老人医療NEWS第142号
思い返せば…
霞ヶ関南病院 理事長 齊藤正身

「老人の専門医療を考える会、何それ?」父から入会の打診があった時の反応でした。まさか後年、自分が会長になるとは。

半信半疑でワークショップやシンポジウムに参加しましたが、私より一回り上の世代の人たちが老人病院・老人医療の将来を熱く語り合う姿は、大袈裟ではなく格好よく、憧れにも近い気持ちになりました。自分自身がそこまで真剣に考えたことがなかったせいもあります。経験、勉強、信念、全てが足りなかったわけで、ディスカッションに加わっても返す言葉や主張することもできず、サンドバッグ状態で打ちのめされ感一杯でした。しかし生来負けず嫌いですから、そこから先は皆さんにしがみついて、それなりの経験を積み、自身の考えや行動に自信が持てるようになったわけですから、今となっては感謝感謝ですね。いわば私にとって当会は「学校」でした。

海外視察は「課外授業」でした。見聞きすること全てが面白かったですね。期待したほどのこともなく、がっかりすることもありましたが、ご一緒した先生方との交流はとても刺激的でした。視察自体も参考になることがほとんどで、特にオーストラリアは一九九二年の視察以来、二〇回以上通うことになりましたから、私の病院や在宅ケアのお手本はオーストラリアと言い切れます。

多くの先生やスタッフの人たちとの出会いは財産ですね。中でも浜村明徳先生との出会いは私の人生を変えました。平成四年三月に四日市のピア小山田で開催された第三回総合研究会、「老人のリハビリテーション」をテーマに講演された浜村先生(当時、国立療養所長崎病院理学診療科医長)が、「寝ぐせの数でよい病院・施設かわかる」「北国の春と風船バレーが中心のデイケアでは」などの言葉は、当時の私にはとても衝撃的で、整形外科の一部のように捉えていたリハビリテーションは偏見だったことを気づかせてもらいました。とりあえず行っていたリハビリではなく、座位や立位の大切さ、生活や活動の本質など、前向きでワクワクするようなリハビリテーションへの思いが膨れ上がっていきました。講演していただいた晩に浜村先生のホテルの部屋に押し入って(?)、語り合えたことを昨日のように思い出します。当法人の設立理念「老人にも明日がある」を実現するために、リハビリテーションは決して欠くことのできないアプローチになっていきました。

そしてその先に見えてきたことが、これからのライフワークとも言える「地域リハビリテーション」です。この概念との出会いも、東日本大震災や浜村先生との活動がきっかけですが、住み慣れたところで、一生安全に、その人らしくいきいきとした生活ができるよう、私たち専門職が地域のために社会のために何ができるか、これが私の進むべき道であると確信しています。生まれ育った「川越」を大切に。

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診療報酬の奴隷になるな
富家病院 院長 富家隆樹

「添付文書に書いてあるから、うちの病院では胃瘻チューブの交換を四ヶ月に一度行っております」と、ある学会での発言があった。初めは意味がわからなかったが、なるほど添付文書には三ヶ月と書いてある。保険の審査で査定されないようにゆとりを持たせて四ヶ月なのか。富家病院の胃瘻の平均交換期間は一・五年である。栄養剤の胃瘻注入後に酢水でチューブを満たすと長くて二年は交換しなくてすむ。胃瘻の交換は少なからず患者に苦痛とリスクを与える。それを診療報酬を得るために画一的に定期で行うのは、医療者として恥ずべき行為ではないのか。

老人の専門医療を考える会では、診療報酬にとらわれずに、真の医療を突き詰め、制度が常に後をついてきた。身体拘束の撤廃は介護保険法に明記された。介護士の病院雇用は介護福祉士の国家資格につながり、看護補助者として診療報酬にも盛り込まれて久しい。リハビリ専門職による個別のリハビリは今、花形の回復期リハビリ病棟につながり、在宅復帰支援はいまや地域包括ケアシステムと名前が付いた国家事業である。

診療報酬に記載がなくとも患者に必要とあれば、たとえ持ち出してでもその信念を貫き、周りに認められ、診療報酬だけでなく社会にそのフィロソフィーの後追いをさせてきた。だから今の世代に功労をねぎらえというのではない。昔はよかったとシニカルになるつもりもない。ただ歩みは止めてはいけない気がする。

医療区分という療養病床の診療報酬に、二十四時間の中心静脈栄養というのが医療区分3にあり、胃瘻はそれだけでは医療区分1になる。脳卒中から時間の経った患者は食べるのをあきらめろというのか。胃瘻患者の経口摂取のチャンスをさぐり、最低でも誤嚥性肺炎をできるだけ予防しようとする心ある現場の努力を無視している。そして二十四時間の持続点滴と六時間中心静脈栄養では何が違うのか、QOLはどちらが高いのかを誰も問うてもいない。

そのような中でも医学が進み新しい知見がうまれる。看護師の特定行為研修に追加された創傷治癒のための陰圧吸引療法やCVカテーテルに替わる可能性を秘めたPICCカテーテルなどがそれである。パラマウントベットで超低床ベッドをさらに発展させた足が下がりベッドが斜めになるベッドが開発され、一回換気量の増加や胃内容物の十二指腸への排出時間の短縮が実証されている。

医療技術だけではない。多くの知識人が人生の最後には医療ではなく、看取りが大切だとうそぶくが、心筋梗塞の患者が救急車で運ばれて病前に希望していた看取りが行われたという話しは聞いたことがない。どのような疾病を持つ患者が、どのような経過をたどり、どのような選択肢で死を迎えたのか。それがどのような死に方だったのか。年間で一二〇万人にのぼるビッグデータになる分析をした人はいない中で、いろいろな人が、いろいろな立場で、看取りや人生の終末期を語る。誰が検証し、誰がまとめ上げ、誰が世に問うのか。日本呼吸器学会は、高齢者の誤嚥性肺炎を「治らない肺炎」とした。日本精神病学会のある理事は、身体拘束は労力をとても要求されるので診療報酬上の加算が欲しいという。

大学病院の入院患者の平均年齢が六十五歳を超える今、高齢者医療=日本の医療となる。「老人の専門医療を考える会」の仕事は、ひとつの時代を越えて終了したのではなく、群衆のもとに再び降臨する期待のさなかにいる。

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慢性期病床の今後の運営
大久野病院 理事長 進藤晃

私は東京都西多摩郡で慢性期療養病床を運営している。西多摩地域には、地価が高い東京都心部に立地が難しい老人ホームや療養型が集中している。しかし、高齢者人口が確実に増えているにもかかわらず、最近、西多摩地域では空床が目立っている。一体何が起きているのだろうか。

東京都では地域医療構想による構想区域が昨年決まり、二次医療圏ごとに調整会議を行い、各病院の機能について検討を始めた。この構想における必要病床数は、慢性期病床においては医療区分1の七〇%が在宅となることが前提である。そのために地域包括ケアシステムでは、どんな医療資源や介護資源が必要なのか。その需給見通しはどのようになっているのか、まだ議論されていないし、現実的なものとなるのかどうかもわからない。少なくとも西多摩地域における地域包括ケアで在宅を支えるだけの人員の確保は難しいだろう。

地域包括ケアは完成していないが十年前とは雲泥の差がある。この地域で十年前に訪問診療と在宅看取りを行う医師は自分を含む数人であった。訪問看護の日中の訪問は可能だが夜間・休祭日となると皆無で、訪問リハビリとなると絶望的な状況であった。現在は訪問看護・訪問リハビリの提供量に問題はあるものの、必要とあれば直ちに提供可能だ。デイケア・デイサービス・訪問歯科・歯科衛生士の診療や、小規模多機能のような二十四時間提供される在宅介護まである。急速に在宅診療・介護を支える環境が整いつつある。介護が必要な方の住居もなかったが、サービス付き高齢者住宅や入居費用が安い有料老人ホームなどもでき、住まいも充実しつつある。

これからの高齢者は戦後世代の人達で、今までの生ある限り頑張り、何でも耐えるという考えを持った終戦前世代とは異なり、食べられなくなったら死ぬと考えているように思う。ロコモ対策・メタボ対策の啓蒙と、寝たきりにならないためのフレイル対策としての運動、骨折しないためにビスホスホネートの内服などの予防対策も自然と行う。その結果、文部科学省が行なっている体力テストで高齢者の体力は最近二〇年で十歳若返っている。二〇年前の七十五歳の体力は現在の八十五歳の体力である。つまり、二〇二五年の七十五歳以上高齢者対策を現在の疾病発生推計で進めているが、二〇三五年ぐらいにならないと七十五歳の体力に低下しないかもしれない。そして、リビングウィルも今後は積極的に活用されてくる。そこには「意思表示ができなくなり食べられなくなったら看取って欲しい」と書かれている可能性が高い。

現在の高度急性期と言われる医療の中心は癌治療と言われているが、徐々に抗癌剤は外来治療に移っている。それもオプジーボのような内服薬に変化している。脳血管障害後に麻痺が残らないかもしれない。

介護が必要となっても独居で住める安い住居ができ、それを支える医療・介護も急速に充実しつつある。戦後世代の考え方が異なる人たちは最後まで体力があって、終活というリビングウィルを行い、急性期医療提供後にはそれほど後遺症がない時代に変わりつつあるが、我々慢性期医療は現在の形のままなのだろうか。このような状況が少しずつ現実化しているからこそ西多摩における療養病床は空床が目立ち始めているのではないかと感じている。

医療費が青天井で伸びていくことはできない。急性期医療の発展には個人負担が増えなければ皆保険は維持できないと思われる。個人負担できない人は、後遺症が残って慢性期医療が必要になるというような世界になるのだろうか。空床が目立つ西多摩で考えると、慢性期医療は在宅療養されている方への急性期医療と、レスパイト的な入院を提供すること、そして高齢者の緩和ケア的な医療提供に特化していく必要がありそうだと感じている。

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超高齢社会の必然
[アンテナ]

わが国は、島国で地震や津波は必ず起きる。そう言われればそうだが、このことを深く自覚して毎日生活しているわけではない。あの阪神・淡路大震災後「神戸は安全だと思っていた」と話した友人がいた。三・一一では「想定外」という空虚な言葉が飛び交った。熊本大分地震では「まさか熊本が」と絶句する人が多かったのではないかと思う。

しかし、予測していた人もいるし、歴史を知れば百年たらず前に起きていたという事実さえある。これから先三〇年間で、地震や津波は広範囲に起こる可能性があり、絶対安全な土地などない。近年では「地震保険などで起こる可能性が低いとされている場所で起きている」という学者もいる。自覚がたりない。先のことを割引いて考える楽天的な人が多い。自分だけは大丈夫と根拠のない自信に満ちている。心配してもしょうがないので運が悪いとあきらめるしかない。などなど、批評することは容易だが、それですむはずもない。

そのことが必然であったとしても、常に自覚して、その時に備えを万全にすることはできにくいし、最悪を想定して生きることは、結構つらいことである。

少子超高齢社会は、地震や津波よりも、はるかに予測可能で、想定内であり、必然だ。ただし、少子化から多子化することも、超高齢社会の位相を変容させることも容易なことではない。年金問題も広範な老人医療問題も、予測可能であり、年金は大幅な給付引き下げと国の経済状況に年金給付を適正化することで乗り切ろうとしている。が、老人医療の方が、医療給付を無理やり引き下げたりすれば、大混乱するかもしれないので、改善策は難しい。

医療費の無駄を排除しろ、自己負担を強化しろという掛け声は簡単だが、政府が強弁することは難しいことであろう。まして、ポピュリズム旋風とかで、一夜にして政権が崩壊する脆さが露呈している社会では、権力者は問題解決を引きのばすことに終始しがちとなるだろう。

山折哲雄先生は、自助、共助、公助とかの言葉で要するに、助けてくれ、助けてくれ、と叫んでいるだけではどうしようもないので、「自助」などという生煮えの言葉の代わりに「自立」という立派な自前の言葉があるではないか、と主張なさる。

老人も「ひとり」でしっかりしろという主張は、正しい。だが、政府が「老人は甘えるな」、「自立しろ」、「政府は助けられない」と公言すれば、多分、その政権は倒されるであろう。

高齢者が増加し、それも後期高齢者が増大するのであろうから、現在の老人医療の水準を維持するだけでも財源が必要になる。それゆえ、国民負担額も増加せざるをえない。このことについては、かなり合意が形成されていると考えられるが、その一方で、後期高齢者の体力や気力を向上させることにより、費用を抑制できないかということについても、努力すべきであるという考え方も受け入れられるであろう。

ただ、後期高齢者の気力や体力はあまりに個人差が大きく、高齢者のだれもが元気でいられるわけでもないし、前後期高齢者でも疾病が原因で障がいを抱えて生活せざるをえない人も決して少なくない。

このように考えてみると、超高齢社会への処方箋は無数にあるわけではなく、選択肢はむしろ限られているのではないか。そして、超高齢社会は、予測可能で必然であるので、問題を引きのばすことなく、敏速に政策を展開することが必要な時代なのだという結論にならざるをえない。

つまり、高齢者一人ひとりの生活実態の問題と、制度政策上の対応は同一線上にあるとはいえ、政府は明確な方針を示す必要があるのである。

* へんしゅう後記*

七月一〇日に当会の平成二十九年度総会が開催された。役員の改選により、第二代会長であられた大塚宣夫先生が再び、第六代会長として就任された。創始者メンバーは、当会設立三十二年を経て、今も老人医療への情熱にあふれている。

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老人の専門医療を考える会 JAPAN ASSOCIATION FOR IMPROVING GERIATRIC MEDICINE