老人医療NEWS第144号
看護・介護人材争奪戦やむなし、だが…
大宮共立病院 理事長 漆原彰

看護・介護職が足りない。いま現場はそれら職種の争奪戦の様相さえ呈している。多くの都道府県では、二〇二五年問題を前にして特養を中心に介護施設の更なる整備方針を示している他、都市部ではサービス付き高齢者住宅や有料老人ホーム、各種在宅サービス事業を運営する民間事業者の事業意欲は高い。これを実態に即していない政策と疑問視する向きもあるが、現制度下にあっては看護・介護需要は伸び続けることは確実である。

看護師については、各機関における公的な配置基準でコントロールされており、昨今の医療保険における急性期医療充実策の余波もある中で、これまでの看護師不足対策によって改善の兆しも見えているようだ。一方で、介護人材の不足問題はもっと根が深い。厚労省の予測ではこの傾向はずっと続き、二〇二五年には二五三万人が必要であるのに対し現状シナリオのままだと三十八万人の需給ギャップが生じ、二〇三五年には六十八万人が不足する計算になる。しかし、わが国で、そのような人員増は簡単には望めないだろう。

国もこの状況に対してただ手をこまねいているわけではない。介護職のキャリアパスを創設し、介護ロボットなどの開発にも力を注いでいる。また、外国人労働者の参入にも門戸を拡大しEPAに引き続き技能実習制度による外国人介護人材の受け入れも始まった。介護職の処遇改善の制度化や都道府県の方策への支援もしている。つまり、ソフトとハードの両面からアプローチはしている。民間も努力を惜しんでいない。現場では、採用促進、離職防止や定着促進、潜在介護人材の呼び戻し等に努力し、経営陣は、身を削る思いで人件費の上昇に対応し、資格取得支援やキャリアパス、就労環境・処遇改善を行っている。これらの努力はこれ以上無理な段階にまで達しようとしている。

つまり、官民ともにあらゆる手を尽くしているのである。しかし、介護職は足りていない。

この状況は、かつての看護師不足の問題に似ているように思えるが、大きく違う点がひとつある。それは、介護専門学校の入学定員割れの状況が続く上に、卒業生の五〇%超が介護以外の職に就き、介護福祉士資格者の約半数が他業種で働いている現実がある。しかもこの傾向は、全産業の人手不足を反映し年々顕著になっている。また、離職率も高く、介護職に就いた人が一旦他業種に流出するとそのまま戻って来ないケースが圧倒的に多い。これは医療の専門職にはあまりみられない現象である。現場における介護職の争奪戦は残念ながらまだまだ続くだろう。

看護・介護サービスを提供するには、人数の確保が最低条件であるがそれ以上にその熟練度とサービス提供の質が最も重要だ。看護・介護を必要としている人に寄り添い、効果的かつ質の高いサービスを提供することはとても難しい。介護職員を雇用する事業所一つひとつの責任は重い。

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『人生の最終段階における医療ケアの決定プロセスに関するガイドライン』を考える
ー胃瘻の是非からプロセス重視へー
宇部記念病院 理事長 江澤和彦

厚生労働省は、「終末期医療」という表現から「人生の最終段階における医療」へと表記を改めた。平成一九年に厚生労働省が示した「終末期医療の決定プロセスに関するガイドライン」も平成二十七年に「人生の最終段階における医療の決定プロセスに関するガイドライン」に改訂された。さらに平成三〇年三月には、在宅や介護施設でも普及を促進するため「人生の最終段階における医療・ケアの決定プロセスに関するガイドライン」に改められ、これまでの「患者」を「本人」に変更し、本人との話し合いが繰り返し行われることが重要である等が追記修正された。

医療専門職が患者や家族に対して説明する際に、提供された情報について患者や家族が理解を深めているかどうかについて確認を行うことが重要となる。一方で、患者が医療に対して素人であると同様に、医療専門職は患者の人生に対して素人であり、患者自身から最善の選択にかなうための情報を教えてもらう態度が医療専門職には求められる。医学的最善が患者にとって最善とは限らず、医学的に無益なことが必ずしも患者にとって無益とは限らないことは留意すべきである。

「人生の最終段階における医療・ケアの決定プロセスに関するガイドライン」のポイントを示す。@医療ケアチームで考えること、一人の医療者で独善的な判断をしないこと、A徹底した合意形成主義で、何より本人の意思を尊重し、家族の気持ちに寄り添う、B体も心も苦痛の少ない状態でなければ、人生の最終段階における医療において意思決定は難しくなるため、緩和ケアが重要である。

「患者の意思の確認ができる場合」に、患者の意思決定能力の評価や患者の理解を高める説明方法を考慮する。「してほしいこと」のみならず、「してほしくないこと」に留意する。「患者の意思が確認できない場合」には、事前指示やアドバンス・ケア・プランニング(ACP)について、家族、かかりつけ医等に確認する。

近年、文書作成による意思表示であるアドバンス・ディレクティブ(AD)、リビング・ウィル(LW)、DNARよりもACP(アドバンス・ケア・プランニング)の普及拡大が期待されている。ACPは、今後の治療・療養について患者・家族と医療従事者があらかじめ話し合う自発的なプロセスと定義され、QOLの向上等の研究成果も多く、患者の意向を尊重し質の高いケアを実践するために重要な手段となっている。今後日本人の哲学・文化・風習に馴染んだACPの蓄積が期待される。また、ACPは介入時期が重要であり、早すぎると失敗することが多く、遅すぎると役に立たない。

患者の意思が確認できない場合は、代行判断者がふさわしいかどうかも踏まえ、チームの全職種が『本人の幸せ』を願っていることが肝要となる。医療内容の決定が困難な場合や意見がまとまらない場合には、複数の専門家で構成された委員会から治療方針の決定や助言を得る。

求められるべきは、一連のプロセスにおいて、本人の意思決定を周囲の皆で支えており、本人の価値観、人生観に寄り添い共に考える姿勢である。医師と患者双方が意思決定に関与する「SharedDecisionMaking相互参加型モデル」が推奨されており、胃瘻の是非を問うものではなく、話し合いのプロセスから得られた結果を尊重することに共感している。

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続「損か得か」
鳴門山上病院 理事長 山上敦子

前号(一四三号)の林光輝先生に引き続いて「持分なし医療法人」のお話。私もこのことで非常に悩んでいる。

「週刊税務通信」で今春、二号続けて「特定医療法人の税務」が取り上げられた。事態の重大さから日本医療法人協会ニュース平成三〇年五月一日号に特別寄稿として掲載されている。特に「特別の利益供与」について税務調査が厳しくなり、実際何ヶ月にも及ぶ調査となっているようだ。これは認定医療法人にも当てはまる。平成三〇年五月一〇日に厚生労働省から出た「持分の定めのない医療法人への移行計画認定制度のQ&A」では、「当該認定制度は、他の法人よりも税制面での優遇を受ける制度であることから、特別の利益供与に当たるか否かの判断は、全ての法人を対象としている税法上の役員に対する社宅等の貸与の取扱いよりも厳格に解される」という回答もある。特定医療法人に準じての対応が必要かと思われる。

また、会計事務所によると実際に認定医療法人になるときの一番の問題は「遊休財産額が事業費用の額を超えていないこと」とのことだ。移行後六年は認定要件を満たせないとみなし贈与税が課されるが、この六年が延長されないとの保証はない。きちんと事業がまわれば現金・預金が増えてくるはずで、絶えず何か事業を興していかないとこの条件を満たせない可能性がある。社会保険診療収入八割要件もあるが、前記Q&Aによると「介護保険収入の部で居住費、食費は利用者負担のため介護保険収入に含まれない」とのこと。これは介護保険事業収入の多い法人にはかなり影響があると思う。がちがちの締め付け状態で、簡単には認定医療法人にはなれないようだ。

平成二十六年六月に夫の山上久が亡くなり、相続税の期限が平成二十七年四月となった。当時娘は一九歳であったため、二〇歳まで待って手続き・納付をすることとした。その間自分が死んだら大変なことになると思い、できるだけ外出を控えた。平成二十八年一〇月に総合調査とかいう税務調査を受けた。徳島税務署でははじまったばかりの調査とのことで、相続、医療法人、社会福祉法人、MS法人全てまとめての調査でまる六日間、税務署からは九人の国税調査官がやってきて、何を聞かれているのかわからない質問ばかりされ、心身共に疲れ果てた。次は子ども達がまたこんな苦労をするのか、やっぱり持分を放棄した方がいいかと思った。新病院が本年五月一日にオープンし、多額の個人保証も背負った。ここでまた、はたと悩みはじめた。子ども達は将来どうしたいのだろう。来年決算を終えての時期が認定医療法人認可申請のピークになるだろうと言われている。準備しながら見守ることになるだろうか。

ところで、新病院はオープンさせたが、稼働率の低下や運営の問題点が噴出し、現在悪戦苦闘中である。今年末にはリハビリ庭園と駐車場ができあがり、グランドオープンを迎える。立地を最高に生かし、使い勝手よく、気持ちも上がる建物としての自信はある。六階のリハ室からは三方向が見渡せ、青い海、大鳴門橋、淡路島の島影に癒される。病棟では東西に廊下が貫き、とても明るく、「海の見える・山の見える、あの廊下の端まで歩いてみたい」という気持ちになる。またこの廊下は年に数日早朝朝日が一直線に差し「光の道」となる。六階からの初日の出も楽しみだ。ふり戻ってくだんのQ&Aによると、遊休財産の保有制限要件の特定事業準備資金において、「一〇年後の診療所の新築計画」は「一般的に一〇年後の経営環境まで具体的な予想ができず、算定額が合理的かどうか判断しかねる。五年程度の計画でないと算定額の合理性、計画の確実性について判断できないと考えられる」とされている。私もまずは五年、次はまたその先五年…と頑張ろうと思っている。

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老人のイメージを大改革させよう
[アンテナ]

いつの時代でも、将来のことは不確実だし、結局、なるようにしかならない。だから、先のことをあれこれ悩み苦しむことなく、今に集中してベターな行動をするべきだ。こんなことを考えて生きてきたつもりだったが、六十五歳を超えてから、少しは先のことを真剣に考えなくてはならないと思うようになった。今更なんてことをいうやつだとお叱りを受けるかもしれないが、敗戦から復興、所得倍増政策から始まる高度経済成長、そしてバブル崩壊、失われた二〇年などを体験してきた世代にとっては、正直「先のことはわからない」というのが本音だ。

二〇二五年には、団塊の世代は、全員七十五歳以上になり、国民の半分が六十五歳以上になり、人口減少社会がやってくる一方で、百歳以上の人々も増加し、「人生百年時代」が到来するそうである。

これらは事実になるのであろうが、その前に考えておかなければならないことがあると思う。諸兄がおっしゃるように、今の六十五歳は元気な人が多くなっているので、老年人口の定義を七〇歳とか七十五歳以上にしたらどうかといったことだ。

このような意見に対して、原則としては大いに賛成であるが、六〇歳以上の雇用とか、年金の給付開始年齢をどうするのかといったことが大問題である。しかし年金だけで全ての老後生活が賄える水準にないのであれば、働ける人は働くという大原則をもう一度、確認する必要があると思う。

政府は、財政的な見地から、年金の受給年齢を一歳引き上げれば、年金額が八%増加するので、七〇歳から受給すれば四割増しの年金が生涯受け取れるということを宣伝している。また「年金は長生きしたリスクに対して給付するものです」などといわれている。

確かにそうなのかもしれないが、七〇歳まで生活を維持できる所得があるのか、それにもまして自分がいくつまで生きるのか見当がつかないのであれば、元気なうちから受けたほうが得なのではないかと考える人も少なくないと思う。

つぎに、どうしたら自身の健康寿命を延命できるのかといったことも真剣に考えておかなければならない。食生活や運動に注意することや、健診なども大切だということはわかるが、老人医療の現実に直面していると、どうも気力とか根性(?)といったことが健康寿命に関係しているように思えてならない。少なくとも生きることを自らアキラメルと、全ての結果があまりよい方には向かないようにさえ思う。年をとると「もうダメだ」と感じることが多くなるのかもしれないが、もう少し頑張れるし、いくつになっても花は咲くということも、また、事実だと思う。

「年齢を重ねないことはできないが、自ら老人になる必要はない」のだ。どうも老人というイメージがわが国では悪いもの、あるいはあまりよいものではないという国民意識があるように思う。中国語圏では老は悪い意味はない。世界の政治指導者は、革命時は若いが、結局長老支配となっている。合衆国では定年などという風習があれば憲法違反なのだそうである。

つまり老人が増えたり、老人比率が問題視される前に、老人のイメージ自体を変化させることが必然であると思う。逆に働く人口が少なくなるのは問題であるが、働ける人が働くことで解決できることと、海外からの若年労働力にお願いせざるをえない側面もあろう。ただ単に老人が増えたので移民を受ければよいといった議論ではないように思う。

我々は、高齢化社会とか超高齢社会だとかいわれて生きてきたが、老人のイメージを自らの行動で改革する大きな仕事が残っていると思う。

* へんしゅう後記*

大塚宣夫会長と阿川佐和子氏の対談本「看る力アガワ流介護入門」が六月に発行され、ベストセラーになっている。そうはいっても、というところもあるが、私も介護できるかも!と思わせてくれる本である。

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老人の専門医療を考える会 JAPAN ASSOCIATION FOR IMPROVING GERIATRIC MEDICINE