老人医療NEWS第133号
団塊の世代
洛和会音羽病院 理事長 矢野一郎

いよいよ六十五歳を超えてくる。私もそうだ。まだまだ老人とは言わせないが、将来を考えると老人の医療は誰が診ていくのだろうかとふと疑問に思う。いや他人事の話ではない。我々自身が老人の医療を診る仕組みを作り上げなければならないのだ。老人になっていない人が、老人に最適な医療を考えられるとは思えない。

老人は様々な環境下にいる。家族と同居している元気な高齢者や、家族と離れて独居している高齢者、身よりのいない独居の高齢者、介護施設にいる人、在宅介護を受けている人などさまざまである。都心型もあれば田舎型もある。さらには元気な高齢者は見守りも不要だと考えているかもしれない。人は老いてもなお我が儘である。元気な時はゴルフも酒もどんどん楽しみたいし、ちょっと不安になった時は話し相手が欲しくなる。自分の老いを感じ始めたら(できれば家族に)見守って欲しい。さらに病気になったときは、老い先短いとはいえ無下にせず、人として尊敬されちゃんと・・・・診て欲しい。緊急事態には救急車がちゃんと駆けつけ・・・・て欲しい。

今年、地域包括ケアシステムなるものが発表された。「重度な要介護状態となっても住み慣れた地域で自分らしい暮らしを人生の最後まで続けることができるよう、住まい・医療・介護・予防・生活支援が一体的に提供されるシステム」と解説がされていた。この仕組みは理解できるが、はたして教育環境も専門分野も異なる人たちがいる異なる組織体がチームとして見守っていけるのだろうか。一つの病院内のチーム医療を作り上げるだけでも随分時間がかかった。ましてや教育が異なり、専門が異なり、組織が異なる人たちがチームとして地域包括ケアができるのだろうか。誰が最終責任を取るのだろう。責任が明確でないシステムは、誰かがやるだろうとなって動かない場合が多い。とても不安である。

私が思うにだが、老人には楽しみと、話す相手と、医療と、介護が必要である。元気な時には高齢者は「自助」できるし、家族やご近所とは「互助」したい。徐々に介護が必要になった時には「共助」、「公助」をお願いしたいが、特に医療と介護両分野では専門的な方による「専助(造語)」をお願いすることになる。専助は最終的には医療機関や介護施設になるのだと思うが、現実は既に両分野の現場で仕事をされている訪問看護師が最良のまとめ役だと考えている。つまり、老人の地域包括ケアシステムの原動力は訪問看護師に頼まざるを得ないと考えている。

医療専門家、介護専門家が不足するなかで、これから病院‐介護‐在宅‐健康‐楽しみを機能連携させ、それを効率的に、そして効果的に活用するためにはどのようにすべきか。今高齢者となった我々の手で、我々自身のために、そして後生のために、「機能する地域包括ケアシステム」に対して助言できればと考えている。

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認知症の対策は?
札幌西円山病院 院長 浦信行

三十六年間急性期医療に携わった後、札幌西円山病院に異動した。一番に感じたことは認知症の問題である。今までも認知症を持った患者に接することはあったが、慢性期医療という長い付き合いの現場では、その有病率の高さと抱えている問題に圧倒された。既にかなり進行した認知症は、そのものに対する治療介入は困難とは思うが、何とか発症予防や進行阻止だけでなく、改善を期待できる手立てはないかと考える毎日である。有酸素運動を中心とした運動療法など、認知症リハビリテーションが注目されているが、その有効性に関しては、まだ確立されているわけではない。何かそのほかにも手立てはないものかと調べてみると、レニン・アンジオテンシン(RA)系というキーワードに行き着いた。

RA系は塩分保持や血圧維持にかかわる重要な内分泌因子であり、長い間「循環RA系」として理解されてきた。一方、心臓や腎臓などの局所にも、循環RA系とは独立したRA系が存在し、脳も例外ではないことが知られるようになった。すなわち脳にアンジオテンシンの主要な受容体が総て存在し、これを介したシグナルが学習や記憶力に関与している可能性が指摘されている。アンジオテンシン2型(AT2)受容体が欠損したマウスでは脳梗塞後の認知機能低下が強く現れる。また、AT2受容体の刺激薬の投与でマウスの空間認知機能が著明に向上する。そして、この刺激薬が脳血流増加、興奮性シナプス後電位の増加、海馬神経突起の進展など、機能的・形態的な改善も望める可能性も指摘されている。また、AT4受容体も脳組織に広く存在し、この受容体の刺激が認知機能改善効果をもたらしたり、マウスの脳内にこの受容体のリガンドを投与すると、電撃回避試験の反応の改善が認められる。これを治療につなげることは出来るのだろうか。AT1受容体拮抗薬(ARB)のバルサルタンが抗アミロイドβ効果を介して、アルツハイマー病(AD)マウスの認知機能障害を改善したと報告され、同様の成績は他のARBであるテルミサルタンやオルメサルタンでも報告されている。でも、これらはすべて動物の話である。ヒトの成績はないのか。

ヒトの成績は極めて少ないが、その可能性を期待させる成績がある。米国の八〇万人の退役軍人の高血圧患者を対象としたADならびに認知症の発症に関する追跡調査の結果が報告されている。それによると、ARB服用者では他の循環器系薬を使用している患者よりも認知症の発症が二〇%近く少なく、施設入所や死亡などADや認知症の進行を示唆する事象が有意に減少することがわかった。ARBのカンデサルタンを使用したSCOPE試験ではMMSEで評価した認知機能の低下を抑制していた。また、高齢者の四つの高血圧治療介入試験のメタ解析からは、認知症の発症を有意に抑制することが報告されている。しかし、既にある認知症を改善する効果はあるのか。ARBのエプロサルタンを使用したOSCAR試験ではMMSEスコアを有意に改善すると報告された。

しかし、ただでさえ薬剤の多数投与を避けなければならない高齢者にARBを投与するのか。高血圧患者であれば一考に価するが、やはり、脳RA系抑制を目指した非薬物療法での改善を考えるべきか。私は高血圧を有していないが、手始めに私自身が服用してみようか。

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各々の人生と価値観
青森慈恵会病院 病院長 丹野雅彦

医者になり今年で二十六年になる。卒後、大学の救急部に入局し、そこで多くの手技を会得したものの、やりがいを見いだせず、二年目からは整形外科医を志し、その後様々な経験を積んできた。その間、医療技術だけでなく患者との向き合い方などを学べたことが、大きな財産になった。

その中でも印象に残っているのは、卒後六年目で赴任した青森県内にある肢体不自由施設で勤務した一年半である。そこには、脳性麻痺など障害を持った子供たちが多くいた。その子供たちと親にまつわるエピソードを紹介したいと思う。脳性麻痺の場合、核黄疸など出生時になんらかの問題があった乳児が他院から紹介となることが多い。初診時、私の上司である園長から母親には、しばらくリハビリで様子をみていくことだけが説明される。その際、障害の出る可能性についてはほとんど触れられない。生後六ヶ月もすると脳性麻痺であることがほぼ確定するわけだが、そうと分かっても園長から母親にそのことは敢えて告げられない。診察の度に、発達は少し遅れているが、特に合併症もなく順調とだけ優しく説明される。

そして、生後一年を過ぎた頃、母親に告知がなされる。園長と母親の横で助手をしていた私は、告知を受けた瞬間、その場に泣き崩れる母親たちを何度も目にし、そのたびに居たたまれない気持ちになった。

そんなある日、診察後、園長が私にこう話したことがある。「私はイギリスにボバースを学びに行き、今、子供たちにそれを行っていますが、たいした効果は期待できず、障害はどうしても残ってしまう。ある意味、ここで行われているリハビリは、藁にもすがりたいという母親の気持ちを少しでも楽にさせる為にやっているだけなんです。」と。

障害児だとわかった瞬間、責任のなすり合いが生じ、両親が離婚したり、育児を放棄したりするケースは嫌というほどある。それを見てきた園長にとって、子供たちが置き去りにされることが何よりも辛かったのだと思う。生れてからずっと愛情を注いできた親は、たとえ自分の子が障害児であったとしても、愛情を持ち続けてくれるだろう、そんな園長の思いを感じた。

またこんな話もあった。正月になると、ほとんどの子供たちは、自宅で家族と一緒に正月を楽しむのだが、親の都合により、施設に残る子供たちもいた。園長がそんな子供たちを見て、お年玉として当時出始めた五百円玉を渡したことがあった。するとその中の一人が「先生、五百円より百円の方がいい」と言ってきた。不思議に思った園長は「どうして百円の方がいいの?」と訪ねたところ、「だって、百円だといつもより家に長く電話することができるから」と意外な返事が返ってきた。

この二つのエピソードは、私の価値観を大きく揺さぶることになり、患者に向き合う姿勢にも変化をもたらした。今はこういった子供たちに接することもなくなり、患者の多くは高齢者である。各々の人が、各々の人生と価値観を持っていると思い接するようにしている。

しかし現場のスタッフからは「この患者はリハビリする意味がないですよ」とか、「認知症だから仕方がない」などという言葉が未だに聞こえてくるのも事実である。最近は、そんな話を耳にしながら、「まだまだやることが沢山あるな。」と思いながら家に帰るのが楽しみである。子供達も長男は二十歳を越え、長女もそろそろ二十歳である。子供を育ててきて分かったことは、子供達には子供達なりの悩み、人生があるということ。完璧な親とはとても言えないが、家族の絆は血のつながりではない、互いの生き方を尊重し、喜びを分かち合うことなのだとつくづく思うのである。

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当会の今後の活動方針の検討
[アンテナ]

老人の専門医療を考える会は、昭和五十八年に八名が世話人代表となり産声をあげた。最初の社会活動は、昭和六十年三月九日に開催された第一回全国シンポジウム「どうする老人医療これからの老人病院」であった。この老人医療NEWSの創刊号は、昭和六十一年七月八日発行だ。

第一回全国シンポジウムから二十九年が経過したことになる。昭和六十年の高齢人口は一,二四七万人、高齢化率は、一〇・三%に過ぎなかった。これが三十年後の平成二十七年には、三,三九五万人、二六・八%になると予想されている。世界がかつて経験したことのない高齢人口の増加は、高齢化社会から超高齢社会へと邁進してきたのである。

当会の目的は「老人医療の果たす役割と専門性を考え、我が国における理想的な老人医療のあり方を追求し、全ての老人が安心して、より良い医療を受けられる環境を実現させる」ことである。

初期の活動は、医師のワークショップにおけるリハビリテーション、今日でいう認知症、終末期ケア、緩和ケアの検討にあった。今からみれば、どれもあたり前の言葉になったが、それぞれの医師が考えていることに大きな差異があり「老人のリハビリテーションとはどうあるべきか」とか、「望ましい認知症ケアはどのようなものか」「終末期ケアとは何をするのか」「緩和ケアにおける診療とはどうするのか」などといった基本的なことから整理する必要があった。今では、想像もできないかもしれないが、昭和六十年代には理学療法士五千人、作業療法士一千人程度であり診療報酬上の評価は、まったく人件費を賄うことができなかったし、社会福祉士も介護福祉士といった制度もなかった時代である。

正直「どうしたらいいのかわからない」という素直な結論は、「それなら海外視察をして勉強しよう」という流れになった。また、お互いの病院を会員が訪問して、意見を述べ合うことが役立つという合意が形成され、会員相互の施設見学会も盛んになっていった。そのような中で、高齢入院患者の身体拘束問題は、解決に時間がかかった。

老人のより良い医療の現場において拘束は禁止すべきであるという合意だけでは、入院現場で問題を解決することができない。看護や介護の人員増と人件費を賄うための経済的裏付けがなければ机上の空論なのではないかという議論が重ねられたが、「まず、質を改善しないかぎり、発言力は確保できないのではないか」といった選択がなされたと思う。

当会の会員数は、現在でも七十人を超えないが、これまでの活動は、わが国の老人医療の質の向上に貢献してきた。ただ超高齢社会にあって、現状の貢献度という点については、改めて検討する必要がある時代となった。

老人医療に関与するであろう各種団体は、数えきれないほどに増加した。各組織が質の向上のために努力していることに対し、敬意を払いたい。ただし、団体数が増えるほど、団体間の利害が対立してしまうこともあるので、より高い志を持って、超高齢社会に対応して欲しい。

当会の設立総会が開催されたのは、昭和六十年五月十五日であった。来年には創立三十周年を迎えることになる。組織を維持発展させるには、組織成員のコミュニケーションの確立や相互の貢献意欲の確保とともに、組織目的の設定が欠かせない。当会の老人医療へのこれまでの貢献と未達成の課題をふるいにかけると、老年専門医制度の確立や老年科標榜の課題がある。また、医療と介護を統合した新しいシステム構築への貢献という目標もある。

これまでの活動を踏まえ、今後の活動方針について深く考えたい。

* へんしゅう後記*
とても忙しい時代になった。スマホ、インターネットがあれば、どこにいても、顔を合わせなくても仕事ができる。医療現場でも記録やデータ管理がどんどん増え、そのうちに患者の側には、優秀な介護ロボットの働く姿が普通になるかもしれない。

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老人の専門医療を考える会 JAPAN ASSOCIATION FOR IMPROVING GERIATRIC MEDICINE