老人医療NEWS第132号
薬を使いすぎていないか
光風園病院 理事長・院長 木下毅

全日本病院協会で行っている「諸外国における認知症治療の場としての病院と在宅認知症施策に関する国際比較研究事業(老人保健事業推進費等補助金)」で二〇一三年十一月にオランダとイタリアに行ってきた。オランダでは、GPが患者の認知症について最初の判断を行い、GPだけでは判断ができないケースでは、専門機関がGPから患者の紹介を受けて診断を行い、またGPに対してセカンドオピニオンを提供するなど、認知症のゲートキーパーとなるGPをバックアップする仕組みが整えられている。イタリアにおいても、認知症の診断・治療を専門とするアルツハイマー評価ユニット(UVA)が保健地域単位で配置され、GPから紹介を受けた患者をサポートする仕組みとなっている。UVAでは、精神科と老年科を中心とした専門医による診断を受けることができ、認知症対応の中心機関として明確な役割を担っている。

オランダでは認知症の薬の処方は、初回はGPではなく専門医による処方を必要とし、その処方はMMSEのスコアによる制限があるなど一定の制限がある。イタリアでは、初回の処方か継続かを問わず、認知症の薬を処方できるのは専門機関(UVA)のみとなっており、GPとの役割分担が明確になされている。また、保険適用となる範囲はMMSEスコアにより一定の基準が設けられている。又施設入所になると基本的に認知症薬は使わない事になっている。しかし三〇%程度の人に認知症薬が使われているという。人情的な問題や人権問題で使われ続けているという。このように、諸外国の事例からは、認知症治療における薬物の処方をできる主体が制限するといった方法や、薬物の使用について一定の基準を設けていることが確認された。ただし、認知症薬の投与開始の目安はあるものの、中止する基準ははっきりとしていない。

日本では認知症薬が多く使われている現状である。主治医の判断で使われており、一応の基準はあるものの、あまり厳重には守られていない様である。また介護給付費分科会で経験した事であるが、認知症の会の代表から、介護老人保健施設や介護療養型医療施設に入所・入院すると認知症の薬を切られてしまい、けしからんという話もあり、投薬中止のむずかしさがうかがえる。

抗生剤や高血圧薬などは効果判定が行い易いが、認知症薬は効果判定が行いにくく漫然として使われている傾向がある。当院でも認知症薬の中止がなかなかむずかしい状況である。他の薬剤も漫然と使われている傾向がある様である。医療費増大がいわれている現在、薬剤費の削減を計って行く必要があるのではないか。今年四月の診療報酬改定では本体と薬価が切り離されたが、薬の使用を減らす事で医療費全体の削減になると思われる。見かけの収入が増えても、薬剤費支出が増えてしまっては収支にはマイナスである。特に定額性の収入の病院では薬剤の効果的使用と薬剤費の削減は必要である。

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今こそ誇りを掲げよ!
内田病院  理事長 田中志子

二〇年ほど前に父の病院を手伝うため、慢性期医療の現場に足を踏み入れた。急性期の研修病院との違いに大いに戸惑った。スタッフの質、患者さんへの医療とケア全般のサービスの質、言うまでもなく改善が必要であった。病院増床ラッシュ時に設立されたため療養環境として確かに病室は広く、急性期病院ほど悪くなかったが広々としているスペースが有効活用されているとは言い難かった。日々当たり前のように拘束下で点滴をされる患者たちを助け出したい、こんなことじゃだめだという思いだけが私を動かした。そのころ父から当時、すでに高齢者に先進的なケアを行い、スタッフを育成し自分の現場とはかけ離れた「老人の専門医療を考える会」があると教えられた。患者さんを思うケアのヒント、たくさんの患者さんのための目線、今でも神様のように尊敬する先生方の意欲的な活動の数々がそこにあった。かっこよかった!到底すぐには追いつけない、くじけそうになるほどの距離があった。それでもいつか必ず、先輩たちのようになりたい、先輩たちが作っている病院のようになりたい、先輩たちのスタッフのようなすばらしいスタッフと働きたいと願い続けた。私は本当に、雲の上の先生たちの夢のような活動だとずっと憧れていた。少しでも近づきたかった。継続は力なり、そして継続は宝なり。わずかではあるが自分たちも少しは「神」たちに近づけたのだろうか?いやまだまだだ、と思うが老専の活動に参加させていただくことができるようになった。

一方、この二〇年で周囲の医療、福祉の環境も激変した。研修医のころ心電図カンファレンスで七〇歳でも「この患者は高齢だから観察で」と、異常だけ指摘され処置必要なしの箱に処理された。その人の顔も背景も生きる気持ちも配慮されることはなかった。ところが今や九〇歳を過ぎても多くの手術が行われるようになった。もちろんそのうちの多くの患者さんに認知症も合併している。つまり、今やどの病院のセッティングでも高齢者や認知症と向き合わずしては仕事ができないという状況に等しい。おそらくこれを読んでくださっている先生方にとっては、何をいまさらとお感じのことと推察される。

長年の高齢者や認知症を患う方を大切に見てきた目線、ケア、そしてご家族を支援しながらともにケアチームとして何年も関わり続けてきた愛情、おそらく多くの先生方が患者さんを代々かかりつけ医としてご覧になっているのではないだろうか。一人のおじいさんを看取ったとき「父がお世話になりました」と言っていた息子さんが今度は患者となり受診に来て、保育園の服を着て面会に来ていたお孫さんに今度はインフォームドコンセントの対象者としてその親の最終章について話し合いを持つ。そんなことが日常的に行われているのではないだろうか?その歴史、命をつなぐ仕事ができる喜びこそが私たちの仕事の醍醐味であり患者さんやご家族から頂いた勇気と経験ではないだろうか。これから高齢者ケアに参入してくる急性期病院の方たちに今こそ私たちの誇りと経験をお見せしましょう!一朝一夕で培ってきたものではない「老人の専門医療を考える会」の歴史の重さを誇らしくもっと周囲に知らしめようではありませんか。そして急性期の現場に「老専」のケアをバイブルとして届け始めようではありませんか。

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北九州市におけるリハ・ケア連携とケアマネジャー
小倉リハビリテーション病院 院長 梅津祐一

今後わが国ではリハビリテーション(リハ)を必要とする高齢者の急激な増加が予想されています。北九州市には多くの優れたリハ施設があり、リハの教育・研修についても長い歴史があります。しかし、その施設や人材を高齢化社会に向けて有効に活用するには多くの問題があり、高齢者に対し優れたリハ・ケアがすぐに提供できる状況ではありません。高齢化社会に向けた様々な問題解決のために、平成十七年に北九州市と医師会により「北九州市リハ支援体制検討委員会」が設置されました。現在まで、急性期から維持期に至るリハ機能が有機的に連携する地域リハ体制が徐々に整いつつあります。

北九州市においては医療機関の連携関係が複雑多岐にわたるために、連携する医療機関ごとに連携パスを作成すれば連携事務が煩雑になってしまいます。そのため、北九州市リハ支援体制検討委員会では市内の医療機関が共通の様式として使用する「北九州標準モデル」を作成することになりました。

平成二〇年九月に市内の脳血管疾患の診療等を行う四十二施設で全体会を行い、素案に対する意見の集約を行い北九州標準モデルが完成し、平成二十一年四月より運用が開始されました。現在では、急性期・回復期の連携は充実したものとなり、連携パスの利用率は七〇%以上になっています。しかし、維持期から急性期・回復期への連携パスによるフィードバックはほとんどなされていません。連携する医療機関同士で年三回程度、連携や情報共有を目的とした勉強会を行うことが義務化されているため、「北九州脳卒中地域連携パス協議会」を開催しています。発足から現在まで十四回開催していますが、徐々にかかりつけ医の参加が増えてきています。

病院退院時には医療と介護に関わるスタッフが密接に連携して切れ目なくサービスが提供できるよう支援していくことが重要です。そのため北九州市リハ支援体制検討委員会では、重要な役割を担うケアマネジャーに対し、医療と介護の連携に関する調査を実施し検討を行いました。

退院前カンファレンス、サービス担当者会議、退院前訪問などにより、医療者側とケアマネジャーが接することで維持期への円滑な連携が可能になります。この調査では、利用者・患者の情報を得る際「連携が図りにくい」と思ったことがあるかについて尋ねました。ケアマネジャーの約八割が「連携が図りにくい」と思ったことがあると回答し、その理由としては、「かかりつけ医が多忙なため連絡しても会ってもらえないことがある」が最も多く、次いで「かかりつけ医に連絡することに抵抗がある(敷居が高く感じられる)」となっていました。さらに、かかりつけ医に対し会議への参加要請を半数近くが行っていない結果でありました。その理由として、「要請しにくい(敷居が高く感じる)」、「時間調整が困難なため」が多く、また、「要請しても断られる」との回答が多くなっていました。一方、かかりつけ医がサービス担当者会議に参加要請があった場合の回答は、「ほとんど参加している」、「必要に応じて参加している」と「ほとんど参加していない」、「全く参加していない」がほぼ半々でした。

その対策として、ケアマネジャーとかかりつけ医の「連絡シート」が作成されました。連携はお互いの顔を合わせることが基本でありますが、忙しい中で面談を効率よくするために、FAX等でやり取りするなど様々な工夫が連携強化に効果を発揮してきました。

病院・診療所等をはじめとする医療スタッフと、ケアマネジャーをはじめとする在宅生活を支援するスタッフが、同じ目的をもったパートナーとして連携し、利用者のニーズにあったサービスが提供できるよう努めることが今後きわめて重要であると考えています。

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ちょっと不満な医療介護推進法
[アンテナ]

参議院本会議で六月十八日「地域における医療及び介護の総合的な確保を推進するための関係法律の整備等に関する法律案」が賛成多数で可決され、成立した。いわゆる医療介護推進法と呼ばれるこの法律は、十九の法律を一括で改正したもので、内容は多岐に渡り、納得できる部分もあるが、全面的に賛成できない部分もある。

十九日の朝刊一面での新聞各社のみだしは、それぞれであった。日経新聞は「介護保険、持続へ一歩」。朝日新聞は「負担増・サービス縮小」であった。医療介護の改革が不十分であるというニュアンスと、負担増ばかりではないかといった指摘なのだろう。

絶対反対という意見もあろうが、なんとなく改革しないとしょうがないという前提がある。後期高齢者が増加し、認知症の人々も急増、その反面で人口減と限りある財政状況という現実を無視できない。

ただ、安倍政権が一応安定し、消費税増税も軟着陸できたし、経済状況もなんとかなっているという好条件なのに、もっと改革できたのではないかという不満を口にする人もいる。医療や介護の人材難もあるし、二〇二五年問題とかいっているが、あと十年しかないのだ。もっと大きな改革に踏み込まなければ、間に合わない。

負担が増える。サービスが縮小することに大賛成する人はいないのかもしれないが、このままでいいわけではないことも理解されている。負担を減少することはできないまでもサービスを適正化し、無駄を徹底的に排除しても、負担が増えるのであるから、無駄の排除は当然視されるはずである。

その反面で、必要なサービスは提供しなければ、後期高齢者の生活は守れないのである。地域包括ケアといわれているものは、医療と介護を統合して、だぶっている部分の無駄を排除はするが、住まいや生活支援サービスを適切に提供するシステムがないと、医療や介護に依存せざるをえないという認識なのではないかと思う。

地域における配食、見守りなどの生活支援サービスが大切であることは、我々はよく理解している。しかし、不思議なのは、それを担うのは社会福祉協議会、NPO、ボランティアなどと主張していることである。努力はしているが、地域に住む要介護高齢者の生活支援を本当に担ってもらえるのか不安である。医療や介護サービスを提供している側からみれば、ボランティアやNPOは大切だが、本当に責任を持ってもらえる仕組みができていないように思う。

世の中には、我々のような医療法人とか社会福祉法人がある。介護保険者である市町村から「後期高齢者のことで、なんとか力をかしてもらえないか」といったことを、たまにいわれる。もちろん答えはイエスだ。だが、生活支援サービスについて、是非協力してくれとはいってこない。

お願いされないから、やらないといっているのではなく、我々が何らかの生活支援サービスをしようとしても、行政から白い目で見られているように思えてならないことがある。このあたりの話は、地域のゴタゴタというか、地方行政と民間医療機関の関係とかいったことが、スッキリしていない。市町村の担当者から「医療は敷居が高い」などといわれるが、では社会福祉法人ならたのみやすいのかが疑問だ。どう考えても行政は民間にたのみたくないのだろう。

厚労省から、介護保険者である市町村に、老人医療に熱心な医療機関や社会福祉法人に「生活支援サービスをたのめ」という通知でも出してもらいたい。皆がちょっと不満なのであるが、官民がもっと協力する時代だ。

* へんしゅう後記*

「地域包括ケア」がいよいよ病棟名になった。医療も介護もすべてのベクトルが在宅へと向いた。その前提としては、一人ひとりの老人が地域で楽しく暮らす術を得、自立できるコミュニティが必要だろうと思う。

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老人の専門医療を考える会 JAPAN ASSOCIATION FOR IMPROVING GERIATRIC MEDICINE