そこに需要があるからなのです。あまり長く生きてもらっては困るとか。
 
そういう病院は必要なのかどうか知りませんが、私たちはずっと20年間そうではないものを目指しているのです。そのためにできるだけ具体策を言ってもらいたいと思って、今日来ているわけです。シンポジストの皆さん方、簡単に、もし自分がぼけて介護が必要になったときには、どこの施設に入りたいですか。
齊藤 その前に、今日の話しの展開で老人病院イコール長期療養というように決めていくのは、私はどうかなと思うのです。帰りたい人もいるのだし、家で看ようと思っている人もいるので、やはり選択肢なのだと思うのです。老人病院にもやはりいくつかの種類があって、そこを、その相手のニーズというか、要望というか、それにどう応えられるかではないでしょうか。
 
例えば、うちと青梅慶友病院は20分しか離れていませんので、青梅慶友病院のような長期療養というか、それを目指している方は、それはそれで私は正解だと思いますし、青梅に入れるまでうちに入っているという方も中にはいらっしゃったり、悔しいからなんとか家に帰そうと頑張ったりもしますが。やはりいろいろなパターンがあって良いのかなと。帰れない方も、もちろんうちにもいらっしゃいます。
 
ですから、お医者さんがどうのというばかりではなくて、うちでよく話が出るのは、在宅でやれるかどうかというのは、まだまだ日本の場合はご家族のやる気ひとつだったりして、ADLとか病状ではないようなケースも結構あります。非常に重い人でも「家でみるんだ」と頑張っていらっしゃる方もいる。そういう方にはそれなりのフォローできる体制をどう取るかという、バランス感覚を持っていく。やはり長期療養で見なくてはいけない老人病院もなくては困るという、そういう展開になると良いなと思っています。
松川

齊藤先生にシンポジウムに出席してもらったのは、在宅に持っていくにはこういうやり方があるということを言ってもらうために、出席していただいたわけです。ですから、在宅に持っていくのは、老人は全部施設に長くいれば良いということではなくて、そう望んでおられる人も病院を選ぶときに選択肢を広げようと。私のところの病院などは、「入られた動機は」と聞いて、その後に、「それで、どれくらいで帰したいのか」となると、「できるだけ長く」というのが80%です。だから、「とりあえず出すということは言わないでくれ」ということが、いちばんに来る病院もあるわけです。齊藤先生のところのようにかなり帰して、5割くらい帰せるとか6割になったとかというのは当然必要です。ですから、そういう病院はどういう努力をして帰しているかということで来ていただいています。
 
そこで、最初の問題に戻りますが、先生はぼけて介護の必要があったときにはどうされますか。

齊藤

病院ではなく、自分が入りたい施設をつくりたいなと思っています。先ほどの個室ではないですが、普段は個室で寝ていて、気が向くと大勢がいるところに行けるとか、そういう施設に入りたいなあと。先生が言うように、わがままに暮したいなと思います。ただ、自分が痴呆になってしまった時にはもう意志がないので。

松川

土田先生はどうですか。

土田

先ほどの職員のモチベーションのことにも関係するのですけれども、できる限りうちの職員には仕事の役割分担といいますか、権限の委譲と責任というものを明確に出すことによって、プロフェッショナリズムを出すようにしています。今いちばんの仕事が間接業務という、非常に事務処理が多すぎるのをいかに少なくするかということに取り組んでいまして、画期的なのは温度板というものをなくしてしまおうというようなことをやり始めています。すなわち、時間をとにかく短縮することによって、自分の目で患者さんをみるようにして、それでプロフェッショナリズムを持ったスタッフを育てる。当院の関連施設として今アパートメントを造っているのですけれども、介護保険も利用できるし、自立している人も入れるようなアパートメントが一つあるのです。二つ目も造ったようですが、そういうところにそういうふうな感度の良いスタッフを置いて、そして自分が良い部屋に入りたい。それで、先ほどから言っているように、当院というのは在宅支援・施設支援ですから、何かあったらすぐ見てくれて、やみくもに気管切開やいろいろな治療をしないで、「これはもう死ぬから良いよ」とちゃんと言ってくれる病院です。うちの病院はそうなりたいと思うのです。無理はしない。そういうスタンスでやりたいと思っています。

松川

看護婦さんはどうですか。自分がぼけて介護が必要になった時に。

中尾

今、病院の中を見てみるとどうしても、看護婦さんの価値観を押しつけるところがたくさんあると思うのです。食事を出したら拒否したという場合も、拒否したのか食べたくなかったのかがわからないわけで、ケア提供者の価値観を押しつけられたくないというのがあるのです。やはりわがままもある程度は言うと思うのですが、身体的に私はたぶんある程度寝たきりに近い状態になっても、自分でトイレには行きたいだろうし、這ってでも風呂に入りたいという意思はあります。その辺はできるだけ聞いてもらえて、美味しいものが食べたいとか、高価な布団が着たいとか、そういう要望についてできない時は「できないんですよ」という説明がきちんとした形で返ってくるというのは、すごく大事なことなのではないかと感じます。
 
それで、もしぼけてしまったら、やはり大事にされたいというのはあります。この人も若いころは病院の総婦長をしていた人だし、こんなことされると嫌だろうなというのを考えてくれる職員さんに、見てもらいたいという気持ちがします。

松川

大塚先生からは先ほどだいぶ聞いておりますので、おそらく年を取って死ぬ前にわがままの一つも聞いてほしいということですが、今聞いていますと、皆さん程度の差はあっても同じようなことなのですが、大塚先生、まだ何か言い足りないことはありますか。

大塚

では一つ申し上げます。日本人というのは儒教思想の影響もあってか、年を取って自分のことが自分でできなくなった時には、自分の住み慣れた家で家族にみてもらって息を引き取るのがいちばん良いと本人が思っているのです。ご家族も、自宅で家族がみるのがいちばん良いケアだというふうに思っているのです。
 
けれども、20年余りやってきて、どうもそれはかなり怪しいと思いはじめました。その証拠に大部分の人は、自分で来たいと思ったのではなく、ご家族が切羽詰まってというか、お手上げになって連れて来ているわけです。それで、連れて来たご家族にすれば、来るたびに「帰りたい、帰りたい」ときっと言われるだろうなというふうに思う。ところが、入って3か月もしないでご家族が本人に聞くと「いやあ、私はここのほうが良いから家には帰らない」。しかも、入院してからここ何年来見たこともないようなニコニコした表情であったり、あるいは話し方だったりする。そうすると、結局私たち今まで何のためにこんな苦労をしてきたのかというような思いを持たれるご家族の人もけっこうおられるのです。
 
今、思うに、日本の施設に対する評判がこんなに悪くなったのは、やはり施設がよくなかったのです。そこにつけ込む形で在宅ケアの方がよいのだという主張が幅をきかせています。しかし、私は日本で在宅ケアをもし積極的に推進しようと思うならば、自分たちがお手上げになったらいつでも安心して預けられるような施設をきちんと整備して、しかる後にご家庭でもっと良いものを提供したい家族が自分たちで頑張ってみるのが本当の在宅ケアです。その逆はやはり非常に不幸なことだというふうに思っています。
 
なんとなく、行政の最近の一連の動きを見ていますと、施設でのケアを締め上げている。例えばこの先また人員を減らすというような話もありますが、施設のケアを、質を落とすことによって在宅ケアにシフトさせようというような意図もあるのではないかと思われる節もあります。

松川

結論に近いような話ですが、ここにいらっしゃる方で、老人病院か老人施設に預けておられて不安に思っておられる方のために、病院の選び方の一つとして、例えばお正月に帰ったりします、外泊とか。その時に2、3日帰るという予定でいて、1日で帰ってくる人がいるわけです。毎年、私の病院でもそういう方がおられます。その場合、結局待ちに待って帰ったのに、家にいるよりも施設にいるほうが自分は気が楽だったし、結局幸せだったと感じることがあるわけです。
 
ですから、私は病院の選び方の一つに、患者さんの表情というのを、いくら医者や看護婦さんが、「うちはこんなにしております」と言っても、患者が険しい顔をしているところでは幸せではないです。ですから、「いや、ここから出たくない」とか、「家に帰っても病院に戻りたい」と言うのであれば、その施設はそれなりのことをしているのではなかろうかと、私は思っております。今の同じ問題ですが、山上先生どうですか。

山上

現実的に実際私どもの病院のほうで、実は104歳になっていた祖母と、母とか叔父を見送った経過がございます。その当時のハードの要件等で、実は建物も古いところは25年以上たってしまっています。今のハード条件だといろいろなプライバシーの問題、そしてリハビリとかを展開してまいりました面からいきますと、今のハード条件ならばちょっと困るなと思い、そのために改造を考えているのですけれども、それを自分の入りたいところにもっていきたいなと思ってます。
 
それと、先生も先ほどちょっとおっしゃった、家にお正月に帰られて、日にちを早く帰られる理由に、家だとウンチができない人がだいぶいるというのもあると思います。家よりも施設になじまれてしまって、お嫁さんよりも病院の看護婦さん、介護職員の方のほうが家族になってしまう。僕は最近在宅のほうを進めていく段階で、それが本当に良かったのか。そういう状態にしてしまったことに対して、そこまで逆に患者さんをなじませてしまった。これは良いのかどうかとも考えております。

松川

川添さんはいろんな情報をたくさんお持ちで、自分がもし具合が悪くなって入院というか、どこかに入らざるを得なくなった場合には、介護保険・医療保険含めて、有料老人ホームとかその他グループホームとか、いろいろ考えられると思いますが、自分だったらどこが良いですか。

川添

私はぼけないうちに自分で死ぬことを、自分の死に方を決めたいといつも思っています。ぼけないのを前提にすれば、病気になっても入院はしない。在宅医療でいろいろな苦痛を取ってもらい、もう食べたくなければ食べないというような形でうまく死ねたら、いちばん良いですね。そして葬式もしないし、散骨をするというふうに言っていますが、ぼけた場合にはそれは自分が決められないわけですね。たまたま娘がすぐマンションの上に住んでいまして、婿が「ぼけたら専用の柱を作って縛って看てあげます」なんて冗談で言っていますから、できるだけぼけないうちに自分で死に方を決め、自宅で死にたいというふうには思っています。私は病院にはあまり入りたくないです。

松川

どうも病院の旗色の悪いところがあるようです。話はいろいろ尽きませんが、そろそろ時間ですのでまとめなくてはいけません。先ほど私が言いました、皆様が病院、特に老人病院を見るとき、最先端医学の場合はどうしても医者の力とか、そこでなくてはできないというようなものが世の中には存在しますので、それはちょっと除外しまして、素人の方が病院を簡単に見分ける方法というのをお話ししておきます。
 
私なりの考えですが、病院に行きまして、まず匂いがするかどうかということです。何だ、匂いだったら匂い消しを一生懸命やれば良いというのは間違い。一般の方は匂いは排泄の匂いというふうに考えられているかもしれませんが、排泄の匂いよりも体に付いた匂いとか、壁にもう付いてしまっている匂い。それから特に大事なのは口臭です。口の匂いのケアをするのには、便をした時だけ匂いを取れば良いという問題ではないのです。プロフェッショナルが行っていれば24時間のことをきちんと考えていますので、まず入った時、匂いがありません。匂いがあるということ自体がもうプロではないというふうにお考えなると分かりやすいです。
 
そして2番目に、先ほどから出ておりますが、ブラッと病室に行って、病室でも施設でも良いのですが、患者さんの表情を見る。ニコニコというか、穏やかな表情をしているところは、それなりのケアをしているということです。
 
3番目は、全体になんとなくある雰囲気です。明るいのか、暗いのかといえば、当然明るいのが良いし、穏やかな雰囲気があるのかとか、にこやかな雰囲気があるのかとか、病院には雰囲気というのがあります。非常に簡単なことですが、その三つを見てそれらを通過した病院は水準以上にあるとみてまず間違いない。私はあちこちの病院を見に行きますが、そう思っております。
 
それで、私はここにいらっしゃる先生たちとよくそういう話をするのですが、病院のレベルを決めるのは、働いている医者とか看護婦さんとかヘルパーさんとか事務員の方とか、いろいろな職種の人の平均ではありません。例えば良い医者がいて、良い看護婦さんがいる。でも、質の悪いヘルパーさんが「何やってるのよ!」とパチンと一言やれば、その時点でその病院のレベルはそこに合います。
 
ですから、私はそんなことをしている職員にこう言うのです、「君がこんなことをしてくれたお陰で、全体のレベルをまた上げるのに、どれだけの時間がかかるか自覚してほしい」と。先ほどの質問で、どういうふうなモチベーションを持たせていくかということに対してですが、やはり教育とかソフトが非常に大事で、人が人をみるのだという時に、「私一人くらいが」いう考えで、病院の平均が下がらないと思ったら大間違いというようなことを言っております。
 
締めの言葉として適当であったかどうかはわかりませんが、自分が入りたいような老人病院とはどんなのだろうかというのは、ケアならケアとか、自由度なら自由度、満足度なら満足度というふうに間口を絞ろうかといろいろ考えましたが、やはりトータルで見なくてはならないということで、今日は私がシンポジストの皆さんを選ばさせていただきました。シンポジストの皆さん、今日はいろいろ良い話をしていただきまして、ありがとうございました。そしてまた最後までお付き合いくださいました皆様方に感謝をいたしまして、シンポジウムを終わらせていただきます。どうもありがとうございました。

閉会挨拶 中川翼 老人の専門医療を考える会幹事

齊藤

松川先生、ご苦労様でした。それでは閉会のあいさつを、当会幹事の北海道の定山渓病院の中川先生にお願いしたいと思います。

中川

皆様、遅くまでご苦労様でした。私は北海道の札幌市で、医療法人渓仁会定山渓病院の366床の院長をしております。
 
今日このテーマでどのように話が進むかと思いましたけれども、私どもも大変勉強になりました。と申しますのは、私も今の病院に行きました時から、病院の職員の皆さんに言っていたことは、「この病院を知人に紹介できるような病院にしてほしい。その次には、親を入院させる、できるような病院にしてほしい。そしていずれは、自分が入りたいと思うような病院にしてほしい」ということでした。
 
それで、ほとんど知人を紹介するところと、親を紹介するところまではできてきているとは思いますけれども、最近の老人の専門医療を考える会の院内の職員に対するアンケートでも、自分が入りたいかということに対しては、だいたい10%くらいの方は「入っても良い」と言っていますが、そのほかの人はよくわからないとか、あいまいな表現をしています。
 
では、僕はどうなのかと問われましても、やはり基本的に病院にはあまり入りたくないというのは基本ですし、入るとしたらやはり個室が必要だということは強く思います。そういうことから言いますと、病院はいろいろ環境を良くして頑張っていますけれども、そういうところではまだ発展途上なのかなという気もいたしますし、特養さんよりはちょっと負けてるところがあるのかなというふうにも思ったりいたします。
 
それにいたしましても、今日このような機会で、皆様と一緒にこの問題を考える機会を得ましたことは大変幸せだと思っています。今後とも頑張って努力していきたいと思いますので、よろしくお願いいたします。ありがとうございました。

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老人の専門医療を考える会 JAPAN ASSOCIATION FOR IMPROVING GERIATRIC MEDICINE