老人医療NEWS第17号 |
医療や看護が必要なお年寄りを家族に抱えると、かなり大変だ。在宅で介護となると、一層しんどい。自宅で生まれ、自宅で死んだ時代から、病院で生を受け、病院で生涯を閉じる時代に変化した。そして、家族の中で生や死が遠くなった。
これまでの人生の大半を共に暮らした祖母が逝った。自宅で手をにぎりなからの「おだやかな死」であった。その瞬間、悲しいという感情より、安堵感が広がった。「バイバイ、オバアチャン」と繰り返していた。
この安堵感は、十数年前に同じように逝った祖父の時にはなかった。2週間後「老人医療の研究をさせてもらってよかった」と、つくづく思った。
一般的にいえば、3年半、寝たきりの祖母が89歳で在宅死を迎えたことになる。しかし、少くても目の前の死は、人生に大きな意味があり、生き方や死に方あるいは老人医療について、つくづく考える機会でもある。
老夫婦と祖母の3人暮し、2人のすぐれた家政婦さん、3人の叔母、この8人が祖母をみた。すべて60歳以上、それに、たまに訪問する中年の孫一家。地域の医師、病院を経営する老人専門医、その病院のケースワーカー、在宅看護を専門に提供する在宅看護センターの看護婦さん。オールキャスト・フルバージョンのホームケアであった。
恵まれていた。場所も、時間も、人も、多少のお金も、情報も、技術も、そしてハートもあった。ただし、無理もしたし、悲しい出来事である。「絶対にホームケアがいい」とか「施設より在宅だ」と主張する元気は、どこにもない。ただただ、ホームケアを選択したことに、家族一同が満足している。
在宅だ、施設だ、老人のQOLだ同老人の医療内容とか費用問題、さらにマンパワーなどについて長年考えもし、発見もさせてもらった。が、結局、人の生き方、死に方の問題であり、それ以外の何物でもないように思う。
そして、老人医療の問題とは、どのように死の瞬間まで豊かに生き続けるかといったことが重要だと思う。
評論家気どりではなく、老人医療を家族や自分の問題として、しっかり見つめることは、老人だけの間顎ではなく、周りの人々を含めた生き方、死に方の問題だという、しごく当然な考え方を、多くの人々が共有することが大切であると思う。
折りたたむ...伝統の中で二一ズに応える老人医療を
京都洛北大原と言えば平家ゆかりの寂光院、三千院等の歴史上有名なお寺があり、毎年訪れる観光客も多く、マスコミや小説にもよく登場するので全国的にポピュラーな地域だと思います。心なしか、道端の草木の一本一本にまで平安のロマンが漂っている気配さえ感じられます。春の桜から初まり、しゃくなげ、つつじ、新緑、紅葉と四季折々がなす景観は素晴らしくあきを感じさせません。場所が山あいと言う所にもかかわらず京都中心街まで車で約20分程度という便利さも兼ね備えています。
病院の建物は写真(PDF参照)でおわかりの様にペンション風となっていまず。この辺は、風致地区に指定されており、規制が厳しく、建物の古同さは10m以内で屋根をつけねばならず、色まで指定されていますので勢いこの様な建物となってしまう訳です。ちなみに本院は、京都市の第一回風致美観賞の栄誉に輝いています。
病院の敷地は、看護寮と来年から着工予定の老人保健施設(150床)の敷地も合わせて、約1万1千坪程あります。この広さは都会からではとても考えられない広さだと思います。病院に隣接して非常に文化の薫りの高い約2000坪程の庭園があり、その中の葺ぶきの家に私の家族が住んでいます。庭園内には茶室が2カ所あり、その中の一つに、終戦後当時首相であった東條英機氏が隠れ住んでいた事は有名です。もともとこの屋敷の持ち主は若松華揚という能衣裳図案の大家であり、その方が昭和初期に葺ぶきの母屋を中心として、池、川、茶室等を配置して設計したのが現在の屋敷という訳です。この方は、大政翼賛会の大物であり、そういう事情で東條首相が来られた様です。
私の病院の歴史は、まずこの屋敷を買収した所から端を発します。その屋敷の隣地に、当初74床の内科病院として昭和56年7月に、大原記念病院はスタートしました。昭和58年に第2期工事として、手術場、中材部門も含めて130床程増床し、現在は、病床数203床、基準看護特一類、標傍科目内科、内科外科、整形外科、理学診療科、歯科、etcという一般病院として成り立っています。昭和63年に医療法人"行陵会"を設立し、現在私が理事長、院長を兼務しております。
昭和61年に地元大原を中心として"大原健康友の会"という病院の外郭団体が設立され、健康相談や定期健診の実施など地域住民から絶大な信頼を得ています。また京都の民間病院では唯一理学療法の施設基準も取得しており、この分野に於いては京都で一番じゃないかと自負しております。本院の理学療法は従来の屋内だけという固定観念にとらわれず、広い敷地を十二分に活用して附加価値の高いものを目指して行きたいと思っているのですが、マンパワーの関係もあり、不採算部門となりそうなので頭の痛い所です。
私の専門分野が外科と言う事もあり、ニーズがあれば積極的に手術が施行されています。他の高機能病院から手術のために本院に転院されてくるケースも多くあります。これは本院の理学療法が評価されていると言う事もあり、整形外科の分野に多い様です。私の個人的関係からも、開業している先生方が、自分の患者を本院に連れて来て手術をするというケースも多くなって来ています。
以上、本院の診療の特色と言えば、ERCPやESTという内視鏡の特殊検査から、皮膚科、眼科の分野に至るまで、多様な老人の医療ニーズに対応すべく、高機能病院や地元医師会と連携している事です。この様にしておくと、病院に流れをつける事が出来、また手術等が多いと院内も引きしまり、若い職員(まだ歴史が浅いため本院には若い職員が多い。看護婦の平均年齢は24.2歳)に刺激を与え、適度な緊張感を保つ効果もあり、また、労務管理の面から考えても大切なことだと思います。しかし、将来的な営業サイドからみた場合、中途半端な面も否めず対応が難しい所です。
他に地元医師会の先生も混えたX線・CTカンファランスも好評で、日本医師会生涯教育委員会推薦となっています。また、患者俳句の会が結成されて四年になります。なかなか秀句もある様です。いずれ句集として出版したいと思っております。
以上本院の現況を述べて来ました。これからの当面の事業としては、まず老健施設を成功させる事ですが、将来的には、ヘルスの方にも進出して、メディカル、ヘルス、ケアの包括体を、30000坪位のロットでこの地で展開出来たら面白いのになあと思っています。
折りたたむ..."食べる"ということは基本的欲求の一つで、経管、経静脈栄養により充分な栄養管理が行われていても、"口から食べる"ということへの欲求には強いものがあります。また、この様な患者さんの気持ちを支えることは、闘病への意欲を増すことにも連がるでしょう。 嚥下障害には、脳血管障害、外傷、変性神経疾患等の種々の原因がありますが、ここでは急性期の脳血管障害の場合を考えてみたいと思います。
近年リハ医学の立場からも、脳卒中患者の嚥下障害の診断、評価に関する報告が増えつつあり、中でも客観的評価法として、造影剤を嚥下する経過を透視下に観察し、ビデオに記録するビデオフルオログラフィーが注目されています。これは嚥下障害の分析には有用ですが、急性期の脳血管障害の患者さんに施行するには評価に時間がかかりすぎ、多くの介護者も必要なため、あまり実際的ではないと思われます。現在のところでは発症早期の患者さんには、段階的嚥下訓練時の注意深い観察が実際的かつ再現性ある評価法と考えます。
さて、実際の方法ですが、
(一)訓練食
(二)開始基準
(三)方法
誤嚥の危険に備えて吸引器を必ず準備した上で看護婦(できれば医師、STも)が行います。まず医師が診察し、軟口蓋の挙上や咽頭反射の有無から訓練食の指示をし、
訓練食をアップする基準としては、
嚥下障害のリハビリは100%の効果は難しく、回復した人でも多くの場合、経口摂取能力は正常より効率が悪く、また一過性の嚥下困難に陥る恐れもあります。外科的クリニックに頼らざるを得ないケースもあります。ただ、"食べる"という訓練で人としての生活の回復をできるだけ支えようという姿勢を、医療側も持ち続けたいと願っております。
折りたたむ...7月1日、札幌市内共済ホールにおいて「高齢化社会を考えるシンポジウム」が開催された。主催は札幌高齢者団体連合、老人の専門医療を考える会共催、医療法人溪仁会・西円山病院後援で、午後1時から5時まで、650名の市民が集い、会場は熱気を帯びた。
来賓挨拶では、老人の専門医療を考える会会長天本宏氏が、「医学の進歩等による平均寿命の伸長、それと同時に痴呆老人、寝たきり老人等、老人をめぐるさまざまな問題が生まれてきた。寿命の延びに伴い高齢者の生活をいかに豊かにしていくかが明るい高齢化社会とするための鍵であり、そのためには市民を含めた地道な努力が大切」と述べた。
この後、講演、シンポジウムへと続いたが、「なぜ家族が負担を負わねばならないのか」「本当に寝たきりになるしかなかったのか」などの議論に、聴衆から真剣なまなざしが注がれた。
吉武氏は、ご自身の経験談を交え、人生80年時代をどう生きるかについて力強く語られた。人生50年から人生80年へと移り、子供の人数は減り、親子関係が長く続くようになった。ここに「親子老年、孫中年」という現象が起き、逆縁の不幸も起きてくる。家族だけを中心に生きているのでは、人生80年は長い。地域に縦横に人間関係を広げておくことが大切である。また、吉武氏が師と仰ぐ評論家丸岡秀子先生についても触れられ、丸岡先生が"私は"という一人称で話されること、苦しみより楽しみを分ち合うことなどを述べ、存在感のある人間となるような姿勢でありたい、と述べられた。
これまで「男のくせに」「女のくせに」といった枠は大きく、男女の役割分担や社会構造はなかなか変わらないものがある。しかし、この枠にとらわれていたのでは自分らしく生きることはできない。近年、定年退職後の夫の家庭内暴力も起きているが、職業人として肩書きで生きてきた人にとっては、家庭で暮らす訓練も習慣もない。若年の時から一人で生きる力を身につけておくことが必要であり、人間としての相互関係を家族内で築き、さらに老いたときの社会保障が整備されていることが望ましい。
最後に、吉武氏は、老年期は役割から触き放たれ、自分らしく生きれる時である。そのための意識改革を、と呼びかけられた。(評論家)
シンポジウム
高齢者と地域社会のかかわりはどうあるべきか
シンポジウムは、司会兼シンポジストの厚生省病院管理研究所主任研究官・小山秀夫氏によって進められた。まず、5名のシンポジストからそれぞれの意見が出された。
初めに、北星学園大学助教授・米本秀仁氏から、老人の援助には、制度的、職業的、非公式的なものがあるが、当事者の老人が、どういう生活、どういう仕組みを望んでいるのかを明確にした上で、援助行動が決定されなければならない、と述べた。
続いて、東京都老人総合研究所主任研究員・鎌田ケイ子氏は、在宅ケアは家族がケアすることが前提になっていること、地域から孤立している家族をどう結びつけていくか、在宅・施設等のケアを選択できる体制づくり、等、家族の側から今後のケアの在り方について問題提起がなされた。
次に札幌医科大学教授・前田信雄氏は、アメリカにおける施設ケアの紹介の後、日本の医療、看護、福祉の横の連携をどう強めるか、について話された。市民からの声を大にし、もっとシステムの活用を、と呼びかけた。
国立療養所長崎病院理学療法科医長・浜村明徳氏からは、島と坂の多い長崎におけるリハビリテーションの実践から、作られた"寝たきり"が半数以上を占めるという報告が出された。また、患者さんは、もう一度元気になり、働きたいという願望をもっている、という。適切な老人医療を行い、自立を支援するために地域の拠点をつくる作業が求められる、とまとめられた。
最後に、老人の専門医療を考える会副会長・大塚宣夫氏より、老人間題の根本的論議の欠如が指摘された。老人、家族、行政など、各々がとういシソステムを望んでいるのかを踏まえた上で、今何をすべきかを考えなければならない。いざという時に受け入れてくれ、快適で最期までいられる施設が求められているのではないだろうか、と述べられた。
これらの発言を受け、小山氏は、在宅ケアの可能な家族がとれだけいるのか、なぜ家族の生活が変わらなげればならないのか、と家族中心主義の是非を唱えた。家族が崩壊してからの入所では遅すきることを強調し、そのためのシステムづくりへの地域の参加を求めた。
討議では、在宅ケアの場合について、医師、保健婦、ヘルパーの派遣による支援体制つくりとともに、施設の整備をあげた。また、老人ケアの難しさは、ケアする側が老いを体験していないことであり、ケアへの意識教育も必要である、と述べ、さらに、リハビリテーションは訓練でなく生活の立て直しであり、作られた寝たきりとならないための早期リハビリの重要性を説いた。
現状では、老人医療、ケアについて地域におけるサービスの量も質もまだまだ不十分な状態である。医療、看護、福祉の連携をすすめ、サービスの選択技を広げることが、明るい高齢化社会を迎えるため、早急に実践を求められていることである、締め括られた。
折りたたむ...5月13日午後2時より、老人の専門医療を考える会事務局において、平成元年度総会が行われた。会員病院より29名の出席を得、会の運営方針等について意見交換がなされた。
木下毅議長による議案審議では、吉岡充事務局長より事業報告、事業計画案、会計についての説明がなされ、南溢監事、小串安正公認会計士より監査報告が行われ、承認を得た。 役員については、任期2年の満了による審議の結果、天本宏会長の再選が万場一致で承認され、他役員については会長に一任することとなった。会長よりは、副会長2名、事務局長1名、幹事5名、監事2名の留任と、新たに幹事3名の任命が発表され、天本宏会長三期めへのスタートをきった。
以上をもって午後3時半に閉会となった。また、閉会後、札幌市・老人保健施設「リラコート愛全」のスライドによる紹介が行われた。
同日、午後4時からは約2時間にわたり、平成元年度総会記念講演会が開催された。講師には厚生省大臣官房老人保健福祉部老人保健課長野村瞭氏を迎えた。野村氏は、高齢化社会の抱えている問題として、生活保障、生きがい対策、環境整備、保健・医療・福祉対策等をあげ、老人医療をめぐる行政対応の方向について言及した。老人医学の確立と医学教育の改革、診療サービスの充実など、今後への課題は大きい、と述べた。
折りたたむ...参議院戦が終った。いわゆる「自民党惨敗、社会党大勝」という結果となった。自民党の敗北は、予想されていたとはいえ、ここまで敗けると考えていた者は少ない。政治の世界は、なにが起っても不思議ではないにしろ、世論の大切さを認識するべきであろう。
厚生省は、年金法、国属健康保険法、老人保健法、医療法などの改正作業を進めており、年金法改正については、継続審議となっている。選挙結果は、年金法改正を反故にするだけのインパクトを与えた。そして、消費税は、見直しか廃止かといった選択を迫ることになった。
大蔵省内や自民党内からは、消費税を福祉目的税化することによって廃止だけは回避したいという希望的観測が表明されている。また、総裁戦の円滑化と、衆譲院の解散総選挙を目前に、自民党内の危機感が強く、一部には新党結成もささやかれている。
このような政治状況は、今後の老人医療あるいは老人施策にどのように影響するのであろうか。自民党が大勝した前回の衆参同一選挙後、行財政改革があり、税制改革があった。その結果、老人医療に対する政策的展開が提供者側に有利になったとは思えない。そして、病院を取り巻く環境も好転はしなかった。ただし、老人病院に対する認識は若干深まり、当会の活動も広く理解を得られるようになった。
それでは、社会党が大勝した今後の状況は、老人病院にメリットになるのであろうか。結論的に言えば、それほど変化がないといわざるをえない。自民党が老人施策に対して給付改善を行なうことは、ほぼまちがいない。そして、それ以上の給付改善策を社会党が主導となって要求することもありえる。ただし、老人の診療報酬に対して大幅な給付改善をするという主張は、双方ともしないであろう。
ありえるとしたら、年金の65歳問題の棚上げおよび給付改警、在宅福祉サービスの一層の拡充、老人保健一部負担の改善などであろう。これらの問題に対しては、双方とも「バナナのたたき売り」を漬じるかもしれない。
問題は厚生省がどう対応するかにもかかっている。参院戦後、霞ケ関は動揺したことは確かだが、衆院解散総選挙、自民再大敗、連合政権樹立というプログラムが確定しているわけでもない。サミット先進国首脳の顔は「自由主義の勝利」に満ちていたし、日本の国民の多くは、政治に不満であっても、生活に不安があるわけではない。
と考えてみると、左右に揺れることはあっても、落ち着く先は想像できる。自民党惨敗は、自民党への「お灸」であって「社会主義の選択」ではない。ならば、厚生行政は、しばらく「死んだふり」をしているしかないということになるのが物の見方であろう。
厚生省老人保健福祉部は、7月の人事で幹部に移動があった。部長には、岡光序治氏(昭和38年入省)、参事官に浅野楢悦氏(同41年)の強力コンビ、老人保健課長は、野村瞭氏が食品保健課長への移動に伴ない、伊藤雅冶氏(同43年、医系技官)、技官補佐の長谷川敏彦氏が健康政策局計画課に移動し、政策課から遠藤明氏が着任した。伊藤課長は、活動的で打たれ強く人望も厚い。遠藤補佐は、クールな理論家で、味のある医系技官といえよう。 岡光部長、浅野参事官、伊藤課長、遠藤補佐のラインは、強力シフトで4人とも「死んだふり」だけは、似合わない。
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