老人医療NEWS第47号 |
いつの頃からか、介護保険制度の専門家として扱われるようになった。自分では、制度の詳細を勉強しているわけではないので、そのように紹介されると、ムキになって否定してきた。「私の仕事は、高齢者医療です。医療保険であろうと、介護保険であろうと、どちらにしても対象者が、自宅で安心して生活できるようになればいいと思っています。そのために、私のできることは何か?それが仕事です。」といった説明を必ずしている。しかし、最近になり、介護保険制度のおかげで、様々な職種や地域の後援会に呼ばれ、説明のたびに「自己主張」させていただいていることに、ある種の後ろめたさを感じる。
「本当に私の主張は正しいのか?」「このような啓蒙活動を続けていていいのか?」
私の主張は以下の通りである。「介護の専門家なんて、今はまだどこにもいない。私自身、自分で経験したことしかわからない。きっとそうすることがいいだろうという推測に基づく勘違いを、その介護を受ける賢い高齢者の奥ゆかしさがカバーしてくれているのかもしれない。本当のことが見えてくるようになるためには、介護保険騒動は千載一隅のチャンス!そして、介護の専門家が10年後に生れることが楽しみです。」
今まで、少しばかり人前で話すことが得意だということだけで猪突猛進走り続けてきたが、年を重ねるごとに、「専門家の発言・提言」と思われていることの重大さを痛感している。要介護認定に関しても、その手法が適切なものかどうかを論ずることのできる本当の意味での「専門家」ではないし、ケアマネジメントといっても、日本にどれだけフィットするものか疑問もまだある。とにかく、スタートしてみなければわからないことがほとんどである中で、私自身がもっと勉強しなければならないことだけが確信できることである。いや、もう一つはっきり言えることがあった。それは、数年前のオーストラリア視察旅行で知った以下の言葉である。
年をとっても
病気にならなければいい
病気になっても
自宅で生活できればいい
入院しても
短ければいい
長くなっても
世話にならずに楽しく暮らせればいい
結局、こんな気持ちを実現できる世の中になることは、誰もが願っていることだろう。その実現のために、役に立てたら本望である。やっぱり、今まで通り猪突猛進「専門家」のふりをして、全国行脚を続けることにしよう。本当の「専門家」になれることを目指して!
折りたたむ...介護保険施行となり、高齢者のケアについては外国も注目している一大関心事となってきています。療養型病床群として介護保険に参画する我々の施設は、他の施設より医療水準を高く保たなければならないと思います。「老人の専門医療を考える会」は、まさに現実に即しなおかつ先見性高く老人のQOLを追及できる会でありまして、会として今後の高齢者医療の身だしなみの規範のようなものが出せれば良いのではないかと思います。
平成7年3月の「介護力強化型病院の育成方策に関する研究」の医薬品使用状況調査報告によると、定額制導入による医薬品使用量はさほど大きな変化はなかったものの、第三世代の抗生剤・注射用ビタミン剤・輸液用アミノ酸製剤・抗高脂血症剤・脳代謝賦活剤・脳循環改善剤が減少しています。これは、現状においては常識的となった良識ある投薬状況と言えます。特に後二者の製剤は採用中止になっており、本会の病院の良識を示す結果となっています。
ところで、高齢者にとっての不安のひとつに転倒がありますが、一般社会では33%、ナーシングホームでは67%の人が転倒するそうで、転倒の5%は骨折を生じているという報告があります(メルク・マニュアル 高齢者医療 日本語版 第1版 p73)。薬剤との関係では、NSAID・抗不安薬・抗鬱剤・睡眠剤・強心剤・抗不整脈剤・血管拡張剤・利尿剤などで転倒が発生しやすく、複数薬剤投与が有意に問題ありと報告されています。(Graneck E., et al:Medication and diagnosis in relation to falls in a long-term care facility. J Am Geriatr Soc 1987 35 503-511)
転倒と骨折、そして廃用症候群の合併、抑鬱状態とか注意障害からの痴呆化などの問題は、何も薬剤投与がなくとも、高齢者にとって日常生活上危機感を持っている問題だと思います。薬剤の適切な投与がQOLを高めることは自明の理といえますが、過去を振り返りますと必ずしも十分な考察が加えられてきたとは思えません。
昨今、インフォームドコンセントが日常化してきており、診療情報の開示を医師会が推奨してきていますが、疾患単位での診療科受診が行われており、個々に説明はあっても多科受診利用者個人の内服している薬剤量は十分に検討されているとは思えない状況です。現実に療養型病床群へ大病院から転院されてきますと、多くの併診科の投薬があって整理を余儀なくされることはよく経験されることと思います。
療養型病床群では投薬も包括されているわけで、だからと言ってむやみやたらと休薬してしまうことは、「低レベルの医療水準しか提供できない」と、過去取り沙汰された寝かせきり老人病院と大差ない評判を蒙ることになるかもしれません。高齢者と薬剤の関係について、日本の医療云々という大仰なことではなく、我々が現在行っている医療の疑問点の洗い出しと整理が出来ればどうかと考えております。
近日中に、小生の方から老人の専門医療を考える会会員の先生方に、まずはアンケート方式でご協力頂きたく考えておりますので、ご協力よろしくお願い致します。
折りたたむ...それは突然始まった。
いつものように仕事が終って宮林とパソコンを見ていたら
「アメリカに来ない?」
というとんでもないメールが届いたのだ。
しばらく二人で顔を見合わせながら
「来週って大丈夫かな?」
と言うと
「ええ、何とかなると思いますけど」
といつもの様に抑揚のない声で返事が返ってきた。
こんなことで今回のアメリカ旅行は始まったのである。
成田に10時くらいにつき、有り金を全部ドルに換えてユナイテッド航空に乗った。シカゴに着いたらまた朝になっていた。入国の手続きを済ませた後トロントに向かった。ここでこの日2回目の入国手続きを済ませた後、再び飛行機に乗ってロンドンという街に着いた。なんとなくローカルっぽい町で春のぽかぽか日よりにカナダの大地が広がっていた。
ここではデルタというホテルに泊まってベッド工場や病院、施設をいくつか見学をした後、トロントに戻って、今度はアトランタに向かった。
アトランタの空港に着いたのは夕方の9時過ぎだったように思う。
空港で1ドル50セントの切符を買って地下鉄に乗った。この地下鉄はどこまで乗っても1ドル50セントだということでなんとなく得をした気分になった。
地下鉄に乗るとシフト勤務を終えた空港労働者の黒人たちに囲まれた。みんなとても陽気に大声で騒いでいるけど、何を言ってるかわからないので黙って乗っていた。
途中で警察官が見回りに来て
「荷物を邪魔にならないように詰めてくれ」
って言うもんで
「混んできたらつめて座る」
と約束した。陽気な黒人の警察官だったが、結構まじめだなと思いにんまりしてしまった。
次の日はホスピスを見に行ったが、我々のやっている在宅医療はアメリカで言うとホスピスなんだと感心しながら昼ご飯を食べた。
この日はこの他2つの施設とリハビリセンターを回り夕方にフロリダのタンパに向かった。
次の日はタンパでひとつ施設を見て昼前に飛行機で次の町に向かった。空港から車で1時間ほど行くと施設があり、そこを見た後にアトランタに帰ってきた。
翌日は久しぶりにのんびりと起きて、10時のデルタ航空で東京に戻ってきた。
このようにして6日間で9回の飛行機を乗り継いだアメリカ旅行が終わった。突然のとんでもない旅行に付き合ってくれて安芸さんありがとうございます。
折りたたむ...2月10日に介護保険報酬基準が告示され、同日、医療審議会に第4次医療法改正要綱案が諮問され、21日に答申された。その日、中医協の支払側委員が会合を持ち、23日に予定されていた総会を欠席すると伝えられた。中医協の場で支払側が席につかないのも、個別点数である「かかりつけ医が30分以上診療した場合の点数」にケチをつけたのも、おまけに3月に入ってから診療報酬がやっと決まったことも、全て異例の事態であった。
まずは、介護報酬、医療法、診療報酬にご尽力いただいた皆様のご苦労に対して、深くお礼申し上げたい。経過はともかく、結果については、高く評価できる内容であると思うし、ミレニアムの医療のゆくえを指し示しているかのようである。
介護報酬については、在宅ケアを本気で考えていること、全体としてただちに経営上の問題となる事項がないことは、評価できる。しかし、平成15年3月末までで介護職員3対1を廃止することについては、老人の専門医療という観点から賛成できない。このことについては、今後とも3対1の継続を要求したい。
医療法については、6.4平方メートルの病室面積の最低基準などは歓迎するが、医療の質の向上策として引き続き議論する余地があるように思う。
診療報酬については、まず回復期リハビリテーション病棟の創設について、高く評価したい。そのほか、10月以降の一般病棟老人長期入院患者者に対して包括化点数が適用されることについては、除外規定もあることから、病棟の機能分化という意味で評価できるように思う。ただし、医学的、看護的、経済的にみて、どのような状態を除外できるかどうかの科学的知見の蓄積が必要となると考えられる。今回の診療報酬に満足することはできないが、冒頭に述べた厳しい状況において、大きな改定であり、今後、病院の適切な対応が望まれることになろう。
介護保険制度の実施は、それ自体大事業であることは理解できるし、少なくとも高齢者の医療や福祉が国民的議論となったことも歓迎できる。しかし、特別養護老人ホームと老人の専門医療を同一視するような議論の進め方については、大きな疑問を持たざるを得ない。少なくとも我々は「介護」をしているのではなくて「医療」を実践しているのであって、なぜ介護に医療を合わせなければならないのであろうか。このことは経済的な意味では決してないし、介護保険制度に賛成か反対かといった二者択一的なことではなく、未完成な老人専門医療を介護のカラの中に閉じ込めることによって、その発展を望めない状態にしてしまうのではないかという危惧である。
福祉分野を批判するとか、報酬に不満であるということでなく、老人医療の確立を希望し、志のままに愚直に実践してきた者の当然の帰結である。
老年痴呆疾患への治療、老年リハビリテーションの可能性、ターミナルケアへの医学的貢献、そして高齢者医療における人権の確保などは、あまりにも改善の余地があるし、科学的解明が進むことが期待されているのである。
人類が、進歩する希望と余地を失うことがあれば、これ以上の不幸はないように、疾病や障害に呻吟する高齢者を、単なる介護の対象とするかのようなことはあってはならない。日々の実践の中で問題点を発見し、研鑽を重ね、共に学び合うことによって、老人専門医療の質の向上に貢献することを喜びとしたいのである。
我々は、これまでの長年の体験から会得した、このような姿勢をもって、介護や医療の制度に対して今後とも発言していきたいと思う。
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