老人医療NEWS第56号 |
小泉内閣の諮問機関である「総合規制改革会議」が「中間とりまとめ」を7月に出し、医療分野にも「聖域無き改革」を求めてきました。
この中で医療分野もサービス業として、競争原理のもとで医療サービスの向上を図ることを求めています。具体的には「株式会社の病院経営への参入」や「広告の原則自由化」を打ち出してきました。
また数ヶ月前まで経済再生・雇用促進策において重要な役割を担う業種と期待されていたIT関連の大手電機業界の業績が急速に悪化したことも絡み、ヒト・モノ・カネの移動の候補として医療・福祉の場が取り上げられ、他の業種から門戸の開放が求められています。
加えて新たな雇用促進の場として、医療・福祉の現場が上げられ、先日も慶応の島田晴雄教授から民活のケアハウスとも言える「純ちゃんハウス構想」が公表されましたが、全国で1万ヶ所を目標、それによる建設雇用だけでも15万人を予測しているとのことでした。医療改革を含む「最終案のとりまとめ」が年末までには出されるでしょうが、総合規制改革会議と厚生労働省や医師会などとの見解の隔たりは大きく、「自由競争原理」や「医療の公共性・公益性」をめぐっての激しい議論や駆け引きが行われるでしょう。
しかし自由化の波は何らかの形で今まで以上に民間病院にも押し寄せ、適切な対応を求められており、サービス業として「コンシューマー」の満足度を高めてゆくことが要求されています。たとえば、昔は病院が家より便利で良環境の場でした。しかし住環境や生活水準が上がったため今では病院の方が不便に感じる場所となってしまいました。また制度的にも人員・構造設備の整備が求められています。わたしたちはそのことを真摯に受け止め、ソフト・ハード両面の改善や充実を早急に図らなければなりません。
平成12年の介護保険法施行と診療報酬改定、そして13年の第4次医療法改正により医療機能の類型化が進められている現状において、利用者の多様なニーズに応えるには施設が連携し、病院群として多様なメニューを持つ、言い換えると「地域としてのケアミックス」が必要です。そして連携には各施設の情報の開示と共有が大切で、それによって各々が評価を確認して初めて正しく補完・連携し合うことができます。わたしたち長期療養を担当する施設は特に急性期病院からの評価を正確に受け止め、対応することが大切です。また、在宅療養との連携も同様に大切です。利用者に対しても、理念や基本方針などを公開することにより、地域からの評価やニーズの判断ができるでしょう。
これらのことはサービス業にとってはコンシューマを主とした業務提携や市場・顧客調査などであり、ごく一般的なことです。我々も他業種に学ぶべき点は真摯に受け入れていくべきでしょう。
折りたたむ...小生、ひょんなことから在宅医療をはじめて5年になりました。亡くなった患者さんや、どうしても在宅で見れなくなった患者さんを含めて、1000人を少し出るくらいの患者さんを見させてもらいました。
その間、診察をしながら、なんとなくもやもやしたものが在宅医療のイメージの中にありました。
といいますのは、在宅医療では何をしたらいいのかとか、どういう患者さんを診たらいいのかという、まことに基本的な問題だったのです。
在宅医療でどんな患者さんを診たらいいのかという問題ですが、答えはとってもシンプルなものでした。
昨年末、必要に迫られて統計処理したときのことでした。はじめはまったく気にせず、いつものように機械的に主疾患別で分けていたのです。少しだるくなってぼおっと円グラフを見ていたときのことです。なんとなく見づらいなという気がして、思い切って手間隙のかかる順に患者さんを分けていきました。すると、手間隙のかかるほとんどの患者さんに痴呆症がかぶっているのです(約6割)。ガンの患者さんも割合的には多く、3割ぐらいの方々がガンでした。また、リハビリの必要な患者さんも1割ほどいました。その他にも稀な疾患の患者さんもいましたが、あまり多くはありませんでした。
また、どういうことをしたらいいのかというのもとても簡単なことでした。これも患者さんが教えてくれました。
最近になってのことです。いつも話の長いおばあさんの診察に伺ったときのことです。いつもどおりに一通り話を聞き終えて、血圧を測って診察を終わりにしようと思ったのですが、たまたまその日は暇だったので、脈や眼瞼、口の中や足のむくみまで丁寧に診察をしたのです。するととっても喜んで、「ありがとう、ありがとう」って何回も言うのです。
多少痴呆症が入っていることを差し引いても、喜んでもらえるのは悪くないなと思い、それ以降は「喜んでもらえる作戦」を在宅の診療に伺った際はとることにしました。
また、ターミナルの患者さんに点滴をするのはどうかな?という話もありますが、テレビでお相撲を見て喜んだり、飲めないはずのトマトジュースを飲んで「うまい」と言って喜んだりする姿を見ますと、中心静脈栄養を入れるのもわるくないなと感じております。
また、医療経済的に見ますと、病院や施設とちがって、建物の減価償却をしなくてよい点や、診療所と申しましても、わざわざ診療所を建てなくてもビル診ででも十分です。この場合はもうイニシアルコストは限りなくゼロに近くなります。
もうひとつの面白い点は在宅医療の主体者が家族、もしくは本人だということです。つまり、病院のような転倒事故に対する管理責任などは発生しないということです。
さて、ここまでお話すると、そろそろ皆さんも在宅医療をはじめたくなったころと思います。
レッツ ゴー ザイタクイリョウ
追記*在宅医療に関心のある方の飲み会をはじめました。関心のある方はご連絡ください。
折りたたむ...医療事故に関する報道が、あちこちで目につき、医療訴訟も増加している。そして、その都度医療機関は、悪者としてヤリ玉にあげられる。現時点ではどちらかといえばまだ、表面化していない高齢者施設での事故にも、順番がまわってくるであろう。従って、今のうちに自分なりの考えを整理しておきたいものである。
<時代は変わった>
今さら云うまでもないことだが、最近、医療事故が急増しているわけではない。医療技術が進歩し、複雑になるにつれて、新しいタイプの事故が発生するようになったとはいえ、同じ状況で見れば、これまた技術や、システムの進歩により、事故発生の確率はむしろ低下しているからである。
ではなぜ、医療事故のニュースや、訴訟が増えているのか。
最大の要因は医療界への根深い不信感である。十分な説明もなく、何でも「まかせておけ」という態度ややり方で事をすすめながら、思いがけない展開になると、突然、患者自身の特異性や不運として片づけようとする風潮が延々と続いてきた。結果に大いに不満を持ちながらも、多くの人は言い出せないできた。しかし、誰かが口火を切った流れは一気に変わる。これに呼応する形で、内部から思っても見ない事実が洩れ始める。大部分は、自分達の働いている環境への不満が根底にある。
かくして、医療界は血祭りにあげられ、医療人はあわてふためく。
ここでの対応方法は、ただ一つ、ともかく何事によらず事前にあらゆる可能性をきちんと説明すること、そのあと経過についてもその都度、事実をありのまま伝えることである。
最近はやりのインフォームドコンセントなるものは、アメリカでは医療訴訟を避けるための手法の一つとして発展してきたと理解すべきである。
どんなにベストを尽くしたといっても結果が悪ければ訴えられることを前提に事をすすめるべきではないか。時代は変わったのである。
<質の向上には費用がかかる>
もう一つ、日本では患者の取り違えのような初歩的ミスが多い、あるいは、米国に比べて事故の発生率が高い、と報道される。これまた、医療界に身を置くものとしては、当然のこととして受けとめている。
手術患者の取り違えや、手術部位の間違いなど患者の側からすれば想像を絶することであるが、内側からすれば発生の可能性は十分ある。まず、患者の側にとってはまさに人生の一大事であるが、手術する側にとっては、日常茶飯事であり、受け止め方が180度ちがう。
このギャップを埋めるには、事故のおきる可能性を丹念に潰していく仕組みを作るしかない。しかし、システムを作るために、あるいはそれを運用するためには、時間、専門的知識、そして何より膨大な人手がかかる。
日米の医療の最大の違いは、システム化の程度の差であり、これは医療事故の発生率の差になってあらわれる。しかし、これは同時に医療費の差として反映される。今の3倍の医師、看護婦を配置し、3倍のサポートスタッフを揃えれば、医療事故は半減するであろう。
質とはそこに投入されるコストとの見合いといった面が少なくない。つまり、個人の優秀さとがんばりだけでは、限界があるということだ。高齢者施設で話題となっている身体拘束ゼロの推進にしても、今の人員のままでゴリ押しすれば他の介護の手を抜く結果を招くことになろう。
こんな状況にもかかわらず、医療費を抑制せよとの大合唱である医療界は、このような当たり前のことをきちんと世間に知らしめてこなかった点では、重大な責任があるとしても、このままでは事態はますます悪くなる。まさにどうする医療界である。
折りたたむ...小泉内閣の「聖域なき財政再建」は、高齢者医療費抑制に向かってきた。厚生労働省は、高齢者医療の対象を現行の70歳以上から75歳以上に引き上げ、外来についても1割負担に統一するとともに、現行の1ヶ月間の上限医療費が37200円以上の高額療養費について、高齢者の負担能力を踏まえて見直しを検討している。高齢者医療の世界に波紋を呼ぶことは、確実である。
第一に、高齢者の1割負担については、介護保険制度との整合性という観点から、やむを得ないことであると考えられる。現行では、外来の一部負担が200床以上の病院で1ヶ月の上限が5000円、それ以外の病院で3000円、さらに診療所では1回の診療が800円で、1月に5回からは無料としている。それぞれの利用機関の利益を考慮してのことであろうが、仕組みとしてわかりにくいし、病院への受診抑制効果があるのかどうか疑問である。
第二に、高齢者医療の対象を75歳以上とすることについては、反対も賛成もできない。どちらかといえば、反対ということになるが、高額療養費との関係でいえば、高齢者にも一定の負担をお願いせざるを得ないことも確かであり、なんでもかんでも反対では、議論が先に進まない。つまり、高齢者に負担をいただく代わりに、医療の質の維持・向上を約束するといわれれば、それはそれで議論になるのである。
第三に、高額療養費の上限引き上げには、反対である。これは介護保険制度との整合性もないし、高額療養費制度が機能しているので、高齢者医療が確保されていると考えるからである。この制度は、わが国独自のものであり、なんでもかんでも引き上げ、財政的つじつま合わせをすればよいというのであれば、厚生労働省の進める医療政策の放棄といってもよい。
多くの国民は、わが国の置かれている経済状況を理解しているし、政府の進める政策展開になんとか協力したいと考えてもいる。しかし、一方では「カネがないからしょうがない」的な手法は、あまりに短絡的で、少なくとも深く考えていないように思えてならない。
なんだか「改革」といわれ、それには反対すると「抵抗勢力」だとか「守旧派」だとかいうレッテルを貼り、人々の意見を無視するかのような進め方は、どう考えても知的ではないばかりか、人の命と暮らしを守るという医療本来の理念をあざ笑うかのように思えてならない。
医療費については、保険料の引き上げとか、診療報酬の引き上げなどということも、検討スケジュールに載っており、そのための作業も進んでいるらしい。しかし、国民に一方的に負担を押しつけるのではなく、制度全体の整合性の確保とか、財政的政策であっても、必要な医療の質の向上については、別枠で検討するとかいう「医療の心」に訴える政策展開も必要である。なぜならば、医師だけでなく共に働く看護職や多くのスタッフの努力と協力が医療を支えているのであり、これらの人々がやる気をなくすことのないような配慮は、最低限必要であると考えるからである。
老人の専門医療を考える会は、会員のみで運営する任意団体であり、少しでも質を向上させるために多数の研修や研究を進めてきた。そして、多くの人々の理解を得る努力をしてきたし、老人医療そのものの質の向上にも、ささやかな貢献をしてきたと自負している。
それゆえ、老人医療制度や介護保険制度についても、経済的裏付けという意味でも、質の向上という意味でも、是々非々の立場を貫いてきた。このような立場から、今後の高額療養費抑制政策についても反対なものは反対したいと思う。
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