老人医療NEWS第92号 |
昭和四十八年は「福祉元年」であるが、じつは今日に至る高齢者医療の問題の多くをすでに内包していた
「高齢者問題元年」でもあるとも言えよう。当時の高齢化率は8%以下であった。その後、社会保障費用、とりわけ高齢者関連費用が急速に膨んでいった。その抑制策が、診療報酬や一部負担金の見直し、病院への監査・指導の強化、ついには療養病床が三十八万床から一五万床というドラスティックな変化である。また、「高齢者の医療費はまだまだ効率的に!」との見解は、つまるところ「お金」の問題であり、「質」の担保が懸念されている。高齢者医療費・介護費用と公共事業費の前年対比を見せられても、心から納得できるようにも思えない。
では、老人病院は「社会的入院」(医療区分T)を入院患者の半分にいたるほど抱えこんでいる、恣意的な存在なのだろうか。問題の根源は各医療施設に帰するのだろうか。昭和四十五年以来、核家族以外の世帯比率は半減し単独世帯比率は一・五倍に増加している。このような核家族化のなかにあって、何らかの疾病を有し独居の不安を抱える高齢者が、医療費が「無料」である入院生活を選択することを容認する社会的背景がそこにはあっただろう。したがって「社会的」というならば、まさにこのような「イエ」の変容を背景とした意味での「社会的」であり、その時代変化のなかにあって老人病院の存在がいろいろな意味で着目・活用されたものと考えることができる。さらにその後の日本社会は、「家族」の存在意義さえ再度自問しなければならないような状況を呈し、今や新しい家族のあり方や「イエ」の模索を我々に求めている。
このような社会背景から見れば、「在宅」のあり方を考えるときに、単に施設との経済的メリットでの議論はもちろん必要なのであろうが、日本の家族社会の変容への考察からも議論しなければならないのではないだろうか。物理的・金銭的・介護力的な問題は「在宅」への強い抵抗として存在するが、それらの根底にかつての日本に存在した「イエ」の崩壊があることに目を向けなければならない。このような現状認識は、高齢者医療を単に経済的制約からではなく、社会現象の一部として捉えていく必要に目を向けさせる。
「福祉元年」はそのときの高齢者には安心感を与え、当時四〇代の働き盛りの日本人に明るい老後への期待を抱かせた。彼らが八〇歳になった今、あのころのような安心感も明るさもこの国には見当たらない。年々きびしい現実がのしかかってきているという声を聞くばかりである。
老人病院の歴史は核家族化や高齢社会への急激な変化による社会の要請を受け止め続けてきた歴史でもある。その中にあって、高齢者医療の「質」にいち早く着目し自律的な改革を志す当会の存在が、あくまでもマクロな経済原則に立脚する高齢者社会保障費抑制政策へのカウンターバランスとして効いてくれることを願っている。
折りたたむ...「先生、身体に気をつけて下さいよ。私の生命は先生に預けてるんやからね」。九〇歳を超えた患者さんが顔をじっと見つめ、しっかり手を握り真剣に語りかけてくれる。日常の診療の中で、医師として患者さんから思わぬ歓びや感激をいただくことも多い。
昨年の医療区分導入への対応が一段落したら、この六月には介護療養病床廃止に伴う転換メニューが提示された。どの道を選ぼうと前途多難ではあるが、そろそろ我が行く道を定めなければならない。医療安全、地域連携、病院機能評価更新に向けての準備など、対処すべき問題は山積している。
このような時、患者さんから示される感謝の心は医療人にとって何よりの歓びであり、明日への活力となる。高齢者医療に携わって二十数年になるが、その時々で出来る限りの事をしたつもりであっても、今思えば随分稚拙な対応しか出来ていなかったことを思い知らされている。
老人の専門医療を考える会で学び、刺激を受け、この会の一員として恥ずかしくない病院でありたいと願って来た。その時その時に要求される機能水準を保ち、出来れば一歩でも前を進んでいたいと思っているが、その為にはいかに職員全体のモチベーションを高め、持続させていくかが重要となる。
制度改定があるたびに現場にも次々と新たな業務が義務づけられ、ボリュームが増えていく。今後の展開を考えるとマンパワーやハード面でのレベルアップも必要だが、現有戦力のスキルアップも欠かせない。しかし、あれもこれもとなると現場にゆとりがなくなる。皆が一所懸命になる程、不消化の部分が目につき、現場でストレスが膨らんでくる。
そこで、何とか職員のモチベーションを落とさぬよう、あの手この手と工夫もしてみる。こちらの思いを伝えるだけでなく、職員の思いも知らねばと、今年は病院の年間目標のひとつを、「働きがいのある職場づくり―職員満足度の向上―」とした。具体的には、仕事、職場、待遇などについて意識調査を行い、問題点の分析と改善への取り組みを始めた。給与面の満足度を得るのは難しい所もあるが、実績が上った年は特別賞与制を設け、納得をえられるように努めている。
仕事の有り様、人間関係などは、現場の管理者の能力が大きなウェイトを占めるが、医療、福祉という仕事の社会的意義、医療人としての使命感を認識してもらうことで一体感も出て満足度に繋がっていく。
いくらやってもパーフェクトにはやり尽くせないこの仕事で、燃えつきてしまわないよう、職員皆に数年前より「歓び発見、いい事捜し運動」を推奨している。ネガティブポイントばかりみて気落ちしないで、うまくいってる事を評価し、自分を褒めてやることも時に大切だ。
冒頭に紹介したように、私達の仕事は患者さんから直接いろんな反応を頂く。いい反応には素直にそれを歓び、そして「もっといい事はないか、歓びを貰う種はないか」と、自分の周囲をみまわしてみる。患者さんや職場の仲間から貰う歓びは何よりも自分の仕事の誇りややりがいとなる。
こんな事を考えながら、職員と共に迫りくる嵐に敗けぬ気概を持って、より質の高い高齢者病院、施設として前進していきたいと願っている。
折りたたむ...三年ほど前から計画していた新病院が、いよいよ一〇月に開院できる見通しとなった。新病院は、一七二床の回復期リハビリテーション病院で、内一四床はストロークケアユニットを目指している。
今回の新病院を建築するにあたり、とても貴重な体験をしている。きっかけは、新病院建築のディレクションを行うクリエイティブディレクターとして、デザイナーの佐藤可士和氏を起用したことである。
私は、病院建設にあたり、元来の病院のイメージを壊して、もっと美しい、居心地の良い空間を作るにはどうすればいいかと悩んでいた。せっかく新しい病院を建てるのならば、中途半端な物を作りたくない。そんなとき出会ったのが、すでにテレビなどで活躍ぶりを拝見していた可士和氏である。
会ったときの第一印象は、「非常に真面目な人」。才能あるデザイナーは、どこか「とんでいる」というイメージをもっていた私は、意外に思ったことを覚えている。また、「デザイナーという仕事は、たとえて言うなら、医師かもしれません。患者であるクライアントが困っているところを見つけ出し、デザインという治療を施していくわけですから」という可士和氏の言葉も興味深かった。
それから、一年間、ほとんど毎週顔を合わせ、打ち合せを行ってきた今でも、「真面目で誠実」という印象はまったく変わらない。そして、「デザイナーは医師のようなものです」と言っていた彼の言葉に、うそはなかった。何となくしっくりこない、違和感がある、そういったうまく言葉にできない私の訴えをひとつひとつ聞き出し、デザインによる解決法を提示してくれる。
例えば、「身体的だけでなく精神的なリハビリテーションを行いたい」「ホテルの居心地の良さを取り入れたい」といった曖昧模糊としたこちらの思いを「リハビリテーション・リゾート」という言葉に集約し、このキーワードをコンセプトにしたデザインを起こしてくれた。そして、クリエイティブディレクター佐藤可士和のもとに、ユニフォーム作りのためのファッションデザイナー、照明デザイナー、アメニティグッズのデザイナー、コピーライターなど、さまざまな専門分野の人たちが集い、チームとなって「リハビリテーション・リゾート」を作り上げてくれた。
また、以前からぜひリハビリテーションの一環として取り入れたかったアロマセラピー、トリートメントマッサージ、フットケアの専門家を紹介してもらうことができた。さらに、ブックセラピストによるブックセラピーの試みも進行中である。今まで高次脳機能障害の訓練等に使用される書物は、小学生の算数や絵本等幼児向けの物が多く使われていて、患者さんに対して配慮が足りないと思ってきた。もっと大人にふさわしい書物や写真集があるはずである。それらの選書を専門にしている方とともに選んだ。
私にとって未知の分野であったデザイナーの仕事、それも、いまや時代の寵児とも言える才能溢れる人との仕事は、非常に楽しく刺激を受けるものである。私は建築の専門家でもデザインの専門家でもないため、病院建築を使って表現したいものがあっても、なかなか思うようにはできないし、皆に伝えられない。その思いを整理して、正確に理解し、わかりやすく伝えて具現化してくれる人が佐藤可士和氏であったと思う。
運営はこれから始まるので、まだまだ道は遠いが「デザインの力で病院が変わった」と感じられるように、われわれ医療スタッフも上手に建物、空間、システムを利用していかなければならない。
どのような病院であるかは、実際に見ていただくのが一番であると思う。ぜひ、見学にどうぞ。
折りたたむ...いわゆる(株)コムスン事件の後始末で、厚生労働省老健局は、「介護事業運営の適正化に関する有識者会議」を設置し、法令遵守のために必要な措置、広域的な事業者に対する規制、そして事業廃止後の利用者のサービス確保などについて検討を進めているらしい。
いまさら訪問介護事業に株式会社を参入させたことの是非を議論してもしようがないが、どうも低賃金で社会保険にも加入させず、ひたすら利益を求める株式会社が少なくないらしい。制度導入当初に予定していなかった大手数社で市場の六割以上を占めるという現状に唖然とせざるを得ない。
一方、会員の法人の訪問介護事業は、利益どころではなく持ち出しの場合が多い。我々老人専門病院の介護職員の一時間あたり人件費は、株式会社の訪問介護職員の一・五倍以上、ベテランになれば二倍以上になる。それでも、株式会社の訪問介護職員は、スーパーマーケットのパートなどより割のよい仕事だという。
最近、介護保険事業者が、口々に介護報酬の低さを主張しているのは興味深いと思った。介護報酬が一定なら、人件費を下げることでしか利益が上がらない構造になっていることになるが、適切な人件費を支払わなければ、質は維持・向上できない。このような当たり前のことが理解されないのは悲しい。
介護保険制度の根幹を揺るがしかねない事件の再発防止策は、必要不可欠であるが、それが単に事業者に法令遵守を求めただけでは、何も解決しない。また、規則を強化して厳罰主義的な対応のみでは、多くの利用者に安心と安全を提供することは出来ないであろう。考えておかなければならないのは、再発防止のための何らかのシステムの導入である。
介護保険制度は、その創設時から電子媒体化の推進を掲げてきた様だが、それが実際に進まなかったのは、情報の収集・蓄積・分析・評価といったことが欠けていたからであろう。
紙ベースの膨大な書類の管理不全、未熟な紙ベースから電子媒体への変更作業、バックアップ・システム無しの制度改変、公務員のモラル低下と公務労働におけるミス・マネジメントなどによる社会保険庁の年金問題事件によって、国民は愚弄されているように感じている。結局、全てを行政任せでは、何も問題は解決しないと言うことを我々は学ばされた。
話を介護事業運営の適正化について当てはめると、適正化は、必要不可欠であるが、どう考えても法令遵守のための措置や広域的な事業者に対する規制強化だけでは限界がある。ただし、地域ごとに介護保険サービスの質の向上や医療介護の連携が推進されようとしているにもかかわらず、横暴な株式会社の不正行為の前に、行政も善良な事業者もなすすべがないということでは、介護保険制度は維持できない。
こうなると、最小限の規制強化、大規模・広域事業者への監視体制、全国データによるチェック機能の構築、事業者に対する他の事業者、利用者、医療介護等の専門職団体による情報共有化などという良識的なことが考えられる。
しかし、いくら良識的なシステムを構築しても、ルールを守らない輩が事業に参入しているのでは、再発は防止できない。これと同じように、不正や著しい不当を繰り返さない限り利益が出ないというのであれば、介護報酬自体が不適切と言わざるをえないだろう。こうなると、ある程度の質を確保できる報酬設定が改めて必要になるのである。
いつの世も「悪貨が良貨を駆逐する」のであろうが、介護や高齢者の専門医療を単なる「貨幣」にしてはいけないし、必要な費用は国の責任で支払うべきである。
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